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2009-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20091128040524

一つの見方として面白かった。

正直なところ、今回の事業仕分けで起きている混乱は、報道を担うマスコミがきちんと己の責務を果たしていないことで引き起こされている部分がかなりあるんじゃないかと思うんだよな(あまりマスゴミマスゴミ言うのは好きじゃないけど)。本当に蓮舫の居丈高な振る舞いだけのせいなのか。

もちろん、事業仕分けWGに全く責がないわけではないだろうさ。けれど、インパクトの強い部分をことさら針小棒大に取り上げることで、利害関係者(ステークホルダー)たる国民を過剰に疑心暗鬼にさせていることは否めないんじゃないか。そのことが、今回、元増田が取り上げたような、実際の議論の微妙ニュアンスを置き去りにしてしまうようなことに繋がってはいないか。

それに、WGのメンバーについて「専門外の素人財務省シナリオに乗っかって、大局を見ずにカネを剥がして回っている」みたいなことがよく言われているけど、実際には、座長はともかくとして、わりと各仕分け分野に対してちゃんと見識のある人間を連れてきてメンバーに入れてるよね。スパコンの件でも金田康正氏とか松井孝典氏とかいたし。

SEではない・・・

ネットワークサーバ系のエンジニアです。

よく自分仕事について他人に説明すると、「それってSEだよね?」って言われる。

自分は大したプログラミングはやらないし、仕事は開発じゃなくて運用だし、

いわゆるSEではないと自分では思っている。

こういう時ってどう説明するのがベストなんだろう。

HTMLを体系的に理解するための7仕様

はじめに

最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去HTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネット王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

HTMLは、表・画像・フォーム・音楽デザインフレーム動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTML包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。

ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界インターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

HTMLを体系的に理解するための7本の仕様

1本目『HTML 3.0』(1995年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。

80年代末にティムバナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイル確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前HTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLインターネット王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前HTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。

このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在HTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。

2本目『Compact HTML』(1998年

iモード世界HTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本技術世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本ガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかしiモードは、真に日本HTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

iモードは、ドコモメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れ世界HTMLファンたちは、iモードWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。

iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外モバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要リレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんなiモードHTMLバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当ディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。

3本目『HTML 4.0』(1997年

正字仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様誕生する。

この時期、情報技術進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。

HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。

W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術デザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。

この仕様HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『ISO/IEC 15445:2000』(2000年

先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。

このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットリニア構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しレベル分けが世界スタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。

またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。

それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。

5本目『XHTML 1.0』(2000年

HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。

この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3C還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。

M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『XHTML 2.0』(2009年

2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトモジラファンデーションオペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。

彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。

XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『HTML5』(2022年?)

最後は、第二次ブラウザ戦争集大成ともいえるこの仕様である。

HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTML歴史というものが全部分かる。

HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様押し出した「オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。

まとめ

以上、これさえ読めばHTML包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、歴史的に重要仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTML流行らす土壌ともなった「フラットリニア構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTML包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。

HTMLSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

世界CSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字仮名にだ。ノジタン日記には、HTML本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。

これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。


元ネタ

漢方薬署名活動に対する疑問

みんなホイホイ署名すぎじゃね?

署名ってそんな軽い気持ちでいいのか?

そんな軽い気持ちで書いた署名に力があるとでも思ってるのか?

正直いって署名したやつも実際どういう問題なのか把握してないんじゃないの?

まあ、俺も把握してないんだ。だからみんなの代わりに調べてみたよ。

詳細は長いので下に書くけど、俺がこの署名活動について調べて思った結論は、

「薬の非保険化を拡大解釈すぎじゃね?

これから具体的に議論していこうって「方向性」が決まっただけなのに、

署名活動とか早急すぎね?」

ってことだ。じゃあそう思った経緯と調べたことを書く。

発端


そもそもの署名活動がいっせいに広まった発端としてはこれだ

漢方処方が日本からなくなるかも知れません」

http://lolocaloharmatan.seesaa.net/upload/detail/image/IMG_0003-af1d4-thumbnail2.jpg.html

「皆さんに緊急のお知らせです。」

http://lolocaloharmatan.seesaa.net/article/133805128.html

なるほど。どうやら漢方に関わる専門の方の考えのようだ。

チラシの重要な点を持ってくると

  • 「仕分けによって漢方薬保険適用外とする方向で結論が下された」
  • 保険適用外になると漢方薬を処方することは不可能になる」

ということだそうだ。

これが文面そのままのとおりだったら大変かもしれない。

俺は漢方は飲まんが、使っている人はたくさんいるのはわかる。

俺がこの文を見たとき、「全ての」漢方薬が適用外になるらしい、と解釈した。

みんなもそうかもしれない。しかし後々わかるがそんな単純な話でもない。

コレは1専門家意見だ。もしかしたら別の考えもあるかもしれない。

そう思って俺は仕分けのソースにあたることにした。今はソースすらネットにある。便利な世の中だ。

仕分け議論内容

行政刷新会議WG「事業仕分け」(2009/11/11・2-5)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8782740

↑市販品類似薬の非保険化に関して(今回の問題に関わる部分)は55分あたりからだ。聞け。

なに?長いから読み込むのも大変だ?

