はてなキーワード: 偏屈とは
その点ちきりんはそんな事しないし、人格も経歴も知性も見識の広さも、ほぼ確実に上なんだよね。
なんだかんだ言ってブコメ非公開というスタンスでやってるのに相変わらず200超ブクマがつくような記事があがるのは、すごい才能だよね。
「独身でいるお前は不愉快だ。自由とかいう問題じゃない。叩きたい。傷つけたい」
でもそれをバカ正直に言ったら異常者扱いされるから、それを防ぐために
「独身とかかわいそう…」とか「ああはなりたくない」とか、そういう言い方に変換してんのみんな。
この言い方すると「個人の自由だろ!」って反論する奴がむしろ偏屈な面倒くさい人間って周りから見なされるから、マウント取る側からしたらしめしめって感じなんだよ。
結局、「独身でもいい、その人の自由だ」なんて考えを深いところでは社会は許してないってこと。
子なし、中卒、専業トレーダー、既婚の賃貸住まい、男の育休なんかも全部そう。
同じような言い換えしておけばマウントが許される。
僕「・・・(返事をしない)」
僕「はい、どうぞ」
業者「あのー」
僕「(仕方なく)はい、何でしょう」
このやりとりがとても嫌いだ。
業者「今、よろしいでしょうか」
よろしくない!
はっきり言ってよろしくない。あなたと話をしたい気持ちは僕には一ミリもない。
そもそも要件がなんだかわからないので、よろしいかどうかもわからない。
僕は忙しいんだ。日記を書く暇はあるけど、集中して考えてるんだ。
これは大学のいつもの光景である。はっきり言ってやめて欲しい。
僕は税金で働いているので、皆さんの会社にも利益が出てほしいし、みなさんが幸せに暮らして欲しいという気持ちはあります。
でも僕の給料、研究費や電気代、場所代を合わせると、僕の1時間には数万円の税金が使われています。
それだけの税金が使われているのは、それ以上に価値のある仕事をするはずだと信じてもらっているからです。
申し訳ないけど僕の5分を奪わないでください。
「全く関係ないので来ないで欲しい/話は聞かせていただく/是非話をしたい」
ただの業者の紹介はやめてください。
本当はドアにこう書いて貼っておきたい。
FGOはなんか苦手でプレイしたことないけど、さすがにパチンコほどじゃないでしょ。
ストーリーはちゃんとファンが楽しめるもんだとは思われるし、最低でもノベルゲーとして楽しめるんでは?
弟のプレイを見てると何やら直感的にはよく分からない仕組みで手札をタップしていくだけの戦闘を延々とやっていて、正直すごい作業ゲーだなとは感じるけど、まあ多少の戦略性はあるんだろうし。
だいたいさ、スマホゲーをやってる人の中にも、据え置きゲーの質を知ってる人はたくさんいるよ。むしろない人の方が珍しい。それでも彼らはスマホゲームにもハマって、相応の課金をするだけの価値があると思って課金しているんだよ(一部の自制心が弱い人は例外だけど)。であるならば、増田は自分が偏屈になっているだけだという可能性が高いと思わない?スマホゲーにはスマホゲーの良さがあるんだよ。従来のゲーム体験の基準でははかりきれない、ライブ体験のような、あるいはオンラインゲーム的な楽しさが。
これって相当なストレスになるのに全然わかってもらえないよね。
幼稚園や小学生の頃ってやたら「残さず食べてえらい!」みたいな完食する事を美徳とする風潮があるけど、ああいう空気が「食べ残す事は悪」的な刷り込みになってるんだと思う。そして親や先生はそれが健全だと思い込んでて、子供に残さず全部食べさせる事も教育の一環だと勘違いしてるんだろうなって思う。
けど少食の人間から言わせてもらうと、食べられない人は本当に食べられないのにそんな事で余計なプレッシャーをかけないで欲しい。特に子供の頃は尚更。そんな事されたら食べることが嫌いになるだけなのに、何故わからないんだろう。
保育園で担任だった先生は食べ残しを絶対許さないたちで、少食だった私は毎日全部食べなさい、他の子は嫌がらないでちゃんと食べてるよって怒られながらごはんを食べた。限界で気持ち悪くなって吐いたら、嫌いなものを食べさせたから吐いて嫌がったのだと決めつけられて叱られた。本当につらかった。粗末にしてる訳でもわがままで残してるわけでもない、ただ生まれつき皆より食べられないだけなのになんで怒られないといけないのってずっと思ってた。
