はてなキーワード: スイッチとは
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
http://anond.hatelabo.jp/20120106221451
「育ちのいい誰か」をみかけただけで行間に発生するその攻撃性は、将来あなたの子どもを心の底からうんざりさせかねない。誰かへの「恨み」というのは、それくらい強い。今のままだと、あなたの言うような「誰も怒鳴らない穏やかな家庭」など絵に描いた餅だ。あなたがその「父親への恨み」とどこかで対決して、父親と和解する道をみつけられない限り、あなたは同じ苦しみの輪の中をぐるぐる回り続けることになる。
大げさだと思うか? たとえば将来増田の結婚相手が、自分の子どもに似たような台詞を(ちょっとでも)言ったらどうなると思う? あるいは増田の大切な隣人が言ってるのを聞いたらどう思うと思う? あるいは、その「父親」が自分の子どもにそれを言ってるのを見かけたらどう思う? そして、いつか自分の子どもが、孫に向かって言ってるのを聞いたら……? あなたのスイッチは簡単に入ってしまうんじゃないか? そして子どもは、それを見てウンザリしながら思うわけだ。「あんなコンプレックスを抱えた大人にはなるまい…」と。
悪いこと言わないから、一度親にその意見をぶつけてみるとか、あるいは親がそういうことを言うようになった背景をじっくり考えてみるべき。そして、父親を「許す」考え方について、真剣に考えてみるようアドバイスするよ。まあ、増田の言葉がどこまで届くか分からんけど。
生まれて初めてのバリウムだたので緊張。
その後、下剤を2粒渡される。普段から下痢気味なのだがとりあえず摂取。
この下剤は遅効性なので、8時間後に聞いてくるとのこと。
8時間後というとおそらく飲み会の2次会くらいに当たる時間帯なので
用心には用心を重ねて自宅で数回の運行を執行してから飲み会に向かった。
飲み会においてはつつがなく進行。心配していた便意も催さず、一安心。
結構飲んでご機嫌な俺。
まったくもって便意もなく、不安も感じないまま飲み会も終了し、終電前あたりで帰路に向かいました。
自宅最寄り駅に到着し、自転車に乗った瞬間
ブリョリョリョリョリョリョリョリョ!!!!
えっ?(;^ω^)
リョリョリョリョブバッ!!!!
サドルにまたがった瞬間勝手に肛門がフルオープンし、盛大に噴出しました。
(;^ω^)・・・・?
まったく訳がわかりません。
なんかもうサドルに座ったのがスイッチのように、勝手に開いてくれています。
駐輪場には人はまばらにいましたがおそらく気づかれていない。
なのでダッシュで帰るしかない。しかしながら酒をしこたま飲んだあとなので水っぽい。
そしてこの12月の寒空でどんどん冷やされる。
途中信号待ちで明らかにズボンの裾と靴に泥水みたいなものを垂らして
異臭を振りまいているわけですが、暗いのでとりあえず気づかれず自宅まで猛ダッシュ。
家についたがどうにもごまかしきれないので、嫁に言うしかない。というかまだ出てるよ肛門よ。
俺「ただいま(あくまで冷静に) 帰ってきて早々なんだけど一つ誤らなきゃ行けないことがあるんだ」
俺「いや、うんこ漏らした」
くせぇー!」
俺「・・・( ;ω;)」
とりあえずトイレで残りを出し切ってそのまま風呂場でジーパンとパンツを洗い流すが、
白いバリウムが絵の具のようにびったりこびりついてやがる。
シャワーの水圧をマックスにするも、今度は排水溝のところで白茶色いセメントみたいに固まりやがる・・・
とそんな時に嫁の叫び声が家の中に響き渡っってくる
嫁「便座がうんこまみれじゃーーーー!!!!」
俺「・・・・(`;ω;´)」
そのあとはもうさんざんですよ。夫の威厳ゼロですよ。うんこたれ蔵ですよ。
便座は何とかふいてくれたが一日あけて今日になって
お詫びのしなをクリスマスプレゼントに追加要求されそうです。
はてな界隈で結婚したよ!って言うとけっこうな数おめでとう!って言われてる人がいる。すごい羨ましい。
病気で仕事退職して、良くなるまで毎日だらだらしてる(医者の指示)ので結婚したよ!って言える人が両親以外にいない。ツイッターでは婚姻届提出しました~って書いたけど11/22の平日、しかも多くの人は思いっきり仕事中の15:00に受理されたので、おめでとうございますのリプは早上がりした友達の友達(現場系技術者)の一人だけだった。ありがとう、会ったことないけど、って感じである。