しょうがない、俺なりのまとめになるが、議論で話されていた要点を書き下す。

でもあとでちゃんと聞けよ。俺の解釈が間違ってる可能性がないとはいえないからな。

「市販品類似薬の非保険化すれば、非保険化したぶん薬の利用者の負担が増えるので、

国民的な議論・慎重な検討が必要。方向性もまだまだこれから(方向性すら決定ではない)」

保険の掛かった薬は安く買える分、必要以上に買いすぎるということもある。

その分、国民税金保険料)から無駄遣いを行わせている。

現状の無駄のでる制度はやめて、その分を他の高額医療にまわしたほうが理解が得られるのではないか。」

「やめることで、どの人にどれだけ負担がかかるのかこれから見極める必要がある。

薬ごとに使う人も違っているのでこれから慎重にみていく。」

治療を受けられている方の負担も、保険料を支払っている国民全体の負担も大事。」

厚生労働省の考え方として、保険料の適用範囲は病気や怪我の治療に関わるもののみ。

病気の予防や単に気分が良くなるようなものについては負担はしない。

ただし、一見薬が予防にかかわるだけのもの(治療する薬ではないもの)、

治療者の気分をよくするだけのようなものでも回復に繋がることはある。

そういう事例には保険が適用されている。」

仕分け人15名中11名の同意が得られているので

方向性としては保険外にする方向で。

しかしまだまだ範囲についてなど十分な議論がなされていないので、

これから議論していくことがもっと必要」

(注:仕分け資料によると、高齢者の半分近くが処方された薬を飲み残している。その分、薬に掛かった保険料無駄になっているとのこと。資料の55ページ参照)

http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/pdf/nov11-pm-shiryo/06.pdf

という感じだ。もし俺のまとめ方に誤りがあるなら訂正してくれ。もしくは補足してくれ。

「後発品のある薬価の見直しについて」の話はジェネリックに関することがほとんどで、

「市販薬類似薬は保険外」についての議論は最後の約5分間のみだった。

つまりほとんど議論されておらず、まだまだこれから議論していきましょう、っていう話だ

ここで、上にリンクした仕分け資料をよく読んでみよう。

市販薬類似薬についてどのようなものを考えているかというと、

ビタミン剤・健胃剤・弱いステロイド外用薬・弱い鎮痛内服薬など、とある。

更に下を見ると、「湿布薬・うがい薬・漢方薬などは薬局で市販されており、医師が処方する必要性が乏しいもの」とある。

つまり、仕分け人の考えとしてはこういうことのようだ。


「現状の制度では国民が負担している保険料無駄に使われている部分がある。

保険料無駄(=国民全体の負担)はできるだけ少なくなるように改正したい。

とはいえ、市販類似薬を保険外としたらそれは治療者の負担となる。

場合によっては致命的な事例もあるだろう。

なので、市販類似薬の中で医師が処方する必要性が乏しく、

簡易に安価で入手でき、医療的な重要度の低い薬について保険外とすることで、

治療者の負担は最小限にしつつ、国民全体の負担も減らそう」

という話のようだ。少なくとも俺はそう解釈した。

さらに、具体的にどの薬が治療者にとってどれだけの負担になるかは、

これから検討していくという話だそうだ。

なるほど。仕分けの理由は理に適っているように思える。

保険だって税金だ。無駄は少ないほうがいい。日本お金が少ない今ならなおさらだ。

どうも仕分けの議論を聞く限り、「漢方薬全て」を保険外にしたり、

ましてや「漢方薬が処方できなくなる」という話ではなさそうだ。

せいぜい負担増だ(やったとしてもどれだけ増えるかはまだ未定)。

まあ、ここで署名推進派(=保険外反対派)の意見も見てみよう。

最初の署名の話と随分と違う気がするが、俺の解釈が悪かったのかもしれん。もしくはもっと隠された問題があるのかもしれない。

保険外反対派の意見

どうもいろいろ意見を見ると、署名活動をを広めている大本があるようだ。

これだ。

医師から治療手段を奪う暴挙は許せない」(日本東洋学会 会長 寺澤)

http://www.jsom.or.jp/pdf/opposition/opinion.pdf

中の人が考える漢方の大事さとか、

無駄に長いし仕分けの論点とは違うことが書かれている気がするが、

そりゃあ専門家だからいろいろ思うことはあるのだろう。

まあいくつかポイントを見てみる。

>「漢方薬、うがい薬、パップ剤」の保険外しが答弁されました

この書き方だとまるで「漢方薬全て」の保険はずしみたいにも取れる。

俺が仕分けの議論を聞いた限り負担の少ない薬の一部という解釈だが、

もしかしたらそうでもないのかもしれない。

>「薬局薬店でも漢方薬は買えるものである」との主張~云々

むしろ、薬局薬店で買えるような程度の軽い薬の範囲で、検討するぐらいの話な気がするが・・・。

乳がんとか膀胱炎だとかの漢方薬使用例とか具体的な事例は出されてるが、

そういう医師の処方する必要のある重要そうな薬は今回の範囲外じゃないのか・・・?

