はてなキーワード: Fランとは
出生前診断が気持ち悪い
人工中絶が気持ち悪い
臓器移植が気持ち悪い
脳死は人の死が気持ち悪い
年の差婚が気持ち悪い
事実婚が気持ち悪い
不倫が気持ち悪い
マザコンが気持ち悪い
ファザコンが気持ち悪い
童貞が気持ち悪い
処女が気持ち悪い
身体障害者が気持ち悪い
精神障害者が気持ち悪い
知的障害者が気持ち悪い
被爆者が気持ち悪い
デブが気持ち悪い
チビが気持ち悪い
ハゲが気持ち悪い
加齢臭が気持ち悪い
ロリコンが気持ち悪い
ショタコンが気持ち悪い
オタクが気持ち悪い
ゲイが気持ち悪い
レズが気持ち悪い
性同一性障害が気持ち悪い
風俗嬢が気持ち悪い
AV男優が気持ち悪い
中国人が気持ち悪い
韓国人が気持ち悪い
黒人が気持ち悪い
白人が気持ち悪い
○○出身者が気持ち悪い
犯罪者が気持ち悪い
前科者が気持ち悪い
中卒が気持ち悪い
高卒が気持ち悪い
浪人が気持ち悪い
留年が気持ち悪い
Fランが気持ち悪い
ポスドクが気持ち悪い
認知症が気持ち悪い
徘徊老人が気持ち悪い
リストラ男が気持ち悪い
ホームレスが気持ち悪い
ヤニ中が気持ち悪い
アル中が気持ち悪い
シャブ中が気持ち悪い
DV男が気持ち悪い
ストーカー女が気持ち悪い
クレーマーが気持ち悪い
団塊が気持ち悪い
ゆとりが気持ち悪い
痴漢が気持ち悪い
女性専用車両が気持ち悪い
女が気持ち悪い
男が気持ち悪い
こんなことを書き連ねる自分が一番気持ち悪い
気持ち悪い
気持ち悪い
小学校からの地元の友だちと先週あって、彼は埼玉奥地のFラン大学を出て大手携帯キャリアの正規代理店の大手?中堅の電気屋に就職をして、ケータイショップで働いてる。
大体が、今の給与は高くないけど、店長クラスで1000万近くいける、みたいな。
ユニクロもそうだけど、キャリアステップがある程度見えるのはやはり重要だと思った。
やりがい搾取問題はあるけど、そこだけでは面白くないよなーと本当に思う。
おそらく彼は、このままいくと「最悪この仕事でいい」の調子で、趣味のバイクと、楽器をちょっとずつやりながら、実家に住んで地元から出ないまま、本当に少しずつ昇進して、地元の居酒屋の気の合う人たちと飲みながら生きていくことになるんだろう。
中卒の人が敷かれたレールの上を走るのが嫌だったから高校や大卒に行かなかったと言った。
しかし、同じ社会という枠組みの中で生きている限り、敷かれたレールを外れた人が走る敷かれたレールに乗っただけにすぎないのではないだろうかと思った。
中学の時点で一生かけて取り組みたい仕事が明確に見つかってたり、特定の分野の超天才なら、中卒でも全然いいと思う。
そうでなければ、学校に通おうが通うまいが、基礎的な教養となる幅広い勉強をしておいたほうがいい。
基礎的な知識を身に付け、自分の頭で考える練習をしておかないと、思考パターンが広がらないから。
そして、得意分野の異なる優秀な人間と、できるだけ多く友人になっておいた方がいい。
これも将来のための人脈というだけでなく、色んな考え方を知って視野を広げるためだ。
そして、これらの基礎的な教養と幅広い友人を得るためには、優秀な高校と大学に通うのが最も費用的にも時間的にも効率がいいというのも事実だ。
実際放射線浴びた方がマシとか言ってる当たり、きっと事情でFランに入らざるを得なくなったのではなく純粋にバカだからFランに入ったんだろうな
勉強が身にならないようならさっさと辞めて自分のことやったほうが身のため
そういう環境でメンヘラになるほど苦痛を感じるなら、Fラン大出て入れる所に就職しても辛いのが続くだけだ
耐えたのに報われない、っていう状況にしかならないよ
Fランです。毎日すごいストレスをうけて過ごしています。もう放射線あびるほうがましです。
まわりはチャラいモラルのない生徒ばかりです。そんななか「真面目」だけをとりえにしています。
教員も正直有能ではありません。テストにでてくる問題を授業でいっちゃうレベルです。
もう劣等感しかありません。スポーツできることがとりえなやつばかりで自分はそうではありません。
進路もあやふやなまま、役に立つはずもない資格の取得に勉強時間を削られています。通学の時にほかの人達を見るととてもつらいです。みんなの目線が僕を見下してるんじゃないかと思うほどです
ストレスがいつのまにかたまっていたようです。メンヘラになりました。心療内科の薬を飲んでいますが、飲み続けていいのかわかりません。
友達が充実した生活をしているのをみるとつらいです。なんで自分だけこうなのかと頭を抱えています。
勉強をする気力がわきません。甘えと言われるかもしれないですが甘えでもいいです。しんどいです
自分がなにかへんなことを話していないかと不安になることがあります。
やめようかな
上京したのは18の時。
目標や夢なんか何も持っていなかった。
子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。
今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生が必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。
つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQが無駄に134もあるらしい。
高校卒業後は入試科目が国語と英語だけのFラン大学に進学した。
大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプの人間がたくさん居た。
僕が在籍していたサークルは大学の軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。
一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。
楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。
それでもあまりに個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれからの人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。
全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。
そのバンドは加入した時点では大学付近のライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。
それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディングや地方へ遠征する機会も多くなっていった。
大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。
その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。
バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。
ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジのセンスがあったらしい。
センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンドに必要不可欠な人間になってしまっていた。
もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。
