はてなキーワード: 僻地とは
>特定個人やOB子弟は兎も角、浪人だの女だのは「不正」でもなんでもないだろ。
その線引きなんだ、マイルール過ぎる
不正じゃないならなんでニュースになって批判が集まってるんだろうね
というか女を理由にするのは不正じゃないって考えがもう差別なんだけど、君の中ではそれが正当なんだね
君の中だけにあって、はてな匿名ダイアリーでだけで通用する話は正当じゃないよ
>過酷な科や夜勤や僻地医療を避ける医師は必要とされてないし、勤続年数に響く浪人も必要とされてないと言うだけのこと。
勤務問題は勤務問題として解決することであって受験をいじるのは付け焼き刃だよ
そもそもそれは押しつけられるというか希望していく場合もあると思うんだが、なぜ押しつけられたと被害者意識しかないのか
「医者になりたがらない女は医師という重い職業を男性に押しつけて男たたきをして楽をしている!」と思って納得しないだろう
「職業選択の機会を奪われて医師は女性だけが有利な職業で男性差別!」と思って納得しないだろう
君の不満は恐らく何をしても満たされずに永遠に続く
過酷な労働をどう制度改善や技術改善で克服するかを考えずに、女性差別でしか解決しようとしないのが問題なんだ
>それを「女性差別だ!」と取り上げて男叩きするのがおかしい。
特定個人やOB子弟は兎も角、浪人だの女だのは「不正」でもなんでもないだろ。
男性に都合のいい評価を大学がしたらそれが点数の不正や女性差別でも「大学の勝手」で
夜勤や当直や僻地勤務は男性に都合が悪いから「女医の責任」で(育児が女性に偏りやすいからとか人手が足りないのが原因なんだけど)
海外はまた男性に都合の悪い評価をしたから全然関係ない医療制度を持ち出して「外野の意見は無視」なの?
というか男性にばかりきつい勤務が当てられるのって労働問題だよ?
それはそれで解決しなきゃいけない別問題であって、それを理由に点数を不正に改ざんして女性差別していいって理由にはならないと思うんだけど
男性差別を防ぐために女性差別を正当だと思うって暴論にもほどがあるよ
どっちも解決するべきことだろうに
事実認定を他の誰がするんですか?
そして本件は男性差別の話だよ?
試験ってのは「大学に必要な人を選抜する」が目的なんで、点数をどうつけようが大学の勝手だよ?
しかもその理由は、「女医を増やしたら医療制度が危ない」という真っ当なもの。
いま彼女らのtweetがエモい。特に以下に合致するほどエモさが加速する(増田調べ)。
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・研究所や都会の本社で働くことを夢見て入社(総合職、正社員)
・知らない土地で頑張る自分を、自身で認めることで精神を保っている
・セクハラ、パワハラ、不具合への突発対応などに疲弊し転職検討中
・バリキャリやハイスペは幻想、自分とは違う世界線という価値観
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私はこれまで、外銀・外コンに勤める戦闘狂女性や、自身は大したことないのにハイスペ旦那を捕まえて"#年収2000万円の世界"などつぶやく女性を中心にフォローしてきた。
だが、なんというか、心が苦しかった。いろんな意味で"強い"彼女らの姿、私には少々刺激が強かったのかもしれない。
そんな時、ふと琴線に触れるtweetを目にしてbioを確認すると「僻地、工場勤務、メーカー、女子」の類の文字が。
気付いたら指が動いていた、フォローフォローフォロー。おすすめユーザーには似た属性がどんどん表示される、フォローフォローフォロー。
