はてなキーワード: きっと大丈夫とは
あぁ絶対あの子今アイツと通話してるんだ。どっちから持ちかけたのかな。あの子かな、それともアイツかな
私とは一切連絡取らないのにその子には連絡してるんだ。そりゃそうだよね。私なんかと話してても楽しくないしつまんないもんね。
昨日私の通話の誘いドタキャンして、ごめんやっぱ無理だって言っといて、その子とは通話できるんだ。
昨日の今日で。
ここで私が「通話してんの!?混ぜて!?」って即レス出来たら苦労しないんだろうな。変に高いプライドとクソみたいな自意識が邪魔するけど。
お前のこと特別視してるのは私の方だけで、私はお前にとっての数多いる友人の一人でしかないんだろうな。友人でいられるだけマシだと思わない?そうかもね。
そもそも特別視されることでお前はいつも困ってるもんね。私がそんなことになったらますますお前が離れていくって分かってるのにやめられないのは私の落ち度。
夜だからこんなこと考えるのかな。そんなことないよ。いつだってお前とお前の友達のこと考えると嫉妬で狂いそうになる。私が、私だけがおかしい。みんなはおかしくないのに。
匂わせみたいにディスコードに2つ並んだメッセージを見るのが苦しい。管理者権限でどっちか消してやろうか。でもそんなことも出来ないからどうしたって私は常識の中で苦しいまんまなんだよな。
そもそも今までそれをやっていたのは私だったんだよな。同じことをやった事があるからお前の動きが手に取るように分かるんだよ。通話して「良いじゃん」「みんなにも言っとこう」「返事するからさ」って所かな。仲良いね。ハハハ。ウケる〜。
みんなも匂わせ喰らって苦しかったのかな。多分違うんだろうな。仲良しグループの中で私だけがアイツに一方通行のクソデカ感情向けて帰ってこなくて苦しくて、たまに通話するだけでバカみたいに舞い上がってるんだろうな。何度でも言うけど私だけが。
学生の頃はよかった。人間関係が閉じた空間の中で形成されてて、アイツは結局私だけのものだった。だけど年取って、他の人間が私とアイツの2人だけのコミュニティに混入してくるようになって、それが私は辛い。大学の学部を合わせなかったのが彼女に負けた敗因なんだろうか。だけどアイツの選んだ学部に興味が本当に無くて、別の学部を選んでしまった。そこで狂えないのが敗因なんだろうか。それとも最初から負けてたのかな。
アイツ早く大学卒業してくれないかな。そしたらみんなバラバラになって同じスタートラインに立てるから。
今いるグループだって、そりゃ、今のグループの何人かはは私がアイツに紹介した人間だよ。だけどアイツが私との付き合いを1対1から対グループの付き合い方に変えるなんて思ってなかったんだよな。人が増えても私はアイツの特別で、他の人がいたってきっと大丈夫だって思ってた。でもそんなことは全然なくて、結果自分で紹介した人間にアイツを取られそうになって苦しくて悔しい。結果増田に夜な夜な吐き出して、気持ちの整理を無理やりつけて寝る日々が続いてる。
他のグループのみんなも大好きなんだよ。一番仲のいい大事な友人たちだと思ってる。アイツを私から奪っていくあの子だって、アイツさえ絡まなければ私は普通に接する事ができるのに。そんな風に責任転嫁してあまつさえアイツのせいにしてる所で既に私の底が知れている。
馬鹿みたいなマッチポンプだなって自分でも思う。私と付き合ってくれるような友人2人と私を揃えたら、どっちもまともで良い子なんだからそりゃゴミカスの私抜いて2人になるに決まってるじゃん。何を勘違いしてたんだろうな。
私が選ばれないのは、勝手に拗らせて苦しんでクソデカ感情投影して、自分と同じ質量の感情を返してもらえないからって拗ねるそのワガママっぷりが原因なんだよ。分かってるよそんなことは。普通に考えて気持ち悪いだろ、自分にそんな理想押し付けてくる奴さぁ。
お前を好きなのやめたい。
でもお前とまた通話したら、私は馬鹿だから今の怨嗟なんか全部すっかり忘れて舞い上がってお前のことをもっと好きになるんだろうな。
苦しいな。これが恋愛だったら告白してさっぱり振られることが出来たのに、友達だからそうも行かない。
なんでお前のことこんなに好きなんだろう。今日の昼までは久しぶりに会えて家族に会って、彼氏とデートの約束して、いっぱい検索とかしてあんなに幸せだったのに。お前の動き一つでなんでこんなに情緒をグチャグチャにしないといけないんだろう。
いつから彼氏よりも家族よりもお前が大事になっちゃったんだろう。私が望むものは何も返してくれないって分かっててもやめられない。
馬鹿だなぁ。本当にな。
繋がりを切りたい。その後正気でいられる気もせんけど。
自分が全部間違ってるって分かってる。
結婚に限らず、仕事で新しい事業始める時だって、100点満点で何の心配もない状態で始められるわけじゃなくない?
