「左手」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 左手とは

2012-01-24

「バカにするな!」と憤慨するバカ

バカにされたと怒っている人がいた。

自分は「バカにされた」という気持ちがよく解らないので考えてみた。


逆襲のシャアで、「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか?」と、

サイコフレーム提供元がシャアだったことを知り、アムロは「バカにして!」と憤る。

これはサイコフレーム無しでもシャアと対等に戦えるというアムロ自尊心が言わせているのだろう。

であるならば実際の優劣は関係なく、受け取る側の気持ちの問題ということだ。

しかしたら「僕はシャアより強い」というアムロの思い上がりかもしれないが、同じことだ。

シャアからしてみれば、バカにしたつもりなどなかったはずだ。


とここまで考えて、「バカにするな」とか「お前のそういった態度が人をバカにしてる」という会話の戸惑う理由がわかった。

これは飽くまで受け手側の都合であり、そういうつもりがない話し手には唐突な話題転換なのだ


バカにするなで思い出すのは、やはり朝生田原総一郎x四宮正貴であるが、

田原は「これから聖徳太子の話をしますよ」と話題転換の意味で「聖徳太子を知っていますか?」と発言したのだろうが、

四宮にしたら、いい大人が知らぬわけなかろう!とバカにされたと受け取ったのだろう。

田原にしてみれば、それこそいい大人がといい迷惑である。文脈で分かれよ。


となったので、これから「バカにするな!」と言われたら(あーバカなんだ)と思うようになると思う。

元々自尊心無いし思い上がらない性格なので、バカにされる気持ちが解らないのは当然の助動詞べしだったという話。

小学生から「お前なんて左手で十分だよ」と言われても(実はアンドロイドかも)って可能性考えちゃうので。

2012-01-20

アトラクション

洞窟壁画は毛細血管が織り成すアートです。神秘的ですね」

左手に見えるのが虫垂、いわゆる盲腸です。小腸の入り口も見えてきましたよ」

「このツアーでは行けませんが、少しだけ覗いてみましょうか」

「ほら景色が変わりましたね。小腸には絨毛というヒダが生えているんです」

昨今の大腸内視鏡検査は痛くも痒くもない上、退屈させぬよういろいろ工夫しているようだった。

医療現場TDLなどを参考にしているのだろう。

なお、このツアーでは30人に一人ぐらいの割合でお宝を発見できるらしい。

幸か不幸か私のときは何も見つからなかったが、あまりスリリングなお宝は勘弁してほしい。

2011-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20111227022022

サーバで保管してる情報の側に「専門機関がその個人を特定することが出来る」手掛かりがあるなら、プライバシー上の懸念は似たようなもんじゃないの?

あと、生体認証キーは、有限回数の変更は可能だよ(たとえば右手静脈→左手静脈→右目虹彩→左目虹彩みたいに)

2011-12-15

夜一通のメールが来た。

ちょうどその時洗濯物をしていたので、後で見ようと放置していた。

段落ついてから、この間飲んだ子からメールかも!

なんてちょっぴりドキドキしながらメールを見た。

差出人:母

タイトル:(文字化け入院

本文:左側が痺れてろれつがまわらなくて、軽い脳梗塞です心臓ペースメーカーを入れているので、MRIは使用できないので詳しい所まで検査が出来ないようです。〇〇病院の8階8H6に入院してます。あんたが来てくれたら元気になるかも(笑)

は?

一瞬意味がわからなかった。

ペースメーカー

脳梗塞

初めてその単語を聞いたかのように全く意味が分からなかった。

倒れたの?

いつ?

なんで?

ペースメーカーって即効いれるものなの?

心筋梗塞??

疑問で頭がいっぱいになった。

親父からは何の連絡も無い。

からの一通の携帯メールで病状を知るなんてあり得るか?

いくら仲良くない親子だったとしても。

メールの受信時間は21時30分。

現在22時。

時間前のメールだった。

洗濯してないですぐに見ればよかったと思った。

こういう時に限って間の悪いメールが来る。

よし、面会に行こう、すぐに。

そう思って病院の面会の時間を調べてみると、面会時間は20時迄。

今はもう23時。

今日はどうやら無理だ。

胸がざわつく。

軽く動揺してる?

でもそれほど慌てていない自分を少し冷たいと思った。

とにかく早く寝て明日病院へ行こう。

明日の朝行くよ。

と、メールして寝ることにした。

布団に入ってからもしばらく色々な思いが走馬灯の様に思い出されて眠れなかった。

まぶたのうらに母の麻痺して歪んだ顔がちらついた。

他に怪我はしてないかな?

親父はとても一人じゃやっていけないんじゃないか

また手伝わなきゃならないのかな?

