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2011-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20111224174911

↓これはそう。

その休暇がやたら多くなるのは、女が子供を育てることになるからだよな?

結婚して仕事をやめてしまうのも、おおむね子供を将来的に育てなければならないからだ。(あとそもそも出世の道が閉ざされていて、働き続けるメリット男性よりも少ない)

そこのコストを実質女性に背負わせている。それを社会が肩代わりしたくないというのが、企業女性を雇いたがらない理由。

ここがよく解らない。

ならそこは、みんなで負担すれば良いだろう。

コストはかかるのだよね? その「コスト以上の利益」を生み出せるの?という疑問があるのです。

改定する利点はまぁ、この負担社会に分散させれば、適材適所が進むよね。

女性からって家事に向いているわけでも、子育てに向いているわけでもない。

男性からって向いていないわけでもない。

それはさ、『専業主婦率が非常に低い社会』を想定してませんか? スウェーデン女性は良く働きます

専業主婦率は2%。(高岡 望 「日本スウェーデンになるべきか」P100)

これは別に男女平等の政策が取られて社会が変わった訳ではなく、女性勤労意欲が非常に高いって背景がある。

現状の日本だと若い高学歴女性専業主婦回帰みたいな傾向があったりするので、

とてもじゃないけど日本専業主婦率2%なんて状況になるとは思えないのです。



あと別にこれはスウェーデンが豊かでハッピーな国だから女性が働きやすいって訳じゃない。

当たり前だけど、苦しい仕事でも働くから、こういう状況になってるんだと思いますよ。

2011-12-21

Oracle DB Express Edition は 他のPCから接続可能。MS SQL Server Express はだめ

俺が最初に扱ったRDBOracle 8i か 7。

DBってこんなもんか...と思ってたけど、インストーラのヘコさにあきれまくる。

その後 Microsoft SQL Server 2000 の手軽さを知って、こちらにどっぷり。

で、ずっとSQL Server

そこそこの使い方ならどっちのDBも十分使える上に、Oracleは「くだらない」お作法大杉。(Oracle Master の為?)

クエリー実行計画が図解でわかりやすい、バックアップやアタッチが超楽。

サポート(修正パッチなど)も料金込みのMSのほうがトータルで安価だし、CubeやReporting Serviceなどもコミコミで使える。

言語関係もMS SQL Server のほうが良くできてる。



SQL Server のStandard Editionだけでなく、無償版であるExpress Edition も使っているが、

残念ながらこれは外部のPCから接続できない制限がある(はず)。

同じく無償版のOracle DB 11g Expressがあるが、こっちでは他のPCから接続できた。

Universal Installer は相変わらずjavaでできてるからUIヘコいけど、

「くだならい」設定項目がだいぶ減って楽ちんでインストール完了。時代進化した。

.NET Framework(OLE DB)で外部からPC接続ホスト名、ユーザー名、パスワード接続文字列で指定するだけで、あっさりOK。

tnsnames.oraとかいじることはもう無くてよいのだろう。

sqlplus懐かしいぞ、ちょっとOracle回帰してみるか...

2011-11-13

スマートフォンゲーム専用機に勝てないいくつかの理由

要するに、ソーシャルがうんたらかんたらという話は所詮一過性のブームで、そのうちゲーム専用機への回帰が始まるよって話。

でもって、アプリケーション開発の中でもゲームソフト開発はかなり特殊なので、一朝一夕でどうにかなるわけじゃないから、この業界ゲーム真剣に生き残りたければ今のうちに準備しといた方がいいよ、みたいな。

大雑把な今後の流れとして二点
この二点を踏まえてどうなるか?
しかゲーム専用機市場を食う前に頭打ちになるだろう、なぜなら

まりスマフォは、「いつでも遊べる」というカードのみで、今後ゲーム専用機と戦い続けなければならないことになる。携帯ゲーム専用機に関してはそれさえもカードとしては強力とは言いがたい。

しかしそんな不毛な戦いを挑むゲームソフトメーカーなど現れないだろうからゲーム専用機とは別のカテゴリの娯楽として存在することになるだろう。それは既存ゲーム専用機の領域を「多少は」食うだろうが、果物にたとえるならば皮の部分程度で、芯に到達することはないはずだ。

何より重大な点は

AppleにとってもGoogleにとっても、ゲーム機能は自社製品を普及させるための付加価値の一部でしかない。だから万が一ゲーム部分と他の付加価値が競合する事態になった場合、前者を優先することは絶対にありえない。対するゲーム専用機メーカーは、自社製品ゲーム機として普及させるためにあらゆる選択肢模索するだろう。高価すぎるという批判に対応するためにPS2ソフト互換機能をオミットしたPS3の例や、販売不振を挽回すべく発売からわず半年で1万円の値下げ(実質4割引)を実行したニンテンドー3DSといった事例もある。

そもそも、「何でも出来る」がうたい文句のハードOSが、ゲーム専用機にゲーム分野で太刀打ちできるはずがない。

それは「何でも出来る」はずのWindowsゲーム分野で主導的なポジションを作り上げながら、その市場の小ささゆえにわざわざゲーム機を発売したマイクロソフト証明してくれている。

WindowsインストールされているPCなど、世界中に何億台、下手をすれば十億台以上は存在しているはずなのに、ゲームソフトの売上や販売本数ではゲーム機に完全に負けてしまっているのだから

これらが今後のスマートフォンにも当てはまることは自明だろう。

他にも、スマフォが抱える構造的な部分として、

といったものがある。

2011-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20110913184620

何だかんだで民主党もまともな与党になりつつあると思うけどね。

事務次官会議も政調も党税調も、経済財政諮問会議も復活したし、

東アジア共同体も否定して、日米同盟基軸に回帰してる。

出来る見込みのないマニュフェストなんてかなぐり捨てて、

粛々とできることだけやっていく姿勢に転換しつつある。



あとはマルチパチンコ死刑廃止外国人参政権とか言ってる胡散臭い議員を淘汰して、

失言癖のある奴が表舞台に立てないようにすれば言うことはない。

立派な第2自民党として、安定した政権運営をしてくれると思うよ。

2011-08-17

webコンテンツの種類と歴史

覚えている限りの時間の流れの中から、世の中に存在するコンテンツを分けてみるテストです

黎明期

 パソコンが外につながっていることが珍しかった時代。新大陸が見つかった状態。新し物好きかつパソコン好きが移民していった。パソコン通信くらいしか商売になっていなかった。作る人と使う人がイコールだった。何かをするにはコマンドを打つ必要があった。

論文

 最初は、学者さんの論文の発表やストックするのに使われていた。

自己紹介

 イギリスホストにつないでmozaicでなんて時代には、論文の延長のノリで研究室メンバー自己紹介ってのがあった。実は、実名うんぬんってのは、一番最初にやっていた。

趣味の紹介

 ここで、実名を名乗るのかペンネームを名乗るのかの分かれ道。すでに実社会でしっかりと活動している人は、実名でやっていただろうし、ひとりで楽しむような趣味の人や背徳感がある人はペンネームハンドルネームになったんだろう。

 全国の日帰り温泉のまとめのような個人が足で調べた価値の高い情報が高い確率存在した。

日記

 まめな人は自己紹介のついでに日記を書いていた。当時はコンテンツマネージメントシステムは一般に普及していなかったので、htmlを手打ちして、ftpコマンドで送信。量が増えると大変だった。メールをみるときはなんちゃらtermというソフトコマンドを打ちながら見ていた。

写真イラスト

 デジカメが普及するまでは、写真を取り込んだりイラストを取り込んだりするのは、お金がかかることだった。まして、高価なグラフィックソフトなど夢のまた夢。デジカメが普及したあとは当たり前になった。

動画

 取り込むためには専用の拡張ボードが必要だった。カメラも高価だったし。2GBの壁があって、長い動画編集できなかった。高画質な動画に仕上げるためには職人芸が必須だった。大容量の動画をあげるサーバーほとんどなかった。