まあ、俺は専門家じゃないし、薬の知識はないから

もしかしたら漢方薬というのはほとんどが医療的に重要度の高い薬なのかもしれない。わからん

漢方製剤の保険外し問題は17年前にも議論されたことがありましたが、

>150万人の皆さまから反対署名を頂き、保険外しを免れました

過去にも似たような例があったらしい。へえ。

コレについてはよく知らんし調べてないので誰か教えてくれ。

>消化菅の手術字に大建中湯という漢方薬を用いると~数十万の手術料云々

もしその漢方薬保険適用外になったらそれぐらい負担が増えるらしい

でも仕分けでは手術に使われるような薬や治療者負担の大きくなるような薬まで考えられてないような・・・?

そもそも大建中湯を保険適用外にするなんて話も聞く限りでてないし。

もしかして医療関係者しか知らない事情があって、

その薬が保険適用外になる可能性が高いとかあるんだろうか?わからん

他にもまあいくつか理由やこの人の考えは書かれているので是非読んでくれ。

専門家意見だからな。大事だ。

あと、こんな記事もあった。

医療漢方薬保険適用外 価格が3倍以上治療に支障?

http://www.j-cast.com/2009/11/27054955.html

ここにも日本東洋医学会の意見があった。

日本東洋医学会によると、保険適用の漢方薬は149種類、OTCが200種類ある。

>そして、OTCと同じ成分の適用薬が多いため、149種類のほとんどが適用外になるのではないかとみている。

成分が似ているから、

ほぼ全ての漢方薬保険外になるのではないかと危惧しているようだ。ふむ。

そうすると上の疑問に対しての理由は少しはわかるが、

薬って成分で判断するものなのか?

厚生労働省治療者の金銭的負担や、実際の効能・実態で見てるんじゃないのか?

成分似てても違う薬で治療者の負担が大きかったり、医師の処方が必要な薬であれば、

ちゃんとその辺は検討・考慮して、今回仕分けの対象にはならないんじゃないか?

俺は薬に詳しくないのでいまいちわからん。詳しい人誰か教えてくれ。

そういえば、さっきの記事には賛成派の意見も書かれていて、

>一方、OTCの7割を扱うドラッグストア業界では、保険適用外の方向性を歓迎しているようだ。

日本チェーンドラッグストア協会では、「基本的には賛成」としており、

>近く結論を出す予定だ。その理由として、広報担当者は、

>「健康保険の財源を安定的に維持していくことが必要だからです」と説明している

とある。他にもいくらか意見があるのであとで読んでくれ。

上に挙げた記事以外にもいろいろあるしな。探して欲しい

特に署名した人、これから署名しようって人にはな。

さて、もしかしたら他にも反対派の意見もあるかもしれないが

俺はこの辺で署名する気が失せて力尽きてしまった。

が、俺が反対派の意見現場の実態をよく知らないだけかもしれない。それは是非教えて欲しい

そもそも署名ってなんだよ

最初から思ってたんだが、署名するってことでどれだけの説得力があるんだろう。

なんか過去署名で上手くいった例はあるみたいだけどさ。

ほとんどは詳しい事情もしらないやつの名前が、ずらずらと並んでいるんだぜ?

特にこんな専門性の高い分野なんだからさ。

素人がちょっと調べただけじゃ本当の実態もわかりゃしねーのよ。

俺だって相当時間かけたがまだよくわからんよ。

だからせめて、もっと素人にもわかる説得力のある説明をしてから署名活動してくれよ。

いまの感じじゃなんかイメージ漢方重要性を語られてるようにしか見えないぞ。

論点はそこじゃないだろ?

保険外反対派がするべきことは、署名活動なんかじゃなくて、まずは

現在保険が適用されている漢方薬一つ一つについて、医療的にどれだけ重要なのか、

保険が外れたら治療者の負担がどれだけ増えるのか、具体的にデータで明らかにする」

ってことじゃないのか?

