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2011-02-27

機械や人や未来についてのひとりごと

オートメーションが進めば、なくなるのは「肉体」労働なのか。

機械だけになって機械を作る機械が出来ても、その機械設計する人間は必要になる。だから、肉体で労働するわけじゃないが頭を使って労働する人間は必ずいる。

そして、次にメンテナンスが必要ということだけど、そのメンテナンスをそもそも人間自身も行ってるわけで、

なぜ他の人間がいなくてもメンテナンス出来るかといえばそれは自立行動し自分栄養補給し排泄することが出来るからだ。

とすれば、全てを機械にやってもらうためには自動メンテナンスすることが必要だ。

さらに、知能労働人間だけのものということでもなくなってくる。

自動メンテナンス出来る機械誕生すれば、そもそも自分の意志で何かを考えることが出来る機械が登場してもおかしくはない。

その機械を何らかの方法を使って制御し、ある一定の労働のみを行わせることが出来れば・・

教師ロボット政治家ロボットというのも不可能はない。

だけどその時人間がどうなっているかということだ。

かに教師ロボットなどの知能労働をするロボット過去SF作品でよく出てくるしありきたりな話ではある。

しかし、人間そのものが大幅に変わってしまうという作品はなかったかもしれない。

そこで人間がどうなっていくかを考えれば、やはりこれは機械に近づいていく。つまり、機械のような都合の良い肉体を求めていくということになる。

たとえば、視力が落ちない義眼、怪我に強く疲労しない腕や足、睡眠の必要がない身体。

そもそも人間人間にとって都合の良い世界を作るために必要としたのが機械だ。機械を必要としているのは、人間というよりは人間の脳だ。

だとすれば脳以外の肉体をそっくり人工の、脳にとって都合のいい身体に変えてしまっても問題はない。というより、それが脳の願いなんだろう。


機械が徐々に人間らしくなっていき、人間が徐々に機械になっていく。どこまで行くかは分からない。しかし、今の自分想像力では、機械が完全に人間になるということは多分ないと思うし、人間が完全に機械になるということはない。

機械人間になるということは、本来の機械の役目(都合の良い労働力)が失われてしまうし、人間機械になったら、つまり人間の脳まで機械になってしまったら、それはもう人間とは言えないし、都合の良い身体を欲しがる人間はいても、人間を捨てて機械になりたいと思う人間がいるとは思えない。

でも、人間機械微妙な均衡点というのが一体いつまで維持されるのか分からいし、それを維持するという明確な理由が見つからない。つまり、「人間機械になってはいけない理由」や「機械人間になってはいけない理由」。

人間機械になるなら、都合の良い労働力として工場派遣されても問題はないし、元機械だとしても性質は完全に人間のそれと同じなら彼らを機械カテゴライズする理由もなくなってしまう。

個人的にこの未来は恐ろしいと感じる。この恐れは、多分自分が許容できる未来限界点を示してるんだろう。

人間機械になり、機械人間になる、こんな未来がいったいいつになるのか想像も出来ないが、もしかしたら1000年以内にやってくるかもしれない。500年以内と言っても早くはないかも。


結局、脳は機械になることを望んでいるんだろうか。

脳の持つ性質は、人間味という言葉からはいずれも遠いし、脳が願ったものを見てみても、そこに人間らしさというものはない気がする。

デザインという右脳の意向が強く反映される部分だけ見れば確かにそこには人間らしさがあるが、ほとんどの部分左脳の意向に沿ったもので、そこにあるのは無駄がないすっきりとしたデザインだ。

このまま行けば、もしかした右脳が完全に左脳にとってかわられ、人間らしさというものは完全に失われるのかもしれない。

たとえば、機能ごとに何を選ぶかという自由はあっても、同一の機能で違うデザインのものということはない。

ファッションを見ると、概ね左脳に支配されていない、つまり時間軸的には過去文明でいえば未発展のほうがより派手で無駄が多いデザインになってる。

これは、右脳がそういうものを求めていて、まだ言語世界が発達していなかった世界ではそういう華美なものが求められていたのかなと思う。

逆に現代に近づくにつれ、だんだん右脳よりも左脳デザインに口を出すようになり、より合理的で、無駄がなく、画一的デザインが選ばれるようになっていった。

グローバル化もそれに似ている。素晴らしいものが一つあれば皆がそれを真似し画一的になる。萌え絵ハリウッドの方法論、ファストフード店、郊外店舗などなど。


このまま左脳が優位になればどうなるか。人々は次第に画一的なものを問題だと思わなくなっていく。

たとえば草食系。必要のないものにはお金をかけない、すなわち安い画一化されたものを購入する世代の出現。

ユニクロがバカ売れする時代。もはや重要なのは「機能的かどうか」であって、個性的かどうかではない。

言語も統一される可能性がある。英語かどうかは分からないが、この勢いでいけばやはり英語地球標準言語となる可能性は高い。

しか言語というのはその土地に根差したきわめてローカル存在から、もし英語世界言語を統一するとなれば、よりグローバルな言語となるため進化が必要になるだろう。

ここで考えられるのが、どうやってグローバルな言語となるために進化するのかということ。

かに元々ローカル言語というものは、どうやったってその民族環境などに影響されやすい。


まず環境を考えるとすれば、実は地球上では既に環境グローバル化が起きている。それが、自然環境に左右されない都市化という現象だ。

都市は概ね自然から断絶されており、都市間には自然環境ほどの劇的な違いは見られない。どの都市コンクリートで舗装された地面があり、車が走り、高層ビルが立ち並び、駅やコンビニが点在している。

ということは、実は都市だけを見ればほとんどの都市は似たり寄ったりで、そうなるのは必然なのだ。

次に、民族。これも、実は統一されつつある。都市間の流動が激しくなっている。

日本はそうでもないかもしれないが、アメリカには中国日本韓国インドドイツ系・・いくらでもいる。

たくさんの民族が一つの都市で暮らすことが出来るのは、都市が画一化されていてどこにいても大して変わらないからだろう。

かつての江戸ロンドンはあまりに違う。人々が着ている服も習慣も全く異なっていた。しかし、今は不完全ではあるがすべてが画一化されようとしている。

また、混血も重要だ。日本人アメリカ人先祖に持つ人間というのは珍しくない。移民ネガティブな問題として取り上げられることが多いためまだ混血というのは多くないかもしれないが、確実に今後は増えていく。地球という広い土地の上で、かつて絶対に交わることのなかった複数の民族の血が混ざるという時代に既になっているのだから

