はてなキーワード: ラーメン屋とは
今回はコミックウォーカー
寿司も食物マウティング(食べ物に関する経験や知識などで優位性を築こうとすること)ではよく挙がる奴よね。
寿司をどういう順番で、どういった配分で食べるかってのは悩む人は多そうだ。
回転寿司とかの大衆食堂でマナーですらないことを、他人にどう評価されるかという点で気にしすぎても仕方がないとは思うけれども。
肝心の主人公はというと寿司以外を食べていて、しかもラーメン食べたときの評価が「これよりまずいラーメン屋ある」って、とんでもねえ褒め方だ。
つまり「ラーメンをメインでやっている店と肩を並べられるポテンシャルがある」っていうことが言いたいんだろうけれども、もっとマシな褒め方あるだろうと苦笑した。
寿司食べないのは、実はワサビ苦手なので寿司苦手だったということなんだが、サビ抜きとかもありそうなもんだけどなあ。
まあ、それはそれとして、そんな寿司苦手な人でも食べられるものがたくさんあったり、子供が喜ぶようにデザートがあったり、現代の回転寿司店のフットワークの軽さは大衆食的として悪くないことだと思う。
やらなければいけないことを、やらないまま終えることは、それはそれで難しいってことが分かるエピソードだったね。
もちろん、やらないまま終えることで相応のリスクがあったりするからなんだけれども。
要はやり遂げられるかどうかではなく、どのタイミングでやるかってことで資質が問われるわけだ。
今回、独特のセリフ回しもキレている印象だったね。
街がある
道がある
ふと見ると道に座りだす者がいる
通行の邪魔になったりしている
歩く人々、その中には様々な年齢、性別、容姿、職業、服装、体臭
座っていた人は立ち上がってビラを配っていた
ラーメン屋がある
うるさい
足取りの軽い女のヒールは美しい。
その後ろにはトロトロ歩いているお婆さんがいる
遅い
さらに遅いのが来た
腹が減る
だが、見た目は良い女である
そこに脂成分多めの親父が横を通過する
美女を撮ろうとしたのに、脂親父が前を通るし暗がりでシャッターを切ったのでブレた
親父がブレた!美女は写ってない!!
おっ親父が焼き鳥屋に!!
脂は伊達ではないことを知る
夜10:30
子供が一人で歩いている
塾だろうか
先程のような人々が全員、足早に歩いている
早く帰りたいのだろう
駅員は外人と揉めている
呑みに行った
そこに異国の女性がいた
何か違う魅力にため息が出た
だが香りは覚えている
酔った足取りで撮ってみた
碌でもない
梯子
彼は憤っていた
インテリジェンスについて学んだ
冷静で熱い奴は嫌いではない
梯子から放水
ストッキングを久々に見つめる
網目が大きいやつだ
引っ張ってみた
素晴らしかった
始発で帰る
商店街にはひと気がない
そこを歩いている毛皮の人間がいる
ビール片手に
彼女はビラを配っていた。
私 「だから、ラーメン屋さんの店主が持ってたお椀が番組始まって以来の国宝級やったんやって!」
夫 「は?ラーメン屋関係ないじゃん?ラーメン屋はどうでもいいでしょ?」
私 「え?芦屋お金持ちのお蔵とかじゃなくてラーメン屋さんから出てきたんがドラマチックやん?」
夫 「人の話してないで、自分の話したら?この頃、他人の話ばっかりしてるよ?」
私が今日行ったスーパーの話をしたって、ファッションの話をしたってそっちの方が聞きたくないでしょ?
