はてなキーワード: 十二国記とは
放映開始時はとても面白く視聴していたしすっかり嵌ってしまっていた。百鬼丸はミステリアスだしどろろは可愛く、登場人物が魅力的だ。4話に顕著なようにナレーションに頼らずあくまでもアニメーションで視聴者に内容を理解させる演出はとても心地よかった。OPEDもとても良い歌だと思う。
原作から色々と設定や細かな描写が変わっていたが、個人的には十分許容できる範囲だった。例えば名シーンである「俺の血を吸え」が無くなったことなどは、百鬼丸の設定の改変により仕方のないものだと受け入れられた。寧ろ女性の泣き声と雨の音で終わらせる演出は大仰な悲劇よりも胸に沁みるものがある。素晴らしい作品だと思ったものだ。…9話までは
本日放映された「ばんもんの巻下」は最悪だ。何故「ばんもん」のような名エピソードをこれだけ陳腐なものにできるのか理解に苦しむ。唯一良かった点はこの回を上下に分け、上放映の時点で駄作になると予防線を張らせてくれていたことだけだ。
先に理解に苦しむと書いたが、実は10話の時点で伏線があった。それは「どろろ」を武士の物語へと転換したことである。10話は領主の息子が民衆に悪さをする怪物を懲らしめる、世界中の英雄譚にありそうな話である。この話では武士は民衆を救う英雄であり、民衆は救われる存在でしかない。民衆は勇敢な領主の息子に感謝し、領主の治世を喜ぶ。
そういう話が有っても良い。領主の息子、多宝丸の魅力を引き出す逸話だ。有っても良い…が、しかし「どろろ」の一連の話においてこれほど浮いた話もないだろう。
9話「無残帳」はどのような話だったか?武士に虐げられ武士を憎み悲劇に塗れたどろろ一家の話だ。これから向かう「ばんもん」は原作でどのような話だったか?武士のせいで家族を村をばらばらにされ、その断絶を生んだ武士を、断絶の象徴であるばんもんを倒すことで再度統一を果たすという話だ。
武士は一貫して倒すべき敵だったのだ。そこに武士を賛美する話を挟んでどうしようというのか?武士、醍醐は憎むべき敵ではなくなり醍醐領は繁栄、統一を望む民衆は消えてただ助六のノスタルジーだけが残り、ばんもんはただの国境となった。ただ朝倉だけを敵役とし、醍醐は名君にされた。そうなっては原作通りの顛末など到底不可能だ。戦場はただ醍醐家の家族会議の場と化し、けっきょくそれだけの話になった。
「ばんもん」は誰の話だった?民衆の話ではなかったか?いつ武士の話になったのだ!
原作での「ばんもん」の意義は大きい。民衆の支配者層への勝利をはじめて描いたためだ。物語の最後、民衆の醍醐への蜂起に繋がる話だからだ。
私はアニメ6話で、みおが「侍に取られた分だけ取り返す」と言い、どろろがそれに感心する場面のあったことに感服した。ああ、この製作陣は「どろろ」のテーマをよく分かっているのだなと唸らされた。
「どろろ」がカムイ伝に影響され描かれたことは周知の事実だろう。「どろろ」が虐げられる者たちが虐げる者たちと戦う物語であることは原作を読めばよく分かることだろう。
6話はみお達の悲惨な死よりも、どろろの小さな胸に侍との戦いという小さな芽を植え付けたことが重要なのだ。
「どろろ」は民衆の物語であり、理不尽な支配者層との戦いこそがテーマなのだ。
だが、私の製作陣への信頼は「ばんもん」とともに崩れた。民衆は力あるものに左右されるだけの主体性のないモブとなり、世界は力あるものを中心に動くようになってしまった。なろう全盛期の今、そんな物語はどこにでもある。どこにでもあるものに、堕してしまった。
私はアニオリだからといって全て否定するつもりはない。十二国記の浅野君なんかは良いアニオリだと思う。
だが、原作のテーマを無視する改変は一線を越えているのではないか。原作のテーマ性まで無視するなら「どろろ」の名を冠するのを辞めてほしい。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1053237225 を読んでいて、
本題関係ないけど、忘れてしまったことを忘れてしまう、そんな経験が最近になってとみに増えたことに気づいて愕然としてしまう。
十二国記ばりに山野を巡って環境保全調査を行う、官僚時代祖父はそんな仕事をしていた。四半世紀を超えて昔のことだけど。
その祖父の一回忌の法事にて、展翅された標本を前に一眼ルーペの話で親せきが盛り上がって、