まぁ、フォロワー100人もいないし。今までの忙しさにかまけて人間関係を疎かにしてたし。自分でもお祝いの言葉を言われたいのは、わたしを見て!かまって!っていう思考だろうって思ってる。友達全員に厚かましく結婚しましたよメールを一斉送信したところで、あぁそう、くらいにしか思われないだろうし、返信もないだろう。みんな年末進行で疲れてるだろうし。
私もここ3年くらい忙しくてろくにメールの返事も書けなかった。新卒で就職した会社が1年未満で倒産、再就職先も1年経たず事業縮小で契約解除。生活費を稼ぐのに必死すぎて、大学の友達(7割は実家住まい)の女子会()も上の空で出席した。当たり前のように、会話も仕事に関係することしかできない。趣味の話をしようにも、スイーツ的な、赤文字系雑誌そのまま、みたいな人に、今年のアニメで面白かったのはまど☆マギとピンドラかな~とか、モンハン3G楽しみすぎて寝れないわー今回は双剣から始めるつもりなんだ~とか言えない。しかも文字にするとあっさりだけど、きっと実際に発音したら無意識にデュフフって言いそうで怖い。メールも何書いたらいいのかわからなくて事務的になりがち。友達の真似してデコメ頑張ったけどわからなさすぎワロタwwwっていうか事務的なメールにデコメ似合わなさすぎワロッシュwww
まぁ、付き合う友達の趣味が自分と合わないからそんなに仲良くないっていうのもわかってる。でもそれにしたって、仕事しかしてこないのは、いつか生活することをメインに人生を歩き始めたときに自分の回りに何もなくなる可能性があるので、独身社畜の方はよく飲みにいったりするお友達を大切にしてください。それで友達が結婚したら、知るかよ!!とか拗ねず、結婚とか人生の墓場だろjkとか皮肉らず、半年くらいは素直におめでとう!って言いまくってください。恋愛はひけらかすのはつまらないけど、結婚はおおっぴらにした方がいいし。多分言われて悪い気持ちにならない。結婚したばかりの人じゃなくても素敵ですね!って言われたら嬉しいよ多分。私はそんなこと言える既婚者って両親くらいだけど。
ちなみに、結婚して嬉しいって思いたいだけだろって思われそうだけど、結婚して1ヶ月も経ってないので結婚生活がどういうものなのかわからないので、そうです!とも、ちがうよ!とも言えないです。ただ、残業して11時過ぎにへとへとになって家帰ってきて暗くて寒い中ストーブのスイッチ入れて暖まるまでそこから動けないのよりは、相手が寝てても、ほんのり家の中あったかいし家族がいて安心するのは確かです。年々感じなくなるかもしれないけどね。
ということで、おめでとう!コメントください。
わたしもおめでとうって言われてる人を羨ましがらないでおめでとう!って言うから。
デヴィ夫人のブログを読んで本気で気持ち悪くなった。ああいった意見を持った人間がいること自体はともかく、それに対して「よく言った!」「日本人の誇りだ!」みたいなコメントがついてるのを見るとぞっとする。痴漢冤罪は被害者立場を利用した女性からの迫害だから女が悪い!痴漢は性欲を催させるような格好をしているような女が悪い!という免責をしてミソジニー丸出ししてる浅い思考が透けて見えて本当に気持ち悪い。おまけにそれをそのまま強姦に適用しているあたり、女にとって名誉ある男に犯されるのはどういった形であれ幸福であり、それを盾にああいった騒ぎを起こすなんてとんでもない、というような視線まで感じられる。ひっでぇ。それで、朝からそんなものを見かけたせいでテンション下がりまくりな状態で俺は考えたわけである。セックスとは何ぞや。性欲とは何ぞや。もちろん実際に経験がない人間なわけだから限界はあるだろうけれど、それを考えることは無意味じゃないだろうってことで。
