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はてなキーワード: しみとは

2007-08-07

感情を

自分の感情をうまく外に出せない事に気付いた……

友人はもちろん家族にすら……

怒りや反発や悲しみを感じてもそれを咄嗟に言葉で表せない

ただ我慢し、何も効いていないフリを自動的にしてしまう

だから相手に怒りや何やらも伝わらず、かといって自分の中でははらわたが煮えくり返っていたりして、それでもその時何も言わなかったのに今更「前日のことだけど」と怒り出すわけにもいかず、結局他人相手にはそのまま割り切って忘れるか、家族やかなり親しい人相手だと子供のように拗ねたり無視したり相手にはもう覚えがないのに突然イヤミとか言い出したりとガキみたいな怒り方をしてしまう。というかそれしか出来ない。しかし当たり前だが余計にこじれるだけ、しかも相手は覚えがなく自分がなぜ怒っているか分からない上自分がそれを説明しないから相手は相手で怒る。ぐだぐだにこじれてしまう。それでも言えない。自分の感情や本当に思っていることなどを言えない。本音を誰にも言えない。本当はこうしたいという目標も(本当はそういうのは他人に言った方が成功するのに)口に出せない。


青春なシーンは嫌いじゃないけど、実際に自分の生活でそんなシーンが出てきてしまうと逃げ出したくなる。

涙も流せない。

何も言えない。

本当に思っていることは何も言えない。


バカ話はいくらでもできるが

自分の本音は誰にも言えない

恥ずかしいのと、怖いのと、多分両方ある

ずーーーっとかくしとおしてきた自分の本心の部分を誰かに攻撃されたらどうしようと怖く

こんなアホキャラで浮かれたキャラな自分がマジになって語るというのがどうしようもなく恥ずかしい

これではダメだと思えどどうすればいいのかわからない

増田助けてくれ

2007-08-06

素晴らしくなりかけた人の話

http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070801/p1

http://d.hatena.ne.jp/nitino/20070806

これらのエントリを読んで、昔を思い出して、ずっと苦い気分だった。以下半分本当で半分嘘の話。ありきたりかもしれないけど。書いてどうなるものでもないけど。

小学生の頃、いい子でいたい俺はともだちを沢山つくる必要があった。本には「優しくて強い子にはともだちがたくさんできる」と書いてあった。いい子でいなければならない俺は、当然優しくて強くなければならなかったから、その証拠が必要だった。

証拠に拘ったのは、俺は、自分自身が優しくも強くもないことを自覚していたからだ。注意深く振舞えば、本当は底意地が悪くて卑怯な俺にもともだちができるかもしれない。そしてそれは、俺が優しくて強いことの客観的な証明になるだろう、と考えたのだ。

まず誰にでも、嫌いな奴にも優しく振舞った。そして誰がどう見ても悪と思える事象には勇気をもって立ち向かってみせた。周囲はおれを優しくて強い子だと思い始めた。ともだちが増えた。誰かをいじめている上級生と喧嘩もした。同学年の子の親に、うちの子とともだちになってくれと頼まれたりもした。俺は進んでそいつの家にチャリで駆けつけて玄関のチャイム押した。

俺はいい子になれた。このままいけば俺は誰にも叱られず、いい子として平穏に生きることができる。だからみんな、このまま俺と友達でいてください。俺が一緒に遊ぼうと言ったら「うん!」と笑顔で言って下さい。それだけで、俺が本当は底意地が悪くて卑怯な悪い子だと糾弾されずに済むんだから。

なのにあいつは、冴えない顔をして、口下手で、空気同然の扱いで、俺が一緒に遊ぼうといっても「ううん…」位しか口にしないあいつはなぜ、友達がいないのに誰にも責められないのだろう。休み時間は人の少ない図書室で怪盗ルパンシリーズをひっそりと読んだりして、ずるいじゃないか。俺がやりたくもないドッヂボールにくだらないブサイクを誘ってやってる間にあいつは好き勝手なことをしている。なのになぜ、誰もあいつを悪い子だと叱らないんだ。

そのうち理由が思い当たった。俺のように要らぬストレスを溜め込んで無理な笑顔を作らなくても、あいつは元々寛大なのだ。恐怖に震える手を隠さなくてもあいつは元々勇敢なのだ。繕わなくても悪い子ではないのだ。だから平気で一人でいられるのだ。自分を取り繕わずに自分の居たい場所にいることができるのだ。あいつは心から優れた人間だ。取り繕っている俺はあいつよりずっと劣った人間なのだ。

なのに。なぜあいつは俺をおびえた目で見るんだ。お前のほうが優れた人間なんだろうが。本当は俺が底意地が悪くて卑怯だと知っているんだろう。なのになぜそんなに俺を恐れるんだ。取り繕うのに必死な俺をあざ笑えばいいだろう。いや、そんな被害者ヅラして心の底ではあざ笑っているんだろう。

俺は彼を激しく憎んでいることに気が付いた。そして俺は何もできなくなった。少しでも動けば憎しみを外へ漏らしてしまいそうで恐ろしかった。他人に関わることができなくなった。優しく強く振舞うこともできなくなった。

丁度小学校卒業する時期だったのが幸いした。俺は彼に憎しみをぶつける前に(自分の憎しみという感情に気づく前はもしかしたら無意識のうちにぶつけていただろうか、と今でも考える。そうではなかったと思いたいが、もしかしたらこれが「いじめた側はいじめた事を忘れる」ということなのかもしれない)中学へ進級し、教室の隅でひっそりと本を読み、クラスで二人組を作れば必ずあぶれる暗い少年になった。

あいつは当然こんな文は読んでいないだろう。

俺は君が羨ましくて憎かった。俺にないものを持っていながら弱者ヅラしている君がどうしようもなく狡猾な男に見えた。でも本当はそんなことはなかったのだろう、と今だから思う。

俺が許されることはきっとない。

学歴で辛い経験をされた方がたくさんいらっしゃるようですが

どうしたの?就職差別とかされた?