重要な薬は保険適用のままって厚生労働省も考えてるみたいだしさ。

漢方薬」でひとくくりで語るからよくわからなくなるんだよ。

そうすることで署名を集めやすく狙ってるのかもしれないけど。

あ、なんか性急に署名を集めてるのも、署名をたくさん集める作戦なのかもしれないね。

仕分けではこれからじっくり議論をしていこう、って流れに見えるけどな。

まさか2,3ヵ月後に漢方薬保険が外れるみたいな話でもないだろうに。

ホントにそんな署名を急ぐ必要があるの?そんな署名に説得力があるの?

誰か、素人の俺に教えてくれ。

納得したら、俺も署名するよ。

凡人が毎日8時間働いて30万稼ぐところを、凡人の3倍くらい頭が良い人は、同じだけ働いて100万稼ぐもんだと思ってた。

なんか俺間違ってたみたい。

頭いい人は、毎日4時間だけ働いて50万稼いだら、あと遊んじゃうのか。

ふーん。

いや、いいじゃんね、それで。そういう権利があるもんな。

でも結局、顧客が目にする事になるアウトプットは、凡人の1.6倍程度にしかなんないのか。

ふーん。

まああれだ、余暇を使って遊んでくれるなら、その分は世間の金回りがよりよくなる感じ?みたいな?

まあそれでいいか。

ふーん。

いやいやいや、なんか俺、上から目線ぽくね? 頭いい人はそう振舞う権利があるんだよ。それでいいんだよ。な。

バブル社員的な感じだな

http://anond.hatelabo.jp/20091128005012

ttp://bizmakoto.jp/makoto/articles/0910/02/news003.html

無意味に怒鳴ったりとか、あとは自分の方が世間をよく知ってるぞとか、若いもんはとか、いろいろあると思うね。

西洋で例えば年寄り社員に「西洋の若い人ってどうですか?日本だと良く若もんはダメだって怒られるんですよ」と聞くと「うちは後進も良く育ってきているし俺も引退できるかな」って話になる。

http://anond.hatelabo.jp/20091128003000

ああ、失敬

でも彼の音楽が素晴らしいとは思えないんだよねあの時代はよく知ってるけど

まあこういう証言もある、ということで

洋楽が使われてるCMのその曲のタイトルの探し方がわからない

最近よく見るCMなんだけど鼻歌歌うわけにもいかないし

気ままな掌編 2/5

http://anond.hatelabo.jp/20091127020426から続き

け・れ・ど・も。

けれども美樹は見かけ通りの美人じゃない。と言うか、見かけだけに目を奪われていると痛い目に合う。絶対必ず抗いようもなく。何を隠そう、僕自身それを経験してるのだ。そりゃもう悲しくなるほどに毎日のように。

美樹という人間はとんでもない癖のある灰汁を持っている人物なのだ。もうどうしようもないくらいに口が悪い。超絶的に、悪い。いや、そう表現できるのならまだかわいい方だ。一つのキャラクターとして認知され、受け入れられることもあるだろうよ。

美樹は違う。そんなんじゃ済まない。たった一言で、相手の心臓をえぐるのだ。深く深く残酷なまでに鋭く。圧倒的な不快感を植えつけて、それを奥へ奥へとねじ込ませていく。彼女と関わった人たちから、一様に猛毒の舌を持つ辛辣女とまことしやかに噂されている、破壊的な性格の持ち主であるのだ。一度、歩く対人核弾道などという悪名を耳にしたことがあるけれど、あながち間違いじゃないところが恐ろしいと思う。

正直僕は、一度その口が開かれようものなら、どんな人でも必ず顔をしかめることになるんじゃないかと思っている。話が要領を得なければ、たとえそれが話の途中であっても、話者に向かってきっぱりと(それも見下したように)馬鹿と、くだらないことを喋るなと口にしてしまうし、美樹自身が特別関心がないことを滔々と得意気に話しかけて来ようものなら、ど阿呆と心から罵り立ち去ってしまう。あるいは周りのみんなが揃ってお世辞を言っている相手に対して決してその口を開かないし、印象が悪いからと無理に開かせようものならその場を凍りつかせる事態に陥ってしまう。

何も意図して口を悪くしているのではないのだ。美樹は他の人よりも少しだけ思ったことや感じたことを率直に口に出してしまう傾向があるだけだった。

そのことは僕もよく理解している。どうしようもないのだと諦め、放っておくのはよくないと思うけれど、まあそういう人もいるだろうし、それ自体は仕方がないことだとは思う。けれど、その思ったこととか感じたことというのが彼女の場合は厄介だったのだ。血が滴るほどに惨たらしい響きが含まれていることが多々あって、そのことこそが他のどんなことよりも大きな、そして深刻な問題だった。

よくよく綺麗なバラには棘があるなんて言うけれど、多分美樹の場合、ついているのは棘なんてものじゃ済まない。反しの付いた細く鋭い針を、全体的に棘を散らした丸サボテンみたいにびっしりと準備しているのだ。他者を寄せ付けないように。何よりも自衛するために。その切っ先はいつ如何なる時も隠されることなく、絶えず鋭く光を反射している。