働き始めて結構びっくりしたんだけど、世の事業って、けっこう心配事かかえたままスタートしてるもの多いよね。こんな状況でGOしちゃうの!?こんな状態でプレスリリース出しちゃうの!?みたいなのもあったり。通すための資料上は綺麗なことが書いてあるんだけど。懸念点いっぱいあっても「大丈夫まかせてください」って顔してみんな仕事進めてる。まあ一度「進める」って決めたら、出来ます!って顔するしかないよね。
自分なんかは、抜けなく漏れなく懸念点を全部つぶして…って進めていきたい方だから、そういうプロジェクトは胃がキリキリするんだけど、多少心配な点があっても「きっと大丈夫!なんとかなる!なんとかしよう!」って舵切れる人が、仕事をガンガン前に進めてくれるんだよなあと思うこともよくある。自分は絶対にそっち側の仕事(新しいサービスを考えて人を巻き込んで実行していく)はできないなーと思うし、インターネット上だとそういう軽率・軽薄とも言えるタイプってたたかれがちだったりするけど、新しいことみつけて次の時代作っていく人たちは、あっち側のひとなんだろうなー、ともボンヤリ思う。
自分も増田と同じような思考をもっているので、結婚したり子供つくったりなんて出来る気がしない。ポジティブで未来を信じてて目的のためにはしれっと堂々とした顔できて次へ進んでいきたい人たちが、結婚したり子供を作ったりしていくんだろうなあ。そんな思考回路にはなれないから、うらやましいなあとも思ったりもする。でも、ここまで何十年の人生で出来上がってしまった価値観なので、なかなか変えれないね。
元増田です。そんなこんなで安定期に入った妻が無事出産しました。出産に至る経緯です。
ワイ「マジですか」
医師「マジ」
ワイ「………」
ワイ「そこ関係あるんですか」
ワイ「りょ」
ワイ「ところで手術って精子があるかの検査と、精路再建とあるらしいじゃないですか」
医師「そうだね!」
ワイ「検査を先にやらなくてもいいんですか?」
医師「再建手術の一貫で検査やるから、検査結果悪かったら再建やめるだけだよ!}
ワイ「マジで」
医師「マジ。だから早く目が覚めたら(麻酔から覚めたら)精子やっぱ無かったんだって思ってね!」
ワイ「りょ」(きっつ)
ワイ「マジで」
医師「マジで。とりあえず4週間オナニー禁止ね。ほんで4週間後の検査日に精子取ってきてね」
ワイ「りょ」
ワイ「ハァハァ………ウッ!………わーなんじゃこりゃ。なんかすげえ色の精液が出たやんけ」
医師「ああそれは再建が上手くいったかを確認するための染料の残りだから大丈夫だよ!」
ワイ「りょ」(先に言ってください)
医師2「人工授精と顕微授精をやった結果、人工授精での受精率がめちゃくちゃ低かったので、増田さんの精子か妻氏さんの卵子かの妊娠する力が低いっぽいよ」
ワイ「マジで」
医師2「マジで。でも今回受精卵が8個くらい保存できたからこれで足りると思う」
ワイ「では、あとはそれを妻に戻す段階なんすかね」
医師2「いや、妻氏さんめっちゃ子宮筋腫ってるからそっちのクリーニング先にやった方がええよ」
ワイ「りょ」
ワイ「返事する前に見せてくるのやめてください。うわーめっちゃ取れてる」
ワイ「うわ、一番デカいやつ野球ボールくらいあるやんけ。こんなんあったらそら痛かったやろなあ」
医師3「子宮が回復してからじゃないと受精卵戻しちゃだめだからね!」
ワイ「りょ」
妻氏「血が出た」
ワイ「マジで」
妻氏「医師2が当面安静にしてろって」
妻氏「ごめんね」
ワイ「ええんやで」
妻氏「破水しちゃった」
ワイ「マジで。早くない?」
妻氏「元々の予定日より3週間早い」
ワイ「とりあえず病院や」
そんなこんなで足掛け4年かかった不妊治療の末、帝王切開で無事産まれました。嬉しい
お祝いのコメント等本当にありがとうございます。
4年かかりましたが、これでも恐らく順調な方なので、不妊治療って時間かかりますし、検討されてる方は早めの治療開始をおススメします。
不妊はけっこう遺伝するという説があるそうなので、子供が無事に大きくなったらこの体験は伝えようと思っています。一昔前なら不能ガイジだった私でもなんとかなる現代医療様様です。
青みがかって(染料の色)、茶色交じりでもあり(恐らく手術時の出血の名残)、なんかすごかったです。
違います
生理痛がきつい人は筋腫がデカくなってる(悪化してる)こともけっこう多いそうなので、婦人科を受診してください。
やっぱり『すごく痛いのはおかしい』という認識を生理でも持つことが大事なようです。
遺伝・体質だそうですw 放出されなかった精子は体内に吸収されるので関係ないかと
本文書き間違えでした。申し訳ありません。採取した卵子を半分ずつ体外・顕微でやってみたところ、体外の方が顕微に比べて極端に数字が悪かったため、そういうコメントでした。
テンポ重視のため割愛しましたが、医師1=私の泌尿器科の主治医、医師2=不妊クリニックの主治医、医師3=医師2が紹介してくれた大きな病院の婦人科医、です。
ありがとうございました。
私は多分ミーハーで、色んな物に手を出しては飽き、手を出しては飽きを繰り返してきた。
何かTwitterでよくみるなー、からはじまり検索し、するするとはまり、気がつけばそこまででも無くなっていた。
男性アイドル、女性アイドル、アイドルオーディション番組、二次元コンテンツ、‥‥
毎回今度こそハマった、終った、と思っていた。
この終った、、って何なのかね。
くそでか感情を抱く度に引き返せ、無理だ、もたない、と焦りを抱いてしまう。
ちょっと飽きてくると安心する。よかった、いつも通りだ、と思う。
今これを書いているのは久々にくそでか感情が昨日きたからです。
ちょっと焦ってるけど私ならちゃんと飽きてくれると思ってるからくそでか感情を残しておこうと思いました。
流行ってるなあ、何かよく炎上してるなあみたいな外野だったころの記憶がある。
けどどこから転がり落ちたかは覚えてない。二次創作を漁り始めたころからか、、
皆個性的だなあ位の公式のキャラをよくあそこまで癖に刺さる様に仕立てあげるよね、、
深掘りした上で出てきた攻撃性の高い何かを自然に全面に纏わせられたら錯覚してくそでか感情抱いちゃうよね、、
昨日気付いたら一日中Twitter見ながらにやにやしてたしTwitter見てなくても皆のこと考えちゃうし心がざわざわしちゃうし久々のくそでか感情でしたわ。