もやっとしたまま「ドラマみてこよ」と『逃げ恥』を見るため寝室へ移動した。
そのまま夫はソファで眠り、寝室へはこなかった。
引きずりたくないので、朝、夫が寝ているソファに座って夫の手を私の膝に乗せながら
「おはよ。『昨日、絡んでごめんね』って謝ったら許してあげる」と言ってみた。
夫 「絡んでないよ。酔ってないし、何言ったかも覚えてるし」
私 「そう。関西人やったら『俺はラーメン屋じゃなくてママの話を聞きたいな〜』って可愛く言うんやで」
と言っておいた。
夫は調子を合わせて「俺はラーメン屋じゃなくてママの話を聞きたいな〜」とリピートしていた。
だけど。
まだ、もやっとしている…。
夫からしたら、語るべき自分もない下らない女にみえているんだろう。
今日は晴れている。
さて、洗濯物干そう。
残念、男です。
いわゆるボーイさんです。
忘年会シーズンということで、二次会三次会などで初めて行くキャバクラ系のお店でのお得なマナー?について少し書きます。
初めて入ったラーメン屋で店員に向かって「この店美味いの?」とは言いませんよね?
そんな感じです。
トラブルになったら困るので、本当に可愛い子をつける場合もありますが、それは本当にもめたら困る相手の時だけです。
店は女の子に辞められたら困るので、女の子に嫌な思いをさせない為に必死なわけで、大事な新人ちゃんや、売上をつくるナンバークラスの女の子はボーイさんがこの客痛いなと思ったら絶対につきません。ボーイさんが客みて女の子をつけてる訳ですから、ボーイへの印象で女の子を選ばれている訳です。
じゃあペコペコして良い客のふりしとけってーの?
てか何が良い客?どーしたら良い子つくの?
ですよね。
店からしたら、売上落とすのが良い客です。指名延長するのが良い客です。
つまり「延長しそうな言動」を伝えれば、あなたは良い客として見られるのです!
答えは簡単。
同じく入り口や受付にて。
「延長はどうなってるの?」
と聞くこと。
それ相応の子がつくのです。
仕事できる子が。
「何か延長するっぽいから頑張ってみてよ!」
すると濃厚サービスが始まる訳です。
延長どうなってるの?というのは不思議な言い回しで「延長はいくら?」とは言ってはいけません。ケチなワンセットかな?金ないのかな?と疑われる。
尚これらは店内、店員にのみ通用することで、路上のキャッチと話しても何の意味もないので、路上のキャッチに捕まったら、スルーするか素直にボッタクられて下さい。
それでは良い二次会を。
にんにくひとかけみじん切り、豚挽き肉200gを炒めて、色が変わったら豆板醤大さじ1、甜麺醤小さじ2、砂糖小さじ1を加えて混ざったら火を止めて、花椒適宜、刻み青ネギ5本分くらい入れて余熱で火を通します。
青菜は青梗菜が定番ですがうちではほうれん草が好き。載せたい分だけ茹でます。
2.タレを作ります。
麺茹でるお湯を沸かし始めます。
大量の胡麻をすります。四掴みくらいは少なくとも。多いほど美味しいと思う。落花生足してもいいよ。よくすれたらすり鉢に練りごま大さじ2、辣油大さじ1.5、ごま油大さじ1.5、醤油大さじ4、砂糖小さじ2、中華だしの素をスープ2杯作れる分を投入して混ぜます。泡立て器とかでやると良い。
沸かしておいたお湯に麺二玉を放り込みます。
別の鍋に豆乳320cc水320ccを入れてぐつぐつさせないように気をつけて、煮えてきたらタレを入れて混ぜます。たぶん煮立てちゃうと小さい豆腐ができてざらついちゃうと思う。
4.麺が茹で上がったら2つの丼に麺とスープをよそって肉味噌と青菜をトッピングして完成です。彼女と二人で食べて下さい。
豆乳入れたらこっくり感出て美味しかったです、という報告でした。千葉にボウボウラーメンってラーメン屋さんがあるんですけどそこの赤いの好きだったらおすすめなレシピです。
自作すると際限なく胡麻や落花生でコクを出せるのが利点。どうしても売りもんで値段をある程度まで抑えないとってなると胡麻をおごれないのはしょうがないですからね。
あとこれよくある辣油の小瓶だと半分使うから買い物の際には気を付けてね、辣油あるある大丈夫と油断してると足りなくてぴりっとしない仕上がりになったりする。