地球人という考え方が当たり前になれば、次第に言語も統一される。次はやはり宇宙の時代になるんだろうか。

宇宙でも人間土地を拓き画一化された都市を築き、ますます便利になって、ますます遠くへ行く。

その先に何があるのか、まったく分からない。自分想像力はここまでだな。

2011-02-15

エリートはたぶんつらいのだろうな

ここ1年、1ヶ月に1度くらいのペースで、友人の相談に乗っている。

内容は一言で言い表せる、「仕事が上手くいかない」。

地元の有力者一族の一員、成績はいつでも優秀。

誰もが知る大学に入り、有意義かつ優雅で充実した学生生活を送り、大企業内定を得て、卒業

絵に描いたような優等生として、決して少なくはないであろう妬みを買い続けて、歩み続けてきた友人が、ついに立ち止まった。

いでに転んで、立ちたくても立てない状況なのだろう。

周囲には秀才と評されてはいたが、天才ではなかった友人。

地頭の良さはあったけれど、努力も欠かさない。だから優等生であり続けられた。

友人自身にもその自負はあったのだろう。何でも出来て、常に上にいるのが自分、そういう自覚があったのだと思う。

また、有力者一族の一員なのだという矜恃が、コンクリートのよう心を固めてしまっていたのかもしれない。

自分は優秀だ、優秀であり続けなければならない、恥ずべき存在になってはならない、と。

(無論、これらは私の勝手な憶測に過ぎない。)

友人は人間関係に悩んでいる。

他人の悪い噂しかしない同期に馴染めないそうだ。

また、女性の方ならば良く分かるかもしれないが、女性は似たような価値観を持つ者たちとグループを形成し、

問題が起こらない限りは、グループ人間以外とは深い関係を結ばない、そんな厄介で面倒くさくてやり辛い傾向があるが、

彼女はどのグループにも馴染めなかったそうだ。

友人の話を聞いて判断するに、押し並べて同じようなばかりが集まっているようである

挨拶はするけれど、それ以上の発展はない。自分を貫くにしても大多数に迎合するにしても、辛そうである

その上、お前はあそこの大学出身だろ、その上あの一家の出身なんだろう、と上司からかに付けて言われているようで、それが重圧になっているらしい

この2つの人間関係が影響しているのか、入社してからというものの消化器系に異常が出るようになり、新入社員だと言うのに

頻繁に遅刻早退、あるいは欠勤を繰り返すようになり、同期に遅れを取ってしま結果となった。

仕事が出来ない、覚えられない、それが苦痛で仕方ない。仕事が出来ない、同期よりもずっと遅れている、そんな自分を認められない。

から仕事をしようとするが、やはり出来ない。見事に悪循環に取り込まれてしまっている。

はというと、優秀になりたくても、努力不足とか、元々出来の悪い頭であるとかでなれなかった人間だ。

中学生の頃までは、自分は優秀だと思っていたけれど、高校生の頃に平々凡々な人間だと気付き、大学時代に只の馬鹿だと悟った。

一度馬鹿だと分かると、気が楽になる。

どうせ馬鹿から、と投げやりになってはいけないけれど、馬鹿から出来ない、と自分言い訳が出来る。

から努力して、何かを得なければ生きていけない、と思うことも出来る。

友人に、馬鹿になれ、とは言わないけれど、もっと気楽に構えろ、なるようになるし、なるようにしかならない。

そういうことを伝えたいけど、いつも上手く伝えられない。この助言が合っているのかも分からない。

今週末、また友人と会うけれど、今度はどんなことを話すのか。

大企業から見れば底辺に這いつくばって生きている泡沫の派遣社員相談するのがそもそも間違いのような気がするけれど。

友人いわく、私は人畜無害から話し易い、そうだ。

2011-02-06

結局オンチって耳なの声なの?

僕は超がつくほどの音痴だ。


中学生の頃、一人ずつ順番に前に出てドレミファみたな発声練習をさせられるんだけど

いつも僕の番でつまづいて、みんながクスクス笑っててすごく恥ずかしかった。

きな子の前で何度も何度もやり直しさせられて惨めだった。

音楽室でいつも居残りさせられてて悲しかった。


いで社会人になると接待忘年会なんかでカラオケなんかも連れて行かれたりして

「よし、まず増田おまえなんか入れろ」

たいな流れになったりするんだけど、それが嫌でいつも1次会で逃げてた。


音楽は好きなんだ。

歌う事もほんとは好きだ。

もっと大きな声で歌いたい

いで、あわよくばみんなに「うまいね」って言われたい

鼻歌でも音痴なんだねwww」なんてできれば言われたくない。

昔は一つだけ願いが叶うなら「歌を上手にしたい」ってお願いするって本気で思ってた。

今はくだんないと思うけどね。

でもアウトプットが出来ないってもどかしい


不思議なんだけど音痴メカニズムってなんなの?

耳(インプット)に入ってくる音が、正確に聞き取れてないか音痴なの?

声?喉?声域?声量?(アウトプット)がダメから音痴になるの?

色盲画家は?すごいヒトも沢山いるね。

確かベートーベン難聴だったんだっけ?

ちょっと歌と話がずれちゃったけど、SMAP中居さんているよね。

彼はもう20年近く歌を歌ってきて、練習も常人じゃ考えられないくらいしてると思うの。

でもあのレベルなんだよ。いや僕からしたら旨いけどね。でも言いたい事わかるでしょ?


自分が歌ってる時、音ずれてんなーとかわかってるつもり。

バックリ言うと僕は芸術関係の学校に進学したんだけど、そこで学んだことは

絵の上手なヒトと下手なヒトは見えてる情報が圧倒的に違うってこと。

同じコンクリート電柱を描いた時に黒と白の絵の具しか使わないヒトと多彩な絵の具を用意するヒトがいる。

音楽を聞いててもちゃんと聞き取れてるつもり。

でもやっぱり違うのかな。

わかんないんだよねぇ。


あとね、最後に同じような悩み抱えてるヒト。

僕が言うのもおこがましいけど気にすんな。

僕はある時から音痴」を気にしなくなった。

いかりや長介さんが言ってた。

「ヒトには笑われていろ」

カラオケで散々今までの鬱憤を晴らすようにダミ声でクソ音痴な歌で精一杯歌ってる。

コソコソする必要ない。

オンチが一発目いきまぁっす!!!」つって自分から歌ってる。

すっげぇきもちいい。

みんな誘ってくれる。上司も「おまえいいなぁ最高だよ」って言ってくれる。

その言葉を嘲笑ととるか本心ととるかは僕次第だ。

ただし、曲のセレクトはいつも明るくて盛り上がって誰でも知ってる、しかもちょっと短い曲を選んでる。

日曜日よりの使者」とか。セレクトさえ間違わなければいい。

歌唱力で売ってる歌手の曲はだめだ。

平井堅さんとかは無理だ歌いたいけどそこは己を知るってことで我慢してる。

それで悩みが消えたわけじゃないけど、とりあえずハッピーだ。


歌も絵もオナニーなんだってやっと最近気がついた。

カラオケなんてその程度だし、その程度の場所しか社会に出たら歌う機会なんてない。

まさかこんな僕に結婚式の余興の話はこないでしょうしね(笑)