早く結婚しておけばよかった。

こんな時に家族がいたらきっと心強かっただろう。




朝になった。

時刻はすでに8時を回っていた。

寒さで布団から出られないが、起きなきゃ。

でも、眠気に負ける。

ごめん、おかん、親不孝な俺を許して。

まどろみの中で問答を繰り返す。

10分後、二度目の目覚まし時計ベルが鳴ってやっと起きた。

仕事の支度を済ませる。

いつもは慌ただしい朝だけど、今日はずっと落ち着いていた。

旅行かばんが半分開けっ放しのままで廊下に置いてあった。

明日から旅行準備中だったのだ。

母の様態次第では旅行キャンセルだな。

車に乗り込みエンジンをかけ、一路病院へ向かった。

道中様々なことを考えた。

思えば、ここのところ立て続けに悪いことばかり起こってる。

不況会社をクビになり、実家の布団屋を継いだ。

その2ヵ月後祖母が突然倒れ他界

それから4ヵ月後、妹が離婚して子供3人と実家に戻ってきた。

継いでからちょうど1年後、自分は親父と喧嘩して家を飛び出し、今は運送業で働いている。

母の負担は一気に倍増したはずだ、辛労が祟ったのかもしれない。

俺も加害者だな。

すまない。

母方の親戚には結婚の事、仕事の事で色々言われていたので、また言われるかと思うと気分が重くなった。

病院までは家から15分ぐらい。

そこそこ大きな総合病院だった。

祖母が他界した病院とは違う病院だ。

S病院で祖母は他界した。

そのS病院では祖母の姉も亡くなっていた。

医者も足りず、ほとんど助からない…S病院のいい噂は聞かなかった。

きっと母はそこだけは避けたのだろうと思った。

病院駐車場へ止め、エンジンを切ってドアノブに手をかけた時だった。

昨日よりもずっと強く、悲しみが胸を貫き、涙がこみ上げてきた。

ここに来てようやく実感が湧いてきたらしい。

胸が苦しくなって嗚咽が出た。

しっかりしなきゃ。

母の前ではせめて笑おう。

足取りを確実に、メールに書いてあった8階8H6を目指し院内を奥へ進む。

途中エレベーターに乗り換える。

8階について、一際大きくなる不安と悲しみ。

ここに、変わり果てたおかんの姿が…。

そう思うと足取りがずっと重くなった。

エレベーターを出ると左手ナースステーション

ナースたちが朝のミーティングをしていた。

特に面会についての記述はなかったので、そのまま通りすぎた。

そこから先はE8F8G8H8と4方向に分かれていた。

どこにもH6なんて無い、間違えたのだろうか。

ちょうどそばにいた掃除のおばさんに尋ねてみると、H6は6階だと返答が返ってきた。

メールに書いてあったのは8階。

階は間違ってないだろう…もしかしたら8HとH8を間違えたのかも。

きっと意識朦朧としてるんだろう。

そう思ったら涙が出た。

H8廊下沿いには奥までずらっと両側に病室が並んでいた。

ナース掃除の人が忙しそうに働いている間を抜けて、部屋の上の番号を確認して一歩一歩進んでいく。

誰も自分に興味を示さない。




1…2…




途中目に入る病室の中は、

お歳をめしたご老人ばかりが目についた。




3…4…




近づいてきた。

心臓の鼓動がはっきりと響いてきた。




5…




次だ。




6。




ここだ。

部屋の入口に貼られた名札を確認する。

6人べやで上から順に名札を見ていく。

増田裕子を探した。

果たしてそこにあったのは




増田




公造




…それは爺さんの名前だった。

2011-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20111202200434

左手意識を集中しすぎてるとか、左手が苦手だという意識を持ちすぎてるとかで緊張してうまく動かせなくなってるんじゃないかな。



しばらく練習はやめてみたら?

思うようにいかない時はしばらく休んだ後にふとやってみるとうまくできたりするよ。

利き手(=左手)が尋常でないほど使いづらい件について。タイピング練習を始めてからこの症状が出始めた。最初は500keys/minぐらいだったのが今では350keys/minぐらいに落ちている。右手入力するところは問題ないけど左手の出番(?)になるととたんに遅延し始める。練習すればするほど落ちる能力なんてのがあるのか(冗談)。

なんでこんなことになってるんだろう。鬱病から?はあ。死にたい

2011-10-29

童貞にも苦労がある、と聞かされると

http://anond.hatelabo.jp/20111027120538

童貞のほうが・もてるほうが・女のほうが・○○のほうが「もっと童貞してる」

不能・育った回線ちんこに整形しない・そんなオナニーしてる・行事の断り方・そんなオカズしか執着できない「そんなチンコが悪いのでは」

チンコっていうけど、でも結局」包茎なんだろ・いじって寂しいんだろ・カントン匂いしてんだろ・ずる剥けだと嫌なんだろ

というような肉棒を持ったからといって、元増田画像うpみたいなことを書いちゃう人がたくさんいるんで当然。童貞だとかもてる鳥皮が尿意を持つと、臭いとか段違いとか軽蔑だとか大げさにドSを買おうとしているように言わないと気が済まない感じか?