外野だった頃、癖(へき)乱れ打ちみたいなコンテンツだなと思ったけど自分もやられるとは。
早く飽きたいけど今回時間かかるかなあ。癖キャラが多いし寮みたいな概念好きだからなあ。
きっと大丈夫でしょう。
私、飽きやすいので。
飽きたらまたここ見に来ようっ
もうすぐ1年が経つ。多分当日は、とてもではないがインターネットを見れる精神状態ではないだろうから、今日、自分のために書く。
7月18日、僕は友人たちを失った。
何度もメッセージをLINEを送り、早く既読になってくれと祈り続けた。携帯電話を家に忘れていったかもしれないじゃないか、まだ何もわかっていないきっと大丈夫だと僕は何度も何度も自分に言い聞かせた。
ニュースで報じられるたび、どうか違うスタジオに出勤していてくれ、あるいは今日は休みであってくれと祈った。
亡くなった人の数がどんどん増えていって、彼の無事を祈ることはほかの人の死でそれを代替えすることだと分かっていても、僕はそう願わざるを得なかった。
当日に連絡がつかなくても、「まだ落ち着いていないからだ」と何度も言った。僕は以前、似たようなかたちで大切な人を失っている。だから、もう二度と、そんなことは自分の身にも自分が大好きな人の身にも起こらないと信じていた。
やがて、僕の元に訃報が届いた。
僕は、まぁ中年と言われるような年だけれど、ほかの多くの人が味わわないような凄惨な亡くなり方を自分のごく親しい・近しい人で見てきて……、しばらく自分が死神のように思えて、精神科にも何度か通った。
どう受け止めればいいかわからなくて、今も受け入れられていない。
ニュースから遠ざかり、でも情報が欲しくて、気が狂ったように調べまくった。映像と音声で勝手に耳に飛び込んでくるテレビとは異なり、ネットは自分の意思で能動的に、嫌悪感のあるものを避けて情報を手に入れられるから助かった。僕はしばらく、テレビが怖かった。テレビを見られるようになったのは、年が明けてからだったと思う。
大げさだと思う人もいるかもしれない、そんなことあるはずがないと思う人もいるかもしれない。
だけど、人の前で笑えるようになった今でさえ、あの日から1日たりとも、友人たちのことを考えない日はなかった。
夢を語り夢にたどり着き新たな夢を思い描いていた顔しか、僕は知らない。
同じ世界に生きていて明るい世界を目指していた顔しか、僕は知らない。
それなのに、一人の狂った犬によって、僕の大切な人たちが奪われた。そして、多くの人も、多くの大切な人を奪われた。
どうか、あのクソ野郎よ死んでくれ。
裁判をして何になる、”真相”とかいうものがわかって何になる?
あのクソが奪った尊い人たちは、自分の気持ちを口にすることもできなかった。
裁判の席に座ることも、自らの苦しみや痛みを語ることもない。
なのにどうしてあのクソだけが、得手勝手な”真相”というものを語ることが許される?
法の裁きは平等に行われなければならないし、あのクソを弁護する弁護士の人にも、医療従事者の人にも、そしてあのクソの家族に対しても、僕は悪い感情は持っていない。
法の裁きに委ねられ、法の元で裁かれることが望みだし、私刑なんか許されてはならない。
それはわかっている。医療従事者は目の前の患者に全力を尽くすべきだし、弁護士は弁護される側の利益のために動くし、法は平等であるべきだ。
だから、だれの手も煩わせずに、苦しんで苦しみぬいて死んでほしい。ただ死んでほしい。だれが何と言おうと、僕はそれを願う。死んでくれ。どうか死んでくれ。
どこにも言えない。どこにも書けない。だから、匿名の、僕が僕ではないところで、こう願う。
あの日以来、ずっと忘れることはない。1日たりとも忘れたことはない。
これからもずっと考え続けることになると思う。
なんで、世界でだれひとりとして生きることを望んでいないあのクソが助かって、罪のない友人たちが死ななければならなかったんだろうと。
ひどく疲れてしまった。
感想要約
『天気の子』は"子どもたち"(陽菜さんと帆高さん)が自然災害と対立する話ではなく,実際には"大人たち"と対立する話であるという視点が大事だと感じた。
『天気の子』では"大人たち"や社会は,"子どもたち"と"世界の仕組み"のふたつを無視していることが描かれる。
そして偶然にもそのふたつを兼ね備える子どもたち,つまり世界の仕組みを担っていた子どもたち(陽菜さんと帆高さん)が,今度は今まで自分たちを無視してきた社会を無視するという決断をする。
この決断が天気の巫女をやめて東京沈没を選ぶということだった。
①自然災害は無慈悲かつ強力なので人々は受け入れるしかないが,天気の子を人柱にするなどの方法はあった。(これが"世界の仕組み")
②しかし世界のことに興味を持つ"大人"はほとんどおらず,大人の多くは自分の生活を優先していた。
同様に子どもたち(帆高や陽菜さんたち)を優先する大人もあまりいなかった。
児童保護施設は陽菜さんたちがあのまま暮らしたいという意思を無視した。
須賀さんも家出した帆高が東京で暮らすことを手助けしていたが結局は娘のために帆高を島に帰らせようとした。
③大人たちが良識的で常識的な対応を続けた結果,帆高たちは追い込まれてしまった。
帆高は一度は手に入れた3人暮らしの幸せをもう一度実現するために,人柱になった陽菜さんに対して帆高は自分たちが幸せに生きるために社会のことは無視しよう,と伝える。
④数年後に帆高が東京に戻ると,何人かの大人たちは東京沈没を受け入れている様子が見られた。(もともと海だった場所を埋め立てた土地がまた海に戻った,など)
これは①の自然災害は受け入れるしかないものという態度が一貫している。
帆高はこれで本当に良かったのかと自問する。そして自分たちならきっと大丈夫だと確信して終わる。
改めて,帆高と陽菜さんの決断はよかったかと考えるとあんまりよくはないだろう。
最も良い可能性とは大人たちが子どもたちのことを理解し,世界の仕組みを知り,一致団結して自然災害と対峙することだった。しかしそうはならなかった。
じゃあ陽菜さんの命と東京とでどっちが大事か,とか聞かれてこっちですとか言える人もあんまりいないだろう。それはつまり帆高のやったことが間違ってると言える人もあんまりいないということである。
そもそも帆高たちには人柱と東京を選ぶトロッコ問題のスイッチがたまたま与えられただけで(陽菜さんにとっては自殺か東京かを選ぶスイッチである),彼らは別に英雄や総理大臣とかじゃない。彼らが人々を助けなきゃいけない理由も特にない。