そういやあのルーペ、おじいちゃんに貰ったの、まだ自宅にあるわ、懐かしいー、その場面ではそう信じて親せきに語った後、
寒々とした自宅に帰って少し探して、ミニマリストに被れて数年前に全部捨てていたことを思い出した。
一眼ルーペをおじいちゃんにもらったことも、それを捨てたことすらも忘れていたのだった。
たった45人、4クラスしかいない学校に彼がいたかどうかすら自分は覚えていなかった。
これを書いててそういえば、と今や担任の先生の名前すら碌に思い出せない。
登校中に駅から見えたモノレールの残骸より、自分は忘れていたことを忘れていた。
忘れてしまった人はどうやって探せばいいのだろう。
誰が親との思い出を振り返り教えてくれるのか。
どうして自分がそこにいったのか、そこはどこなのかすらも覚えてなくて、
でも誰も教えてくれないのだ。ただ思慕ばかりが募る。だから見ない。
面白かったよね、蜃気楼的なのもそうでないのも。今のラノベというとハーレムもののイメージがある(私が今持っている・またはそういう文脈で使うことが多い)けど、私にとってラノベはコバルトとかホワイトハートとかだった。女の子向けエロ。母に「こんなマンガみたいな本!」と全部まとめて捨てられてた本。中学生ながらこっそり作家のサイン会に行って、サインしてもらった本も含まれてたんだけどな……所詮子供が大事にしたい気持ちなんか大人には関係ない。捨てさせられながら呆然とライトノベルとそうじゃない本の線引きを理解した気がした。……いや待て、なら長野まゆみやら宮部みゆきやらはなんなんだ。あと小野不由美。というか母としては表紙がマンガ絵だからアウト判定してただけで中身がマンガみたいだったかどうから知らないと思う。であれば十二国記はセーフなはず……ってコバルト関係なかった。
閑話休題。
引き込まれるとか読みやすいとか、文章が上手いのは圧倒的にコバルト文庫だった。他の文庫や、テキストサイトを巡ってきても、やっぱり安定して面白い安心感ある文章なのはコバルトだった。オーラバとか『作家の人間性がー』みたいな話を同人誌だかペーパーだかで読みつつ、でも話は面白いから作家の別作品も追ったりしてた。音楽のやつが好き。ちょーシリーズもとても好きだった。ちょーも好きなんだけど、なんだっけ、黒魔法も白魔法も「魔法に善悪はない」ってずっと言ってたのは。コバルト文庫の何かだっけ? ……ちょーシリーズの子世代編の気もしてきた。あれはとても私の価値観に影響した。魔法じゃなくても、道具そのものに善悪はない。うん。あの人の、全体的にしっかり考えてるのにあっけらかんとした口調で気楽に読ませてしまうの本当にすごいと思うんだ。好き。あ、マリ見ては嗜む程度、多分1冊もちゃんと読んだ(借りた)ことないと思う。アニメイト方向からの知識だけで構築されてる気がする。姉妹と書いてスールと読むんだよね。あと破妖? 途中から読めなくなってしまったけど。
ああでも、こんな懐古に浸って、あの頃読んでた何も今読んでない。新しいシリーズなら尚更。コバルト文庫はコミュニティで読んでいた。布教文化というか、教え教えられ前提で読んでいた。くるりんFAXで盛り上がったりとか。高校卒業してからは面白い本をその場で貸して翌日返ってくるなどというやりとりはなくなったし、自分の気になるものしか読まないから自ら新シリーズの開拓とかしなくなった。友達に勧められないとマンガしか読まない人間だったんだ、私は。今コバルト文庫を読んでない。かなり長い間読んでない。読みたいな。読もう。
私の中で、『やがて君になる』の主人公小糸侑は、『十二国記』の泰麒と重なる。
いつか大切な気持ちを知るときが来るのだと、侑や泰麒の周囲の人びとは言い聞かせる。泰麒の場合は女官たちが直接に。侑の場合は、少女漫画やラブソングといったメディア、友人たちとの恋バナを通じて。あなたにもいつかその気持ちは訪れるのだと。
けれど、周囲の人びとが提示するのはあくまで1つのモデルに過ぎず、色々な形でその「気持ち」は訪れるのだと、侑も泰麒もわからない。その気持ちは誰にも同じようなかたちで訪れるのだと誤解している。
だから、侑も泰麒も自分の気持ちに気づかない。泰麒は自分の感じた王気を怯えているのだと誤認する。自分の「ほんとうの気持ち」から出た行動を嘘だと間違える。侑は、自分の心臓が高鳴っているのに、高鳴っているのは燈子のそれだと決めつける。どちらも、周囲が教えてくれるモデルとは違った形だから。