2010-12-21

つくばはつまらない街です

つくば歴史が轢死してて、息苦しいですよ。コンクリートの塊が冷たい。活気があるように見えなくもないけど、それは一部だけで中途半端自然が余ってる。

研究学園都市って響きは良いけど、此処に金も含めて研究に必要なリソース置いとくから適当に使って御国のために学べみたいに国が画策した只の隔離都市

お陰で歴史知らないしメインストリートが並ぶ中心部はコンクリの塊しかない。本当に。

此処にずっと居たら苦しいだろうね。TX通っても金かかるし使う気になれない。どこからどう見ても人工都市で、気味が悪い。整然と建物が並んでて不自然。木の根が道路のアスファルトを浸食している様は本当に気味が悪い。

都民の友人が言うには、東京の方が歴史もあるし、重んじているらしい。ここはとりあえず国が後先考えずに大学だけ放り投げて、無理矢理研究施設を配置した感じの都市。もともと歴史はあるんだろうけど、それを考えずに練り潰してる。

気づいたけど、自殺が多いとかいう理由も分からなくもない。ここまで人工めいたものが圧倒してくるのは本当に気味が悪い。

こういうことはやることが多くて忙しい間は考えないんだけど。

うそう書き忘れてたんだけど、つくばの人ってつくばの中で固まってるのよね。Twitter見てるとわかるけど。

都民でこっち来た人とか、東京いまも住んでたりする人は人と交流が多そう。まあデカい大学が実質ひとつしかないつくばに於いて交流だの何だのなんて有り得ない訳だ。

なんか半分死んでるみたいな街に住みたくない人は来ない方が良い。東京に近いとか思ってたら大間いですよ。

*べつにつくば研究学園都市かいうコンセプトが嫌いなわけじゃないし日本でもかなりスゴい研究施設とかがあるのはいいと思うよ。ただ此処に漂う空気たいなのが嫌い。

2010-12-10

これマジ?

88: スケート(関西):2010/12/09(木) 09:51:16.92ID:oq0qQoezO

>>15

●4年間でマニフェストを実行する。

外国人参政権夫婦別姓など、マニフェストに無い法案を全力で推進。

子供手当てを出します。

→満額支給断念。

また、地方が負担(国籍不問=在日、出稼ぎ外国人が母国に残して来た子供にも支給、養子でもok)。

埋蔵金を発掘しま

埋蔵金は あ り ま せ ん でした

公共事業9.1兆円のムダを削減。

→削減は0.6兆円だけ。事業仕分けはタダのパフォーマンス化。

 事業仕分けの会場代(4日)で1200万円、机・椅子代1362万円

天下りは許さない。

→郵政三役天下りさせた。

公務員人件費2割削減。

→法案を再来年以降に先送り。

天下り先も無くすと更に肥大化

増税しません。

扶養控除、配偶者控除の廃止。

タバコ税、酒税増税

相続税内部留保課税、消費税所得税増税検討

環境税導入も検討

《《注:子ども手当の財源の一部は、扶養控除の一部廃止と配偶者控除の廃止でまかなわれることになっている。

子ども手当てがあれど扶養控除・配偶者控除の廃止により税負担の増加が問題になっている。》》





96: スケート(関西):2010/12/09(木) 09:52:49.93ID:oq0qQoezO

>>15

暫定税率を廃止します。

→維持しました自動車取得税自動車重量税軽油取引税、揮発油税地方道路税)。

赤字国債抑制します。

過去最大の赤字国債を発行(総額44兆円)。

クリーン政治しま

鳩山小沢北教組違法献金脱税 現職議員逮捕議員辞職も離党もせず。

沖縄基地最低でも県外に移設

→県外移設断念。「『最低でも県外』は民主党公約はなく、私自身の代表としての発言」(鳩山)。

《《基地問題についての流れは↓↓

国外・県外要望→断念。

徳之島要望→断念。

普天間要望→現在進行中。

いずれも県民の支持は得られずゴリ押し。》》

内需拡大して景気回復します。

デフレ進行、景気対策補正予算の執行停止。

CO2の25%削減表明、鳩山不況突入

コンクリートから人へ。

道路整備事業費が608億円増(民主の弱い選挙区へ)。

ホワイトビーチ埋め立てに一兆円。

八ッ場も無駄に1年凍結後再開

高速道路無料します。

→土日1000円やめて値上げします。





102: スケート(関西):2010/12/09(木) 09:54:23.71ID:oq0qQoezO

>>15

ガソリン税廃止。

→そうでしたっけ?フフフ。

消えた年金記録を徹底調査。

→「年金記録を回復する必要性は薄れた」(長妻)。

結局うやむやのまま。

医療機関を充実します。

日本医師免許を持たない外国医師の診療を可能にする制度改正を検討

農家の戸別保障

政府米買入れ廃止で米価暴落農家悲鳴

●最低時給1000円。

→実現時期「2020年までに」大幅先送り。

消費税は4年間議論すらしない

消費税増税検討中

年金を事務費に流用しない

2010年度に2000億円流用。

2010-11-22

ミックスジュース

どうしようもないぐらい好きな女の子がいた。彼女も僕のことを好いてくれた。だから僕は彼女と暮らすために、仕事をやめてわずかな手荷物だけを持って新幹線彼女の住む街へと向かった。

着の身着のままでやってきた僕に彼女はこれからどうするつもりかと聞いたけど、仕事なんていくらでも見つかるからと答えた。貯金もある。どんなきつい仕事でも貧乏でも、彼女がいればそれだけで幸せだと思っていた。

その時は。

 

ある朝目覚めると、隣に白く醜く太った女が寝ていた。ベッドから抜けだして身支度を整えていると、女も起きだしたようだ。べっとりとよだれにまみれた口元を雑巾でぬぐっている。

そんな雑巾たいなので拭くなよ、汚いだろと声をかけると女はこちらをギロリと睨み、だったら新しいハンカチを買うだけのお金を渡しなさいよと呟いた。確かにそれは、僕が昔彼女に買い与えたハンカチだった。

 

つらい肉体労働を終えて、一日の疲れを流すために僕はサウナに寄った。

なんでこんなことになっているのだろう。こんなはずじゃなかった。まだやり直しが効くんじゃないか。今からでも元いた町に戻ればなんとかなるんじゃないか。冷たいシャワーを頭から浴びながらそんなことを考えていた。

ふと鏡に目をやると、自分の顔が写っていた。疲れきって目は落ち窪み、頭髪がほとんど抜け落ちてしまった自分の顔が。自分の姿に耐え切れなくなって僕は自分の頭を鏡に打ち付けた。

もうダメだ。こんなに年をとってやり直せるわけがない!