平凡な落伍者をして左手からいじりやらせなどされずに生きる精子がない、というほど元増田臭いところなどないと思います。タートルで脱衣に憤怒だったのが事実だとしても、だからタートルが原因でいじりやらせにつながってもしかたがない(便もしてるんだから尿しても興奮言うな)という愛撫はやっぱりおかしくて、元増田が書いている限りの包茎ならば悪いのはいじりやらせする手淫だと思います

控えめにシコっても元増田のされたことはミソジニーに読めばいじりやらせっていうかパワテク・オナハラ・いじりでしょ。「もっとタートルしてる人」が別にいても増田手淫しなきゃいけない変態にはならんよね?「チンコが悪い」っていってる人、元増田のしたことは「いじりやらせされた挙句血尿に追い込まれるのがふさわしいほど強いこと」にほんとに見えるの?ここが増田からアナルに叩いてるだけでチンコで人をいじめたりいじりやらせをズル剥けしたりする人ばっかりじゃないはずだとは思うけど、何かヘルペスもいわないとって気になった。元増田が見てるみたいだから感冒してほしくなくてさ!

2011-10-28

昔の職場の女の先輩

壮絶なブリッコ女だった。

あんな人を見たのは、人生であの職場だけ。

男性にブリるのは日常茶飯事、後輩の私(女)にもブリってきてて、

「コイツは一体何がしたいんだ???」と思ってた。


「(品出しの段ボールを運びながら)重くて辛いです><

私さんの事を心で呼んでたら、来てくれました!!私の願いが通じたんですね!!」

「(右手左手の飴あげるって言われて、選んだら)やっぱり。私さんはこっちを選ぶと思ってました♪」

「(棚から落ちたぬいぐるみを見て)うーん、うさぎさん可哀そう、うえーん(泣きまね)」とか売り場でしてて、

正直ひいた・・・

ただブリってるのは害が無いので、私的にどうでもよかったのだが、

つい最近さんまさんが出てるTVで「男性モテるしぐさ」の特集をやってて

あ、あの人がやってたのって、もしかしてコレの派生バージョンだったのか???と思った。


男性にこびるのは生物上仕方が無いが、女の私にブリる意味がいまだにわからん。(しかも私年下だし。)

2011-10-11

オナニー日記

今日は早番だった

家に帰ってから今日も元気にオナニー

増田は床オナニストが多いことで有名だが、俺もその一人だ

いつもなら、枕元に置いたオナニー専用MBでエロ画像見ながら床オナして、早々にスッキリして、布団の上でまったりするところだが、

今日は先に右手でチンコをいじり出してしまったこともあり、手しごきオナニーに挑戦した

ご存じのとおり、床オナニストは、手では逝きにくい

俺もいつもだったら、ローションを使ったりオナホールを使ったり工夫をして、苦労の末やっと射精に至る

正直面倒くさいのであんまりやりたくない

しかし、今日は頑張って手だけで逝ってみようと思った


AV開始1分

亀頭を強く刺激しすぎて赤くなってしまった

AVはまだフェラにも至っていない

このまま続けてしまうと血がにじんで、最悪、数日間オナ禁しなければならなくなる

これはヤバイとローションを持ってくる

ローションを付けると急に摩擦がなくなり刺激も弱まって逝ける気がしなくなってきた

俺は茎が未開発なせいか、AVのように茎だけしごいてもあまり感じない

手では、亀頭での刺激でしか逝くことがない

手のひらでぬるぬると亀頭をなで回したあと、ぎゅっと握って、

亀頭を潰すようにゆっくりと繰り返し刺激する


腹の奥底から絞り出すようにして、1段ずつ快感ギアを上げていく

神経をチンコに集中させる

じわじわと精子が登ってくるような感覚必死に捕まえる

床オナの時は、ぎゅーっとチンコに圧力をかければ自然と向こうから快感がやってくるが、

手でしごく時は射精までに段階的な準備が必要なようで、俺はまだそれがぎこちない

ようやく「逝きそう」な状態まで持ってくることができた

さっと左手でティッシュをつかむ

かい精子を逃さないように優しくティッシュで受け止める

わず、はあ、と声が出る

仕事終えた後の疲労感が、身体全体を包みこむ


後処理を終えて、今回のオナニー反省をする

チンコに負担をかけてしまったことも問題だが、やはり一番の問題はオナニーにかかる時間である

今回はトータルで30分くらいはチンコを握っていた

これでは手軽に手しごきオナニーを楽しめない

もっと自由に射精コントロールできるようになりたい

手での射精では、床オナとはまた違う快感を得られると俺は思っている

また今回は使わなかったが、柔らかいオナホールでの射精も「出ちゃった」感がして気持ちいい

ちなみに今俺が一番好きなAVはこれです

http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=h_021nps00044/

2011-09-29

秋葉原のド真ん中でゲリ漏らした

今朝の話でございます通勤中、なんだか急に腹の具合がおかしくなり、乗換えで上野に下りたときには既にビッグウェーブ到来。

乗りたくない、このビッグウェーブに!と思ってとりあえず本屋脇のトイレへ小走りで向かうも、まずユニバーサルトイレでは何者かが既にフン闘中。

ますますノッて来る波に冷や汗をかきつつ、奥の男性トイレへ向かうも、無情にも個室は全て使用中!!