自分のことを思い返してもわかる。好きになる気持ちの形は、いつだって漫画みたいにくっきり訪れてくれるとは限らない。ふとした瞬間、これまで周囲の話やメディアから思い描いていたのとは違う形で、その思いは訪れる。そしてそれに気づいたときには、もうこらえようもなく大きなものになっている。
昨日退職して、しばらく暇なのである程度長いエンターテーメントが見たい。
好きなやつを羅列するから、これも好きならこれも好きなはず!みたいなのがあったら教えてくれないか
図々しいけど
★好きな漫画
・げんしけん(5年生とかジゴプリも好き
・かげきしょうじょ
★好きなアニメ
・血界戦線
★好きなゲーム
・俺の屍を超えていけ
・アンダーテイル
▼追記しました---------------------------------
全然聞いたことないこれから見る予定が無いやつがあってワクワクしている。
出してもらったやつで、やったことあるのはだいたい私が大好きなやつだったので
皆見る目がありますね。
すまん、こういうのダメだったのか。以後気を付ける。
アマプラで見れるようだったので今見てます。「銀河英雄伝説 Die Neue These」
戦争物ってあんまり見ないので新鮮で面白い。時代がかったセリフ回しがよいね。
めっちゃ好き。システムとストーリー世界観がマッチしてるゲームが好きなんですよね。
これが好きならアトリエシリーズが好きなのでは?私がすきなエスカ&ロジーのアトリエをお勧めする。
まさにイクニラインは追って行っていて、ピングドラムは好きだけど思うところあり、ユリ熊は普通に好き、さらざんまいに期待という感じ
細田はサマーウォーズは劇場で三回見た、おおかみこどもはまあ好き、ばけもののこは落ち着けって思った。ミライは見る気がない。
出崎統はあんまり意識してなかった。キルラキルとかの演出してる人なんだね。これから意識しておく。
>嫌いなやつだせ
嫌いなやつなんか覚えてないよ…
強いて言うならグロいやつかな。多重人格探偵サイコとか古屋兎丸はいけるくらいのグロ苦手
おお、それがあった。ただ、四畳半神話体系は行けたけど、夜は短し歩けよ乙女はいまいちだった。
湯浅政明が好きってわけじゃないのかなあ。でもまだわからないから見るね。
ぐうの音も出ない
>蟲師
読んだことあったけど、コメントがあったから今日読んでる。やっぱおもしれえわ。
旅する一話完結ものいいよね。キノの旅とかもそうだけど、絶望の話と希望の話がごった返してる感がよい。
>小説
本好きの下剋上気になってた。
>おススメを語ってる人はいっぱいる…
確かに。そういうのも見てるけど、誰かにおススメされたかってん。さみしかってん。
ガラカメとか、かげきしょうじょを出してるので分かる人は分かると思うんだけど
舞台ものが好きなんですよね。ちょっと違うけど累とかボールルームへようこそとかも好き。
>ガンダム
>神戸在住
(同じ作者の)巨娘がすごく好きだったんですよね。
木尾士目的なのか…。
本当!?私この人好きかな!?ロボものはガンパレしか上げてなかったと思うけど
三国志とか、西遊記、水滸伝、封神演義は読んだ(訳されてるやつ)
★書いてなかったけどやって(見てて)て好きなやつ
ハルヒ・ポプテピ・この世界の片隅に・蟲師・スポフラ・ローゼンメイデン・キルラキル
昭和元禄落語心中・ペルソナ5・鬼滅の刃・ガンスリンガーガール・プラネテス・NEWGAME
攻殻機動隊(押尾より神山作品好き。009も東のエデンも好き。もっと活躍してほしい)
パプリカ(今敏もすき。妄想代理人>パーフェクトブルー>パプリカ>ゴットファーザーズ>千年女優くらいの感じで)
シリアルエクスペリメンツレイン(いいよね。ゲームがやりたいけど出回ってないんだよなあ)
押見修造作品(ほとんど読んでると思うけど、血の轍は読んでなかった!)
逆転裁判1(普通に好きなんだけど2~はやってないのでやろう)
プリティーリズム(RLからキンプリキンプラは見た。押しはベル様)
映像研には手を出すな!(ものを作る仕事だったので泣きそうになった)
動物のお医者さん(佐々木倫子作品は全部好き。HEAVEN?が一番好き)
いくえみ綾(あなたのことはそれほど、とかおやすみカラス好き!)
