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はてなキーワード: ソプラノとは

2020-12-29

anond:20201228221806

音波でコップを割ろうとした10年間も。

よくソプラノ歌手がやるアレだ。

口を程よくすぼめて音が狭い範囲に飛ぶようにしてホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって叫ぶの。

コップは微動だにしない。

2020-04-23

合唱をやめた理由

前置き

ふと、社会人デビューする前にこれを吐露しておくと肩の荷が下りる気がしたので下ろしておくことにしました。推敲は一切しないので悪しからず。

本題

自分小学校の時、音楽の授業での合唱に何故か強いモチベーションを持っていた。確かあの時はパヴァロッティ演奏ビデオを見たり、ソプラノ歌手のものを見たりしたか記憶してる。それでもって家に帰るや否やソプラノ歌手の声真似をしようとしていた。声が変わるとそれは厳しくなって少し苦悩はしたが、声は大きかったことと中学に混声の合唱部があったこともあって真っ先に合唱部を選択した。

中学で3年テノール(バリトン寄り)を歌い続けたのは自分にとって一番長合唱経験になっている。

高校に入るとき自分は先行き不安定な歌で身を立てる訳にはいかないだろうから、と合唱から距離を置いて勉強に勤しもうとした。が、これにいくつかの失敗を伴った。

合唱から距離を置いた結果中学合唱時代の同期達と疎遠になった自分は荒れた自称進学校で格好のストレスのはけ口だったようだ。合唱に勤しみすぎたのか、自分には頼れる人間合唱部の同期の他にあまり多くはいなかった。それどころか一部の同期には大分冷たい目を向けられていたように今は思う。ただその一方人数合わせに先輩に呼ばれて一度だけステージに立ったこともあった。

高校を出る頃から今まで、自分合唱から距離を置くべきだったかどうかについては結論が出ないままでいる。そしてこれからも出ないと思う(こういうことを吐露たかった。)

2年を経て上京して、大学に入った際、大学グリークラブ一曲入学式で歌っていた。ゆるそうな雰囲気を感じてここならやっていけるかと思ったが、ここで思いのほか高い壁に当たった。ミサの聖句の一つ一つが余りにも自分にとって重い物になっていた。かつて中学の頃は文章意味を追いかけて、恐らくは絵本程度の世界を思い浮かべることが限界だった。大学に入って、あまりにもミサの聖句は苦しいものだった。半年持たなかった。

それから翌年、中学の同期と後輩に呼び出されて歌った。これは昔ともに歌った人間も居て勝手も分かりよかったのだが、やはりミサの聖句は重かった。しかミサが一番ウケがよかったのも事実だった。結局、1年半ほどたったところで仲たがいしてしまい、それっきり今に至る。

ミサ

結局自分にとってミサは何だったんだろうか。家は浄土真宗本願寺派日蓮宗の両親の下に生まれ、それなりに二人とも経を唱える程度のことはし、自分もさせられた。そんな家で育った自分にとって、若いころはミサはもう一つ、どこか別のところで誰かが信じている神の姿を描こうとするものだったように思える。つまり、そこに神は、自分の中では居たように思う。

しかし、恐らくは不登校と化して自傷まがいなこともやっていた(出席日数もギリギリだった)高校時代辺りが節目だったかもしれない。

大学時代に歌うミサ自分にとって余りにどう歌えばいいかからない、そんな曲だった。旋律を美しく仕上げることは、特に死ぬほど練習した中学時代の勘が多少なり働いてくれる。でもそれだけだった。曲が自分たちを支えている。しかし支えられる自分が何も描くことが出来ないような空虚感があった。神はもう居なかったように思える。

それなりに人を信頼して生きていた中学時代、人を信頼しなくなった高校大学時代ではあまりにもミサに対してモチベーションが違った。

追記

1日経って、やはりある程度肩の荷が下りているのを感じているところです。

思いのほか拙文を人が見ていたので幾分かの追記をしておこうと思います

想像にお任せします(汗)

グリークラブ=聖歌隊なんだから今思えばバカをしたなと思っています

ではないんですがかなり出身校に偏りがあり、出身中学から90人程度、ほかの中学10~30人程度の塊で進学して来ている人が殆どで、既にその中でコミュニティ存在しているというのが実情でした。後東〇予備校に9割の生徒が通っていて、金銭事情でそういった所に所属しなかったのも大きいかもしれません。

