はてなキーワード: 黒沢清とは
※数年内になんらかの仕事をしている人。選出はてきとう。
アレハンドロ・ホドロフスキー 95歳
クリント・イーストウッド 94歳
ロマン・ポランスキー 90歳
ウディ・アレン 88歳
ケン・ローチ 87歳
フランシス・フォード・コッポラ 85歳
宮崎駿 83歳
テリー・ギリアム 83歳
ダリオ・アルジェント 83歳
ビクトル・エリセ 83歳
マイケル・マン 81歳
マーティン・スコセッシ 81歳
ジョージ・ミラー 79歳
ジョン・ウー 78歳
ヴィム・ヴェンダース 78歳
デイヴィッド・リンチ 78歳
スティーヴン・スピルバーグ 77歳
北野武 77歳
チャン・イーモウ 74歳
押井守 72歳
ロバート・ゼメキス 72歳
キャスリン・ビグロー 72歳
ジェームズ・キャメロン 69歳
アン・リー 69歳
コーエン兄弟 69歳、66歳
黒沢清 68歳
滝田洋二郎 68歳
ローランド・エメリッヒ 68歳
ラース・フォン・トリアー 68歳
周防正行 67歳
ジョン・ラセター 67歳
スパイク・リー 67歳
アキ・カウリスマキ 67歳
クリス・バック 66歳
リュック・ベッソン 65歳
阪本順治 65歳
ティム・バートン 65歳
庵野秀明 64歳
原恵一 64歳
塚本晋也 64歳
中島哲也 64歳
サム・ライミ 64歳
三池崇史 63歳
片渕須直 63歳
是枝裕和 62歳
三谷幸喜 62歳
アルフォンソ・キュアロン 62歳
ピーター・ジャクソン 62歳
岩井俊二 61歳
クエンティン・タランティーノ 61歳
デヴィッド・フィンチャー 61歳
スティーヴン・ソダーバーグ 61歳
山崎貴 60歳
ギャスパー・ノエ 60歳
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
住むなら都市の中心部、さもなければ自然に接近した田舎だと思っている。
自然の一部である人間が作り出した有機的な面白さがそこにはある。新宿東口に広がる、あの整然としていない猥雑な感じに私は自然を感じる。生き物としての人間が作り出した街。渋谷や秋葉原も、それぞれにいいね。
増田が、駅の形が個性的で画一的ではない、と言っているのはそういうことかな。
一方で、賢しらな人間が、みみっちい打算としみったれた妥協の末に作り出した人工物たる街が嫌いだ。
おしゃれ感を装った駅前のショッピングモール、区画整備された造成地にならんだコピペ住宅。
つまらない人間の臭いが染みついた場所に、家を買って住む人の気が知れない。
『ター』、ツイッターとかで褒められてたから気になってたんだけど、褒めてる奴と褒め方がなーんか小うるせえいけ好かない感じだったので「これはどっちだー?」と思って観に行った。
キャンセルカルチャーざっくばらん風刺&アマデウス&最後は取ってつけたように「すべて失った主人公が故郷で昔の純粋な心を取り戻す」みたいなしょうもないくだりを挟んでアジアとゲーム音楽をバカにして終わるっていう、白人が「考えさせられるよね~」っていうためにつくった凡庸なストーリーに、黒沢清の出来損ないみたいな、思わせぶりなガチャガチャした画面と音響でいかにも「肥大した承認欲求ではち切れそうなネットの自称シネフィルの皆さ~ん、考察しがいのある素材お持ちしましたよ~」ってあざとさが鼻につく、メタファーのなぞなぞ遊びみたいなしょうもない演出。おれはクイズ番組に参加しに来たんじゃなくて映画を見に来たんだよバカがよ。ただただケイト・ブランシェットが2時間半めっちゃがんばってるってだけの映画だった。「面白い映画」と「役者が頑張ってた映画」の区別はつけて喋ろうぜみんな。
ただ!ただよ!この映画周りで唯一面白い話を見つけて、町山智浩が映画秘宝のnoteで、『ター』を解説するpodcastを200円で売ってるのよ。
これ素晴らしいなって思ってさ。だって、間違いなく「あの頃の冷笑サブカル」の一時代を築きながら、まさに恫喝やらハラスメントやらが表沙汰になって炎上して命脈を絶たれた映画秘宝と町山智浩だよ?それが、細々とnoteの片隅で小銭稼いでるわけだよ。もうそれ自体が日本版『ター』なわけじゃん。実写版ケイブラは町山智浩だったわけですよ!
