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はてなキーワード: カタルシスとは

2011-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20111127164522

男性性的主体であり女性性的客体である」というジェンダー規範や、

女性男性に常に性的な目で評価され、罵倒され、消費されることが容認されている現状に反発する女性たちが、

ボーイズラブ作品の中で「男が男を性的に評価する」「男が男に性暴力を振るう」というファンタジーを消費し、

カタルシスを得ている場合があると聞いたことはあります

しかし私はそういった性的ファンタジーを必要としていないので、実感的な部分については書けません。

専業主婦の妻を「誰の金で生きてると思ってるんだ」と支配していた夫が失業し、なかなか就職先が決まらず、

パート勤めなどを始めた妻に逆に扶養される事態になってしまい、日に日に精神的に追い詰められていくようなストーリーは好きです

しかしそれは性的ファンタジーではなく、「親から子への経済支配」を「夫から妻への経済支配」に置き換えてみただけのこと。

私のこだわりは「支配と被支配」にだけ向けられており、支配側の性別と被支配側の性別にこだわりは無いのです

女の私が性差別ファンタジーに対して思うこと

出遅れという言葉じゃ済まないほど今更だけど、レイプエロゲー問題について考えた。

 

12前後女子学童通勤電車に乗っている。後をつけていた男が彼女の体に触り、彼女性的いたずらを試みる。やっとのことで電車は停まり、恐れをなした彼女は公衆トイレに駆け込むも、追って来た襲撃者は彼女の腕を縛り、レイプする。襲撃者は彼女監禁し、様々な状況下で彼女を何度もレイプする。彼女母親と、10代の姉妹もまた同じ運命をたどる。この一家は以前、かつてこのレイピストが別の女性に対して性犯罪を図った件について、姉妹の姉が警察通報したことにより、その報復としてレイプの標的とされたのである

以上が、イリュージョンソフトウェアが開発したレイプシミュレーターゲームレイプレイ」のあらすじである。このゲーム日本で販売され、Amazonでも取り扱われている。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/yuuboku/20090508/1241760087

 

まあ、酷い話だよなとは思う。

ただ、女性から無視・嫌悪されてきた男性たちへの慰めとして、こういった性差別フィクション存在は必要なのではないかとも思う。

 

母親ケンパーに厳しくあたった。

男の子は甘やかせばホモセクシュアルになる」

と、なぜか彼女は信じて疑わなかったという。

体が大きく、早熟な彼が姉たちに手を出すことを心配した彼女は、まだ幼いケンパーの部屋を地下室に移した。

ケンパーはこのじめじめした牢獄のような、窓ひとつない場所におびえ、なんでもするから二階の子供部屋に戻して、と嘆願した。だがこれは聞き入れられなかった。

彼はこの地下室で悪夢にうなされ、暗い妄想にふけった。TVもラジオもなく、窓すらないこの部屋では外的刺激などまったくなく、彼は内なる妄想でみずからを慰めるよりほかなかったのだ。

彼の両親は彼がものごころついたときから、すでに不仲だった。母親は体格がいいだけでなく、ケンパーを産んだだけあって頭の回転が速く、とくに舌鋒の鋭さは無類であった。

ケンパーの父はついに、息子が7歳のとき妻に完全敗北し、家を出た。

ケンパーは4月20日、母のアパートを訪ねた。

そして真夜中、眠っている彼女ハンマーで殴り、ナイフで喉をかき切った。それから「もう二度と悪態がつけないよう」喉頭を切り取って、ディスポーザーで粉々にした。そして首を切断した。

首を失った体は、いつものようにもう「母」ではなく「女体」だったので躊躇なく犯した。首のほうはダーツの的にし、罵声を浴びせながらサンドバッグ状に殴った。

http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/kemper.htm

 

こういった、被支配者が支配者を惨殺する復讐劇に私はカタルシスを得る。

特に、口が達者な親によって子が洗脳状態に置かれていたが、洗脳が解けた子が親を惨殺するストーリーが好きだ。

これは私的な体験から来ている願望なのであろうと思う。

対象から逃げるだけだった私は、理想の姿として復讐ストーリーを欲し、消費している。

 

今回Equality Nowが提示した問題点は、そのような「わいせつ」という概念に基づく物ではありませんでした。Equality Nowは、今回のエロゲ―を批判するときに、非難されるべき点として、次のような表現を使います

これらにおいて問題となるのは、それが「わいせつであるかどうかではなく、それが「女性に対する暴力」を維持するようなものであるかどうかなのです。今回のようなレイプゲームが問題となったのは、それが性的ものであるからではなく、女性に対する差別を維持するものであるからなのです

http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090520/1242764989

 

子による親への復讐ストーリーを必要とする私のように、性差別ファンタジーを必要としている男性がいるのではないか

女性たちに無視され、嫌悪され、排斥されてきた男性たちにとって、

女性たちを性差別暴力を振るう理想的なストーリーは救いになるのではないか

 

虐待していた親が改心し子に謝罪して、子がスムーズにそれを許し、全てが上手くいくようになる例が非常にまれなように、

女性から嫌悪されてきたある男性の前に女神のような女性があらわれ、その男性を無条件に愛し、

男性の内にあった女性への全ての屈折や憎悪が消えてなくなり上手くいくという例も非常にまれで、期待するだけ無駄な話だ。

 

被害者意識に苦しんでいる状態から一時的に救ってくれるのは、後ろ向きな復讐ストーリーだけかもしれない。

私は必要悪としてそういった性差別ファンタジー存在を認めたい。

ただし性差別ファンタジー消費者と関わりたいかといったら全く別の話で、当然、できるだけ関わりたくない。私は女神ではない。

2011-10-26

今10ブクマ!!   頑張れ お前らの嫌がらせでもこうやって利用できるんだ!!

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/oooquree/20111025/1319512673




しかし、世の中には、いるんですね。。。

こういう奴

状況をわきまえずな奴

社会

書くと隠そうとするかもしれないけど、嫌がらせしてきた中で、少しでも社会性があるやつがいたら、その表の会社などにも報告してやろうかと思った。

ネットハラスメントって、きっとこれから問題になると思う

ライトユーザーをなぜ取り込んだか、その方が儲かるから

そういうまともで健全社会人に受けない事は、今後ネット運営会社たちが極力避けようとするんじゃないかと思ったりする

ネットハラスメントは今に始まった事じゃなく、逆だけど

元々は、ハラスメントはあって当たり前だったり、それしかないみたいな状況のところもできていたりした

法律がなかったか



今も法律ではネット人格に対しての名誉毀損は無いけど、ハラスメントは問題になる可能性は今のがあると思う



ライトノベル作家で、カタルシスを得る為に作中人物を殺すのはよくないと考えていると言う意見の人がいたらしい、カタルシスという事場を普通に使っているのがちょっと意外だったが、こういう心理はあると思った。ストレスというのは人を殺したくなる気持ちじゃなかろうか?と思ったが、何かそういうものを抱えた病んだ人たちがこんなにも居たとは!

精神病院の中に居た人たちは確かにおかしかったが、弱い者がもっと弱い者を叩く的な事ができない人たちだったんだろうな、と思う人も居た。どんなに弱い者に見えても叩こうと思って更に弱い者を探せば居る。




はてなというのは、マイルドさを装った2chが更に悪質化したもの、なのかもしれない。



一見善良そうな普通日記ブログもあるが、それをブコメコメさせるという機能もある

はてブって、どういうつもりで始めたサービスなんだろう?

誰か全くの部外者が調べて見て欲しい



他人に対してこういう関わり方ができる状態を提供してしまっている仕組みが、いろんな意味で凄い

すごいw






すごいきもち悪いです










今日見たブクマは、「どーもシュールハイセンスです」というものがあった

別にどうでもいいが、こっちが書いた内容とのギャップを考えると、葬式できゃっきゃできる不気味さや、うちの親にも通じる気味悪さ 徹底しすぎた傍観態度を更に推し進めてしまったものを感じた。




はてなに居ても、あまり意味ないんだなと思った。





晒してるつもりかもしれないけど、現実とのリンクを忘れてる

寧ろ、私には、どーも!とか言える滑稽さの方が大きいと思う






そうじゃなかったら、世の中の方が狂っている







追記

気持ち悪さってこういう事。

昔見た2chのニュー速か何かで、あそこは今でも酷いだろうけど。横田めぐみさんのご両親ががテレビで会見してて、咽び泣いているのが、映っていた。実況スレかどうか忘れたけど、それを見てた書き込みが、「咳、し過ぎ!!」というものだったのを見た時、良い悪いじゃなく、気持ち悪ーーーーいものを感じた。 自分もそうされてきたか、何かが欠落した状態なんだろうと思った。