今の自分思想無神論に寄っていて、神を熱心に信仰している他人不思議に思えてしまうのです。

それに、ミサはKyrieなどがそうですが、「私はあなた(神)を讃えます」みたいな内容、つまり信仰告白歌詞に含む曲が多い以上それを非キリスト教徒が歌うことに疑問符を隠せないでいます

  • 自分の興味関心が次第に浮かび上がり来る人生と感じた。歌や信仰について現在どういう距離に置いているのか解らないけど、人生の中で少しずつでもそれらに対し思考したり思考する様な材料のある環境にあってほしい。

言われてみると、合唱と神というスコープを通して興味関心が少しずつハッキリとしてきた人生かもしれません。少なくとも信仰無神論寄りになって、クラシック合唱からは足が遠のいているのが実情ですが、時には歌を歌う人、神を信じる人の気持ちを感じる機会を得られればと思います

ミサの項は特にデスノートですね

1年くらいたって見返したら椅子から転げ落ちているか

2020-02-08

音楽性の違い理由PTAを退会する親が続出している

音楽家の親が「音楽性が違うのでPTA活動はできない退会したい」といいだしたのにつられて、

「私も音楽性が違うのでPTAに入れません」と、

どこからどう見ても普通会社務めでミュージシャンでもなさそうな親が、

PTA入会拒否言い訳として音楽を利用することが流行しているらしい。

酷いのになると

ベルマークで購入するソプラノリコーダーバンド方向性と大きく異るので、ベルマーク収集活動に参加することはできない。」と言う親もいるのだとか。

何とかならんか

2019-09-21

anond:20190921150835

人間だとソプラノ歌手悲鳴しかきこえんような音質で普通に歌詞つけて歌ってる人外がいる事実のものがたのしいじゃん

音域解釈というもの人間生物限界にしばられていたことにきづかされるよ

2019-06-26

完全に女声の男にあった

20代後半くらいの若ハゲだったのに声は完全に女

デカイと野太い声になるが、その人は身長150くらいでかなり華奢だった

男でかなりソプラノボイスなのに声帯まで華奢だから女声になっちゃったんだろうな

2019-04-24

[]カナラ

木嶋佳苗死刑囚の持つモテテクを学ぶために裁判傍聴をするなど追っかけをしている女性のこと。


ググった程度ではネタ元は出てこないが

神林広恵, 高橋ユキ 編著「木嶋佳苗劇場 : 完全保存版!"練炭毒婦"のSEX法廷大全」 2012年6月宝島社

第3章 なぜカナエに魅せられたのか?(座談会 追っかけ!カナエギャル大集合 木嶋佳苗のここが凄い!-「カナエは中毒性のある女なんです」

あたりにソースがあるのだろうか?

ここらあたりにも似たような記述

母性愛をください」“木嶋ガールズ”に続き、男子大学生にも木嶋佳苗ファンサークルが……|日刊サイゾー

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.cyzo.com/2012/04/post_10465.html

2012.04.17 07:00  女性セブン 木嶋佳苗支持の声に「病的なナルシシズム崇拝は怖い」と作家

https://www.news-postseven.com/archives/20120417_101970.html

2012.04.15 07:00  女性セブン 木嶋佳苗 鈴が鳴るようなソプラノ声に記者から「声かわいい

https://www.news-postseven.com/archives/20120415_101928.html

2012年女性セブン色々攻めてるな。

2012.03.26 16:02  女性セブン ブスと呼ばれるのは平気な木嶋佳苗 ただし田舎者扱いは嫌い

「カナラー」は見つけられなかったが「木嶋佳苗ギャル」、「カナエギャル」という単語2012年ごろ使われている。女性セブンポストセブンが広めたように見える。「カナエギャル」にという用語週刊文春が広めたものかもしれない。女性セブンは「木嶋ガールズ」。カナラーと呼ばれたかは分からないがその手の人たちはいたらしい。