それでもライブは決まっている。
学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4
日に1回というペースでライブをやった。
これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。
そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。
なおさら後に引けない状態になっていった。
もしかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。
「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」
一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。
メンバーの誰も反対はしなかった。
その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。
あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。
その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。
初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。
その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。
その後はまた同じようなことを繰り返した。
学習しないやつだ。
2つ目のバンドに加入して3年目。
就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。
バンドも辞めた。
この10年間は一体何だったのだろう。
幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社でウェブマーケティングのスキルを身につけていたので、田舎の賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。
ただ、生きている実感がまったく無い。
むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。
就職した後も次は仕事に真剣で、中には28で上場企業の副部長クラスの地位を得ていたり、だれでも知っているような会社の営業所長になっていたりする奴もいる。
こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間の出世コースじゃない。
仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。
僕は到底彼らにかなわない。
別にお金も地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。
たくさんの反響を頂きました。
後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません。
急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・
いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。
http://anond.hatelabo.jp/20140619160649
いつかまたいい報告ができればと思います。
あるよ
東京に何でもかんでも集まっているから東京に行こうず( ^ω^)という短絡的な発想は10歳代20歳代の頃に持ちがちだが、
それならそもそも東京近郊に生まれてない時点で負けでしょ?
学歴ゲットして就活成功して東京近郊の大企業に勤務しても大阪や名古屋の実家から中小企業に通ってる人に可処分所得勝てないよ?
他の増田も言ってたけど大企業リーマンの住宅事情全然知らないな
こんなもん大学生の時にやる事だろ
それも知らないの?
地方の歴史ある会社、起業してパイを奪い取った会社はみんなそこから東京行ってるって知らないんだろ
就活もシーズン終盤にさしかかった今日このごろ、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
まだ取れていない人も、まだまだこれからですよ。
あきらめずにがんばりましょう。
さて、今回増田に書き込んだのは、我が社の一風変わった採用方法を紹介したいからです。
我が社はここに一工夫加えます。
普通は候補者だけで行うグループディスカッションですが、我が社ではここに社員を候補者のふりをさせて紛れ込ませるのです。
こうすることにより、候補者だけでディスカッションさせただけでは見えてこない、より深い人物像が探れるのです。
事前に、これは、と思う候補者の、さらに深い部分を探るのに最適です。
例えば、高学歴でいかにも負け知らずといった人を選考する場合、できる社員をわざとFラン出身という設定で潜り込ませます。
そして、次から次へと名案を出させ、バリバリ議論を引っ張らせます。
低学歴と下に見ていたのに、負かされそうだと張り合うようなら、その程度の小物として、不採用です。
こういう小物は結構多いのです。
また逆パターンで、学歴はぱっとしない候補者を選考する時は高学歴の設定にします。
そして議論を引っ張っていった後で、最後の最後に致命的な間違いを犯させます。
イエスマンでやっていきたい人は、うちのような成長企業ではなく、何万人リストラした、うん千億赤字出したとかで騒がしい、
誰もが知っている有名な衰退企業に入っていってください。
この方法で取った人にはハズレがありませんでした。
うちのような、これから大きくなる成長企業においては、社員一人一人の役割が非常に重要な意味をもってきます。
採用にどんなに手間をかけても、かけ過ぎということはありません。
3年ほど前から高校時代の友人が立て続けに結婚していて、中には子どももいて家まで持ってる奴もいる。
そういうやつらは今のところ高校時代はヤンキー崩れか体育会系チャラ男で、揃って高卒で工場勤務を選んだ奴らだ。
一方俺は、それなりに彼女もできて、勉強もコツコツやって、家も平均よりは裕福で、小さい頃からの夢だった飼育係の職にも就いて、正直言って高卒で工場勤務してる奴らのことを見下してた。
けど、先日いった結婚式の後に既婚子持ち連中のお宅訪問みたいなことをして、自分がまったく勝ってないことに気づいた。
玄関を開ければ子どもが走り寄って来て、リビングには奥さんが待ってる。
その光景をみたら、人間の、生物としての幸せってこういうことだろうな、って思った。
普段種の保存がどうたらこうたらとか言ってるけど、現時点で自分の遺伝子を残してない(残す予定がない)俺は、生物として彼らに完全に負けてる。
追記
フェイクは入れてるけど釣りではないです。Fランなのはあたってます。
種の保存とかいって活動したりして、遺伝子を残すことにやっきになってるくせに自分の遺伝子は残せないのは矛盾してるよなぁと思ったわけです。
飼育係の先輩方の中には結婚されてお子さんがおられる方も大勢いらっしゃいますが、この薄給では自分がかけてもらった手間やお金と同等のものを与えてあげられないのはかわいそうな気がしているで、子どもを作る気はありません。
かといってこの仕事は大好きなのでやめるきはありません。
どうにかして好きなことで評価されたいと思って精進してるところです。