音楽

 音楽を作る人は、midiの配布していた。有名な曲のコピーが多かったので、大人の事情ほとんど閉鎖。

企業・お役所

 会社存在証明したり、サービスの案内をするようになった。

掲示板

 無料ホームページとセットのような感じ普及。ホームページ自体散発的なもので、同じ趣味趣向の人たちで同盟とか組んでいたよね。

アングラ

 そんな言葉やそれを売りにしたサイト掲示板存在した。

発展期

 大量に生成されるコンテンツは個人の手を離れていった。新大陸はいくつかの勢力に分かれて群雄割拠の状態。広告枠として大きなお金が動くようになった。作る人と使う人が区別されるようになった。グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)が、あたりまえになり、コマンドを打つ必要はなくなった。

便利系

 地図が見れるようになった。パソコンインストールしていた時刻表ルート検索webになった。

ブログ

 コンテンツマネージメントシステム無料開放された。html作成ftpも必要なくなり、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。改行を大量に挿入してスクロールバーを有効にして、文章を読むためにマウスホイールをまわして文章を読むときに指の動きを加えて、読んだ感を高める手法流行る。

webメール

 メールwebメールが主流になった。

SNS

 会員制の閉じたサービスが登場する。内容は日記掲示板と基本は同じだが、個人が設定する必要はない。テクニカルな要素がなくなったので、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。携帯電話からコンテンツを作る文化の先駆者ともいえる。携帯しか使わないユーザー層があらわれる。

フォトストレージサービス

 写真アップロードも無制限になった。デジカメの画質が上がってもリサイズする必要もなくなった。

動画サービス

 動画を受け止めてくれるサーバーも増えた。ブログSNSのおまけ的存在だったが、Youtubeの登場で無差別級サービスになった。カメラ撮影した時点で、パソコン用のファイルになっているのも参入障壁を下げた。

勝手web

 たとえば、全国の飲食店をすべて載せるとかそこに感想や評価を付けるようなサイト。個人が手弁当でまとめていた情報を商売にする会社があらわれた。

成熟

 感情の発露がリアルタイムになる。「つぶやき」という概念が生まれた。新大陸を制覇しようとする勢力の攻勢が高まる。作る人と使う人に加えて踊らされる人が登場した。「更新されたよ」ボタンクリックするだけで、ダラ見ができるコンテンツが優勢となる気配。

巨大サービスに億単位の人がぶら下がる

 巨大サーバー群を使った世界サービスネットを席巻。

黎明期に登場したサイトサービスの終了

 無料サービス系のサイト掲示板が終了し始めた。

SNSサイト肥大化

 ゲームとかやることが多くなりすぎた。

競合サービスの終了

 発展期に登場した便利サービスの中で脱落するサービスがあらわれ始めた。

まとめ系サイトの勃興

 大きな掲示板スレッドには、約1000個の書き込みがある。その中から文章を選んでコンテンツを作る手法新聞の読者投書欄のように投書されたご意見の中から好きな意見を載せることができる。文章ロンダリングソースロンダリングという言葉が生まれた。

個人風味の企業組織の登場

 コンテンツ提供形式として、素人作成風味の味付けをする企業組織があらわれた。個人が大きくなったのかもしれないし、何者かに組織されたのかもしれない。この手の人たちは頼んでもいないのにどんどんコンテンツを作る。

グレーコンテンツの氾濫

 midiサイトに対する警告に比べると2次元コンテンツはゆるい。コンテンツホルダーの手が回らないくらいにあふれいるのか、あえてあふれさせているのかはわからない。黎明期ならばまつりになっているような内容のものがあふれいる。包括的権利処理されているのかもしれない。

実名への回帰

 趣味じゃなくて仕事の人が増えたのだろうか。仕事webに出るといっても会社看板を背負うと個人ではなかなか発言できないはずなんだけど。よくわからない。



ここまで、お読みいただきありがとうございました。夏休み自由研究のヒントとして参考にしていただければ幸いでございます

2011-08-13

なぜ現代アートには糾弾が相次ぎ、美味しんぼコラは受け入れられるのか

何これクソワロタwwwwwwwwwwwww

これね。

現代アートはあれだけぶったたかれて、原作改変パロ系コラージュ作品が受け入れられる理屈全然からいから誰か教えて。

原作へのリスペクトはなく、アフィブログ転載された時点で両者は「金稼ぎに使われた悪意のコラージュ」という点で極めて同一の存在になっているはず。

 *

http://anond.hatelabo.jp/20110813025538は要するに「現代アート美術作品として格式ある評価を得ることが気に食わない」ということか。

クラス女子ジャンクな曲が「国民アイドルソングと呼ばれることが許せない」っていうアンチAKBに近い考え方で合ってるだろうか。

「俺が評価したくないものが、他人に美術作品として(あるいは国民アイドルソングとして)評価されてるのが許せない」っていうのは浅ましくて穢れた考え方だなーとしか思わないなぁ。

 *

http://anond.hatelabo.jp/20110813025958の考え方だと明らかにミクやこなたが素材になっていると、パロディ元が分かる現代アートならば許せるってこと?

多分君は許す気ないと思うからそんな理由で怒ってるんじゃないと思うよ。

 *

id:qadapの考え方だと現代アート美味しんぼコラの改変の手法それ自体は問題なくて、芸術家露出に対する嫌悪感がある、ということなのか。

手法自体を叩いている人が多いか的外れだと思うし、なぜ芸術家が嫌われるのかまでの説明がないと理解できないな。

 *

id:tyokorata理屈というのは例えば社会的に見ればいじめ行為も、コントであればお笑いとして許容される、というような理屈か。

現代アート美味しんぼコラは共に社会的には犯罪であるけれど、元ネタが誰もが理解できるもので、笑いが取れているから許されていると。

許すかどうかを決めるのは「大衆」かな。もし大衆マンガ同人誌踏み付けで笑えるなら、踏みつけアートも許していいということ?仮定の話をしてもしょうがいか

*

id:temtexアート権威なの?やるべきこともやらないなら叩く、ってのは既にそれなりの実績を持った人間がいうならかっこいいけど素人が言ってもなぁ。

ただオリジナリティへの回帰の流れは来ると思うけど、もはやアナログ絵画CGには勝てず、CG芸術らしさを宿すことができるかどうかが課題だろうね。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813100051は大して叩かれてないからそう思うわけで。みんなアフィブログ見て、おかげで彼らは推定月収100万近く稼いでるわけで。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813110155が今のところ一番納得できた意見

美味しんぼはそこまで好きじゃないけどああいうコラはまず嫌悪感がくる。でもそういう人間が少数なら絶賛され、多数なら糾弾されると。

とするとそれは物の価値論理倫理ではなく、声の大きさが評価を決める、衆愚社会そのものだとも思うんだけどね。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813141721、おぉこわいこわい。ミスってたよ。

本当に多数から叩かれたものは誰も見なくなって廃れる。アフィブログはうるさい少数派が叩いている一方で、物言わない多数派がアクセス源になっているから成立していると思うけど。

「多数派もきっと叩きながらアフィブログを見ているんだ」と考えているならそれは見解の相違だね。ゲハブログの一部を除けば現代アートほどアフィブログ嫌悪されている印象はないんだよ。

*

id:leveleid:ululunの考え方は「ふたば(や2chアフィブログ)はオレ達」で、アート界隈の人間は「オレ達じゃない」という文化の壁から、利用されたという敵意が生まれたという考え方で納得できる。

「オレ達」という曖昧ながら強固な連帯意識文化意識がどこから生まれて何を拠り所にしているんだろう。そしてなにのためにあるんだろう。

*

現代アートに「オレ達」がブチぎれたように、美味しんぼ原作者は一連のコラ群にブチ切れてるかもしれない。(あまりネットが好きな作者じゃなかったから快く思っていないだろう)

またアフィブログは金稼ぎのために話題のネタを集めているだけかもしれないし、「オレ達」という保証はどこにもないわけで。

から現代アートは「オレ達じゃない」から怒るが、美味しんぼコラをアフィブログに載せるのは「オレ達」だから許せるってのは、何を根拠にそう考えているのか理解できなくて、すごく違和感がある。

*

http://anond.hatelabo.jp/20110813145112。しっかりしたレスポンスを頂いてしまうと申し訳なく思えてくる。ありがとうございます

財産」に対する所有意識の根拠、が一番謎なのかもしれない。上手く説明する方法はないのかもしれない。

*

id:vidの、現代アートは「オレのもの」が可視化されているために敵意が生まれ、コラは「誰のものでもない」ように見えるために受け入れられるというのは一理ある。

でもそれは傍観者主観しかなくて、製作者にしてみれば匿名人間に弄り回されていたら、「オレのもの」が勝手に「誰かのもの」にされたと考えて敵意が生まれるんじゃないかな?

