2019-02-25

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1053237225 を読んでいて、

本題関係ないけど、忘れてしまたことを忘れてしまう、そんな経験最近になってとみに増えたことに気づいて愕然としてしまう。

かつて、祖父からいただいた一眼ルーペがあった。

十二国記ばりに山野を巡って環境保全調査を行う、官僚時代祖父はそんな仕事をしていた。四半世紀を超えて昔のことだけど。

その祖父の一回忌の法事にて、展翅された標本を前に一眼ルーペの話で親せきが盛り上がって、

そういやあのルーペ、おじいちゃんに貰ったの、まだ自宅にあるわ、懐かしいー、その場面ではそう信じて親せきに語った後、

寒々とした自宅に帰って少し探して、ミニマリストに被れて数年前に全部捨てていたことを思い出した。

一眼ルーペをおじいちゃんにもらったことも、それを捨てたことすらも忘れていたのだった。

NHK筋肉体操出演者は、かつての同級生だった。

4年位前に友人からネット記事になっているよと見せられたが

たった45人、4クラスしかいない学校に彼がいたかどうかすら自分は覚えていなかった。

これを書いててそういえば、と今や担任先生名前すら碌に思い出せない。

登校中に駅から見えたモノレールの残骸より、自分は忘れていたことを忘れていた。

忘れてしまった英単語が紙の辞書から見つかるなら、

忘れてしまった人はどうやって探せばいいのだろう。

忘れてしまった親との関係が塀を境にちぎれてしまった今、

誰が親との思い出を振り返り教えてくれるのか。

自分がいない写真はただの風景画。

どうして自分がそこにいったのか、そこはどこなのかすらも覚えてなくて、

でも誰も教えてくれないのだ。ただ思慕ばかりが募る。だから見ない。

忘れてしまたことを忘れてしまたことに気づく不快感はなかなか忘れられない。

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