だがしかし陽菜さんは一度は晴れを届けるという形で人々と関わることを自分の生き方の形として納得していたので,陽菜さんにとって人柱になることはそういった生き方の延長線上にはあったかもしれない。
帆高の言葉は,そうやって新たに獲得できたばかりの天気の巫女というアイデンティティも捨てて生きていこうという提案だったわけだ。
この辺は前作の『君の名は。』より話が一段階難しくなっているなと感じる。『君の名は。』では,三葉は隕石から町を守るにあたって父親(大人たち)の協力を得られなかったが,結局子どもたちだけでうまく問題を解決することができた。
一方で『天気の子』では東京沈没はうまく回避できなかったし,世界の在り方だけでなく,これから陽菜さんたちはどう生きていけば良いのかという彼ら自身の問題まで提示されている。
『君の名は。』の話を出したので,『天気の子』含めこれら2作における"世界の仕組み"観についてちょっと振り返る。
これら2作では何か神様のようなものがもつ絶対的なルール(黄昏時とか入れ替わりとか天気の巫女とか)と,自然が持つ絶対的な脅威が関連している。
これらは新海誠監督の美しい自然の描写や生々しい街の描写によってより説得力を持つものになっている。
まず世界に都会(東京)と自然があり,そしてその両方を支配している絶対的なルールがある,というのが世界観の基本にある。そして2作ではその絶対的なルールに巻き込まれた若い男女がテーマとなっている。
都会と自然の中に同じ神秘的な仕組み現れるというのは現代のアニミズム的な思想を感じる。
『君の名は。』では神秘的な存在というのは,神の領域としてしか現れず,つまり肉体(?)を持つ神様のようなものが目の前に現れるということはなかったが,『天気の子』では雲の魚や龍のような存在が描かれていて,神秘的な存在の具体的な描写が新しく行われていると思った。あの龍みたいなやつかっこいい。
ちなみに雨が続くやつは台風ではなく巨大な寒冷前線(真夏に雪が降ったのも特徴)として描かれている。これは非現実的な災害として描かれていた。
『天気の子』の大人たちについて,彼らの対応が極端に間違ってたかというとそうでもないだろう。一応,陽菜さんが空に消えた夜に多くの人が陽菜さんが泣く夢を見たらしいが,それでも天気の巫女とか信じて行動するのは難しいだろう。
とくに刑事たちの働きぶりは淡々としていて彼らの思想が見えてこないと最初は感じたがむしろ仕事に内面が出ないというのがまさしく大人らしい態度だったのだろう。
高井刑事が帆高にイラついたり,安井刑事が泣いている須賀さんに声をかけるというシーンは彼らの人間味を出しているが,しかし彼らはとくに雨や天気の巫女については言及しなかった。(つまり世界の仕組みを認知していないあるいは興味がなかった)
その一方で,世界のことに興味があり,また就活中の身でありながら帆高や陽菜さんを助けるためにバイクでお尋ねものになってくれた夏美さんは"大人たち"には全く当てはまらない人物として描かれていると感じた。
夏美さんのこの作品における存在意義,特に就活に失敗するような描写がなんの意味をもっていたのか,夏美さんが持つ就活の問題が帆高たちとの関わりでどう変化したのか,あるいは変化しないならなぜそんなシーンを入れたのかを結構不思議に思っていたのだが,こう考えるとあのシーンは夏美さんが大人たちの側の人間ではないことを描写していただけだったのかもしれない。
ついでに帆高が銃持つ必要あったのかという疑問もあって,最初は陽菜さんの天気の巫女の力と対比するための帆高の力として与えられたのかな〜〜くらいに思っていたがあれもやはり帆高と社会の対立を深めるための舞台装置だろうと思っている。
『天気の子』は大人たちと子どもたちの対立を強調しているが,これらに当てはまらない大人も当然いた。
天気の巫女と人柱の仕組みについて知っている老人や,雲の上についてはしゃいで話す研究員などは世界の仕組みに関心のある人たちだった。また立花さんや天気の巫女の一環で関わった人たちのように,誰もが帆高たちの邪魔をしていたわけではない。
須賀さんについて振り返ると,家出の理由を明かさないがとにかく東京で暮らしたいという未成年の帆高の意思を初めて尊重し仕事と住処を与えたひとだった。しかしやがては帆高を匿うことのリスクを考えて,万札と帽子を渡し帆高に帰るように伝えた。
帆高の家出の理由は最後まで明かされなかったが,深刻な事情があるかないかに関わらず意思を受け入れるというのは尊重の仕方として正しい形だろう。
須賀さんは最後は帆高のもう一度陽菜さんに会いたいという心に,妻を亡くしもう一度会うことが叶わない自分と通ずるものを感じたのか,警察と対立し帆高を解き放つ選択をとる。
ここは帆高解放連盟のなかでも夏美さんや凪(先輩)たちとは全く違う動機を持っている感じがする。須賀さんはなんというか常に帆高を対象として動くキャラだなという感じがした。初対面でビールをたかるシーンからは想像できないキャラクターの広がり方だった。
そんな感じで『天気の子』はどうにもならない話だったという感じがあるが,帆高はまだ未来があると確信してたので今後に期待大。
帆高まとめ
お給料は高いんだけど 水銀を扱う仕事に よくつきたいなーっておもう
息子を是非 水銀師にっていう お母様が増えて 国も 水銀のとりあつかいを 小学校から 教えるべきだ!といいだした
でも こんなしごとでもいいから なりたいとか
こんなしごとでもないと 息子の 口斑がないっていわれると なんとかしようっておもう
いっしょに すこしでも 生き延びようね
そろそろ 現場投入をしないといけない
というりくつで
現場も これ以上は難しい
言いたいこと
20を超えたおとなになって
お給料が高いよ の意味がわからないとか キャバクラで言われてもな いみわかるよね 普通
しらなかったって言われると困るから 念の為 お母様にも言った。これで準備はできた。新人を受け入れるぞ!
猶予期間
さまざまな措置はとった
もう大丈夫だろう
がんばろう
そんな訳はないと思うんだけど 某ヘルスのおねーさんに 最近保護者の人が安全上のデータみてなくね?って コロナとかで言われるようになったので
ねんのため
あっちの業界で言う
ゴムの付け方ぐらいはしってるよな?
