はてなキーワード: アスリートとは
いや知らんかったね
メガネ5年ぶりに作り直したんだけどなんというかメガネ界がこんなことになってるとはほんと知らなかった
市内のメガネ屋チェックしてたら「超軽いメガネあります」という広告に惹かれていったわけだが、今のメガネフレームというか新素材すごいな!
今はもう5g切る切らないの戦争になってるとか。500円玉(7g)より軽いわけ。
結局EYECLOUDってところのにしたんだけど(フレームの弾力感がよかった)
でついでにサングラスも作ることにしたんだけど(初めて)サングラスってスポーツ選手がすごくしてる理由がよくわかったね。
今までサングラスというとホームセンターで売ってるようなヤツしか知らなかったんだけど、スポーツ用のそれなりのヤツってかけてもあまり視界が暗くならないんだな。一瞬太陽が視界に入ったりしても結構平気。路面とかの反射も結構目に負担なようでそれがなくなるんでかなり快適。
またサングラスコーナーにあったフレームのメーカーが結構意外だったというか(ここでタイトルの話)
アスリートにサングラスが必須ということで複数のスポーツメーカーがサングラスのフレームに参入してるのな
石川遼モデルがあるSWANSも別に出自はメガネ屋じゃないとか
オチはない
というのがtwitterで流れていて、1位が「働きたくない」という正直さに笑ったが、なぜか個人名が結構出ていて不思議だった。
「橋本環奈」「あいみょん」「吉田沙保里」って結局どうしたいんだろう?これが「アイドル」「ミュージシャン」「アスリート」だったら分かるんだけど。
アイドルもミュージシャンも個性がなかったら意味ないだろう。橋本環奈と同じ顔だったら可愛いとちやほやされるだろうけど、同じ顔のアイドルは必要ないし、あいみょんの曲をカバーして歌うだけでオリジナリティーがなかったらヒットする以前にデビューできないと思う。ましてや吉田沙保里をや。「霊長類最強」と言われる身体能力が羨ましいのか、オリンピックで金メダルをとって国民栄誉賞をもらえるという名誉が羨ましいのかよく分からない。
しょせん小学生だから深く考えてないんだろうけど、この質問を中学生にしたらもう少し意味の分かる答えが返ってくるんだろうか?
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47298690S9A710C1X11000/
↑の記事のはてブを見ると「うんこすることが仕事になる」とか「うんこするだけで人の役に立てる」といったコメントがあるけど、お前ら甘いぞ。
飯食ってうんこするだけで楽に金が稼げると思ったら大間違いだ。
■■■■■■
俺のスペック
高卒8年目、大手うんこ製造メーカーの地方工場に勤務(国内で5本の指に入るうちのどこか)
独身(彼女なし)、会社の寮に一人暮らし(光熱費込1.5万円/月)
年収580万(ボーナス4.0ヶ月)、年間休日122日、有給は年20日(仕事ができれば気兼ねなくほぼ100%取れる)
※昨年実績
勤務中はうんこさえすれば他はあれこれ言われない。俺は基本定時帰り。
■■■■■■
まず、排出するうんこの量・質が求められる実力主義の世界だぞ。まともなうんこを出せない奴に対する風当たりはものすごく強い。
※年功序列的な要素もあるが、影響の度合いはそれほど大きくはない
一定水準以上のうんこを出しさえすればそれ以外はほぼ自由だからデキる奴にとっては天国だけど、量が少ない・質が悪い・そもそも出ない奴にとっては地獄だぞ。
日報に「今日の排便:なし」とでも書こうものなら上司の顔がヤベーぞ。生きた心地がしない。
※一応、排便は一週間単位で管理されるので1~2日くらい出なくても全く問題はない(怒られることもない)が、プレッシャーがヤバい。
便秘気味の奴なんか一日中排便室(一応、個室の仕事部屋が与えられる)にこもってイキんでるから、痔が酷いらしい。
うんこすることが仕事ってことは、つまり食べるのも仕事ってことだ。好き放題食って出せば良いってものではない。
食事はうんこの量・質や社員の健康を考慮されたものが会社から支給されるが、不味くはないとはいえ特別上手くもない。悪く言えば「エサ」って感じだ。
俺は食事にはあまり拘りがないから普通に食えてるし何の不満もないけど、食べるのが好きな奴は結構キツそうだ。同期も何人かは食事が原因で鬱になったし、辞めた奴もいる。
もちろん、支給される食事を食べない・+αで何かを食べるのは全然OKだけど、食事が仕事の成果(= うんこ)に繋がると考えたら暴飲暴食するわけにもいかず、節制は不可避。
それが退職まで30~40年続く。
酒飲みはよく腹を下すイメージ(うんこの品質が最悪、消化されていないニラとかコーンとかが混じりがち)だから、社内での評判はあまり良くない。
※そういう意味では飲み会はほぼない文化だし、歓送迎会・忘年会でも最初の1~2杯くらい(飲まないのも全然OK)なので酒が苦手な人は向いてる仕事だと思う。
うんこの質を高めるためには生活習慣も大切だ。簡単に言うと、早寝早起きや適度な運動だな。