私には当時先生に言われて今でも忘れられない言葉がある。「そのわがままで残したお肉、〇〇ちゃんが食べなかったせいで命が無駄になっちゃうんだよ。その豚さんの命、〇〇ちゃんがゴミにしちゃった。可哀想」少食じゃない人はきっと先生の言葉は普通だ正論だって言うんだろうけど、私はこの言葉のせいで給食に肉や魚のおかずが出るのが怖くて仕方なかった。当時の私にはそれぐらい強いトラウマだった。無理やり食べさせてトラウマを作るのが健全な教育って言えるんだろうか。
他の子より食べられないんだって事を認めてあげる。食べ残す事は仕方ないことと理解する。責めたりしない。たったその程度のことがどうして出来ないんだろう。それが出来れば、例えばいただきますの前に各おかずの量をバランスをみて減らしてあげるとか、間違っても食べられない子を罵倒しながら無理に食べさせるより遥かにまともな対応が出来るはずなのに。
大の大人が食べ残しなんて、って理解のない人からは批判されるかも知れないけど、何なら「少ししか食べられない食の細い私アピール」みたいな捻くれた見方しかできない偏屈で頭の悪い女性もいるかもしれないけど私は成人した今でも外食時は普通に食べ残してる。食べ切れない時は本当に食べ切れないから。野菜不足は嫌だから追加でサラダ頼んで、でもメインの料理は残すみたいな食べ方も普通にする。でも私はこれを悪い事だと思ってないよ。ただ無理のない食べ方をしているだけ。あの担任の先生みたいな完食原理主義者からはそれなら外食なんかするなって言われそうだけど、じゃあ生まれつき少食の人間は友達と外食を楽しんではいけないのか?って話になるよね。
残すのは悪いことじゃない、食べ切れない時は無理に食べなくてもいい、こんな単純なことに気づくまでに10年以上もかかったけど、そう思えるようになってからは驚く程気持ちが楽になって、食事が苦痛じゃなくなった。それから一人暮らしするようになって、食べられる分だけ無理なく食べる現在のような食べ方をするようになって初めて、食べることにストレスを感じなくなった。食事を楽しいと思えるようにもなれた。
今思い返してみたら食事に対してトラウマが出来ていた子供時代のあの空気も先生の態度も全部異常だったんだなって思う。けど、今でもこういうバカみたいな考えの親、先生って多そうだよね。完食した子を褒めても良いけど、完食できない子を叱ったり無理に食べさせる事で真っ当な教育してる気にならないでほしい。
そうなんですよね。場を用意してくれる人がいて、都合が付くならあえて拒絶するのは、もったいないなあとは思います。人を集めて似たような場を作るコストは、結構キツい。
ただ、最近は酒呑みの会がイヤというだけでなく、
全体の親睦会に意義を見いだせない人がいるのかも、とも考えています。
コミュニケーションツール(道具だけでなく方法論も)がたくさん出ており、職場に依ると思いますが(偏屈な人が配属されても)仕事上のコミュニケーションロスを減らす工夫がなされているでしょうから、与えられた職務を進めるだけなら困らないことも多いのかと。
広い範囲での親睦の効果(というか顔を売る機会のありがたさ)は、ある程度昇進して、上にならないと痛感しないと思いますし。
人の上に立つようになって同僚の指向を認識したり/自分の考えを知ってもらえたり、
昇進したい人にとっては上の人に顔を覚えてもらえたり(仕事で成果を出すのはあたりまえで、僅差のポスト争いから少しでもアドバンテージを得るため。何度も顔を出すと、それなりに相手の拒否反応が少なくなる、CMみたいに)。
https://anond.hatelabo.jp/20180129125711
これの続き。(間違えて消したため再投稿)
時間ができたので、また書き残しておく。
体は大きくなっていたのに、1才過ぎてもズリバイと伝い歩きばかりで、ハイハイもしない。