「なに。気持ち悪いんだけど。じろじろ見ないで」

……例えばこんな風に。

僕の視線に気がついて、不思議に思うのは分かる。確かに少々ぼうっとしていたから気になることはあっただろうよ。問題はそこからの展開についてだ。例えば、「どうしたの」って話しかけられて、「ああ、ごめん。ちょっと考え事しててさ」って恥ずかしそうに苦笑して、それからこそばゆい会話を交わして穏やかにことが進んでいくことはそれなりに広く世間一般で繰り返されていることだと思う。というか、そう流れを経験してみたい。本当に。切に願う。

けれども、美樹と一緒にいる限りは叶わないのだ。絶対に。絶望的に。現に今だってそうだった。僕を睨んで、顔を顰めて、心から嫌悪して言い放ったのだ。「気持ち悪い」って。かなりひどい一言だと思う。

確かに美樹のことを見ていたのは認める。ええ、眺めていましたとも。いろんなことを考えていたからね。そのことについて、僕には弁明の余地はまったくない。紛れもない事実だった。けれど、実際そうだったとしても、ちょっとばかしカチンとくる。一言、というよりも、いろいろと多いのだ。「気持ち悪い」だなんて言わなくてもよかったはずだし、あからさまな態度にも傷ついた。そもそも、無性に納得がいかない。どうして今日ここに呼び出されたはずの僕が、ここまで露骨な反応を受けなければならないのだろう。

「……ごめん」

なのに、そんな釈然としない思いを抱えながらも、僕は結局謝ってしまう。それほど悪いことをしていたわけじゃないのに、むしろまったくしていない上に逆にされたような気がするのだけれど、美樹の気分を害したことについて謝って、そのまま黙ってしまう。

全くもって不甲斐ない。これまで幾度となく繰り返した行為はいつの間にか記憶に襞に刻まれていて、刷り込みのようにどうしようもなく身体の奥底にまで染み込んでいる。内側から僕の人格を蝕んでいるかのようだ。美樹の前だと、僕はいつだってへなちょこになってしまったような気分にさせられる。

多分僕は、美樹のことがかなり苦手なのだろう。

そんな諦めにも似た感情が胸の奥でぐるりと渦を巻いた。勢いよく成長していく渦は、漂っていたたくさんの浮遊物を容赦なく呑み込んでいく。対照的に浮かび上がってきた気泡が嘆息となって口から出そうになった。

瞬間、美樹の眼光が鋭さを増す。お陰で僕はよそよそしく左右に目を配ることしかできなくなってしまう。

――なんだかなあ。

突き刺さってくる眼差しから逃げながら情けなくそう思った。

(3/5につづく)

2009-11-27

デジタルネイティブ

遠くの誰とでもネットでなら繋がっていて

センスがよく

マスコミ洗脳とは無縁で

情報弱者を笑える立場にあって

非科学的なものは何でもバッサリと切り捨てる事が出来て

自分で問題を解決するよりは、問題の無い所に移動する方が効率的である事を知っていて

わけのわからない精神論呪縛から解き放たれていて

そんな俺らでも、やっぱり社会ルールを作った団塊どもには敵わないのけ?団塊どもに搾取される運命にあるのけ?

2,30年前に比べて環境は飛躍的に進歩したけど、結局、俺らって大した事ないのな。

ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259186877/-50

政治道路ほしいなら「民主応援を」 民主吉田幹事長が陳情の知事らに選挙協力を求める発言

1 :西独逸φ ★:2009/11/26(木) 07:07:57 ID:???0

政府与党はどこか、皆さんもよく理解して欲しい

民主党幹事長室に25日、陳情に訪れた全国高速道路建設協議会会長横内正山梨県知事)の知事らに、

吉田治幹事長が見返りに民主党議員への選挙協力を求めた。

吉田氏は地元で要望を受けた際、「それを言うんだったら民主党を応援してから言ってこい」と発言したことを紹介。

さらに口々に道路建設を要求する知事らに対して「皆さん方はこれだけのお願いをしてこられた。私どもが

受け止めてしっかりやることは、皆さん方も私たちに地域で、どうしっかりして下さるのかということだ」と述べた。

出席した知事の一人は「びっくりした。自民党時代はあんなこと言われなかった」。

ソース

asahi.com  ttp://www.asahi.com/politics/update/1126/TKY200911250469.html

16 :名無しさん@十周年:2009/11/26(木) 07:11:08 ID:+EANz6Qb0

本音ぶっちゃけすぎw

てかこれ大事件じゃないのか

20 :名無しさん@十周年:2009/11/26(木) 07:12:14 ID:XlBjZpqh0

民主になれば利権構造が無くなるとか言ってた馬鹿は腹切れよ

http://anond.hatelabo.jp/20091127215506

よく自己開示して性格を知ってもらった状態で好きになってくれる人と付き合えばいいと思う。

付き合っていく上では性格の相性ってとても重要だと思うので、なぜ性格よく知らないような状態で付き合い始めるのかよく分からん

http://anond.hatelabo.jp/20091127213152

俺は某金融シンクタンクにいたことあるけど、あの辺にいる文系の連中は∫書いただけで恐れおののくからね(笑)