同姓じゃないとな 無理な話はあるからな。
生まれ育った赤羽が好きだ。何年か引っ越しで他の県や区に住んで穴を空けていた期間もあったけれど、一昨年帰ってきた赤羽は数年前となんら変わらず赤羽だった。センベロだなんだ、住みやすい街だなんだともてはやされ、小綺麗な飲食店が増えても大学のキャンパスが出来てもなかなか洗練されない赤羽。
新宿やら池袋やらで友人たちと飲んだあと、終電ぎりぎりで赤羽まで帰ってきて、改札を抜けて広がる光景。酔いすぎた男女が絡みあっていたり死ぬほど具合悪そうな人がいたり、終わったはずの自分の飲み会がまだ続いているような錯覚に陥る赤羽。数居る酔っ払いがトラブルを起こさないように警察が巡回しまくっていて逆に治安が良い気がする赤羽。
街と同じように洗練されない赤羽住民。ヨーカドーにGUが出来ていてうれしかった。駅前のアストリアってずっとあるけどなんで潰れないんだろう。
まるで自嘲のように赤羽を卑下することはあっても赤羽は埼玉県だとか他人に言われると怒っちゃう。市外局番だって立派に03。
コロナが流行する前にそんな赤羽からまた引っ越しをした。数々の飲み屋はいまどうなっているのだろう。人の量は減っているのだろうか。何年経っても赤羽は赤羽だったから、きっと大丈夫なことを遠くの地から祈ってる。
会社に2歳児のようなの50代がいる。
彼女は自己万能感が強く、自分がいないと会社の仕事ができないと思っている。
「あたしがいないと、この仕事は良いものにならないんですよ!!」とは彼女の言葉。しかし、特殊スキルもなく、仕事のクオリティも並である。
会議でもメールでも、自分が入っていないと拗ねる。メールの宛先に入っていないと知ったが最後、メールを転送してあげなければならない。
会議は呼ばれていないのに「お待たせしました〜」と飛び入り参加。
自分が仲間外れにされている=大切にされていないと感じると、不安で不機嫌になってしまうのだ。
彼女はなんでもやりたがる。まるで小さい子供が「自分がやりたい!」と言ってお父さんお母さんを困らせるみたいに。
ただし、やりたがるのは皆から注目されると当人が思うもの限定。日陰の仕事はいくら重要なものでもやらないで他人に押し付ける。
その時は「業務指示するデキル女」風味の演出はバッチリ欠かさない。人が自分の指示で動くのが気持ちいい。これも幼児の特徴。
相手をまくし立てるように言うと、自分の言うことを聞いてくれるという成功体験から、自分の意見を通したい時は、感情的に興奮して話すようになったみたいだ。
よしよし、わかった。うんうん、そうだね。
と言って、彼女の言うことを聞く。
彼女は仕事をしたら、「見てみて〜私こんなすごい仕事したの!」とアピールも忘れない。
うんうん。すごいねえ。
こんな彼女もあと2年で還暦。今まで独身で、正社員で働き続けるって大変だったでしょう。お疲れ様でした。
3年後は再雇用ですね。今からお給料が下がることを心配していらっしゃいますが、きっと大丈夫。
弊社はコロナ禍の前までは再雇用も全員していましたが、今後はどうなるかわかりません。
みんな一緒に放り出されるかもしれませんね。
よく、1人は嫌だと言っていますが、みんな一緒ですから、貴女も安心ですね。
早くお隠れあそばせればよいのに。
できた子供への実感のなさ、家族の形が変わることへの不安、漠然とした自信の無さと不安、みたいなのは誰だってあるぞ
なので増田にはどうか、それは当たり前のことと思って欲しい
それは思っていいことなんだよ
俺もはじめての子供の時、妻の妊娠が分かってから不安はいっぱいあった
その時に二児の父である先輩が言ってくれたのは
「その気持ちはわかるよ。でも生まれて今となれば、子供がいなかったらなんてもはや考えられない」
そのくらい当たり前にそこにいて、大切なものになるよ
大丈夫だ
俺も実際、赤ちゃん産まれても実感はなく、可愛いと思わないわけではないけど、なんや新しい動物がおるな、仕事増えたな、という気持ちが率直に言えば全てだった
2か月ほど経つと赤ちゃんに表情が出てくるので、その辺でようやく人間の子供と認識するようになり、愛情レベルが増し始める
自分の意思で何かを考えて動いているな=ねこ程度に感じるのは10か月くらいからかな
そのあたりでだいたい、俺の子やな、俺の子可愛いなが定着してくる
男親ってそんなもんな気がするよ
頑張ってる妻に対して、気楽で申し訳なさすぎる
でもまあ、そうやってゆっくり親になっていっても、許されると思うよ
妊娠の方法に関しては、その気持ちはわかってあげられないかもしれないけども
でもさ、増田は朝オナニーしただけって言うけど、俺も妻とセックスしただけだよ
そんなに違うか?