僕も普段は学歴なんて気にしないそぶりをしてるんだけど、皆が高学歴高学歴を声高に叫ぶもんだから、自分でもいつのまにかコンプレックスを抱いてしまったりするんだよね。そんな環境下で、「学歴なんて関係ない」って叫ぶには大変な勇気とエネルギーが必要だから、なおのこと性質が悪い。


そんなこんなで、学歴で苦しんでいる人を見てるといたたまれなくなる。何とかできないものかなあ。国会大学まで全部義務教育にする法案を提出すればいいのかな。それとも、大学自体を無くしてしまうか。


どうしたら学歴という苦しみから解放されると思います?

anond:20070806152628

なんというか、

「相手の喜ぶ顔が見たい」

というプチな愉しみを否定するのもどうかと。

合理的…

増田にいる社会人の皆さん、非効率的なことをさせない企業ってこの世の中に存在するの?

例えば、上司が部下に指示する時もやり直しみたいなことはほとんどない、みたいな。あのね、今のバイト先、「これやって」って言われて一日かけてやったら次の日に「間違ってたメンゴやり直し★」ってことが多すぎて。途中で一応、「ほんとにいいんすか?ちょっとおかしいと思いますよ?皆に確認してみて下さい」って進言はしてみるんだけど一切聞き入れられない。自分の押しが弱いだけってのもあるんだけど相手は一応目上の人だし。リーダー的な役回りの人の言うことは聞くみたいなのでこれからはその人に間に立って貰って、

その人の言うことだけを聞いていこうかな、って思ってるんだけど、

世の中の会社って皆こういうものなのかな。だとしたら就職とか本当辛い。

この広い世界に一つくらいは非効率的なことをさせない企業ってあるとは思いたいなぁ。

そこに入るためだったら沢山努力するのに。下っ端の話は聞いて貰えないのが通説なんだと諦めたくないなぁ…

2007-08-05

JASRACの暴挙をまとめるページ(増田出張版)

サイト閉鎖につきコピペ。気が向けば更新して再upします。

関連リンク集

興味がある方は、すべての記事に眼を通しましょう。

ここにもJASRACの問題に関する記事が多数あります。

著作権に関する新着記事が集まるサイトです。

JASRACについて考える掲示板」があります。


JASRAC関係者暴言集

学習参考書なんかは、中身を見ずに買うとえらいことになります(あと、漫画は中身を見ずに買うとエロいことになる可能性があります)。本がほとんどなかった戦前は、教授が訳書を学生に読み上げていく、という感じで授業が進んでいったように、本は貴重なものであり、著者は尊敬の対象でした。しかし、出版技術進歩した現在、そんなこと言っていられるでしょうか?私が何冊つまらない本をつかまされたかわかりますか?

日本の一団体が海外企業をつぶせると思っている時点で、アウト!どれだけ傲慢なんでしょう?

名古屋市などの社交ダンス教室7件を訴える。」という記事の後日談となる「著作権料気にせずレッスンしたい ダンス音楽CDの自主制作相次ぐ」という記事の中にて。brain-boxさんによるはてブコメントからの情報です。ソース元が削除されていますので、信憑性の薄い証言ですが、これが事実ならとんでもない話です(まあ、産経が元記事らしいので事実でしょう)。

Youtube代表者との会合を終えた後、話した言葉。殴り合いになるとしたら、仕掛けるのはどちらが先なんでしょうか?

私たちに出来ることは、ただ愚痴ることだけ。このことからも、彼らがいかに傲慢かがわかります。


痛いニュース(ノ∀`)様内JASRAC関連記事

そもそも、どうして私的録音から課金するのでしょうか?しかも、徴収されたお金は、ちゃんとアーティストの方々の下に向かっているのでしょうか?理解に苦しみます。

ソース元は削除されている模様です。もう仕事をやめているのに、賠償請求……。どれだけお金をもらえば気が済むのでしょうか?

ある種仕方のないことかもしれませんが……。しかし、この団体は本当に人々の不幸のために働きますね。

ソース元は削除されている模様です。

日本の恥を晒すだけですよ。

協会担当者は「演奏中止の仮処分が退けられたケースは聞いたことがない。オリジナルと称している曲も元の曲をアレンジしただcで、使用料は払うべきだ」と主張。翌10月、演奏の差し止めと、著作権侵害による損害金約250万円の支払いを求める訴えを大阪地裁に起こした。

どんな言いがかりですか?論理も何もありませんよ?


