はてなキーワード: 両性具有とは
後半のトンデモ展開ばっかり頭に残っててあんま覚えてなかったけど
わりとダークなトーンで話が進んでいくのけっこうよかった
特に伽椰子サイドは完全に巻き込まれ型ホラーで、あ、なんかすごい呪怨っぽいと思いながら見れた
その分貞子サイドは出てくる人間全員クソバカって感じで、っぱホラー映画ってこうなんすよ!ってなった
後、今さら見てびっくりしたんだけど貞子って元々7日間の猶予があったのが
貞子vs伽椰子では3日間になってんだね
ちなみにまだ見てないけどサダコデラックスでは24時間になってるらしい
中盤でわけのわからん霊能力者のところに行く展開でズコーってなった人も多いと思うんだけど
「来る」なんかもそんな感じだし(柴田理恵のキャラよかったよね)
貞子vs伽椰子の監督の過去作でもある名作「カルト」なんかもそんな感じ
海外でも神父さんとか牧師さん呼ぶんだけどボコられて帰る展開はよくある
個人的には貞子はウイルスであるっていう本来の設定(見ることで感染し死に至る)は無視して
フィジカルモンスターとしてクソつよ設定にしたのは振り切ってていいと思った
伽椰子サイドの俊夫君もクソガキの頭引きちぎったりするフィジカルモンスター化してたの笑ったし
俊夫君なんか本来、父親に絞殺された怨念で地縛霊になっただけのガキンチョなのにね
最後のスローの使い方もマジでクソ笑ったし、めちゃくちゃいい映画だった
貞子って元々生まれつきの強力超能力者で両性具有で死んでから自分の怨念をウイルスに変異させるなろう女で
対して伽椰子って単に逆上した夫にぶっ殺されるだけのクソメンヘラストーカーなんだよね
「All Lives Matterはただの挑発!クソ差別主義者くらいしか使わない!」→「女の人権の前に男性やLGBTQ+の人権を尊重しろ!ツイフェミは害!」
「低収入男性への差別は許せない!」→「ネトウヨは貧乏!貧乏の不満を外国人にぶつけてる!」
「萌えキャラは性的ではない!巨乳女性を差別するな!」→「女Youtuberがサムネでエロ釣りをしている!エロで釣れると思っている男性差別だ!」
番外
「トランスジェンダーに対する差別は許さない!」→「DSDs?あぁ両性具有のことね?海外ではインターセックスって呼ぶんだよ!インターセックスの人権を尊重するフェミニズム原則に賛同!」
正直なところ自分は“どうでもいい”と思ってる。
『女だけど女が好きになりたいならどうぞお好きに。
男も女も好きなんだ。そりゃお得だね。
体と心の性別が違うんだ。好きなカッコしなよ。』
これじゃダメなの?
ハッキリ言って必要なのは『配慮』じゃなくて『干渉しないこと』なんじゃないかな。どうでもいいよ好きにすれば?ルールは守ってね。これで終わり。ぶっちゃけトランスセクシャルの人で、公衆が定める性区分に自己申告の性別で適用されようと思ってる人、バカにしか見えないよ。
いくら心が男でも女の体で立ち小便器は使いにくいし、心が女でも男の体でビデ使っても無意味なのと同じ。
心の性別とか誰も興味ないし、どう着飾ろうがどう喋ろうが性別は変わらないんだから黙って体の性別に従った区分を受け入れなよ。『心は大人なのに!』とか言ってる身長100センチに満たない子供が身長制限付きのジェットコースター乗ろうとしてダダこねてるようなモノだよ。利用者にも、その施設の運営者にも迷惑。ちょっと身勝手過ぎない?
