はてなキーワード: 創造とは
だいたい想像してた通りだった
まあそんなことはどうでもいいけど
会話も自然とインターネットの話をするわけだけど聞き慣れない横文字ばかり言う上に話がつまらん
ソーシャルゲームの話とかの話をするとしても
なんかよくわからん横文字を並べて厳密に言うわけ
んなくだらねー話どうでもいいから
しかも笑い話がない
所詮プログラマーなんて言われたことやってるだけの仕事だからクリエイティブでもないというわけだからつまらん
そんなことないっていうやつもいるけどそれは全体の数%の話だろ
どうせガキの頃からパソコンの前に座りっぱなしで勉強したりの人生だったんだろうな
想像通りなので仲良くなる必要なし
=本来の目的から解放・放逐された結果、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的にその自由を享受する姿勢
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
・島宇宙化
=若者の内向化のことと言われるが、実際は世間が崩壊した結果、寄る辺なく数名の仲間と共に漂流している状態と捉えるべき。
自分のことをアッパーミドルとか言っちゃいつつも不安を隠しきれない女子大生などが典型例。
=社会貢献したい若者の数は増加し続けているけど、まともな社会活動に参加する人は増えてない残念なニッポンの現状
=民衆が持つ独自の規範。これが破られるとリアルネット問わずにいきなり炎上する。
このことを知らないと非常に危険。日本のモラルは肯定より否定の形で表現されることが多い
・親密圏、公共圏
=内田樹が大好きな言葉。彼の脳内ではこれがあれば全ての社会問題解決するくらいの万能薬。
彼の語るこれは、なぜか年功序列的な概念とドッキングしており、ユートピア化している。
彼が批判しているのは常にこのユートピアの実現を脅かす何かである、と考えれば、彼のブログが非常に読みやすくなる
・承認欲求
=若者による、言っていることはわかるがお前の言い方が気に入らない、というふてくされた態度のこと。
逆に言えばほめてやれば簡単に動くのでコツをつかめばこういう若者ほどチョロい。
=友達がいなくても、ネットさえあれば、その気になれば友達は作れるという希望のこと
・近代化
=ムラの外側を創造することなく一生を終えていた村人たちを、
国民や個人という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトのこと。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
嫌になってるのに、執着してしまうのは何故か。
好きだったはずの事が嫌いになるのはどうしてなのか。
自己顕示欲が偏って強いと、やりたいけれど、作ること自体はつまらないのかもしれない。
たとえば漫画家に憧れているのに、実際にはあまり漫画を描いたことが無い人は、
その立ち位置に憧れていて、実際の作業には興味がない。
作業には興味がないから、やってみると辛いけれど、
立ち位置に憧れているので、やりたい思いだけは残る。
・思い描いているものと、実際に作れるもののクオリティーがかけ離れている。
加えてネットの評価は残酷で、箸にも棒にも引っかからない事をまざまざと突き付けられる。
作らないとうまくならなくて、悪循環に陥る。
・実はもうずっと前に飽きているんだけれど、
立ち位置への憧れや、今まで積み重ねてきた時間があって、なかなか断ちきれないでいる。
どんなにステーキが好きでも、毎日ステーキばっかり食べてると飽きるらしい。
僕の場合は、大体こんな感じで、諦めにくい状態になっていると思う。
元の文とこの文章を併せて、好きを貫くのは大変っていう話と、
その好きは幻想かもしれないという話が混じって、まとまらずゴチャゴチャになってる気がする。
例えば絵を描いたり、音楽を作ったりとか。
やりたいなあって思いはあるんだけれど、実際にやってみると、
こんな事やって何になるんだって、むなしい気分になる。
「物を作る人には、自己顕示欲と創作欲が両方ある」という記述がある。
話の本筋とはあまり関係ない文章なんだけれど、胸に引っかかる。
ぼくの場合、自己顕示欲が強くて創作欲が少ないから、構ってもらえないと虚しくなるのかもしれない。
プロアマ問わず無数の作品が日々投稿されるネットの中では、レベルが高くない作品はなかなか構ってもらえない。
ニコニコ動画やpixivを見ると、華やかなランキングの影には閲覧数10以下の作品が山のように投稿されている。
そこでめげずに作れるのは、性格だったり、才能だったりするのだろうか。
憧れはコントロールされたもので、本当の気持ちではないのかもしれないと考える。
新しいアーティストを常に求めている人達の演出かもしれないし、
その中で一握りが選ばれて、世に出るようになっている。
他の大勢は、のせられていて、創造性の被害者が大量に生まれる。
それでどうするか。完全に手を引くという方法がある。
なんだか諦めきれない思いを断ち切って、もう一切何も作らない。
きっと楽だけれど、逃避しているようにも感じられて、決断には勇気が要る。
または、辛い思いを持ちながらやり続けるという選択もある。
やり続けるのは格好良く見えるけれど、のせられ続けているようにも感じられる。
あちらを立てればこちらが立たず、一体どうしたら良いんでしょうね。
あと、創造系のヌルい相互評価サイトとかあったら、結構人集まるんじゃないかなあと思う。
pixivの下の方の人達が活発にコミュニケーション出来るように、システム側でサポートする感じの。
web屋の皆さんどうですかね?