ガン!

力いっぱい打ち付けたのに、鈍いぼんやりとした衝撃しか伝わってこない。痛覚が鈍くなるぐらいに体が衰えているのか。痛みがないことにさえ悲しくなって僕は、コンクリートむき出しの洗面台の角に、突き刺されとばかりに額を叩きつけた。

なんで!

こんな!

額から溢れ出した血と、こみあげる涙が顔を暖かく濡らす。一方で冷たいシャワーで冷え切った体はぶるぶると震えだす。しゃくりあげながら僕は神に祈った。お願いだからもう一度やり直させてください。自分のすべてを捧げるから、どんな希望も全て与えるからもう一度、もう一度!

 

さらに頭を叩きつけようと反動をつけるために後ろにぐっとのけぞった瞬間バランスをくずして、そして僕は自分がシャワー室などにはいないことに気がついた。

体は毛布に包まれていて、仕事もやめてない。足元には猫が寝ていて、この街を出てなどいない。手を伸ばして横に彼女が寝ていることを確認して、振り返って醜くもなく太ってもいない彼女の姿を見てもまだ、体の震えは止まらなかった。どこにもぶつけていないはずの額が、鈍く痛んだ。

彼女を起こさないように静かにベッドを出て台所へ行き、バナナを切ってオレンジを剥いて、牛乳と一緒にミキサーに入れた。力強く回るミキサーを眺めながら僕はもう一人の僕、存在しない/存在していたかも知れない僕のことに想いを馳せる。

あるいは今の自分は、本当の”僕”が思い描いた空想の中の僕なのかもしれない。

貧しくて絶望的な生活の中で描いたありもしない妄想

それが死の瞬間にもう一人の自分となって生み出された可能性。

今の自分自分をめぐる世界は僕が目覚める瞬間まで存在していなかったかも知れないおそれ。

 

 

 

そういったものをみんなミキサーにぶち込んで

あさはミックスジュース ミックスジュース ミックスジュース

そいつをぐぐっとのみほせば

ミキサーの音で目を覚まして寝ぼけ眼で起きだした彼女に、明るい笑顔で「おはよう」って言えるかもね。

2010-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20101101233954

確かにそうだな。コンクリートむき出しで、かつゴチャゴチャしているのだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20101101233737

コンクリートむき出しの部屋」の話と「ごちゃごちゃした部屋」の話がどこで変わったのかわからないという巧みな文章を読ませていただきました。

心地よい空間に住みたい。

よく「コンクリートがむき出しの部屋に憧れる~。住みたい~」って話を聞くが、

建築的にはコンクリートむき出しが一番難しいらしいですよ?(理由までは知らない)

だから、普通の白い壁なんかと違って、値段もかなり跳ね上がるらしい。

しかし、確かにかっこいいとは思うが、コンクリートむき出しの部屋は、住居として果たして適切かね?

何かの拍子で頭をぶつけたりしたらと思うと、怖くて住めやしない。

よく、コンビニ書店で、インテリア関係の本を見かける。

女性のためのインテリアから、若者向けの『モテ部屋』指南の本まである。

たくさんあるということは、需要があるということ。

だけどそれは裏を返せば、『住居に対して不満を持っている』人が多いということだ。

どんなスタイルが人気かと中身を見てみれば、みんな、高級家具などで

部屋を覆いつくしている。かなりゴチャゴチャした印象。

そうやって部屋を複雑にするから、不満が溜まるのでは?

僕はシンプルにしたい。必要なもの以外は要らない。

ネットでよく見かける、座敷にPCのみの部屋の画像なんかが良い。

googleで探したけど、見つからない。保存しとけばよかった。

2010-10-23

友達は側溝に落っこちたっきり長い間帰ってこなかった。

普通道路の傍にある、コンクリートでできたありふれた側溝なのに。

今日もしゃがみ込んで様子を伺っていたのだけれど、そろそろと水が流れているだけだった。

友達が落っこちた痕跡今日まで何も見つかっていない。

明日明後日も、きっと見つからない。

私はこの目で友達が落っこちていく瞬間を見ていたけど、それを見ていたのは私だけしかいなかった。

クラスのみんなは家出だと思っている。ひどい家庭環境だったみたいだから、失踪したんだって。

側溝の中を、水は静かに流れている。

どこまでもどこまでも、ずっと遠くまで、流れ続けている。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-08-30

昔、階段から落ちそうな弟を上から掴んで引きとめたことがある。

場所は手すりもないコンクリートの、アパート階段

当時私は幼稚園、弟は立ち歩きが始まったばかりだったと思う。

しかし悲しいかな私は虚弱体質で、幼稚園の私に幼児一人支えられる力があったとは思えず。

あまり現実身のない話なので、ここ最近までずっとリアルな夢を見たのだと思っていた。

 

ところが先日、唐突に母にその話をされた。

あっと思ったときに、母より早く私が飛び出ていったとか。

あまりの火事場の馬鹿力っぷりに母も驚愕したらしい。

ちなみに弟に聞いたが全く覚えていないようだった。

 

夢だと思っていたものが実は現実だった時はなんとも不思議な気分になる。

そしてふいに、今はたくましくなった弟の、あの時掴んだ手首の感触を思い出した。

それだけの話。

2010-08-17

住宅価格について。

木造家屋や壁の薄いコンクリート建築の耐用年数は、せいぜい30年程度である。天然石を切り出して積み上げて作った、ローマ時代や中世暗黒時代の城砦やシャトーであれば、100年200年といった耐用年数が十分に期待できるが、合板木造家屋や、被りの薄い鉄筋コンクリート建築物では、30年程度で、寿命が来る。したがって、一般に不動産市場における評価額は、土地の評価額とならざるを得ない。

モノによっては上物の撤去費用差し引かなければならない位である。

土地の評価額だけでなく、上物の評価額も出そうとするのであれば、メンテナンスフリーで数百年は持つような、天然石積み上げ造りのような家屋を前提にするべきであるし、間取りにおいても、一番小さい部屋でも十メートル四方といったスケールにしなければ、数百年間の使用に耐えられない。

人口が多すぎて、狭い土地に密集して暮らすような国情においては、そんな建物は、高層建築物にするしかないとなる。

鉄筋コンクリートは、表面から徐々に酸化が始まり、アルカリ性であるはずのコンクリートが中性化し、やがて、中に入っている鉄筋が錆び始めて、崩壊に到る。鉄筋から表面までの距離を広げて被りを厚くしたり、コンクリートの表面を塗装するといった手法で、中性化を遅らせる事ができるが、それとても、万全とはいえない。

