はてなキーワード: 架空とは
ネットや賃貸情報誌に載ってる物件は、架空の物件ではないけど客寄せ物件て感じで
実際不動産屋まで行ってみると埋まってたり内見できなかったりすることもあったよ。
ネットの下調べに時間かけるよりは、実際に現地へ行って、周辺を確認しながら駅前の不動産を回る方が早いと思う。
条件提示すると、わんさかってほどではないけど雑誌で紹介してない物件をいろいろ紹介してくれる。
不動産屋によってマンション系とか一戸建て系とか得意分野もあって、ある店で良い物件がなくても他にはある場合もある。
あと詳しいこと忘れたけど、確か不動産業を営むための資格みたいなのがあって、
その更新回数が多いほど老舗なんだけど、そういう古くから地元で商売してるとこの方が物件も多くて付き合いやすかった。
新しくて大きいところはノルマが厳しいのか、内見なしで決断を急かされたり、しつこく手付け金の支払いを勧められたり、
ちょっと強引な感じのとこが多かったな。
店構えだけで判断せず、複数の不動産屋をチェックしてみると良いと思う。
家選びは大変だけど、頑張ってね!
スポ根ものじゃないけど田村由美さんの「BASARA」はどうだろう?
近未来の日本を舞台にした架空の戦記物で、スケール感や努力と根性でいろんな障害を乗り越えて行くところが似ていると思う。
女が結婚相手に金を求めるのは、結婚すれば夫の分の家事育児介護を担わされるからだ。
家政婦兼産む機械兼ベビーシッター兼介護士をする代わりにそれ相応の対価が欲しい、と言っているだけだ。
と言ってしまう男は大別すると次の二種類と思われる。
・「働きもせず家事も育児もろくにせず介護なんて勿論せず夫の金でブランド物を買い漁り銀座でランチを食ってる主婦」と言う
どこの漫画の悪役キャラだと言う「主婦像」が現実でも既婚女のデフォルトだと思っている。
・妻が家政婦兼産む機械兼ベビーシッター兼介護士をしてもそれは「妻が夫に提供出来るもの」として扱わない。
これらは「妻がタダで担って当然の事」だと思っているので、プラスアルファが無い限り「妻は何もしていない」扱いをする。
前者はまさしく「現実と架空の区別がつかないオタ」そのまんまだが、こちらは現実に気付けば是正出来そうな分まだマシ。
後者は救いようがない。
で、増田はどちらなのか。
インターネット最高裁読んでる。面白い。ところでイン殺さんはどこいってしもうたんや・・・。
立場によっていきなり大幅に変わったら、そりゃミスもするよなぁ、と思う。
いままでの常識や自分の生きてきた世界は全部捨てろって言われてるようなもんだしな。
いかに政治家の常識と、マスコミのおきれいな建前がずれてるかって話であって、
要するにマスコミは政治を論じる資格が全くないし、それを喜ぶ視聴者も政治じゃなくて
ショーを見て楽しむだけなんだから、そういうのはちがう番組でやれって思うけどな。
それこそ、AKBでも吉本でもいいから、テレビの中に架空の政治世界を作って、その中で思う存分ダメ政治家を叩けばいい。
どうせ現実とネタの区別もつかないだろうし、ネタでも一向にかまわないんだろ?養殖サーモンで十分満足なんだろ?