もうそういうわきっちょのことを無理やり面白がるくらいしかすることがないです。一応、町山さんの解説音声は聞いてみよっかな。
AVとの違いでいえば、AVは実際に挿入する(実は日本の法律では挿入行為を記録した映像を公開すると猥褻物頒布になってしまうので、挿入してないという「建前」になっているが)のに比べ、ピンク映画の濡れ場は擬似本番で挿入行為をしないことがほとんど。
挿入行為を行うものは「ハードコア」(欧米発祥の呼び方)と呼ばれて区別される。
またピンク映画の「18禁」はあくまで自主規制のレーティングであり、AVのように条例でも指定されるものとは種類が違う。
普通のR-15映画やゲームのレーティング等と同様に考えてもらえればわかりやすい。
だからレンタル店などでもAVは条例に基づき暖簾奥などに隔離されるが、ピンク映画は「18禁」の表示がありながらも一般の棚に並べられる。
ピンク映画出身で他に有名な映画監督だと、近年クリーピーでも存在感を見せたJホラーの黒沢清、平成ガメラや実写版デスノートでおなじみの金子修介か。
みたいな優劣のニュアンスってなんなんだろうな
別に監督ファンも特定の人を応援したいから映画館でお金落とすことに変わりないだろうに
単純に面白さがーって言うのも、単純に顔をずっと観てたいのと変わりなくない?
だいたい、吉田大八とか黒沢清とかウェスアンダーソンとか、日本じゃマイナーで映画館の収入のほんの一部でしかないんだから、そういう映画監督ファンは山P見にコードブルー観る客に対して感謝しなきゃいけないはずなんだよな本当なら
だって本屋さんが漫画や雑誌の売り上げで維持できてるのと同じように映画館だってそういう客がメインで支えられてるんだから
それを自分より品性がないものだとマウンティングするのはちゃんちゃらおかしいよ
そう思わない?
ネタバレしまくると思うのでまだ観てない、観ようと思ってる、という方は回れ右。
TLにたまたま流れてきた羊の木の予告を見てこれは面白そうなサスペンスミステリだ!と感じ、観に行った。
観に行く前は、6人の受刑者を受け入れた過疎の町で殺人事件が起こる、全員怪しい!全員互いに面識ないみたいだけど実は…!?同時期に帰ってきた元同級生もついでに怪しい!北村一輝はめっちゃ濃い!どうする錦戸君!みたいな内容だと思っていた。
話の筋全然違うけど、シャッターアイランドみたいな、閉鎖的な空間で起こるサスペンス!スリラー!ミステリー!かと。
勉強不足でこの監督のほかの作品を観た事なかったんだけど、予告で観る限り、画作りは私が大好きな黒沢清っぽい!不穏!好み!という感じだったし、もうハードル上がりまくってた。
なのでそういう意味ではとてもとても期待はずれだった。
画作りはよかった。不穏な感じ、好き。
天候までもちゃんと考察できるような作りになってた。謎がなくなったときに初めて青空が見せる、みたいな憎い作り方してた。(と思う)
北村一輝も濃かった。一人濃かった。
ただ思っていたような内容ではなかった。
6人の受刑者全員登場時は怪しかったけど、そのうち4人くらいは割とすぐに蚊帳の外になった。
途中で、一番品行方正な感じの松田龍平くんを探しに来た怪しいおっさんがいて、その時点で、松田龍平くんがなんか嘘ついてるか話してない事があるんだなということがわかった。
北村一輝、怪しい行動するけど、割とすぐにこの人一人じゃなんもできないチンピラなんだな、そして結構ちゃんと働いてるし、なんだよ濃いだけかよ、ってなった。
話の半分もいってない内に、怪しい人が松田龍平くんだけになり、そこで期待してたミステリ要素は消えた。
そもそも、事件らしい事件が最初の死人だけで、後はもう松田龍平くんが殺している場面を観客は見せられるわけで、ミステリも何もあったもんじゃない。
行く前、TLで「怖かった!」という声を見かけたんだけど、えっと、どこが怖かったんだろう?