2018-07-10

anond:20180710010344

アルト歌ってる奴って地声低くていかにも陰キャって感じだよな

ソプラノはそれだけで音楽が成立しうるけど、アルトが歌っても「なにそれ?」「なんの曲?」「抑揚がないねw」と言われること必至

anond:20180710012756

適当なことを言うな

合唱ヒエラルキーは間違いなくソプラノアルト

イオナするのは自由だが存在価値を認めさせようとするんじゃない

お前が言っているのは強者弱者いるからこそ強者でいることができる、というのをオブラートに包んだだけだ

anond:20180710010344

学生時代社会人になってから合唱やっててずっとアルトパートやってました

もちろんやらされてたわけではなく自分場合は自ら手を挙げてだけど

ソプラノとはまた違った魅力があるんだけどなかなか分かってもらえないのは少し寂しいですね…

anond:20180710010344

音楽人生の縮図、な人は世の中の一握りだ気にすることはない

そんなことより増田アルトパートを軽視してる感があるけど、アルトはいいぞ、なぜならその歌を知ろうとしたからこそ聴こえる旋律を自ら歌えるから

多分ソプラノ主旋律の歌を想像しているのかなと思いながら語るけど

主旋律はなんとなく聴く立場でも知ることはできる、でも実は副旋律に支えられているか楽譜以上に輝いていられるのだ、そのことにちゃんと気付けるのは副旋律を聴けるまたは歌えるものだけなんだ

すなわちアルトパート練習するだけでその歌をもっと素敵に聴けるようになるお得なパートなんだ

熱く語ってうざくなってしまったけど最後にこれだけは主張したい、合唱合奏ピアノ含め全てのパートが主役だから自分の音も周りの音もちゃんと聴いて存分に楽しもう

中学合唱アルトパートにされた女子

アルトパートのような人生幸せと思わなくてはいけないのか

ソプラノパートになりたいと願ってはいけないのだろうか

2018-06-12

今通った親子3人

さな子供を抱っこしながら家族で父母が子供をあやすために歌っているというのは見慣れたシーンだけど、父のテノールと母のソプラノ子供をあやすために使う素人レベルじゃなかった

主旋律旦那さん、副旋律を奥さんが歌うアンパンマンマーチは俺の知ってるアンパンマンマーチよりもずっと荘厳だった

音楽家庭ってあんな感じなのか

2018-05-27

探してる古いCM

時期は20年くらい前

ズームイン朝の合間で流れてた気がする

野原に立っている子供歌声流れる

歌詞は覚えてる限りでは

ポーケテブーリネージョ

ポーケテブーリセップンライ

イッサーネームイッサーネーム

ラーギュンラータヘーブンライ

この後綺麗なソプラノが入ってから

赤ちゃんの笑う声が一度だけ聞こえる

製薬会社かと思って色々探してはみたが

見つける事ができなかった

懐かCMに詳しい増田たすけて!

2017-07-26

ブランクリニックの「業界最安値に挑戦!」がすごい。

ブランクリニック 業界最安値に挑戦! 気になるその脱毛料金は?

銀座名古屋しかないみたいだけど、ブランクリニックの全身脱毛が安すぎてやばい・・・

大体美容クリニックで全身脱毛をしようと思ったら40~50万は覚悟しないといけないけど、ブランクリニックはVIO+顔付きで15万以下・・・。ただし、「エコプラン」というプランの料金で規定数に達したらこプランは終了するらしい。

昔は男性脱毛もやっていたみたいだけど、今は受付をしていないそう。女性専用美容クリニックになっていくみたい。

ブランクリニックで使われている脱毛機は「メディオスターNext Pro」、「ソプラノアイスプラチナム」という最新マシン

従来のものより圧倒的に痛くないらしい。

痛みが怖いという人にもオススメのクリニック。

銀座名古屋しかなくても、4~5回で完了するみたいだから旅行感覚で通ってもいいかも。

2017-04-03

かわいい声の女の子うらやましい

声が低くて女性アーティストの歌が歌えない‥男性ロックとか歌いやすいしテンション上がるけどかわいい歌も歌えるようになりたい‥

高音だそうとすると合唱ソプラノっぽくなる‥そうじゃないんだ‥もっとAKB 的なこえが

2016-07-21

vip領域(聖少女領域:アリプロ)

