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はてなキーワード: 善意とは

2012-02-15

Gumroadは新たな転載ビジネスの場となるか

今、Twitterでは日本でだけ話題なGumroadについて。Gumroadってのは、お手軽なクレカ現金からカジュアル転載でのお小遣い稼ぎまでが期待できる、出来たてホヤホヤの新しいサービスです。で、今回はその悪い使い方を考えてみようかと

Gumroadの新規性…は余りないんだけど、一番の既存システムとの違いは「購入のURLクローズドに近い」ってところで。所詮オープンWebなんで、その気になれば掘り当てることは出来るけど(購入ページのurlは確認出来た範囲で最大5桁の英字の文字列だった筈)、トップから一覧が見れるとかそういうことはないので見つかりにくい

ということで、簡単に分かるけどそもそも無断転載されたページを発見しにくい。これは転載する側からしたら非常にメリットが大きいことかと

次に、中身が分からない

サムネイルですら、関係ないものを設定出来るので、偽装さえしてしまえば「知らない人間からしたらスルー対象にもなりやすい。中身が何か分かるのは、転売の場の買う側と、Gumroadの運営だけだ。だから、片っ端からチェックして善意通報をしようにも、中身を確認することが出来ないのでかなりハードルが上がる

で、そもそも権利から以外の通報は受け付けないというスタンスが明示されているんで、善意通報ってのが成立しない。権利者に連絡して、その権利者が動ければ良いけど、ここでまた向こうは英語だったりと面倒なことになる

ということで、売る場所と対象さえしっかりと考えられたら、簡単に転載を金儲けに組み込めるんじゃないかな、とか。別にPayPalでも同じことが出来ただろ、とか言われそうだけど、売るurl自体はGumroadものなので、よりカジュアルにそれが達成できる感じかな、と。なんならメールとかチャットとか、そういう場所でも良いんだし

転載ビジネス、として今例えば挙げられるのは2chまとめブログとか。あれだってお金が手に入るから」こそあそこまで必死になってやる人間がいるわけで、金が絡んだ時の人間モチベーション舐めんな、という話ですよね

2012-02-10

未だにぐぐることすら出来ない人って結構いるじゃない。

まぁそういう人は「ぐぐれる人に聞こう」ってなるじゃない。

そこそこ的を得検索結果をまんべんなく出してたら、「あいつに聞けばいいや」ってなるじゃない。

その結果、いつもメールとか電話が着信しっぱなしになるじゃない。

ちょっとデザインかじってたりweb作れたりすると、「簡単でいいから作ってよ」って人が寄ってくるじゃない。

「今時web作るのってタダでできることばっかりなんだから、全部無料で作ってよ。メシおごるから」とか言うじゃない。

結婚式のウエルカムボード作って〜」「そういうの得意なんだよね?」とか言うじゃない。

もちろんめでたいことだからタダでって圧力かけるじゃない。

さらにPC自分の興味範囲で自作してたり、不具合対応に慣れたりしてると、

「なんもしてないのに壊れたからなおして」っていう人が出てくるじゃない。

1日かけて普通に動くレベルまで調整して返したら「ありがとー、ごはんおごるわ」とか言うじゃない。

そういうのがエスカレートして、

ニコニコから音楽落とすのどうやんの?」

「タダでpspソフト落としたいんだけど」

漫画全巻落ちてるサイト知ってる?」

とか言ってくるじゃない。

知らないって言ったら「調べて」って言うじゃない。ヘラヘラしながら。

試しに「それしたらなんかくれんの」って聞いたら「なんかおごる」とか言うじゃない。



なんで「なんかおごるから万引きの仕方教えてー」と言えるのかと考えたはじめたら悲しくなった。

次々と他愛もなく浴びせられる要求に、善意が枯渇していくのを感じた。





氾濫している情報から適切な情報を届けることに対して「タダでできそうラッキー」とか「安く買いたたける」としか考えていない人が、大勢いたんです。

感謝言葉と「なんかおごる」程度の謝礼で、私に「都合のいい秘書になれ」「万引きをしろ」と簡単に言う人が、大勢いたんです。

これは5年前の話ですが、それ以来PCを介した情報を誰かに気軽に届けることに対し、身構えて知らない振りをすることが多くなりました。

2012年現在どうなの?

私は未だに「ぐぐれない」人がたくさんいて、少しでも「なんかおごったらやってくれそうな人」を見つけたらそういう人達がダッシュで突っ込んでくるような気がしてならない。

2012-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20120209084746

罵倒したり煽ったりする人は、相手を思い通りに動かしたいのだと思う。

気になる人を自由にさせておくことに不安を感じるんじゃないだろうか。

もしも誰かを変えたいのなら、本人が自分の意思で変えたくなるように誘導するのがいい。

もちろん善意アドバイスしたのに、話を聞かず、逆に自己中心的な行動に出る人もいる。

しかたないので、そういう時は罪悪感を感じるように言葉を投げかけてみるといいかもしれない。

2012-02-04

ふと思ったのでとりとめなく書き下し。

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自己犠牲無く愛を築くことは可能なんだろうか。


自己犠牲とは、もののあはれと捉えるのが一般の良識に一番即しているように思う。

犠牲にするものの大きさにもよるけれども、おそらくきっと推奨はされない。

たまに善意とかとも呼ばれるけれど、善意なるものから実行された場合は、

結果的に実行者の達成感とか満足感とかそういうものを対価に得ているので、取引がちゃんと成立している。

したがって、宗教道徳的な善悪自己犠牲意味づけには似合わない。

2012-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20120126230600

善意と言ってもらっちゃ困るな。

そこまでのことは考えていない。

「20歳の女性結婚する」のは決して無理ではないぞ。

それはたいした制約じゃない。

例えば発展途上国にいけば日本人男性はかなり価値が上乗せされるだろう。

「長く続く結婚」とか「日本人高学歴美人」とかになると難しくなるが、そんな条件はないんだろう?