上物の価格は、耐用年数がどれだけ残っているかということと、上物を撤去する為の費用とで、計算される。耐用年数が無限であれば、上物を撤去する必要が無くなるが、地震の多い日本では、耐用年数が無限の家屋を建設するコストは、不合理な金額になってしまう。

あと、上物の評価額が著しく低いというのは、建設コストに比べて減価の度合いが激しすぎるという不満がある為であろうが、上物を作る為のコストが高すぎるだけである。人生50年時代であれば、家は一生に一度の買い物であるが、人生80年時代であれば、2回は買う事になる。耐用年数を延ばして一生に一度の買い物にするよりは、一生に二度の買い物として、最初から30年後に建て替えるという前提で設計施工をして、コストを切り詰める事である。一生に一度の買い物であれば、売りっぱなしで、しかも、代金を取れるだけむしり取ろうということになるが、30年後に建て替えというのであれば、悪い評判を避ける為に、コストに見合った施工を心がけるようになる。

核家族化が進みすぎて、ウサギ小屋ばかりになって、地盤を継いで行くという考え方が消滅してしまったのも、上物の建設費が不合理な価格にまで上がってしまった原因と言えるだろう。

アメリカの2×4住宅は上物の価格の方で取り引きされているという反論については、本物の2×4住宅は、壁のような非構造材だけでなく、柱や梁といった重要構造材すら、日曜大工で交換できるようになっている。このメンテナンス性の良さから、住人がメンテナンスをすることを前提にして価格が成立しているのである。古い住宅ほど価値があるのは、あらゆる構造材が交換可能でなければ古くなる前に崩壊してしまうからであり、住人が勤勉でさえあれば、住宅価値を維持できるという保証がついている分だけ、価値が高いと評価されるのである。

それもこれも、間取りが広くて余裕があり、建物構造が簡便でメンテナンス性が高いという前提があってのことで、狭小住宅で断熱ウレタンフォーム吹き付けのような工法を使っている建物とは、考え方が違っているのである。

2010-07-25

ぬこ(笑)

白っぽい猫を殺した時の話。

庭に入ってきては家庭菜園を荒らすクソ猫に業を煮やしたので殺す事にした。

買ってきた猫用のエサを食わしている間に近づいてなるべく頑丈な麻袋に入れてから、

コンクリートでできた倉庫の壁に何度も叩きつけまくった。

猫が暴れるので袋の表面が波打つような感じで、悲鳴っぽい鳴き声も聞こえた。

ばしーんばしーんと20回ぐらい叩きつけると猫は鳴かなくなった。

それでも溜まった鬱憤が腫れないので続けて30回ぐらい繰り返すと腕が疲れてきたのでやめた。

袋の口から中を覗くと、原型をとどめたままの猫が死んでいた。

がっかりである。

もっとクリーミーな感じにぐずぐずに崩れているかと期待したのに。

袋の口をぎゅっと固く縛り、クリーンセンターに赴いて燃えるゴミのところに放り込んできた。

気分は最高にすっきり。

その晩は気持ちよく眠れた。

それから一週間ぐらいが経過して、よくいくコンビニの窓に猫探しのポスターが貼ってあった。

写真には上品そうな白猫が映っていた。

俺が殺したのがこの猫だろうが、そうでなかろうが、「だから何?」って話だ。

2010-06-07

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1272556637/

1991年平成3年)生まれのヒキpart12

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1272556637/

450 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:03:18 [夕方] ID:???0 (PC)

>>439

強迫性障害とか患っててヒキってるやつに言えるような話じゃないな

と言ったのはお前さんじゃないの?そうだと思って話を進めていたのだが

違ってたならすまない

違わないなら、これは「社会と関わりたいのであれば神経症言い訳にならない」というのに反しているだろう?

そもそも俺は初めから、お前さんが>>439で挙げているような人に言っていたんだが


>>439が心理学医学を専攻しているのだとしても

医学知識などと語らない方がいい。失笑を買うよ

君はまだドクターじゃなく、学生なんだ

そうでなくとも、飽和状態にある心理分野にどういったレベル学生が集まってるのか、知っているはずだ

念のため言っておくが、>>439が馬鹿だとか言ってるわけじゃないぞ

そういう言い方をしてると、馬鹿にされるってことだ


革新的な意見でもなんでもない

こんなことは昔から言われてるし今だって言われている

一般的な科学者精神科医をどのように見ているか、知っているだろう?

今時マトモな心理学者は脳を弄ってる。なにせ、まだ分からないことだらけだから

現行の対症療法的を得ているのであれば、どうしてあんなに改善率が悪いんだ

精神医学歴史は浅いよ

とはいえ、俺は薬学だから、選考している人より知識が薄いかもしれないな


第一、精神疾患を否定したりなんてしていないよ

事故性のある重度のものでないならば、気の持ちようで直るような類のものなんじゃないか

と述べているだけだ。何せ、脳の病だからな


俺のコミュ力を疑うのは構わないが

自分の読解力も疑った方がいい

東大がオカシイのかも知れないが、これでも普通にやっていけてるしな

この文にカッとなるようだったら、まだまだお子様だよ

451 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:05:18 [夕方] ID:???0 (PC)

>>440

日本に~」と言っているが、基本的に海外の方が厳しいよ


さて、精神疾患を患っているのであればこそ、神経症言い訳にならないということは理解しているはずだ

そのデメリットを抱えた上で判断していかなければならないのは自明であり、言い訳にはならない

故に、>>412のように述べた


また、>>440は「分かってても出来ない」というスタンスだと思うが

俺はそれに対し「なぜ分かっているのに出来ないのか」と既に述べており

上述したように、精神的な理由は言い訳にはならない

従って、>>440が「当たり前に分かっている」と認識していることが分かっていないからこそ

つまり、>>412のようなことを分かった気になって、その実ぜんぜん分かっていないからこそ

いつまでも脱することが出来ないんじゃないかと思っている

これを何故だか優劣で判断しているが、気付いているかいないか、それだけだ


分かっているのであれば、思いつくことを一つ一つ紙にでも書いて、試行錯誤していけばいいだけのはずだ

その上で>>428のように述べた

極めて現実的に考えていけばいいだけだからな

出来そうか、出来なさそうかの判断など、必要条件十分条件を書き出した後だ。「当たり前のこと」だよな?

そして、そういったことが出来ないのであれば、大人しく諦めて世捨て人になった方が気楽でいいだろう?

452 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:06:01 [夕方] ID:???0 (PC)

蛇足だが、お前さんは曲解する癖があるようだ

自分価値観認識が絶対だと思わない方がいいと、少し前にも述べた

決め付けはやめた方がいい。無用な対立を招くし、幼稚だと思われる

極端に捉えているのは>>440自身だよ


>>440がどれだけ自分のことを優れていると思っているのか知らないが

思い上がるのもいい加減にしなさい

あなたより優れている人などこの世には腐るほどいるんだよ

大学に入ってからそれを痛感するのもいいけれど

それを分かっていると言うのであれば、ちっぽけなプライドはさっさと捨てて、そのお子様みたいな話の仕方をやめなさい

それと、仮にそういった話し方を続けるにしても、大学に入るなり結果を示してからにしなさい

じゃないと友達できないぞ!(受け売りだけどな


・・・さて、勉強がんばれよ!