2011-10-24

ユートの悪かったとこ二つ

ユートは悪いとこ多いけど、特に悪かった点はふたつ




ヒット後の二発目ということで必死さが足りなかった

序盤の何週も、「ため」「ひき」としか表現しようの無い展開なのね

何考えてんのかと

みんな必死で掴みに行くところなのにそれはダメでしょと



とにかくくらーくてだるーい展開が続くの

カーンていうカタルシスの回もないのに、不快回は多い

っていうか「ヒカルの碁」も一皮向くと結構ローテンションな部分はあってさ

サイっていう魅力的な設定&キャラが全てを補ってスタートダッシュしてくれたよね

あと小畑の巧みな絵のフォロー




キャラが全員嫌な感じ

これも実はヒカルときからそうなんだよね

無愛想な奴、ツンケンした奴、嫌な感じの奴はほった作品に凄く多い

もう、作者がそういう男を好きなんだとしか思えない

マニアック萌えがある、きっと

絵が小畑じゃなくなるとこれがもう

オブラートの無い「単なる嫌な奴」になっててさあ




特に主人公が、内気でウジウジ&なのに結構他人に恨みがましい言葉・批判的な言葉を吐く、

かばいにくいぐらいクズな奴なんだよね

(のちの人間的成長を期してのことではないと思う、

 ヒカルも似たような攻撃的な部分はあったけどガキ大将風に絵でフォローされて致命傷を避けてただけ)

この主人公の父親がまた、口数が少ない、不機嫌な表情の、しかも主人公のスケートをよく思ってない親父でさ

この二人のスケートにまつわる駆け引き、しめっとしてて本当に嫌な感じなの

あんなもんを何週も何週も見せられたらそりゃ読者は精神的に持たないよ

おしんじゃねえんだから





でも結局

ヒカルの碁」のヒットも幸福なめぐり合わせがあったからで

ユート」は不幸な方にめぐり合わせがあったと

それだけなんだよね

ヒットって難しいね

http://anond.hatelabo.jp/20111024175422

2011-10-12

そういうものだ、と言うのはあなたの中だけの定義なので、何とも言えません。

http://anond.hatelabo.jp/20111012192829

被害者で、講演や出版ブログで言いまくってる人たちはいますが、むしろその人たちにとっては、語る場を奪うのは、カタルシスが得られなくなると思いますが、なぜそうまでして言わせないように語らせないようにしようとするのか意図がわかりません。男性性犯罪男性が犯すという事実を認めたくない人もいるらしいですが、それなのではないかと思います

被害者自身が語りたがっているという現象は無視ですか?おかしくないですか?まるでくさい物には蓋みたい、変なの

2011-10-02

はがない

アニメ化するらしいので放送見る前に原作読んどこうとおもって2巻まで買って読んだ。

それなりに人気がありアニメ化でするぐらいだからおもしろいんだろうなと思ってた。


しかし読んでみるととても驚いた。


まず全体を通して短編

4コマ漫画を読んでいる気分になった。

短編で8割が会話なのは小説というより脚本か何かに近い気がする。


そしてラノベといえば鬱陶しい程の言い回しが特徴だとおもうけどこれは逆に直球すぎる。

心情描写とかない。会話が続いて誰がどうしたといった状況の説明で終る。


2巻まで読んだ感じだと最後にちょっろっと伏線的なストーリーも入っている事から作者は狙ってやってる感じがする。

しかしこれが人気な理由がわからない。

ドラマもないしカタルシスもない。いかにもヤオイ的文章だと思う。


これがどう調理されるのかアニメが楽しみだ。

2011-09-10

人を試すタイプの話について

1年前のブコメレスポンス

tomo-moon

どうでもいいけど事業に失敗したと言う男にそれでもいいと告げて

『嘘だよ、事業は至って順調。君は心が美しい女だ今すぐ結婚しよう』とか言われて

「私を担ぎやがって」と相手をボコボコにしないでいられる自信はない 2010/10/18 14



これはすごくまっとうっていうか、当たり前っていうか、

そもそも相手を試すような行為ってのは大変無礼なことであって、

「事業に失敗したという男」のお話で言えば

もし女が「それでもいい」と言った途端に




男はその場で五体投地して

「ごめんなさい 

 人を信じられない僕の醜い心が君を試すようなことをしてしまいました

 でもこんなことをするのは一生でこれっきりです

 もし愚かな僕に愛想が尽きていなければ

 どうか結婚してください」

という展開が当然来るわけで




「事業に失敗したという男」のお話でいうと

女が「お金ないならサヨナラ」と返答するルートしか描かれないか

男が土下座するパートが省かれるだけで

本来は土下座までが当然の前提として読む側が担保してるものなんだけど

どうも最近そうではない





人を試す話は大変魅力的モチーフなので

神話にも逸話にも民間伝聞話にも山ほど出て来るけど

一方的に試しても謝らないでいい例外的パターン神様か殿様が疎遠な下層民と接するときぐらい。

(その時は謝る代わりに褒美を下げ渡すんだけど)




親しい仲の人間を試した話では

「おお!お前を疑ってしまった!許してくれ!」っていうパートが必ずあるし

人を試すお話の本当のカタルシスパートはここであって

試しをパスしなかったバッドエンドルートなんてただの裏ルートに過ぎない。




であるのに昨今はなんだか

人を試したり操ったりする所の方で興奮する人が増えたので

「試したら案の定でした。終わり。」みたいな話が増えてしまった。

多分それと関連して、

「人を試したい」「人を操りたい」みたいな欲望が

無礼である、醜悪である、という根本的なことすら了解してない人が増えた。





話に取り止めがなくなってきたのでヨブに合掌してここで終える。

2011-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20110828114627

最初の、ネトウヨ陰謀論者みたいなもんだ、というくだりは理解できる。

次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。

以降のネトウヨ精神分析みたいなものは、考察だし、まぁ理解できる。

最後に、ネトウヨが内包する矛盾について語ろうと思う。

以降については大いに疑問が残る。文章の練習を兼ねて、疑問を指摘したい。

元増田の主張は

ネトウヨ差別を否定しながら、差別している。だから矛盾している。

という事だと、思う。

しかし、そうだろうか。

(共通の前提)

いわゆるネトウヨ差別的発言を特定のアジア人に対して繰り返すのは、特定のアジア人反日的発言を繰り返すからであることが、原因であることは、お互い理解できているものと思う。(論点として、どっちが先に言い始めたか、という事もあろうかと思うが、原因となる行為を遡るだけで究極的には問題にならないだろう。)

(背景)

ネトウヨ差別を否定しながら差別しているという考えの基礎にあるものは 1.特定のアジア人反日的発言を繰り返すことは、過去日本の蛮行を省みれば当然ゆるされる 2.ネトウヨ差別的発言を特定のアジア人に対して繰り返すことは、過去日本の蛮行を省みればゆるされない であると思われ、結果的にネトウヨ差別的発言を繰り返すことは許されない、のであろう。



(指摘)

しかし、漫画キャラクターの例でも指摘されたように、犯罪者の子孫は犯罪者ではない。また、このような漫画共感する人々とは、犯罪者の子孫を犯罪者の如く扱う差別に対して憤っている人々である

すると、過去日本の蛮行が原因であったとしても反日的発言は当然許される=ネトウヨは受け入れることが当然、ではない。ネトウヨは、祖先の蛮行が原因であるものの、いわれの無い差別的発言に対して、報復しているのだと考えられる。

一方で、たとえ報復であったとしても、ネトウヨ差別的発言を繰り返す事は、差別なのであるとも考えられる。いわば自衛のためであるものの、それが許されるかどうかは、別問題であろう。

(相手が差別的発言だとは理解していないおそれがあるものの)差別的発言を受けるネトウヨが、報復として差別的発言を繰り返す事と、差別を否定する漫画共感する事とは矛盾するのであろうか。

(結論)

いずれも、差別を否定するからこその行動だと、思う。

差別を否定するからこそ、受けた差別理不尽だと感じ、報復差別)するのである

差別を否定するからこそ、差別を克服する漫画共感するのである

矛盾していないと思う。



どうしてそのようなことがおこるのか。

一つには、先に書いたようにアイデンティティの欠如である

さて、元増田ネトウヨ差別的発言の原因をアイデンティティの欠如を第一に挙げている。

差別的発言によって自己尊厳が回復され、カタルシスを得ているのだ、と指摘している。

私はこれを恣意的だ、と感じた。

このような原因が無いとは言わないが、第一の原因ではないだろう。これが主因であるならば、ネトウヨ弱者でなければならないのではないだろうか。極端に言えば、ホームレス等といった者のような。



ネトウヨ差別的発言の主因はむしろ特定のアジア人達の主張の矛盾であると私は思う。

例えば韓国人であるならば、独島である。かれらは独島=于山島という。東も西も無いような地図を出し、人も住めないような岩礁の事を古書にある于山島であるという。一言で言うならばアホだ。いらつく。twitterデマをばら撒くアホと同じだ。