食事同様、100%会社に管理されているわけではないから基本的には自由だけど、やっぱり仕事の成果(= うんこ)のことを考えると半強制的にやらざるを得ない。
休日前に夜更かしする奴や、会社以外で全く運動しない奴(一応、最低限の健康管理のために体育みたいな時間がある)は仕事ができない場合が多い。
仕事の質を高めるためにはプロのアスリート並の厳しい生活が求められる、とまでは言わないけど私生活が堕落しているような奴に務まる仕事では決してないな。
・合コンで仕事の話になって「俺、うんこしてるんだよねw」って言ったら確実にドン引きされる(1次会で解散にならなかったことはない)
・親戚が集まったとき「〇〇君、いま何の仕事してるんだっけ?」「はい、うんこしてます!」というやりとりの後、急に話題が変わる。
・職場の先輩の子供が「お前の父ちゃん、うんこ製造機~笑」っていじめられている(らしい)
・会社の寮に嫌がらせ目的(?)で差出人不明の大量のトイレットペーパーが届いたことがある(さすがに笑ってしまった)
確かに給料も休みも悪くはないけど、金や休みのためにやるには犠牲になるものが大きすぎる。
新興産業だけあって世界中で覇権争いが過熱している(IT業界の5Gなどを想像すると分かりやすいかも)。
特に人口が多い国が有利なので残念ながらうんこ業界における日本の世界シェアは低いと言わざるを得ない。
ただ、うんこ製造は食に異常な拘りを見せる日本人の気質とマッチしているのか、日本産のうんこは日本以外の国より圧倒的に高品質らしい。
なので、これからの日本は品質路線にシフトしていくことが予想される(というか、実際すでにそうなりつつある)。
ということで今まで以上に食事や生活習慣に気を使わないと良い仕事ができないので、やはり「うんこするだけで金がもらえる」と思っている奴にはオススメできない仕事だな。
正直バスケはあまり興味がないのでどれくらい凄い事なのか分からないが、今まであまり日本人がトップ集団に入ることがなかったスポーツにおいて、一巡目指名と高い評価を受けることは日本のスポーツ技術向上を表している面もあって非常に好ましいニュースだと思う。
一方でこのニュースで
というコメントが出たことがすごく気になった。(一応言っておくが、この話題について、この人のコメントが特別気になった、というわけではない。)
前々から野球が好きで大谷翔平選手の評価の時にも、こういった「ポテンシャルや期待値」と「結果を出した選手」を同じように評価して並んだとか言われていた事があり、前々からちょっと気になっていたので、この際にちょっと書く。
自分が『ポテンシャル』と『結果』を別に評価して欲しいと思うのは、トップはあくまで結果の世界である事、そして期待値というのは色んな誤謬が混じっているという2点からだ。
(ポテンシャルの誤謬に関しては我々はあまりに目に見える情報、特に単純な運動能力を過大評価する傾向があるように思える。)
少なくとも自分が好んで良く見ている野球の世界ではドラフト1位が必ずしもトップ選手になれるわけではないし、ドラフト下位が活躍できない訳でもない。大学や高校と言ったアマチュアで素晴らしい成績を出した人が必ずプロで活躍できるわけではない。色んな要因があってその中で”結果を残し続けた”人がトップアスリートとしての名誉を手に入れることができるんだと自分は考えてる。だからまだ、数年にわたって結果を出しているような選手と比較は出来ないと思う。
恐らく一番適切な言葉は「ドラフト1位は確かにすごい事だが、それで結果を出した人と比べてしまうにはあまりにも時期尚早だ。」あたりになるんだろうか。
いくつか余談。
年棒ベースで4億も貰ってる!というなら錦織はその10倍(40億)近く、マー君は5倍近くは貰ってるはずだし、(彼もまた評価するには年数が足りないが)大谷は制度上の問題がある。それに4億以上の年棒貰ってるスポーツ選手なら数は少ないが日本野球界にもいるし、年棒ベースでの議論はちょっと難しい所があるのでは?と思う。
「そもそも別のスポーツ選手を比べることがナンセンスだ」というのは非常に同意する一方で、ナンセンスだから話題にするべきではないというのは同意しかねるところがある。そしてこの手の雑談みたいなのはナンセンスで良いのだという気持ちもある。
元がナンセンスな話題だからあまり熱くならないように心がけたいが、他の人にどう見えているのかは自分では分からない。
個人的によく見るスポ―ツは野球とテニスなのでその感覚でプロと言っているけれど、フィギュアスケートはそもそもプロの概念がだいぶ違って羽生選手はプロじゃなかったりするので、バスケットボール(NBA)における「プロ」の感覚については正直全く知らない。各スポーツの「プロ」や優勝と言った言葉は結構違って面白いので、詳しい方は返答する形で教えてくれたら嬉しく思う。
(最近、ボクシングのベルトや大会制覇の意味が自分で思っているのと若干違う事を知った。ボクシングでは3つか4つか団体があってルールも違って色々大変だったりするらしい。)
私は「65歳以上」は、免許を一律返納すべきという立場を取りたい。
なぜ65歳かというと、年金を貰えるのが65歳だから、定年退職する年齢を65歳と仮定しての線引きである。