コピーライトの有無は「オレのもの」にされたという事実自体は変えないと思う。

けれど一定ネット不文律を守れば、「誰のものでもない」と錯覚されて、大多数の空気に許容される、ということか。

*

「オレのものだと主張する」「金稼ぎに利用する」を両方満たすとネットの多数派の怒りが爆発する、というのは現象から逆算するとかなり正解に近いようで、決定的な何かが欠けているという感じ。

*

いくつかまとめて。

id:himajin774 心理的に直接金銭のやり取りがあるか、というのが重要なのはわかる。

ではアフィブログが金稼ぎの為に無断転載を繰り返して運営している、と踏まえた上でコラを見たら評価が変わるか?というと恐らく変わらないと思うので、そこは本質ではないと思う。

他のポイント総合して、怒りを感じる閾値を超えた、ということは考えられるけど。

id:md2tak も同様で作成者と販売者が別だったら、水濡れアートや踏み付けアートを許せたか?というとそんなことはないと思うので、そこは本質ではないと思う。

金稼ぎまでしていなければ、水濡れアートや踏み付けアートを展示するだけだったら、怒りは爆発しなかったのかもしれない、という可能性はあるかも。

id:lefu はあえて書いていないけど、コラ画像作成の場となっているふたば広告収入を得ているという視点が抜けている。「アフィブログ」の方が設定としてわかりやすいから省いただけで、最初から金稼ぎの道具になっていると思う。

広告収入」が金稼ぎの手段として認知されているのは、アフィブログに対してよい感情が抱かれていないことから自明だと思うけど、もちろん「直接商品を販売していないからOK」という人も一定数いるんだろう。

id:guldeen のような指摘のために、両者の労力がほぼ変わらないコラージュで、また原作へのリスペクトが感じられない題材を選んでみたんだけど、それでも両者に違いを感じる、ということだろうか。

*

本題と関係ない部分。

id:nagaichiカオスラウンジカオスラと呼ぶやつは擁護か身内、カスラジ、カスウジと呼ばないやつは敵だ」みたいな面倒臭い考え方の人がいるから敢えてボカしたけど、結局認定ラッシュ食らったか意味がなかった。

カオスラウンジネットの総意として敵であり、叩かない人間は擁護工作だから黙らせろ」と考えてしまう人は、いちいち突っかかってこなくていいからお互いに不干渉でいましょう。

2011-08-02

泣きべそ掻いて逃げ惑うなら突っかかってこなきゃいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20110802141534

文脈を読めてないならレスしなきゃいいのに

四方八方にレスしまくって文脈を完全に読めてないようなので突っ込んでおく。

俺は俺の書き込みにトラバ差しでご意見を頂いたか

トラバがついた俺の書き込みとトラバ内容とについて返答をしている。

わけのわからん言い訳や話そらしをおっぱじめぬように。




迂闊に突っ込んできて反論に窮した挙句に(こっちの言ってることに全く答えてないよねえ~)

突然ツリーをザクザク掘って、

「こ、こいつ!ボボボボボクはこいつのこの書き込みについていったんだもん!お前文脈読めてない!」はねーだろw

そいつに言いたいことがあったならそいつトラバするよな普通



涙拭いてごめんなさいしてから、お前レベルでも突っかかれる弱い相手を探しにいけw



さて、規制派が何度も引き合いに出す以下の言及。

金もらったから「すごいファンが集まっています!」とか嘘んこ報道したり、

もう事実を伝えてねーじゃん。

これは元記事が「日刊サイゾー」だよね。

もしかして規制派の論拠って「日刊サイゾー」の記事とか(笑)

事実がうんぬんとか言ってる人が「日刊サイゾー」の記事が事実かどうかは検証せずに鵜呑みするわけだから滑稽だ。

???

日刊サイゾーっていうのがどこの新聞か知らないけど「サイゾーに書いてあったから嘘だ!」なの?

虚構新聞みたいな新聞なのかなw




俺は「規制派」(何を規制すんの?俺、なんかを規制しろとか言ったっけ?)じゃあねえけど

君達「擁護派」はさっきからその件で右往左往してるよなw




「ファン捏造事実は一切ない!」つってみたり、

バイト動員だけ事実で、TV局は何も不正してない!(不思議論理だ)」つってみたり、

「全てが捏造だったとしてもTV局は知らなかったんだ!(ナニソレ)」つってみたり、

でまた君が原点回帰して

「ファン捏造事実は一切ない!その話がサイゾーに載ってたからだ!(ナニソレ)」か。





ウーンでも

やっぱ韓流スターの「空港に出迎えファン殺到」は相当うっさんくせーんじゃねーのかな?w

ちょっと探しただけでもこんなんばっかり出てくるし。 http://hamusoku.com/archives/5173550.html

ふつーに文字が読めて数が数えられる人なら「おかしいだろ」って同意してくれるんじゃねえかなあ。

あー、リンク先の証拠画像テレビ画面っぽいけどきっとサイゾー新聞挿絵イラストだよなー

はははー

2011-07-03

生きる意味?生きる目的人生のコンセプトって?

※おことわり

少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。

単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。

けれどこれは、自分の考えを誰かに押し付けものでもない。

ただ、自分意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…

と、どこかで期待しているのも否定しない。


重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。

自身はすでに就職先の決定など、人生における比較重要な選択を終え、

どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。



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俺は哲学者でも何でもないけれど、自分キャリアを考えているうちに、