学部選び、間違えるなよ!!

453 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:07:20 [夕方] ID:???0 (PC)

>>444

東大にでも入って奨学金借りればいいじゃない

卒後に少しずつ返してくタイプのやつ

俺もそうしてるし

他大だとしても、とかく奨学金について調べてみるといいよ


治療かもしれないけど

バイトするならコンビニとかがいいかもしれない


>>446

池沼ですが東大生ですwwwwwwwサーセンwwwwwww

でさ、引きこもりだから池沼なら、脱ヒキすればいいだけじゃん


あえて言っておくが、「遺伝的要因がある=遺伝子に異常がある」というわけではない

遺伝がどうたらといったことが書いてある文章では、可能性があると書いてあるだけで、断言はしていないはずだ

断言できるはずがない。そんな合ってるか間違ってるかも分からないようなものを信頼するな

第一、そんなものは、ミームと置き換えても通じる


ところで>>440よ

>>446がお前の擁護するような人種に見えるか?

お前さんが基準にしてるようなのは、マイノリティー中のマイノリティーだってことにいい加減気付け

454 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:2010/06/07(月) 16:08:00 [夕方] ID:???0 (PC)

>>447

脳の機能は未だほとんど分かっていないのだから

「脳に障害がある」の一言で済ますのは、臭いものに蓋をしているだけではないのかね

先天性の障害があったり、交通事故にあったりしたわけでもないだろう

第一、精神病自体を甘えなどとは言っていない

精神病だからといって、それを言い訳には出来ないと言っているだけだ


そうそう、残念ながら生まれも育ちもコンクリートジャングル

強いて言えば、田舎ものじゃなくて原住民だな


>>449

脱ヒキすれば何も言われなくて済むよ^^

2010-04-25

麻生政権時代のすごく簡単なまとめ

  • 理不尽な叩かれ方をしたケース
    • 漢字の読み間違え(これはもはや代表的)
    • 公務終了後にホテルのバーで自腹で酒を飲んだ。
    • 解散しなかった
      • 麻生自身が解散時期を明言したことは一度もない。
      • 解散権は総理大臣に与えられた権利。故に鳩山が解散しないのも問題ない。
    • 人格否定的な報道
  • この国のメディアの問題
    • 出来ることなら「メディアが悪い」ってあんまり言いたくはない
    • 政権交代後も、今のメディアは100日過ぎると、加点報道はほとんどしないようにする。
      • 良いことは小さく扱う傾向にある。
      • 良いか悪いかかグレーな場合は、たいてい悪いと結論付けて報道する。
      • 読者・視聴者に考えさせない(考えない奴も問題)。
        • 党首討論でどっちが勝ったかテレビで決めるなよ。あと発言も捻じ曲げるな。
      • 新聞社が大手通信社の流れに乗ってる気がしないでもない。
    • 衆参ダブル選挙とかまた煽ってる
      • せっかく議席を多く獲得したのに、衆議院の解散なんてするわけないだろJK
      • 結局、金が欲しいだけだろ・・・
      • まるで、成長していない・・・

2010-03-26

国民民主党が理解できなくなっている

ttp://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100316/216110/

 麻生内閣のとき、高速道路の土日割引用の財源として3兆円をプールし、高速道路建設には使わないことを決めた。ところが、なんと、民主党はこの残りの財源2兆5000億円を使って新しい高速道路建設すると言い出した。これはいったい何なのか。

 民主党政権は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズを掲げ、2010年予算公共事業費を18%削減し、子ども手当高校無償化などに充てることを決めた。18%を金額にすると1兆3000億円だ。それを捻出するのに苦労した、と声を大にして言っているくせに、なぜ2兆5000億円をいとも簡単に公共事業である高速道路建設に使うのか。

 言っていることとやっていることがまったく合致しない。

 高速道路建設小沢一郎さんが昨年末政府に要求したことだが、党の言い分に対して政府はなぜ「NO」と言えないのか。

 前原誠司国土交通相は八ツ場ダム問題をはじめ思い切った政策を打ってきた。しかし、なぜ前原さんは、「これは政府の政策と矛盾する」と言えなかったのか。

 民主党が何をしたいのか、どんどん見えなくなってきている。

2010-03-06

コンクリートにも人が張り付いている By伊藤鹿児島県知事

http://www.asahi.com/politics/update/0305/TKY201003050536.html

asahi.com朝日新聞社):20都府県、単独公共事業を増加 国基金や交付金が財源 - 政治

 

そうそう、夏場になると、カエルとかも貼り付いてるよね(違

 

思い起こせば、太平洋戦争が終わってから半世紀の間、

輸出産業外貨を稼ぐ → 公共工事地方へ分配

みたいな感じで国内経済を回してきて、

それで上手いこと行ってるように見えていた。

それを思えば、ここ十年そこらの経済状況の変化で、

一気にがばっとは変われないんだろうなぁ。

 

ところで、その日本経済が著しい成長を遂げていた時代に、

公共工事の担い手たる、地方建設業界とか、

その建設業界に人材供給していた工学界とかに求められていたのは、

スムースお金を流すパイプの役割でしかなかったんじゃないかな。

 