終身雇用制、手厚い福利厚生、残業は多めだが全額出る、そんな昭和の夢の残滓のような会社に勤めていたんだけど昨年退職した。
待遇は非常に良かったんだけど(0.6Googleくらい)、安定が自分の中で恐怖に変わっていき、やがて耐えられなくなってしまったので退職に至った。今は年収が半分になってベンチャーみたいなところにいる。預金残高を見て不安になることはあっても前職で感じたような、先細りの籠に閉じ込められたような気持ちには未だなったことがない。
前職のような会社は日本にあまり無いから参考になる人は少ないかもしれない。これはあくまでも平成という時代に10年間昭和のサラリーマンをやってきた自分のそれまでの人生のまとめであり弔辞だ。
もしかしたら、公務員とかレガシーな産業で利益を独占的に得られる会社に潜り込んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。
地方都市生まれ、小中高と公立育ち、大学は他県の国立大学へ、理系でマスターを修了後に学校推薦で就職。
地方の医学部に進学した人がバズってたけど、私は井の中の蛙というか幸せな環境で育ったなあと思う。学区が良かっただけかもしれないけど、所謂ヤンキー的なタイプは少なくて、開業医の子息とかとも普通に遊んでた。うちは公務員だったけど(子供だったから気が付かなかったという事情もあり)、引け目や負い目を感じたことはなかったと思う。財力の違いを感じたのは高3で進学先に私立の医学部を選んでたときくらい、他は塾とかも選択肢が限られていたのでみんな一緒だった。
理系を選んだのは高校で7割くらいが理系を選ぶ環境だから何となくという要素が大きい、医者になりたいとかエンジニアになりたいとか思わなくもなかったけど、何より理系は潰しが効くし、数学が苦手じゃなかったらやっとけくらいの気持ちだった。
高3のときの偏差値は公立の医学部には足りず、迷わず他県の地方国立大に進学。大学でやりたいこと云々より自分の偏差値で行ける最大限の学歴に行ったという感じ。お陰様で入学後に学力不足を感じて本当に苦労した、かろうじて留年を逃れたくらいの成績。マスターは殆どの人が行くからというだけで選択、例によって院試は内部生にも関わらず死ぬかと思った。
そんな体たらくだったので、就職のときは仕事と研究との関連性だとか一切興味がなく、学校推薦で行ける会社の年収を四季報で確認して上から順番に面接。お辞儀できれば受かるという情報通りヌルい面接をあっさり通り前職に内定した。
○どんな会社だったのか
・環境
東京から車で2,3時間くらいでコンビニまで徒歩30分くらいかかる僻地、面接に行ったときヤバイかなと思ったけど、地方の大学生からすれば東京まで2,3時間で行けるというのはそれなりにメリットがあった。あとアマゾンが送料無料をやり始めた頃で、アマゾンが届けば生きていけるかなあとも思ってた。
・待遇
これは無茶苦茶良かった、待遇というか給与だけだけど。就職を決めたときの四季報だと平均年収は0.5Googleくらいで(平均年齢43歳のね)、辞めたときの年収は0.6Googleくらいあった。ただし、基本給:残業代:賞与が4:4:4で、賞与は完全に業績連動のため期待は禁物。リーマンショックの頃に3,4年働いても基本給が5000円しか上がらなかったのは忘れられない(さすがにその後是正された、けど過去の貰えていない分の保証はなし)。
残業代が4というところからお察しの通りで、残業時間は年間で700〜900時間くらい。寮や社宅は完備のため、平日は会社の敷地から一度も出ることなく過ごしていた。