そもそも俺が今まで性について触れてきたのって、大体はエロゲや官能小説、エロマンガ、AVというものが殆どで、学校の性教育は全然薄かった。せいぜいが性病の感染に気をつけてくださいねーくらいで、それ以外の部分については一切なし。だから自然とそういうメディアで興奮するようになっていたわけだけど、やっぱりどうしてもそれはオナニーでしかない。セックスではない。セックスっていうのは二人の関係の中で起こる行為だからだ。単なる性欲の発散以上の意味合いを持っていて欲しい、と思う。しかし男にとってそれが難しいのは、どうしても性欲というスイッチがあることだ。それなりに単純なこのスイッチは割と簡単に入るし、条件次第ではそれのことしか考えられなくなる。股間でものを考えてしまう状態というのがどうしてもそこにあるわけだ。ただ、そういった本能のまま、衝動のままの性欲を人間を相手にぶつけるってのは、俺はどうしても肯定できない。だって相手は人間なのだ。自分と同じように考えたり感じたりする人間相手にありのままの性欲をぶつけるってことがどうしても耐えられない。性欲は乱暴な面もあるし、おまけに男はチンコ突っ込んで射精してあーきもちよかった、で済ませられてしまう。それってセックスじゃねえじゃん、と思うわけだ。生身の人間の膣を使ったオナニーでしかない。人間はオナホールじゃないんだぞ。もちろん、そういった性欲の存在は否定しないし、発散する手段はあっていい。そのためにポルノメディアはあるんだと思う。オナニーに際してそれを用いることには俺は賛成だ。確かに「悔しい、でも感じちゃう(ビクン」なメソッドには興奮する。するよ。ちんぽギンギンだよ。でもそれを、もし生身の相手のにんげんにやって、おまけに相手が嫌がってたら、それ、やめるべきでしょ?
あと、恋愛は性欲をデコレーションしただけのことだ、なんて言葉に浸って恋愛の不可能性を指摘した気になっているような奴はどうにかしたほうがいいと思う。恋愛に性欲は不可欠だけど、それをどう運用していくかってことが大事であって、セックスのないプラトニックな恋愛=清純=理想、セックスのある恋愛=生々しい=現実、みたいな稚拙な二項対立に持ってくのだけは童貞として避けていきたい。セックスのあるプラトニックな関係だってあっていいし、セックスのない生々しい関係だってあっていいじゃないですか(そこんとこどうなんですか恋愛経験者の皆さん)。
大事なのは、セックスっていうのは二人のものだってこと。だから普段は仲が良いのに彼氏から乱暴なセックスされてつらいだとか、別れるのが怖くてしたくもないセックスばっかりさせられた、みたいな話を聞くたびに俺はもうやるせなくなってくる。なにやってんだよと。せっかく相手に触れていい、そういうことをしていいっていう関係を築けてるのに、どうしてそこでそうやってしまうんだよ、と。別にうらやましいんじゃなくて(まあ嫉妬だといわれたらそうなってしまうんだろうけど)、なんというか、悔しい。ある程度人と関わっていくことができるような人間にとって、恋愛やセックスって、傷つくことも嫌なこともたくさんあるけど、それと同じ、それ以上に嬉しいことや喜ばしいことがあっていいはずじゃないか。なんでそこで傷つけるだけで終わらせてしまうのかがわからない。なんでだよ。
もちろん性に対しておおっぴらにしろってわけじゃないけど、でも、たとえばセックスが終わった後に、お互いに自由に感想を交わせるような習慣があっていいんじゃないか。女性の側も男性の側も、痛かっただとか、もうちょっと優しくして欲しいだとか、そこを触られたのは気持ちよかっただとか、そういうことをやって、二人でセックスを作り上げていくべきだろ。そうじゃなきゃセックスじゃねぇって。形だけの同意とってんじゃねえよ。悔しくても感じてるって勝手に信じるなよ。本当にセックスできるのか考えろよ、性欲を上手に乗りこなせよ。ポルノメディアみたいなセックスのことを考えるなら、そうでないセックスのことを考えてもいいじゃないか。男が女にセックスしてやる、チンポ突っ込んでよがらせてやるよ、みたいなセックスじゃなくて、清濁併せ呑んで二人だけのセックスを試行錯誤して作り上げていけよ。そうであってくれよ。
だから、こういうレイプだとか性犯罪に関して、セックスを通じて性暴力という形で人が人を傷つけてしまった、不快な思いをさせたってのはだめだ。しかも今回は立場とかの問題も絡んでる。それなのにデヴィ夫人のブログとかそこにつくコメントみたいな意見が支持されるのはやるせない。鈍感にもほどがある。俺はそう思う。
……そう思うんだけど、なんつーか、あくまで童貞の理想論であることも認める。ので、セックスしたことある人、嫌だったセックスをさせられたことのある人、俺みたいな意見って、どうなんでしょう。以上。
