はてなキーワード: 政治倫理とは
ネオリベだか新自由主義信奉者が憲法遵守で信仰の自由云々言うてる。
例えばヤクザ、結社の自由で合法なんだが、これ世界中で日本だけ。
アホかと、
どんな国でも結社の自由が保護されてても犯罪組織の結社の自由なんて認めんのよ、
たりめぇだろw
その組織のメンバーってだけで犯罪になる、個別具体的に犯罪実行してなくても
ところが日本は自由で野放し、結社の自由、憲法だと、戦前の反省だと
組長は手を出してない、指示もしてない、部下が勝手にやった。
アホかとw
ところが表現の自由のポルノとの関係を考えりゃ一定抑制されるのは当たり前で
結局のところは憲法解釈をどこで線引するかは国民、立法、行政の裁量であって。
統一みたいな宗教もどきを容認するのか、それが国民の意思であるかを議論すりゃいい。
てかコーラン神学だって現代法との折り合いはもっと柔軟にやってるわ。
好きなのは、自動車でラクダを轢いたときの責任、昼間ならドライバー、日没後なら管理不全の飼い主。
宗教の皮かぶってようが人を不幸にする実態があるなら規制すりゃいいじゃない。
1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「倫理にもとる行為」「倫理観」「政治倫理」
2 「倫理学」の略。
私は全人類が共通して守るべき倫理があると信じる者だが、それがどのような内容なのかは分からない。
キリスト教徒にはキリスト教の倫理があるだろうし、イスラム教徒にはイスラム教の倫理があるだろう。
同様に日本人には日本人の倫理があり、アメリカ人にはアメリカ人の倫理があるはずだ。
「倫理観のアップデートを」と書いてあるが、それはどの倫理規範を指すのだろうか?
それぞれがそれぞれの倫理を尊重する表現をするならば、それは現状と何ら変わりがないだろう。
逆に言えば、植松の理論は「障碍者は人間ではありません」という主張なわけだ。
まず第一に、心情がある。障碍者の息子が生まれたときに、母親に「これは人間ではないっすね~」とかアホか。そんなことにしたくない。
第二に、無知のヴェールで有名なロールズ的な判断、功利主義の理屈がある。もしも植松は自分が障碍者になったときに、自分が人間ではなくなったと認めるのか。そうではないだろう。だいたい、それはリスクだ。リスクは少なくすべき。
第三に、政治倫理思想面の困難も発生する。障碍者といったって軽度と重度がいるわけで、極論、メガネが必要な人は視力障碍者だよ。そのすべてをの非人間扱いするわけでない以上、線をどこかで引くわけだが、それはどうするのか? 植松は喋れるかどうかみたいな雑な判断で線を引いたけど、それが正解とは限らないよね。植物人間のときにも赤ん坊の中絶関連でも散々もめてる。答えなんかでるわけない。一律で人間扱いするのがベストだと思う。
いま盛んに報道されてる、植松批判の話も、だいたいは「障碍者が『人間』じゃなくなるのがヤバい」と言ってると思うよ。障碍者当人の言葉だったりするから、心情面に話がよりがちで、元増田みたいな考えの人にはお気持ちにしか見えないかもしれないが。