もう浪費してる余裕があるほど現実側にリソースないんだから、ネタと混同して現実に口出さないでほしい。
太田総理って番組が嫌いだった。リソースは現実にべったり依存して、好きな事言うだけ。バカかと。
偉そうなこと言って、ネタでごまかすなら、ほんとに番組内では大田を総理とする内閣と国家を作ってしまえばいい。
ネトゲ会社の一つとでも協力すれば、ダッシュ村よりもっと簡単にできるだろ。
BLOGOS_AWARD 金融部門受賞のブロガーは匿名で経歴詐称疑惑がもたれていた。
経歴の胡散臭さを原因でwikipediaから削除抹消されていた。
http://news.livedoor.com/category/vender/kazu_fujisawa/
藤沢 数希(ふじさわ かずき、Kazuki Fujisawa)は、日本のブロガー。 本職はアメリカ系投資銀行勤務であるとしているが、経歴はすべて架空の設定である[1]。
http://ceron.jp/url/ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E6%95%B0%E5%B8%8C
削除 百科事典に記載するほどの著名性・特筆性は確認できない。自称する経歴が虚構で、その他の情報源からの言及もなければ、百科事典的な記事に成長する見込みもない。ケースEに該当。-
「努力の人」とか「成功者」とかいう露骨なキャッチコピーで紹介されることは少なくなってきたとは思うが、先駆者的な役割をかつて果した(今成している)人の話というのは実際価値があるものだと思う。奇抜なアイデアや行動力は、若者がビジネスの場をはじめとした様々の環境で活躍するのに、大いに参考にしてしかるべき部分が多い。
だけど、そういった人の話を積極的に取り込んで自分の糧にし、成長しようとする若者こそ、知っておかねばならないと考えることがある。それは、成功者がそのスタートラインから一つの目的に向けて一定のスピードで走ってきたかどうかは危ういことに気付かず、そのせいで自分自身に無力感を抱くおそれがあることだ。
インタビューや講演というのは、少なからず商業用に加工された言葉をもって構成された、一連の創作だ。なので、「『○○になりたい』という目的をしっかりもってやり続けてきた」と、数年経って語るのは、いわば後だしである。何十年前、その講演者が若かりしころ。グングンと栄養を吸い、学び、考え、経験し、成長を続けていたころ。そのときから、彼はすでに目標・目的を明示的な言葉で固め、自身の未来に向けて据えていたのであろうか。おそらくは違うことと思われる。今になって雄弁に自身の成功や挫折を語る彼が、まさにがむしゃらに走り続けているそのときから、確固たる『人生の目標』をくっきりと頭に浮かばせていたとは考えられない。それは「がむしゃら」というべき状態ではない。目的を達成し、まさに次世代の人間たちの先達となるために自分自身の経験を惜しみなく語ってくれるその人は、語るに連れて気付かぬうちに言葉に囚われ、過去の自分の脳を急激に現在の状態まで成長させた錯覚に陥っているのだ。
きっと、若さや自信に任せて夢中で走り続けているとき、彼の頭の中には言葉にならない願望や感情の断片が粒子状になったものが多数揺れ動いていたのだと思う。ときにそれらは結集し、一つの具体的な将来像を成したかもしれない。ときにそれらは霧散し、彼の眼を曇らせ眩ませるだけの濃霧にもなったかもしれない。でもその試行錯誤のうちに、ときたまチラつく幻のような自分の真意を認識し、直観を追い続けることで、何年後・何十年後に、粒子は密度を増し、振り返って考えたときに、自分が思い描くべきだった青写真がようやっと形成されるのだと思う。時が経った彼らはその写真を認識することで、あたかも若かりし自分はずっと前からそれを知覚しており、それだけを追い求めた健気な青年だったと、過去を振り返るのだろう。これを読んでる人だって、きっと「今になってあのときの自分(彼/彼女)の気持ちがわかった」という経験は何度も何度もしてきたことだと思う。
時が経ち、過去のことを正確に理解し、それを後世のために語り伝えるのは素晴らしいことだと思う。だが、素晴らしいとは言え、今を走る若者に、数年経過後に知覚された経験を差し出すのは、残酷だと言わざるをえない。なぜなら、彼が差し出す『私は20歳の頃こうだった』『君等も20歳のときはこうすると良い』は、本当は数十年分の経験を上乗せしたのちに多少薄めることで作られた「架空の20歳」だからである。
そして、若者がその真似をして自分を知覚しようとしたところで、得られるものはたかが知れている。語られる20歳が隠し持つ経験の差は絶対に埋めることはできないレベルにある。先達の語るかつての20歳と、今を生きる自分の20歳を比べて思うのだ。『僕は無力だ』と。
ある「特徴」が、特定の国や民族に本当に当てはまるものか、そして固有のものかを、
学問的に検討もしないで「〇〇的」「〇〇人的」なんて言ってしまうのは
知性で言えば短絡的としか言いようがないし
例えば
何か架空の悪い「特徴」を
それは不正確かつ差別的な言説だってことぐらいはわかりますよね?