一生の問題
君は、自分が今抱えている問題が解消すれば楽になると思っていないかい?
問題は常に付きまとう。
問題を抱えはじめたのは小6くらいの頃だっただろうか、中学生になれば解決する問題、それは通学路だった。
小学生の一つの楽しみと言えば行きと帰りの歩き道として通学路が制定されていた。
住んでいる区域によってある程度“この道を通らなければいけない”という決められた道程があり、もしその道以外を歩いて登下校しようものなら朝と帰りの学級会で
「○○君が通学路破りをしていました。」
なんて問題にされる。
確かに親や教師達が心配してとの事だというのは解るが、中学生になればこの問題は解決し自由に好きな道を選んで登下校できた。
勿論、中学は中学で自転車に乗ってはならない等の規制があったりする。
常に問題はつきまとう。
高校生くらいになれば早く自分で働いて自分の稼ぎで自由に買い物したいと思うし、大学生になれば内定さえ取れれば等と考える。
係長になれば、課長になれば、部長になれば、役員になれば、いつになっても問題は解決しない。
我々は、問題を解決する為に生きているのだろうか?
結婚をすれば、子供ができれば、子が親元を離れれば、孫ができれば。
いつあなたは楽になるのだろうか? 欲にはキリが無いなんて事を言いたいのではない欲は大きく沢山あっていいんだ。
問題を抱えていている時というものは兎角“これがどうにかなれば後は楽だぞ”と考えやすい。
しかし、それも束の間、お腹が空いて空いて仕方無かったのに、腹いっぱい飯を食べた時の満足感は食事が終わった30分後でも持続するだろうか?
否応なしに課せられた問題もあれば自ら抱え込んだ問題まで様々だ。
そう問題に振り回されるのではなく、問題を制御しコントロールしているという自覚が、問題を問題という言葉から感じる嫌に重たいイメージを変えるのではないだろうか?
自分でしたいと思った事がすぐ簡単にはできない事であれば問題だ、色々とその問題に対し取り組まなければならない。
しかしいくら自分で設定した問題とはいえ過去に誰かが成し遂げた課題であったりすると、どうしても道無き道を突っ走る新雪の中を滑るスノーボードの様な快感は得られない、決してそれが楽とは限らないが先駆者達に寄る補正に補正を重ねられた道であるからだ。
だからそう、君も一つでいい
この宇宙でまだ誰も成し遂げた事のない課題。問題を抱えてみないか?
それはトンデモない事でいい、トレーニングで一輪車に乗れるようになるのと同じようにテレパシーで特定の誰かと会話したいであるとか、誰も作った事のない新しい料理を作るでもいい。
大事なのは常に心にその“自分だけの解決したい問題”を抱え続ける事だ。
とは言っても、その自分用の人生の問題を作るのはけっこう難しい。
生老病死というように、現代の様々な問題が無い遥か過去から、人は様々な問題に苦しんできた。
僕は逆にと言える例えでもないが生老病死の苦しみとは逆に“知想伝忘”の楽しみを一生の問題にしてみてはどうかと思う。
“知る”楽しみ 何かを知ること、新しい知識を得る事は快感である
“想う”楽しみ 何かを考える事、感じる事、思い描く事、想像、創造する事も快感だ。
“伝える”楽しみ そしてそれらの楽しみを他人に伝えて共感を得たならな楽しみを共にする楽しみもある
“忘れる”楽しみ かといって転んで痛かったり、不運や事故は起こりうる。できれば颯爽と忘れてしまえば尚楽しい。
なにかや曲のある宗教臭さがでてきて申し訳ないが
一生、問題は続く
そして、楽ではないのは問題があるからではなく
問題を他者から与えられるからであって、自分で設定していなからという側面が多分にあるからじゃないかと思ったので書いてみようと思った。
かといって、これらの問題と問題と見る事なく、淡々とこなす物として見過ぎると次にはこういった問題が浮かび上がる
“先が見えてしまう”
というものだ、問題が問題でなくなると、なんだか自分の人生を早送りしたくなる。
もっと先へ行きたいもっと早く行きたい、だってどんどん楽しくなるから。
そうすると今度は、時間の流れの遅さにいらだちを覚える。
結局本当に、時間こそ問題なのかもしれない。
いや、この話に突っ込むとやばそうだ・・・
ちょっとほら、もう、こんな私の文章にあなたは何分を費やした?
時間の問題ならば、長い人生たまには時間を見つめなおすのもいいかもしれない
あなたも今夜は色々と詮索するのは止めて暗くして布団に入り目を閉じたら
時間が見えてくるかもしれないww
そして、そうご存知の方も多いかと思うが時間の感じ方は「自由」にできるんだぜ!