就職するつもりだったらよくよく考えた方がいいよ。マジで

http://anond.hatelabo.jp/20091127202403

民間で研究ファンドを作って証券化する。

ファンド戦略的に研究機関に資金を投資する。

国は研究成果に応じて研究機関にカネをつける。

事後的に研究機関についたカネは投資比率に応じて各ファンドに分配される。

ファンド投資家に分配金を出す。

というのはどうかなあ。

国が事前審査をしなくてよくなる、というだけでだいぶ違う気がする。

利回り低そうだからだめかな。

自信を持つ

よくいうことだけど、自分に自信がない人や、自分のことが嫌いな人は好かれない。

自分が好きじゃないものを、他人が好きになるわけないだろ的な。

私は自分に自信がない。

友達は男女関係なく狭く深くいるけど、異性にはもてない。恋愛対象に見られない。

男友達から言われたのは、自信がないところがだめだと。

たしかになと思った。(性格容姿は置いといて)

しかし自信ってどうやって持つの?

どうやって自分をすきになるの?

一生懸命頑張ったらいいのかな?

ふたりぼっち(くらい)の宗教戦争

そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供砂嵐を見せるか民放馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿テレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。

だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。

ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。

で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京都心カフェ小一時間耳をすませていると、その地元クリスチャンコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。

それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分モチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。

書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎよく分からん

福音派アメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分ボーンアゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。

最近アメリカ福音派政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党オバマ政権取ったし、アフガンベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイ結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教荒し日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディア編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタク絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディア悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。

http://anond.hatelabo.jp/20091127105513

単に演算性能だけを言うのであれば、GPUで構成する安価システムでも叩き出せるってのが、今回のニュース

教えてくれてありがとう。よく分かった。

となると、単純な比較はできないけど、政治的には値切り交渉のネタに使えないこともないということになるかもしれないね。

素人が電機メーカー各社が取るべき戦略妄想する

横井軍平語録

ソニーウォークマンをみて、私はすごいと思います。ウォークマンというのは、ソニー技術力で

しかできないものだったか。決してそうではない。他の会社だって、ウォークマンを見さえすれば

簡単に作ることができたはずです。ところが、ウォークマンというアイディアソニーしか出せなかった」

「売れる商品というのは、まじめに取り組んだらできるんです。最先端技術を使ったら、かえって

売れない商品ができてしまう。だから、「枯れた技術の水平思考」で気楽にものを考えれば、

まだまだ売れる商品が作れるのです」



有名な言葉だが、この考え方は現状でも使えるのだろうか。

例えば、日本企業は、アップル製品群のような横の連携をした総合的な環境サービスとしての売り方、他社製品にもつながるが、純正品で揃えた方がより性能を引き出すことが出来るという考え方はない。いや、あるかも知れないが、デジタルネットワークにおけるコアとなるハブが存在しないか、貧弱なため、うまく行っていない。(逆に言えば、アップルマイクロソフトより酷い独占企業とも言えるかも知れないが)

もちろん、横井軍平思想を体現しているのは任天堂のみだ、という反論は有効だと思うが、他の日本企業が、たまに面白い製品を作る事も事実だと思う。(例えば、デュアルディスプレイノートPCとか)

よく言われている通り、面白い製品が出ても、後がつながらない、戦略的視点がないのだというのは多分その通りだと思うのだが、ではどうすればいいのだろうか?

個人的に一つ思うのは、アウェイであるPCに強力な戦略的拠点がないと辛いのではないかということだ。(つまり、アップルiTunesのように)

例えば、グーグルを見習い、電機メーカー各社がオープンソースであるグーグルクロームを改造した共通のブラウザプリインストールして、そこを戦略拠点(ハブ)とし、例えば、デジカメ画像アップロードが出来るなど、デジタル家電と連動できる前線基地にする。(別にファイアフォックスのアドオンでも、オペラでも良いかも知れないが)

もちろん、インターネットTVにはデフォルトでそのブラウザがついてくる。

当然、PCで使うよりも相性の良い構造にする。

心配なのは、デザインがゴテゴテになることだが、そこら辺をうまく解決して、なんとかならないもんかと思う。

一社でも横の連携がうまく行っていないのに、沢山ある家電メーカー烏合の衆をまとめられるのか?という反論はあるかも知れないが、それこそ、優秀な官僚が主導してやるべきではないか。

仕分けで無駄を省くのは結構だと思うが、ちゃんと未来のための種はまいておくべきではないかと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20091127061550