今年に入ってからの話題

JASRACの作業って機械的に行われているのですね。お金を請求しておいて、肝心なことは他人任せなところが許せません。それで「企業」だといえるのですか?

かなり過激な論調のインタビュー記事ですが、JASRACだけでなく、音楽関連企業にも不透明性があることがよくわかる記事です。「著作権とは何か?」を改めて問い直したくなるような記事です。


過去におけるJASRAC暴挙の歴史

事実かどうかはわからないようです。しかし、いかにも本当っぽいのが怖いところです。

JASRACのずさんさが明るみに出ています。特に、「曲数多過ぎ審査フリーパス、盲点ついた阪神応援歌事件」という記事を見れば、本当にあきれます。

「来た! JASRACから請求がっ!」の記事の続きを読むと、「見つかったから徴収」という感じがすごくします。ひょっとして、通報用のスタッフがいたりするのでしょうか?

これもJASRACのずさんが垣間見える記事。お金が欲しいゆえの徴収にしか思えません。

後日談に注目。請求額が足りないから控訴って、単にお金が欲しいだけなのではないでしょうか?この事件に関して強く思ったのは、「JASRACは多額の賠償金を請求することで著作権違反者を見せしめにしようとしているのではないか」、ということです。でないと、「一審の請求額が不服だから控訴」、とはならないはずです。


音楽著作権料に関する疑問

  • 管理がずさんすぎる

JASRACが名古屋のライブハウス/クラブに著作権料請求」(情報元:JASRACを考える。様)を見れば、いかにJASRAC著作権関連の管理がずさんなのか、よくわかります。

最初は黙っておいて、後になって一括請求……。狙ってやっているとしたら、詐欺と変わりありませんよ。

あと、名古屋市などの社交ダンス教室7件を訴える。情報元:JASRACを考える。様)という記事の中で、どうして10年分の著作権料を請求できたのでしょうか?本来なら、7年間事態に気づかなかったJASRACが7年分の著作権料を埋め合わせるべきではないでしょうか?(全額は無理でも、何割かは負担すべきでしょう。それが企業責任というものです)

  • そもそも難しい

著作権は、一朝一夕で理解できるようなものではありません。音楽著作権料がどのように計算されるか、どのような行為が著作権違反に当たるかどうかをきちんと理解しようと思えば、かなりの時間がかかってしまいます。

JASRAC管理楽曲を使おうとする人すべてがこのような「お勉強」をしなくてはならない現状は、正常な状態には思えません。だから、最初は黙っておいて、後になって一括請求するような行為に批判が集まるわけです。

ある程度のことは、ここを読めば把握できます。ただ、情報が少し古いので注意してください。ただ、ここを読んでも、「音楽著作権についてすべてわかる」というわけではありませんので、ご了承ください。

2007-08-04

Re:自殺をほのめかす人って死なないよね

「「自殺をほのめかしている人は死なない」は誤り」は、実は正確ではないのです。

自殺をほのめかしていた人が、急に死ぬとか言わなくなったときが、マジやばいのです。


ODリスカをする人は、本人の苦しみは否定しないが自殺に至ることは少ないと思ってた(死んだ時はむしろ事故)んだが、これも偏見なんだろうか。

これも一概には言えないんだよね。「死にたい欲求」は電波受信感度みたいなものだから、数秒後に強度が10000倍違ったりする。

自殺をほのめかす人って死なないよね

って少なからず聞く言葉だけど、

専門家の間では「偏見」が、定説となっている見方

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070804it11.htm

だったとは。


ODリスカをする人は、本人の苦しみは否定しないが自殺に至ることは少ないと思ってた(死んだ時はむしろ事故)んだが、これも偏見なんだろうか。

2007-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20070803234239

旦那の方が一緒に食べろと強制しているわけではないので、勝手に食べちゃっても怒りはしないと思うんだけど…

・長年(と言っても6年くらいだけど)でしみついた習慣

・食事に同席したら結局一緒につまんでしまう

・別々に調理する手間がかかる

という微妙な問題が。


それにしても今日は特に遅い。事故にあったのかもって頭をよぎっちゃって嫌だ。

もうすぐ午前様になってしまう。

早く「おかえり、おつかれー」って言いた

帰ってきたあー!!

V. E. フランクル 「夜と霧」まとめ、コピペ、抜き書き

人生歯医者椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。 (ビスマルク)

苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる。 (スピノザエチカ」)

なぜ生きるかを知っているものは、どのように生きることにも耐える。 (ニーチェ)

ネタ元:V. E. フランクル 「夜と霧」, ISBN-10: 4622039702, ISBN-13: 978-4622039709, amazonの「夜と霧」, Wikipedia 夜と霧

要旨:生きる目的を、ことあるごとに意識し、現在の悲惨な状態に耐え、抵抗できるようにする。

以下、ほぼ原文からコピペ

生きることになにも期待がもてない場合、生きる意味とは何かわからない場合は次のようにする。

生きる意味についての問いを百八十度方向転換する。

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを考える。

生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に経っていることを思い知るべき。

生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。

生きることとけっして漠然なことではなく、具体的な何かである。つねに具体的なにかであるので、生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。

この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらす。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。