麺をすする音が、西洋の文化では受け入れられない。これからの国際化には・・・
洋の東西、文化や価値観が違うのは当たり前で、他国のマナーが国際標準と思い込むのが如何に愚かな事か理解していない。
しかし他方、麺をすする時に音を出すのが、逆にマナーだとか言う誤解が広まっているのも、自国の文化に対する理解が少なすぎると思う。
日本でも、食事中に音を出すのは、相応に無作法である。当たり前である。
しかし食事中ぐらい気楽にと言う考えがある。これは仏教の修業に由来する。僧が音を立てずに修行するものがあり、会話も含め一切無音で生活する。その際、唯一許されるのが、食事の音である。
苦しい修行の最中の、唯一の楽しみぐらい気楽にっというものだ。
そして、もう一つが、そばなどの麺類が、江戸の大衆文化であるという事だ。
上品でない町衆の、文化なのである。品とか礼とか、作法などと言うのにこだわるのが、無粋なのである。
粋とかのカッコよさは、礼法、作法、フォーマルから、外したところにある。
麺をすする時に音を出すのはマナーではなく、粋である。その辺りの勘違いを正すべきである。
アメ公もハンバーガーを外で食べるのが、マナーだとは言わないはずだ。あれは粋と許容されているだけなのだ。
だから外国人はラーメン屋で、すする音が不快などと言う、無粋なことは控えるべきだし。
日本人も、麺をすする時にこれ見よがしに音を立てるのも、見っともない。
それは粋ではなく野暮である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161121-00010004-abemav-soci
麺をすする音が、西洋の文化では受け入れられない。これからの国際化には・・・
洋の東西、文化や価値観が違うのは当たり前で、他国のマナーが国際標準と思い込むのが如何に愚かな事か理解していない。
しかし他方、麺をすする時に音を出すのが、逆にマナーだとか言う誤解が広まっているのも、自国の文化に対する理解が少なすぎると思う。
日本でも、食事中に音を出すのは、相応に無作法である。当たり前である。
しかし食事中ぐらい気楽にと言う考えがある。これは仏教の修業に由来する。僧が音を立てずに修行するものがあり、会話も含め一切無音で生活する。その際、唯一許されるのが、食事の音である。
苦しい修行の最中の、唯一の楽しみぐらい気楽にっというものだ。
そして、もう一つが、そばなどの麺類が、江戸の大衆文化であるという事だ。
上品でない町衆の、文化なのである。品とか礼とか、作法などと言うのにこだわるのが、無粋なのである。
粋とかのカッコよさは、礼法、作法、フォーマルから、外したところにある。
麺をすする時に音を出すのはマナーではなく、粋である。その辺りの勘違いを正すべきである。
アメ公もハンバーガーを外で食べるのが、マナーだとは言わないはずだ。あれは粋と許容されているだけなのだ。
だから外国人はラーメン屋で、すする音が不快などと言う、無粋なことは控えるべきだし。
日本人も、麺をすする時にこれ見よがしに音を立てるのも、見っともない。
それは粋ではなく野暮である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161121-00010004-abemav-soci
http://toyokeizai.net/articles/-/144847
大戸屋がやよい軒に勝てないらしい。この記事みる限り原価率が高かったり、店でちゃんと調理してたりと消費者的にはどう考えても大戸屋の圧勝なんだけどな。
おれも大戸屋がかなり好きでたまに行くんだけど、どこの大戸屋もだいたいが混んでるという印象がある。昼間だったら並ぶくらい。
どのメニューも手作りぽくておいしいし、六本木店に入ったときはオリジナルの魚メニューなんてのがあったりして驚いた。たくさん食べられない年寄りにもやさしい感じ。
年寄りといえば、うちのもう80にもなろうかという両親が大戸屋について涙ながらに語った話があった。
某モールに入っていた大戸屋に昼間にふたりで行ったらしいんだけど、やっぱり何人か並んでいて。
