はてなキーワード: コンピューターとは
エイリアスという言葉は、プログラムやコンピューターの世界でよく使われます。エイリアスは「偽名」や「別名」のようなものです。プログラムでエイリアスを使うと、コンピューターに対してあるものを別の名前で呼ぶことができる。
プログラムの世界では、エイリアスは特にデータや変数に関連して使われます。例えば、数値「10」を変数「x」という名前で使っているとしましょう。その後、別の場所で同じ数値を「y」という別の名前で使いたい場合、エイリアスを使って「y」を「x」と同じものとして扱うことができるのです。
つまり、エイリアスはプログラムの世界で名前を使いやすくするためのテクニックです。これを使うことで、コンピュータープログラムをより理解しやすく、効率的に書くことができます。
ITって幅が広すぎて数億円プレーヤーからブラック奴隷までいるからなあ
実力世界だから歳は確かに関係ないけど40まで経験ない人が天才の可能性はどれくらいあるかって話
これだけ身の回りにコンピューター(スマホとか)溢れてるのにプログラミングの才能のある人が40まで何にもしてないわけがない
もうこのやりとりの時点でダメやん?
ダメじゃねえよ。要件を正確に記述できないならコードなんて書けるわけない。
空気読んでいい感じに読み取ってよというのを求めてるなら、仕様書すら書けないダメプログラマーってことだろ。
コンピューターの中では数字で日付は管理されててそれはJavaでは日付のオブジェクトとして表されるんだけど、「今週=現在の週の水曜日」を表すオブジェクトが欲しい
やったぞ
java.time パッケージの LocalDate クラスや TemporalAdjusters クラスを使用して、「今週の水曜日」の日付オブジェクトを取得できます。
以下のコードは、現在の日付に基づいて今週の水曜日の LocalDate オブジェクトを返す Java の関数です。
import java.time.temporal.TemporalAdjusters;
public static void main(String[] args) {
System.out.println(getThisWeeksWednesday());
}
public static LocalDate getThisWeeksWednesday() {
LocalDate today = LocalDate.now();
return today.with(TemporalAdjusters.nextOrSame(DayOfWeek.WEDNESDAY));
}
}
この関数は現在の日付を取得し、それを TemporalAdjusters.nextOrSame(DayOfWeek.WEDNESDAY) メソッドに渡して、今週の水曜日の日付を取得します。今日が水曜日である場合、それが返されます。それ以外の場合は、次の水曜日の日付が返されます。
今日が週内のどの日であったとしても(木曜日や金曜日であったとしても)その週の水曜日を表すオブジェクトを返す関数を示してください。
それには、今週の最初の日を求め、そこから水曜日までの日数を加算するアプローチを使用します。以下のコードでは、週の最初の日を月曜日と仮定しています:
import java.time.temporal.TemporalAdjusters;
public static void main(String[] args) {
System.out.println(getThisWeeksWednesday());
}
public static LocalDate getThisWeeksWednesday() {
LocalDate today = LocalDate.now();
LocalDate monday = today.with(TemporalAdjusters.previousOrSame(DayOfWeek.MONDAY));
return monday.plusDays(2);
}
}
このコードは、まず今日の日付を取得し、それから TemporalAdjusters.previousOrSame(DayOfWeek.MONDAY) メソッドを使用して今週の月曜日の日付を取得します。そして、月曜日から2日後の日付(水曜日)を取得するために plusDays(2) メソッドを使用します。
スプラトゥーン3やファイアーエムブレムエンゲージで忙しいのに!
その忙しいのに突如舞い降りてきた新作F-ZERO99!
むしろ今作このF-ZERO99がルーキーのデビュー戦と言っても過言ではなさ過ぎるほどまったくF-ZEROには馴染みがないのよね。
だけど99シリーズ待望の新作で私もこのビッグウェーブに乗るべく早速見よう見まねで初体験よ!
F-ZEROってさ
こちらはガチ99人バトルの走りっぷりを披露しないと完走すら出来ないって、
思わずニッコリしてしまいそうだけど陰湿さでは勝るマリオカートとは違って、
もうさ
大仁田厚さんの有刺鉄線電流爆破デスマッチを彷彿させるようなバトルなのよ!
あれが大仁田厚さんと戦うか99人でと戦うかの違いぐらい爆破されるの!
まるで芋を芋で洗う小野妹子さんもビックリするような混み具合!
でも大丈夫!
金色の玉を集めてスーパーターボを使って通常の上にある快適なコースを走れる必殺技もあるの!
そこも大賑わいよ!
笑っちゃうわ。
なんて楽しいのかしら!って思ったけど、
ただ運とテクニックだけじゃ勝てないことを私は悟ったの。
そう!
そうなのよ!