http://anond.hatelabo.jp/20120126225446

残酷だねえと言った者だけど

ブサメン障害者20娘と結婚したいだなんて希望ゼロに近い無理難題なのに

「十分いけるからがんばれ」とけしかける善意増田民に対して、残酷だねえと皮肉ったのだよ

リア充自慢は結構だが文脈を読め、文脈を。

2012-01-24

メモメモ

乙武氏周辺騒動のアレコレを見ていて思ったことを。傍観だけど。ツイッターアカウントいから。

具体的にはこういうの。

http://togetter.com/li/245795

http://togetter.com/li/245731


ざっとさらっていて

基本的には自分乙武さん批判派っつうの?きのこ派?っていうのか?探耽求究さんという人がものすごいド正論言ってるように見える派っぽいなという自覚があるんだけどたけのこ派の批判が嫉妬がどうとか努力が足りんとかばっかりで全然クリティカルにキてないのでなんか延々もやもやしていて、

そこでふとこれを見たらちょっといろいろ繋がった。

kyamonohashiというひと?のツイート

手足が無くても頑張れる、と言う希望を示そうとしている乙武さんだけど、例えば手足の無い他の方がそれを見て「あいつは恵まれてるから」「例外だから」と妬んだり嫉んだりする可能性だったあるにはあるのか。


手足がなくても頑張れる、という希望がおおっぴらに晒された時、「手足がなくて頑張れない」人間はどういう立場に立たされるかっつうと、努力が足らん根性鍛えなさいの精神論信者に食いつぶされる側にしかなれないんだよね。それか従来の「かわいそうな障害者」枠。

現に乙武さん応援派で非乙武さん的障害者をそこから出してやろうとするやついねーじゃん。むしろみんなそこへ叩き込もうとばっかりしてる。

から叩き込まれる側は、大人しく叩き込まれるか、「努力が足りない」とかいう問題じゃなくて向こうが恵まれてんだっつうのー!という論を組むぐらいしかなくなる。

「恵まれてる人を妬んで、それで誰が幸せになるの?」とかほざいてるのがいるけど、少なくとも不幸自己責任論の渦中にブチ込まれるのは回避できるよ☆

恵まれてない人は恵まれてる人と違って、誰も助けてくれないという点でサイコーに恵まれてないことがほとんどだと思うんだけど、

誰も助けてくれないのならば自分自分を助けてやるしかないじゃないか

っていうのをなんか判ってないしたぶん許さないのですねたけのこ派は。妬みとか言っちゃうんだもんね。

うぜえだろうなあ。



とか書くと

「誰も助けてくれないのなんて当たり前、みんな同じ」「そこで助けてって言ったり、障害を個性にしてネタにするくらいのとっかかりを作ってくれないとこっちも手が出せない」とか言う奴が出てくるよ。出てくるっていうかすでにいるのよこの胸の中に。

一匹ならともかくハエの群れのようにわんわん湧き出てきて声が延々こだまするのよ。

から俺はそいつを残らず潰して絞め殺すのに一苦労。

えー話を戻すが「そこで助けてと言えない、ネタにできない」ってとてもデジャヴフレーズじゃございませんか。

そう、ちょっと前のNHKの三十代無職男性生保とれないだの餓死するだのっていうあの騒ぎでございますよ。

言えねんだよな。何故か。何故だか。いや何故って他人の負担なんかなりたくないからに決まってんだが。

何かが笑えねーレベルクリティカルからに決まってんだが。

何なのかな。何なのでしょうかねこテニスボールネットのあっちとこっちに分ける何か目に見えないくせに決定的な要素のようなものがある感は。

ジョジョだっけこのボールがどっち側っての。ジョジョでは「運命」だったっけ?



落としどころは何処

何処ってそりゃボールの落ちどころがどっち側でもいいようなところに決まってるんだけど、それはつまりたとえばこの俺がネットの両側を行き来できる必要があって、最悪俺一人でもラリーをかませるようなことになってないと話にならんのだけど、たとえを外すと要するに「お前助けるのなんか別に負担じゃねーよ」っつって軽々と誰かに手を差し伸べられねばならないってことなんだけど。その手を払いのけられること前提で、手がダメなら他のもの、人脈でも金でも選挙権でもなんでも使ってやらねばならないってことなんだけど。

なんか乙武さんには無理そうですね。手ないし。物理的にもないけど、いじめられっこに関係するツイートがアレじゃ義手つけても厳しい。根っこがアカン。

いやその実俺にもムリだけどね。少なくとも人脈と金選挙権は厳しい。

ツイッターミクシーフェイスブックもやってない真性ぼっちワープアしかも都政はあの小心者が担うのを食い止められなかったレベルの一票。

正直に言うと手自体厳しい。ワープアは身体と心が資本なのに手を払いのけられるついでに豆腐メンタルが潰れそうで、いちいち成形しなおすのに他人の手が要るレベル

でも「誰も助けてくれない」。いやいいけど助けとか。俺の豆腐はまだ平気なんで、誰か他の砕けたガラスハートの欠片を集めて火にかけてまた作り直してやっておくれ。



どうでもいいけど何か昔のディズニーアニメで一人ラリーするウサギいたよね。イソップ寓話アニメ化したやつで『ウサギとカメ』に出てくるウサギで、レースの前座に俺こんな足はえーんだぜーっつってカメに見せつけるためにボールより素早くコートを行き来してた。肝心のレースでは確かカメがクビ伸ばしてゴールインして勝った。




追記:

さらにどうでもいいんだけどツイートまとめ読み返してたらものすごい気持ち悪いのが結構いてマジ引いた。いわゆる「信者」ってやつですかあれは。

何故だろう。文面はものすごい善意なのにどうしてこんなにグロいんだあの連中。

逆か? ガチで「善意」なる感情だけで理屈全然いからグロいのか?