だからおれはなんにでも好意を持とうと決めたのかもしれない。
遅い時も早い時も、その時の自分の時間の感じ方を楽しんでみようよ
そうすれば、また次の新しい“一生の問題”が見つかるかもしれない
@awaikumo
まず、「知識は一から学ぶ必要なし」について。
理系知識も、日々更新しなきゃいけないので、脳みそに知識を注ぎ込むのはあまりスマートではないと思う。むしろ、シンプルに「高校以上の教育では常にスマホ持ち歩いてwikipediaなりなんなり検索してOK」とすれば、より安全にあなたの理想に似た状況には到達すると思う。…が、そう思考実験してみて思うのは、「果たしてそれで何ができる?」ということ。「理解」という課程を経ていない知識を「使えるのか?」という疑問は解消されていない。ある特定の実験の仕方を「知る」ことは調べれば可能だろうが、「なぜ」そうするのかという理解を欠けば、次に新しい実験を想像/創造することはできない。「体系化された知識」と、自分の中で知識を「体系化すること」は違う。水泳の理論を知っても泳げるようになるわけじゃない。思考、発想、ひらめきというのは、突き詰めれば脳というこの身体の巧みな使い方ということであって、要するに一種のスポーツだから。
次に、後半の話について。これは、申し訳ないがよく分からない。
年配者が好きなことを好きに研究したりできる「場」というのは、どういう「場」を想定しているのか。定年後の人たちが老人ホームで研究をしてたらいいのだろうか?それとも高齢者が大学に入学すればいいのか?それなら、今でも可能だと思うけど、それが何の「ハードルを下げ」、どういった分野への「人材流入」につながるのか?もう少し説明してほしい。
・・・要するに衛生条件と動機づけ条件をわけろってことでおk?
「人間はネズミではない」という、当たり前の事実が忘れられるとするなら、よくありません。
「動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である」ということです。
例えば、子供に勉強をしてもらいたければ「知りたい!」という動機づけをすることが必要なわけです。
ところが、勉強を「させる」ために、しばしば用いられるのは、誰かに勝ちたいとか、褒められたいとか、ご褒美をもらいたいといった手段としての動機づけです。
この背後にある問題を考えるため、以下、本書の記述をピックアップしてみます。
・アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、
アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供しているのではないかということである。(p25)
・ごく幼い子供たちにはコントロールをもって対することも必要なときがあろうかと思う。
最低の基準として、例えば三歳児がよちよちと表の通りに出て行こうとするのを見過ごすわけにはいくまい。
しかしコントロールに頼る前に、それほど強圧的でなくもっと相手を尊重した世話の焼きかたはできないかどうか、しっかりと確認すべきではある。(p49)
・報酬と罰とは基本的に同じようなものである。現代の社会心理学の創始者であるカート・ルーインが言うように、
両方とも「そのときの自然の場面からは生まれないような行動」を引き出そうとするときに使われる。
さらに、長期間にわたって見るとどちらもまったく同じ様相を示すことが分かる。
つまり、こちらの望むような行動を続けさせるためにはやがて賭けるものを上げ、報酬なり罰なりをどんどん増やしていかなければならないのである。(p74)
・親が子供に、ずっとおとなしくしていれば日曜日にサーカスに連れて行ってやると言ったとする。
土曜日に子供が親の気に入らないことをした場合、親がよく使うせりふは、「そんなことをしているとあしたのサーカスはだめだぞ」であろう。
褒美をご破算にするということの脅しが、罰を与えるという脅しと同じ機能を持っているのは明白ではないか。(p77)
・報酬は、ひいき目に見ても、こういう協力や仲間意識を促進するのになんの役にも立たない。
アメを奪い合うときには必ず「争いと嫉妬」の底流が生じるのであって、それはすでに二世紀近くも前にニューヨーク市の教育者たちがある行動修正プログラムが実施されているのを見て出した結論でもあった。(p80)
・報酬主義の問題は、報酬を与える場合、そもそも問題がなぜ発生したかに注意をすることは全然必要でない、という理由である。
子供が泣きわめいている原因、生徒が宿題をやって来ない原因、従業員が気の乗らない仕事ぶりをする原因を考える必要はなく、ただ該当者を買収するか脅すかして活を入れればいいことになる。(p87)
・「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。
従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合にはほぼ最悪の戦略である。(p99)
・先生は肩をすくめて、「試験に出るよと言わなければ、子供たちは覚えようとしないわ」と言う。
経営者は、キチンとした仕事をさせるためにはボーナスを出さなければダメだと主張する。
親は、子供が誘因なしでも「やるべきこと」をやるだろうと期待するのは現実的ではないと信じている。
しかしもう一度考えてみよう。そういった言い分は通俗行動主義を擁護するものではなく、教室や職場の設定のしかた(あるいは人々がなすべく要請されていること)に何か大きな間違いがあることを示すしるしなのだ。(p123)
褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(p142)
・大抵のおとなが褒め言葉を連発しようとするのはなぜなのか。
褒めることは安上がりで簡単なのだ。
それとは対照的に、技術と工夫と配慮がなければ、人を励ましてしかも今やっていることへの興味を持続させ、その上コントロールされているとは感じさせないようにすることはできない。(p168)
・一般に報酬というものが業績を伸ばすのに役立たず、しばしば業績を妨げることは、いろいろな種類の仕事において見られるが、それは特に創造性を要する仕事において著しい。(p182)
・仕事にほかのもっと重要な面で欠けているところがあると、次善の策として給料の額が重視される傾向がある。
つまり、課題が本当におもしろく意味のあるものでなかったり、自分のやることを自分で選べなかったり、社会的な支持が得られなかったり、自分をみがき自分の能力を発揮する機会が与えられなかったりすれば、
給与がいくらかということに目が行きやすいということである。(p197)
・強調しておく必要があるのは、こうした事情があるからといって、経営者が給料を出ししぶるのが正しいということにはならないという点である。
だれも給料は十分かつ公正であってほしいし、いちばん単調できつい種類の仕事をする人たちは特に高い給料を望むように見えよう。
しかし金こそが人間を動かすと考えることは、人間の動機づけというものを貧しく解釈することになろう。(p200)
・家庭でのものごとを自分で決め、自己決定の感覚を持つ機会を親からあまり与えられていない子供は、学業成績もあまりふるわないということも明らかにされている。=私はそうでもなかったけどな。多分日本のテストはバカ向けなんだな