もしくは
それと同じです。
だいたい
もしくはそこそこ知的に誠実な人でなら、
誰でもわかっている基本ですよね。
で。
日本人のいやな特徴
こんなのは
狂った民族主義者が言う「世界に冠たる日本人」式の言説と全く同レベルのたわごとですよね。ひっくり返しただけ。
こんなのを真顔で聞く人は居ない筈です。
つまりブックマークで言えば4割弱ぐらいが手のつけられない馬鹿ですが
wolf00 日本
thesecret3 ダメなとこといえば、こんなもの、あっそ?というだけでいいのに、変に反発しちゃうとこじゃないかな。。 2011/11/12
これが酷い。
「反論するところが日本人的」という非難を被せる馬鹿さん達は、
それが循環論法であることにすら気付かない自分の知能の低さを心配すべきです
その知能の低さもまた「日本人」なんかとは無関係な、全く個人の問題ですから。
もしこいつらが反論してきたら
「あー そういうとこがwolf00的なんだよなー だから駄目なんだよお前は」と言っておけばいい。
あと平素から「日本人的なるもの」みたいなタグ使ってる人も居ますが
あれも馬鹿丸出し・差別根性丸出しだから大概にしたほうがいいと思います。
…しかし、こんな出来の悪い山本七平にいまさら釣られる奴がいっぱい居るはてなという村は
言われてるほどインテリ揃いなのでしょうか本当に。
特定異性の交友関係について、話者の好みを元に、事実に基づかない仮定の下、そのシチュエーションが話者にとって性欲をそそる物であるか否かを話している
事実にはある程度基づく場合もあるからね。というか、日常から拾うならむしろ事実は前提にされる。
例に出した「見知らぬバス停の二人組」とかね。
雉も鳴かずば…ってわけじゃないけど、「二人できゃっきゃと楽しそうにしてた」という事実から出発します。
前者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から対象異性自身への好意(性的なもの含めて)。
後者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から、話者が規定した架空のシチュエーション下に置かれた対象異性への好意(性的なものも含めて)。
普通性欲は好意とは言わない。
それと、「ベクトル」と「立方体」くらい違ってれば違うと言ってもよかろうけどw
どっちも同じ「ベクトル」じゃん。違ってんのは向きと出発点くらいだ。
もし巨乳女の例で言うなら、巨乳女がどうこう語るのではなく、「巨乳女が超不細工のあのA男と付き合ってるとしたら、超興奮するよな。あいつがB専だったらとか考えてさ」というのであれば、後者と同類。
そこは逆の例を持ってきてもいいけど。
「○○学科の××クンちょーカッコイイ!デートだったらあそこ行ってここ行って…」と一人で暴走する女、とか。
でもこういうの、見たことない人にとってはあんまリアリティないっていうか、非モテこじらせてると深刻さがわかんないみたいなんだよね。
全然違う点
前者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から対象異性自身への好意(性的なもの含めて)。
後者は、対象異性がどう感じるかは別として、話者から、話者が規定した架空のシチュエーション下に置かれた対象異性への好意(性的なものも含めて)。
そして、ベクトルが全然違うものを、いくら「同じだ」と主張しても、理解されるわけがない。
もし巨乳女の例で言うなら、巨乳女がどうこう語るのではなく、「巨乳女が超不細工のあのA男と付き合ってるとしたら、超興奮するよな。あいつがB専だったらとか考えてさ」というのであれば、後者と同類。
真実が明らかになって「やっぱりそうだと思ったんだ」と、あとで記憶をすりかえないために。
ちゃんと答え合わせをできるようにするためにここに答案を記す。(FAの件は後回しにして、3社買収問題のみの回答)
問1.オリンパスの過剰な3社の見積もりについて、会社側の真意を答えよ
答案1.
①実際は05年以前から、長期にわたって収益の水増し計上を行なっていた。(※背景には同社の脆弱な財務体質?)