主観」と「理解」とに分けて説明したらもう少し分かりやすくなるかな。

自分が「世界とはこのようなものである」とか「世界はこうするとこうなる」とか信じていることを主観と呼ぶとして、主観自分や相手のために役立つよう修正し続ける営みが理解。その主観がある程度以上現実世界に即していれば、痛い目を見ずにすむ。物事がうまく行く。理解することに終わりはないの。

例えばどこか知らない場所へ行くときに、普通は300年前の地図は使わない。最近地図を使う。その方が現実に即した主観が得られるので道に迷わなくてすむから。今どきターへルアナトミアを参照する医者はいない。もっと最近研究結果を反映した本で勉強する。

でも仮に最新の地図医学書を参照したところで、現実とは違ったことが書かれている可能性は否定しきれない。もし違ったことが書かれていたら?なかなか目的地にたどり着けなくなったり、患者に間違った薬を投与して死なせたりする。不幸なことだけど仕方がない。出来ることと言えば間違ったあとで自分主観を修正することだけ。地図医学書、そして自分の頭の中に修正を施すわけだ。世界は変化し続けるものであり、人は全知全能でないので、よりよく現実対処するには、間違いをくり返しながら、徐々に自分の信じること(主観)を修正し続ける必要がある。それが理解する営み。

人の心を理解するのも同じこと。人の行動や心理も複雑な上に変化し続ける。仲良く楽しく付き合っていこうと思ったら、一生懸命自分主観バージョンアップし続けないといけない。

あと、「かわいい彼女、かっこいい彼氏幻想を見せあって、楽しく遊ぶ。」と「飾らない素のままの自分を見せ合って好きになる」や、相手をどう理解し、どうお付き合いするかについてはhttp://anond.hatelabo.jp/20091127100306 この増田さんがもっと上手く説明してくれてると思う。

アメリカ新卒就職状況

http://job.mynavi.jp/conts/saponet/businessreport/column/4/4.html

雰囲気がよくわかる。

「現代の学生達は、これからの人生で何度も転職を繰り返し、ステップアップをしていかなければならないのです。不況時の就職活動で、一生安定した職業をと望む学生達の気持ちはよくわかりますが、残念ながら、彼らの人生において、一生安定した同じ会社で勤務できるということはあり得ません。厳しいキャリア人生を歩んで行くには、常に自分のvalue(価値)は何であるかを考え、世の中の状況に合わせて、正しいキャリア選択をして行けるように、学生を指導しています。」

日本とあんま変わらんな。

友達⇔恋人

恋愛や友情について人それぞれ感覚が違うと思う。

私は男女の友情は成立するが過去恋愛関係にあった人とは友達になれないと思っている。

なぜなら一番無防備な姿(肉体的なものだけでなく、精神的なものも含めて)を曝け出したという秘密を共有している仲には、恋愛感情がなくなっても何らかの何かが残っていると思うからだ。

だから、一旦恋人と別れたら友達にはなれない。他人にしかなれない。若しくは寄りを戻すか。

なので、別れた恋人と寄りを戻す目的以外でお茶をしたり食事をしたりするのが嫌だ。

時間無駄と思ったり、あとは過去秘密を共有している独特な甘えのある関係が鬱陶しいと思ったりする。

付き合うという責任を伴わずに、完全な友達ではなく男と女の関係を楽しんでいるようで煩わしく思う。

よく増田では「一旦友達になってしまったら恋愛関係にはなれない」って書いてあるけど、逆もそうだなと思う。

自分は一旦恋愛関係になったら友達にはなれない。

そして自分恋人にも以前恋愛関係にあった人とは友達でいてほしくない。いてほしくないなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20091126145734

現在妊娠7か月。胎動を感じることはできるが、中の子供愛情とかそういうものは一切感じない。

ああ、それ割と普通だと思うから心配しなくてOK

だってまだ会ったことないし、お腹大きくなってきてるとは言え妊娠の実感もよく沸かないし。

ていうか、妊娠した実感ってなに?って感じだし。

胎動も、あ、なんかいるなって感じだし。なんていうの?他の生命体が体の中にいるっぽいみたいな感じだし。

うん、やっぱりまだ会ったことなくて話したこともない人に愛情とか、そっちのが不自然

大丈夫無問題だよ。

愛情が出てくるのは産んで顔見て毎日世話してそのうち反応するようになって、そうこうしているうちに、だよ。

産まれてきても、可愛がる自信がない。親にかわいがってもらった記憶もない。

だいたい、自分子供なんてロクでもない人間になるにきまってる。私の遺伝子を持っている上に、私に育てられるんだから。悲劇この上ない。まともな親のところに産まれたならば、まともな人生が待っているのに。ホント、可哀想。子供は親を選べないなんて。

あ、これも妊婦仕様だね。

妊娠中ってこういう風に必要以上に悲観的になって、今までの自分の親子関係もすごい悲観的に捉えたりしちゃうものなんだよ。

大丈夫。これも普通のこと、妊婦よくあることだから。

でも、産後欝には気を付けて。キツクなったら行政でもなんでも頼って相談するんだよー。

http://anond.hatelabo.jp/20091127114618

それを上から目線といわずして何をいうのwww

主観で決め付ける

自分見解を述べずに人格批判をする

先はそんなに長くないって健常者でも事故で死ぬことあるの知ってるの?