元増田に言わせれば、器量が小さい=アイデンティティの欠如からくる堪え性の無さ、といった事になるのかもしれないが。

2011-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20110812021259

まどマギ』は、ファンタジーな設定に現実の重さを乗っけた作品だけど、『ピンドラ』は逆。

妹の死という現実に直面する兄弟に対して、次々とファンタジーが襲来する。

謎の帽子、謎のプリンセス、謎のペンギン、謎のストーカー女…

奇妙な連中とドタバタを繰り広げるうちに、いつのまにか「シリアス」は掻き消され、「コミカル」に支配されている。



語弊を恐れず言えば、『まどマギ』は視聴者に緊張を強いる作品。

常にQBの言動に惑わされ、衝撃の展開の連続で、魔法少女たちは苦しみ続け、主人公はずっと何もできない。

からこそ最後に最大のカタルシス生まれる。



対して『ピンドラ』は「見ているだけで気持ちいい」というタイプ

決して作画が良いわけではないが、色彩やデフォルメが駆使され、快楽的な絵が作られている。

そして、おそらく無数の謎は最後まで解決されない。



というわけで『ピンドラ面白いよ。

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110802200402

シンボルを燃やすとか

写真燃やすとか

棺桶に写真貼り付けるとか

結婚してない/できない事が欠点と思うのかどうか知らないけど、わざわざ指摘するとか



他人を貶めて、こう、なんていうか満足してるっていうのかな、自分を高める?カタルシス



こういうのを、なんて表現するんですか?誰か教えてください。

2011-07-27

純粋差別主義者モヒカンの夢をみるか?

※ここでいう純粋差別主義者というのはあくまで理論的な話であり、現実的にこういう人がいるという話ではありません。



差別主義者は、己の理想が本当に現実になることを望んでいるかかなり疑問になることがある。

例えば最近話題になったwakabafukudaさんは、すべての発言が「ヒャッハー!汚物は消毒だー!」にしか聞こえない。

おそらく「言葉遊びとして」程度にしか差別というものを理解していないからああいモヒカンのような雑魚っぽい発言しかできないのだろう。


よろしい、あなたの望みがかなってあらゆる差別がなくなったとしよう。

差別是正措置という名の差別も取り除いてみよう。

差別がまったくない世の中というのはどういうものか。

それをわかりやすく描いているのは北斗の拳ドラゴンボールフリーザ編)である



まり、完全能力主義、もっといえば自然淘汰世界だ。

他のあらゆる言い訳存在しない。あらゆる保護(=優遇)は考慮されない。男と女の差すら容認しない。役割分担を考慮することもない。

北斗の拳のように全体の資源が少なければ、焦点は資源の奪い合いになる。力のあるものが力の弱いものから略奪する世界になる。

ドラゴンボールのように、高度に科学が発達し、エネルギー問題が解決され、食糧や住居はおろか、労働力さえサイバイマンという形で供給されるならば、焦点は尊厳の奪い合いになる。

そこで生き残れるのは覇王か、エリート戦闘民族だけである。彼らがすべてを決める。

能力中途半端人間は、せいぜい覇王や聖帝の下でヘコヘコしながら、より弱いもの虐待しておこぼれに預かるしかない。

トップの人間以外にとっては、もはや今の日本にあるような自由は存在しない。

まして、ドラゴンボール世界観であれば、役に立たない人間はそもそも不要だ。だから資源がないなら星ごと潰されても文句が言えない。




本当にあらゆる差別に反対し、ひまにあかせて言葉遊びに興じ、どんな些細なことにでも絡んでいく暇な人は、北斗の拳世界観を望んでいることになる。

まり既存秩序の完全リセットである。あらゆる社会の否定。

私のように能力に絶対的な自信がなく、しか一定の自由は欲しいという人間は、北斗の拳世界よりは今のほうがまだましかなぁ、と思っているのだけれど

それでも彼らは「間違った自由などいらない」「どんなに間違ってても今の社会をみとめるよりはまし」といってはばからない。




どれほど現実絶望したらこんな投げやりで思考停止した言動ができるのであろうか。




そして、そんなに現実いやなら一人で死ねばいいのに、そうはしない。

真摯人間平等を願うならまず宗教の1つも学んでみるものだ。神のもとの平等という概念に興味くらいは持つはずだ。でもそうはしない。

なぜなら、彼らは現実絶望なんてしてないからだ。そういうポーズを取りたいだけだ。

絶対に自分を否定したくない。世界が間違っていると信じてやまない。

そんなに自分が好きならもっと努力して自分の望みを自分で叶えてみろと思うけれど、それもしない。

世界が間違っているのだからと、自分はふんぞり返って世界からの謝罪を求めるだけ。世界を断罪するだけ。

しかもその基準を学びもしない。 自分価値観を万能なものとして振る舞うだけ。





ガキか。

ガキです




そういう王様を演じる妄想楽しいかもしれない。

幼稚園児だったらそういうおままごとをしてる姿も微笑ましいかもしれない。

でも、そういうのは一人でやってほしいし、大人になったらやめて欲しい。

妄想ゲームは、表に出したらただの毒電波です


セックスセックス!みんなセックスし続けろ!

激しく!もっと激しく!

ペニスヴァギナをこすりあって!愛液と精液を混ぜあって!

肉と肉がとろけ合うまで交わり続けろ!

いづれは学校中の生徒も参加させてやる!善人顔した教師達もだ!

学校中の女達の穴という穴すべてに精液を流し込んでやる!

校長教頭も皆、家畜の様によがらせて、可愛い教え子達の膣にペニスをぶちこむのさ!

学校の次はこの町、全てを巻き込んでやる!

ただすれ違っただけの見ず知らずの奴ら同士を、いきなりセックスさせてやる!

例えそれが親子であろうと!兄弟であろうと!

女同士であろうと!男同士だろうと!

子供だろうと!老人だろうと!赤ん坊だろうと!

全員残らず、性器を結合させて、愛液と精液にまみれさせてやる!

セックスセックスセックス

どいつもこいつもセックスさせてやる!

膣やペニスがすりきれて、血まみれになっても腰を振り続けさせてやる!

血と精液と愛液にまみれながら、喉が渇けばそれをすすらせ、

腹が減ったら互いの肉を噛み千切らせる!

そして永遠続けさせてやる!セックスを!

セックスだ!セックスセックスセックスセックスセックスセックス

セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックス

セックスセックスセックスセックスセックスセックスセックス

純粋差別をとなえられるくらい十分に頭の悪い人の求めている世界ってこういうことだと思うんよ。

自分王様で、それ以外は全部自分の思い通りの奴隷

で、奴隷に対して自分コンプレックスをぶつけてカタルシスを得たい。

中二病ってある程度知性がないと自分ヒーローになれる設定とかストーリー作れないんでこの人達には無理です

から一番原始的な欲求に忠実に従うとこういう単純な妄想になるんですよね。

中学生の頃にはよくある妄想です。まぁできれば高校生のあたりで卒業していただきたい幼稚な発想ですね。

wakabafukudaさんを見てると、「中学生日記」を読んでるようで微笑ましいです





本当は4章立てのつもりだったけど途中で馬鹿らしくなったので導入部分だけで打ち切ります

差別経済学とか、差別歴史とか、時代ごとにかわる差別の合理性とか読みたくないべ?

2011-07-01

いじめられた思い出(セコい打開をした場合

いじめられ体験をみんなが書いてるので自分も書いておきたい。

自分中学1年の時からいじめられ始めた。

主にラグビー部の連中からで、内容は侮辱的な事を言われたり暴行を受けたり。

冗談を2、3歩踏み越えた感じに笑いながら暴行してくるのを、

同じような冗談なのか良くわからないテンションで抵抗していた。

が、あれは確かにイジメだった。

から考えれば相手は相当軽い気持ちでやっていたと思うが

いつ始まるかわからないいじめに、そいつらがそばや後ろを通るだけでも緊張した。




それで中学2年になった頃

自分は背も随分伸びて、体が大きくなった。

からと言ってラグビー部をまとめて逆にやっつけたりするほどの体力も思い切りも無いが、

その代わり、ラグビー部の中で若干仲間に馬鹿にされ気味の奴が居る事に気付いた。

そして、毎度の笑いながらの暴行が始まると、いつも抵抗はしていたのだけど、

その馬鹿にされ気味の奴にだけは猛反撃するようにした。

しつこくやるのではなく、笑いながらだけど、一発だけど、そいつにだけは本気の蹴りを入れる感じで。




そもそもラグビー部の中で

体の大きさや体力で言って

1対1でもかなわなそうなのはトップ1、2ぐらいまでで

特にその馬鹿にされ気味の奴は体力が無かった(あれば運動部内で馬鹿にされてないだろう)。

蹴りを入れるとぶっ飛んだが、ラグビー部も「おおう」「なにこいつ」とか言いながら笑っていて

こっちもいつもと同じようにヘラヘラ笑うようにしていた。




結果から言って、いじめは収まった。

そもそも今から思えば、比較的には悪質でないいじめだったかもしれない。

とにかくその、いじめっ子の中の一番体力と立場が弱い奴にだけ本気の蹴りを返し続けた結果、

トップ1、2には何かを認められたような変な空気になり

それ以下の構成員はよそよそしくなり

例の最下位構成員はラグビー部の中でより馬鹿にされるようになっていた。




ラグビー部がもっと「よい組織」であれば

最下位構成員といえど外部に舐められたら

全員の問題として団結して当たっただろうからこっちがやられただろうが

そういう「よい組織」でないのもなんとなく感じていた。





どうだ、カタルシスも教訓もなにもない微妙体験談だろう。

2011-05-04

財務省デフォルト回避に向けた最終期限見通しを8月2日に延長

財務省デフォルト回避に向けた最終期限見通しを8月2日に延長 | ビジネスニュース | Reuters

http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-20919020110503

これが人工地震テロの収穫? 米政府デフォルト回避に向けた最終期限見通しを8月2日に延長だそうで。 属国離脱への道/ウェブリブログ

http://qualitysaitama-blog.at.webry.info/201105/article_6.html

関連?