未だ謂わなひで好色めゐた其の云葉

期待なんて鉛のやうに重ひ

魅了して母よりも大きゐ其の胸で

曝す覺悟が有るのならば

億万の液のベッドに

埋れ見る夢よりも

馨しく私は生きてゐるおw

如何すれば醜ひスレ

蔓延った此之世界

開かずに羽ばたゐて逝けるのか

一人スレの中

うpし続けても

糞スレと貶されて

絆されるの

まだ堕ちなゐでもう>>1000逝ったらネ申スレ

ネ申樣と何処までも馴れ合ひ

死んでも良ひ此の尊ひネ申の胸の中

埋れる事が出来るのならば

彼氏ガヰルカモカナン

氣ニシテル譯ヂャナヰ

割れたwの文字

綴られたレス産業

滅び逝く子供達の學力

明日も目覺める度に

壱百億の種を蒔く

眠らなゐ魂のヲナニ猿

喰ひ込むパンテヰ 一滴の液

何視てもカルピスに思へや爲なゐ

まだ行かないで月光結界

ブチ撒けて母に見つかる僕

カルピスと悟られなゐやうに誤魔化して

此れは如何見ても精子なのでせうか

ソット濡レテ來ルノ 涙ノ液ナノ 其レト

もう謂はなひで卑猥めゐた其の云葉

うぇwwwうぇwwwwwなんて槍のやうに痛ひ

囁ゐて母より優しひソプラノ

どんな覺悟も出來るならば

さぁ謠ってよ其の震へる唇で

醉ひ癡れて私の( ゚∀゚)o彡゜おつぱゐで

煽つて良ゐ此の尊ひ示申存在

射拔く勇氣が有るのならば

貴方掴マヘタラ決シテ

逃ガサナヰヤウニシテ

うぇwwwうぇwww

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4252479

2016-04-15

えみつんが出ているとされるAVをみた。

他のところでは書けないのでここで。

えみつんが出ているとされるAVをみた。

といっても全部ではなく、インタビュー部分だけ。

最初、このネタが出た時「デマだ」と思った。

えみつん高校生の時から音楽活動をしていて、その後に音大に進み、声楽科で優秀な成績(公式サイトによると主席)で卒業した、若いからプロ志向の高い歌手だ。

そのような人が、将来もしかしたら成功して有名になるかも、という想像をせずに、安易にあのような仕事をするはずがない、というのが、その理由だ。

どうせそっくりさんだろうと思っていたし、目に入る「検証画像」も、「えみつんこんなブサイクじゃねえよwww」と草生やしてみてた。


ところが、その後に新しくリリースされた「インタビュー部分」である

このキャプチャーを見た時、私は思った。「これ えみつんじゃね?」


インタビュー部分は、このソフトクリティカルな部分に当たらないためか、動画サイト等で見ることができる。

「うわ…これ えみつん…じゃね?」

もうね、何も知らないで見ちゃうと、絶対にえみつんだと信じてしまう、そのぐらいのモノですよこれ。

声も、番組で作ってるのとは違うけど、その質は「やっべ えみつん?穂乃果?」と思ってしまもの

「本人出演です」って言われたら、確実に信じるレベル


しかし、どことなく感じるのは、違和感

これ、確かにえみつんに非常に似ている。でも、似ているのは最近、ここ二年ほどのえみつんに、なのだ


このビデオ最初の発売年が2008年とされていて、その素材の撮影は当然それ以前になると考えられる。

さて、ネットで簡単に見ることのできるえみつん動画は、やはりラブライブ!のものだ。初期のライブニコ生イベントのもの。今から遡ること4〜5年前。当該AV撮影されたとされる時期からしても3〜4年ほど経過しているわけなのだが、今よりもその頃に近いであろうとは思われる。

その4〜5年前の映像を見ると…えみつんは例のAVに出てくるよりもずっと若く見える。

若く見えるどころではない、別人のようだ。

実際、初期の集合写真で、一番見つけにくいのがえみつんだ。消去法でやっとわかる。今よりもずっと細い。どちらかといえばぽっちゃりに見える、22歳頃とされる例のAVより、当然細い。