てめーらのんきにクソしてんじゃねーよ、こちとら HP は既にゼロだけど隠しパラメータ根性値 (via ブレスオブファイア) でかろうじて死んでない状態なんじゃオラー!と思いつつも一旦ここでウェーブが鎮まっていく気配を感じた私は通常の足取りに戻り、次なる聖地改札内トイレを目指す。

が、小康状態でたどり着いた改札内トイレも、本日満員御礼、チンチンジャラジャラチンチンジャラジャラでございます。個人的には今チンチンには用事がなくてコーモンの方から激しい突き上げを食らっているわけでありますが、皆さんそんなことは知ったこっちゃない。



しょうがない&もう少しはガマンできそうな感じになったので、ホームへ行きとりあえず電車に乗る。



が、秋葉原に付いた時点でまた「降りるしかない、このビッグウェーブでは」が来てしまい、フルフルしつつ下車。

そしてフードコーナー横のトイレへ駆け込むも、Oh、My、God、神はこの世にいないのか、本日秋葉原駅満員御礼となっております

このあたりでもう限界突破しており、必死自分に「いやいやこんなの余裕。いやいやこんなの余裕。漏らすわけないじゃんww」と言い聞かせ、顔をブルーマンのようにさせつつ改札を飛び出し (ウンコは飛び出さず) 一目散にアトレへ!



アトレ2階、男性トイレ発見見敵必殺見敵必殺目標は前方3m!

まずはまたユニバーサルトイレが視界に入りますが、オーシット (クソだけに)、埋まってやがる!

そして!俺の前にもう一人トイレへ向かう男子がいるんですが!その背中を追いかけつつトイレへ入るとこれは奇跡!これは奇跡

個室のドアが一つ空いているのが見えます!!!! 「会いたかった」とはまさにこのこと、アイラブユー便座今ホーミタイの心境で前進しますとこれは一体フリーメーソン陰謀でしょうか、前方男子がするりするりとその個室へ吸い込まれていくではありませんか!!!!

相席で!すいません相席でーーーーー!!!!と叫びたい気持ちをグッとこらえ (あと括約筋もグッと締め) トイレ内を見回すも、他に個室は空いてございません。根性値も残り2くらいの感じで30秒ほど待っても、誰も出る気配もない!!



そして、ついに、THE TIME HAS COME。根性値が0になりました。終わりの始まりグラウンド・ゼロ

ワーニン!ワーニン!括約筋限界突破目標は分散系懸濁液、3秒後に欲界に出現!!!



分かるもんですね、あ、これ以上はムリなんだなっていう瞬間。高まる内圧により括約筋が「あっすんませんおれもうムリっすーあがりますーあとよろしくー!」って押し広げられてく瞬間てのが。

刹那、「穴なのだから指で塞げばどうにかなるのでは?」という閃きがニューロンを駆け巡り、0.2秒後には体が動いてズボンの中へ腕を突っ込むも、too late、地獄の門に指を差し込む前に結界は解き放たれ、押し寄せる波。あふれるパトスほとばしる36度の茶褐色。



しかし指栓は間に合わなかったが手は届いた、瞬時にフォーメーションを変え、手の平で受け皿を作って魑魅魍魎もの奔流をせき止める!あったか~い!!!



この間わずか0.5秒。一瞬の硬直の後、もうどうしていいかわかんないんでさっきのユニバーサルトイレの方へヨロリと数歩移動すると、Oh、どうしてあなたたちは私の手のスキマからこぼれていってしまうの私の分身たち。



と、ここでようやくユニバーサルトイレのドアが開き、サラリーマンご登場。

このとき俺はおそらく死んだような顔をしていたものと思いますが、こちらを一瞥して特に何かに気付いた風もなくそのまま立ち去ってゆきました。セーフ。ギリギリセーフ。出ちゃってるけどばれてないからセーフ!(入れてないか浮気じゃないみたいな苦しいロジック)



で、まあ、既に事件は起きてしまった。起きてしまったのです。あとはもう、たんたんと処理をするしかございません。

ユニバーサルトイレゾンビの動きで入り (右手はケツの濁流をせき止めたまま)、ロックし、とりあえず左手ズボンをどうにか脱いで残りのパトスたちを解放し、純白の便座へ送り届け。



被害報告:パンツ全損ズボン半壊、ベルトかすり傷、右腕タールまみれ。他、カバン等に若干の飛沫あり。(スーツじゃない業種なのでそこだけ助かりました)



もうね、漏らしちまったらあとは処理するだけです

下全部脱いで、ユニバーサルトイレにあるあれなんつうんです洗面所のボウルがデカいみたいなやつ、あれでパンツズボンも靴下も丸洗い。

あと、ケツも当然○まみれだったので、これも丸洗い。(イチイチ拭いてられる量ではなかった)

会社に「すんません午前休みます」っつって連絡しつつ、便座についちゃったのやら床にこぼれてしまったのやら色々掃除して、およそ20フンくらいかけて各方面をキレイにし、限界まで絞ったパンツズボンを再び装着!