2012-01-22

3月11日福島で上げられるシュプレヒコールを、私は支持しない

リンクを貼るのも嫌なんだが。

ttp://datsugenfem.web.fc2.com/

ttp://sayonara-nukes.org/2012/01/0311fukushima_/

なるほど反原発というのはさぞかし高尚なものなのであろう。土地を汚し、人同士を分断し、健康を害す、そんな諸悪の根源を許しますかと問われれば、私だって許さない。そのことは認めよう。

だがそれを、あの日、この場所で、怒号を持って声高に宣うのであれば、私はそれを支持したくないし、それに賛同する方々を、私は支持したくない。

目を背けているわけではない。あなた方が声を枯らして、遥々遠方よりおいでなさっても、あなた方が叫ぶ以上の現実が私の日常である

私は2012年3月11日を平穏無事に過ごしたいし、2時46分には心静かに黙祷したい。

考えを異にする人もいるだろう。当然だ。だから「私達」とは言わない。私個人の考えでしかない。だが、たとえ故意でないとしても、向けられている目が善意だけでないことを私は感じているし、それが大勢であれば、1人1人の意見など無力だ。

止めろとは言わない。言ってしまえば、それは罵声を罵声で返すことに他ならない。

 

私はあなた方の崇高なる主張を聞いた。毎日嫌というほど目にした。

そのかわり私のつまらない意見も聞いて欲しい。

私は、3月11日福島で反原発を叫ぶ人を支持したくない。

今回の事とは関係ないかもしれないが、「フクシマ」とわざわざ蔑む人を支持したくない。

県民犯罪者呼ばわりする人を支持したくない。

復興善意邪魔する人を支持したくない。

センセーショナル言葉扇動する人を支持したくない。

 

私は、怒号を持って説伏しようとする人を支持したくない。

からこれは、ただの意見しかない。お願いでもなんでもない。

世迷い事と思われるのもあるだろうし、どう思われようがあなた方の自由であり、それを私は強制できない。

ただ、それと同じくらいに、私はあなた方が3月11日に行う行為を支持しないし、あなた方のデモにも参加しない。

グローバル化って言葉が生み出す誤解について

先に結論から書くと、グローバル化のことは、「外資系社員ではなくて、中小企業オヤジに聞け」ということ。

外資系の人は、大企業人間に聞くよりはマシだろうけれど、かなりのポジショントークにならざるを得ない。



http://togetter.com/li/245090

上のtogetterもしかして善意なのかもしれない。

日本が好きで、日本のことを思い、本当にヤバいという焦りの気持ちを、叩かれるのを覚悟で率直に伝えてくれたのだとしたら

私はむしろ感謝すべきなのかもしれない。それでもあえて苦言を呈したい。

論点が盛大にずれている。というかこれポジショントークだよ。

彼は正しく現実を観て、正しいことを言ってるとは思うけれど、意識的にか無意識的にか、自分ポジション価値を上げるよう誘導する表現をしている。




グローバル化についてはドラッカーがまだ邦訳されてない論文でこういうことを言っている。適当に要約するとこんな感じ。



最近グローバル化グローバル化とわめきちらすやからが多い。

まるでグローバル化そのもの価値があって、それに適応することが自分価値を高めるかのようなことをまくし立てる愚か者のことだ。

グローバル化と呼ばれる流れで変わるのは、単に競合が国内にとどまらなくなるということだけだ。

どれだけ価値を生み出せるか、どれだけ高い生産性を保つか、という今まで私がしてきた問こそが重要であるという事実は変わらない。

英語技術や最新のテクノロジーそのもの大事なのではない。

新しい競合と比べて、より高い価値提供できるか、それだけが問題なのだ

英語や最新のテクノロジーをみにつけても価値提供できない奴は結局職を失うことになる。

グローバルという言葉に踊らされ、目新しいことをそのもの価値があると信じて意味のない努力をするのではなく、

今まで通り、目の前の客に少しでも価値のある仕事提供するに自分をどう磨いていくかを考えろ。

繰り返す。グローバル化や最新テクノロジーそのもの技術の変化にすぎず、イノベーションではない。

イノベーションとは現在サービス価値を高め、新たな顧客を生み出す変化のことであり、それこそが重要なのだ

考えなしに新しいテクノロジに乗り出せば成果が得られると思うやつは、考えなしに多角化して失敗した一世代前のエグゼクティブから何も学んでいない。




言ってることは上のtogetterと同じだ。でも印象が違ってくるのではないか

どちらの説を取るにせよ価値のない仕事をしている、競合と比べて費用効果が悪いバックオフィスは切られる。この結果は変わらない。

結果が同じならそれでいいじゃないか、という人もいるかも知れないが、そういう考えだと、外資系の人だけが潤うだけだ。

ドラッカーは上の人のように、グローバル化に乗り遅れなければ助かる、というようなミスリードはしていない。

英語なんぞを頑張るよりは、世界に誇れる仕事をして、新しい価値を生み出すことを考えろ。

何でもアメリカルールに揃えようとするな、それよりは自分らしいやり方で独自の価値で勝負しろ、と言っている。




上記記事は、失礼ながら形だけ見たら植民地化された国で、まっさきに奴隷監視役を請け負って中間支配でおいしい目を見ようとする類の人と変わらないように思う。

彼は善意でこういうことを書いてくれたと思うからこそ、この手の微妙な話は伝え方に気を使って欲しい。ちゃんと真実を、誤解のないように伝えて欲しいと思う。

ぶっちゃけ、彼の言いかただと日本やばいですよと煽った挙句に、問題は解決しないどころかよりドツボにはめる結果になりそうだ。

そして彼のような人だけが儲かる結果になる。そういう結果になった時、自分の言った発言に責任が取れるのだろうか。

せっかく外資系で、日本の中に閉じこもってる人より世界現実を見てるんだったら、

いかにして日本アメリカ流に屈せずに自立自存の道を歩めるかまでちゃんと「自分の頭で考えて」それを伝えて欲しい。そういう議論ができるのが外資系のいいところとちゃうの? 

これって日本を知らないアメリカ人自分たちの作法が絶対的に優れてるという前提で語ってることを、日本人側として素直に受け入れちゃってるような気がしてならない。





上の記事の人にはすみません言いがかりみたいな記事を書いてしましました。完全に憂さ晴らしです本当にありがとうございました

私が勤めてるSI企業ってのは、この人の何倍も腐ったアメリカマンセーコンサルタントさんがですねうわなにw

いや、でもホント中小企業で頑張ってる人に話を聞くべき。 

なんだかんだ偉そうに言ってるシステム屋より、実際に海外と勝負して売れる価値を作ってる彼らのほうが偉いし、ずっとよく物事を考えてる。

2012-01-10

善意が悪意で返されたら、もう見捨てちゃっていいよね。

人間的に未熟だからなんて許す必要ないよね。

こっちも傷ついたんだもの

今後、2度と助けたりしないよ。

言葉も掛けないよ。

だって不愉快なんだもの

まあお互い様なんだろうけどね。

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2011-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20111231154455

はじめに

別に独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、

橋下「僕は民主主義ルールを守った上で、自分意見を実現するための方法を行っている」

橋下「少数意見を尊重していたら、実行ができない。少数意見尊重は理想だが、今はそれをやっている場合ではない」

まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK?

でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。)


民主主義とは何か

多数決は糞だ

まず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。少しはググれ。多数決というのは、民主主義の本体ではなく、言ってみれば糞のようなものだ。生きていれば必ず出る。それが糞。だが、それはもの本質ではない。やむを得ず出す余剰や排泄物本質だと言ってみるのは、スカトロプレイ人間真実がある、というSM愛好家の口吻と同じ程度の説得力しかない。要するに一種の自己弁護詐欺である

なぜ「糞」というか。民主主義本質とは何か。説明する。


意思を決定する方法

政治とは意思決定だ。その意思決定の主体を、どこにおくか。大昔は神に預託された巫女が、あるいは神権をもった王がもった。しかし、徐々に一人の意見の過誤を防ぐ意味から、多くの頭脳による方法が用いられるようになり、君主制一定の中からトップを選ぶ)、寡頭制(複数で決める)、貴族制(階級全体で決める)、あるいはそれらを組み合わせることで意思決定がなされるようになった。古代に一度行われていた民主主義は、近代に入り、社会経済成熟と歩を並べ、自由主義資本主義社会の進展とともに、「みんなの意見を合わせると、おおむね正しい結果になる」という知見の下、選挙による間接民主制という形で、多くの国で採用されることとなった。(余談だが、間接民主制をとる場合大前提として、投票する大衆は、現下に起きている事態について、必要かつ十分な知識をもつ必要がある。そこで、間接民主制をとる集団では情報を適切に配分する方法が必要となる。多くの近代国家では、そのために民主制とセットで、権力から自由なメディアを発達させてきた。自由なメディアの無い国に、民主制は成立しない。)

で、「みんなの意見」をまとめるために、民主主義はどのような方法を取るか。それは「話し合い」である(というより、それ『しか方法はない)。集団での意思決定であるから、理でもって他者と交渉し、協調精神で話し合いをすすめながら、最終的に合意を得て決定する。その際、たとえ少数であっても、その少数意見を尊重すること無しには、集団で合意の形成などできない。特に、間接民主制の下では、たとえ一人の意見であっても、その一人の背後には膨大な人間存在しているため、軽視することは許されない。少数意見を採らない場合、反対を主張する多数派には「採らない理由を合理的に説明する」義務があるのは当然だ。


最終手段としての「多数決

ただ、もちろん政治現実ものであり、現実人間は不完全なので思想・信条見解の相違がある。時代の要求する文化によっても、物の価値は変動する。その変化の前後で人の価値観は異なるだろうし、そうなると、どれだけ理を尽くしても最終的に対立が解消しない、という事態は起こり得る。だがそれでも、もちろん政治決断をくださなければならない。だから、理を尽くして越えられない壁がはっきりしたときには、それを越えるため万やむを得ない解決手段として、『多数決』が用いられることになっているのである

本来、とにかくひたすら話し合うのが民主主義である。だから、決定を多数決に持ち込むような事態は、民主主義が敗北するときと言ってもよい。だが、民主主義が敗北しても我々は民主制を放棄するわけにはいかない(それよりマシな方法存在すると知られていない)から、その場合に意思決定を行う最終手段として『多数決』は許容されているに過ぎない。多数決とは民主主義の糞だというのは、つまりそういう意味だ。現代日本民主制は、理と協調精神による話し合いを通して多くの素晴らしい意思決定を行っているが(与野党ケンカばかりしていると思っているお子様は、日本の色々な法律がどのように成立しているかちゃんと確認すべき)、不完全な決定のいくらかを多数決という糞としてひり出してもいる。それだけを見て、多数決は素晴らしいなあ、とか思ってる人間は、スカトロジスト(糞尿愛好家)と呼ばれても仕方ない。そう呼ばれることに誇りを覚えていて、一緒にするなと怒る人もいるかもしれないな。すまん。


矛盾について

民主主義についての初歩的な知識

さて、以上を踏まえ、比喩として、もう一度言う。多数決は糞だ。少数意見を最終的に「採らない・採れない」ことはもちろんある。それでも、一定合意を得るための様々な譲歩や協調のための配慮は必要なのであって、それは民主主義コストなのではなく、民主主義による意思決定を可能な限り正しいものにするために絶対必要な手続きだ。だから多数決をタテにして少数意見を圧殺する人間は、そもそも民主主義者ではない。数の暴力を振りかざして権力を握る人間は、端的に言って独裁者である

最初に【矛盾】と言ったのは、「少数意見を尊重する」ことこそが民主主義ルールそのものであり、少数意見を尊重しないのは単なる独裁(あるいは数の暴力であるにも関わらず、「民主主義ルールを守る」と言ったその口で彼が「少数意見を尊重しない」と述べているからだ。少数意見を尊重しないなら、それは民主主義ではない。彼は法律家であり政治家であるのだから、そんな初歩の初歩をしらないわけがない。

あるいは、彼は「ここで民主主義ルールとは選挙のことを言ってるのだ」と言い逃れるかもしれない。だが、「選挙」とはあくまで「間接民主制」を成立させる手続きの一つに過ぎず、民主主義における意思決定システム本質とは無関係であることもまた、言うまでもないくらい当たり前のことだ(首長選挙で通ったからといって、その主張が議会の全体合意もなく自動的に「承認」されるような詐術が成り立つなら、最初から議会は必要ない)…これもまた、政治の初歩の初歩であり、法律家であり政治家である彼が絶対に知らないはずはない前提だ。ではなぜ、彼は平気でこういうことを言うのか?