具体的な運命人間を苦しめるなら、人はこの苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性がある。

生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむこと死ぬこと意味にも裏づけされた、総体的なもの。

苦しむことはなにかをなしとげること

苦しむことすら課題であり、その意味深さにもはや目を閉じない。苦しむことはなにかをなしとげるということ。

気持ちが萎え、ときには涙する。だが、涙を恥じることはない。涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。しかし、このことをわかっている人はごく少なく、号泣したことがあると折りにふれて告白するとき、人は決まってばつが悪そうなのだ。

「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と言う人には、つぎのことを伝えようと試みる。

生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある。

だが待っているものは、人それぞれちがうので、その人の話をよくきき、未来に彼らを待っているなにかについて、彼らにそれを気づかせる、思いださせる、思いつかせる。

ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造、他の人やその愛など。

このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

生きることを意味で満たすさまざまな可能性

人間生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある。この存在することの無限意味は苦しむことと死ぬことをもふくむのだ。状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい。

犠牲の本質は、政治的理念のための自己犠牲であれ、他者のための自己犠牲であれ、この空しい世界では、一見なにももたらさないという前提のもとになされるところにある。しかし、その犠牲についても意味があるのだ。

タンポポばんざい

http://anond.hatelabo.jp/20070802173113

しみ : 見るからにうまそう。見てるだけなんて無理。喰わずに居られない。

タンポポ: 見てるだけでステキ。癒される。喰ったとしてもちょっと不思議な味わい。

2007-08-02

電脳コイルを若い才能あふれる作風に作り変えてみる

http://anond.hatelabo.jp/20070713203257


電脳の話題をネットの話題にかえる

・民間伝承的なジャーゴンを全てネット流通しているジャーゴン

・作画は神作画

・ヤサコは今時の若者に受け入れられるように、受け身な女の子から情報収集に貪欲な女の子に作り変える

・イサコをもっとヤサコに対して親しみを持ったツンデレにする

学校パートを増やす

・ダイチを女の子にする

・ハラケンを女の子にする

郵便局のおねえさんを「逮捕しちゃうぞ」などで親しみのある、婦警さんにする

・EDを畜生が歩くだけのものから声優がふざけて前作の曲とかを海の荒波が打ち付ける岩の先で歌うおちゃらけた内容にする

白石稔を入れる

小神あきらを入れる



結果らき☆すたになる

2007-08-01

プログラミング言語Cの凄い本を探している

C++の本はいっぱいあるんだよ。いっぱい持ってるし。名著とか面白い本いっぱいあるよ。

Cの本は、なかなかでものが見つからない。

ハッカーのたのしみ」はちょっと良い本だった。(Cと言って良いかわからないが)

「省メモリプログラミング」は楽しい本。PCだと禁じ手、組み込みだと有効なテクニックのオンパレードだ(斜め読みして積んである)

「詳説C言語」は役に立つけど楽しくない。K&Rは基本だから持ってるけど、基本でしかない。

ツリーだのソートだのが載っている本はもう飽きた。

なんか面白い本ないかなあ。

今読んでいるのはこれ。

http://download.intel.com/jp/developer/jpdoc/IA32_Final_i.pdf

めちゃくちゃ楽しいです。会社で一気に印刷したら怒られました。

書籍購入より安いんだから良いじゃん。

[]増田ども、悲しみの愛を見せろ

俺Masaoだけど、↑と同じ募集をここ増田でもやります。

増田って匿名だし、それでいて2chより長文書きやすいし、こういうネタに向いてると思うんだよね。

たまに出てくる短編小説ネタみたいなノリで(例)増田どものスクールカーストに対する熱い思いを語ってください。

お返事はトラバで。

そんな感じで、まぁひとつよろしく、増田ども。

http://anond.hatelabo.jp/20070801105821

えー、大ちゃん勝手あだ名で呼んでごめん)引退するのか…なんか寂しいな…。

高知県民ではないけれど、とある高知県イベントに参加した時にその場にいた事で存在を知りました。

そこではTシャツ姿で高校生和気藹々としていて。それから親しみを持ってました。

正直、自分とこの県知事よりも身近に感じてたくらいですよ。

立場を変え、高知のためにも役立ちたい

まだまだ頑張って欲しいですね。

2007-07-29

やっぱり苦しみが足りない

http://anond.hatelabo.jp/20070729223705

危機感もあるし、今の若者ってもう既に十分苦しいよ。

寧ろ団塊なんて余裕ぶっこいてる。金あるし。若者は金もなにもない。全て搾取されて。

 