森見登美彦とそのメディア派生作品(ペンギン・ハイウェイが…たまりませんでした…)
★やったけど途中で投げ出したやつ
はたらく細胞(頭が悪くてついていけなかった)
善人シボウデス(3Dがいちいち動くのでテンポがしんどかった…)
スプラトゥーン(ゲーム好きだけど、人とやるゲーム苦手なんだ)
★興味あったけどやって(見て)なかったからやりたいやつ
Civilization(絶対好き。AoEとか好きだったな。シュミレーションは時間を溶かすよね)Portal
428、シュタインズゲート、life is strenge、GRAVITY DAZE(すごく興味があるんだけど多分酔う)
タクティクスオウガ(SRPG好きなんで絶対好き。)ペルソナ4ゴールデン、銀河英雄伝
市川春子(宝石の国のアニメはみた)、吉田秋生、テレプシコーラ、吉野朔実作品、岡崎京子、岡崎まり、氷室冴子、夏目友人帳
フリクリ、ヒストリエ、 解体屋ゲン、カイジ、キングダム、寄生獣
重版出来、電脳コイル、レヴュースタァライト、アクタージュ、サイコパス、コードギアス
★全く知らんかった絶対好き、やり(見)たい!
5等分の花嫁、ダンスダンスダンスール、昴と絢爛たるグランドセーヌ、ランドリオール、
チーターっていう言葉がある。動物じゃなくて、オンラインゲームなどでツールを使っている人を指す言葉のほう。
最初この言葉を見たとき、動物の音で認識していたような気がする。セーターと同じアクセント。新語だって分からなかったから当然なんだけど。
でも、しばらくしてからチーターって表記が新しい意味を現す言語であることに気が付いた。なるほど、「チート」が擬人化(でいいのかしらん)して「チーター」になってるのねって感じ。
どういうふうかっていうと、「チー」と「ター」双方にアクセントを置いた発音。童貞と似たようなアクセントになると思う。
当時はそれほど意識していなかったのだけれど、つい今しがた、ふと二つの言葉を誤認しないよう無意識のうちに音を変えていたのかもしれないなあって思った。
人間ってすごいな。日本語って面倒くさいもんなって、ちょっとばかり感心していたのだけれど、まてよ、例外もあるじゃないって結構すぐに思い直した。
「きりん」である。アフリカのサバンナに生息している野生動物、十二国記にも登場した想像上の生き物。この二つはどちらも平坦な音を用いて認識していた。車輪みたいなアクセントで。
夜間と薬缶は違う。マウス(動物)とマウス(機械)は同じだった。像と象も同じ。あとはあんまり思い浮かばなかった。疲れちゃった。あとで同音異義語のサイトでも見てみよう。
人は同音異義語を特別音を変えて覚えているようにはなっていないのかもしれない。いや、案外と認識の上では音を変えて覚えているのかもしれない。
日本語の同音異義語は多様な気がするから、ちょっと調べてみると面白いのかもしれない。面倒だから多分しないけど。
チーターという言葉は、どうして認識の中で音を変化させたのか。
動物と人っていう違いがあったせいなのかもしれない。あるいは「ドラマー」っていう音と似ているからなのかもしれない。チーターはチートを擬人化しているからそう認識したのかも。
あとあと根本的な疑問になるけれど、他の人は「チーター」を「チーター」という音で本当に認識しているのかしらん。
チーターもチーターもセーターみたいに発音してもおかしくはないはずだし。
日々新出する言語の音ってどうやって共有されていくんだろう。テキストだけじゃなかなか更新されないのがむつかしいところだと思った。
人と会話しなければだめね。
おまえ本当に編集者だったのか? 白鳥士郎をBタイプの典型と思っているあたり全然わかってないといわざるをえない。
ラノベは、ある意味何でもありという懐の深さを持っていることもあり、たまに全然ラノベじゃないヒット作品やその種がまぎれこむことがある。
古くは小野不由美の「十二国記シリーズ」や有川浩の「塩の街」なんかがそうだ。浅井ラボの「されど罪人は竜と踊る」みたいなダークファンタジーや、うえお久光の「紫色のクオリア」とか桜坂洋の「All You Need Is Kill」みたいなハードSFがまぎれ込むこともある。
これらは、初速だけ出してあとはけちょんけちょんという普通のラノベとかは、根本的に違う売れ方をする。で、白鳥士郎の最新作はその典型例の作品だ。あれを「前作の人気が冷めないうちに出たから売れた」とか思ってるのだとしたら、お前の目は節穴もいいところだ。