やっと自分たちの番がきたと思ったら、店員に名前を呼び上げられて後ろに並んでいた人たちが入店していった。名前を書いて待つタイプの店舗だということに気付かなかったんだな。
そこで店員に抗議をしたけど受け入れられなくて、一緒に並んでいたまわりの人たちも誰も助けてくれなくて、結局つよく云えなかったふたりは諦めてすごすごと帰っていった。楽しみにしてたのに。
その話を聞いておれは、マニュアル店員もひどいし、一緒に並んでたひとらもひどいなって思った。世知辛いなと。
もしこの話を大戸屋の本部に云ったらお詫びにクーポン券でもくれるんじゃねえかなって云ったら(おれは大戸屋のことは好きだからそれくらいの良心はあるだろうと)、親はもういいよ大戸屋は二度と行かないからと云ったさ。
残念な話だ。
この件の直後におれは、某錦糸町の駅ビルにある有名ラーメン屋でまったく同じことを経験した。
そのときはおれの前に並んでいた男性が被害者だった。食券を買ってから待機列に並ぶっていうルールを知らなくて、店員に食券を買ってから並べって云われてぷんぷん憤慨して帰っていった。そうは云われなかったけど食券買ってまた一番うしろから並び直さなきゃならないって思ったんだね。律儀な人だ。おれは食券買ってから同じ位置に戻っていいのにと思ったけど、そのままスタスタ行っちゃってそれを云うタイミングを逃してしまった。すごくモヤモヤした。あの人は一日気分悪かったろうな。
ここ食券買ってから並べって云われても食券機が店のなかにあるし、めちゃくちゃわかりにくいんだよ。店ルール押し付けんなっていう。青葉さんよぅ。
うるさい客をモンスターだなんて揶揄することがあるけど、こういう律儀でまじめな客ほど損をするというこの現実。
アルバイト店員というのは云われたことしかやらないロボットだし、給金並の労働をしている彼らを咎めたくもないのだけど、そうだからこそ店側にはあと一歩客のことを考えたマニュアルをつくってほしいのよ。臨機応変に対応できないんだからマニュアル化しないと。とくに「並ぶ店」。こういう飲食店で待機列をさばくときのマニュアルってどうなってんだろうか。
大戸屋はそこらのファストフードやファミレスみたいな店とは(もちろんやよい軒とも)ちょっと違うっていうのは勘違いなのかな。
離れて暮らす両親の話。
親父が癌だ。今は食道癌。
最初の癌は15年前。白血病。抗がん剤→骨髄移植で一応元気になった。
次は皮膚癌。発症は顔のほっぺた。小さかったのと初期に見つかったので薄皮一枚削った。
次は今も闘病中だが食道癌。見つかった時はステージ3。皮膚がんはたまたま見つけやすいとこだったから医者が気づいたわけだが、白血病で毎月検査しているからかあんまり他の癌に注意してなかった模様。まぁアホな親で困る。一度治療を終えたが、再発が見つかった。また抗がん剤が待っている。
食道癌は喉に出来たこともあり、切ろうと思っても声帯ごととる大手術になる。最初の白血病の時にだいぶ体力を失っていたこともあり、手術に耐えれる体力が無いと医者に判断され、抗癌剤と放射線治療のみ。
抗癌剤治療の副作用は凄まじい。巷では副作用が少ない抗癌剤がとか、科学の進化がとか色々言っているけど、親父は白血病の頃から数えて10回以上抗癌剤治療を行っているわけで、傍からみててもう限界に近い。一回一回痩せていくその姿はとても痛々しい。元々痩せ型〜普通くらいの体型のくせに、体重は15kg前後落ちた。髪の毛が再生するのは最初のうちだけで、骨髄移植後はなかなか生え揃ってくれず、陰毛みたいな白髪がうっすら生えてくるだけだ。カツラをつけるって言っても、留める毛すら揃わない。大手保険会社の部長を勤めたイケメンの姿はもうない。
抗がん剤治療を乗り越えるには、それなりに体力が必要。手術する体力が無いと言われた親父は、本当なら10日で退院できる抗がん剤治療でも1ヶ月半くらい軽く入院してる。色んな病気を併発するからだ。白血病の時は肝臓にウイルスがどうとかで1年以上入院した。前回の食道癌の時は肺炎になり、元々肺気腫気味だったけど悪化した。おかげで現在は5分も歩けないし力仕事なんてできない。