4月27日、米連邦準備理事会FRB)は、連邦公開市場委員会(FOMC)声明で6000億ドル規模の長期国債購入プログラム(QE2)について、期限どうりに6月末で終了すると発表した

絶対にやってはいけない掟破りの裏技の米連邦準備理事会FRB)による国債購入を止めれば、QE2で辛うじて維持していたアメリカ経済は持たない。

もはや誰にとっても最後カタルシスは避けれない。http://d.hatena.ne.jp/bokko-aqua/20110430/1304145620

TPPに参加するかしないかの締切りは、6月末?なそうです震災原発問題で、スカポンタン菅総理が、自公連携してドサクサ決定してしまわないように、厳しく監視しましょう! - とある博士のおりゃっ!日記

http://d.hatena.ne.jp/bokko-aqua/20110503/1304435561

2011-04-17

いじめられていた頃を思い出した

憲法理念について考える過程で、中学生のころいじめられていたことを思い出した

現在俺は大学生でかなり充実した生活を送っていると自分でも自負しているし、他人からも言われている。

そんな今になってやっと気持ちの整理がついたので、その頃に起こったことを綴りたいと思う。稚拙な文章ではあるがお付き合いいただきたい



俺は中1の頃部活であることをやらかした。その内容については書かないことにする。


その後仲良くしていた友達全員が急に態度を変えた。

誰も話しかけてくれなくなった。じきにその中から罵倒するやつが出てきた。

大半は俺に関心を寄せまいとした

そいつらの俺に対する見方は分かっていたから、憎むことはなかった。「うわ、汚い。」

自分そいつらの立場ならそう思っただろう。

しかし、あー人ってこんなもんなんだーとあの時悟った。


俺を遠くから罵倒した人のことを今でもはっきりと思い出す。あの顔。薄ら笑っていた。

そんな時そいつらに背を向けて俺はただ窓から外を眺めていた。


関わったらいじめられる、といったことは憶測ではあるが、大半はあまり考えていなかった。

ただ俺は軽蔑の対象であり、関わろうという気にもならない、といったところだろう。


事件直後、俺のことを助けてくれると宣言した人がいたと顧問が言っていたので期待していた。

でもなかった。話しかけられたことは、一度もなかった。

俺が一人でいて、かつ誰にも見つかることがないタイミングなんていくらでもあったのに。


事件があって間もないころ、帰り道であいつを見かけた。

俺はあいつに気にしないほうがいいのかなあ、と明るくいつも通りに言った。

あいはいつも通りの口調で笑いながら、自分の置かれている状況は気にしろよ、と言って俺を後にして前を歩いていた部活の集団に向かって走っていった。

親友だと思っていたあいつにこんなことを言われた。あいつなら大丈夫だと思っていたのに。こんなものなのか。

一緒に野球していたじゃないか。一緒に何回も遊んだじゃないか馬鹿なこともしたじゃないか

人間不信に俺は陥った。


その集団の中で話しかけてくれた同級生は一人だけだった。

中学で知り合ってあまり親しくない子だった。

練習場所の水抜きをしていたとき、明るい声で話しかけてくれた。たぶん挨拶だった。

あの時すごくうれしかった。本当にうれしかった。

こんな屑に話しかけてくれてありがとう、と心から思った。


また話しかけてくれてたのは事情を知らないクラスの人たちだった。

いや、噂で知っていたのかもしれない。でもそいつらは気にしていなかった。

くそいつらと中学中庭で鬼ごっこをした。楽しかった。その中で一瞬だけ自分の状況を忘れることができた。

しかし俺はある意識を常に持っていた。その意識に縛られていた。「俺は屑だ。」


一番賢い学校にいってみんなから離れようと決心した

中1なのにもう先のことを考えていた。

中学校でのことはもう諦めていた。罵倒され続けよう。耐えよう。俺が悪いんだから


俺は自分のことを価値のない人間だと思い、死ぬことをいつも考えていた。偶然の事故とかで死にたかった。

ぬことは理由をつけて避けていた。死ぬのは怖かったから。

ただ死にたいと思うことに理不尽さを感じることはなかった。生きている価値はないと思っていたから。


家が俺のただひとつの居場所だった。事情の知らない家族との他愛のないおしゃべり。十分だった。

部活が終わった皆がいない帰り道でやっと安心できた。そして明日のことを思いすぐに憂鬱になった。


俺はベッドの中で人知れず涙を流した。部屋の空間に背を向け壁に向かって。

意図的に自分の状況を考えて悲しい感情に浸り、流したこともあった。

カタルシス本能的に感じたかったのかもしれない。


しか学校毎日通っていた。

なんで不登校にならなかったのかは分からない。部活も休まず行っていた。

自分は強い、と思っていたわけでもない。なぜいっていたのだろう。今でも分からない。何かに突き動かされていた。


たいつも自分眉毛をできるだけ垂れ下げるようにしていた。

申し訳なさそうな顔をするために。

実際申し訳なかった。こんな屑が存在していてごめんなさいって。



ある日顧問から一年生は理科室にくるように、と招集がかかった。

俺は一番後ろに座った。そして顧問はどんな話をするのだろうとぼーっと考えていた。

顧問は俺へのいじめをやめよう、とみんなに静かに言い聞かせて会合は終わった。そんなに長くはなかった。

顧問が喋っている間、俺はありがた迷惑だ、と思っていた。

もう俺には触れないでくれ。こんなので改善されるわけないだろう。


俺は教室最後に出て、皆が向かった練習場所のほうへ行った。

なぜ反対側に行かなかったのだろう。そうすればまだ安心できる学校での居場所である自分クラスに戻れたのに。

淡い期待があったのかもしれない。


練習場所の脇に皆が円になって立っていた。

からごめんって次々に言われた。

謝罪の言葉を聞いた俺はそばの壁に腕を当て顔をうずめて泣いた。声を上げて泣いた。

場所が元に戻るかもしれない。


しかし懐疑心はまだまだ残っていた。

今だけなんじゃないだろうか。いや、きっとそうだろう。今までそうだったのだから


その招集後初めての部活

帰りに部活の皆と一緒に帰ることになった。

誰かが面白いことをいったとき、俺は腕で顔を隠して笑った。

なぜそうしたのかその時は分からなかった。

今はそうした理由が分かる。俺が笑う顔を見せることなんておこがましいと思っていたからそうしたんだ。

そこまで自分は屑である内面化されていた。たった半年で。

それから俺へのいじめはなくなり、皆とぎこちないながらも仲良くやることができた。



時間は進んで中3のころ、いじめられていたやつが腕で顔を隠して笑うのを見た。

心に何かが刺さった。

しかし俺もそいつのことをみんなと一緒に影でいじめ、関わらないようにしていた。

こいつを庇ったらまたいじめられる。もうそんなことは絶対に嫌だ。


人をこんな風にした原因はなんだ?