ヒトラー尻尾

それは、選挙民のほとんどが「民主主義とは多数決のこと」であり「多数決選挙のこと」である、と二重に勘違いしていることを知っていてそれを都合良く利用するためだ、としか解釈できない。その二つの勘違いを利用することで、「選挙に通ってしまえば独裁してもよい」という思い込みを形成し、支持者がそれを支持する「空気」を作りだして、反対する良識派(というか当然起こる反対)を封じ込め、本来通るはずのない法案を作成議会を通過させようとしている…それが、目下彼がせっせとやっていることではないか。そして、そういうところがヒトラーの手口と酷似していると指摘されているところであり、彼に警察権や軍事力立法権あるかないか、ということが問題なのではない。まあ、個人的には彼は、ヒトラー尻尾というより劣化矮小版のコイズミジュンイチローだと思っているけれど。


最後

以上を踏まえて、彼の言っていることはシンプル嘘だと私は考えている。嘘から発生する利益を享受する人間をなんというか。その呼称は各自に判断に任せるが、いずれにせよ、民主主義破壊者が、口先だけ民主主義を唱えながら権力の位置にあるという現状を、どのように見るか、これは呼称なんかよりも重大な問題だと考えている。

これは、彼個人が善意の人であるか悪意の人であるかという問題ではない。民主主義システムそれ自体にそもそも脆弱性があって、その脆弱性がまさに攻撃されており、ウィルスチェッカーメディア)も、そのウィルスがまさに自己の中からメディアが創りあげたスターとして)誕生したために有効に機能していない、という状況をどう見るかという問題である


以上、簡明に反論してみたつもりだが、随分長くなった。反論があれば伺う。

2011-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20111228174959

君は赤の他人殺人事件のニュースを見て、犯人に怒りを覚えたりするのかな? 全然関係がないでしょ。

満員電車の中で他人様のケツを揉まないという最低限の任意と善意すら持っていなかった一部の男性が悪いんだろ?元はと言えば。

そっちへ対する怒りはないの?

よく女性社会的正義を訴えかけるけど、そういう女性も別の正義には興味がないケースを見てきてるので、なに言ってんだろーなー、と。

http://anond.hatelabo.jp/20111228172903

なんで女に立腹してんの?

満員電車の中で他人様のケツを揉まないという最低限の任意と善意すら持っていなかった一部の男性が悪いんだろ?元はと言えば。

そっちへ対する怒りはないの?

http://anond.hatelabo.jp/20111228101235

日比谷線で朝9時まで女性専用車になるんですが、空いてます。 共有の車両は混んでます

女性専用列車の定員じゃ全然電車全体に乗ってる女性の人数に間に合わないんだから大半が共用車両に行くのは当たり前だろ。

これは「女性女性専用車に行くけど、あふれてしまう」って思ってます?

実際には違っていて、女性専用車は空いてしまうのです。

満員電車で劇的に混んでる中で、女性ヘッドフォンしながら席に座ってるのを見ると

女性専用車アナウンスってあんま効果ないよな、と思います



ただ利便性がある場合、例えば京浜東北線女性専用車が真ん中へんの車両なんですが、この場合は混みます

これは真ん中の車両は駅の改札の前だったり、階段の前の車両になり、利便性があるからです。そういった場合は混みます

女性には利便性が、男性は任意と善意を強制される美しい国ですねー。

2011-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20111018202115

年の瀬に少し時間ができたので、再レス。恵まれた人だなあ、というのが言葉にならない気持ちを代弁してくれてたので、あらゆる意味で頷いてしまったんだ。でも折角やりとりがあったので、今更だけど返信をしようと思う。


元の記事を見た上でその提案だとしたら、夢一杯すぎて話が通じない感があった。沢山の問題提起無視しての語りだと思わないかい。夢という結論ありきで文章を読んでいなかったかい。この提案をやろうと腰を上げ実現させる図書館は、数少ないがあるかもしれない。だがそれはあなたが見落としたり無視してしまった問題点必死で解決してこぎつけた奇跡の催しなんだ。

というわけで、中途半端しか仕事を理解していないなりの、問題点を挙げておく。

図書館は人も予算も足りない」から廃棄本の話題が出たことを念頭に入れて、下記の問題点について考えてほしい。



・廃棄処分を「探検隊」の方々に提供するための体裁をどうやって整える?

(捨てる場合、紐とじや箱詰めで積み上げてる場合がある。それを崩して怪我がないよう整頓し催し物の体を整える。)




・催し物のお知らせ、人員を割く、場所の確保を、誰がどうやる?




・私設の「稀覯本図書館」は夢物語

どういう規模を想定しているんだろう。とりあえず名称からして、最低限の「稀覯本図書館」について考えてみた。

必要なもの土地代、施設建設費、維持費、運営費、責任者、職員、書籍の修繕費、修繕の専門家日本じゃ育たない)、資料を提供するためのデータ図書館間でデータ共有するための加入金、盗難防止の対策(費)、…まだありそうだけどこんなか?




歳を経た方々にそういった催しを提供するだけなら、市や区を巻き込んだ企画が必要かなと思う。

有志のボランティアが企画、スポンサー見つけて開催までこぎつける。その過程図書館を巻き込む、ってならまだ実現が見込めるよ。今なら老人向けサークルグループホームなどに声をかけるのも面白いかもしれない。

図書館が動くのは難しくても、催しに乗っかるだけ(本を提供するよっつって資料の運び出しもボラさんと共同で)なら多少開催しやすそうだ。図書館という一団体にメリットがあるからね。宣伝になるし、図書館運営しながら本もより良い形で処分できるしさ。実績として残るから広報としても次の催しに乗っかりやすく、よく言われる「開かれた図書館」ってスローガン実践しましたっつって上にアピールもしやすい。