トランスジェンダーだから苦しんでるんじゃなくて、叶わないワガママ言ってるから苦しいだけだよ。体が女なら女子に男子校の入学はあきらめて、体が男なら他の男たちに混じってスポーツやればいい。なんでこれが出来ないのかな。『体は男だけど心は女。せめて女子トイレに入ったり女風呂に入ったりして社会的には女性という承認を受けたい!』とか、そう思ってるならその時点で心身ともに女性ではないよ。女性に限らず、『こう振る舞うことで社会的にはその性別として認められたい!』なんてその性別の人は思わないもの。
どうでもええねん。心の性別とかどうでもええねん。変なもん持ち出すな。好きなカッコしろ。好きな性別の相手を愛せ。それを馬鹿にするやつは悪い。そいつは道徳的に間違ってる。さらし者にしたれ。でも通常でないことは心得ろ。
レズもゲイも異性を受け入れられんのならノーマルに拒絶されても凹むな。ヘテロのことノーマルって呼ぶなとかそういうのはいらんぞ。
そもそも人体は異性間の性交を前提に作られとるんや。異性愛者がノーマルなのは仕方ない。そこはわきまえろ。ケツは座薬以外のモノ入れる場所じゃない。当然や。
Qとかいう自分の性別を疑問視してるやつも好きにしろ。迷ったら股間見ろ。それが答えじゃ。
好きな色のランドセル背負えばいいし好きな服着たらいい。
ただ体の性別だけは絶対だからそこだけしっかり参照しろ。ガチ両性具有でバイの人はもうあれ。ボーナス。なんでも好きにしたらいい。そこはしゃあない。男子風呂入っても女子風呂入っても嬉しいならもう最強。こいつには誰も勝てない。ふたなりはマジで強い。メスショタと女装子と男の娘はただのホモ。以上をもって閉廷じゃ。
※追記
性自認なんて黙って自分の股間見て決めとけやって話なんだけどね
心の性別()と食い違うからなんやねん。心でちんこは生えてこねえんだよ
他の利用者が不安に思うから体が男なら黙って男風呂入っとけや。何考えとんねん。それさえ嫌なら公衆浴場使うなや。家に風呂ないなら引っ越してくれ
レズもゲイも普通に自然界にはいるよ。同性愛に向かう動物もいるよ。
そういう意味では生き物として絶対にあり得ないことではないよ。
でもそれは自然界のそいつらも異常ってだけだよ。事実として普通ではないじゃん。なんでそこで「我々は少数派なだけで普通だ!」って意地張るの?
個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛な愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞が聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。
ちなみに主人公の独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭な感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまうものです」。……バレましたか。
自分が日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫の小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。
この作品は、太陽の表面に異星からの物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的に自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。
ちなみに日本のSF作家をより広く読むようになったのは大森望と日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝。
三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公。結婚の約束をした女性からは婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い。
ところでトルコという国は、女性がスカーフを被るかどうかだけで政治的な立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。
映画オタクのゲイと政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話劇であると同時に、ゲイがお気に入りの映画を語るときの調子は推しについて語る幸せなオタクそのものである。安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。
大学時代、年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタのメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。
彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガンの絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代の小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。
就職のために架空の宗教団体によるテロをでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間とクレーマーとおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康の作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチも基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチのギャグが結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。
ムーミンシリーズ以外のヤンソンの文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。
児童文学や短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的な人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。
全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニール・ヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有の僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。
嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽな存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生の航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。
これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位も財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこらの悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。
猥褻だということで昭和時代に裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。
性表現は露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかなヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。
最強のファーストコンタクトもののひとつで、ネタバレするとオチは「意識やクオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論。人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。
基本的な構造は「宇宙のランデブー」の変奏で、未知のエイリアンの遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患を一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群や半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学の知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配。
それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿の遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼やゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?
以上。
みんなくたばってほしい
もちろん、女児アニメ、というか、ロリキャラに乳を盛るヤツもくたばってくれ
書き手・読み手の性欲を満たすためだけに、そのキャラらしさを、理由もなく捻じ曲げて貶めるのをやめろ
どうしてもやりたいなら、ちゃんと作中で理由を明示しろ、雑でも良いから。
謎の薬で身体が幼くなった、とか。〇年後主婦になった時の話、とか。
実は両性具有だったのをずっと隠して生活してた、というIFモノです、とか。なんだっていい。無理があってもいい。
できれば、その設定を生かしたストーリーがあると尚良い。そういうのは自分も読みたいし好きだ。