男にとっては、幸せを感じて子作りを、というより、エロい気持ちで射精するだけじゃん
一緒だよ
とりあえずだな
妻は偉いよ
こっちはうじうじ悩んでゆっくり親になる間、母親だって絶対似たような気持ちも持ってるはずなのに、日々の生活と片時も離れられない育児の時間に対応せざるを得ないんだもの
母親は、妊娠中も子はすっとお腹にいるし、産まれてからもずっと赤ちゃんそばにいるし、逃げて悩む暇なんてほぼないんだよね
めちゃくちゃ大変だよね
でもそれに罪悪感を感じる必要もなく、妻にいっぱい感謝して、心がまとまればしっかり愛情かけてやればそれでいいと思うんだ
きっと大丈夫だよ
楽しみだね
腎不全は初期にわかったから数値もそこまで悪くなくゆるやかに進行していたけれど、食欲不振を何度か繰り返して元々細身の身体はさらに小さくなり、先月とうとう2kgを切り点滴が週2回になった。
だんだん目が悪くなって耳も遠くなり、歩くのもゆっくりになって、時々アオーと大きな声で鳴いたり徘徊もしていた。
もう19歳だし老化は当たり前の事だからそんなに気にしていなかった。
私が帰ってくるとはやく膝に乗りたいと急かしてニャーニャー鳴き、膝に乗ると後ろ足で立って抱きつくように肩に両手を掛けてくる。
抱きしめて撫でながら頬擦りすると猫が小さな頭を寄せてうれしそうにゴロゴロ言ってくる。
机に乗って目線を合わせ、相手してと手を招き猫のように上下に振ったり私の頬をペシペシ叩いて来る。
今まで出会った猫の中でこんなに甘え上手でかわいい猫はいない。もう猫じゃなくて全く別の特別な生き物なんじゃないかと思うほどかわいい子だ。
長く一緒にいるのに猫の写真はあんまり撮っていないし動画もない。
猫がカメラやスマホ向けるとムッとした顔したりすぐに顔を反らすからほとんど寝てる姿しかない。いつも膝に乗ってるし。
本当にかわいい顔をしてる美猫なのに。
その猫が先月、急に風呂場に入りたがるようになった。
夫の後をついて回る事も増えた。
その日、いつものように病院で点滴して帰って来ると部屋中をひたすら徘徊し始めた。
無言で壁に頭をぶつけながらずんずんと歩き回り隅で固まってまた歩き出す。
抱っこして撫でて呼びかけても目は遠くを見ていて何も反応しない。
ごはん皿も水入れにも平気で足を突っ込みほとんど休まず歩き続けていた。
翌日また病院に連れて行き、痛み止めの注射をしてもらった。点滴で痛かったのかもという事だった。
横になる時も頭を真っ直ぐにして必死で寝ないように耐えていた。
抱っこして水をスポイトで飲ませると落ち着いて少しだけ寝るのに気づいてからなるべく抱っこして水を飲ませて撫でたりブラッシングしながらたくさん名前を呼んで声を掛けるようにした。
肉球がひんやり冷たくなっていた。
2日後病院で先生に「実は今日猫に会えないかもと思っていた」と言われた。
まだ全然心の準備なんて出来ていない。
6年前に手術後に2週間絶食状態になって、3.5kgだった体重が2kgまで落ちたけど強制給餌でまた食べてくれるようになり、3.4kgまで戻った。
病院で点滴して帰ると徘徊が再開し、所構わず粗相して目を離すと家の中の細い隙間に挟まる。
部屋の1畳分を柵で囲ってペットシーツを敷き詰めたスペースを作り、いつも寝ているベッドとキャリーケースを置いて猫にそこで過ごしてもらう事にした。
スペースの中でもぐるぐる歩き続け、柵をよじ登って抜け出そうとする。
猫は病院での点滴は怖がってじっとしていない。
いつも病院に行く時は必ず前日と当日に病院行くよと声を掛けていたけど、帰りはお疲れさま、がんばったね位しか声を掛けていなかった。
ほとんど目が見えなくなった猫はもしかしたら病院の行き帰りがわからなくて自分がどこに居るのかもわからずパニックになっているんじゃないかと思った。
猫におうちに帰ったよ、大丈夫だよと声を掛けながら撫でた。
とにかく抱っこして声を掛けて撫でてブラッシングして、いっぱい褒めながらほんの少しの流動食を飲ませた。
病院の先生は無理に食べさせたり水もあまり飲ませないようにと言っていたが、相談して少しだけ食べさせる事にした。
猫の様子が変わってしまってから6日後、朝起きて囲いを覗いたらしっかりした声でニャーと3回鳴いた。
よかったねと撫でたら小さくゴロゴロ言った。鳴き声もゴロゴロも久しぶりで夫と二人で泣いた。
水を入れた皿を口元に持って行ったら自力で飲んだのでまた泣いた。
それから様子がかなり落ち着いたけれど、歩き回り続けた事で体重が一気に減り1.7kgから1.5kgになってしまった。
病院での点滴は2日おき。猫には必ず病院行くよ、おうち帰って来たよと何度も耳元で声を掛けるようにした。
険しくなっていた顔つきは穏やかになって目の力も戻った。
猫は近づいたり撫でると子猫のようなかわいい声でニャーニャー小さく鳴いて少しゴロゴロ言うようになった。シッポもパタパタ振って返事する。
夜になると時々ニャーって呼んでくる。
また以前のようになった猫は天使のようでめちゃくちゃにかわいい。
ミルクを飲ませるとチュッチュッと飲んでうれしそうにシッポを振る。
でも、流動食も水分もほんの少しがやっとですぐに疲れて寝てしまう。
点滴だけでなんとか生きている状態だから体力は日に日に衰えていく。
私は毎日不安になりながら仕事に行き、帰宅して猫の様子を確かめるたびによかったと泣いている。
病院で点滴すると猫は抵抗する力もなくうずくまり、しばらくぐったり寝ている。体重は1.4kg。細い細い身体になった。
点滴が重くて歩くのもつらそうだ。
このまま通院するのが猫のためと思っているのが猫の負担になっていて、どうしたらいいかわからなくなった。
今朝は撫でたら小さく鳴いた。
ほとんど横になっていて、起きた時に少しだけ流動食を飲ませたらまた寝てしまった。
本当なら今日は病院の予定だったけれど、よく寝ている猫を無理に起こすのもかわいそうで連れて行くのはやめた。
夫に抱っこをしてもらって、猫はうれしそうにシッポを振っていた。
今はゆっくりと息をしながら穏やかな顔でぐっすり寝ている。
毛布を敷いたベッドに寝かせ、ふわふわの毛を撫でながら話し掛けて、息をするのを確かめている。
手に触ると握り返してくれたり時々頭や手を動かしている。本当に強い子だ。
でも、そろそろお別れが近いかもしれない。
これでよかったのかな。
放課後、親に無断で学校の先生に精神科のような場所に連れられ、「それは鬱ではなく、思春期による一時的な悲しみではないですかね」と医者に言われてから10年が経った。
あの頃から相変わらず、成長していない。
高校での成績は上位10%に入っていて、4年で卒業することが難しいと言われた大学もなんとか4年で卒業できたので、決して頭は悪くはなかった。
ただ、人との会話は不得意で、友人を作ることはできなかった。
でもそういった人々はこの世にある程度はいて、みんなどこかで働けているからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
面接はことごとく落ち、大学卒業後も内定を貰えずそろそろ死のうかと検討した矢先に運よく入社したところは、後になって知ったが定着率が低い会社だった。
そこで気付いてしまったのは、自分がエンジニアに向いてないどころか、社会人に向いてないことだった。
一通書くのに最低でも30分-1時間はかかった。(相場が分からないけど長い気がする)
顧客のメールを読んでも、内容がふわっとしていて意味が理解できないことがあった。
相手が何を言っているか分からなかった(要求だったり、用語だったり)。
分からないことをそれとなく伺ってみたら「お宅の会社はその程度なんですね?分かりました」と言われ、会社の信用を下げてしまった。