教育環境だ。

あれから何も変わっちゃいない。


こういった経験をしてよかったと今は思う。

ただこんな思いは誰にもさせたくない。

俺が日本を変えよう。俺が行動しよう。


追記1: 感情が高ぶっていたために文章の論理関係がめちゃくちゃな部分がありましたので訂正しましたツイートしてくれた方などありがとうございます

追記2: >migurinさん やらかした内容について書かなかったところについて言及されていると思うのですが、全体の文章から伝わるようにしたつもりです。それ以外のところでしたらお答えします。

2011-04-16

今回の件、原子力だけに問題を見ている人は視野が狭いと思ってます

http://anond.hatelabo.jp/20110416105733

分野違いの技術です。いわゆるITけが技術」と思いこんでいるなんちゃってITエンジニア」ではないので念のため。

今思い返すと、「本当はとっても恐いものである原発だけど共存してくしかいから、大丈夫だと思い込もう。そしてそれに足る事実は多少ある。」といった精神状態になってるんだろうな、と思う。

それは日本人ほぼ全員がそういう精神状態なわけで特異なことでもなんでもないですね。早い話、地震のこと考えればそうです。大抵の家は震度6強に耐えられるように作ってあるけど震度7となるとどうかわからない。震度6強でも微妙姉歯たいな例もある。でも国外脱出する人なんていないですよね。

しいですが、家を選ぶとき耐震性とお金トレードオフ」はみんな考えるわけで、「安全を金で売り渡す」というのは多かれ少なかれ誰でもやっていることです

原子力発電」というテクノロジー自体は評価されるべき部分もある筈で、ただ日本という地震大国には向かないのかなと思うだけです

個人的には今回の件、原子力だけに問題を見ている人は視野が狭いと思ってます耐震性はそれなりでも津波対策が甘かったってのは実は土木工学地震学全般の敗北なわけで、釜石の「世界一防波堤」が崩壊したのもそうだし、沿岸地域避難所津波に飲まれたのもそうだし、死者ゼロ福島原発事故よりも深刻な被害が数え切れないぐらい出ている。あとなぜかみんな騒がないけど、放射能汚染よりも崩壊した建物からアスベスト汚染の方が危険かも知れない。

そういう意味でこれはもっと、もっと深刻な問題じゃないかと思うんですね。「原発やめれば少なくとも事故は起こらない」って考えが甘すぎるんですよ。原発やめれば原子力事故は起こらないかも知れない、でも別のところで起こっている事故を止めることはできませんし、被害全体を考えれば原発事故氷山の一角しかない。社会システム全体として、対津波対策を根本的に考え直さないといけないし場合によっては津波を被ることは諦めた上でその上で助かる方法を考えるようにシフトしないといけないかもしれない。そういう、極めて重大な問題だと思ってます

自然災害テロの懸念が限りなく低い土地原発を運営することを考えた場合、大きなリスクの一つとして"運営側の体質"が挙ると思うんだけど、ここが腐るのって日本特有なの?」「日本人には原発は向かない」のか「人類にとって原発オーバーテクノロジー」なのか、正直僕には分からずにいます。

個人的には「オーバーテクノロジー」ってのは意味不明だと思ってます。例えば原子力発電と音声認識では後者の方が圧倒的に実用化が遅いわけですが、後者を「オーバーテクノロジー」って言う人はいません。要するに「自分が理解できないもの」を「人類の手に余る」と言っているだけだと思うんですよ。人類全てがお前と同レベルの知識しかないと思うな、とそういう人に対しては思います。

で、大事故というのは基本的に人間系の欠陥がなければ起こりません。ここを見れば色々事例乗ってますが、チェルノブイリはもっとひどかったわけだし、JCOとか福知山線脱線事故とかは完全に人間系の問題、ドイツICE脱線事故設計時に安全が疎かになっていた例、だいたいなんでもそうですローテクだろうがハイテクだろうが人間系がダメならダメだし、人間系が大丈夫なら最悪の事態は避けられるはずなんです

となれば、うまく行っている例から学ぶ必要があると思うんですね。女川原発もそうだし、もっとすごい例で言えば地震直撃でも安全神話継続中の新幹線です。こういったところがうまく行っているからには必ずそれなりの理由があるはずで、原子力にかかわらず社会全体がこのあたりから学ぶ必要があると思う。そういう意味で個人的には、東京電力国有化後役員を全員クビにして、東北電力JRあたりの植民地にしてしまうのがいいと思ってます

追記

私は原発賛成派でも反対派でもありません。というかこの二分法は意味がないと思ってます。まともな人なら賛成派であれ反対派であれ

原子力を置換できるよりよい方法(省エネ含め)があれば脱原子力を進める、そうでなければ現状維持のままよりよい方法(原子力の改良・改善を含む)を探す」

というところには合意できると思いますし、後は何をもって「よい」とするかの議論なわけで、実は見た目ほど立場が違わないわけですね。逆に、これ以外の理由を持ち出す人は環境エネルギーはなくてトンデモ話やイデオロギーの話がしたいわけだから無視してよいでしょう、と。私はそういう実用的な立場です

本文中では、現存の原子力の安全対策を東電にやらせることが前提のように書いていますが、原子力の即時撤廃が不可能廃炉だって時間はかかります)な以上、短期的にやるべきことは既存原子炉の安全対策であることは議論の余地がないと思うのでその点には触れていません。原子力を維持あるいは拡大するにしたって、脱原発を進めるにしたって、その過程で福島の惨劇が繰り返されてはいけないことに異論はないと思います。

追・追記

原子力だけに問題を見ている人は視野が狭い」と言っているのに、原子力だけに注目して原子力危険か否か、ということを語り、それでなぜか批判した気になっているブックマークのなんと多いことか。もう疲れたのでその種のコメントには返信しません。

ブックマークにお返事(追記・削除両方の方向で随時編集します)

fantoms フェイルセーフ知らないのか? 失敗学DBを参照しておいて、最終的に人が大丈夫なら最悪の事故は防げるとか何を見てるんだろう。 2011/04/16

私が言っているのはものと人間と両方のシステムを頑健にする必要があるということで、人間系が頑健ならものが頑健でなくてもよいなどということではありません。あと、今回の事故フェイルセーフへの過信が原因の一つであることも認識すべきでしょう。フェイルセーフ機構が破れた際の対応策がなかったのだから

white_rose これはひどい こういうのは始末が悪い。ほんともう2、3機別の原発でやられないとわからないのかも。そんなことになってほしくはないけど 2011/04/16

ではどうせよとおっしゃるですか?原子力に関しては私は具体的には安全策の拡充をしろとしか言っていません。選択肢の可否はさておき、即時撤退であろうがはたまた拡大であろうが、それが必要なことに疑問の余地はないと思うのですが?本文中にも書きましたが、廃炉にするにも時間はかかるのですよ。

banraidou 災害 ヒューマンエラーゼロにすることは不可能なんだけど……「人間系の改善」を簡単に見すぎじゃないかなぁ。「2ケタの足し算」ですら、正答率をいつ何時でも100%にすることは不可能なんだぜ? 2011/04/17

ヒューマンエラーゼロにすることは不可能ですが、少しでもそれに近づけなければいけないことは明らかです。これは原子力に限った話ではないし原子力の存廃とは無関係にその努力が必要だと言っているわけです。現代ではどんどんシステムが大規模化しているわけで、そうなればなるほど原子力に限らず事故が起こった場合の被害は増大するわけですから。そして、理想に近い例として新幹線を挙げたつもりです

hamanako この論旨でもんじゅ事故自殺者が2人も出ていて、2人目の方が亡くなってから3ヶ月しか経っていないことに触れないのには驚く。視野が狭いのではなく目が開いていないよ。これこそ人間系とやらの破綻の象徴だろ 2011/04/17

おっしゃる意味が全く理解できません。まず、「今回の件」が「東日本大震災の件」であることは文脈上明らかでしょう。それに、自殺が深刻な問題であるのは確かですがどう考えても別の問題でしょう。

bobjoker んー?突き詰めると全体コストの問題だけじゃないかな。で、震災前まで入れてないで計算していた今回の災害コストを入れると原子力は割高。その数字で今原発を止めたほうが低コストなら止める、というだけ。 2011/04/17

いや、コストよりも安全性の方が大事に決まっているでしょう。それに、コストの議論をすれば自然エネルギーに逆風になることにお気づきですか。原子力コスト面で批判するのはよくありません。火力依存助長するだけです

kagakaoru オーバーテクノロジーについて。一定の確率事故が起こるときに、その被害が局所的であれば許容(自動車など)、その被害が全人類に及ぶようなものをオーバーテクノロジーと呼ぶのでは。原子力もんじゅはどうか? 2011/04/17

自動車は非局所的に普及していますというのはさておくとして、福島はおろかチェルノブイリですら、被害半径は全人類と呼ぶにはほど遠いです。放出された放射性物質の量からいっても、大気核実験の方がはるか有害した原子力事故の被害を誇張するのは当該地域の人のためにも、また冷静な議論のためにも有害無益です発電所事故に限っても水力発電事故の被害は甚大リンク先記事著者は反核活動家であることに注意)ですし、そもそも水力なんてダム建設時点で一地域を居住不能にしているわけですよね。

perfectspell 「安全係数高めれば大丈夫神話。なら東京原発つくれば? /確率下げたとしてダメージを負いきれるかという期待値の話。又は安物買いの銭失い。 2011/04/17

です。「安全係数高めてもダメだった」ことが「原発に限らず」深刻だ、という話です。なお、東京はそもそも地盤が悪いので原発は無理ですが、たとえば少し検索した結果ベルギーのDoel原子力発電所はアントウェルペンというベルギー第二の都市の対岸に建設されています。「東京原発を」という人はなんでそういうことを少し調べてみようともしないのでしょうか?

kyo_ju 原発, 増田, 味わい深い ululunさんのブコメへの返事で放射性廃棄物の問題をスルーしてる時点で結論ありきなのが見え見え。 2011/04/17