善意と熱意だけで施設を動かすのは難しい。営業と同じ。

本が好きってだけじゃ動かし難い問題は山積してるけど、やりようと手配次第で不可能ではないかもしれない。




ボラ主催じゃなくても、図書館の要らない本を持ち帰ろうってだけの催しなら、既に各地で行われてるんだけどさ。




他人に仕事押し付けやがって、それだから駄目なんだ、と思わせたらごめんな。

美味しいとこだけ持ってくのは意外と難しいものなんだ。次に繋がらないしね。

2011-12-16

 正直言って、授業を受ける教室の右側の人は迷惑してるんじゃないか、と感じた。

彼の周りに座っているのは聴講のおじいさんと、ギャルっぽい女の子ちょっとチャラそうな男だ。

聴講のおじいさんが座っている位置に、この授業が始まったとき私の席があった。でも私は3週間でそこに座れなくなった。

彼がしょっちゅう鉛筆ノート教科書を落としたり、あうあう言ったり、先生言葉を遮ってゲヘゲヘ笑うからだ。

まじめに授業を受けたかった私にとってはそれはひどく苦痛で、授業妨害以外の何でもなかった。

なので彼があうあう言っているのを無視してノートをとり続けてみると、ギャルっぽい子がなんとかする。

驚いたのは、それに嫌な顔一つしないということだ。

彼女はまじめに授業を受けているとは言いがたかったけれど、あうあう言いだすとすぐに鉛筆やなんかを拾う為に席を立つ。

なので、3週間我慢した。拾ってあげた。しょっちゅう教室を出入りするのを手伝った。困ったように唸っているから。

でも1週間で授業に行くのが嫌になった。2週間で授業行く時吐き気がするようになった。彼に注意して教室中の視線を浴びた。3週間目も行って2回休んだ。

ちょっと気分が楽になったのでまた行くと、やっぱりあうあうしていた。先生相談して、こっそり席を替えてもらった。

自分は間違ってたのかなーとずっと気にしつつ、半年以上経った。

その間も彼はニタニタゲヘゲヘ、教科書を落とし、先生の話に割り込んで怒られ、困ったような顔で唸っていたけれど。


 今日ちょっと遅く帰ったのだけれど、彼が玄関を出るところだった。加配の先生とか、善意車椅子を押してくれる人がいなかったのか、一人。

もしかして声かけられるかな、とちょっと身構えてしまった。彼はいつも、玄関で人がいると、困ったように唸って手伝わせるから。一人の日なんて見たこと無かったくらい。

そこで私は先生に呼び止められて、話が始まると、彼はさっさと出て行ってしまった。あれ?と思って、ちらりと横目で見ると、すいすいと車椅子を動かしている。

話は二言三言で終わったので少し距離をとって駅までの道を歩くと、彼も同じ方向だった。

交通量の多い交差点をすいすいと車椅子で渡って、エレベーターも一人で難なく乗って、私とは反対方向の電車に乗り込んでしまった。

いつも彼がここまでの過程を加配の先生善意の生徒に手伝ってもらっていることは知っていた。

「ここぼぐできひんえん(ここ僕できひんねん)、だいへんやねん」と、誰も聞いていないのに声高に叫んでいたのに。できるんじゃん。

どういう反応していいかからない。車椅子動かすのが大変なのかもしれないということは分かるけど、自分でできないっていつも言ってたじゃんか…。

大変だというのなら分かるけれど、漫画なんか読みながら車椅子押してるんだもん。大変なんだなって同情できないよ。心が狭いんだろうか。

そろそろ彼が嫌いになりそうだ。


そういえば前回書いたとき、こういう学校ってどんな学校?って聞かれてた。昼夜開講制の単位制の学校

民度が低いんだからしょうがない、と言われたらそこまでかもしれない。偏差値も高くないから。自分も頭がいいわけじゃない。

そもそもとして、そういうところで授業を受けることを求める自分が間違っていたのかもしれない。もう、何が正しいんだか考えたくもないや。

http://anond.hatelabo.jp/20111216001635

俺はパソコン大先生であることを「精一杯」アピールはしなかったよ。だって根拠がないもん。

マイクロソフト公認の検定資格とか持ってないし。

それはパソコン大先生って言い方で伝わってるから大丈夫

君が有用資格持ってると思ってない。

元増田の話も資格どうこうは無い。

とりあえず履歴書に書いて、「PCできるんだってエクセルとかワードとか?」「ハイ。一通り」「ホームページは?」「いじれます

泣かずに説明したんでしょ?偉いじゃない。

繰り返しになるけど別に卑下する必要ない。

「MSAccessは?マクロ組める?」「…勉強します」

わかるわけない未体験のこと、現場に出てからしか判断付かないことについても説明したわけだ。

これだよ。

採用面接官が物凄く好意的に採ろうとしてたとしても説明してくれない人は一番採りにくい。

ちょっと相手の立場に立って考えればわかる。

(逆に「採用面接官が物凄く悪意的で最初から採る気が無い」というネガティブ見方をするなら

 そんな面接についてアレコレ悩むだけ無駄からやはり考える必要は無い。)

障害者パソコン大先生より更にそのへんの融通の用意はある。

生え抜きプロパー幹部候補生採ってんじゃないんだ。

じゃあなおのこと採ってやりゃいいじゃんとしか思えない。

全くだ。

相手の善意を信じて、相手が採りやすいような形を整えてやるべきだ面接受ける側も。自分で出来る限りは。

また、それでも運や相対評価はあるだろうけどね。

「どんな配慮が必要ですか?」って当人に聞くって、逆に言えば「ウチにはノウハウがまったくないんで」ってことでしょ。

ノウハウが無い企業障害者雇う資格無し」ってことなら席を立てばいいだけだが、

進歩や発展性のないスタンスだと思う。

融通なんかないんじゃん。

「どんな配慮が必要ですか?」って当人に聞くのは

当人の希望に沿って調整する用意があると言うことで、

俺の日本語ではこれを融通って言うんだけど

君の日本語では融通はどういう内容?

逆に当人の希望を聞かずに「ここに入ってね、うちここしか空きが無いよ」が融通無い状態。

それはいいんだけど、立ち会う人間には(採用側としても)サポート能力が欲しいわけでしょ。

家族面接サポーターとして十全であると何を根拠に判断すんの? 

「一緒に住んでんだから仕事場でどう振る舞えるかも想像つくはず」とか期待すんの?