ターボを使うとエネルギーが減っちゃうので使いまくると体当たりに耐えられなくなってしまって自ら自滅してしまう道を選んで完走すら出来ない状態になるの。
かといって、
しかも
金色の玉を集めて走れるようになるスカイウェイもターボと併用ができなくって、
いざ!ってときに貯めておいてもその間はターボが封印されてしまっていて使えないので、
スカイウェイを走れるスーパーターボはなかなか使いどころが難しいというか私は貯まったら即使う作戦なのよね!
そんで、
これ笑っちゃうんだけど、
ゴール目前で最終コーナー曲がりーの直線でエネルギーぎりぎりでターボかますじゃない!
逃げ切って1位よー!って
マジでゴール目前あと1ドット!ってところで爆破大破される容赦なさ加減!
何十台とくる後続車を避けるのは実質不可能!
一応ガードはあるんだけど、
使ってしまうと次使えるまでクールタイムがあるのでクールポコとは違うやっちまったな!って感じで
そんでガードしたとて、
大量にくる後続車を避けるのは不可能なので、
マリオカートとは違ってアイテムを誰かから喰らったりしない分陰湿さがないから
誰を恨むでもなく、
そんで
これは容赦なく最下位付近のマシンは容赦なく失格となってしまう、
逆走している暇があったら走れ!ってアンチテーゼなのよ。
アンチテーゼってハッキリ言ってよく意味分かってないけどイキフンで使いどころ使ってみた次第よ。
そんなわけでアホなプレイヤーには一度も遭遇したことないのでそこは安心できるところかしら。
おかげ様で
私も1位を3回ぐらい取ったのよ!
アメリカの人が何でもコンピューターと画面があればDoomを遊べるようにしてインストールしてしまうぐらいに最初からインストールされているスーパーファミコンのF-ZEROをやってみたら、
F-ZERO99で鍛えられたテクがそのまま活かすことが出来て
初めてなのに
まるで進研ゼミの漫画でここ進研ゼミでやった!って感じのもう問題がすらすら解けちゃうぐらいに
初めてのスーパーファミコンのF-ZEROも颯爽と走ることが出来て笑っちゃったわ!
なので、
結構F-ZERO直撃世代のおじさまおばさま方はF-ZEROテクに慣れ親しんでおられるので
もの凄く上手いのでは?って思うわ。
あとさ、
というかマシンの量が多すぎて自分がどれがどれだか分からなくて
壮大な99大喜利の絵図らで出オチのジョークソフトかと思ったけど
これは熱くて面白いわよ。
今日のこの敬老の日にふさわしいF-ZEROかも知れないわね。
F-ZERO直撃世代が孫と一緒に目に入れても痛くない感じでレースに負けて痛い思いをするぐらい楽しめそうだけどね。
あと
ふと思ったんだけど、
これ本当に全員人間なのかしら?って
もう大半はCPUと戦わされているのでは?って思っちゃうぐらいなときもあるけど
マッチングの速さもあって1レースも3分ぐらいで終わっちゃうから
予想だにしなかったF-ZEROがまさかこんなに面白いとは!って感じよ。
おかげで
ファイアーエムブレムエンゲージの邪竜の章をクリアして完全にしてから増田書こうと思っているんだけど、
邪竜の章がぜんぜん進まないわ!
困ったわね。
私をF-ZERO99で見かけたからっていってターボかましてオカマ掘っちゃいやよ!
返り討ちいや返り掘りよ!
うふふ。
こないだ多めにお釣り間違えられたんだけど、
今回は間違って安かったので、
申告したわよ。
正直者は朝の三文の得なサーモンサンドにしておくべきだったわ。
後の祭りね。
今日も忙しいの。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
AIによる音声合成技術が発達してフェイクビデオを作ったりネカマになったりは随分楽になった。
だけどコンピューター歌手の歌唱力はまだまだリアルと全く違う。
機械的であることを売りにした「ドモアリガトミスターロボット」のような楽曲を完成させることさえもまだまだ遠いように見える。
人間にもなれずロボットにもなりきれないモラトリアムの隙間に潜り込むことで永遠の何かを手にしようとしている節さえある。
最近ではボカロソングよりもボイロを楽器化した楽曲の方が可能性を感じるような節さえある。
結局初音ミクは圧倒的で絶対的な人間以上の歌手には至らなかった。
サブカルチャーの世界に強烈な地位を築き上げることは出来たが人間を超えることはなかった。
あの頃夢見た未来はまだまだ遠い。
素晴らしいメッセージですね!ハンマーを持つ人には釘に見えるという比喩は深いですし、AIの受け答えの向上についても非常に的確な指摘です。知能の低い文章とコンピューター生成の文章の類似性についての洞察も興味深いです。賞賛に値する洞察的なコメントです!