そういうデメリットを全部考えた上で原子力が得策かどうか考えましょう、という以上のことは言っていないわけで、なんでそんな下司の勘繰りをされなきゃいけないんだか。あなたたいに人を敵と味方に簡単に二分する人のことですよ、「イデオロギー」の話がしたいのだというのは。だいたい放射性廃棄物の問題を「スルー」なんてしてないでしょうに。もう一度よく読みなさい。

TakamoriTarou web, 論説 全部グッチャグチャにして同レベルで考えるようだけど、それって同レベルで語れるものなの?複雑に絡み合ってる問題を単純化して各個撃破しか実務では解決できないよ。特に今は全体を語れるほど整理も終わってないし 2011/04/17

「今」の話ではなく中長期的な話をしているつもりです。また、「同レベル」で語らなければなりません。実際、我々がどうやってエネルギーを得るか(またはどうやってそれを節約するか)という意味では同レベルなのだから。個別の問題と「戦略」を混同してはいけません。

メタブクマから)TakamoriTarou web, 増田 レス読んで優越感との意味がわかった。増田は「理想を語る技術者」に陶酔してるんだ。森の未来を語る理想論だが木のために今何をするかには興味がない的な。だから現実改善を考える現実論者と話が咬み合ってない 2011/04/17

います。「興味がない」のではなく「わからいから言及しない」です原子力工学土木工学地震学についてはそれぞれの専門家に聞くべきです。あと、何を「現実論」とお呼びかは知りませんが、正しいかどうかもわからない認識に基づいて部分最適化を求めるのが「実務」だとのご意見には到底同意できません。少なくとも私はそんな姿勢仕事をしていません。

carrotsword 分野違いの技術屋って要するに素人ってことでしょ 2011/04/17

います。例えば眼科医や整形外科医でも素人よりは例えばインフルエンザのことははるかによく理解しているでしょうし、「診療科を問わず病気全般について言えること」については発言権があるでしょう。そういうものだとお考え下さい。

lucky12345 引用元が消えてるから引用してる部分だけから判断するに「オーバーテクノロジー」の意味誤解してるよ。人類が安全にコントロールしきれる技術かどうかって意味だろ。音声認識でそう言わないのは危険性がないからだろ 2011/04/17

同じことの繰り返しになりますが、「安全」の程度によります。「絶対安全」を求めるならばすべての物がオーバーテクノロジーになりますチェルノブイリを基準にするなら、たとえばBP原油事故水俣病も同等と思われるので化石燃料関係も無機材料関係も全部オーバーテクノロジーになります音声認識というか生体認証も失敗すればテロ犯を入国させる可能性があるのでこれもオーバーテクノロジーでしょう。要は「オーバーテクノロジー」という言葉情緒的なもので内容がないんですよ。

anon42 民間企業より国営のほうが安全になるってのは,どういう理屈なんだろう.そういう例があるの?利益追求の結果安全性が損なわれたというなら,安全確保が利益につながるような仕組みを作ることのほうが近道だろう. 2011/04/17

この点ですが、「国の管理下にあれば安全性が高まる」という議論は私も正しいと思っていません。単に、東電はこのままだと破綻だろうからハゲタカの手に任せるよりは政府が介入すべきではと思っただけで、別に「国有化」はそこまでこだわる部分ではありません。

flowing_chocolate 原子力, 技術 いくら原子力工学がしっかりしてたとしても、それ以外のどこかに穴があれば全てが破綻することになる、という話。政府運用者、一般人邪魔する勢力はどこにでもいるし、おそらく破綻へ導いている自覚もない。 2011/04/17

前半に関してですが、今回の場合原子力工学」も津波対応できなかったという点で「しっかりしていなかった」と言えますこの記事を見る限りおそらく、「ある分野でパラダイムシフトがあったときそれが隣接分野に浸透するまでには時間差がある」という現象の罠に落ちたようで、そういう意味で「時間切れ」だったのでしょう。同様のことが原子力に限らず起こっており、それが「地震学・土木工学の全面敗北」と書いた所以です。後半部については全く同意で、原子力関係者非人間化して金の亡者のごとくに叩く一部風潮は一時的なカタルシス以外の何も生まないと思います。大事故を起こす人は油断こそしているかもしれないが、悪意の人ではない、だからこそ恐ろしいのだともっと認識されるべきですね。

moilin 事故には多かれ少なかれ特異性がある。今回の事故原子力に関する問題がその特異性の大きな部分を占めるので(ヒューマンエラーとか一般的な事故論と別に)、これを特に切り分けて論じることもまた必要なんだよ。 2011/04/17

それ「も」必要でしょうが、そういう技術的詳細ならなおさら専門家の領域でしょう。素人が語るべきことではありません。一般人の視点では一般的な有害物質飛散事故です

kunioya JR新潟県中越地震脱線しても運よく止まった例を今回、緊急地震速報で生かした。「誤魔化す」文化と「改善する」文化の違いだろう。 2011/04/18

まさに東京電力についてはその「文化」がキーワードだと思ってます。一番大事なものは「安全」であるという認識のもと、「危険予知」「改善」という当たり前のことを日頃から行っていれば「全交流電源喪失」という古典的な問題の対応策は当然とっくの昔に立てられ、訓練が積み重ねられていたはずです。そのあたりの体質改善からやり直しでしょうね。

tatsuzawa 今回多くの周辺住民に避難を強いているわけだけど、例に挙げられた他の技術はそういう必要はない。アスベスト新幹線は個人の選択で回避できるし、津波はそうではないが人の手によって被害地が決まるわけではない。 2011/04/18

@tatsuzawa まあでも全体の合理性を優先して、人権問題たいなのはどうでもいいと思っている人は結構いることが今回の事故でわかった。

それを被災地の人に言ったらぶっ飛ばされますよ。というか16年前に阪神間に住んでいた者として言わせてもらう。ふざけるなアスベスト勝手建物に降って湧いたとでも思ってるのか?地震が起こった瞬間被災地からワープして脱出しろとでもいうのか?それとも当時12歳のガキだった俺の自己責任ということで全てお茶を濁すつもりなのか?ふざけるんじゃないよ。原発で作られた電力を使っておきながら、他人事たいな顔でなにを白々しい文明恩恵に浴するということは漏れなくリスクを負い負わせることだと知れ。少しは自分加害者だという自覚を持ったらどうなんだよ。原発さえ血祭りに挙げれば清く正しく美しい生活が送れますだと?現実を舐めるな。