もちろん女性は、化粧等で見た目をまったく変えることができる。同じようになんじょるのを見ていくと、まるで別人だ。今の方がずっと若いカワイイ、好き。


でもこの体格への違和感が拭えない。えみつん声楽科に在籍し、ソプラノ歌手として、当然必要筋肉を鍛えていたはず。「腕相撲事務所からNGにされてる」という証言もあるのだから所属時にはすでに相当の筋力があったのだろう。その割にこのAVに出てくる女優の身体はだらしない。

えみつんは太いイメージがあるが、それはラブライブ!ダンスをするようになってから、おそらく歌に必要な部分以外を鍛える必要が出てきたのだろう。

少なくとも、公式に残されているデビュー後の写真映像では、初期の頃のえみつんは細く、キャリアを積むに従ってよりたくましくなっている。

そのピークは2015年の夏頃で、この頃のアニサマファンミ映像で見るえみつんは弁解しようがないほどに太い。これは筋肉だけではなく、りっぴー証言地方巡業でみんなで美味しいもの食べるから太った」あたりに理由があるのではないか。

そういう「比較最近写真」に似ている、「およそ8年前のえみつん」とされる当該女優には、違和感を禁じ得ないのである


ではこの人物は、ただのそっくりさんなのか?

そのように断じてしまうのを躊躇してしまうほどに、このビデオに登場する人物は、えみつんによく似ている。

冒頭で記したように、えみつんの経歴や昔の映像を見ていなければ、確実に本人だと信じてしまえるぐらいには似ている。

これをまったくの赤の他人と断じるのは、さすがにご都合主義的に感じる。

もちろんその可能性はあるし、一ファンとしてはそうであって欲しい。

しかし、そうでない可能性もある。

私が思いついた仮説はこうだ。

”当該AV女優は、えみつん親族である


えみつん自分Twitter等で、家族話題を口にする。

家族構成ははっきりしないが、両親の他、二人の妹がいることは確実である

もしこの女優が、えみつんの二人の妹のどちらか、もしくはこれまで言及されたことのなかった姉だとしたら?

「一切語られたことのない姉がいた」

というのが、ご都合主義的だと思われるだろう。

しかし、語られなかった理由があるとすれば?例えば厳しい父親に反目して、早い時期に家を出ていた、とか。絶縁状態にあり父は許しておらず、その父に活動を喜んでもらえている中で、家族も見ているTwitterブログ等でその話ができなかったのでは?とか。

そしてもし「このAVに出ているのは自分ではない。ただし、自分の身近な人物である」という仮説が正しければ、

「出演は否定しかしそれについて何も語れない」という現状には、説明が付くのではないか。


わかってる。すべて憶測だ。

噂されているような事実はないのだと信じたい、いちファン妄想だ。

ただし、これまでに記したようなこと、更にはAV業界の厳しさ(必ず身分確認を行う。”素人もの”と言いながら本物の素人など当然使わない)などを考えたら、これがえみつんだとは、ちょっと考えられないんだよね。

再販されたこともしかり。販売元は当然、その後のトラブルを防ぐため、出演者情報は保持しているだろうし、であればもし本人なら、現在芸能活動をしているプロ歌手の”出演作”の取り扱いには、もっと慎重になるだろう。個人撮影流出モノというわけではないのだし。販売元が「この女優は本人ではない」と確信しているからこその、速やかな再販売なのでは。


いずれにせよ、すべては憶測想像妄想範囲を出ない。

事実を知る人物、本人とか、販売元とかが語らない限りは、真実はわからないわけだし、そのような日が来ることは、ないだろうしね。


見なけりゃよかった、っていうのが、本音ですよ。

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160108100757

アルトバリトンなんてそんなもんだ。

そのふざけた変化を歌い上げるのが醍醐味

ソプラノテナーみたいに極端に高音がなく音域が狭く一定なのがちょうどよい。

合唱経験者より。

2015-12-11

日本人はなぜプロ技能に金を払いたがらないか、という話。

演奏に代金は払いたくないのか(一部のコメントに対して。最初の文章から変わっています)|ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!