特に心配はしていなかったけど、児童館や公園で会うママに、「まだ歩かないの?」とか「区の育児相談いってみたら?」とか言われるようになって、ちょっと面倒に感じていた。
夏の暑さをいいわけに、児童館から遠ざかっていた1才4ヶ月のある日。
「うわ、立った!」という衝撃が抜けきらないうちに、今度はトコトコ歩きはじめた。
両手でバランスを取りながら、自分の足で歩いている子供の姿は、思っていたよりずっと大きかった。
毎日見ているから気づかなかったけど、本当に育っているんだなと実感できた瞬間だった。
子供の体重が10Kgに近づいてきた頃。突然、ベビーカー拒否がはじまった。
ベビーカーに乗せればギャーギャー泣き、どうにもならずに抱っこ紐に切り替える。
抱っこしてしまえば泣き止み、今度はじっと人の顔を見てくる。
泣きもしなければ笑いもしない。
わが子の熱烈な視線を受けつつ。ふうふう言いながら、空っぽのベビーカーを押して歩く。そんな毎日だった。
3ヶ月くらいでおさまったけれど、拒否がひどかった時期は、なんでこんなにベビーカーが嫌いなんだろうと悩んでいた。
その理由が判明したのは、2歳も半分を過ぎた頃のこと。
牛乳を買い忘れたのに気づき。近くのスーパーまで行こうと支度している途中で、ぱらぱらと雨がふってきた。
しかたない、抱っこして出かけよう。
そう決めて、ひさびさに抱っこ紐を取り出してきたら、子供が「だっこ? ねえ、だっこ?」と聞いてきた。
「そうだよ」と返事をすれば、今度はひざにかじりつき「はやく、はやく、はやく!」とせがみはじめる。
急かされるまま抱っこをすると、こちらの顔を見つめながら「ママ、だっこだね、だっこだね!」とニコニコ笑う。
それで、やっとわかった。
この子はベビーカーが嫌いなわけじゃなく、ただ抱っこが大好きだったんだ。
表情がとぼしく、しゃべりらない時期だったから、ちっとも気づかなかったけど、本当はあのときも「ママ、だっこだね」と伝えたがっていたのかもしれない。
結局、抱っこ紐でおでかけしたのは、それが最後になった。
でも、最後の最後にとろけるような笑顔を見れて、いままでの苦労がむくわれた気がした。
うちの父は、けっこうなヘビースモーカーだ。
母が妊娠してもタバコをふかしていたし、出産のタイミングで飲みにも行ったらしい。
この数十年間、母になんども蒸し返されているのに、笑うばかりであやまったりしない。いまだ昭和を引きずったまま、この21世紀を生きている。
そんな父だったが、初孫には気をつかう。
正直、タバコを吸うために換気扇の下に移動する父の姿なんて、想像したことすらなかった。
みんなが揃っている状態が大好きな初孫は、じいじがキッチンに移動するのを見れば、どうしたどうしたと迎えに行ってしまう。
なかなかタバコが吸えず、苦戦する父。
母は「禁煙したら、おじいちゃん?」と追い打ちをかける。ほかの兄弟たちも、母に同調して助けようとしない。
それでもタバコを諦めきれない父は、スキを狙って玄関から外に出た。
間もなく、じいじがいないと気づいた初孫が、大慌てで家中を探し回る。
「じいじー、じいじー」と呼ぶ孫の声にガマンができなかったんだと思う。
外に出てまでタバコを吸いに行ったはずの父は、1分もたたないうちに戻ってきて、みんなを笑わせた。
あの偏屈で頑固な父ですら、この子はかわいく思えるのかとビックリしたし、わが子をかわいいと思ってもらえてることが、照れ臭くもうれしかった。
※余談
部屋にもどってきたとき、父が「玄関まで来てくれるのはお前だけだよ……」とつぶやいたようだったけど、家族は誰も反応せず。いまも初孫だけがお迎えに行っている。
のばしのばしになっていたトイレトレーニングに取り組みはじめたのは、入園が決まってすぐのこと。
抗生剤の影響でおなかを壊してしまって、トイレトレーニングどころじゃなくなった。
旦那が出張で不在のなか、2人でトイレトレーニングをはじめた。
怖がっていたのは最初だけ。
一度成功すれば、そのあとは順調だった。
これなら入園に間に合う。
よかった、よかった……と胸をなでおろしたのも束の間。急におもらしがはじまった。
それなのになんで? なんで急にできなくなってしまったんだろう?