こうした事実は何を意味するのか。基準を厳しくしたり、点を辛くしたり、誘因を増やしたりすることは、益よりは害になるということについては強力な証拠がある。(p225)
・自分がどれぐらいよくやっているかを気にしている人は、自己概念をかけているということがある。
自分を利口だとか有能だとか思っている自己イメージは、一定の活動水準に達しないおそれがあれば危険にさらされることになる。
そういう自己イメージを守ろうとすると、普通は、自分の最善を尽くしたいという欲求を犠牲にすることになる。
そういう欲求は危険だと思われるのである。やらなければ失敗もしないわけだ。(p233)
望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう可能性があるのです。
僕たちは、これを慎重に回避するための方法を学ばなければなりません。
「うれしいな、月曜日だ」と思える人生を、より多くの人に実現してもらうということが、教育に関わる人の責務であり、それは人生をかけるに値するものです。
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「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。
ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。
彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。
というか、そもそも自分が宗教団体に属しているという認識が薄いようです。
あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。
彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学のグループだった、とかその程度らしいです。
社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。
そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。
以下「救世の法」から面白げなところピックアップ。別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ。
世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました
幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています。
世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。
・人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります。
しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます。
地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。
上記の真理に反すると地獄に落ちてしまいます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。
霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教の役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。
エル・カンターレは世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。
魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドのブッダを越える大きな使命を持っています。
そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。
私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。
なぜなら、私は創造そのものだからです。私はこの地球の創造力の顕現であり、この大宇宙の創造力なのです。
これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。
クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。
他力の宗教のマーケットは自力の宗教の十倍あると言われています。
わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります。
2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。
この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります。
この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。
店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています。
本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。
地球はやがてフォトンベルトから出ます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います。
むしろフォトンベルトが地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。
国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります。
本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、
これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。
今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく
日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。
アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。
こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています。
漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。
しかし幸福の科学の経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます。
信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。
わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります。
また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。
死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分も存在しないのですから何の損もないでしょう?
わたしの言葉を信じる人の場合、あの世があるときの利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。
親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。
幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法、理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。
慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。
そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。
そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。
慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。
そのために人はみな修行をする必要が有るのです。
さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。
ミハエルとムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。
九次元霊マニがゾロアスターにアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。
霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本からは松下幸之助と坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!
争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。
読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め。
幸福の科学グループのご案内。
主な活動は以下のとおり
「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア」
「学校法人 幸福の科学学園(滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。
「幸福の科学出版」
入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。
このあたりを流し読みして使えそうなところを選ぶ予定
できる人、採れてますか?―いまの面接で、「できる人」は見抜けない 川上 真史
人事のプロは学生のどこを見ているか (PHPビジネス新書) 横瀬 勉
伝説の人事部長が教える!「できる人」「できない人」を見抜く面接術
「小さな会社」でもすぐ使える!「会社を伸ばす人材」を見つける採用面接マニュアル
日本人事 NIPPON JINJI
地域を変えるデザイン――コミュニティが元気になる30のアイデア
Webシステムとは縁遠い事務職のリーマンが、ある日思い立って、ニッチな用途の検索エンジンサービスを作ってみたので、ちょっと書いてみようと思います。
ちなみに、検索エンジンといっても、googleカスタム検索とかのお茶濁し系じゃなくて、apache Solrというオープンソース検索エンジンを、VPS上で動かしているという、それなりに本
気度の高いものです。
なんで素人がそんな物騒なものを動かす羽目になったかは、後述。
やりたい構想みたいなことを思いついたのは、もう6、7年前ほど前のこと。初めて独り暮らしを始めたときに、ひどく不便を感じたことがあり、こんなサービスがあったら便利だなあ、
ちなみにその妄想をふと高校の同期に話したとき、そのサービスはどこにあるのか?!と、えらくがっつかれたのを、覚えてます。まあ、俺と同じく偏執狂の奴だったからだと思います
が。
ただ、しがない事務職リーマンということもあり、当然、技術も無く、そのときは、やるならこんな名前のサービス名だろうなあ、とか、そんな妄想レベルで、話は終わっていました。
そんな感じで、5年ほど月日は経ち、なんとなくリーマン人生の流れも見えてきたところで、以前、妄想していたことを、ふと思い出しました。
5年も経ったら、さすがに自分が考えたようなこと、誰かがやっているだろうと調べてみたところ、意外なことに、競合になるようなサービスは存在せず。ちょうど異動があって、少し時
間が出来たこともあり、じゃあ、着手してみようかと思い立ちました。
やりたいことは、大手サイトの情報検索。ただ、商品ページ内の特定情報、それも、商品ごとに正規化されていない表記を、正規化して抽出する必要があったので、大手サイトの既設API
だけではとても実現不可能でした。
まあ、だからこそ、5年間、誰もやろうとしなかったんでしょうが。
ということで、とても一発では解決できなさそうな内容だったので、自分でなんとか実現できそうな機能に細分化して、各個撃破していくことにしました。
随分と考えた結果、
以上に区分できると考えて、これらを各個撃破していくこととしました。
また、技術もなく、プログラミングも出来ず、ましてやlinuxサーバのお守りをしたことなんて当然ないので、インターネット上に置くサーバですべての処理を完結させるのではなく、イ
ンターネット上に置くリソースは最小限に留め、できる限り、勝手がわかる自宅のwindowsパソコンで処理を行うことにしました。
ちなみにさらっと結論だけ書いてますが、ここまで至るまでに、いろいろと調べ続たり、考え込んだりしていたので、思い立ってから3ヵ月は掛かってます。。。
さて、やる方針を決めたあと、はじめに着手したのは、要の検索エンジンサーバです。
いろいろとググって調べて、mySQLというやつか、apache Solrというやつかに絞りましたが、結局、Solrを使うことにしました。
MySQLのほうが実績は多そうだったのですが、Solrのほうが検索専門で、滅茶苦茶動作が速いらしいということ、MySQLでも出来るが特に速度が遅いらしい全文検索機能も使いたかったこ
と、あとファセット機能がジャンル絞りこみに便利に使えそうだったので、というのが理由です。
ちょうどSolr本が発売されていたこともあり、それを参考に、自分が使うように設定ファイルを変更していきました。
しかし、初めは設定ファイルの内容も意味不明な上に、私の書き方も雑なのか、少しいじっただけでまったく動かなくなる。結局、設定ファイルを一文字ずつ変更しては動作検証、とい