コメント(トラックバック?)下さった方がいらっしゃることに驚いています。
変更前→元増田
変更後→増田
先日に帰りの電車内であったこと。
駅のホームで、先頭の方で電車を待っていた20代のメガネをかけた僕。
その駅は、時間帯の関係で、先頭で待ってたら、間違いなく座れる。
後ろの方で待ってる人が全員座れるかどうか分からない。
ましてや、隣同士で座りたいグループになると、
バラバラに座るか、誰かが立つ必要がある。
電車が来たので、真っ先に空いている座席の端に座る。
まるで、オセロの角を取るかのごとく狙いすましたように。
遅れて、後ろの方で待っていたと思われる、
ちょうど、僕の隣が空いていたので、外国人の一人が座る。
もう一人の外国人が僕の前に立つ。
とりあえず、僕は座っておくことに。
電車内の人の席争いが一段落をして、一つ空いてる席があったので、
外国人が、日本語で「ありがとう」と言う。僕は微笑み返しをする。
空いてるせきに座る頃に、電車は発進。
お年を召した方(以下、お)が、話しかけてくる。
お「君の厚意にありがとうって言ってたね。」
僕「あっはい。(大事なことだから、同じこと言うのね、分かります。)」
お「君の厚意は、素敵だけど、あんまり外国人に気を遣いすぎたら、ダメだよ、
なめられるかもしれないから。」
iPhoneをいじりだす僕にお年を召した方は、
慎重に話しかけてきた。
お「所で、君のやりたいことについてもいいかな?差し支えなければだよ、差し支えなければ。」
それは、自分の為にもなるし、人を喜ばせることも出来るので、プログラミングで、
多くの人の役に立ちたいです。」とたどたどしく緊張しながら言う。
※自分は、説明が下手意識があるので説明する時は、若干の緊張を伴う。
お「プログラミングって具体的にどんなことが出来るの?」
ブラウザの説明をする。
Webサイトの説明をする。
誤解を招くようだが、MicrosoftのOfficeを例えに出して、
それをブラウザでやれるようにするのが
僕のやりたい(Webプログラミング)ことです。的な説明をする。
お年を召した方は、途中途中、相槌を打ちながら、理解してくれたみたいで、つぎのやり取りをする。
お「ということは、沢山の人にとって簡単に操作出来るものを作らなきゃいけないね。」
僕「(おっ、理解してくれたというような感じと思ったので)素晴らしい、素晴らしいです。」と言う。
それに気を良くしたのか、
そこから、暫くは、お年を召した方がこうしたらいい、
こういうものを作らなければいけない等と助言を僕にする。
ちなみに、僕は相槌が上手い方だと思われる。
加えて、iPhoneをいじっていた僕に対して、iPhoneを指差しながら、次のことをいう。
お「全ては、それで操作出来るものを作らなければならないね。」
助手が手放しで喜びを見せるように。
ただの話好きのお年を召した方という感じで終わる。
ここからが、違かった。
お「ところでね、私は、(A5orB5ぐらいの大きさをジェスチャーをして、)これぐらいのパソコンにも興味を持っていてね。」
お「あれだと、重くてね。(iPhoneを指さしながら)これで全て出来るようにならなきゃならない。
私たちみたいな一般人は、それを求めている。」的なことを畳みかけるように言う。
僕「あれは、けっこう年配の方も普通に使ってますよ。」ちょっと無視。
お「これから、高齢化社会になるから、君はそういうもの作らなきゃならない。」
そして最後になぜか自分が消費者の中心的発言の断定。これでちょっと、僕にスイッチが入った。
僕「ですから、iPadも実際に年配の方も使っているのを知ってます。
お「・・・。(iPhoneを指差して、)これをつかって、君は年寄りが分かるように作らなきゃならない。」
また無視。都合が悪い場合に、話題を変えるのは、社会人のやることである。
お「我々のような年寄りにそれを求めちゃいけない。」
僕「だから、なぜ分からないんですか?何が分からないんですか?」
お「我々にそれを求めちゃいかん。」
僕は我慢をせずに、不満な顔をあらわにして、
降りたい駅が近づいてきたこともあり、席を立ちドアの前で待つことに。
年寄りだから?このPCのアプリケーションが使える使えないで、年寄りが理由になるの?