また、これだけ抗がん剤うてば、口の中も荒れ放題になる。もともと虫歯一つない歯だったのに、今では奥歯はほとんどない。入れ歯は抗がん剤後には合わなくなり、調整してもまた治療したら微妙に合わなくなり。次の抗がん剤を間近に控えて、現在は痛くて使わなくなってる。
味覚も狂う。最初の抗がん剤治療後(骨髄移植前)は、何を食べてもまずく感じるなか、唯一ラーメンだけが美味しかったらしく、街中のラーメン屋を片っ端から食べ尽くしたらしい。骨髄移植後は割と味覚も戻り、美味しいものを美味しく感じれる生活を送っていたが、食道癌になってからは何を食べても美味しく感じないらしい。喉に引っかかるから飲み込むのも辛いとかなんとか。
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おかんは熱心な宗教家でもあり、エセ科学とか大好きだ。もともとそんな人なわけだが、抗がん剤治療で日々弱っていく親父を見るとなんとかしたいという一心から、様々なエセ科学を調べる。俺自身、身近な友人を抗がん剤の治療関連死(まだ元気だったけど治療開始後一週間で亡くなった)とかあったので、抗がん剤を心から信じているわけじゃないし、おかんの気持ちはよく分かる。
んで、最近は食事療法的なよくわからんやつにご執心だ。体にいい食べ物、悪い食べ物に分類してあれはダメだ、これはダメだっていうやつ。これは良さそうに見えて本当は良くないとか色々ある。興味本位で色々聞いてみたら、おかんに入れ知恵している先生的な人曰く、坊さんの精進料理的なものしか本当に体にいい食べ物はないらしい。肉もダメ、野菜も大半ダメ、魚もほとんどダメ。なんだそれ。
とはいっても夫婦で食べる料理はそんなに極端に変わっていない。あからさまに体に悪そうな食べ物(ファストフード的なやつとかポテチとかそういう系)は元々食べないし、別に我が家の食卓でそんなに大幅な変化はない模様。二人とも元々同郷の農家だし、昔ながらの食い物ばかりな感じ。
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生きることはとどのつまり食べること。病人だって美味いと思えるものをしこたま食べれば体力も少しは戻ってくるだろうさ。少なくとも運動もできない体になった以上、食う以上に大切なことは思い浮かばない。
おかんにはそのことを話した。抗がん剤治療を信じない、食事療法で内側から治すという考え方は大事だと思うけど、病気を倒す体力や元気を身につけるには、体に良い悪い食事よりも親父が食べる事に喜びを感じる方が遥かに大事って。俺はさすがスピリチュアルなおかんに育てられただけあって、スピリチュアルに伝える技術はいくらでもある。割と簡単に納得してくれた。ちょろい。
問題は本人。つまり親父だ。何食べても美味しいとは思ってくれない。そもそも奥歯がなくても食べやすくて美味しいものなんて俺にはなかなか思い浮かばない。刺し身と鍋は比較的いけるっぽいけどあまり楽しんでくれない。クソ。
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最近一つわかったことがある。
親父はおかんと二人の時より、俺がいた時の方が美味しいと感じるらしく、俺の嫁がいる時の方がもっと美味しく感じる模様。同様に姉家族が孫を連れて帰って一緒に食べる時などとても美味しい模様。
前回俺が嫁と一緒に帰った時に4人で外食したわけだが、その時に食べた鍋焼きうどんがとても美味しく気に入ったらしい。で、後日一人で食べに行ったみたいなんだけど、全然美味くなかったとかなんとか。
姉には子どもがいるが、俺にはまだいない。俺がガキつれて帰った方がご飯は美味しく感じるのだろうか。たぶんそうなんだろうな。
確かに孫と囲む食卓だったら、何食っても美味いだろうな。
贅沢な親父め。クソ。
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あれだけ弱っていて、かつ自分の死期が比較的近いと考えている人間が、あと何回抗がん剤治療を乗り越えられるのか、あと何年生きられるのか。
出来るだけ美味しいご飯を食べさせてやりたいなと思うところです。