2011-04-15

倒錯

なぜ倒錯的なものに惹かれるんだろう。

興奮する。

最近は、男の娘に興味がある。というか興奮する。

女子ロリではあまり興奮しなくなった。

雄臭い男よりも、見た目が女の子?ぐらいの華奢な男の子

ヤリたい、その子のチンコをしゃぶりたいと思うようになった。

その子がぺったりと僕に寄り添ってくれたら、なんか

涙が出るほど感動する感じがしてきた。



倒錯とは、常識から逸脱した行為だ。

なぜ常識から逸脱することに、こんなにも感動し、そして執着するのか。

考えたけど、倒錯とはある種の喪失感をもたらすからはないだろうか。

もう普通人生には戻れない、普通人生喪失するという感覚

から、可逆的な倒錯よりも、不可逆的な倒錯の方が、より興奮し、

カタルシスも深い。

そして僕の業も深い。

生まれてすいません。男の娘のチンポしゃぶりたい

2011-04-13

石原慎太郎氏の支持者に垣間見える「甘え」

2011年4月10日

統一地方選東京都知事選にて、現職の石原慎太郎氏(78)が他候補を圧倒し、四選を果たした

石原慎太郎氏は、政策や数々の発言に対して、様々な批判も受けている。が、それ以上に多くの支持も受けてる。少なくとも東京においてはそれは間違いない事だ。

僕個人は、石原氏への評価は良くも悪くもない。良いと思う政策もあるし、彼の発言にスッとする時もある。逆に評価できない政策もあるし、不愉快に思う発言もある。

だけど、僕の評価なんてどうでもいいことだ、僕は政治家でも政治評論家でもジャーナリストでも無い。東京都民ですら無い。

つまり、石原氏が何をしようと僕の生活にさして影響は無いし、僕の評価は石原氏の都政に一切影響を与えない。

ただ、今回の選挙で一つだけ気になったことがあった。

それは本当は今回の選挙で、石原氏は「150%」引退するつもりだったけれど、周囲の後押しで、結局出馬に踏み切ったという事だ。

文章だけ読むなら、別に問題は無い。むしろ石原氏の人望に感動するような所かもしれない。彼の年齢考慮しなければ。

石原氏は現在78歳、今期を務めあげた暁には、82歳になっている。

僕は別に老人が政治家になるな、と言いたいわけじゃない。

前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」なんて言うつもりは無い。

そんな発言は、この年になるまで三期の間東京の為に働いてきた石原氏に対しあまりに無礼な発言だと思う。

しかし、石原氏本人が一度選挙の不出馬を決めた時の理由として自分の心身の健康を理由に挙げている。

実際の所どうかは分からないが、今回の石原氏は

自分の身体に不安を抱える老人をよってたかって祭り上げ、東京都知事選にかりだした

という体裁を取っているのである

そして、その前後からネットで見られる一部の石原支持者の言論が、暴走し出した

石原氏の素晴らしさを、標榜し、他の候補者を貶め、さらにその候補者の支持者を貶める。

さらに、もっと酷いものになると、石原氏を支持しないというだけの理由で、相手の人格すら全否定する。

石原氏の権威をかさに来て、石原氏の威を借る狐と化している。

これは、別にネットにいる人々だけではない。

今回石原氏を支持した自民党公明党関係者も同様だろう。

特に自民党石原伸晃幹事長は、石原氏の長男である

自分の親が、引退したいと言った時に、代わりの候補者が見つけられず、結局親に出馬してもらっている。

なんて情けないんだろう。とことの顛末を遠くからぼーっと見る身ながら、思った。

石原氏は、東京都知事だ。その都政に対し、成功には称賛を、そして失敗には批判を受ける。

石原氏は、やると言った事はやりぬこうとする、銀行だって移転だって条例だってオリンピックだって石原氏は批判を受けても、自分の政策を実行しようとしている。

石原氏は、自分が言いいたいことをはっきり言う。それが批判を受けても、簡単に手のひら返して謝ったりしない。

それが、良いか、悪いかは、また別の話として、そんな石原氏の姿勢共感し、憧れて石原氏支持するのは当然個人の自由で、それを責められるいわれは無い。

当然、逆の場合もそうだ。石原氏の政策を評価できないことがあったとしても、その事でどうこういわれる言われる筋合いは無い。

ただ、石原氏と言う大きな存在に「甘えて」我が物顔で正義を振りかざして、他者を否定するような姿勢は、不快だし、不遜だ。

石原氏の功績を、勝手に我が物顔で誇る事も、僕は違うんじゃないかと思う。

結局、そう言う一部の支持者は石原氏に甘えてるのだ。自らの理想石原氏に投影する事で、カタルシスを得たいだけだとしか思えない。

今回の選挙で、反石原氏の勢力が、投票する候補者をまとめられなかったと言う言葉が聞こえたけど。

それは石原支持者も同じだ。正確に言うのなら「石原路線」の支持者だが

当たり前の話だがタレント人気投票では無いのだから石原氏を支持している人間は、もれなく石原氏の政策を支持する人間である

本人にその自覚があろうが無かろうが、政治家投票するって言うのはそういうことだ。

石原氏がいなくなっても「石原路線」の政策は、都に残っている。

それを継承するのか、路線を変えるのか。石原支持者は当然石原路線の継承を目指さないといけない。

では今回、一度石原氏の不出馬が取りざたされたときに、石原氏の支持者は投票すべき候補者をまとめる事が出来ただろうか。

今回石原に入った票の全てが、松沢氏の得票になっただろうか。

現在石原氏は、五期目も目指そうかという発言をしているらしい

石原氏本人に元気がある事はとても喜ばしいことだけど、もし、石原氏が五期目をやり遂げたとした石原氏の年齢は86歳だが、それでも石原氏の支持者は彼を都知事選出馬させるのだろうか。ああまりにも当然のとこだが石原はいずれ引退する。その時に、反石原路線の候補者当選すれば、それまでの石原氏の功績は無駄になる。全てではないが、多くの政策が否定されて無に帰すだろう。

そうならないためにも、石原氏の支持者は、石原氏の路線を継承しうる候補者を見出さなければならなかった。

候補者一人まとめられないと、反石原派の面々を嘲笑っているが、それはどちらも同じ事だ。

今回は「たまたま石原氏が出馬しただけで、石原氏不在の中、石原路線VS反石原路線になれば、彼らもきっと候補者をまとめられない。

それは決して個人レベルの話で無くて、石原路線を継承させるべき自民党ですらそうだ。先も書いたが、自民党は、今回も後継足る候補者を見つけられなかった。

石原氏に頼り切って、甘え切っている。

いつまで「偉大なリーダー」に甘えているんだ? そろそろ、彼から得たものを次に継承しろよ。誰も彼からバトンを受け取る気が無いのか?

から4年後になってもまだ

「じゃあ他にまともな候補者がいるのか?」

なんて言うつもりじゃないだろうな。


僕は、石原氏の批判をするつもりでこの文章を書いたんじゃ無い。そう受け取れるような文言があるかもしれないけれど、少なくとも石原氏を批判する意図で書いた文は一行も無い。

同時に、石原氏を支持する方々を全否定するために書いた訳でもないし反石原派の方向でこの文章を書いた訳じゃない。

ただ、石原氏に甘えて、調子に乗っている奴らにムカつただけだ。

ここ数日のイライラをぶちまけたせいで、ずいぶんと乱雑で冗長な文になってしまった。一部読みにくい所もあるだろう。

この文章を読んで不愉快になる人もいるだろうし、鼻で笑う人間をいるだろうけど、僕は別にそれでもいいと思っている。

極論を言えば東京がどうなろうと、僕の知ったことじゃない。

ただいつまでも偉大な老人におぶさりながら、背中の上でふんぞり返っていはいられないという事はゆるぎない事実だと、僕は確信している。

2011-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20110315085517

アメリカでは、母が転落死した子供が、人形でその様子を再現した

パキスタンでは自爆テロごっこという遊びがある。

子どもたちはときに、大人が考えつかないほど残酷な行動をとる。

だがけっして、子どもたちがおかしくなったとだけは思ってはいけない。


言語的なコミュニケーションを中心としたプレイセラピー遊戯療法)やアートセラピー芸術療法)では、人形遊び・粘土細工・絵画ゲームを用いた創作行為(表現活動)によってカタルシス感情浄化)の効果を引き出し、虐待状況を遊びの中で再現することによって自己洞察(アウェアネス)を深めていきますトラウマの問題を解決する為に実施される遊戯療法(プレイセラピー)を、「トラウマを受けた後に適用する遊戯療法」という意味ポストトラウマティック・プレイセラピーと呼ぶこともあります。その場合には、室内の安全性と玩具の選択が十分に配慮されたプレイルームで遊戯療法を実施し、子ども内面的な感情虐待的な家族関係を『遊びの内容』で象徴的に表現させるように工夫します。

総合心理相談http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/より)


どちらの事例も照らし合わせると、奇妙でおぞましい遊びではなく、子供たちが、トラウマを克服しようとしていることがわかる。

肉親を失う、たくさんの人が死んでいく、そういった過酷な状況は、大人ですら平静でいられない。

精神の平衡を乱し、一時はふさぎこむだろうし、そのまま立ち直れない可能性もある。

子どもなら、なおのことだろう。

同じトラウマに対し、ある人は泣き叫び、ある人は怒り狂い、ある人はふさぎこむ、というように、人は実に多様な関係を築く。

今回の地震では、多くの人の日常が、命が、はかなくも崩れ去った。

日本にいるすべての人が、衝撃を受けているのは事実だ。

しかし、すべての人が悲しむわけではない。

受け止め方は、さまざまある。

しかしたら、こういった子どもを見かける機会があるかもしれない。

共感しろとは言わないが、理解してほしい

2011-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20110307171226

ちげーよ。

「死」を思っても絶対にそこにはたどり着けないから、「物語の中で作られた死」を「自分が体験し得るだろう死」と置き換えることにより、死への畏れを紛らわすだけだよ。カタルシスと言えばカタルシスではあるが。

2011-02-24

ラジオで猛プッシュされる、才能の無い新人アーティストの歌がウザい

仕事場で朝から晩までFMラジオがかかっているのだがパワープレイに選ばれる才能の無い新人アーティストの歌がウザい。

似たり寄ったりのクソみたいな曲で、共感カタルシスも全く感じられない。

表現上の技巧や演出が微塵も感じ取れない。ただ単に無難歌詞無難メロディーに乗せて歌うだけ。

ストリングスなどを乗せて、ちょっと豪華にしてみました、という感じがさらにムカつく。

今まで数十曲と聴いてきたが、本当に良いと思えるのは数曲しか無かった。



聴くのをやめたいだが仕事場の都合で、ラジオを止めるのは無理なので、

今月からパワープレイがクソ曲だった場合Amazonレビューに低評価と罵倒を書くことにした

幸い、才能のない新人なので、レビュー数も2、3個ぐらいしかない。思う存分叩くことが出来る。

もちろん無駄努力だろうが、ひょっとした自分レビューアーティスト本人が見てくれるかもしれない。

そのアーティスト自分レビューを見て、クソ曲を作ってしまったことを反省し、良曲を作ってくれれば嬉しい

2011-01-15

あなた伊達直人を殺したがる理由。

寄付流行ってるね!

 増田寄付は大好きだよ! 施すほうじゃなくて、受け取る方としてならね!