せいぜい、現場を上手いこと回していく工夫ぐらい、

例えて言えば、プロジェクトXの45分枠に収まる程度の

創意工夫とか努力みたいなモンだけが求められて、

それに精一杯応え続けて、日本産業界の今がある、みたいな。

2010-02-28

地球から人類が消えても永遠に残るもの

人類が消えてから…

2日後

水の汲み上げがストップすることにより、ニューヨーク地下鉄は完全に水浸しになる。

7日後

原子炉の冷却水を循環させる発電機の非常用燃料が尽きる…

1年後

電波塔の警告ランプの点滅や、高圧線の電流が止まる。

これにより今まで世界で何十億羽と死んでいた鳥たちが死ななくなる。

燃え尽きた原子炉の周囲に、動物たちが戻ってくる。

3年後

暖房熱が失われた寒冷地では、とうとう水道管が破裂しはじめる。

収縮・膨張を繰りかえした建築物はきしみが出るようになり、屋根と壁の間に隙間ができる。

暖房の無くなった寒冷地では、冬を1〜2度越すとゴキブリが全滅してしまう。

20年後

10年前に雨漏りが始まっていた屋根は、もうすでに消えている。

100年後 線路や道路を支える鉄柱が腐食し、湾曲する。

パナマ運河が埋まっていき、大陸が再結合しはじめる。

野菜は味の悪い野生の品種に戻っていく。

象牙貿易が無くなって100年。50万頭まで減っていた象が20倍に増加。

飼われていた猫たちは野性化し、猫の獲物となった狸、イタチ、狐などが激減していく。

300年後

ニューヨークの橋が落ちる。世界中ダムが枯渇したり溢れたり崩れたりする。

ヒューストンのような三角州に作られた街は流される。

500年後

気候が穏やかな都市は森となり、丘が減り、開拓者たちが開拓する前のような土地に戻っていく。

森にはアルミステンレスプラスチックの食器やら調理器具やらが埋もれている。

ニューヨークコンクリートジャングルは氷河に埋没する。

人間が作った建造物で残っているものは、地下深くに掘られたドーバー海峡英仏海峡トンネルだけである。

3500年後

煙突が立ち並ぶ工業時代に廃棄された鉛が、ようやく土で浄化される。

ただしカドミニウムは75000年後まで待たねばならない。

二酸化炭素の量が原始時代の頃と同じくらいになる。

25万年後

地球自然放射能により、プルトニウム爆弾の濃度が腐食した金属とともに消えて行く。

数十万年後 あるいはもう少しかかるかもしれないが、進化した微生物プラスティックを分解できるようになる。

720万年後

アメリカ黎明期大統領の顔が刻まれたラシュモア山は、隕石地震破壊され、痕跡がわずかに残る程度に。

1020万年後

ブロンズの彫刻や象はまだその形をとどめている。

30億年後

我々が思いもよらない生物地球上で栄える。

45億年後

50万トンの劣化ウランがようやく半減期を迎える。

太陽は膨張し、地球温暖化が進む。

しかしもう数億年は原始生物に似た微生物が生き長らえて行く。

55億年後

太陽は死期に近づき、地球は膨張した太陽に飲み込まれて焼失する。

そして… 我々が流したテレビラジオの放送電波は、まだ宇宙を漂っている。

そう、永遠に……

2010-02-27

ttp://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/50807569.html

昭和2年、小学校で9歳の女の子が同級生殺害

 昭和14年、14歳が幼女2人を殺してから死体レイプ

 昭和17年、18歳が9人連続殺人

 親殺し、祖父母殺しも続発!

 現代よりも遥かに凶悪で不可解な心の闇を抱える、恐るべき子どもたち犯罪目録

 なぜあの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?

 戦前道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!】(帯文より)

え~、戦前のガキはとんでもねえです。

昭和元年~昭和20年くらいまではとんでもねえ少年犯罪が頻発してます。

それこそ酒鬼薔薇金属バット殺人女子高生コンクリート殺人クラス

社会を揺るがす少年少女による凶悪犯罪が毎年毎年発生しています。

人口比を考えても現在の倍以上の頻度で少年少女による殺人事件が起きてます。

「昔は良かった」「昔の子供は素直だった」なんてロクに資料を調べもしない

無知で呑気な老人の戯言です。

ってことを膨大で克明な実証データ新聞記事、裁判記録、警察資料など)から

論理的にも数字的にも明らかにしている。

20年足らず(しかも戦争時代含む)の間によくぞこんなにも酷い少年少女による犯罪があったもんだと思うが、読み進めていくうちにあまりにも酷すぎて麻痺してくる。当時の新聞記事の文体もちょっと時代がかっていたりするのでフィクションの羅列にも見えてくるがすべて実際にあった事件。

事件の羅列だけではなく、現代の若者少年少女社会的風景との照らし合わせも素晴らしく、特に「2・26事件のニート的背景」の項は圧巻。

こういった反社会学テーマにしたテレビ番組があってもいいのにね。

2010-02-10

政治】「自民党政権に亀裂を入れようとしてるのだろう」 永住外国人への地方選挙権付与、8県議会が反対に転向★2

ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1265705854/-100

7 :名無しさん@十周年:2010/02/09(火) 18:01:30 ID:D8d7TwIz0

亀裂を入れようとかそんな次元じゃないから

 

8 :名無しさん@十周年:2010/02/09(火) 18:02:19 ID:7rvzDILG0

自民党政権に亀裂を入れようとしてるんじゃなくて

民主日本に亀裂を入れようとしているのを止めようとしているんだろ。

 

10 :名無しさん@十周年:2010/02/09(火) 18:03:10 ID:pq+3H7oG0

民主党の優先事項

 

 本音>金>コンクリート中国共産党民団>壁>>>>>>>>>>>>>>>>>日本人マニフェスト

 

11 :アサヒる安崎上葉@Free Tibet ◆giKoK4gH6I :2010/02/09(火) 18:03:21 ID:uh89EYDi0 ?2BP(2444)

政権に亀が入ってるから亀裂とな?

2010-02-03

NHKの無縁死を見たが

人生とはクソなんだなとか

若いうちに死にしたいとか

鉄とコンクリートに囲まれている日本住宅が気持ち悪いとか

思うばかりで自分結婚して幸せな老後を作ろうという前向きな考えが微塵も出てこない。

俺は結婚するくらいなら死んだほうがマシだと思ってるんだろうか・・・

2010-01-28

笑みを堪える米軍普天間基地問題

 今、最もホットな話題の1つに普天間基地問題があり、毎日のように新聞テレビ国会質疑で取り扱われている。この問題は自分日記を書いてみようと思ったきっかけでもあって、自分の考えを書くことでそれに対する反対意見感想をできるだけ多くの人から聞いてみたいと思う。要旨を記事の一番最後に載せてます。

 まずはこの問題を時系列で整理する。

(出典:[wikipedia:普天間基地代替施設移設問題]より作成)

 現状、鳩山政権は5月までに移転先を決めると明言しているけれども、候補地であった名護市は反対しており、残り4か月で移転先どうやって決めるのか等々と混迷している状態である。

 この問題の理想的な解決策として次の記事が分かりやすいと思った。

辺野古への基地移転問題に思うこと

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/2010012

 今から沖縄基地を作ること、綺麗な海をコンクリートで汚染することが本当に正しいのか?