年を取って、身体機能が衰えることは知ってる。
だけど、頭とかを対して使わないようなアプリケーションに年寄りって関係あるの?
まるで、高齢化社会だから自分中心の世界が待ってるみたいな意見とかむかついたし、
恐らく介護は日本人だけでなく外人に頼るようなケースはけっこう出てくると思う。
加えて、日本はTPP参加表明をして、外国人労働者が増えると叫ばれている。
と、こんな思いがあって、かなり腹が立った。久方ぶりである。
とりあえず、腹がたったということは、
外人差別と、高齢化社会に対して、割と興味があるんだなって思った。
こういう感じで腹が立つっていうのは、気が短いだろうか?
※会話は一語一句正確ではなく、あくまでもこんな感じの言い争いでした。
両者とも、声は荒げてないです。僕の方が冷静なトーンで、不満な顔で言ったレベルです。
この長い日記を最後まで読んでくれた方がいたら、お礼を言います。
ありがとうございました。
あるよ!もちろん。『ダークソウル』ってゲームをつい最近までプレイしてたよ。ゲーム全体に漂う暗い感じが良いよね^^
で、一つ思ったんだけど、俺らがコントローラ操作でゲームをプレイしているなかで、WASDかスイッチかの他にもう一つ大きなパラダイムがあったよな。
「アナログパッド」だよ。アナログパッドは最初、コマンド入力がしづらいとされ、正確な方向の入力が難しいとされ、多くの人間はそれを嫌っていた。しかし、今の時代においてアナログパッドを入力として用いないゲームはまず存在しない。俺らはアナログパッドを受け入れた。時間はある程度懸かったかもしれないけどな。
そういうことだよ。時間が解決する問題なんだ。タッチパネルか、キーパッドかなんてモノは。
あと少し思ったんだけど、WASD操作そのものはFPSの始まりと同じ時期だと思うけど、ZXをABボタンのようなモノに見なす操作はかなり昔から無かったか? PC98でぽっぷるめいるってゲームをやっていた記憶があるんだが、その頃から既にキーボードをコントローラにせざるを得なかった操作系があったと思ったんだが。
affected そういうシステム
● 動いているネットワークには触るな。
● 配線図を信用するな。
● 特権権限のパスワードが「password」の機器は誰もログインしていない。
● 冗長構成は動かない。
● 機器触っている時に「あっ。」って言う人は信用するな。
● しばらくアラームが来ない場合、何らかの問題が起きている。
● ググれ。
● 再起動は命がけでやれ。
● バックアップは戻らない。
● 素人は素直に申し出ろ。
● 手順書も読めない
● 手順書は読めるが作れない
● 手順書がないと作業できない
● だいたい手順書が間違っている
● 早業で障害対応したのに怒られる
● 飲み会の日は夕方障害発生
● コンフィグを保存し忘れる
● デフォルトオリジネートは消える
● 堅い名前をつけても誰も呼ばない
● MUAにこだわる
● キーボードにこだわる
● OSにこだわる
● そのスイッチのせいでSTP走って混乱
● 攻撃だそれフィルタと安易に言う奴が多い
● それはだいたい管理職
● 攻撃されている顧客には連絡が取れない
● DNSのことは知らない
● 経路交換は政治だ
● 落雷に敏感だ
● 生き字引みたいな人が居る
● その人のデスクはだいたい汚い
● 椅子の座り方をしらない
● 椅子を並べて寝るのが上手い
● ラックの間で昼寝する
● 光ケーブルの受光は目で確認しちゃう
● DC電源が怖い という話が怖い
● 低レイヤの事は以外としらない
● ケーブルは埋め殺す
● 埋め殺されたケーブルが多くてケーブル撤去できないのでそのケーブルも埋め殺す
いろいろみても悩む・・
でも持っていない子もいる。
でも持っていない子もいる。
友達が持ってれば興味津々。
でも、友達(一人に限らず)が遊びにきてる時に
うちのコにかしてくれたことはない。
うちは下に年中がおる。
これも興味津々。
のぞいたりつい手が出たりする。
(上もだけど)
でもやっぱり貸してもらえず
ぶちぎれされてぼろくそ言われてる・・
私としては・・