った始末で、進捗は地を這うよう。ある程度思い通りにSolrを扱えるようになるまで、3ヵ月以上掛かったでしょうか。。。
さらに、検索エンジンのフロントエンド(Solrの検索結果を、htmlに変換するプログラム)も書かなければならない。プログラミングが出来ない人間には、これが本当に辛かった。
Solr本に、いろんなプログラミング言語でサンプルがあったのですが、迷った末に、わずか数行なら書いた(≒コピペした)経験があるという理由で、javascriptを苦渋の選択。
しかし、選択はしてみたが、基礎が本当に無いから内容がサッパリ頭に入ってこない。こちらも、わかるところから本当に1文字ずつ変えていくといった手探り状態。
プログラミングについては、今回のためだけだから、といった理由で、一切基礎をやらずに着手したのが裏目に出たのか、サンプルのソースをモノにして、書き上げるのに、ゆうに半年
以上。本当に時間が掛かりました。
さらに、Solr周りで計9ヶ月間ハマっていた頃、忘れもしない、kanzen21のおっさんが彗星のように現れて、衝撃を受けることになります。
大手サイトのページをクロールして検索エンジンを作る手法は、私と考えていた構想の枠組みとまさに「完全に一致」な訳で。。。
図書館事件に注目していたのも同じで、あまりの一致具合に衝撃を受けっぱなしでした。
その後の成り行き等も含めて、興味深く観察させて頂き、本当に参考になりました。
そんな感じで紆余曲折もありましたが、ようやく難題だった、プログラミング関連に目処が立ってきたので、あとはクローラと肝心のデータ処理です。ここからは、勝手知ったるwindows
まず、クローラですが、専用のクローラをwindows用に探してきたり、それを設定するのも大変なので、今回はテレホーダイ時代に使っていたような、フリーのweb巡回ソフトを利用する
こととしました。指定のhtmlをダウンロードしてくるだけなので、別に変に新しいものに手を出す必要もないので。
また、ダウンロードしてきたhtmlファイルについては、これまたフリーの日本語処理ツールでcsv方式に加工することにして、処理ルール部分を相当に作り込みました。
このあたりは、全体を通して見てもキモの部分なんですが、ある意味、ちょっとしたパズル感覚だったので、プログラミング言語の部分と違って、かなり楽しかったです。
あとは、msdosのバッチファイル(これは前から知っていた)で、これらの処理を繋ぎ、cygwinのcurlとかいうツールで、連続して検索エンジンサーバにcsvファイルをアップロードする
仕組みを作りました。
検索エンジンサーバには、容量は少ないが、安くて高性能という、今回の用途にピッタリだった、さくらのVPSを借りて設定。CentOSのサーバ構築ホームページを見ながら、サーバとか
Solr管理URLとかにセキュリティを掛けて、こちらも素人ながら、意外とすんなり設定。
ホームページは、vpsサーバに相乗りさせるのではなく、別にさくらのレンタルサーバを借りました。apacheの設定方法等を習得する必要がありませんし、vpsのリソースをapacheと分け
合う必要が無くなるので。ホームページのhtmlファイル、cssファイル等も調べながら設定し、画像も準備しました。
あと、構想を思いついたときに妄想していたサービス名の.comドメインは、すでに他者に取得されていたのですが、どうも使っている風にも見えなかったので、whoisで出てきたメールア
ドレスに連絡して交渉し、幾ばくか払って買い取りました。
結局、足かけ18か月。ようやく完成。
楽天市場の家具を、幅x奥行x高さ(家具サイズ)で検索できる、楽天市場・家具カテゴリ専門の検索エンジン
この商品数規模(データ収録約30万アイテム)で、1センチ単位で家具のサイズ指定検索が可能な手段は、商用サービスも含めて、ほかには存在しないと思います。
kanzen21と違って、エロじゃないから華はないけどね。。。
ちなみに冒頭で少し書いたきっかけですが、就職して独り暮らしを開始したときに、新しい家にピッタリサイズの家具が欲しかったのですが、これが楽天で探すのは至難の技でして。
楽天で家具を探してみようと思った人には判っていただけると思うのですが、楽天では、価格では範囲指定やソートができても、サイズでは検索出来ないんです。
これは、楽天では、商品のサイズ情報は商品の自由記述欄に記載することになっているためで、商品ごとにサイズの記載方法がバラバラのため、検索が事実上、不能となっています。
家電製品とかに関しては、種類が少ないこともあり、メーカーのホームページとかでサイズを確認した上で、商品型番で検索すればいいので、それほど問題にはならないのですが、家具
って、種類が非常に多く、型番もあったり無かったりで、家電のようにサイズを調べることができません。
・・・ということで、カグサイズでは、楽天の商品ページにいろいろな書式で書かれているサイズ情報を拾って解析して正規化し、範囲指定やソートして検索ができるようにしています
。
また、単に寸法サイズを拾うだけでは、梱包サイズとか引き出し内寸とかも引っ掛かってしまうので、それらは出来るだけ排除して、商品の外寸が優先して引っ掛かるよう、アルゴリズ
ムを調整しています。
単位(センチとミリ)に関しても、商品ごとにバラバラ(単に単位だけでなく、商品説明のどこに"センチ"とか"ミリ"と記載しているかについてもバラバラです。)なので、サイズ表記
の前後の状況をみて、正しいと思われる単位で拾うようにしています。
あと、変わった使い方としては、欲しい家具の価格比較みたいなこともできます。
家具は、同じ商品でも、店ごとに型番が違ったりすることがよくあり、簡単には価格の比較が行いづらいジャンルの商品です。
しかし、型番は違っても、同じ商品なら原則、サイズは同じですから、欲しい商品とまったく同じサイズで検索をかけると、同等商品があるのかどうか比較しやすい・・・といった使い
方もできます。
と、そんな感じで、しがない事務職リーマンが作ってみた、ニッチな用途の検索webサービスを、サービスインさせて頂きました。
一般に公開されていて、誰でもアクセスできる情報でも、ニーズが有りそうな切り口の条件で検索性を高めれば、新しい価値を創造できるんじゃないかという実験です。
もしよろしければ、ぜひ、使ってみてくださいー。それでは!
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クリエイターが思い上がってるのではないか、という増田の意見には同意。
俺が異業種から出版業界に転職した時に猛烈に感じたのがその種の「思い上がり」。
「俺たちは雑貨を作ってるんじゃないぞ。文化を創造してるんだ。 舐めるなよ」
20代、30代はそこまでバカじゃないけど、やっぱりその手の根拠のないプライドがやたらと高い。
ただ、エントリの後半で、増田が今話題の自炊代行業者への提訴まで、思い上がりのなせる業だと判断したのには同意できない。
昨今の書物の電子化を求めるネット利用者からの声は、確かに大きい。
音楽のダウンロードが安易に出来るようになった結果、人々が音楽にお金を払うことをバカバカしく感じるようになった。
音楽業界にお金が落ちなくなり、業界人が食えなくなり、業界に余裕がなくなり、面白い新人が育たなくなり、大手の寡占化が進み。業界自体が衰退して、愛好家以外が音楽を聞かなくなった。