進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを

ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。


いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。

人生において全体を貫く統一的な概念

もちろんそれは人生の経過とともに変化して良いものだが、

それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。


例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。

この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。


とは言うものの、たとえ論理的な説明ができなくても、

特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。

それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、

自分を納得させるためでもある。


さらに就職活動のみならず、この先まだ長い人生において、

自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。

そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。

迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。


一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。

いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、

少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。



キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。

キャリアイメージは、人生という名の線路のようなものだ。

線路は予め用意されている場合もあれば、自ら敷く場合もある。

自分自身は線路の上を走る車両

途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。

選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、

下手すると目的地が変わってしまったりする。


これは普段気づきにくいことだが、

そのうち手段が目的と化してしまうことが多々ある。

目的地を目指して進んでいるはずの車両が、

つの間にか周りの景色を楽しむだけのものになる。


…という話をするとどうしても抽象的になるが、

要するに「キャリア」は歩んでいく人生そのものだ。

働く、趣味に没頭する、結婚する、家庭を築く…

いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。



少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか

自分キャリアにおける選択はこれで正しかったのか、

改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、

間違っていなかったことを証明たかったという方が正確かもしれない。


自分が納得のいくための説明をするためには、

論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。

論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。


帰納的な論理思考は、なぜ?の繰り返しである

しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。

行き当たるのだ。それは時に、哲学的な問いである。



なぜ、生きるのか―。


千差万別の答えが得られそうだが、

俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。

生物学的にも進化論的にもきちんと説明できる。

そのために、男も女もモテようと努力する。

さらに子や孫、あるいはその世代が

よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。



では、どう生きるか―。


これもまた、十人十色の答えがあるだろう。

俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。


加速度的に複雑化する高度文明社会

情報をはじめモノやヒトの流通量は爆発的に増大し、

あらゆるものが高速度化、自動化、多様化、細分化している。


そんな変化の多い時代、

社会環境にうまく適応できた人間が生き残る。

子孫を繁栄させることができる。



少し横道に逸れるが、キリンの話を。

首の長いキリンは、進化過程でそうなった。

厳密に言うとキリン努力によってそうなったわけではなく、

遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境適応した。


これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物

しかし、エサとなる草木にも限りがある。

そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。

キリンはその長い首を生かして、

他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。

これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。

それで今日に至るまでキリンは子孫を繁栄させたのである


繰り返しになるがとどのつまり

環境適応できる者が生き残るということだ。



さて、首の長いキリン場合は長い長い生物進化過程

おそらく遺伝子突然変異によって生まれた。

それが、当時の環境にうまく適応していた。


しかし、今の人間が生きる環境は、自ら作りだしたものである

文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。


すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、

単に自然環境に対する適応ではなく、

加速度的に変化するこの社会環境への適応ということになる。

すごく簡単な言葉に置き換えると、

時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。



その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。

現在自分が置かれている状況を整理した上で、

社会環境を分析、さらに今後の変化を想定しなくてはならない。


…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人

ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。

先にも触れたように加速度的に変化する複雑な高度文明社会

したがって「変化に適応(柔軟に対応)できる人」が、

現在社会環境適応しやすい人と思われる。

例えば、今やどんな大企業もいつ倒産するか分からない時代。

リストラされても自分で食っていけるかが大切だということ。

また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。

情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。

高度文明社会から少しずつ回帰する現象が始まるかも。

そんな中では、人としてのコミュニケーション能力重要

人の生命を支える農業などの一次産業にも焦点が集まる。

外へ外へと出ていく時代から地方が重視される時代に。


そんな時代の社会環境適応的に生きるには?

その答えはなんとなく、ぼんやりとあるけど、

これからもう少し時間をかけて詰めていきたいと思う。



さて、これまで長ーく書き連ねたけど、

つまるところ、幸せに生きたいなあと思うわけです

自分ももちろんだけど、自分の周りにいる人も、

もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、

みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。


それで、自分にとって何が幸せかを考えた。

結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。

そこから導いたのが上のような考え。

今の社会環境適応的に生きられたら、それは幸せだと思う。

もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。


力のある人は、社会の仕組みそのものをつくる。

それはすなわち、自らが適応しやすい環境をつくるということ。

そうするために、自分が出来ることはなんだろう?

これからも考えながら歩んでいこうと思う。



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※おわりに

最後の方、ちょっと時間がなくて雑なまとめになってしまった。

超個人的なことだが、適応的な人間になるために、

それなりにやることやってきたのかな?と思う。

器用な人間になりたい、と思う。何でもできるゼネラリストに。

そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。

つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、

自分はそれよりも広さを追求しようと思う。

加速度的に変化する時代に、適応的な人間になるために。

2011-06-21

BI論者に質問したいんだけど、いいかな。

ベーシック・インカム精神そのものには、私は反対の立場じゃないんだけど、どうしようもなく疑問なんで答えて欲しい。



BIの導入に伴う問題点として、税収の絶対量についてはこの際論じない。それ言えばキリがないので。「国債自己引き受けで余裕さ、地球の自転が止まらないように輪転機も永劫を輪廻するのさ」という前提を置いておく。お予算の問題は、無いものとしての議論。

その上で、まぁBIを導入したとする。日本人口一億2000万人×10万(仮にね)×12ヶ月のカネがマーケットに流れていく。すると、まぁ需要は喚起されるよね、間違いなく。みんながどんどんお金を使い、市場マネーで潤いこの世の楽園となる・・・んだろうか?

疑問は二点ある。

一点目は「喚起された需要が果たして国内に向かうのか?」ということ。我々の消費生活は、多くの場合輸入に依存している。中国産製品、例えば100均ショップにある小物類のお値段は、つめ切り一つにしても国内生産ものの四分の一とかそんなものだ。現時点でも、高品質・高価格帯を除けば国内生産品はほとんど壊滅に近い惨状にあると言っていいと思う。これは、皆さんが周囲を見渡せば容易に理解されることだ。メイドインジャパンチェア増田を嗜むブルジョワ御仁がどれだけいるか

すると、国内マーケット供給されたマネーは個人の消費性向の問題として、国内を潤わせることなく海外へと流出していくのではないかインドの綿製品が流れ込んだイギリス状態になる気がするのは私だけかな。

例えば、日本銀行最近になって通称「成長基盤オペ」と呼ばれる金融政策を打ち出している。これは、銀行にどれだけカネを供給してもマーケットに出て行かないことに業を煮やした白川さんが、「じゃあピンポイントヒモつきのカネをブチこんでやるよ!」という、局所療法に出たわけだ。これは、理解しやすい。しかし、それに対して全く逆の効果を持つのがBIではないか

確かに、総量緩和による政策は果てしないマネー預金に積もらせただけで、観念バベルの塔を築く以外にはほとんどなんの効力ももたらさなかった。しかしまた、同様にグローバル化世界において民衆にカネをばらまくことは、海に向かって魚を放流すること以上の意味を持ちえるのだろうか。もちろん、マグロ近海を泳ぐようになるならいい。しかし、そのイワシは大方が真っ直ぐ中国に向かってしまうのではないか


もちろん、魚を囲う「網」になり得る可能性は存在する。マネー総量の爆発的な増加による円安傾向、並びに通貨価値の下落(これを、通貨信認の毀損と呼ぶことも出来るが、それはめんどくさい議論になるので後述。また、「バーナンキ背理法は間違っている」という可能性も排除する。)これが天然の関税として作用する可能性はないか

円の価値が思いっきり落ちて1ドル150円になったとする。確かに輸出産業は活況を呈するだろう。しかしその一方、我々の消費傾向が国内回帰する可能性はあるか?私は難しいと思う。仮に、中国産製品の値段が二倍になったところで、それでも我々はメイドインチャイナ椅子に座り、メイドインチャイナのつめ切りを使うのではないか

この段階で、議論はフィフティ・フィフティだ。どっちに転がる可能性もある。輸出と輸入は美しいバランスを保ち、冷戦構造のような調和ある対立を得るかもしれない。しかし、BIの性質そのものメイドインチャイナを強力に後押しする可能性を考慮して欲しい。というのも、こういうことだ。労働価値というのは、A・スミスの慧眼が予見したとおり通常市場における神の見えざる手で決定付けられている。それに対して、半ばマルクス的な色合いを持つ「最低賃金」や「基本的人権」の観念、ひいては労働法規がその下限を決定付ける。翻ってこのBIの制度、これはかなり強力に労働単価を引き上げる効果を持つのではないか

平たく言えばこういうことだ。働かなくても食える世界で、時給640円で働く労働者存在し得るか?ということ。これは、人間の性質に関わる議論なので、ソヴィエト連邦国家運営がうまくいくかどうかと同じくらい「やってみないとわからない」。しかし、偉大なるレーニンやサン・シモンに敬意を払った上のこととしても、私は多分ダメだろうと思う。いや、ダメだろ?BIには、鎖国、ないしは強力な関税政策が必要になる。

そして、更なる恐怖がBIには待っている。これが疑問の二点目だ。それは、わが国の根本的性質に深く関わっている。

それは、わが国は「カロリーベースですら食料が自給出来るか微妙」ということ。そして、更に絶望的なるもう一点。「資源がありません」ということ。円高になればなっただけ、輸入コストは増大する。これに更に追い討ちをかけたのが先日の震災だ。原子力抜きで、エネルギーの自給が果たして出来るのか?1ドル150円になれば単純計算ガソリンリットル300円くらいだろうか。さて、果たしてこれはどうなる?