家族にしろ職安職員にしろ、採用側より障害について知ってるから求められてる。

「十全なのかー」って十全なわけないし十全なんて求められてない。

というか障害者に限らず「十全な面接サポーター」ってどんな存在か述べてみて欲しい。

(述べられなかったら、屏風の虎を追うような不毛論法に気付いて欲しい。)

面接の場では非常識ってことになりかねないんじゃないのー。

常識非常識っていうなら障害者雇用の時点で「セケンイッパンノジョウシキ」からは離れてる。

本人が泣いてて説明できないで終わるだけなのと、代弁者が説明するのなら、

後者のほうが双方にとっていい。

非常識になりかねないか代弁者ダメ、ってスタンスが何の利益を生むのか考えてみて欲しい。

障害者から有利とかいう話じゃないんだってば。現に元増田の所感は「面接ダメだった…」ってなってるし。

何が有利やねんアホか。

君との話し合いは繰り返し日本語の問題に突き当たるけど

「有利」と「必勝」は違う。

元増田は今回は有利さを生かせなかった。

もしくは運がなかったか、他の就活生との競争に負けた。

酌量の用意とか言っちゃって、面接官は全然元増田の話を酌んでくれてないじゃん。

元増田全然話してないじゃん。

そして元増田の側に立つ(君の言い方を真似するならばだが)という君も

「相手が歩み寄らなかった」「相手が全部悪い」ばっかり。

しまいには「相手はもとから悪意しかなかったんだ」「悪い奴だ」って。

これとか。

これ企業論理なの。論理っつうか要求なのね。

そもそも、要求して何が悪いんだろう。企業の要求は悪なのかな?

負けずに要求し返したりすればどうだろう?

それを元増田ものと思っていて、しか元増田がその「知能に関する障害」の故にこんな珍妙なことひねり出したんだと言わんばかり。

読み返しても

また、配慮して欲しいポイントをきれいに説明できるのであれば、障害者手帳なんて要らない。

なぜなら、配慮が無くても仕事を出来る場所を探せばいいのだから

論理的におかしいと思う。

ある一文が論理的におかしいという指摘について、

「そんな指摘をするなんてお前はあっちの味方だな」という反応は小児的だし混乱してる。



「いやそれ珍妙っていうか企業が言い出したことだから。つまりボンクラ企業」つーたら、

「あっホントだ!」じゃなくていのいちに「は?」とか言われたし。

それが君の気に触ったのかもしれないけど

何について「は?」なのかというと、その時の君の論理展開がさっぱりわからいから「は?」なのね。

今もわからないけど。

日本語として、もしくは論理の展開として「あなたの言わんとすることがよくわかりません」の「は?」。

「pardon?」の「は?」。




君の中では「元増田の側に立つ俺の弁に「は?」と言いやがった、じゃあ敵の側に立つ気だな!」という処理らしいけど

繰り返し出てくるその処理パターンネガティブさ自体が君の問題だと気付く方がいいと思う。

世の中が敵だらけになってるんじゃないだろうか。

まさに今ストレスフルな相手に対して(中略)はな。

君が今凄くストレスを感じてるのはわかってる。

そういう時の自分の文をこそ観察して、思考パターンの動きを省察するといいと思う。

ザッと流し読みしても「バカ」とかそういう言葉が激増している。

ネガティブ不貞腐れ思考、対立認識、破滅願望、攻撃性、etc.




そのパターンが一度でも君を本当の意味で愉快な気持ちにしたり、

物事の解決の助けになったりすることがあったか思い返してみて欲しい。

2011-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20111215211736

もったいない

続けとけよ。

老人の自慢話ぐらいでキレてどうすんだ。




すごいですね、優秀なんですね、あなた会社を支えてるんですね^^ って、私みたいな平社員に言われて何が嬉しいねん。

お前にそう言われて嬉しいんだよ。

お前の事を軽くは見てないってことだぞそれは。

レジュメ作ったり、向こうだってコストかけてる。




一概に「上から目線」と言っても

老人特有の自分の話や自慢話てのと、

単に相手を軽侮してるのと、

これは全然別のことやぞ。




後者だったら付き合ってちゃいけないし俺だって我慢できないが

前者だったら大いに付き合っとけよ。

しかもそのおっさん別に馬鹿だとか窓際だとか言うんでもなく、

実際に知識があって重役でもあるんだろ。




そりゃあ、そういう重要資料が読めるようになるのはステキやろうけど、

理解できない平社員がいっぱいいるというのは、それを理解できなくても別のスキル会社に貢献すればいいってことじゃないの。

そういうことだよ。

プラスアルファ勉強会だろ。

何言ってんだアホが。




せっかく勉強しようと思ったのに、分かるようになったら「僕のおかげですね」分からなかったら「まだまだ修行が足りないですね」

結局こんなことが不満でキレてるのかよ。

くだらない。

ゆとりかお前は。

「僕のおかげですね」「〇〇専務のおかげです^^」

「まだまだ修行が足りないですね」「ご指導ください^^」

ぐらい言ってなんの損があるんだ?

相手をいい気持ちにするとお前のプライドが傷つくのか?

嫌なこと言って来るような相手にお世辞言うのは口が腐るが

上機嫌な善意の相手をおだててどんなフラストレーションがある?