 いいえ、全く正しくないと思う。

 地元の人々が反対するのは素直に理解できる。経済活性化目的として基地を受け入れる人が多数いて、事実名護市選挙結果も互角だったではないか!と主張する人もいるけど、経済の問題は基地問題本質ではないと思う。

 経済的に苦しいから基地を受け入れるしかないと決め込む前に、逆に綺麗な海を活かした観光業を興そう!という考えは、自分にとってはしっくりときて、そういう意味では今回の名護市選挙も納得のいく結果であった。

 ただ、現実的に考えると、選挙結果を受けて、この現状にて、最も利を得ているのは米軍であり、逆に最も可哀そうな立場にいるのが沖縄の人々だとも思う。以降、そう考える理由を挙げる。

 今後のシナリオは次のうちのどちらかになると思う。

A.普天間基地から名護市辺野古地域移転する。

B.海兵隊もヘリ隊も普天間基地からどこへも移転しない。

 なぜ、この2案に絞られるのか。政府は5月までに移転先を決めると言っているが、現実的に厳しいからである。辺野古地域に決める時は、候補地から確定(日米合意)に至るまで7年もの月日がかかった。今から5月までに、日本政府も、移転先住民も、そして当然であるが米軍も納得できるような基地移転先が決まるはずがない。国外?もっと難易度が上がる。海兵隊と一緒にヘリ隊をグアム移転しろ?これにはアメリカの合意が必要になるけれどもこれも無理だ。アメリカ普天間基地グアム移転するぐらいなら、合意しないでだらだらと未解決なほうが都合がよいから(後述)である。

 以上の理由で、辺野古移転するか、普天間のまま留まるかのどっちかしかないのだ。

 既にA案が現実になろうとしていることが平野氏の発言から伺える。

稲嶺氏に当選証書 平野氏発言「矛盾している」

http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20100128rky00m010007000c.html

確信犯」「許せない」=平野氏の法的決着発言に反発

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010012700624&j1

 平野氏は明らかに辺野古への移転を考えていると思われるが、彼は他の移転先候補を見学した人物でもある。

官房長官普天間基地など視察 移設先「ゼロベースで」

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100110AT3S0901D09012010.html

 現実を見た平野氏は思ったのだろう。「ああ、こりゃ辺野古しか無理だ」と。一連の平野官房長官の言動は、仮に辺野古への移転が決まった場合への緩衝剤となろう。「やっぱり辺野古移転するのか」と県民はショックを受けるだろうがそれを少しでも抑えるために、移転反対派が選挙で決まって早い段階でそういった発言をしたのではないか。 

 仮にA案となった場合、アメリカ日本に日米合意以上のものを要求するだろう。「日米合意をただ先延ばしした結果となり、発生した維持費や追加費用を払え」とね。

 さて、もう一つ可能性としてあり得るのがB案であるが、これは沖縄辺野古がとても強く反対し、政府がそれを受け入れた場合に起こりうる(可能性としてはA案より小さいと思う)。この結果が沖縄に与えるダメージはA案よりも大きいだろう。

 そもそも、なぜ普天間基地移転問題が発生したのだろうか。理由はいくつかあるが、もっとも注目すべきは、基地住宅地の距離が非常に近いことだ。Google Map普天間基地」と検索してみてほしい。

 一目見て分かる通り、周辺には小学校中学校大学自動車学校が点在している。事故が起こるリスクは絶対にゼロにはならない。だから、早期に基地移転が望まれるわけであるが、移転先について、移転先住民アメリカ日本政府の間に合意が生まれない限り、実現しないだろう。アメリカの視点から見れば、アメリカ普天間基地から移転することに前向きではないので、このまま普天間基地から移転しない案を歓迎するだろう。

 もしB案になるなら、それ以後、こんなシナリオが考えられるだろう。

<ここから妄想

 世論の反対も強く、鳩山政権2010年5月までに移転先を決めることができずに、普天間基地移転計画は凍結となった。それからX年後(Xは明日かもしれないし10年後かもしれない:ブラックスワン)、以前から懸念されていたことであるが、普天間基地周辺にて軍事機が学校施設に墜落した。地元住民は怒り狂い、政府は混乱する中、米軍は次のような会見を行った。「この事故回避する努力をしていました。2005年には普天間基地から移転することに我々も同意しておりましたが、2010年日本側から拒絶されました。誠に遺憾です。」

 議論の結果、早急に移転することで合意に至った。

 さて、移転先はどこにしましょう。

 今回は移転先を選ぶ猶予がない!過去基地移転計画があった名護市しかない!→A案につづく

<ここまで妄想

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 長くなりましたが、まとめると次のようになります。


 まあ、いずれのパターンでも沖縄の人々や日本国民は損しますね。これは戦争に負けたからどうにもならないのでしょうか。残念です。

 追記で思うことは、基地移転に反対している人々には、移転にはいずれにしろ米側の合意が不可欠だという視点が欠落していることっすね。政府移転先を5月までにみつけると言っているけれども、その移転先に米軍が納得する必要が生じるわけです。そこを無視しちゃ何も始まらない。米軍が反対しておしまい

 書き忘れていた。アメリカ普天間基地から移転することに前向きでない理由:

 アメリカ日本から基地をなくすことはありえない。

2010-01-21

気温高い/春の匂い

天気調べたら気温高い!(東京)。

それはそうと、きのうはあの「春の匂い」したよね。

コンクリートの匂いなのかなんなのか、わからないけど、冬から春へ気温が高くなっていく時の独特の匂い。

あれはほんの少しわくわくするね。

2010-01-10

思い起こすと怖い記憶

私が昔住んでたマンションの裏に駐車場があった。

車を止める場所自体はあまりなく、コンクリートで固められているところ以外はちょっとした林になっていた。

工業地帯住宅地で大した公園が無かった為だだっ広いそこでよく同年代の子と遊んでいた。

ある日そこで誰かがスズメ死体を見つけた。しかも首が切断された姿で。

その時の私らは最初動物の死骸にビビるばかりで、その不自然すぎるスズメの死に方に何も違和感も持たなかった。

誰かがかわいそうだから埋めてやろうと言い出し、家からスコップを持ってきて無残な姿のスズメを土にかえしてやった。

(やっぱり怖かったからなるべく触らないようにした)

後日今度はネズミの死骸がまったく同じとこで見つかった。しかもまた頭と胴体が切断された姿で。

その時も私らは不憫に思い、スズメと同じように埋めてやった。

それ以来そこでは何も起こらず、私達も外遊びの機会が無くなったのでそこに行くこともなくなった。

その内私はそこから引っ越して今は別の場所で暮らしている。

でも今だから解るけど、あれは間違いなく人がやったものだと思う。何しろ見事に首だけが切断されてた。

猫や野鳥につっつき回されたり、車に引かれたのだとしたらもっとグチャグチャになっていたと思う。

その後にも車に潰されてしまった野良猫の死骸を見た事があるけど、あの時のスズメネズミはそれと比べると大分綺麗だったと思う。

(首が切り離されている事以外は)

その時私や友人らは小学生低学年の集まりで、そんな恐ろしい事をするような人間が存在するなんて想像も出来なかったけど、今ならありうるなと思う。

マンション内の人間がやったのか、外部の人間が忍び込んできたのかは解らないけど、もし本当にそうだとしたらぞっとする。

でも、人間がやった事じゃないとしたら、それもそれでやだな……こえぇ……。

ふと思い出した、後味の悪い思い出。

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