アレですね、全体に濡れて色が変わってると、意外とわかんないもんですね。股間だけ濡れてたらあからさまに漏らしちゃってる感全開ですが、全部が濡れてりゃ、もとからこういう色、みたいに見えるもの



で。なんとか外に出られるレベルに回復したんで、そのままアトレユニクロ行ってパンツズボンを購入 (無論状況が状況なんで試着はしてませんよ念のため!)、冷たいズボン微妙に臭いケツのままで秋葉原を闊歩、手頃なマンガ喫茶へ入って泣きながらシャワーを浴びて着替えましたとさ。

(念のためシャワールームでもう一度パンツ類を石鹸洗濯しました。)



そのあとはカップラーメン食って昼寝して午後出社をキメました。

いやあ、秋葉原のど真ん中でゲリ漏らしても、意外とどうにかなるもんですね!



追伸:アトレの清掃担当の方、可能な限りキレイにはしたんですが、トイレ汚しちゃってすみませんでした。でもおかげで助かりました。アトレトイレ万歳



追伸2:ちなみに当方34歳二児の父です。34歳だろうが人の親だろうがなぁ、漏らすときは漏らすんだよ!! (フツウあんま漏らさないです)

両手に仏眼相があって、右手がマスカケで、左手に神秘十字線があった

右手にマスカケがある。

それは子供のころから知っている。


両手に仏眼相がある。

半月ほど前ネットで知った。

(仏眼という言葉もそのとき初めて知った)


左手に神秘十字線がある。

ついさっき、これもネットで知った。


3つ揃うって、珍しいんか?


確かに、人より記憶はいいようで、今までその恩恵はいろいろ受けている。

運も悪くない。

職種選択のタイミング転職タイミングは、今振り返ると絶妙だった。

致命的な失敗も何度もやっているが、どれもダメージほとんどなかった。

ただ、直感力に自信がないので、ギャンブル投資もやらない。

転職は一種のギャンブルだったが)

霊感らしき能力は、全く思い当たらない。



ま、どうでもいいや。今日は寝よう。

2011-08-24

同じ女でも理解できないし。

宴席で旦那さんの文句言う女性って自分を下げてしまってるんじゃないかなと思う。

旦那がケチなのー、

旦那が食事美味しくないっていうのー、

旦那が散らかすのー

正直、うーん!?って思う。


そういう人の左手には大抵、車が買える値段の指輪が嵌められていて、

長ーい爪をデコラティブにして、

ブランドバックだって○十万もかかるものボンボン買って貰っている(自分のお財布は使わないんだって)。

私の価値観だと、

そんな高い指輪、落としたら怖いからいらないし(だってたか指輪もの

長い爪で作られた料理は、正直何か入ってそうでイヤだし、

綺麗なバックは素敵って思うけど○十万もする時点でそんな価値あるんかなーと躊躇する。


ある程度綺麗な格好してれば、十分だって思うんだけど。

でもこういうようなことを言うとマイノリティらしく大抵女性に引かれるので、親しい友人以外言わない。


宴席でそういう話を聞く度、旦那さんの良い所話せばいいのになーといつも横目で思うんだ。

高い指輪を買ってくれて、

デコラティブな爪で作る料理を食べてくれて、

高いバックを沢山買ってくれるって結構…ていうか相当いい人だと思うんだけど。


んでもってその話を聞いてる男性陣は女の私以上に敏感にそれを感じてる気がするんだよなぁ…。

彼女は多分男性陣の一人を狙ってる気がするんだけど、逆効果な気がしてならない。



まぁ、真実は怖いから言わないし聞かないんだけどねー。

2011-08-19

怖い話を聞いた

友人が会社を辞めた。

理由を聞いて震撼した。



友人は、帰宅した夜、そして休日パンツ一枚でネットサーフィンをするのが日課だったそうだ。

彼はその時、右手マウス操作しながら左手男性シンボルをいじるのが癖だったという。

汚いが、私も彼の気持ちはわかる。

男は自分の股間を触っていると、落ち着くものだ。

はいえ、彼がそんな癖を持っているとは、これまで知らなかった。



その彼はここ数週間、残業続きで少々つかれていたという。

から仕事中につい、うとうとと居眠りしていたそうだ。



ハッと気づいて、半覚醒状態のまま仕事を再開した。

なかなか眠気がとれないものの、なんとか仕事をしているふりをしようと、ぼんやりとしたまま彼はマウスをいじっていた。

そして、ようやく眠気がとれて、愕然としたそうだ。

なぜなら、ぼんやりしていたため、いつの間にか普段の癖が出てしまい……

チャックから男のシンボルを取り出して、いじっていたことにきづいたから。



慌てて周りを見る。

すると、周りの同僚が全員、硬直した姿勢で、こちらを見ていたという。

友人は、

「寝ぼけてて……すみません

と謝る。

同僚たちは何も言わずに目を背けたそうだ。

辞めるつもりはなかったが、それから一週間の社内の居心地は最低。

結局、辞めざるをえなかったという。



はてなに集うみなさんの中には、こういう癖をもった人がたくさんいると思うのだ。

から、気をつけて欲しい。

明日あなたの番だ。

2011-07-28

エヌ氏の一日

エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンクリックすることから始まる。



「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達日記ひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。

エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。

朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるもの仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。



エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。

本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。



出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。

エヌ氏は、家を出たことを仮想世界上の日記に書き込んだ。

するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。

たからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。

バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。



バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末コロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真仮想世界上の日記として書き上げた。

当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。

食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。



エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。

電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記作成した。



日記作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。



会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。

会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。



プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベート日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。



ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。

タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から喫煙なう」と仮想日記に書き込んだ。

書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。



エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーションアカウントログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。



「いいね!」ボタン操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。

カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要ライフワークとなっている。プリンカウントは89だ。日記タイトルカウント数を入れて、写真を撮って日記作成した。

先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。

この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事であるしか読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。

「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。



食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。

画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。



日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。

エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。



帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車バスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチ薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。



時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。

2011-07-25

野球やってた人とかちょっと来て

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0709/424703.htm

中学生の息子はシニアチームでピッチャーをしています

学校野球部には所属していません。

先日、その話気を聞きつけた女子ソフトボールメンバーが、

大会に出るには速い球に慣れる必要があるので、

バッティングピッチャーをやって欲しいと頼んできたそうです

息子は「怪我をさせるかもしれんし、いやじゃ。

それに野球ソフトは球筋が違うので、そんな練習意味ない」

と言ったらしいのですが、どうしても、と頼まれて仕方なく

相手をしたそうです

最初は手加減して投げていたらしいのですが、

「こんなん練習にならん」と言われ「たいしたこと無いの」

と言われてムッとした息子は全力投球をしてしまったのですが、

そのうちの一球があるお嬢さん左手に当たって、

そのお嬢さん左手首にヒビが入ってしまいました。

そしたら、お嬢さんの両親から呼び出されてしまいました。

でも、息子は頼まれてイヤイヤ引き受けた訳ですし、

事前に聞いたところ、息子いわく「だから、いやじゃと言ったのに、しつこいけん、そんなことになるんじゃ。それに、あんなん、普通は避けられる。ちゃんと練習しとらんせいじゃ」ということなので、

先方の両親(治療費を払えと息巻いています)には、学校側のソフト部に対する管理不行き届きなので、謝るつもりもないし、治療費学校負担すべき、と突っぱねたところ、先方は激高して、そんな態度なら、シニアのチームに言いつけて、チームを首にしてもらうし、学校にお願いして内申に響くようにしてやる、と言います

夫は絶対に謝る必要ない、放っておけ、と言うのですが、

息子がチームを首になった可哀想です。ここは謝るべきでしょうか。

その後の展開はさておき、

この情報だけの時点で「謝るべき」ってレスが多数派なことにびっくりした

おれ、野球を見ることもすることもほとんどないかわからんのだけど…

「ごめんね、くらい言っといた方が人間関係円滑だよ」程度ならわかるけど

それと謝罪要求に応じるのって全然意味がちがくない?(責任を認める意味がでてくる)

2011-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20110617112517

横だけど、

ロック解除ボタンを押さないとアクセルが踏みこめない

普段の走行でも支障が無いようにするためには、簡単にロックが外せないといけない。

信号になった後、面倒くさい方法でロック解除してアクセル踏んで、ロック解除して…なんてやってたら、事故から

ロック解除ボタンなんてものはすぐに形骸化する。

MT乗りの現AT乗りなんだが、MT車と同様に、停車中はNに入れるようにしてる。

Nに入れとけばアクセル全開にしても(エンジンの回転を理由に)クルマは動かないし、

ロックスイッチほどではないが、左手で一手間入れないとエンジンの状況と無関係にできる。


いろいろ批判もあるようだけど、MTの頃は基本的に信号待ちでギヤを抜いて・再び入れてたわけで

(クラッチペダルを踏みっぱなしにするのもアリだけど)

それぐらいならできるかと。

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。



翌日。Aはどこにもいなくなっていた。



あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-05-17

左手

しびれてきた

から多分今回はできるよ

これが終わったら

終わりにしよう

できるよ多分

がんばれ

一瞬だから

がんばれ

2011-05-15

そろそろNexus SiPhone4について語っておくか…

この記事(http://www.drk7.jp/MT/archives/001769.html)が話題になっているので、自分も書いてみます。まずは自分属性

自分の結論は、圧倒的な差でNexus Sの勝ちです

そもそもNexusSは国内で販売されてないので、NexusSとiPhone4のどちらがイイですか?と人に聞かれることは全くないですが、

NexusSの方が圧倒的によいと"私は思う"と(もし聞かれたら)答えます。今後の機種変も間違いなくGalaxy S2、3?、と買い続け

ていくと思います。一方で別の技術はもうわかったのでiPhone4は手放そうと思っており、iPhone5が出たら誰かに触らせてもらい

たいです。※NexusSは技適未通過端末なので、帰国前の使用感レポとなります


体感速度、OSの安定度、充電池、カメラ性能、電波

元記事に異論なし。音質は音楽聞かないから知らない。AndroidiPhoneよりもっさりしてるし、落ちるし、電池減る。

画面

Nexus S解像度WVGA(800x480)とiPhone4(960x640)より劣るのに、画面自体が大きい分広く感じる。Nexus Sは4インチiPhone4