単純に・・
貸すわけでも一緒にプレイするわけでもなく
うちがもってないので通信するわけでもなく
怒るのならば
旦那さんはその様子を聞いて
「それでも一緒に遊んでる事になるんじゃないの?」とのほほん
「そうだよね・・」と引き下がり
終わるのをずっとそばで何もせずに待っていたり
しびれを切らせて
「一緒にベイブレードしようよ!」と誘っても
見るに見かねて「ちょっと休憩しようよ!○○くんが持ってきてくれたおやつたべよ」と
声かけて
無言で飲み食い・・
とか
やっぱり・・なんできたの?としかー
いまどきはそういうものだろうか・・
相手の親にも何かの流れで「うちにはDSなくて~」と
話してあるのに持たせてくるし
遊んでて実際「ゲームやりたいから帰る」と会ってすぐ帰ることも
ゲームが悪いとかじゃなく
一緒に遊べる!と期待して
ゲームばかりされると・・
じっと待ってる子供がかわいそうに見えちゃう
でも旦那さんは「かわいそうじゃないよ~楽しんでるよきっと」って言うんだけど
それ理解できない・・
旦那さんいわく
私の方だし
もっといえば子供が起きてる間でも「ゲームしてぇ」って時あるし
やってないだけで
かわいそすぎてゲームを与えたくなる時あるけど
あげたらずっとやりそうで不安だし・・
ずっとやると私が楽なんで私がなにもしなくなりそうなのが不安ってゆう意味で・・
いざ「今一番欲しいものは?」って聞くと「なんとかスイッチ(ライダーの?)かブーブ(車のおもちゃ?)」
っていうし、なんかすごくDSが欲しいわけでもないのかなぁとか。
ビーゴ(ちゃれんじも)やってるからゲームあげたらそっちやらなくなりそうって
なんかイライラして「こっちもかったるわー」と子供に買い与えたくなる時もあるし・・
もしゲーム与えたらうちとしては「一日何時間」にあまり意味はないと思ってて
(眼精疲労とかドライアイとか、やからちょっと休憩しろよとは思うけど)
やることやったらどんだけやってもええとか思ってて
ただあんまり遅くまで起きてて朝起きれないなら
それはあかんやろーできないなら寝ろやってなって
じゃー休日で学校とかなければ夜までやっててええんかい言われたら
ええんちゃうの?って言いそうでこわいとか・・・
平日も子供が友だちと遊びたいと飛び出していくより
家でDSやっててくれた方がハラハラドキドキしなくてすむし・・
行き場のない子供たちが
さほど接点もないのに
そういう子達に外で出会って絡まれて
連れてくる事もなかろうにと
でもなんか親の責任放棄しそうで
なんかいいのかなぁとか。
テレビももっとつけててええよ(つーかちょっと今○○やってるから(ご飯作ってるとか風呂掃除してるとか)みててくれ)
思っても突然「もういい」て消したりするからな・・
親がこれみたいねん!って、もう今日はテレビ見ながら限界まで起きてていつの間にか寝ちゃったね☆パターンでいってくれ
ゆう時でも「もう見なーい」ゆうたり
与えたところで
思ったよりゲームにはまってくれない気もする・・
与えたら「上手くなって欲しい!」とか「続編(?)出たから欲しい!」とか
親の方があつくなりそうだし
そもそもDSもってない子と遊ぶときにDS持ってくるってどうなの
公園でやったりするけど
公園でやるなら遊具で遊びたい子の邪魔やからじぶん家でやればええやないの・・
もし「家でやらないで外で遊びな」と出されてるとしたら
約束破ってることになるし
とにかくいらいらしちゃう
「なんでDSやってちゃいけないの?」って聞かれたりするけど
(持ってきた子に)
「きたねぇ手でさわんなよ!きもちわりーなそばによんなよ!」
逆に「ゲームやめて遊んだら」ってなぜ思っちゃ不思議よ?と思うんだけど
友達トラブルが嫌で小学校入学後に習い事が増えると聞いたこともあるし
なるほどなとも思うし
実際そういううちも多いけど・・
うちは平日の習い事嫌がるしな・・
とにかく友達と遊びたいわけで・・
やっぱりまだ与えない方がいいのかなぁと思ったりの繰り返しで
悩む悩む悩む
ソフトかせとか買えとかそういう問題も出てきそうな不安もよぎるなぁ
えんどれす
この記事どう思いますか?