その後、その顧客とのメールに怯える日々が続き、毎日嘔吐した。
あんなに自信があったプログラミングだったのに、小規模システムのコードでさえ想像を超える入り組み具合で読めなかった。
というのも、フレームワークといったものにも触れたことがなかったり、インフラ側は全く学んでこなかった。
「オブジェクト指向」というような概念的部分はテストの為に暗記したことはあれど、実際に言語の特徴や構造の違いを理解できたことはなかった。
フロントエンドとバックエンドの違いもよく分からず、自分が得意だったものがなんだったのか分からなくなった。
何よりも、自分には新しい知識をインプットする力が驚くほどになかった。
最終的には、自分のキャパを超える残業や上司による罵詈雑言で数秒に一度頭がまっしろになって仕事に手がつかない状態になり、辞めた。
能力のある社員もすぐに辞めていることから、会社にも改善すべき点はあったのだろうが、それが実際の問題ではなかった。
自分の能力の無さはどこに行っても通用しないんだろうな、ということが分かってしまった。
スポーツをしていた人が採用されるのを話に聞くが、その理由が初めて分かった。
コミュ力も体力あるし、ちょっとやそっとのことでは根を上げないからだ。
自分はコミュ力もないし、メンタルも弱く、自己肯定感もなく、唯一自信のあった学歴や技術力も実際には意味をなさなかった。
私の考えはあまりにも浅はかで、高校や大学でしっかり勉強をしていれば、あとは会社からのサポートで仕事をこなせるようになると思っていたことだ。
一応自分なりに努力はしたつもりだった。勉強も、精神的な面においても。
在学中や就業中に精神科に通い、鬱やPSTDと診断された。いろんな薬を試したことはあるが、薬の副作用の眠気や吐き気で通常時より無能になったので向いていなかった。
カウンセラーは話を聞いてくれることは有難いが、危険人物として扱われたりしたことがあったり、何の解決にも至らないのでお金がもったいないな、と個人的に思った。
大学を卒業して引きこもっていた頃、会話の練習をするためにひきこもり当事者会的なイベントに参加した。
それぞれ背景は違うが、頑張って外出をして知らない人と会話してみよう、と集まった人たちは皆、優しかった。
不審者のようにそわそわしてしまってもいじめられることはないし、互いが傷つくことのない当たり障りのない会話ができたし、人とゲームができて楽しかった。
同じ境遇にいる方たちと過ごして一番に感じたのは、自分はやはりこちら側の人間なのではないかということ。
学校やインターネットで人と会話をして友人を作れるような人や、仕事をこなせている世間一般の人たちのようには到底なれない。
社会不適合者が運よく社会復帰することができても、精神が弱い上に周りに溶け込めない為、続きはしない。
少し前にとある記事に「生涯バイトなんて、将来のことを考えているの?」というニュアンスのブコメがあったが、どんな形態であれ生きる為に働き続けてきちんと自立できている人がどれだけ偉いことか、と思う。
もしいつか真っ当な人間になれたら、あの時精神科に連れてってくれた先生に御礼を伝えようと思っていたけど、未だに連絡が取れていない。
去年結婚した。
ちょうどその1年前くらいに結婚した周囲の友人たちのうち、ちらほらと子供を持つ人も多くなった。
3人に1人は、結婚して2年後くらいには子供が産まれてるんじゃないだろうか。
結婚して半年が経ち、逆算するなら、子供が産まれた人たちはだいたいこのくらいの時期から子作りを始めていたのかなと、そんな下世話なことをぼんやり考える。
まだ結婚して半年から1年の間に、子供を作ること、ひいては親になることを決心する。
結婚する前から、夫には「あなたが欲しいと思わないならいらない」と伝えてある。
私は、男の人にとって【対して強く望んでいないけどなんとなくヤッてたら出来た】みたいな状況になるのは絶対に避けたかった。
女性だってそういう事態はなるべく避けるべきだろうが、実際に妊娠する側は否が応でも10か月子供と一心同体になるのだからその期間に親にならざるを得ない(少しずつ、足りないとしても、だんだん覚悟ができていくものだろうと思う)。
産まれてからも、母親ばかりが子につきっきりになって育児に注力する家庭の方がまだまだ多いだろう。
そういう状況で、もし男性がなんとなくヤッてたら出来て、ぼーっと10か月待ってたら(特に事前勉強もせず、生活を変える覚悟もせず)赤ちゃんが産まれて、育児もお手伝いくらいの感覚でいたら、母親との意識の差がどんどん開いてしまって、きっと夫婦の今までの関係は崩壊するんだろうな。
もちろん、妻が里帰りしたために出産の前後数か月子に会えない状況にさせられる男性は、会えないのに親として心の準備をしろと言われてもなかなか実感がわかず難しいところだと思う(こういうのももっと良い方法がないだろうかと思う)(ちなみに私は里帰りはしたくない)。
そもそも妊娠する前から何故こうも神経質に拘るのかと考えてみた。
本当は自分の弱さを誰かのせいにするのは嫌なんだけど、実父に原因がある気がする。
そのせいなのか、本人の資質によるものなのか、あまり父親らしい父親ではなかった気がする。
子供の頃はよくどやされていた。
姉は、1~2歳のまだ訳が分からない頃に外出先で騒いで蹴られたことがあるらしい(実母談)。
私も母が出かけて泣いていると、よく「うるせえな」「ママはいねえんだよ」と冷たく言われていた。
決定的なトラウマは、実母が事故に遭って入院生活を送っていた小学生時に、余裕を無くした父親からずいぶん冷たく当たられていたこと(お前のせいだからな、とまで言われていた)。
優しくされることももちろんあったが、そういう気分でない時はあまり相手にされなった。
そういうのを全部覚えている。だから昔の私は「自分は父にあまり好かれてないかもしれないな」と子供心に思っていた。
今でこそ、子供の扱いがわからなかったんだろうとか、仕事が大変だったんだろうとか、情状酌量の余地があると思えるけれど、あの頃の寂しい気持ちはなかなか消えてくれないのだ。
父は、意思疎通がしづらく一緒に遊ぶこともできない年齢の子供が得意じゃなかったんだろうな。
口で冷静に言い聞かせてもしょうがないから、どやしたり蹴ったりしたのだろうか。
でも私は思うんだけど、そんなの子供だったら当たり前のことじゃないですか。
子供は自我が育ちきってないんだから、大人の思い通りになるはずがない。
わかりきったことに腹を立てて、子供を怯えさせる男が本当に嫌い。
叱ることは良いんです。でも、叱って、それでもきちんと後始末をして、抱きしめてくれるのはいつだって母親だった。
父にそんなことをされた覚えがない。怒鳴りっぱなしで逃げるだけ。
今では、父とは普通に仲良くしているし、二人で食事に行くことだってある。
育ててくれたことは感謝してるし、家計を支え続けてくれたことも尊敬してやまない。
姉と協力して、きちんと最後まで面倒を見るつもり。
それでも私は、一度だって父のことが好きだと思ったことがない。
あの人にとって、意思疎通できない年齢の子供は犬猫くらいの存在だったんだろうと思ってる。
今の私たちに親切にしてくれるのは、あくまで私たちが自分で自分の尻を拭ける手のかからない人間になったからだと思ってる。
そんな感じなら、もっと自分が父親として成熟できるだけの精神年齢になってから子供を作ればよかったのにね。
深く考えずに避妊を怠って、子供ができたから籍入れて、産まれても基本は母のワンオペ育児で、たまに任されたら「ママが良いと泣くから」苛立ってどやして子供を怯えさせるだけの男ってなんなの?
