はてなキーワード: 悪魔の証明とは
これ性加害が事実なら会見求めるのも正当だと思うんだよ
けど、本人が否定してる以上、松本からしたら無実の罪について説明しろってことになってる
しかも、性加害があったかなかったかなんて悪魔の証明以外の何ものでもなく、会見時間を例え100時間設けたってなかったことの証明は出来ない
松本人志からしたら名誉毀損の被害者なのに、被害者にその負担を求めるのは流石にアホ過ぎる
実際、お前らだって性加害があったとして、その被害者に会見求めてないじゃん
本人からしても証明のしようのないことを会見で求められても答えられない
答えられないことを持ってお前らはまた叩きたいんだろ
そんな餌やりする馬鹿いないって
お前らさ
そのぐらいの賢さは持て
みたいな馬鹿いるけどさ
悪魔の証明も知らないのか?
どんな頭してたらそんな馬鹿なこと言えるのか
本当死んで欲しいわ
重要なのは訴えの内容と矛盾するような情報や訴えた女側にとって不都合な情報を隠してたってことなんだよ
明らかにされたら不利になることは、事前に説明しとくべきなのに、ワンチャン出てこない可能性に賭けて隠してる時点でお察しなんだよ
頭悪いな
マジで賭けようよ?
今回のサッカー選手無罪になるか、不起訴になるか、そもそも訴えた女が告訴取り下げるから
全財産賭けようぜ?
お前らも性加害があったかのように女を擁護してる奴らは賭けられるよな?
そもそも願望であるって自覚してるだろうから絶対お前らは賭けられないよな?
だからお前らはきしょいんだよ
スピードワゴンで思い出したけど、池袋の自動車事故で「電気系統のトラブルの可能性は否定できない」という主張に対して、
裁判で車を鑑定した警察官が、「電子回路の劣化など不具合はない」としたっていうのも悪魔の証明なんだがそういう指摘一切せずにリンチしてるよな。
「確率的にはずっと低い」とは言えるけど、「不具合がない」は嘘と秒で気づくのがまともなエンジニア。
本来なら元増田にある「悪魔の証明」が推定無罪の理由になるんだけどな。無罪を証明することよりも有罪を証明することの方が容易なのに有罪を確定できる根拠が出てこないなら無罪にすべきと考え方は自然だと思う。
自分は上で返信してる増田だけど、今の日本は有罪を証明する機能を有する機関が有罪を証明する気が無いケースがあることが問題だと思っている。そのために推定有罪で誹謗中傷を繰り返す人々が世の中にとって有益な働きをしてしまっている。
…この時点で不平等だよね?
ここまではまあ分かる。「炎上という名の現代の社会的制裁が必要(必要悪)」という結論も同意。その間が論理としておかしい
冒頭の不平等というのは、加害者側が不利という内容。(やってない証明の方が難しい=悪魔の証明って書いてるよね)
加害者側が不利なのに対して社会的制裁(加害者と目されている側を制裁すること)が必要という論理は意味不明だ。元々不利な方をさらに追い詰めることがどう全体に対して利するか、この文章からは読み取ることは不可能だ。
単なる誹謗中傷を社会的制裁などといって正義を気取るやつは相当な馬鹿だと思っている。増田においては論理的思考力に深刻な問題を抱えている人物が多い(もしくは少数のそういう人物による書き込みが多い)。きっと、現実世界が上手く行かない鬱憤を晴らすために正義を気取ることで訴訟リスクを背負っていることを理解していないのだろう。ただ、今の世の中にあっては必要な存在だと思う。
今の日本は正規ルート(芸能関係の問題に関するマスコミ、政治関係の問題に関するマスコミと検察)がハックされているので馬鹿どもが手前勝手な正義の元に誹謗中傷しまくることでしかお上が動かないので、社会的制裁(と馬鹿が呼ぶもの)が無いと(真の)加害者が断罪されないケースがあるので必要悪だというのが俺の意見。容易にえん罪が発生するので無くなるべきだが、それと同時に正規ルートの再整備がなされなければならず、そんなことができる強力なリーダーが早く現れることを願うばかりである。
神は本当に子らが「善行」を成すことを望んでいるのだろうか?
しかし、人類史上どの文明においても、悪魔崇拝を除いては、「善行を成すことで地獄に行く」というパターンに納得のいく理屈を与えられていない以上、0.001%以下のほぼ存在しない確率であっても、それにベットしておくことにデメリットはないのだ。
死後の世界で対面した神が、
「私はお前たち人間を心の赴くままに殺し犯し飲み食いするのを楽しむように創造してやったのに、なぜお前は私の願いに逆らって、不殺で貞淑で節制した生き方をしたのだ? 私に逆らったお前は地獄行きじゃ。あそこにいる快楽殺人鬼のように生きれば天国に行けたものを」
という裁きを下さないとどうして言うことができる?
それこそ0.0001%でもそうなる可能性はあるし、死後の世界や神の本当の意図なんて誰にもわからないのだから、「神が人間に悪行を望んで善行を否定するはずがない」と言うのは悪魔の証明ではないか。
仮に人間は死後99.999%の確率で無に還るとしても、死後の世界の証明が出来ない以上、残りの0.001%の中には天国なり地獄なりが含まれている可能性はある。
それならば保険として、とりあえず脳死NISAオルカンぶっぱよろしく、神でも仏陀でもなんでもそれっぽいものの存在を心の片隅にでも認めておいて、善行らしきものを細々と積み立てていくことにデメリットは存在しない。
別に毎週末教会に通う必要もなければ、よくわからん経を読み上げたり、神のために聖戦に参加することもない。ただ、日常生活に影響しない程度に、自分にとって都合のいい神を信じておけばいい。
どの神が本物で当たりなのかは知らないが、もしかしたら古今東西世界中すべてのあらゆる教えが実はたった一つの存在を指していた可能性だってなくはないわけで、どいつを選んでもどうせ大して天国行きの確率は変わらない。
しかし、人類史上どの文明においても、悪魔崇拝を除いては、「善行を成すことで地獄に行く」というパターンに納得のいく理屈を与えられていない以上、0.001%以下のほぼ存在しない確率であっても、それにベットしておくことにデメリットはないのだ。
宗教はどうでもいい。死後に天国がないという悪魔の証明が成立しない限りにおいては、己の望む天国行きのチケットを手に入れるために、己が信じる善行を成せばいいだけ。