飲食店でアルバイトをしていると、たまに「ああ、このお客さんは俺のことを人間だとは意識せずに、店員だとしか思ってないな」と感じる瞬間がある。
別にそれで何かあるわけではなく、ちょっと不快な思いをして、こっちも店員とお客さんという型に合わせたコミュニケーションのスイッチが入るだけ。これはよくあること。
ただ、最近そういったお客さんが「店員さんに横暴な態度をとる人が信じられない。」と言っているのを耳にした。
理由を聞きたくてうずうずしたのは言うまでもない。
理由を聞けば、きっと「店員さん可哀想じゃん、店員さんも人間だよ、そもそも人としてどうなの」的な言葉が返ってくるんだろうなあと思う。
彼に理由は聞いていないので想像になるけど、もしそういう考えなのだったら、それは非常に手抜きしたコミュニケーションではないか。
つまり、店員と客という間でも根本に自分とあなたという考えがあれば、「生中」じゃなくて「生中下さい」、「どうも」じゃなくて「ありがとうございます」って言うんじゃないの。普段からそういう話し方の人じゃない限り。それをしないってことは無意識のうちに店員と客っていう型に合わせてコミュニケーションしてればいいやと思っているのでしょう。
「店員に横暴な態度とるのは良くない」という言葉は自分は相手を人間として捉えていますよというポーズであって、その根本は、その言葉自体がコミュニケーションの型に含まれているか、あるいは、自分が嫌われたくない、よく思われたいという感情を「店員さんが可哀想」という相手の為ですよという言葉に置き換えているかのどちらか。
余談だけど、大学生が飲食店で「ごちそうさま」をいう割合は80%以上。
そのうち80%が学生バイトに対しても丁寧に「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」という。残りは「どーもー」「ごちそうさま」など。
対してコンビニのレジで「ありがとうございます」という割合は40%。レジに人がいない時に「お願いします」など言わないで無言で待つという人が70%以上。(数字は全部適当。自分の感覚)
お礼を言う言わないは今回の趣旨ではないが、居酒屋では「ごちそうさま」を言うけどコンビニでは「ありがとうございます」を言わない理由は何なのでしょう。
別に挨拶はしっかりとか、敬語で話そうとか、僕に優しくしてとか言っているわけではない。
例え、そうですかと「生中お願いします」とか言われても今までのコミュニケーションの型が置き換わるだけで何も変わっていない。
生まれつきなのか、環境なのか、自然にそういう意識を持てる人がいる。自分の周りにもたくさんいて、とても羨ましく感じる時がある。
というのも、僕自身がずっと手抜きしてきたと思うし、今でも「やばい、手抜きしてる」と気づく瞬間がある。自分の行動がちゃんと説明できない時がある。
何が心配かというと、自分がそんな手抜きのコミュニケーションにどっぷりつかってしまって、何かの基準なしには生きていけなくなること。
友達だからこうする。彼女にはこうする。先生と学生のコミュニケーションはこうで、親と子供だとこう、みたいに、自分と相手のコミュニケーションのはずなのに誰かが定義した友達、彼氏、先輩、後輩、彼女、親etcの枠組みに合わせなきゃコミュニケーションが取れないのは不幸なことだと思う。
よく言う、自分に役割が与えられていて、その役割を演じるっていうやつ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んで一通り感動した後に、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる」を読んではっとする感覚。
あの感覚を忘れないようにしたいと思う。
「自分の軸足を自分の内側に置くことは大事だよ」「自分のものさしではかりなさい」などよく言われてきたけど、最近になって本当に大事なことなんだと感じることが多い。
以上、居酒屋のバイトしているときにぼんやり考えていたことを、ぼんやりまとめました。
(あらためて読むと、すげーひねくれてるなあ(笑))
↓特にこのあたりとか、自分で自分を追い詰めてぶっ壊れやすいタイプ。
診断書出されて薬も2年ほど飲んでたけど、俺は病気だったとは今でも思ってない。