うん、そういう人もいる。

そういう危機感を持っているから

おまえは投票したわけだよな。

その気持ちは当然だとも思う。

でもおまえみたいに思っていない若年層はまだたくさんいて、

そういう連中投票に行っていない。

そういうことだよ。

2007-07-28

Re: http://anond.hatelabo.jp/20070728214133

性別を選べるという仮定はさておき。生殖をひとりでまかなえれば、非モテで悩むこともなくなるか。


でも、産みの苦しみを思えば自分一人でまかなえるようになったら、ズン類は絶滅するだろうな。ボルテール

2007-07-26

ユニクローンって言葉もあったよね。

ユニクロを極端に毛嫌いする人は、概ね10年前のユニクロイメージで語っているよね。

きっと多感な頃に、まだ郊外県道沿いにしかなかったユニクロでそろえたファッションをバカにされたんだね。

それがトラウマになって、一生懸命脱オタファッションしたんだね。

もう、頑張らなくてもいいんだよ。

渋谷池袋に行けば、オシャレさんな若者もいっぱいユニクロで買い物をしているから。

無理してマルイBEAMSで買った服に着られているのを、「プッ」って笑われるよりは、気は効いてなくても無理のない洋服を着ているほうが、親しみが持てるから。

自分を許すとか許さないとかで悩むのが無駄だとは言わないけどね……


んー、まあ良いことを言っているとは思うけど、なんか違うのよね。


まず最初に断っておくけど、許すとか肯定するとか言うと価値判断を含んでいる気がするんで、今回のエントリでは「認める」という表現を使っていくよ。

「認める」にもいろんな意味があるけど、できるだけニュートラルなものだと思ってくれ。認めることは許すことではないし、認めることは肯定することでもない。一番近いのは「知る」という言葉かな。これから私が書く「認める」というのは、まあ、そんな感じの意味として受け取ってちょうだい。

じゃ、いこう。




大事なのは「自分を認める」こと。

……とか言うとすごく陳腐だけど、きっとわけがわからなくなっていくだろうから続きを読んでおくれ。


SWAN SONG』の結末近く、あまりにも暗く陰惨な地獄をくぐり抜けたあと、主人公の尼子司はこう呟く。

 「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、間違いだらけだとしても、人の一生は素晴らしいです」と。

 これこそ、『SWAN SONG』一編を貫くテーマである。ひとの一生の価値は、成功したとかしないとか、幸福だとか不幸だとか、そんなことで決まるわけではないということ。

ああ、これがそもそもこれが間違いのもとなのだよ。素晴らしいから認めるというのが。価値があるから認めるというのが。

そうじゃないんだ「認める」ってのは。

素晴らしいとか素晴らしくないとか、価値があるとかないとか、そういう前提が必要だと思ってることが、もう間違っているの。

間違ってる人は、自分を認めるために、

 [1] 醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしい。

 [2] 自分は醜いし愚かだけど、[1]ゆえに自分は素晴らしい。

 [3] 自分は素晴らしいから自分を認める。

こういうステップが必要だと思っている。でもそうじゃない。そもそも「自分は○○ だ か ら 自分を認める」ってのが、間違っているのね。

たとえば上の例は、「綺麗でなければ、賢くなければ自分を認めることができないと思いがちだけど、そうじゃないだろ」って言いたいんだろうけどね。でも、結局のところ「素晴らしいから認める」ことになっちゃってるでしょ。

「綺麗だから認める」・「賢いから認める」っていうのと、「素晴らしいから認める」って、同じなのね。認めるために何か条件が要るという点で、同じなの。これって、「容姿が綺麗」だとか「賢い」とかいう条件を、「素晴らしい」という条件にすりかえただけ。「素晴らしい」ってのは曖昧だからごまかせると思ったんだろうけど、所詮ごまかし。疑いはぬぐえないし。疑うなって言うのも無理がある。無理に信じ込むためにはエネルギーがいる。

「ひとの一生の価値は、成功したとかしないとか、幸福だとか不幸だとか、そんなことで決まるわけではない」というのは、「価値」という表現を使った時点でもう違う。これでは自分の人生を認めることはできない。自分の人生の価値を捏造しなくてはならないから。自分の人生には価値があると信じ込まなくてはならないから。「成功」や「幸福」というのを「価値」にすりかえただけだ。でも、自分の人生を認めるというのは、価値があるから認めるとか、価値がないから認めないとか、そういうことじゃないんだ。


自分を認めるために必要なステップは、

 [0] 自分を認める。

以上。

自分を認めたところで、幸せがやってくるわけでも、どこからともなく価値が生まれるわけでもないんだけどね。でもね、自分を認めるとね、自分を認めることができるんだよ!


言及しているエントリコメントにこんなのがあった。

楽しく生きるのが許されていない人もいますからね。

虐待されてて抜け出せない子供とかに言えませんよ。

確かに、「それでも楽しい人生が送れるよ」と言ってやれない人はいるだろう。でも、「自分を認めることはできるよ」とは言える気がする。気がするだけだけれども。


自分以外の「誰か」から「YES」と言ってもらう事、ありのままの自分を受け入れてもらう事、小さな許しが他人から得られる事、間違ってなどいないと抱きしめてもらう事、そんなものでは無いでしょうか。


子供が母に無償の愛を注がれる事ではじめて自分を肯定する事が出来るように・・・。


だってどんなに自分で自分を抱きしめても、一番空虚を感じる背中のど真ん中に、自分の手は届かないでしょう?

幸福人生にありつくためにはこういうのが必要なんだろうけど。自分を認めるためには要らない。

誰かからYesと言ってもらう必要もないし、誰かにありのままの自分を受け入れてもらう必要もないし、小さな許しを他人から得る必要もないし、間違ってなどいないと抱きしめてもらう必要もない。

もちろん自分でYesと言う必要もないし、自分でありのままの自分を受け入れる必要もないし、小さな許しを自分に与える必要もないし、間違ってなどいないと自分で自分を抱きしめる必要もない。

それでも自分を認めることはできる。

まあ、贅沢を言えば、私で私を認めるのと同じように、他人に私を認めて欲しいとは思うけどね。でも、ありのままの自分を受け入れてもらいたいというのは、過ぎた願いだと思う。

人は一人では生きていけないんだろう。けど、他人に無条件に肯定してもらう必要は、無い。

(ところで「銃夢」のあのシーンって、ザパンの白昼夢じゃなかったっけ?)