外での練習なんて、夢のまた夢。でも、それじゃ入園に間に合わない。
本当にどうしよう。
一人でもんもんと悩むこと数日。
おもらしに気づいて、「残念だったね」と言いながらパンツを脱がせていたとき。ソワソワした様子で「あたらしいパンツ? あたらしいパンツはく?」と聞いてきた。
その表情と、パンツを連呼している様子を見て。「もしや……」と思いながら、ありったけのパンツを持ってきて子供に見せると、すかさずその中から一枚を選び出した。
選び出したのは、おしりに大きく新幹線がプリントされているもの。
買ってきたパンツを見せたとき、真っ先に手に持った一枚だった。
新幹線パンツを履かせてみたら、それ以降、一切おもらしをしなかった。
どうやら、お気に入りのパンツが出てくるのを早めたくて、わざとおもらしをしていたらしい。
いつの間に、そんな知恵が回るようになっていたのかとあきれ。ここまで強い愛着が育っているという事実におどろいた。
愛着が生まれたということは、自力で選ぶ力がついたということだ。
選ぶ力がついたなら、この子にとって好きなものが、身の回りにもっと増えていくはずだ。
それってすごく幸せなことだな。たくさん幸せになって欲しいなと、そんな風に思った。
ひと月ほど出張に行っていたパパが、ついに帰ってくる日。
不在中「パパは?」と聞きまくっていた子供に、「パパは夜寝るくらいに帰ってくるよ」と伝えた。
大喜びする子供に満足し、かわいいなあと眺めていたけれど、すぐに後悔した。
ギリギリに伝えればよかったと思いながら、「まだよ」と言い続け。
日が暮れてからは「夜だよ! まっくらだよ!」と繰り返す子供に、「寝るにはまだ早いよ」と返し続け。
グッタリも通り越した10時過ぎに、やっとパパが帰ってきた。
「パパだー!」と叫んだ子供は、うれしそうに笑う旦那の腕に、いきおいよく飛び込んでいった。
照れくさくて、パパとなかなか目を合わせられない様子も。
抱っこから下ろされても、めげることなくバタバタ追尾していく姿も。
全部がかわいくて、思い出すだけで頬がゆるむ。
トイレトレーニングも上手くいって。長かったワンオペも終わって。ようやくひと息つけたので、長々と文章を書いている。
毎日があっという間で、かわいいこと、うれしいことをちゃんと残しておかないと、すぐ記憶の彼方にいってしまう。
もったいないから、できるかぎり残していけたらなと思っている。
※追伸
私が大学生活で学んだこと
人はひとりひとり違っていること
そしてひとりひとり正誤などないこと、ひとりひとり認められること
誰かに嫌なところがあったとしても、その人そのものを嫌いにならなくてもいいこと
本当に困った時に助けてくれる人が、思った以上にいないこと
しかし自分のことを分かってくれたり、認めてくれたり、あるいは叱ってくれたり、救ってくれたりする人が、たとえ瞬間的だとしても、確かに存在すること
丁寧な人間関係
世の中で「正しいとされること」が必ずしも正しい訳ではないこと
たくさんの夢と希望と野望を抱えて上京してきたあの春から、4年が経とうとしている。
いま、卒業を前にして、私はいくつの夢を捨て、希望を失い、野望を諦めただろう。
考えると虚しくなるくらいには、だ。
オシャレなレストランやカフェで働きたかったけど軒並み落ちて、ようやく受かったバイト先はブラックだと友人に教えられた。
思えば変な雰囲気が漂っていたけど、初めてのバイトで何も分からない私は普通に頑張った。
別のところで働いている友人の話を聞いて初めて、半畳ほどの狭いロッカーで立ったまま賄いを食べることが当たり前ではないと知ったし、「誠意」を示すために30分前に出勤したり閉店後3時間も残る必要なんてないことを学んだ。
3年目まで頑張って、辞めた。
旅先から思い切って「辞めます」と店長にメールをした後、連れていかれた深夜の喫茶店で、辞める理由を問い詰められて叱責されてる間、とにかく泣きながら黙って耐えた。
計画では片手間にやろうとしていたサークルにしっかりハマって、部長もやった。