というかそこはどうでもいい、医者がどう診断しようが俺が違うと思ったら俺にとっては違う。
それは一度スイッチが入ったら後は何もしなくて良いものではなく、常にそれをしていかないといけない。
それが生まれつき備わっている人もいるのかもしれないけど、俺は常にそれをしていかないといけないことがわかった。
せっかく判ったのにまた元に戻ることはできない、気を抜くと元に戻りそうで怖い。
残念おっぱいではない。
CかDの美乳、シンメトリーで全体的にバランスが整っていて素敵だった。
おっぱい大好きってしょっちゅう言ってたし、激しく有言実行で少し嫌がられてた。
そして美人ではないのかもしれないけど俺にとってはかわいかった。
体型は普通というよりはチョイポチャだったけど、それ言ったら俺だって何様だよって感じだしね。
顔も体型も俺は好きだった、多分本人は最後まで俺がそう思ってるとは思ってなかったと思うけど見た目に文句はなかった。
総論として、「押せなくて終わってしまった」と書いてくれた人に近いのかもしれない。
ただ、俺には根拠は無いけど自信はあって一緒にやっていきたかったけど押しても効かない相手だということがわかったんだ。
それは、まだ次の男はないって書いてくれた人の通りで、結婚・子供にも興味なかったと思う。
本心ではどうか知らないけど、結婚に興味ない・自立が大事ということを常に主張してたことは事実。
欝については笑える部分がどこなのかはよくわからない。
診断書出されて薬も2年ほど飲んでたけど、俺は病気だったとは今でも思ってない。
というかそこはどうでもいい、医者がどう診断しようが俺が違うと思ったら俺にとっては違う。
でも、彼女にとってはそうじゃなかったし、彼女を信頼してたから何も考えずに通院・服薬は続けていた、効いたのかどうかはわかんない。
自分が正しいと信じてることが正しいとは限らないけど、行動はともかくとして気持ちだけは正しいと信じてることを信じたいと思ってる。
それは一度スイッチが入ったら後は何もしなくて良いものではなく、常にそれをしていかないといけない。
それが生まれつき備わっている人もいるのかもしれないけど、俺は常にそれをしていかないといけないことがわかった。
せっかく判ったのにまた元に戻ることはできない、気を抜くと元に戻りそうで怖い。
男の嫉妬やうらやま感ってのはよくわからないが、罪悪感から叩いて欲しい気持ちは少しはあったし今もある。
それが無意味で空しいものだとも判ってるけど、実際こうやって吐き出して色々消化できたしコメント?トラバ?をもらえて素直に嬉しい。
これからもクヨクヨしたりがんばったりしながら、元に戻らないようにしていきたいと力強く思えることができた。
携帯メールアドレスを変えて、彼女にもらった財布も新しく自分で買った(これはもうボロくなったからだけど)。
明後日は職場の女子3人と男俺独りのハーレム飲みなので楽しんでくる。
人生を踏ん張っていきたい。
母はいつもそうだ。
カレンダーに勤務時間を書いてるのに、「今日何だったっけ?」って聞かれることが続いたから
「覚えろとは言わないからカレンダー見たらいいのに」と言った。
お母さんが何時に帰ってきてると思ってるのーもうトシなんだからしょうがないでしょあんたにはわからないわー
そう言ったら「今日何?って聞くくらいいいじゃない、そんな会話までなくしたいの?」って、そういうことじゃねえよ。
いつの間にやら「あんたたち姉弟は仲悪すぎ」って話になって、「家族だからって仲良しばかりじゃないよ」と返した。
「別にお母さんのせいじゃないよ」と付け加えた。
そしたら「お母さんのせいだよ」。あーやばい、スイッチ入ってしまった。違うと言っても「お母さんのせいだから」攻撃。
いつもそうだ。むやみに自分に荷物を背負わせて、自分が悪い、自分のせい、って主張しまくる。
本当はそんなこと思ってない。違うと言われたいだけだと思う。それでも尚言ってくるのがよくわからないけど。
自分がいちばんかわいそう、になりたがる。何かにとりつかれてるみたいで気持ち悪い。
実際母は遅くまで働いてるし、食事もちゃんと作ってくれてる。
ちゃんと手助けできるように本当に頑張らねばと強く思うけど、こういうのは心底めんどくさい。