③架空の現預金項目が数百億のレベルにまで膨れ上がり、明らかに不自然になってしまった。
④膿を出すため、06年5月から08年4月にかけてボロクズ会社3社を総額730億円で買収する、ということにする。(※リリースすら出さず、こっそりとやる)
⑤架空買収で生じた巨額ののれん代でもって、粉飾資産部分(現預金)をおきかえる。
⑥経営環境が悪化したということにして、巨額ののれん代をごっそりと減損する。(※この時、リーマン危機が重なったのはオリンパスにとって行幸だった)
⑦帳簿上はM&Aに失敗して現預金が流出した、という形式になり、粉飾していた現預金の水増し部分が解消する。以上
以下、若干の補足説明。
・ここでの1つの焦点は、誰にカネが渡ったかではなくて実際に現金が動いていたか否かにあります。Facta(今月号)は、実際にキャッシュアウトが伴っていた前提に立ち、それがヤミ勢力に渡ったのではないかと仮説を提示しています。しかし、”ヤミ勢力”がこれだけ巨額のキャッシュをわざわざこんな大企業から受け取る必然性は薄いと考えます。経営者へのキックバック目的という仮説も同様、サラリーマン経営者が私服を肥やすには大規模すぎます。私はしたがって、現金が動いていなかったという主張を支持しています。菊川会長の一連の行動は自己の利益のためではなく、愛する自社と社員を守るために行ったものであると考えています。
・オリンパスに勤める私の弟によれば、一般社員には何一つ情報は伝わってきておらず、社内でうわさ話をすることすらタブーになっているそうです(オリンパスには伝統的に”告げ口文化”と言うのがあるため、社員がヘタに論評をすると誰かに告げ口される危険性がある)。しかし私の答案が正しいとすれば、経営陣だけでなくオリンパスの財務・経理社員もこの粉飾に加担していることになります。そうなれば組織ぐるみということになり、社会的非難・制裁の声はさらに高まってくると予想されます。
当局による回答はおそらく数週間後、以下の空欄に記載する予定。
答1.
。
http://twitter.com/#!/zaway/status/127774939330772993
http://www.news-postseven.com/archives/20110926_32114.html
んでネトウヨが発狂しているらしいけどまあその辺りはどうでもいい。
これや本人ツイッター読んで真っ先に思ったのは「男好き過ぎだろ」と。
フェミ=男嫌いと思われがちだけど、実は人一倍男好きなんじゃないかこの人は。
韓流ファンってこういう人が本当に多いのかな。
腐女子なんかを見てても思うけど、この手の「男に対して性的欲望を露にしてガツガツと消費している」女は
傍から見ていると人生楽しそうだしそれはそれで結構な事なんだけど、個人的にはついていけん。
と言うとフェミな人には抑圧がーとか言われるんだろうけど、
「女が男に性的な興味を持つなんてハシタナイ!」とかじゃなくて、何かもう最近全然に男に興味がないんだよね。性的に限らず。
リアルは勿論、韓流だろうが国産だろうがイケメンパラダイス的作品なんて全然興味ない。女メインの方が面白い。
架空物語でも女性作家の書いた女向けの女メインものでないと読む気を無くす。
新大久保(よく分からないけど韓国人街なの?)のホストクラブとか「何でわざわざ金払って男と会話しに行かにゃいかんのだ」としか思えない。
多くの婦女子諸兄には処女というのは特別意味のこもったワードらしくこのことについて書かれたブログやら何やらというのはまま見かける。
そしてそこに頻出するのが処女厨という言葉。もしこの単語が出てきたならば大体のところどんな主張を仰っているのかその想像はつく。
往々にしてこんな感じだろう。「処女を勝手に神聖視するな、処女をモノ扱いするな、処女厨こわい、きもい」
いつもならば眉を仰角30度くらいに吊り上げ一文字に結んだ口許からぐぬぬとでも漏らして終わりなのだが、今日ははっきりと言いたい。相手に処女を望むことの何がそんなにどうじてなにゆえ問題なのだ?
花も恥じらうご処女様と宮沢賢治よろしく欲にまみえむ童貞様が心も体も心身ともに結ばれ幸せそのものセカチューばりのプラトニックラブIT'S A BEAUTIFUL WORLD。
実に美しいじゃないか。
しかして正すべきのなにものもないこの世界に土足で押し入り踏み荒らしていくのが勝手に処女厨などとカテゴライズしたあげく遥かお天道様をも下す高みから見下ろしたもうたる輩だ。
彼等彼女等によれば女性に対して処女性を求める人物というのは分類学上の処女厨という範疇に収まり、それはもうおもわず目ン玉ひん向いてしまうくらいにリンカーンもビックリなご高配を賜る栄誉に預かるわけなのだ。
曰く、処女厨とは女性に対してワガママな妄想を抱いたあげくその自分本意な欲望を押し付けてくる怖くてキモい存在なのだそうな。
で、この処女厨ってなんなんだ?