こんなエントリはすでに自分を認めている人にとってはあたりまえすぎてつまらんだろうと思ってるんだがどうですか。でも「自分を認めるってなんなんだよ」という疑問がぬぐえない人も当然いるだろう。というか他人が理解できるように書けてないんじゃないかと不安になってきた。というかそもそも私は自分を認めることができているんだろうか自信なくなってきた。


ああそうだ例をあげよう。


たとえばこのエントリが誰にも理解されなかったとして、私はそれを「認める」よ。

様々な可能性がある。誰にも理解されてなかったことを、受け入れたり受け入れなかったり。理解できるように書けなかった自分を、許したり許さなかったり。もっと上手く書けるようになろうという向上心が、湧いたり湧かなかったり。向上心が湧かなかった場合は「まあ難しいテーマだし」と自分を正当化したり、「ダメだな俺」と自分を卑下したり。それでもたくさん反響があったら、自尊心が満足したりしなかったり。反響が全然無かったら、がっかりしたりしなかったり。言葉で伝えることを、あきらめたりあきらめなかったり。

そんなこんなを、したりしなかったり、するんだろうね。でも、何をするにせよ、何をしないにせよ、とにかく、私はそれを「認める」のだ。うん、もちろん、うまく「認める」ことができない可能性もあるんだけど、じゃあ、そのときは、「うまく認めることができなかった自分」を、認めようじゃないか。


もうさあ、許すとか許さないとか肯定するとか否定するとかポジティブとかネガティブとかさあ、べつにいいじゃん。


自分を認めるというのは、自分は自分だということだ。


自分を許そうが許すまいが、自分は自分だ。

自分を許すことができようができまいが、自分は自分だ。


自分を肯定しようが否定しようが、自分は自分だ。

自分を認めようが認めまいが、自分は自分だ。

自分を受け入れようが受け入れまいが、自分は自分だ。

自分が自分であることを諦めようが諦めまいが、自分は自分だ。


自分は自分だろうが自分は自分でなかろうが、自分は自分だ。


自分を認めるというのは、自分を認めるということだ。




結論めいたものは特に無いんだけど、その、あれだ、自分を認めてみてはどうっすか。

なにも変わらんけど。解決しないけど。苦しみは減らないけど。幸せにはなれないけど。

でも、まあ、自分を認めてないために苦しんでいる人は少しは楽になれるかもしれないね。


最後にもう一度、自分を認めるために必要なステップ

 [0] 自分を認める。

以上。お終い。さいなら。よい人生を。

2007-07-24

日本はこんなに幸せな国なんだよ的なやつ

ああいうの見ると腹立つ。

だからなんだよ。だからこのくらいの苦しみでガタガタぬかすなってか?これからますます日本は酷くなるけどアフリカ等の皆さんに比べりゃマシなんだからブツクサ言うなってか?

ふざけんな。そんでまた、そういう事言う奴はたいがいテレビに出ててガッチリ稼いでる奴なのな。てめーがいうなっていう。


もしくは貧しい他国と比べて、俺らまだまだ裕福じゃんって安い優越感を得るバカどもの仕業。

どっちもこりごりだ。気持ち悪いんだよ。吐き気がする。


大体ああいうのって、日本の不幸せな面は全く公表しない。アンフェアだ。




つーかこんな日本幸せな国とか言われても絶望以外何も思い浮かばない。こんなレベルで、現代の地球にある世界の中ではかなり幸せなほうなんていわれたらあまりに希望がなさ過ぎる。なぜそこに気付かず、暢気に「俺らまだまだ裕福じゃん」とかいって優越感得られるんだ?気持ち悪くてしかたがない。

2007-07-21

またしても生活保護打ち切り死亡

北九州市・「モデルケース」とは

昨年もあった北九州市での生活保護孤独死の問題。http://www.city.kitakyushu.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=18100 今回発見された男性保護打ち切り後、就職した「自立したモデルケース」という人でした。その男性が7月10日に死後1カ月以上の状態で発見されたのです。

残された男性日記には「働けないのに働けと言われた」、「おにぎり食べたい」などと書かれていたということです。52歳のこの男性は、昨年12月から生活保護を受けていましたが、今年4月に就労の意思を示し、受給を辞退したと市は説明しています。

 男性の主治医から病状回復の報告があったことなどを受け、福祉事務所男性に就労を促したといいます。北九州市では、昨年、生活保護の申請すらさせてもらえなかった人の孤独死が問題になり、新市長は行政の仕組みを検証するとしていました。しかし、今回の事件を見ると、どうやら何も変わっていないようです。

 北九州市が“モデルケース”としているのは、厚生労働省が2005年度から実施している「自立支援プログラムhttp://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/s1215-8a.html によるものだと思われます。内容としては、「保護の実施機関が策定し、組織的に取組み」をするとしています。具体的には、