企業家にとっては恐ろしい未来が待っている。労働単価は高止まりし、原料費は高騰する。こうなると、「円建てで取引するのがそもそも間違ってんじゃないか」という思考に陥る可能性すらある。折角需要が喚起され、天然の関税障壁に守られたかに思えた国内生産品も価格競争力を持つことが全く出来ない。

そして追加的な怖さはこれだ。確かに、私もバーナンキ背理法は間違っていないだろう、と思う。確かに、マネーの総量が経済に影響を「与えない」と仮定するなら、世界はすぐに楽園になるだろう。なるほど、どこかで必ず飽和点は訪れ、円高は終わりを告げる。問題は、緩やかに落ちるかキリモミ落下して地面に突き刺さるか、だ。確かに円は高い、しかしわが国の財務状況は決して明るい未来を指し示してるとは言えない。つまるところ、通貨バブル国債バブル(私は現在の状況をそう認識しているが、これには異論があるかもしれない。むしろ、通貨の絶対価値とはスイスフランによって計測されるべきである、という考え方に対しては一理を認めるしかない)が大爆発するリスクはどうだろうか。BI,とはベーシックインカムである。それは、やはりベーシックインカムと呼びえるだけのキャッシュフローでなければいけない。しかし、それだけのマネー市場に放った結果について、我々は誰も知りえない。バーナンキ背理法は「リフレ政策の効力を約束した」わけではない。むしろ、「長期的に人は必ず死ぬ」といったニュアンスに近い。老衰で死ぬか、腹下しで死ぬか、爆散して骨も残らないか、誰にもわからない。

以上の観点から、私はBI制度が成功するとは思えない。

しかし、これは端的に私の知識不足、ないしは知能・理性の絶望的不足に根ざしている可能性も否定できない。

私は、BIの精神性を否定しない。むしろ高く評価するし、すばらしいと思う。ここがウクライナだったり、あるいはアルゼンチンであるなら、是非にもやるべきだと思う。また、日本産油国であればもっといい。しかし、そうではない。

ベーシックインカム論者の反論を求む。

あ、ごめん。労働単価の高止まりの根拠として、「BIは高税率が回避できない」ってのがあった。多少働いても、まぁかなり少なめに見積もっても半分は税金で持ってかれる。厳密に計算したわけじゃないけど、「どんなに少なくても」それくらいは要る。労働意欲の喚起はかなり難しいだろうと思うよ。

2011-05-20

原発事故を安易な資本主義批判に持っていきたい人々。

東日本大地震を契機に、「オピニオン」を売り物にしている人たちがやたらとご乱心をして、見当はずれなドヤ顔を晒してしまっているのをたくさん見てしまった。

裏情報によるとあれはどうだとか、オタク文化が成り立たなくなるだとか、わいわいがやがや

地震津波の影響で、原発が壊滅的な被害を受けてしまったのは皆さんご存知の通り。計画停電等で関東全体がしわ寄せを受けていたり、東電原発処理で醜態を晒しつづけているのも周知の事実だ。

そして、今回の事故を受けて、改めて原発の意義やエネルギー問題が議論として浮上してきた。ぜんぜんクリーンじゃないぞとか、作業員への手当がいい加減すぎるとか、放射線の影響はぜんぜんないorけっこうヤバいだとか。しかし、以下の発言のような方向にいってしまうのはどうなんだろう?



今回の異常事態で20世紀を貫いて絶対的な権威だった「科学」そのものが破綻した瞬間を日本社会は味わったのではないかと感じている。自分もその一人。今科学者技術者が「問題は想定外だったこと。これから大地震にも耐えられる原子炉設計すればいいまでのことだ」と言ったら…信じる?

死の影を見ず、コンビニエンスに生き、自然界がディズニー表現されている、いたって都合がいい、幼児的な宇宙に住む権利を捨てなければならなくなった。自然に謝って済むものではない。人格を超えた相手は管理できない。人間の「ごっこ」はあまりにも非力だったことがばれた。

呼吸法坐禅だけでも相当に有効な洞察が得られるかもしれない。コンビニエンス社会マスコミ意識を委ねるなど他律的な面が強調されるけど、便利さを捨てて自律的なライフスタイルへと徐々に切り替えていくというソリューションもあるかも。風力、太陽光以外に。

ミュージシャン作家フォロワー1万5000人のモーリー・ロバートソンさんのツイート



この手の「資本主義社会を見直そう」みたいな動きはあちこちで見かける。計画停電都市機能が大きな影響を受けたが、そもそもこんなに電気を使う社会のほうがおかしいんだ。今の社会にある便利なものは、多くの犠牲に成り立っている。不便を受け入れて健全で質の高い社会を目指そう。

……みたいな意見

なんだか「スローライフ」だとか「ロハス」だとかいった単語を思い出してしまう。どちらも自然志向ライフスタイルだ。競争に明け暮れるのはやめて、もっと価値のある食事に時間をかけようだとか、科学の発展で本当に価値のある何かを失ってしまっただとか、そんなような。要するに自然回帰

そこまでいかなくても「経済を縮小させて云々」なんて言い出している人はごまんといる。

今回の原発事故を受けて、何でこんな発想になってしまうんだろう? おそらく、こういう人は元々ここういう考えを持っているんだろう。今回の事故から自然回帰的な発想に至ったんじゃなくて、「資本主義って何か嫌だな」「大事なものを失っているんじゃないか」って日頃から考えていて、安易に原発事故に繋げてしまっているんだ。

だって、これって原発事故とまったく関係ないじゃない。

事故で問題だったのは津波対策をきちんとしていなかったことと、東電隠蔽体質を発揮して泥沼に陥ってしまったことだ。そこで考えるべきことは、もっと確実な地震対策、津波対策はないのか、想定の精度をあげるにはどうすればいいのか、隠蔽体質に陥らないようにするにはどうしたらいいか、だ。

私には資本主義がどうこう言い出すのは、答えのだせない大きな話にして逃げてるようにしか思えない。

こういう人は何でもかんでも資本主義反対に繋げちゃって、貧しいアジアを見て「でも、ここには日本人が失ってしまった何かがある」とか言っちゃうのだろう。きみが感傷に耽っている数秒間に、水不足で死んじゃう人が何人もいて、それは科学の力で救えるんだけど。

もちろん、原発代替案は探っていかなきゃいけない。でも、「昔に戻る」はとても安易な考え方だと思う。私には思考停止に思える。

だいたい、脱原発で昔の生活に戻ったって津波がきたら死んじゃうんだけど、こういう人たちはそれをどう思っているんだろうか?

2011-05-18

ゼロ年代批判をやってる人たちは90年代の亡霊なんじゃないか

90年代に「ぼくのかんがえたじせだいのあるべきすがた」が挫折して臆病になった人たちが日常ものに依存し、今度は00年代の人たちが考えたいろいろなものを否定する。「ぼくのかんがえたありかたですらだめだったのに、自分たちより若いヤツが考えたものが正解だなんて認めないぞ」と下の人間に嫌がらせを続ける。しらんけど80年代にもそういうのがあったかもしれん。悲しい連鎖よのう。




そんなことを思ったのがこの記事でのやりとり。

http://togetter.com/li/137071

まおゆう批判の話。批判の内容は結構納得行く話だった。実際突込みどころは沢山あるからね。

でも、そうやってやれ特権少数の支配肯定だとかエリート様だけ実存回復はずるいとか言ってる人が

自分の解決策として挙げたのがコレか。

インキュベータ搾取されないためには、向上心なんてものは一旦よけて、まず、ありのまま自分を肯定することから始めるべきだと思うのです

すごい違和感。いや、ガッカリ感。同時にとても納得。

この人の主張は結局「ゼロ年代的なるもの」が嫌い、ってそれだけだったわけだ。

ああこの人90年代オタクなんだなと思い、実際にブログを確認したドンピシャだった。




その思想はさ、精神的に搾取されないことだけを考えていればよい物理面が最低限満たされている人間の話だよね。精神守るために物理面での搾取はある程度受け入れる余裕があるってのが前提じゃない?それこそ90年代の悩みという気がする。00年代そのものに否定的なのは、単純に90年代の夢が忘れられないって事じゃないの?