ネット上には確かに非処女は肉便器とのご高説を垂れる手合いがいるが、ああいった連中のことだろうか。
ならば話が早い、あれは処女厨ではなくただ全方位に対してヘイトを撒き散らすのが目的の集団か、処女厨を隠れ蓑にした膜厨のどちらか、もしくはその両方を兼ね備えた人達だ。
まずヘイト集団は便所の落書きそのものだ、まともに相手をするのはバカと暇人だけでいい。
問題は自称処女厨の処女にあらずんば人にあらずなどとのたまう膜厨共だ。
まあこいつらの主張はごくシンプルで膜が有るか無いかの一点にのみことの是非が集約されている。膜があればよし、膜がなければわるし。
この単純明快な理論だがどう見てもおかしい。普通におかしい。ちょっとあたまおかしい。
突っ込むまでもなくこいつらはただの膜好きだ、論ずるに値しない。
まあ実際にはおお真面目に膜が云々と書き立ててる奴などそうはいないのだが、こいつらの言う所を噛み砕いてやればそういうことなのだ。
とここで対になるのが精神的処女厨という言葉なのだが、これこそが言いたかったことの一つだったりする。
精神的処女厨とは女性に対して膜の有無ではなく、それが初恋であることを求める人間のことだ。というか俺のことだ。
断言するが肉体的処女厨なんてのは2chを中心としたネタに過ぎない。
あえて矛盾点をしこたま抱え、通る道理のない所を無理やり通してしまう。
無茶な理論だと分かっているからこそムキになって反論してくる相手の存在が心地よく、横暴に振る舞えば振る舞うほど快感を覚えることのできる、そんな趣味の悪いお遊びだ。
そして冒頭に戻るが大抵の場合が処女厨と言われればこの肉体的処女厨のことを指している。いいかこんな奴はいない、存在しないんだ。
確かに処女膜という記号に萌えて燃えるやつはいるだろう、しかしそいつらは非処女を忌避しているわけではない。
ましてや肉便器肉便器などと呪文を唱え据え膳食わぬどころか膳には唾棄するべしというような信条をもったやつらでは決してないのだ。
詰まるところ相手が処女だと聞いて喜ぶような輩はいても膜がないからといって、それのみを理由にボールをストライクゾーンから一つも二つも外してしまうような輩はいないのである。
肉体的処女厨というのはたけのこ厨、きのこ厨と同じお遊びの産物に過ぎない。
では熱意と情熱をもって処女に対しそのほとばしるリビとーを思うがままに開放している彼等の言は全てがお遊戯なのかと言われればそうではない、
一分に真実の叫びが混じっており、それを担っているのが精神的処女厨というわけだ。
異性への好意、その最初の相手が自分であることを求める、つまり初恋でなければ許せないというのが精神的処女厨であることは先程述べたが、
逆に肉体的には無理矢理にレイプされていようが知らぬ内にネットペニスとやらに貫かれていようがそこに心理的な同意がなければ全くの無問題である。
なんのことはない運命の赤い糸とは言わないが好きになるのならそれが最初の恋であってほしいという叶わぬ夢であること間違いなしの想いなのだがただそれだけのことである。
で、これのどこにカースト制度ばりの侮蔑を投げかけられる要素があるというのだろうか?
例えば特定の相手ができたとすればその相手には精神的な処女性を求めたいとただそれだけだ。俺はでかい乳にそそられるだとか、貧乳こそ正義だとかそんな好みの話である。
別に精神的"非"処女の方々を蔑んでいるだとか嘲っているだとかそんなことは一切ない。
けれど、にも関わらず、しかるにだ、なぜだか勝手に虚空の存在である処女厨とやらにカテゴライズされた挙句、ご丁寧に被害者面して散々ディスられ、いつのまにやら上下が逆転しもうちょっと大人になられたら如何でしょうかと諭されるのである。
被害妄想?そうであればよいのだが彼等彼女等が指すところの処女厨というのには確かに俺が含まれている、実際にはそれがいもしない肉体的処女厨に向けられた言であってもだ。
大体個人の好みの問題になぜ割って入ってくるんだ?そんなに憎いのか?否定も肯定もされていないというのが嫌なのか?そこに有るというただそれだけがそんなに許しがたいことなのか?処女厨という架空の藁人形を編みあげてひたすら釘で打ち据えるのがそんなに楽しいのか?