(1) 管内の被保護世帯全体の状況を把握

(2) 被保護者の状況や自立阻害要因を類型化し、それに対応する個別の支援プログラム策定

(3) 支援は保健所医療機関、ハローワークなどが連携して組織的に実施する

 昨年の12月現在プログラム策定自治体は685(80%)、422の自治体が就労支援プログラムを策定していると厚生労働省発表しています。

 厚生労働省が示した方針は「公平・自立支援の観点からの母子加算の見直し、自立支援プログラムの推進による就労や退院の促進、他法優先の徹底(人工透析費用)」として、国費約400億円を削減するということです。

就労促進型福祉の結末

 国は生活保護世帯、母子家庭障がい者などに対して「自立支援」という名の就職を強いているふしがあるように思います。就職できることは良いことですが、国費削減のために、低い賃金の労働者を産み出すことになっている側面もあります。就労実績の数字の中に今回亡くなった方のようなケースも含まれているのです。

 さらに、全国福祉事務所会議の資料には福祉事務所ごとの実績が記されています。これはまるで福祉事務所ごとの「どれだけ削減したか」を表す成績表のようです。

 恵泉女学園大学坂井誠氏 http://www.keisen.jp/univ///message/k_sakai.htm日本モデルとする「アメリカの就労促進型福祉」を分析して、一時期、好景気に支えられながら就職はうまくいったが結果的には「自己負担能力の高い階層が市場を通して社会サーヴィスを購入しており、貧者の最低限必要な便益が削られる代償として、富者が十分すぎる欲望を満たしていることになる」(『現代アメリカ経済政策と格差』)http://d.hatena.ne.jp/asin/4535555354 としています。

 加えて、「『小さな政府』論に傾注することの危険性は、それが必ずしも政府活動の効率性をもたらさない点に求められる。たとえば、GDPに占める社会支出(医療年金、福祉、教育など人間生活を維持するために社会が必要とするサーヴィス支出)は、『小さな政府』の国と『大きな政府』の国でほとんど差はないという」(前掲書)と指摘しています。

 

国民相互の理解が不可欠

 

 先日、ある障がい者関係インターネット掲示板に「障がい者施設の収入が減ったからといって通所日を増やす施設はつぶれろ」という趣旨の書き込みがありました。この背景は、障害者自立支援法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H17/H17HO123.html で、それまで月払いの施設への補助金が、毎日の利用日数実績による報酬に変わりました。単価自体が下がっているので、それまでの職員の給料を確保するには、通所日を増やすなどの工夫が必要になっています。

 この人は、「利用者から1割の利用料をとっているのに」という思いがあるのだと思います。反論として、「国がこういう仕組みを作ったのだから」という書き込みもありましたが、利用者と施設への「対立」という図式になっているようです。

 それは、介護保険でも同じです。仕組みを作っているのは政治なのに……。そして、生活保護でも、憎しみ合う構図が作られています。年収200万円未満のワーキングプア労働人口の3人に1人になっています。すると生活保護より低い人たちがたくさんいて、生活保護費を下げるべきだという世論が増えています。

 派遣社員契約社員などの非正規雇用が増えていることを問題にしないで、国民同士が憎しみ合う構図が作られています。それは、年金問題での社会保険庁職員と労働組合たたきにも見られます。政治の責任転嫁です。

2007-07-18

予言・預言の件

別に当たるか外れるかはどっちでもいいんだよね。

あと自然災害予言・預言も一般人にはどうしようもないことだからどうでもいい。まあ政治家は起こることを想定して事前準備をして被害を最小限に食い止めるつもりでいることが必要だろう。それは予言・預言の有無に依らない。

大切なのは、今のままの浪費と大量生産・大量廃棄を(あと過剰な人権屋・権利要求屋・動物権屋の活動も)続けていると、いつだとは言わないがいつか破綻して、滅亡とは言わずとも大被害を被ることになる、ということだ。これは間違い様のない真実だ。正しいか誤っているか分からないことの結末を予言・預言で知らせて貰えるのならありがたいが、予言・預言ってのはいつも決まって、冷静に論理的に考えれば誤りだと分かるが、見て見ぬ振りをしていることに対する「警告」だ。それ以上でもそれ以下でもない。

予言・預言は自分達の行為の愚かさの再認識の為にあると思うべきだ。「どうせ外れるから何をしても/しなくてもいい」訳でもないし「どうせ死ぬから何をしても/しなくてもいい」訳でもない。

今俺が言っているようなことを過去あらゆる予言預言者教祖となった人間が、あの手この手を使って、語弊が有るかもしれないが「神」だとか「地獄」だとか「悪魔」だとか言う言葉まで使って騙すようにして、言い聞かせて来ただけだ。それが宗教であり、本来は道徳倫理的(定義は曖昧)な生き方をして欲しいと望む人間が作り上げた、見本的生き方(主に争いを避ける為のルール)に過ぎない。それを解釈改憲的に現代の宗教家共が自分達の私利私欲・憎しみに任せて都合のいいように行った解釈を説いてそそのかしているから宗教戦争になる…ってのも既に日蓮とかが言ってたりしたよな(「自分が正しい」と言ったのはやりすぎ)。

予言・預言によって提示された未来を回避したいのであれば、各人がそれぞれ行動しよう。自分の行動を改めよう。宗教を信じる必要は無い。そんなことをしなくても優秀な人間ならば理解出来るだろう。