いろんなことを後回しにして、蔑ろにした。
中学からの趣味を続けようと思っていたけど、サークルのほうが楽しくなって時間もお金も回らなくなったから、就活を理由にして辞めた。
本当は就活なんてまだまだ始めていなかったのに。
そんなサークルも同期と揉めて、辞めた。
4年になってからはそれこそ就活が始まったけど、一度ビックサイトに行って遠すぎるし交通費もバカにならないので合説に行くのは基本的に止めた。
志望している企業の説明会や講演にはそれなりに通って、だいたいどこの説明会でも同じ内容を繰り返してるんだってことを学んだ。
座席は先着順だったので、2時間前に行って一番前に座るぞと意気込んでいたけど、普通に遅刻した。
最前列ではなかったけれど、ずっと社長に向かって「採用してくれ」ビームを出した。
講演が終わった後、スカウトされてしまうのではないかと思ったけど、当たり前に私に目もくれず退室していった。
力みすぎて背中が痛かった。
社長がランニングで肌を焼いて採用されたと話していたので、それ以降もサークルに打ち込んで、思う存分肌を真っ黒にできた。
締め切り当日の夜9時、私はまだESを書き終わっていなくて、立川のバーミヤンで必死に空欄を埋めていた。
まさかのペンのインク切れ、かつ準備が悪いので予備のペンなど持っていなくて、慌ててバーミヤンを出てローソンでボールペンを調達した。
またバーミヤンに戻るのも面倒だったので、残りは郵便局で書こうと思ったのだが、立川郵便局がまさかの臨時休業。
本来なら宛名などを書くためのカウンターで立ったまま必死に手を動かしながら、隣の男の人が同じ企業へのESを書いているのをチラ見した。
もしあの時インクが切れていなかったら、0:00ギリギリまで立川のバーミヤンにいて郵便局が開いていないなんて気づかないで、間に合っていなかったと思うと、神さまはいるんだろうと思う。
びっくりするぐらい何も話せなかった。
神さまはいるけど、実力が足りなければどうしようもない。
今は、たくさん落としてきた単位を回収するべく、4年間で一番一生懸命、大学に通っている。
4年生は私だけ、という授業がたくさんある。
ちゃんと聞くと面白い授業がたくさんある。
レポートにテスト勉強と、やることもたくさんあるんだけど、ちょっと休憩したくて、初めてますだを書いている。
これまでの4年間を振り返っている。
気づけば何も残っていなくて、私の4年間は何だったんだと思うことがある。
Facebookでバイト先の後輩や社員から花を贈られて笑っている友人の写真を見るとき、Twitterでサークルの仲間たちと旅行先で笑っている友人の写真を見るとき、Instagramでオーストラリアにて念願のスカイダイビングをしたという友人の写真を見るとき、昨日の綺麗な夕陽の写真ぐらいしかアップするものがない私の日々は、何だったんだと思うことが。
すべてに意味がある、全部無駄ではなかった、ということにすることもできると思う。
そしてもちろん、すべてが無駄だった、ということにすることもできる。
本当は、意味があってもなくてもどっちでもいいし、無駄でも無駄じゃなくてもどっちでもいい。
ただ、私は4年間を過ごした。
最高の4年間でも、最悪の4年間でもどっちでもいい。
価値を決めることは楽しいかもしれないけど、というか、そうやって序列を決めることで安心できる人もいるかもしれないけど、そんなことをする必要は全然ない。
大事なことも、矮小なことも、駄目なことも、幸福なことも、楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、悔しかったことも、辛かったことも、全部、ごまかさずに、何かの価値の中にまとめてしまわずに、なるべくそのまま持っておきたい。
分かりづらいと思うけど、それが、私が大学生活で学んだことだと思うし、得たことだと思う。
学ばなくてもいいし、何も得なくてもいいけど、4年も過ごしといて何だったんだって思っちゃう自分を励ますために、強いて言うなら、そうです。