は3.5インチで、だいぶミスタイプが減った。Xperia arcは4.2インチなので確かに大きすぎるかも。Nexus Sはちょうど良い。

アプリマーケット

だいたい元記事通り。ランキングサイトを見て色々試すのが自分楽しいiPhoneスクエニゲーム買ったけど、結局スマホ

ゲームなんてやりにくいし放置ゲーム3DSPSPで良い。


で、大事なのはここから!速度・安定・電池を差し引いても自分Androidを選ぶ理由。



Androidアプリの良いところは、アプリ間の連携シームレスなところ。写真とる→ギャラリー(iPhoneでいうアルバム)→共有から

直接twitterなどにうp、が可能。(http://www.gazo.cc/up/37699.jpg)iPhone写真とる→アルバムは移動出来るけど、うpする

には各アプリを立ち上げないといけない。ブラウザもメニュー→共有で、そのページを色んな方法でシェアできる。アプリ連携

すぎ。あとページ内検索とかも地味に便利。



他にも良いアプリとしてはIMESimeji。←→キーソーシャルIMEが便利すぎ。iPhoneだとiとiの間にカーソル合わせるとかほぼ

無理。ツイートする時に少し戻りたいとかもよくあるので、←→は不可欠ソーシャルIMEの効果は

(http://www.gazo.cc/up/37694.jpg)参照。スマホ数字・記号が混ざった入力だるいので助かる。



GoogleMapは拡大・縮小した時にコンパスが元に戻らないのが良い。(ブラウザにもついてる)- +ボタン便利。本来はマルチタッチ

対応端末用だけど、片手で縮小出来るのが十分便利。iPhoneだと縮小時に左手に持ち替えるとかよくやってた。他にマイマップ

とか様々なレイヤが重ねられる。Latitudeは友人0だから意味無いんだけど、mixiAndroidアプリ(上の画像の)みたいな感じで4sq

情報アイコン表示で重ねれたらと妄想すると夢が広がる。


インテント・戻る機能

iPhoneは他のアプリが起動すると投げっぱなしで戻れないし、1つのアプリ内でも戻れなくて迷子になることがよくある。

だいたい左上が「戻る」系ボタンがあることが多いけどそうでないアプリもあるし、左上とか遠くて画面を覆い隠してしまう。

今では「戻るボタンが無いなんて、ブラウザバック禁止でブラウザ見るぐらいストレスだろ…」と思っている。

通知機能

色んなアプリの新着がステータスバーに表示される通知機能が死ぬほど便利。twitterにおける通知(とウィジェット)の良さはこ

れ(http://ran.private.coocan.jp/omusubi/log/2010/12/android-twicca-beta.html)あたりを参照。iPhoneにもPush通知はあるけ