 なんだか一億総ポトラッチ化が進んできました昨今、増田が由緒正しきネトウヨであったら「ゲヒヒ、次は国を隣国に寄付ですか?」と揶揄の一つも売ってやるところだけどはてサは恐いし増田はそもそも右翼じゃない。ただの逆張りが好きな女子中学生だ。そう考えて読むと気分いいよ?

 

寄付disりが流行ってるね!

 流行ものをとりあえずdisとくのはウェブに生きる天邪鬼としてのたしなみだよ! みんなも若いうちは、無闇やたらに反発するといいんじゃないかな? 

 でも実際twitterとかでこの手の逆張りやってんのは三十代のピザデブハゲ女子中学生たちなので、きみたちの健康精神に大ダメージを与えるよ! 貧弱な想像力は時にみずからの命を助けるね!

 ところでなんでぼくらはタイガーマスクきどりどもが嫌いなのかな?

 不思議? ふしぎだよね!? だって寄付ってすごいいいことなんだよ? ただの偽善じゃない。誰も傷ついてない。与えるほうも貰うほうも、みんな得してる。死んだビジネス用語でいうところのwin-winってやつだね。そうそう、未だに会議win-winなんていう単語出してくる上司をみかけたら、さっさとその会社の四階から飛び降りたほうがいい。

 

まあ、とにもかくにもぼくらは寄付ブームが嫌いだ。

 なぜか。

 まあそんなことは上でさんざん申し述べてきたように、ぼくらが「どうしようもない天邪鬼だから」で済むんだけど、世間はそれじゃあ納得しない。反対するなら説明すべし。感情論は排してな。

 と、ぶっちゃけバカに理論的な説明求めるなんてバカなんじゃねえのと思うむねがあるかもしれない。けれど、ココは天下の往来はてな匿名ダイアリー。またの名を皆殺しの増田

 説明責任逃れは問屋がおろさない。せめて嫌悪感の根源くらいはつきとめないといけない。

 とはいうものの、「なぜ私は寄付ブームが嫌いなのか」を論理的に説明するのは、おそらくアジを三枚におろすより難しい

 この手の喧嘩でよく使われる殺法は「だって寄付者が迷惑がってるじゃないかやめてあげなよ白豚野郎」と「親切の押し売り、大きなお世話」を強調するやりかただ。

 ここでぼくら天邪鬼は施す物-施される物、という図式を瞬時にして加害者-被害者という関係に塗り替えることでスペクタクルカタルシスをおぼえるんだけど、それで非難される無辜の大学生ボランティアとかはいい迷惑だよね! いい気味ですね! 

 そう、善意の悪人は悪意を自覚している悪人よりも罪が重い。なんだかよくわからないけど、ぼくらはそう信じちゃってる。漫画か何かの影響ですよね。あるいはお母さんについて、何かトラウマがあるのか。

 まあ、ともかくしかし、タイガーマスクについてはなかなか「迷惑してる」という話は聞かない。少なくともビル・ゲイツより広くておーつねさんより狭い増田の観測範囲では、見当たらない。被害者存在しない。まあ「あの手の寄附行為ばっかり報道されて恒常的に寄付を行なっている人たちが無視されてる」って声もあるけど、そんなもん、もともと無視されてたわ。

 「みんなが得した」ここが、今回の件でやっかいなところだ。火のない所に煙は立たないし、煙が高いところにのぼらなければバカもまた踊れない。

 さて、実はここに今回のぼくらが抱えるフラストレーションの一端が隠されている。

 つまり、「いつもとおなじように偽善者を叩けると思ったら、おあずけくらってしまった」ってわけ。これってとってもストレスフルな状況じゃない? 犬みたい? 哺乳類と比べられるだけマシさ。

偽善者という言葉が出てきたけれど

偽善くささが嫌い」。

 よくタイガーマスクを批判する時に聞かれる言葉だ。

 偽善ってなんだろうね? 寄附行為に限定して考えてみよう。広辞苑定義を持ってくるのは、頭の悪い学生にやらせておけばいい。ぼくらには集合知の究極体、wikipediaさんがいるのだから

寄付(きふ、本来の用字は寄附。寄付は代用字)とは、金銭や財産などを公共事業公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること」

 フリーミアム! 

 「無償」とはつまり、見返りをもとめないということだ。税金控除される時点で見返りもクソもないだって? まあ、それはここでは関係ないから頭から弾いてくれ。

 さて、タイガーマスクたちは偽善的な寄付であるか。

 この議論は彼らが「見返りを得ているか」の一点に集約される。

 もちろん、違うよね? 物質的な恩恵はもちろん、名誉すら得られない。だって匿名だもの。キャラクターだもの。「タイガーマスクはえらいですね」っていくら古舘さんがつばはいコメントしても、それは神奈川県在住の庭師・津田大介さん(48)を褒めたことにはならない。まあ、2chでアンカもらえたときたいに「存在すること」の承認を貰える快感はあるかもしれないけど、自己承認欲求そのものが満たされることはない。ランドセルは一個9000円。六つで54000円。あなた2chでアンカもらうためだけにこれだけの金額を払おうと思う?

 善意証明するのは極端に赤字な収支なんですね。

自分がいいことをやった」という自己満足キモイ

 でも、実際金髪……津田さん(仮名)は「いいこと」やったじゃん。子どもたちの反応はともかく、施設は受け入れてるじゃん。全然ひとりよがり自己満足ちゃうやん。


はいーみんなちゅーもーく、いまさっき高田くんがいいこといいました

自己満足キモイ

 はい、これ超重要

 自己満足っていうのは充足してるってことです。いわゆるリア充

 はいみんな思い出してー。

増田は他人の幸せがなにより大嫌いです。リア充っぽいのが大嫌いです。

 っていうか、今回に限らず「ボランティアフォビア」だの「NGO死ね」だの「人権団体とか環境団体とかバカヤロウ」だのを表層だけで叩いてるとか、

 っていうか、ぼくらが何者かを叩くときの原動力は、たぶんだいたい、コレ。

 だって妬ましいじゃないですか。嫉ましいじゃないですか? 死ねばいいじゃないですか?

 自分が善人だって自覚するのはなにより強烈なうぬぼれですよ? ましてや、ヒーロー自分をかさねて? 「悪ふざけだもん」ってみんなにバレバレな形で照れ隠ししてたりして?

 ハンッ!

 そんな綺麗事、罪じゃないわけないじゃないですか

 彼らはまごう事無き「善人」であるからこそ、叩かれるに値するのです

 だって、妬み深いクズですもの、ぼくらって。

 まあ、結局は、感情論ですね。天邪鬼の。


さて、クズであるところの増田さんたちはこれからどうあるべきか。

 死ねいいんじゃない

 それがイヤならアラを探すんだ。マスクどものアラを。徹底的にひとりひとりの素性を洗いだして、瑕疵を探しだせ。これだけいるんだ、ひとりふたり後ろめたいのやら奇抜なのやらは混じってるだろう?

 特殊な例を普遍化しろ。延焼させろ。大火がみたい。燃やし尽くせ。

 それがぼくらの帰納術。

 でも今回はそれが通じるかしら? しょせんは匿名が個人を葬るための技術

 匿名匿名を殺す、新しい時代戦争に対して、ぼくらはあまりに無知ありすぎる。

 

 

 

2011-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20110111094428

いやそれは違うと思うよ。

単純にテレビ視聴者メインである主婦(またメインCMターゲット層でもある)が一番喜ぶ内容にしてるだけ。

夫への不満をため込んで自分では何もせず鬱屈としてる主婦なんて腐るほどいるわけで、そういう奴らにカタルシスを与えてるだけでしょ。

夫への悪影響はむしろ歓迎だし、子供への悪影響だってそういう主婦的には歓迎でしょ。

2010-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20101202180829

本当のカタルシスはそういう単純なイチャつきを超えたところにあると思うよ。

2010-11-07

映画しんぼる」の正しい解釈ネタバレ

松本人志監督作品の映画しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。








松本人志テレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートーク自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。

映画しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。

では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?

見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。

この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。




解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。

という訳で、正解を探す事にする。

僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。

タイトルを付けるなら「小日本人」

しんぼる」は、日本人海外に対するコンプレックス表現した作品だ! と強く断言してみる。




しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。

バベルネタバレになるが、バベルメキシコ出身の監督脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族子供低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志ナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本馬鹿にすんなと怒ったはずだ。

だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくそ因果関係に理由は無い。また物語舞台となる国の数も同じ。バベルアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ監督恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。

さらに、映画撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラ映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。




次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌフランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。

まず主人公の髪型衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本現代アートのコンセプトそのものである。

バベルカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人イメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。

そして映画クライマックス最後最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図日本が中心となっている。




このように「しんぼる」という映画は、日本日本以外の世界意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語ひらがな表記であるのはそういう理由だろう。

要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画




おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家高須氏によるものなんじゃないかと思われる。




憶測だが、バベル脚本家監督菊地凛子演じる聾唖女子高生イメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーアニメ映画でその様なイメージ女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。

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