俺ァ逆になんでそんなに執拗に「個別の事象」とやらを無視しようとすんのかが不思議だぜw
それに問題がいささかすり替わっているようなんですけど。
ダイエットサプリを毛嫌いする男が一人居て、そいつがたまさか他人を指差すような奴だとしても、広告の考えに何の影響があるんだよ。
そのほかの大多数がダイエットサプリなんてビタミン剤程度に考えてれば、ガンガン広告打てるだろうが。
そして「大多数が」指差す事態になっていたら、「本来気にすべき身の周りの実在の人物」が指差そうが指すまいが、その商品は死んでるの。
ちょっと話がズレ過ぎなんでまず元増田に戻ると、あれ別にビデオカメラを毛嫌いしてCM叩いてるわけじゃないからね。売り方がきめーんだよというお話で。
売り方の何がどうキモイかっていうと、欲望の流れ方というか流し方がおかしい感じがきもちわるいんだな。たぶん。
CMが煽ってる類の欲望が、発生箇所もおかしければ行き着くところも何かヘン。そしてそれが不快なんだ。
でその「行き着くところ」のひとつっていうのが、「本来気にすべき身の周りの実在の人物をないがしろにする」っていうあたりなのが問題ですよねー、という話だ。
わかるかな?
EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。
A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)
https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms
pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空の名前。ペンネーム
個人が生来の名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済的報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。
オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからのオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。
仮名での発言は歴史的にも重要な役割を果たしてきた。ジョージ・エリオットやマーク・トウェインの文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアスの政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。
Google+の身元確認ポリシーから、オンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+はユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報を提供せよ」という要求と似ている。Googleのポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームがアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。
ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名はユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキングや嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。
これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。
例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイードが警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月に管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookのスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。
個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティのティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者やパートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治的見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。
マッキンタイア対オハイオ選挙委員会の裁判でジョン・ポール・スティーブンス最高裁判事が提案したとおり、
「匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的、不寛容な社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利は詐欺的行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会は言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」
「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう。
ギークフェミニズムのブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々をWikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。
Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名はJing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来の名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された。10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebookは実名ポリシーの厳格な強制を主張した。
Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。
「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。
GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシーを作成する権利がある。しかしこれらの企業が多様性や表現の自由を犠牲にしておきながら、「実名」ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。
「金持ちがこう動くから!こう動くから!」って熱弁するので笑ってしまっただけなんだけど
って仮定でストーリーを作ったり披露したりするのって
少なくとも俺とは関係ない何かだと思う。
ほんとにねえ。
かつて純真だった若者は、あるとき世の中にある『利権構造』というものを教えられたとき、社会の全てのカラクリが解けたような気になる。
それまで、どうして貧富の差が大きいのだろう?どうして政治家は馬鹿なことをしているのだろう?どうして愚かな戦争が起こるのだろう?・・・と、純粋なる心で不思議に思っていた疑問に対して、『カネ』とそれに執着する『悪い人』の存在をベースにした説明は明快で、非常にわかりやすい回答を与える。
そしてそれを知ったとき、世の中の汚さを知り、若者はひとつオトナになる。
---ただ、いつまでたってもそれ以上に考えを進めず、それで自分が賢くなった気でいる"オトナ"があまりに多い。
「それが世の中の全てさ」とそこで思考停止し、シニカルに批判してペシミストを気取る。
それは究極、「みんな『悪い人』が悪いんだ!」と誰かのせいにしているだけである。これが本当にオトナの考え方だろうか?