・業務
表向きは最新技術の研究開発となっているけど、実際は雑用と書類仕事に疲弊していた。入社してから一度も新しい技術みたいなのを研究したことはないと思う。ひたすらに社内調整、下請を買い叩く、行き当たりばったりで問題を解決するの繰り返し。更に営業案件とか製造案件の雑用がバシバシ入ってくる。先のことを考える余裕なんて一切なくてアワアワしているだけで10年過ぎてしまった。
私に限らず全社的にそんな仕事ぶりだったけど、市場は寡占状態なので会社は常に儲かっていた。そもそも枯れた技術なので顧客は新商品とか新機能は望んでいないのだから。たまに声の大きい営業が上げてくるマイナな案件に対応するために右往左往して終わり。そのマイナな案件にかける時間を全体に対する原価削減に当てたほうが良いのではとは皆が感じていた。
一応良いところを挙げておくと、暗い実験室に引き篭もって量産の目処のない机上の空論をやるよりは、現場の問題を拾い上げて設計に反映するのは楽しかった、それは生産技術の仕事ではないのかと思いつつも。
同僚も学校推薦で来る似たようタイプなので、穏やかで話が早くやりやすかった。東大東工大が主な学閥なので地方国立大は肩身が狭いとか無いの?とかはたまに聞かれたけど、管理職になりたいだとか野心がない限りは別段に何も不自由は無かった、学歴よりも上司だとか部署のガチャ要素が大きかったし、皆が平等に不公平という感じだった。
・組織
上の意向を忖度して言われる前にやることが尊ばれる文化という感じ。基本的にマネジメントというものは全く無く仕事もこれやっといてというだけで納期も仕様も何もない。上司の指示どおりに働いていたら、その上から烈火のように直接指導されることもザラ(そうゆう時の上司は沈黙)。酷いなと思いつつも、上司とその上も同じような関係だし、その上もそのまた上も…
これがいわゆる昭和の日系企業かぁと思っていた(違ったらごめん)。賽の河原に石を積むというか、降り積もる雪をひたすら取り除くような気持ちで働いていた。
人事評価みたいなのも形式的で、上司は査定するけど、結局は偉い人の好みに合わせて査定をつけないと書き換えられてしまったうえで上司の評価も下がるので(人を見る目が無いという理由で)、偉い人の好みをどうやって察して査定をつけるかという作業になっていた。偉い人に取り入ろうにも年に一度も話すことがないし。逆に気に入られている人もそんなに親しげではないので、何が基準かは永遠にわからなかった。
こんな状況でどうしてやる気を失わなかったのかというと、査定が悪かろうと昇進が遅れようと、何だかんだで高給をもらっている自覚と責任を感じていたからだと思う。少なくとも自分の給与以上は働かないと、お世話になっている子会社や取引先に会わせる顔が無いという気持ちで踏ん張っていた。
○どうして辞めようと思ったのか
20代の頃は仕事や組織に不満がいくらあっても、それを上回る待遇を得ていたので辞めようとは思わなかった。仕事なんてものは所詮は時間と感情の切り売りで、仕事にやりがいとかいうのは、金が払えない会社の言い訳だと思っていた。
ところが30代になり預金残高が1Googleを超えたあたりで、ふと将来のことを考え始めた。余りにも遅すぎた自我の芽生えだったのかもしれない。
いつの間にか同僚はみな結婚して家のローンや保育園の話をしている。家族がいる奴は良い、自分の代わりにお金を使ってくれて、それで幸せになれるのだから。ここで暮らしていれば子供の1人くらいは私立の医学部に入れられるかもしれない。で、私はどうなる?20代の頃と預金残高以外で何が変わった?