必ずしも安くて便利にすればいいというものではないのだ。
という理由で電子化が進み、出版業界にお金が回らなくなれば、良質な活字文化は崩壊する。
それは文化の繁栄に、結局は繋がらない。
なくて困る類のものではない。
市場の短期的なスパンと文化育成のために必要なスパンはあまりに周期が異なるからだ。
デ・ビアスという会社が世界のダイヤモンド市場を牛耳り、価格統制を敷いている。
しかしそのために、価格の値崩れが起こらず、業界全体は繁栄を謳歌している。
出版物を電子化から守ろうとするのは、業界にカネを還流させるために必要な行為であって、出版業界関係者の思い上がりとは分けて考える必要がある。
ただ作家達も、書籍の電子化自体に反対すればいいのに、そこに反対すると、頭が古いとか利己的だとか思われるのを嫌ってか、自炊代行行為にのみ反対し、その根拠を「書籍への愛」などという感情論に持っていくから、下心を隠しているようで、人々の支持を得られていない。
残念でならない。
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編)) - P・F. ドラッカー
イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか (はじめて読むドラッカー (社会編)) - P.F. ドラッカー
チェンジ・リーダーの条件―みずから変化をつくりだせ! (はじめて読むドラッカー (マネジメント編)) - P・F. ドラッカー
テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編)) - P.F.ドラッカー
新訳 見えざる革命―年金が経済を支配する (ドラッカー選書) - P.F. ドラッカー
[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書) - P.F.ドラッカー
起きてから寝るまで英語表現700 完全改訂版 - 吉田 研作
以下はショッピングカートに入れておいたけど買わずに削除することにした作品一覧。(☆はAmazonじゃなく書店で買った本)
◆社会
第三の波 (中公文庫 M 178-3)
富の未来 上巻
レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる
いま〈アジア〉をどう語るか
☆困ってるひと
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
チーム・ファシリテーション 最強の組織をつくる12のステップ -
チーム・ビルディング―人と人を「つなぐ」技法 (ファシリテーション・スキルズ) - 堀 公俊
白熱教室の対話術
ご機嫌な職場
ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ロジカル・ディスカッション
☆ディシジョン・メイキング―賢慮と納得の意思決定術
☆話し方入門 新装版
◆マネジメント論
なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓
◆人事・モチベーション論
「見せかけの勤勉」の正体
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか? (アスキー新書)
「働きたくない」というあなたへ
日本人事 NIPPON JINJI~人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ~
会社は変われる! ドコモ1000日の挑戦
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
「発達の最近接領域」の理論―教授・学習過程における子どもの発達
心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉
☆わたし、公僕でがんばってました。
◆自分の演出
あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫) -
対話のレッスン
演技と演出 (講談社現代新書)
見城徹 編集者魂の戦士―別冊課外授業ようこそ先輩
「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)
パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス; 単行本
「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン
◆その他
幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論
残念な人の仕事の中身 ~世界中の調査からわかった「組織で評価されない人」の共通点
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール
新・絶望に効く薬
千の顔をもつ英雄〈上〉
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
☆料理の四面体 (中公文庫)
結ぼれ - R.D. レイン
あるヨギの自叙伝
◆読み物
☆ダイナミックフィギュア〈上〉
☆ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)
MOTHER(マザー)―The Original Story (新潮文庫)
☆空の都の神々は (ハヤカワ文庫FT)
ゼウスガーデン衰亡史
生贄のジレンマ
Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)
塩壷の匙 (新潮文庫)
☆姫椿 (文春文庫)
☆お家さん〈上〉 (新潮文庫)
ストレンジ・プラス 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
聖なる血 (扶桑社ミステリー) - トマス・F. モンテルオーニ
スノウブラインド - 倉野 憲比古
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION
ソドムの百二十日
悲惨物語
そりゃ、国内の状況をガイコクジンを使ってまで「頭おかしい」と言う奴は、世界全土どこでも同じ状況があれば「頭おかしい」と思うだろうな。
本当は、日本国内の風潮として「他人」にも頭がおかしいよねって言って貰いたいんだけど、「この程度の低線量問題ない」って論調だから、
「外国」とか例示しようのない妙チクリンな「他人」を創造するわけさ。
別の視点として、元記事で重さがどうこう言っているのは、単位が「Bq/Kg」だから。
例えば、9万ベクレルはラドン温泉の温泉水約9リットル程度の放射能の量。(放射線ではない)
温泉水9リットルは、水が重いから「1万Bq/Kg」になるけど、水が軽かったら(9リットルで1kgなら)「9万Bq/Kg」。
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