本当に様々な経験を重ねたオトナなら、一度は、こんな経験をするはずだ。
「誰も何も悪くないのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・」
正義と正義がぶつかった諍い。善意が招いてしまった失敗。一部でなく全部を満足させようとして結局全部ダメに。
悪人はどこにもいなかったのに、結果的に誰かが酷い目にあってしまう哀しい構図。
---『悪い人』がいなくても、結果として『悪いこと』は起こり得る・・・
それを知ってから、改めて歴史や社会を見直す。すると、かつて「一部の悪い人の利権」をベースとした説明ですっかり理解した(つもりになっていた)『悪いこと』を起こした原因に、『悪い人』は誰もいなかった-無知や誤解や失敗があっただけ-というケースがとても多いこともわかってくる。
だからこそ、我々は、自らの『正しい』行為が意図せず『悪』に転じないように、よく学び、よく考えて、慎重に自戒しながら、生きていかなくちゃいけない・・・。
ところが、残念ながら、そこの段階に進まない人は多い。
進まない人をここでは「第1段階のオトナ」、そこから先に進んだ人を「第2段階のオトナ」と呼ぶことにする。
第1段階のオトナは、前述のような、誰も悪くないのに結果として失敗してしまったような状況で、自分の世界観に合わせて『悪い人』を探し出そうとする。
”私達と逆のことを言う人間は全員、真実がバレたら『都合が悪い』連中で、つまり『利権』を受け取っているに決まっている。
「そうじゃないよ、悪い人のせいじゃないよ」と語るマスコミや知識人はみんなその利権に買収されている御用業者だ。
一般人で彼らを擁護する人達は、みんなオトナの知識(利権構造)を知らないコドモだから、すっかり騙されているんだよね。バカだなあ。”
---と。
そうして、一切を『悪い人』のせいにして、その証拠が無いのは『隠蔽』されてると決めつけて、それに対する反論はすべて陰謀と無知によるものと相手にせず、自分は「騙されない人間」「裏事情通」という"高み"にいるつもりになっているのである。
さて、誤解されてはいけないが、第2段階のオトナは、世の中に『利権』『保身』による悪なんて全く無い、などと言っているわけではない。
第1段階を一度は経ているから、大企業や財界、政界がそれに染まっていることは当然、社会人の常識として知っている。
第2段階のオトナは、利権構造の悪を知りつつ、それを自分とは全く関係ない他者のものとしては捉えない。
我々に出来るのは、「他人のせい」にせず、すべてを自らの問題に布置して考えることだということを知っている。
家族持ちの正社員がある日突然「お前の業務なんてアルバイトで充分だから、明日からバイトの身分になれ」と言われたら、給料・社会保障という『利権』を守るため、正社員の地位を守るため『保身』に必死になるだろう。
あなたが中小企業の社長で、もし最大の取引先から突然「もっと割のいい会社と取引することにしました、サヨウナラ」と言われたら、部下の社員達のために『利権』を守ろうと必死で裏接待でも賄賂でも何でもして、取引先から得ている『既得権益』を守るために必死になるだろう。
それを責められるだろうか?
トップになればなるほど、多数の部下を護る責任は大きくなる。最終的には日本全体に対しての責任が出てくる。
彼らが背負っているのは決して「自分の贅沢」「地位」「名誉」だけじゃないのだ。
そして彼らは、日本代表として不当なほどの『利権』を世界の中で奪ってくれてきた。
結果は、税金などを通して、我々日本国民全員の豊かな暮らしにちゃんと反映されている。
彼らの『利権』に与かってきたのは、誰あろう私たち全員だ。我々は決して、無垢な第三者ではない。
日本はなんだかんだ言いながらちゃんと民主主義国である。制度に問題はあれど、究極は一票一票の積み重ねが、現政府を選んだ。
なのに第1段階のオトナはしばしば、『政府』というものを、どこか自分とは縁のない陰謀世界から派遣された『恐ろしい権力』と考えてるとしか思えない言動をする。
困ったことに知識人とされる人の中にも第1段階のオトナがいて、コドモから第1段階に至ったばかりの人たちを扇動し、居りもしない架空の『闇の勢力』を攻撃することに無駄なエネルギーを注がせている・・・
第2段階のオトナは、利権構造や人間の保身的な行動というものをちゃんと認識しながらも(第1段階)、全てを『悪い人』のせいにして思考停止せず、自分自身の問題に敷衍して全ての情報を考える。
そして意志表明の手段として、選挙に行く。
Aテレビ:売上高1000億円、社員1000人、平均給与2000万円、電波利用料10億円、その他経費690億円
Bテレビ:売上高1000億円、社員1000人、平均給与1000万円、電波利用料10億円、その他経費690億円
それぞれの営業利益は
Bテレビ:200億円
となります。
Bテレビ:5%
です。
どうですか?
電波利用料は同額であるにもかかわらず、営業利益に対する比率を求めたために差が生じます。
Aテレビでは(営業利益に対して)10%もの電波利用料を支払っているように見えますが、実のところ給与が高すぎるだけなのです。