おそらく管理会計財務諸表勉強会だろうが

それはよそで受けようと思ったら相当な授業料が要るし

特にその重役が教えてくれてるのはその会社特化の特殊なものだ。

しばらく一日2時間割いたって絶対無駄にならない。





でもそんな損得はどうでもいいんだ。

なによりも

相手の基本的な善意や厚意より、ちょっと得意気な口の利き方や自慢話混ぜる程度のことの方が気になって我慢できなくなる

っつーのはあまりにも馬鹿げてるぞ。




言っとくけど俺は別に社蓄タイプじゃないし、ベラベラお世辞を言いまわるようなタイプじゃないぞ。

それでもその重役の勉強会なら「おもしれー」ってとうぶん付き合っておくよ。

感謝の気持ちを持っておだてながら。

2011-12-13

自分中心

おめでたい人っているよね。


打ち上げいつにしようか?」って話をしていたら

「×日なら、誕生日からプレゼントもらえると思って行くけど♪」。

打ち上げなのに・・・私的な誕生日会にされてたまるかと思ったので、

別の日程にずらした。それでも祝ってもらえると思っているみたい。

自分の事は祝ってもらえて当たり前、それを期待して行く、でもお返しはしない。

だっておいて、「えー?善意でしょ?」っていうような人。

もはや意味が分からない。

2011-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20111209151507

何が面白いのかを手短に伝えられない企画は問題があるに決まっている

あなたの説明もだらんと長くて要領を得ないでしょ

「これ!」ってはっきりツボや想定用例を言えないでしょ



「6人までのロックかかった掲示板提供する」っていっても

聞いてて目新しいアイデアや広がりの可能性やを感じられない




だいたい知らない奴にまで筒抜けになって炎上する危ないサービスが何で流行ってきたかって

危ないぶん風通しがよくて便利だからだよ

あなたがやってるのは便利さや快適性を放棄した窓がひとつも無い家作って「安全です」っていうようなもの

それは誰も思いつかなかったんじゃなくて、思いついてもやる価値がなかっただけなんじゃねえかな




更に言うと

俺がそんな不便なものアカウント取ってまで秘密にしたいような

重大な打ち合わせがあるって言うとき

「ひそり」は使わないよ

だってあなたが誰だかもわからないし信用できないもん

秘密保護のためのサイトだって言いながら、誰がどういう風に秘密保持保証してくれるのか不明って

シュールすぎるよね

あなた能力と、あなた善意と、二つとも全然信用できないよ

だって何かの手段で証明しようって言うそぶりすらないじゃない




それなら機密性でも便利さでも、普通にメールでやったほうがマシだよね

もしくは名の通った会社レンタル掲示板なりブログなりをパスワードかけて使うんでも

「ひそり」を使うよりは安心で便利じゃないか




あなたの言う”正規の使い方”に比べたらまだ

誰かの心無い誤解である

ただ、犯罪自慢を晒すために登録して晒す釣り堀のようなサイト

リア充犯罪告白オチって炎上させることができるとか、すごい怪しいネタ釣りサイト

っていうのの方が存在意義とかオリジナリティを感じるよね(やっぱりシステムがよくわからんけど)

その誤解をした人達別に根性曲がりだとか故意曲解したとかじゃなく

「ひそり」の狙いが意味不明だったから、精一杯「意味を持ちそうな仮定」を持ち寄っただけでしょ




俺もダラダラ長く書いちゃったけど

短く一行で問題をまとめると

「コンセプトの欠如」だと思う。

2011-12-05

おっさんどうにかせんと

おっさん研究者まじやばい

いまの時代と思えんくらいハラッサー。

自覚ないしむしろ善意

異常者だ。

中国からきた優秀な留学生の後輩も、

発表時の激しいバッシング登校拒否状態。

いやこれ、大学院の話です

単に院生修行が足りないだけなら文句はない。

いつだって、頑張る以上のことは無いんだろう。

ただ、上の世代に課程博を取った人が皆無であり(こんなご時世なのに!)、

同期にも後輩にも元気がない。

外部評価を得た人が、むしろ浮いていく。

おいおい、もうすぐ時代2012年だぜ?

変えるための努力をすれば危険左翼な不平分子というレッテル

沈黙すりゃ自主性がないと見なされる。

教員は「発表形式を自分達で決めてもいいよ。でも、教員全員のスケジュール管理してね」

と言い出して、多量の仕事を与えることで変化の兆しを摘む。

とりあえず、どうすりゃまともに話ができるんかな。

臨床家に世話になった証拠をもとにみんなで法テラスにでも行くか。

ビジネスボランティアの狭間に漂う嫌儲

ボランティア活動をビジネスにすると「善意を利用」等とやたら叩く人がいるけど意味からない。

ホッテントリの「『食べて応援』は幻想」なんかもそう。

自分福島産の野菜スーパーで見かけたら他県産と値段が変わらなくても買うが

正直ネット通販で生鮮食料品をわざわざ買うのは心理的ハードルが高い。

そんな自分のような消費者流通業者がいなければ福島産の農産物を手に取る機会は激減するだろう。

中抜きを否定すれば、その分取引額が下がるだけだろうに。



営利企業純粋意味でのボランティアなどするはずない。

ビジネスにするからこそ大規模に、永続的な支援が可能になるのに。

純粋ボランティアこそ幻想

むしろもっと儲けさせてやらないと。

儲ける業者が増えれば取引高も増え、仕入額は自然と上がる。

福島をはじめ被災地は大変だと思うが、ここでビジネスにされてやる位のしたかさがないとやっていけないだろうね。

そして善意を利用等と叩く人達には、じゃあおまえら私財を投げ打ってボランティアしてやれよと言いたい。



それにしても普段「福島農家殺人者」「福島野菜奇形児」等わめいて福島産の風評被害を広めている人達

「支援するなら定価で買い取れ」とブコメしているのには苦笑を禁じ得ない。

あんたらは「だから福島産を買うな」って言いたいだけだろうが・・・

http://anond.hatelabo.jp/20111205125215

しかしだ、だからといってお前の普段を見せようと思って「アイアンマン」持ってったら、「個性を履き違えている」とかしたり顔で言われるのがオチだぜ?

「うちにはキミみたいなのは合わないと思う」とかマジで言われるし、言ってる側も善意で言ってたりする。

ここがわかんねぇんだよ。

合わないのに、なんで就職したいの?

まさに善意だろ。それ以上でも以下でもない。

独創性を求めてるのか、最低限の技術や知識を求めてるのか、単なる人足を求めてるのか、そりゃ企業によって違うんだから

企業側が選びたいのは当たり前だし、就職する側は選ばれるべきだろ。

人ひとり養うのにいくらかかると思ってんだ。

給料の2倍は普通にかかるんだぞ。

んで、3年後に使えない(合わない)と判って首切る身にもなれよ、リストラ流行った頃、ストレスで体壊した奴がいるくらいなんだぞ。

しかブログでは上から目線で「あの企業風土は僕には合わなかった(キリッ」とか書いちゃうんだぜ?

勘弁してくれよ。

お互いに得る物が無いんだからさ、初めからアイアンマン」をもってきてくれよ、頼むから

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