お前も結婚すれば良いのではないかと言う声が聞こえるけど、これは中々上手く行かなかった。こんな僻地にある会社だから、相手は地元の人ばかり。上記のように地方を転々としてきた自分とはどうしても感覚が合わない、例えば同僚の結婚式で、高校の部活の先輩後輩の関係が30過ぎても未だに残っているのが嫌だった。
敵を増やしそうだけど、地方にはヤンキーと良家の子女しか残っていないんだと思う。ヤンキーは説明不要でいわゆる地元のマイルドヤンキーさん、看護学校もあるので一人でやっていけるこの手のタイプは多い。良家の子女は女子大を出て実家に戻って地元の金融機関に就職という感じ。同僚の奥さんはどちらも結婚したら寿退社して社宅に住んでいた。
私だったら、相手が1Google稼いでいても専業主夫になりたくないなあと思う。その程度の収入に自分の後の人生の選択肢の全てを預けたくない。私は夫婦は人生の連帯保証人だと思っているので、こうゆう自分の感覚と合っている人と結婚したかったんだけど、残念ながらそんな人とは出逢えなかった。それほど立ち入った話はしないけど同僚と上のような話をしていたら「そもそも君は結婚相手に何を求めているの」と言われたのが印象深かった。私は友だちとか親友的な要素、少なくとも同じ地平で物事を見渡せる人が欲しかったし、これまでもそうゆうタイプと仲良くなってきたけど、同僚的にはそうじゃないらしい。明確な言語化はできないけど配偶者に求める要素は、自分や家庭を甘やかし指導する父母か、育て導く愚かな子女で、少なくても対等の関係という要素を求めてはいないようだった。
そんな食わず嫌いをしているうちに同僚の息子は小学1年生、これからも私がああだこうだ言っている間に大学生になって家を出るのだと思う。その頃の私はきっと40代半ば、もう結婚もできないし転職もできない、ただ自分は失敗した、取り替えしがつかないという気持ちを抱えながら、報われることのない仕事をしている。やがて50代になって預金残高が5Googleを超えて、高級老人ホームに入ること夢見て死ぬんだろう。
安定している故に見えてしまう自分の将来、この少し広い会社の敷地の中で人生を終えるであろう現実、その恐怖に囚われてしまってからはもう辞めること以外は考えられなくなってしまった。そこからは早い、たまたま自分のやっていた職種と募集がマッチングしたから逃れることができたけど、本当だったらこの歳で逃れることは難しかったと思う。前述のように賽の河原のような雑務がメインなのでとても潰しが効かないし、何よりも給与が激減する不安に耐えられない。
高校生に対してライフプラン(仕事と出産などを含んだもの)を教育するみたいな話をニュースで見たけど、これは年齢関係なく必要だなと心から思う。別に結婚とか子供とか興味は無く、食べてくために働くというのは本心として良いと思う。けれど同期同僚が結婚して子供ができて、仕事に意味や成果は無く、ただ歳だけが増えていく状況であなたはどこまで正気を保てますか?というのは自分自身によく確認したほうが良い。登山なりゴルフなり何かしら見つけられた人はそれで良いし正気を保ち続けることができると思う、私にはそれができなかった。
昭和という時代は、定職さえあれば誰もが家庭を持ち豊かで幸せになれるという幻想を皆で信じていたから実現できた神話だったんだと思う。家族がいれば多少の理不尽にも耐えられたし仕事に魅力が無く潰しが効かなくても何とかなった。けど平成が終わるこの時代に神話はもう死んでいた。
私は辞めることができたからまだ良い、けど私のような気持ちで辞めることすらできない人が、あの会社に大量に留まっているとするなら。前職に留まらず、世の中の会社や社会のどこかに、私のような人間が大量に潜んでいるとするのなら。
欧米でよくある銃乱射事件とかは、こうゆう時代の歪みから発生するんじゃないかなと思う。俺はきちんとレールに沿って人生を進んできたのになぜ幸せになれない?俺がおかしいのかそれとも社会が狂っているのか?
話が逸れてしまった。10年間よく会社に尽くしたし、会社も十分それに報いてくれたと思う、総じて良い会社だった。ただ、私は会社と同じ昭和の夢を見ることができなくなってしまった、それが退職理由。平成の終わりにこうやって昭和の夢の残滓のような会社を去ることができたのは何か奇縁を感じる。
数年ぶりにテレビを見る機会があったのだが、40から50のジジババどもがトレンドリーダーのごとき顔をして予定調和の、極めて中身のない会話を交わしてヘラヘラと笑っている。
これがまだ20代なら、いやまぁ30代くらいまでなら理解できると言うか、そんなもんかと思って見ていられるかもしれない(それでもわざわざ見ないが)ものを、
頭の回転も遅い初老の男女が必死に場を持たせようとしている様子はあまりに醜悪で、見ていられなかった。
その番組には男性アイドルも出ていたのだが。30代後半か40代の、皮膚のだるだるとした、疲れ切った、張りのない顔でおどけているのを見て、僻地のサーカスを見ているかのような侘しさを強く感じた。