この人の立ち位置はすごく気に食わない。 インキュベーターと直に向き合いながら頑張ってる人をインキュベーターの手先であるとして批判している一方で、インキュベーターそのものとは敵対しようとしない(というかちゃんと見えてない、理解できてない、突っ込んでも無駄と諦めている)ような卑怯さを感じる。「ゆとりがあるからこその潔癖さ」「他人に都合の悪いところを押し付けての正論」にすぎないのでは。自分テクノクラートだったらどうするか、を示していただきたい。あいや、そういうのから降りた人たちが90年代オタクしたっけね。失礼失礼

こういう卑怯な人な立ち位置にいないと安心出来ない人のために、まどマギ世界の主人公が少女じゃないといけなかったんだなとわかる。インキュベーター対峙するもの、特別な力を持つものが、オタク以下の存在じゃないと納得できない人達がいるんだ。自分より上の存在が肯定され、生き残るのが怖いんだ。そういやまおゆう批判してたkagamiまどマギ全肯定しててびっくりした。お前はまマギにすくってもらう資格ねーだろが、と突っ込みたい。私はamamakoのことが嫌いだが、それでもまおゆうまどマギ双方を否定した彼の一貫性は評価したい。

別に爺さんのように「戦時中の苦しさをしらないやつらが贅沢言うな」とまで言う気はない。昔の物理面が絶対だって考え方ね。「誰が養ってやってると思ってる」の傲慢さは私も死ぬほど嫌い。けれども、さっきの解決策はちょっと00年代の若い人の苦しさに対してあまりに鈍感すぎるのではないか。のんびり過ぎるのではないか。私も90年代のにんげんだから正確には理解できてないけども、彼らの不安や苦悩を軽視して今までの日常を維持しようじゃないかハーレム最高だよ、幻想に閉じこもり続けようよってなんだそれ。空気読めないオッサンにも程がある。もうオッサン時代遅れからブヒ系のアニメ以外についてくちだすなよと言いたい気分。

もちろんゼロ年代の発想が90年代より優れているとは言わないよ。個人的にはゼロ年代の発想ってやっぱり問題が大きい、より病的で余裕がなくて、貧しいカンジがするのであんまり好きじゃない。でも、それに対してただ「近頃の若いもんは」と言い続け「90年代にもどってこい」というメッセージしか出せないのでは、ただの老害であると私は思う。(さっき年寄りたちの話しを持ち出したのは、老害にはさらなる老害を持って、老害の何たるかを理解していただきたいという趣旨)。少なくともゼロ年代人間が「貴族的な人間」「特権階級とか特殊な力を持った人間」を中心としたファンタジーを求めなければいけなかったのかって考えもしなかったなら、オタクとしてダメダメでしょう。良し悪しだけで考え、「なぜ」をすっとばすような人間が、オタク評論をする資格などないと私は思うね。




ただし、このあとで同じ人が

個人の尊厳努力大津波から身を守ってくれるわけじゃないっすからねえ

って言ってるアタリが、もしかしてこれからのオタとオッサンオタクとの理解の架け橋になりそうな気はする。 本当に地震って、すでに変わりつつ合った認識の変化を後押しする大きな事件になるような気がする。もう90年代は終わったんだよ。00年代決断主義も違うってことになったよ。90年代回帰論も、00年代エリート正当化もやめて次考えようよって話になるんじゃないのかな。

最後になりますが。お気づきになった方もいらっしゃるかと思いますが、わたくし、まおゆう読んでおりません。読まずにここまで偉そうなことを書いたことを深くお詫びいたします。



単に90年代回帰しておしまいなんてケチなことは言いませんよ。私の考えるスタート地点は1789年1945年ですから

自分で少しずつやってるのは、90年代までとゼロ年代の"無視されたこっち側"の整理。老害仕事

それは失礼。こっち側とやらがどこにあるのか存じませんが、ずいぶん壮大なお考えがあるようですね。はやく体系だった形としてまとまるよう応援しております

そうでないと無視されたというかあなたが求めてる物がまずどこにあるのかわからんので

せっかくの崇高な思想も、今回のように表面部分だけを見て個別の叩きというか、コレジャナイ病の人と同じだと判断してしまいそうです。それは勿体無い。

ところでそれって、エロゲや今のアニメに求めるよりは、もっと昔のアニメ手塚治虫や一部の少女漫画に求めたほうが早いものだと思いますよ。


あずま ひろき風を感ずる

全然意識してないけど多分それあなた勘違いだと思う。全部が東風に見えるとか、モルダーあなた東さんに恋してるのよ。。

話変わるけどあんまり東先生バカにすんなよ。別に信者じゃないけどとりあえずベースとなってる物くらい読んでから批判しろよ、とはいつも思ってる。

信者が本買って無批判にマンセーする一方で、批判する側が著書の一冊も読まないとか、この今のねじ構造はどないなっとんねん。

本の一冊読む程度の興味もないなら、放っておけばいいのに。どんだけ暇なの。


この視点で90年代00年代が整理されるようには見えないなぁ

誰も整理なんかしようとか思ってねーし。なんでそこ基準で評価されなきゃいけねーんだよ。別の店行け。シロクマさんにでも頼め。

整理しようと思ったらそれこそ90年代をまた数個に分割しなきゃいけねーじゃん。誰がやるかそんなめんどいこと。

どんだけ整理されてあとは召し上がるだけのメニューを期待してんだよ。そう言う学術的のが欲しかったらプロ仕事にもっとちゃんと金払え。


「〜年代」っていう、10単位で区切ってその間の大多数のムーブメントを指す言葉を「私も90年代のにんげんだから」とか使うところからして既に間違っているよねw

言葉の使い方は大事だよね。確かに私が間違いですすみません。できればタイポ的な問題以外も指摘してくれると嬉しいけど。

上のと合わせて、この言葉を使うと、どういう内容を想像されるか始めて知った。童貞とかオタクとかと同じくらいイロイロな意味がくっついてるのな。

これは単に私の無知。普段はこういう言葉を使って会話してないんで知らんかったわ。




おまけ。ゼロ年代には元気だったけど次の世代に対して老害として振舞う可能性が高い人達一覧はここね。

http://togetter.com/li/137022

自分の手持ちのものさしでしか人を測れなくなったら(評論する相手の中に新しいものを発見しようとする気概を失ったら)それはもう寿命だろ。

しいものは何一つ生み出せないって自分で宣言してるようなものだもの。

2011-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20110406152519

大日本帝国回帰しますか。

でもせっかく仲良くなった「トモダチ」とまた喧嘩になりますけどいいんですか?

2011-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20110326103130

大抵の人は考えた上で原発回帰してると思うけど。

だって現実的な代替策が無いんだもの。

何かある?

2011-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20110322002647

火力でまかなう

CO2排出削減が絡んでる協定をことごとく反故にする羽目になる。一般的に、条約を破る国は信用がた落ち。他国との排出量取引のために日本の金が必要以上に金が飛んでいく。産油国事情に完全に依存するリスクを負う。その他諸々…というか、そういった背景があって原子力に切り替えたわけで。

あと、火力発電に回帰したらNPTは日本にとって足かせにしかならない。しかし「原子力発電やめるからNPT抜けるわ」なんて理屈国際社会では通じない。

使用量を減らす

総消費電力の約半分を占める産業用は省エネが行き着くところまで行っていて、いわば「からからに乾いた雑巾」みたいな状態。これ以上絞っても何も出てこない。

なので、この国で原子力発電を無用とするためには家庭用の総消費電力を6、7割近く減らさなければならなくなる。夏場のエアコン代だけでほぼ一年分使い切ってしまレベル。そんな事出来るの?