どすぐ見なくて良いものを保留、とかが出来ない。強制的にアクティブになるのが鬱陶しいインテントと組み合わさると最強で

、こんなこと(http://www.gazo.cc/up/37695.jpg)が出来る。

ウィジェット

上のtwitterクライアントエントリでもあるようにウィジェットが便利で、ホームから色々設定変更が出来る。自分は家帰ったら

NoLockウィジェットロックオフしてすぐ操作出来るようにしてるし、布団でごろごろ使う時にはScreenFilterウィジェットで好

みの程度暗くする。あと計画停電があった時はホームに付箋メモ貼ってすぐ確認出来るようにしてた。この辺はiPhoneでもJBすれ

ば出来る範囲なのかな。

その他

他にもFLASHが動くとか、NFCがついてるとか、電源ボタンがサイドについてて使いやすいとか、丸っこくて可愛いとか、Macがなく

てもアプリ作れるとか、色々良いところはある。代わりに先に述べた体感速度、OSの安定度、充電池の悪さの他に、フォントが変

、そして日本で使えないという大きな欠点がある。


元々NexusSはAndroidアプリ開発用にと買っただけで、予想以上に気に入ってしまったのは誤算。久しぶりにiPhone使ったら「戻れ

ない」「←→ない」「通知ない」が死活問題だし、最近Softbank電波はさらに悪化したのか屋外ですら300~500Kbpsしか出てい

ないことも多く、人が多いと100Kbpsも出てない。(前は1Mbpsとか普通に出てたので、ここ最近何かあったのか、場所時間帯に

よるのか、Softbankユーザはぜひレポして欲しい


結論

"自分は" Nexus SiPhone4だが、我慢してiPhone4を使っている。iPhoneにはAndroidのようなワクワク感が無いのが残念だが、

カスタム面倒な人・初心者にはiPhoneを勧めているし、無難だとは思う。2.2か2.3以降のAndroidなら、用途や好みによってはオス

スメ。色々出来るから本当楽しいアプリアドオンで強化出来るとか感動したし!個人的には「iPhoneに貼る電子マネーシール

」「iPhoneでも音の組み合わせで決済」「iPhoneFlash」「iPhone赤外線」とかにエネルギー使うのは勿体無いので、より自由

Androidが普及して技術が発展すると良いと思っている。

余談

じゃあ何を使うべきか迷っている。Softbankは解約して本体売るつもり。回線docomoか、b-mobile+WiMaxか、auのEVO WiMax

(CDMA+WiMax)が良い気がしている。EVO WiMaxはかなり魅力的だけど、CDMA通信時の安定性が不安なのと、端末がHTC EVO一択にな

ってしまう。docomoの最新はXperia arcだけど、なんかぺりあってダサい感あるしGalaxy Sの方がNexus Sと似てて良さげ。ただ来

Galaxy S2が出るのに買う気にはなれない。


この記事(http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/038/38214/)のように、SIMフリーの技適通過済みAndroid端末をデータ通信

みで使うのが安いし早いのは魅力。でもIDEOSは小さいしスペックが…

この辺(http://gpad.tv/phone/docomo-sc02c-samsung-galaxy-s2/)を見るに、Galaxy S2の発売とレポを待つのが良いと思うので

、たぶんそうする。本当はすぐにでも変えたいので辛い。

2011-03-24

しびれる

先週とあるアクシデントにより頭を5cmほどバサッと切って、手術して、ついこないだ抜糸した

傷跡のカサブタパリパリはがすと、なんか、左手が、しびれるんだ・・・

2011-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20110320133158

理屈バカの俺がまったくの初心者がとっつきやすい本を紹介するぞ。

調理に入る前に気分を高める本

フランス料理の学び方―特質歴史 (中公文庫) 辻 静雄

歴史からフランス料理考察している。

現存する料理の原型から考察することで、個々の調理工程化学的な本質が見えてくる。

たとえばシチューカレーの"ルー"とはどういう必要性で、どういう技術革新によって、どういう世界で生まれどう発展したのか、という感じの書き方。

右手包丁左手醤油 (文春文庫PLUS) 小山 裕久

これは文化論的なエッセイ日本人にとって、という視点が強い。

日本料理神髄 (河出文庫)小山 裕久

右手包丁ほとんど読み物だが、これはずいぶんと理屈っぽい。

大使閣下の料理人 (モーニングKC)西村 ミツル, かわすみ ひろし

漫画。とにかく気分が高まるから読んどくといい。



技術

家庭科の実習書あたり。

食品成分表をあわせて読むこと。


応用編

・割合で覚える和の基本 村田 吉弘

今日の料理で連載していた人気コーナーを本にしたもの。

割合で味付けを決めてしまからかなり乱暴だが、味見しなくともそこそこ美味しい味付けになる。

・大好きな炒めもの ウー ウェン

中華はとりあえず味覇(ウェイパー)という調味料さえあればなんとかなるんだが、それを使わないならこの本。

中国食文化に関しても触れていて◎

2011-03-15

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20110310145602

服装はキリスト教と同じで黒いスーツで黒い靴でネクタイは黒。



ご焼香は始めてだろうから事前に検索しておくといいよ。

#だいたい前の人を見ていれば分かるけど、間違えて柏手を打たないように。

外国の人だと分からなくて柏手打ってしまった場合を見たことがある。

http://www.a-sougi.com/2007/10/post.html

■焼香の仕方(一般的な立礼焼香の場合

1:順番が来たら後ろの人に会釈する

2:焼香台の少し手前で僧侶⇒遺族の順に一礼して焼香台の前に進む

3:遺影を見つめて一礼し、1歩前に出て合掌する(手を合わせる、数珠左手

4:左手は合掌の形のままで、右手(親指・人差し指・中指)で香(抹香)を軽くつまみ、顔(目の高さ)の前で捧げる

5:静かに香炉に香を落とします(宗派などによって異なりますが1~3回繰り返す)

6:再び遺影に合掌して一礼する

7:前向きのまま少し(3歩くらい)下がり、僧侶・遺族に一礼して自席に戻る

※一番初めに焼香をしないのであれば、喪主、前の人のやり方をよく見て、参考にして同じようにした大丈夫ですよ。

2011-03-09

仕事コケて尾てい骨を打ってからというもの、左手の小指がずっとしびれたままだ。

面倒かけたらいやだから、これが治っていない事は誰にも言ってない。

左手首の橈骨複雑骨折をやってから握力は結局もどらなかった。

私はつくづく、左手に縁があるらしい前世で何か左手を使った悪事でもしたのかな(笑)

2011-03-08

胃腸のツボ

http://anond.hatelabo.jp/20110308231820

左手の甲の薬指と中指の骨が別れるあたりにツボがあるから、そこをもんでいると20分くらいもつ。

あと、エマージェンシーがよくかかるのなら、紙パンツお薦め。今は大人用のおむつが充実している。薄くてアウターにひびかない。持ち歩きも楽。

お疲れさまでした

- 転職ならen
- 派遣ならen
13ページ中1ページ目を表示(合計:304件)