事実に対して仮定を持ち出す

勝手に極論化して、結論の正当性に疑問を呈する。

~以前の発言より~

障害を持っていても普通に生きられるようにするっていうのがまともな先進国ではないのですか。

主観で決め付ける

・資料を示さず持論が支持されていると思わせる

自分に有利な将来像を予想する

欧米3カ国に居住したけど、こんなめちゃくちゃなこと言う人初めて会ったよ

・資料を示さず持論が支持されていると思わせる

税金をたくさん納めないと発言権はないとは思っていない。

自分で話をずらしておいて、「話をずらすな」と相手を批難する。

ごめん面倒だからこれ以上は発言を遡らないが。増田の発言を詭弁のガイドラインに当て嵌めると、いかにうすっぺらいかがよくわかるww語尾に疑問系が多用され、嘲笑を滲ませた文章は、ヒステリック性格が窺えるねぇwwwねぇ何でそんなに必死なの?何でそんなに沸点低いの???wwwwwwwwww

こんな増田一生懸命付き合って、わかりやすく噛み砕いて綴っている増田もいるが、無理だよ、こいつには理解できんよ。だって理解する気が無い。揚げ足とって詭弁で論破して勝利宣言することが目的なんだから。

そんなことより天気もいいし、みんなで校庭でサッカーしようぜ!!

http://anond.hatelabo.jp/20091127110148

capture.sh永遠に終わらないコマンドなのはよくない

とりあえず tcpdump に -c 20 とか付けて、終了するようにしてみる

これでうまくいくなら、内部で tcpdumpデーモン化すればいい

257 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/11/27(金) 07:40:54 ID:PtDPGXte

中小企業TV&新聞大好きでミンス支持の団塊世代社長のジミンに対しての発言

麻生政権誕生直後=「どうせボンボン経済なんて分かるはずがない!」

年末補正騒動=「ほら見ろ!所詮口だけじゃないか!!」

日銀総裁人事問題=「こいつには決断力がないんだ!」

二次補正通過直後=「どうせこんなのを通したって俺たちには恩恵ないだろ?あんな箱物に金をかけるとか…」

都議会選の惨敗時=「これで衆院選もミンスが勝つな!そうすれば新しい日本になって経済が回復するぞ!」

衆院選大惨敗直後=「これで戦後一党独裁の膿が出される!これからは明るくなっていくさ!」

ちなみに其のころのミンス様の報道に対しての発言は

政権交代こそ景気対策」発言=「そのとおりだ!早く選挙をすればそれだけ景気も早くよくなるに決まってる!」

鳩山故人献金問題=「基本的に自分の金でしょ?何が問題あるの??」

小沢秘書逮捕には=「昔を振り返っても仕方が無いんだ!彼しかリーダーシップが取れる人がいないんだから」

と完全擁護体制でこちらが色々突っ込みを入れると逆切れしてしまうので、あえて放置してヲチっていたのですが…

ミンス様が政権を取って早三ヶ月。

経済の悪化&冷え込みはウチの会社のような末端なところには簡単に直撃が来て、

仕事量は去年末の半分になり、その上今取引しているところからは値下げ要求の嵐で、

給料も下がって従業員からは不満が噴出しまくってる状態。

それでも日経一万円を切るくらいのときは「これも前政権からの負の遺産だし少し経てば景気が戻る」とか言っていましたが

現実的な数字を見せられ、最近は流石にマスゴミ事実を伝える羽目になってきている今では、

景気対策もできない、金融対策もできない、かといって将来のことを一切合財考えてない政権で景気がよくなるわけない」

事業仕分け?ああ、日本の衰退を進めているアレねw支持母体に甘く、でも先のことをまったく考えずに自分が理解できない

 ことをみんな切っていって世界から笑いものになってるのを知らないんですかppp」

麻生さんのころにテコ入れして少しは上向いてきたのに、そのテコを軒並み取っ払えばまあ当然だわね」

などと私以外の人からも突っ込みを食らって、でもアレだけミンス支持発言をしていたからいまさら文句を言えず、

下手に反論しようとしてもその材料がないから余計にミンスの無能さを自覚させられるからか…最近はかなり無口になってしまいました。

でもこのままだと年越しは何とかできるかもしれないけど、年度末辺りでかなりやヴぁいことなりそうなんだよなぁ……

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