…と書くと、「だからそれをみんなで考えようよ!」と蒸し返す(それでいて自分は何の対案も出さない)バカが、昨夜あたりからずーっと頑張ってるのが増田原発ツリーの現状なわけ。

2011-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20110321124017

今後はそっちの可能性も検討するべきだと思うよ

「そっちの可能性」てw

さっきから何の可能性も提示できてない奴が何言ってんだw

原発は嫌い。でも代わりを考えるのはめんどい。だからみんなで考えようぜ!俺は考えないけどね!」

お前がやってる事はずーっとこれだろがw


http://anond.hatelabo.jp/20110321164604

じゃあお前の「考えた結果」を披露してくれよ。ここで。

さっきから「みんなで考えよう!」ばかりで、具体的に自分が何を考えてるのか全然出さないじゃん。

自分の気に入る結果を誰かが代わりに思いつくまでずーっと延々とダラダラと「代わりを考えよう」って言い続ける腹づもりなんだろ、お前。

Wikipediaに載ってるような事すら知らないみたいだし。


http://anond.hatelabo.jp/20110321164252

原発はよくない。だから代わりを考えたほうがいい。

で、お前はどう考えてんの?

それが全然出てこないじゃん。俺は火力発電回帰リスクコストをこのツリーのどこかに書いたぞ。

2011-03-20

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51689853.html

回帰分析は相関関係を分析するもので、因果関係を知ることはできない。こんなことは統計学の初歩の初歩である

回帰分析は相関関係を分析するもの??もしかして回帰分析と相関分析の区別がついていないのか?回帰分析を相関という言葉を明確な区別なしにつかっている時点で、統計学の基礎がぜんぜん身に付いてないよねぇ。

2011-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20110315131649

そっか。

結局、それが当たり前といえる程度の「非常時」か、という話しになって

情弱云々に回帰しちゃうな。

2011-03-05

つなぎ法案。

予算関連法案が通らない場合、年度末で効力が切れる現行法を、3ヶ月程度暫定的に有効期間を延ばすという法案が準備されているらしい

通常、この類の法案が出てくるということは、つなぎ法案の期限切れまでに解散総選挙が行われ、新国会で新しい予算案と関連法案が通るという場合に限られる。

選挙をやって、その際の公約マニフェストをそのまま通すという事になるのであるが、自民党に、その準備ができていないようである。あるいは、民主党ダメという批判を主張するだけで、具体的な公約マニフェストは一切公開せず、選挙が終わって政権を取ったら、闇討ち的に出すという手段なのかもしれない。道路族親中派の現執行部ならば、それぐらいやりかねない。

今の自民党の主流派閥道路族親中派であり、それが作るマニフェストといえば、せいぜい、小渕政権時代のばら撒きをやらかすぐらいであろう。民主党のばら撒きは、財源の無いばら撒きであり、自民党のばら撒きは、財源のあるばら撒きとなる。ただし、どちらも、その財源は赤字国債であって、未来借金押し付けているだけとなる。

自民党政権を追われたのは、未来にツケを押し付け赤字財政体質を改める改革を放棄し、ばら撒き路線に回帰したである民主党は、赤字国債の発行をやめると選挙で訴え、国民の支持を集めたが、二年連続して税収を上回る赤字国債を発行するという嘘吐きであった為に、支持を失っている。

選挙をおこなえば、民主党に対する批判票が自民党に流れ込み、現職でよほど悪政をやっていた愚物でなければ、当選する状態にある。新人であれば、どうせ陣笠の間は余計なことをやらないだろうという見込みで、新人ほど有利という状態にある。嘘吐きの民主党はいらないし、ばら撒きしかやれない自民党の現職もいらないという有権者意思表示の一票が、自民党新人や県会・市会といったレベルからの鞍替えに集中すると予想されているのであった。

現職を外して新人に替えるというのは、政治不信に対する有権者の一番手っ取り早い意思表示である

つまり、現職優先の選挙戦をやっているようでは、自民党はせっかくの風を掴み損ねるとなる。民主党にやらせてみたがダメだった。でも、道路族親中派自民党に好き勝手をやらせるわけにはいかないということで、新党に票を入れるというのが、先の衆議院選挙民主党に票を投じた浮動票の考えとなっているのである

陣笠でも現職扱いされる以上、現職で生き残りたければ、道路族でも親中派でもない事を有権者にアピールしなければならないが、宣伝すると、党中央に叛いていると取られかねない。派閥に入り、自民党反主流派という立場をアピールできればまだマシであるが、派閥に入っていないと、浮動票を当てにできないので、かなり厳しい選挙となるであろう。

2011-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20110225110415

登校拒否に至ろうが、たとえ殺人自殺に至ろうが、当人の責任回帰する。

経緯は経緯、結果結果

最終的な結果を出す行動をした人間責任を負うんであって、経緯は酌量といった形での判断材料以外のものにはならない。

いじめられて人生狂ったと言う人間責任転嫁の典型。

人に人生人格を歪められたんじゃなく、自分が歪める選択をしただけ。

自分の問題として自分に返す人間は「転機」と言うし、歪まない。

2011-02-18

むきだしの自然には耐えられなくなっていく

フィクション世界が盛り上がっている。

余暇が増え、娯楽の重要性が高まっている。

でも、自然と触れ合うのは危険性も高い。たとえば登山で遭難。川遊びで流される。火遊び火事

旅行というのは、人間にとって都合の良い範囲内での行動だけをするから一見問題ないように見えるけど、自然の脅威は依然立ちはだかる。

突然の大雪電車ストップ。大雨で土砂崩れ。人身事故人間は何をするか分からないという意味自然存在)。あいにくの天気でレジャー台無しとか。

人間が作り出したきわめてリアルフィクション世界にはそのようなものは一切ない。全て人間に都合の良いものだらけだ。

観光旅行を求める人間にとって、フィクションというか娯楽の世界はまだまだ不十分なことは確か。

そもそも画面の中にしかいし触れることも出来ない。目と耳でしか楽しめない世界なのだから自然と触れ合う体験をした人にとってはまだ不十分だと感じてもしょうがない。

これからどんどん技術進歩すれば間違いなく自然と対等なリアルさと、都合の悪いことは一切起きない良心的な世界が手に入るようになる。

その時、人はむきだしの自然には耐えられない。むきだしの自然には、嫌なことがたくさんある。そこを我慢しろと自然回帰志向の老人たちは言う。だが、結局彼らも我慢などできない。

単に我慢できない人を見て俺は我慢できるぞと虚勢を張ってるに過ぎない。あるいは我慢の経験を積んでいるので多少長く我慢できるだけだ。

頭でっかちになった現代人は、何よりもまず「都合のいい世界」を求める。自然のように、何が起こるか分からない不確定な存在は不気味すぎて耐えられない。

ある程度マニュアル化してみても(ガイドブックなど)、結局不確実な要素は発生する。「何が起こるか分からないのが自然だよな」と得意げに語ってみたところで、実はうんざりしているかもしれない。

そもそも自然派な人間都市のあまりの「不確実性のなさ」には耐えられない。時間はきっちりと決められているし、少しでも遅れればもう電車には乗れない。両方をとることは出来ない。

いやそもそも、旅行に行くときガイドブックを参照する人間というのは、自然世界を制御できる人間世界と同一視している。

あそこには何があり、こんな時はこうすればいい、あんときはどうすればいい、こういったことをあらかじめ知っておきたがるのは、自然の持つ不確実さを解消したいからに他ならない。

結局彼らの求めている「都市はな自然」というのも、実はむきだしの自然はなく「捏造された自然」なのではないか

これから捏造された自然はまます人間の生活、娯楽に組み込まれていくだろう。

鳥のさえずりが聞こえる雄大な森。しかしそこには気味の悪い虫は排除されている。突然雨が降ったりはしない。夜になって道に迷うと困るので、ライトもある。

こういった捏造された自然を体験するバーチャルツアーが次世代の観光となっていくだろう。

なにせ家から出ないことが一番の節約なのだから電車に乗る、車に乗る、飛行機に乗る。全て物理的距離を移動するとき費用がかかる。かといって歩くわけにはいかない。時間がかかりすぎる。