ほとんどの僕らにとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、とにかく1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
私は記事元のおっしゃる通りオタクオカマです。気持ち悪いと言って頂いてどうもありがとうございます。
今後もそう致します。
私は皆と同じが嫌です。
「http://anond.hatelabo.jp/20070927065044」の人とトラックバック欄に書いている人達は多様性がない人達です。
死んでほしいやら精神異常者で隔離しろやらの差別は残念に思います。
異性愛の男は群がり、皆同じ部品のような競争に行くでしょうが、女性的で自身を護る同性愛の男性はそのような競争は降りて他の道を見つけて創造的な道を創り出す人が多いでしょう。
私を含めた同性愛、ゲイは部品的な男と女、老人、中年、若者、子供を踏み台にしてクリエイティブな方向に向かいます。
http://anond.hatelabo.jp/20111208222023 についてふろむださんより以下の指摘あったので並べ替え。
1から順番に上から今の仕事に適用していってはだめ。これを2→5→7→6→4→3→1の優先順で今の仕事に適用して見直すのがお勧め。
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
ほとんどの僕ら社畜にとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、とにかく1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
こういうことは本来は誰もが理解しておくべき基本中の基本なのだと思いますが、そうはいってもその基本をわかっていない人がいた時、この基本をどう伝えるかというのは結構大事だと思います。
ネックになりそうな部分から潰して行って、「時間を区切って仕事をする」ことができる様になる状況を作る。
そうしないと、「時間を区切ってやる」と思っていても、いろんな都合でだめになってそのうちヤル気がなくなる、そういう問題を防ぐ、と。なるほどなー。
日頃から、ライフハックは役に立たないわけではないが、できない人間が実行できるようになる過程をを念頭において書かれていない点について批判的な氏ならではのご指摘といえるかと。
フロムダさんがこういうことを書いているわけではないので注意。
要するに、みんな「時間を区切ってやる」ことの重要性はわかっていても、それを実行することの困難さを十分に認識していない。
できる人なら当たり前にできるから1番手においてくるのだけれど、それができるようになるために、ステップを踏んで行こうという事だろうか。
また、業務の遂行には言うまでもなく意思決定者の存在、意向が先にたつわけで、それは本人が必ずしも自由にできるわけではない。
その部分が明確でない、伝わっていない、という問題は、双方向の問題だろう。この部分を、MBAで学んできて、マネジメントを志す人間が軽視しているというのはダメなんじゃないか。
数字や効率だけで物事を測り、働く人のことを理解せず、自分の思い通りにならないことはただ嘆くだけ、というのは頭でっかちで融通がきかなさすぎるだろう。
さしずめ、プレイヤーとしては優秀だがマネジメントができない上司の3要素、とか並べると
・理屈を論理的に説明できてもけれど、部下を納得させて動かすことができない。
・マネジメント上の問題もすべてその人のやる気や自己愛の問題に還元して自分の問題とは考えない
で、結論としては「自己愛がない」に対して「部下への愛がない」とか「自分がうまく行ってる限り現状に疑問を抱かない」=unlearnできないいう感じになるだろうか。
繰り返すけれど、↑は私が勝手に思ったのでフロムダさんはこんな事言ってないですので誤解のないよう。
ライフハックとか自己啓発とかの記事の中には、単に昔から上司が部下に教えてきた「普通の仕事の常識」のポイントをまとめたものにすぎないものも多くって、それって、どこが啓発でどこがハックなんだよ、単なる新入社員教育じゃん、みたいなところがある。
能力の高い上司が丁寧にやり方を教えても、能力不足の自分のやり方に固執して仕事ができない部下は、自分よりも能力の高い人間の能力の高さを認識する能力がないか、プライドが高すぎて自分の能力不足を認められない人。前者だと絶望的。後者だと生き方を変える必要があるがそこまで上司の役割なのか?
元記事は伝え方がダメダメだったのと、それに対する対処を投げ出しているような印象を与えたために批判を受けただけで、考え方自体は間違ってないんだろうなぁ。
上司が部下に踏み込み過ぎるとすぐパワハラとか言って逆ギレすることが許されかねない時代に、上司にどこまで責任を持てるのかってのは考えてみると難しそう。
早川教授の問題と含めて考えたい。 もうそんだけ部下が仕事もできなかったり迷惑をかけておきながら自分の権利だけは一丁前に主張して指導を拒むのであれば、
もう面倒見切れないから全部自己責任でいいんじゃないかな、と思う上司の方がいても責められないかも。
こういう時代だと、上司が部下の期限をとってまで気持ちよく仕事をやらせるなんてのは不可能だ。
部下の側からすれば、なんとかして上司のリソースを自分から模擬取りに行く必要がある。
ならば、本当に学ぶ気概があるなら積極的に部下の側から上司にその姿勢を示し、役に立つことは受け入て実行するところを見せるべきだろう。
そういうのを漠然と表現すると、素直さが必要だ、って話になるんだろう。
ただし、部下側が上から見たら「素直な」態度を心がけるのは「自分が生き残るために必要だから」だろう。生存戦略だ。
生きるための必要に応じて自己変革するのであって、それは性格の問題ではないと思う。選択の問題ですらない。これができないやつは生存本能が壊れているとすら言えるかもしれない。そのくらい言い切っても良いのではないかと思う。
きちんと現実を示して危機感を持ってもらった上で、態度は心構え次第で変えられるし、ヤル気のある部下には上司も応えるよって姿勢を示す必要がありそうだ。
って偉そうなことを書いてはみたけれど、難しいなー。私も役職持ちではないけれど、後輩の指導でよく悩むのと、昨日「灼熱の小早川さん」読んで色々思う所があったのでだらだらと書いてしまいました。
今ホッテントリになっている この記事『仕事が遅い人の共通項』http://tirrano.com/?p=1543 は的外れだ。仕事を速くこなすためには「素直さ」のようなことはどうだっていい。むしろ邪魔ですらある。仕事の速さに精神論は邪魔でしか無い。もっとシンプルな方法で仕事は速くこなせるようになる。具体的には以下の7つのポイントが有効だ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
ほとんどの僕ら社畜にとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
以上を意識すれば、少なくても仕事のスピードで遅いと思われることはないはず。少なくとも僕はそうだった。最後は僕の大好きな時間に関する名言で締めようと思う。