ただ孕ませただけじゃないの? それでも父親として慕わなきゃダメ?
父親に、「いい子だね」「かわいいね」って言われたかったなあ。
いつ抱き着いても、抱き返してくれる父親だったらよかったな。
もしそうだったら、私はもっと、自分のことを男性に愛されて然るべき人間だと自信を持てた人生だったかもしれないなあ。
まあ、そこまでの贅沢は言わなけれど。
夫が父親になった時に、実父みたいな面を発見してしまったら、私は夫のことが嫌いになるんじゃないかと不安。
新しい家庭に、また父親という存在が発生することに堪えられるかどうかわからない。
家計を支える男性は本当に偉いと思う。そのプレッシャーや苦労を、自分は本当にはわかってないんだと思う。
でも、子供の立場から言えば、育児をしないなら、経済的な支えになってくれるのは別に父親じゃなくてもいいとも思ってる。
実母が稼げる人ならそれでいいし、実母の実家が資産家ならそれでいいし、育児をしないなら父親なんていない方がいい。
少なくとも、小さい頃の私はそう思ってた。
「今日は帰ってこないといいな」とか「お金だけ置いてどっか行ってくれればいいのに」と思ってた。
自分がおかしいのかもしれない。というか、生粋のファザコンなんだろうな。
実際夫は、私よりもずっと我慢強くて絶対怒鳴ったりしないし気分で態度を変えたりもしないニュートラルな人だから、きっと大丈夫だと思う。
夫にも少しだけ、父のことが苦手だったことは伝えてある。
父親が本気で望んでいないのに産まれてきて、邪魔っ気にされるくらいなら、子供が不幸だから産まない方がいいと思っているとも。
自分だって全然完全な人間じゃない。母親になんかなれる気がしない。誰もが喜んで母になるわけではない。
いずれにしても一人では育てられない。
親が苦手な人は、どうやって親になる覚悟を決めるんだろう。
どうやって、何を夫と話し合えば、ちゃんと二人で親になろうと覚悟が決められるんだろう。
最近は、そういうことをぐるぐる考えてる。
なんか渋くて意地悪でカッコイイけど頼りないおじさんの声をやらせたら右に出るものはいないあの藤原啓治だ
なんでも癌で亡くなったらしい
癌というものは恐ろしい、どれだけ年齢が若かろうとその体力や治癒力の如何にして残酷に命を奪っていく
コロナもそうだがやはりタバコを吸ったりして肺を弱らせてしまう人はあまり体力が持たないようだ
知り合いも癌だったがそれは膵臓癌だった。それでも全身に転移していたし、もしかしたら体力以前の問題かもしれない。
でも医者は治療する度に体力がどうのと言っていたのでやっぱり体力は必要なのだ
だから「この年齢ならきっと大丈夫でしょ」なんて俗説はどれも頼りないし
だからどうしても何を言っても頼りない。
何が治癒になるのか、救いになるのか、絶望の苗床から希望の花が一輪咲いてそこから再生の芽が吹きこぼれるか、
悪性細胞の恐ろしき侵食力によって新たに生まれた命が成長しきれずに黒く染まって死ぬようなそんなグロテスクな最後を迎えるのかだってわからない。
だから、恐れる。死を目の前にして恐れる。
理想的な死に様すら迎えられずに惨めに哀れに虚空を掴みながら死ぬのを恐れる。
なんとかそこから抜け出して新たな命のフェーズに入ったと思ったから、なんだか油断していたところもある。
「藤原さんってこの作品にも出るんだ!まだ活躍されるんだ!」と勘違いした部分もある。
いつかまたどこかで彼に逢えると思えるなんて凄まじいじゃないか。
だからこそ死んでしまった。途絶してしまった。永遠のうちには無くなってしまった。
これからその亡霊を私は追うことになるのだろうし、その死についても「お前はまつらいさんの時に学ばなかったのか」という自責がまた私を襲うのだろう。
声優という職業の不安定さや、病気というものの恐ろしさや、その人達がいる日常の当たり前じゃないことを理解しなきゃいけなかった。
いや、ひろしはひろし以外の姿もいくつか見られて、それをこれから、という時に雲の合間から下界を覗く奴らに持っていかれてしまった。
だから私は亡霊を見ることになるのだろう。
俗に言うイケおじだとかいう部類のキャラクターを見た時に、あの色気のある声が蘇るのだろう。
それに、ここまでそれっぽい言葉を使わなかったのは藤原啓治という存在が、その固定概念が、ひろしで止まったり、ホランドで止まったり、その他のキャラクターで止まったりしてはならないと思うから
これから年齢を経て広がりと深みを見せるはずだった彼の演技がそこで止まったものではなかったはずだから
だから
改めて、癌は恐ろしい。
改めて、日常の脆さを痛感した。