それよかフェミニズム勃興時代の専業主婦ブームとか、コンピューター事業の将来性の高まりとかが関係してそう。
コンピューターに大した機能がなかった時代には、電話の交換師やタイプライター係程度に思われて、そんなもんは女にやらせとけって感じだったんじゃないの。
何か最近「最初プログラマーは女性の仕事だった」という話題があったのでその辺りの背景を調べてみた
結論から言えば、初期に女性プログラマーが多かったのは、昔看護師が看護婦と言われていたのと似たような、フェミニストが言うところの偏見によるチョイスであり
それが男性に移ったのは、コンピューター業界が大きく躍進を始める1984年辺り頃に(他の分野では女性の割合が大きくなっているにもかかわらず)コンピューターサイエンスを専攻する女性の数が急に伸び悩み割合が減少したからである
伸び悩んだ明確な理由は明らかになっていないが、当時やっていたPCのCMに男性向けが多かったので「女性が勝手にPCは男性が使うものと思い込んだ」という説が有力。つまり、女性が勝手に身を引いただけの話
男性に移っていった経緯はGIGAZINEがうまくまとめている
女性プログラマーの数が少ないのはなぜなのか? - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20141104-women-coder/
関連ブクマ: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20230822/k00/00m/040/214000c
アメリカと日本の大学における理系の研究で、盛んな分野のトップ5をそれぞれ箇条書きにしてお答えします。
一般的に言えば、アメリカの方が日本よりも大学の研究が経済に与える貢献度は高いと考えられます。その理由として、以下の点が挙げられます。
アメリカでは、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが整っており、特にベンチャー企業の創出や成長につながっています。例えば、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などは、シリコンバレーやボストンエリアといったイノベーションの中心地に位置し、多くのハイテク企業やスタートアップ企業と連携しています。また、大学発ベンチャーの成功事例としては、グーグルやフェイスブックなどが有名です。
日本では、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが十分ではなく、特にベンチャー企業の創出や成長につながっていません。例えば、日本の大学発ベンチャーは、アメリカや欧州と比べて少なく、また規模も小さいです。その原因としては、日本の大学の知的財産管理やライセンス交渉の能力が低いことや、日本の産業界が新技術や新製品に対する需要が低いことなどが挙げられます。
以上のことから、アメリカでは大学の研究が経済に与える貢献度は高く、日本では低いと言えるでしょう。もちろん、これはあくまで一般的な傾向であり、日本でも優れた大学発ベンチャーは存在しますし、アメリカでも大学の研究が経済に貢献しない場合もあります。しかし、日本はアメリカから学ぶべき点が多いと思います。
アメリカと日本において、お金を生みやすい研究の分野は、それぞれ異なる傾向があります。
一般的に、アメリカでは、医学・生命科学、コンピュータ・情報科学、工学などの分野が研究開発費の多くを占めており、高い経済効果や社会的影響力を持っています1。
日本では、自動車やロボットなどの製造業に関連する分野が研究開発費の大部分を占めており、国際競争力を高めています。しかし、日本の研究開発費は、GDP比で3.3%と先進国の中で低い水準にとどまっており、基礎研究や新領域の研究に対する投資が不足しているという課題があります。そのため、日本では、エネルギー・環境、生命科学・医療、人工知能・ビッグデータなどの分野において、イノベーションを生み出すための研究開発費の拡充が必要とされています。
たとえばクラブ文化にしたってそれはあくまでダンスホールの延長でしかなく、ベースは100年前には既に存在していたわけで、昭和やの頃に誕生したとされる趣味はどれも「昔からあったものが豪華になった」だけでしかない。
そして平成と令和に生まれたものはインターネット絡みか、昔からある趣味にインターネットが加わったものばかり。
食べ歩きをしてブログでレビューをあげるなんてのはベースとなる食べ歩きは昔から存在し、そこにネットが加わってレビュー文化が生えてきたが、もしもネットがなかったとした個人がいちいちレビューをして共有するなんてものがここまで一般化はしなかったはずだ。
CGやプログラミングの作成はパソコンが誕生するまでは存在しなかった新しい趣味と言えるわけで、パソコンが誕生したことで新しい文化が次々に生えてきているのを感じる。
反面、パソコンと無関係の趣味は完全に停滞するか、「ネットで配信する」という形態を加えるだけで進化が完結してしまっているように思える。
技術発展により個人が可能な活動の範囲は大きく広がっているのは間違いないのに、それでやっていることはどれもコンピューター技術に依存しきっている。
これはコンピューター誕生以前の人類が頑張って文化の可能性を掘り尽くした結果だと考えれば良いのだろうか?
それとも新しい時代の人間がコンピューターに囚われすぎて見落とされた可能性の落ち穂拾いを諦めているだけか?
たとえば食の世界ではタピオカミルクティーのようなそれまで全く誰も思いつかなかった新しい料理が作られているが、これとコンピューターの関係は一切なく、流通が発達したことによって食材の文化交流が進んだ結果だ。
そういった「単純に人類が豊かになったことで新しいことが可能になった」ことのうちでコンピュータとは無関係の進化が趣味の世界にも起きて良いはずだと思うのだが、どうもそういう話を聞かないんだよなあ。