例えば、トラックやバスの運転手などの職業ドライバーも、定年で「引退」すると考える。
再雇用云々……は今は置いておいて、例えばバス会社が運転手を雇うのは「65歳の定年まで」とすれば、それが運転を引退する年齢にすべきだと思うのだ。
よって、この年金を貰うラインを、一応「現役」か「引退」かの無慈悲に引くラインとして採用したい。
だから、トラックやバスなど、プロ運転手に給料を払う企業に対して、厳密にその「現役」と「引退」の年齢ラインをしっかり決めて欲しい。
安心して雇い、安心して給料を払えるのは、何歳の運転手までか。
職業運転手は、人命や大切な荷を運ぶプロだ。事故を起こされたら会社もたまったものじゃない。
なぜなら、高齢者はどうしても、認知・判断・操作能力が、衰えていくからだ。
60歳から65歳になって、年齢が若返ることはもうない。時間は過ぎる。
池袋の暴走事故の遺族は「少しでも運転に不安のある人は免許を返納してほしい」と訴えた。
私もそう思う。
足が衰え、ガニ股になり、バックなどで腰をひねった際、身体の柔らかさが衰えた身体では足の位置がずれてしまい、
その甘い感覚のまま、ブレーキに添えていたはずの足はアクセルにずれ、思い切りアクセルを踏んでしまう。
なぜなら「ブレーキを踏んだのに進んでいる」→「アクセルと踏み間違えている」→「ブレーキを踏みなおそう」という、
むしろ「ブレーキを踏んでるのにどうして進むの?」とパニックになり、踏み間違えたアクセルを踏み続ける。
その間も、轢いた歩行者を踏み続けていることになる。無慈悲だ。これは殺人と等しい。
「年を取っても元気に運転できる人がいる」とか「田舎では移動手段がない」とか、しまいには「生き甲斐」とか言い出す始末。
要は車を取ったら不便になるから、ギリギリまで運転したいということ。
そして「家族が顔色を窺って、免許返納を遠回しに勧めて」ほしいとか言っている。
なぜそこまで気遣いをしなければならないのか。
であれば、「一律」に「平等」に免許返納の年齢上限を設けるべきだ。
18歳未満は運転できないのと同じだ。
福岡市逆走暴走事故は、事故のほんの十分前はまともに運転をしていたそうだ。
もしかしたら当時意識を失っていた(突然体調不良になった?)のかもしれないと、事故の原因を調査中だ。
高齢者は、いつどうなるかわからないから、運転はやめるべきだという事実が露呈したと言える。
ほんの十分前まともに運転していた人が、一瞬でまともな運転ができなくなったのだ。
それが「年を取る」……ということなのだ。
これが一番言いたいことだが。
「歩行者の命」に関わることだ。
健康寿命の長い、特異な人に合わせないでほしい。
平均点以下……むしろ運動神経の悪くおぼつかなくなってきた人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
運転偏差値なるものがあるなら、30とか20とかの人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
車は、踏んだら動く。
座ってるだけで移動できる。
けれども、最低限「安全な操作」ができる「身体能力」が必要だ。
それは、高齢になるとどうしても不足してくる。スポーツと同じだ。
プロであればあるほど、自分が全盛期の動きができなくなったとすぐに気付く。
自動車の運転にも、職業運転手の定年退職と同様に、年齢に上限を決める。
どうか、運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい。
私はペーパードライバーだ。
45歳までに車を買えなかったら、返納しようと思っている。
45歳以上になったら、ペーパードライバー講習を受けても無理だろうと思っているからだ。
21歳で免許取得したのに、自動車そのものも維持費も高く、いまだに持つことができない。給料が低いのだ。
だからどこにでも歩いていく。汽車に乗っていく。バスに乗っていく。そして歩く。
齢90の祖母、65の父もそうだ。
祖母は免許を持っていない。運転できる祖父が亡くなってからは、ずっと歩いている。バスに乗ったり、バスがなければ歩いている。
祖母のような高齢者でも、車がなければないでなんとかやっている。
父は車の維持費が大変で、55歳ごろ車を手放した。
車を手放したらタクシー代が…という人は、車のほうが金食い虫と言えないだろうか。
父は、バスの通る場所に引っ越したし、祖母は、生協の宅配を利用して日々の買い物は賄っている。
車って、一度持ってしまうと手放せないんだなと、高齢者の誤操作による事故のニュースを見ていて、日々思っている。
そして不思議だ。
実家には車のある時期もあったが、私自身は車を持ったことがない。
そういう人間からしてみれば、なぜそこまで車に固執するのか不思議でならない。
事故のニュースだって、決して交通の便が悪くなさそうなところで起きている。本当に不思議だ。
おまけに、高齢者が若かったころ、そもそも車なんか発明されて間もなく高価で手が出せなかったのではなかろうか。
便利なものはなかなか手放せない。仕方ない。踏めば走る。便利だ。