ちなみに予言・預言によって大災害戦争によって社会機能の崩壊した世界を提示されたとして、自分は生き残る側になりたいと思うだろうか?おそらく死にたくはないだろうが、生きていたいというのも、今の、この、日常的にありふれた平和と豊穣がある世界での話だろう。崩壊して力がある者のみ生存を許される世界で生きていきたいだろうか。

予言・預言によって提示された「事件」から、自分だけを避けようとするんじゃない。この世界を維持する為に、「事件」そのものを避けるように行動するべきだ。

2007-07-17

オタク中年化問題ものすごい違和感

オタク中年化問題(汎適所属)

http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/chunen_ota.htm


増田で影から書くようでホント申し訳ないが、この"オタク中年化現象"、問題でもなんでもないんでは?と思っている。この状況って、"オタク趣味"なるものが一般的に言われている"趣味"と同じレベルにまであがってきた、という望ましい事態なんでは?と思っている。


まず、一般的な趣味は一生続けられるもんだ。僕の祖父の趣味盆栽盆栽とはまたベタなおじいちゃんのための趣味である。しかし、ポイントは、祖父が盆栽をはじめたのは彼が10代??20代のころからである。当時は、とても盆栽流行っていて、みんな情報交換して楽しんでいたんだそうだ。その趣味を、ずーっと何十年も続けてきた(だんだん盆栽そのもののブームがすたれていって、下の世代が盆栽に興味がなくなっていっても)結果盆栽が"おじいちゃんの趣味"と言われるようになったと。


このことから、"オタク趣味"も、若いころからはじめて、一生続くものである、というのはある意味当然の帰結、と言えなくもない。


次、

オタク趣味以外に人生の愉しみアイデンティティの仮託対象を持たない人というのがこの世代のオタクには沢山いる

について。こんな人、他の趣味でも、たくさんいまっせ(まあいるとは書いてあるけど・・・)。僕の草野球でよく対戦する相手チーム(平均年齢20代中盤ぐらい)に、一人40超えたおっさんがいる。そのおっさんは甲子園にも出てて、プロに引っかかりそう、というところで引っかからず、社会人を数年続けて今ではその会社リーマンという。彼とのみに行くと、ほとんど"たら""れば"の話ばっかりになる。あの時あのプレイができていれば、もう2cm背が高ければ、同世代にあのスター選手がいなければ、、、(自分はプロでやっていた)

というやつである。


スポーツなんて、肉体の才能がなけりゃそれで稼ぐことなんてできない。だから稼げないという時点ですぱっとあきらめりゃいいのに、まだこの有様である。そもそも、その道で稼ぐ、というのは狭き門である。"趣味"(厳しいがそのおっさんにとって野球趣味である)にかまけて稼げるかもしれない(しれなかった)ことを悶々と考えてる暇があれば、自分で稼げるものを見出したほうが楽しいのに、とか僕は思うけどね。その意味で"バットを捨てろ!現実を見ろ!"である。


ちょっと話がずれた、要は、"オタク趣味"でモラトリアム、他にアイデンティティの対象を持たない人なんて、山ほどいていいはずだし、別にそれって他の趣味と一切変わらない、と思うんだけど。趣味で飯食うのは、何だって難しいさ。


あとね、それ以上に

いつまでもモラトリアムを続けているわけにはいかないのである。少なくとも、モラトリアムを続けることはだんだんに難しくなっていく

そうですね。そう思って、うまく現実と折り合いをつけている人だって、たくさんいますよ。僕は1980年生まれでここで言う"中年オタク"で最も若い部類だけど、ちゃーんと自分で手に職つけて、人並み以上に給料もらって、残業して深夜に帰ってからニコニコ動画を見てますよ。そしてまた会社に向かう。今日なんて、会社の同僚と、連休中にやったいろんな趣味の話をしたよ。ラグビーをやってるやつは試合に出てたし、サーフィンやってた奴は海に行きっぱなしだし、バンドやってた奴はライブイベントがあったし、僕はニコニコ動画と読破したマンガの話をしましたよ。ええ、それでいいじゃないですか。そんなもんですよオタク趣味なんて。


僕は思春期が終わったことなんてとっくに自覚してますよ。でもね、やっぱり子供のときに衝撃を受けたからきっと今度のエヴァ映画版は間違いなく見に行っちゃうわけですよ。それで何が悪いっていうんだ。三つ子の魂百まで。それがたまたまオタクだっただけ。


昔のオタクは、"オタク趣味"というものが、他の趣味よりもレベルが低いとみなされる環境下で、自分の趣味をひたかくしにせざるを得なかった結果趣味を"趣味"として成り立たせることができず、廃棄してしまったんだろうと思う。その意味では、古いオタクの人のほうが、かわいそうだと思えなくもない。


まあいいや、なんかよく分からなくなったけど僕の言いたいことはタダひとつ。


オタク中年化は、オタクの地位が一歩上がって"他の趣味"と同レベルになるという記念すべきすばらしき事象だということだ!!!!

クリエイターまで後一歩・・・でもしょうがないあきらめ就職するか。。。こっちは趣味でやろう

というルサンチマンを思いっきり経験すればいいのである。それって人間が誰しも通る道じゃない、と思うのである。

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