多分、物理現実依存する物事というのは、料金を下げられる限界というのがある。もしその限界に達したとしても、人間が感じる疲労や、時間の消費といったものがついて回る。

ただ、今よりもさらに旅行が手軽になれば、自然回帰志向とその逆の都市生活志向人間とがはっきりと色分けされるようになるかもしれない。

もちろん、自然回帰といってもそれは多かれ少なかれ捏造されているのだけどね。その程度の差が問題になるだろう。

未来を題材にした小説では、なぜか未来の生活は賛美されない。それは、書き手が自然回帰志向からであり、バーチャルなもので満足する未来の人々を嫌悪しているからだ。

しかし結局脳にとって夢も現実も同じだ。どちらがよりリアルに感じられるかだけでなく、より「都合の良い」現実のほうを脳は選択するだろう。でなければ、なぜ今世紀に入ってから都市人口は増え続けているのか説明がつかない。本当に人間自然に帰るべきなら、都市人口は増えない。というか減るはずだ。

しかしもちろん自然を知るということは大事なことだ。

人間自然の模倣以外には何一つ生み出せない生き物だし、都市が抱える問題を解決するために必要なのは自然の叡智だ。

重要なのは自然情報化し自由に使えるようにすること。その時はじめて、都市自然に勝利し、バーチャル世界自然を超えることになるだろう。

それを考えるとまだまだ人間には自然由来の知が少なすぎる。完全にバーチャル自然で育つ「都市人間」が誕生するのはまだ先のことか。

世界の次なるステージ

モノを持たない。

必要なだけ働く。

シンプルに生きる。

精神的な充足。




って感じの日記ブクマが付くよな。

反論よりも肯定の意味を込めてのブクマね。

何か「清貧」的なものに共感する文化日本は持ち合わせているのか。

外国はどうなんでしょうか?




次なる経済モデルが見つからず、閉塞感に包まれる先進諸国

先進国の次なるステージモデルとして、

日本の(経済的)貧困層を中心に解脱を始められないかなw



・車いらないママチャリなう

・ボロ屋でOK

・週休4日

パーカージーパン



モノを持たない=Coooool Japan! みたいな。

東山文化(*)への回帰たいなw

で、どんどんいろんなモノを不要とみなしていって公的サービスを削除。

その分を社会の繋がりをUPさせて担保。

理想は「自然の流れに逆らうような長生きはCoolじゃない」ってとこまでくれば

年金医療の問題も解決できるような気がする。





ま、ここまで極端なことは無理かもしれんけど

いろんな社会問題は将来の好景気をアテにして税金で解決しようとしてるよね。

でも、それって現実性がない気がしてしょうがない。

(日本借金世界史上未到レベルしいけど、どーすんのw …ってみんな他人事

こうなると、人々の価値観の変性しか解決策はないんじゃないかな。

つか、放っておいてもそうならざるを得ない雰囲気だけど。




先進国は人々の要求水準の高さから多くの税金を必要とする。

でも、ITや金融崩壊した今、多くの税収は望めませーん。

必要なのは要求水準を下げること。多くを望まないこと。

禅、自然、清貧の文化を実現し世界に示してやろうZE!




このままじゃ、チャイナ勝ち組日本負け組

でも、経済負けても、心は侵略。

ボロは着れども心はNISHIKI

Return to HIGASHIYAMA!




東山文化=質素、禅、自然っていう勝手イメージで言ってます。すいません

2011-02-08

CLANNADは人生」なら「まどか☆マギカ」は・・・?

CLANNADは人生       狼と香辛料経済

Air芸術            .なのは燃えアニメ

Fateは文学           .こじか葛藤

リトバス筋肉         .極上生徒会モラトリアム

鳥の詩は国歌         .ハルヒ感性

SchoolDays神話       ARIA現実

君が望む永遠哲学    すももは楽園

攻殻政治.           Myself;Yourself月9

うたわれるもの日本史A アイマスはわが娘

ひぐらし論理学        初音ミク真実の光

EVA聖典            00教科書

神霊狩音楽          true tears真実

Kanon奇跡           H2O格差社会

ゼロの使い魔国旗      D.C.ダ・カーポ~は純愛

ムリョウは日常          efは旋律

まなびストレート青春     みなみけは食事

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない社会派ミステリ

東方宗教.          電脳コイルデジタルデバイド

らき☆すた地域振興     けよりな八百屋

sola幻想            グリーングリーン若さ

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5の2は少年時代への回帰  まどか☆マギカは ←New

今のところ自分が推したいのは2つ

  • まどか☆マギカは理由
  • まどか☆マギカは二択

2011-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20110131141043

だよね

フェミがどれぐらい関係あるのか疑問

価値観回帰するルートもその通りだと思う

回帰は出来ないけどねえ

どうするんだろうほんと

http://anond.hatelabo.jp/20110131133431

理屈で言えば男女関係の新しい価値理想はフェミが提唱すべき

が分からない。

戦後家族が小型化した段階で、価値観特に伝統的なものについて自然崩壊するのは確定的で、

その加速の一因として、日本フェミニズム女性に新しい価値観提唱したことはあるけど、所詮それは一部でしょ。

 

どう取り戻すかではなく、新しい価値観をどう導くかは自分重要だと思うけれど、

しか社会全体で考えるといったところで、何もかも流動的で何を地盤に考えるのかさっぱりわからない。

地盤がないか価値観が出来ず、不安定だから価値観に形式的に回帰するんじゃなかろうか。

そして、旧価値観の前提(http://anond.hatelabo.jp/20110131112524がいう少しの特権と多くの義務責任)がないまま形式だけ取り入れるから齟齬が生まれるのでは。

 

書いててすげぇフェミっぽくなった

現代に潮騒が成り立たない理由 

女が男を試すものなんだろうなと思ってる。

かぐや姫が男たちに無理難題ふっかけた例の簡易バージョンとして、

女のために婚約指輪という無駄銭払う覚悟を問うているのだと。

「その火を飛び越えて来い」

言っていることはわかるけれど

そういうハイテンション儀礼と言うのは

から男へ・個人から個人への要請として成立するものじゃないと思うんです

そこには社会的インフラ整備が不可欠であることにみんなが気付いて欲しい




初江は個人のパワーだけで新治に炎を飛び越えさせたのではな

背後により大きなパワーを背負っていました

これは、成人を迎える部族少年バンジージャンプをさせるのと同じパワーです




少年達が子供の頃から

"それ"が義務であり誇り高いことでもあるのだと教えられていたからこそ

必要な時に年長者や女や子供から片務的な負担を申し付けられても

従容として、時に嬉々として、それを受け入れることができたのです




少年をそのような男に育てるには

子供の頃から少しの特権とそれよりずっと多い義務や責任とを与えて自覚させる必要があります

近代先進国少年はそういう教育を受けていません。

したがって騎士武士や戦士は生まれ得ません。




女の為に宝物を探してきたり火を飛び越えたりする男像は

古い社会に基づくロマンの形です

少女の頃から少年を「殿方」として立てるようなことをしたいなら別です

そうでない、そして実際そんなことをしてこなかった女が

火を飛び越える男を欲してもそれは不当だと思います。

掛けていない年金の給付を受けようとするようなものです




古い社会への回帰を呼びかけているのではありません。

そのような義務規範の身に着いた男を育てる社会コスト・個人コストは小さくなく

からこそ必要なくなった時点でそのシステムは命を失ったのですから




ただ、社会の過渡期と言うのは局地的なズレが多く起きて誤謬を産みます

未だに男は炎を飛び越えるべきだと思っている男女もそうです

その為の特権も名誉も訓練も義務も死も与えられてこなかった元少年

この現代に炎を飛び越える必要は無いと私は思います。




現代、

このようなことを筋道立てて説明できない少年達が

規範のロマンを求めて満たされない女と相互に憎んで対立した結果

スイーツ(笑)」「草食」のような言葉を生み出しました

互いに旧価値観の良く見える部分だけを当然の形として異性に求めているだけで、

これは気付きさえすればすぐ解決できる、ただの誤解です




高額なご飯、流行自動車、高価な婚約指輪、盛大な結婚式

これらは全て飛び越える炎です

名誉社会でない今、飛び越える炎から得る利益はありません。本当は。男女とも。

http://anond.hatelabo.jp/20110131095510

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