 約めて言えば、会社における社員教育のせいだ。それと「仕事」に対する意識の違いだ。

 アメリカ会社大手であればあるほどいわゆる「即戦力」を取りたがる。何かしらの技能資格、実績を有している人々をリクルートするのだ。だから、しぜん中途採用が多くなる。つまり最初からプロ」として雇われるわけだ。

 対して日本会社はいわゆる新卒一括採用を行う。たいして技能も実績も持たない純真無垢な新人社員OJTで実地教育していく。このとき社員たちは様々な分野の部署たらい回しにされる。どの部署についても一定の知識を得られるように、よくいわれる「ジェネラリスト教育ってやつ。

 しかし、このジェネラリスト教育に罠がある。というか、教育後の人材の使い方に罠がある。

 アメリカ会社員プロフェッショナルなので、基本的自分の分野外の仕事はできないし、仮にできたとしてもしない。日本ではよくある「君、◯◯もできるって言ってたよね? ちょっと助けてよ」が通用しない。なぜなら、それは契約にないから。もしその人から助けを借りたければ、金を払って雇い直すしかない。

 一方で、(まあ企業にもよるけど)日本社員はそのへんかなりユルユルだ。極端な話、全然自分とは関係ない他部署特別技能を発揮して手伝ったところで、お礼なんて感謝言葉と、よくて飲み代のおごりくらいだろう。「会社は仲間なんだから家族なんだから、親切(ただばたらき、と読む)にするのがあたりまえじゃん?」という意識だ。持ちつ持たれつってやつ(自分のほうが持つとは言わない)。

 それだけじゃない。こうした仕事における「境界のゆるさ」はどんどん拡大されていく。

 まず日本人仕事とそれ以外の時間をあまりわけない。国勢調査かなんかのアンケートに出ているが、日本人人生優先順位トップにくるのは「仕事」だ。その意識トリクルダウンを起こした結果、「仕事外の時間仕事の話をしてもいい」という変な慣例ができる。

 たとえば、「飲みニケーション」といわれるものがそれだ。日本企業で働く外国人はよく「ニホンジンは飲み会業務に関する重要情報交換を行うカラずるいデース」と愚痴る。そう、業務時間外に仕事の話をしあうのは彼らにとって「ずるい」のだ。一時期の喫煙室なんかもそうした役割を担っていた。

 そして残業サービス残業。これについての説明不要だろう。文字通り、自分時間会社のために捧げているのだ。タダで。

 

 

 こうした仕事人生、公私の境界線がゆるゆるになっていった結果、さらりまんたちの倫理メルトダウンしてくる。

 彼らはニコニコ動画youtube にあげられているちょっと面白い専門技術を持った面白い人々の動画を見て、あるいは pixivイラストなどを見てこう思う。

「この人たちは『親切で』こういう面白いものを公開してるんだ。良い人たちだなあ」

 そこに奴隷収奪するプランテーションオーナーのような攻撃意識はない。むしろ、彼らはプロフェッショナルに「好意」を持って「讃えて」いるのだ。

そこには「この人たちは『たまたま特別な才能や技能を持っていて、そういうものがあるんだから当然『親切』で芸を提供してくれるよな」という考えが底流にある。「尊敬」などはない。あったとしても「技能」ではなく、「態度」や「生き様」などといったその人自身人間性に対する部分への尊敬だ。

 日本の「芸」は大道芸人から〜「芸」は自分でも習えるから「芸」なのだ〜などというなまっちょろい歴史解釈説明づけなど及びもつかない残酷さがここにはある。日本人の「プロに金を払わない主義」は間違いなく近代日本社会が、私達が作り上げ是認してきた監獄なのだ

 私たち根本的な錯誤をしている。プロは「誰にでもできること」を「助け合い」のために使う人間ではない。「誰にでもできるわけじゃないこと」を「報酬」のために行使する人間のことだ。言葉で言えばまるで簡単だし、誰でも表面上は「そりゃそうだ」と思うかもしれない。でも、日常的に誰しもがプロプロとして扱えるように振る舞えるわけではない。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。なぜだろう。なぜそうできないんだろう。

 社員教育システム、そして仕事に対する倫理観根底から変えないかぎりこういう悲劇は今後も続くし、「プロ」は永遠に軽視されつづける。そしてこの国において「◯◯しないかぎり」という言葉は暗に「未来永劫実現しない」という意味を含んでいる。つまり、これが日本だ。がんばってはたらいていこうな!

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