松田龍平くんの気持ちが読めないところ?優香ちゃんが出会ってすぐにトップギアで錦戸くんのお父さんにアプローチかけたこと?それとも北村一輝の濃さ?のろろ?
画面から漂うよくわからな不穏さかな?それは本当に上手かったけども。
優香ちゃんが錦戸くんのお父さんと恋仲になり、やくざのおっさんがクリーニング屋の女将に許されたあたりで思った。
それまではあれ?あれ?ってなってた。謎が浅い!話が浅い!ってなってた。
でもヒューマンドラマだと考えればなかなかに上質なのではないか。
元受刑者で気持ちがわかる親父さんはともかく、黙っていればいいのにちゃんと自分の経歴を話しけじめをつける元やくざの老人と人殺しである事を知っても自分の感覚を信じて老人を受け入れる女将さんはこの話の一番の希望だなと思った。仲良くやって欲しい。
優香ちゃんもトップギアに持ってくのが早すぎてアレだけど、錦戸くんのお父さんに出会って新しい一歩を踏み出せたようだし幸せになって欲しい。あと若いお母さんがきたことで介護分担できるようになってよかったね錦戸くん。
市川美和子ちゃんはあんまり描かれてなくてよくわからないな・・・。でも子供と交流もしてるみたいだし、埋めた何かから芽は出たし、心癒されてほしい。
北村一輝もなんだかんだ受け入れてくれた漁師さんとは上手くやってたんじゃないだろうか。じゃなきゃあんな短期間で船を一人で使わしてもらえないよね。ただ結局悪い事をしようとしてたので不幸になったから、そこにこの映画のちょっとした説教くささを感じた。イソップ童話的な。
で、松田龍平くんだけども、彼は自分が得た穏やかな日常をあからさまに壊す人だけを殺してた。
仕事も上手くいってたんだろうな。刑務所入る前友達いなさそうな感じだったから錦戸くんが友達になってくれて嬉しかったんだろうな。
少年院も入ってたってことなら青春時代も平凡ではなかっただろうし、錦戸くんという友達を得て、趣味もできて、彼女もできて、青春時代をやり直したかったんだろうな。
それを脅かす人間は即殺すってなるのがまあサイコなんだけども、逆に松田龍平くんを探すおっさんが現れなければ穏やかに過ごせたんだろうな。あのまま。
私、腐女子なので、松田龍平くんの中の優先度がどうしても錦戸くん>>>(越えられない壁)>>>木村文乃ちゃんにしか思えなくて。
「月末くんが文の事好きだって知ってたら文と付き合わなかったよ」っていうのは本心だと思うし、木村文乃ちゃんは青春をやり直すためのパーツでしかなかったんだろうなって。だって付き合うまでがマッハじゃなかった?
どっちの女も手ぇ早えな!って思ったもん。
話逸れるけど木村文乃ちゃんが錦戸くんからの好意を感じ取りながらもちょっと面倒くさそうにしてたのはなんとなくわかる。ちょっとうざいよね。好意駄々漏れでアピールしてくるのに決定的なこと言わない人。錦戸くん顔めっちゃいいのにそこらへんのうざさ出すの上手かったね。木村文乃ちゃんを前にした錦戸くんは最初から最後までうざかったわ。
だからといってじゃあ松田龍平くんに!となるのがわからない。好みのタイプだったのかな?小さな町で色々自分の事詮索される中自分の過去を知らないそういうこと詮索しない松田龍平くんに癒しを求めたのかな?んーそれにしてもマッハ過ぎた。
松田龍平くんに前科がある事を知って態度変えちゃうとこ見るとそこまで好きでもなかったのかなーって思うし、正直木村文乃ちゃんが一番謎だった。
話を戻して、前科を知った木村文乃ちゃんが態度変えたことで彼女を切り捨てて錦戸くんの元へ行った松田龍平くん。
この時彼には自分が前科ものだと知ってても「友達」だと言ってくれる錦戸くんしかいなくなってしまったのかなと思うと、そして救いを求めて錦戸くんの元へ行ったのかと思うと可哀想だなって思うし、なんていうか、尊いよね。尊いわ~。
またこの後がね、前科を知ってても、そして少年院の事を知っても、自分の前で無防備に眠っちゃう錦戸くんをどういう気持ちで松田龍平くんは見つめていたのかと思うとね。
無防備に寝てるってことは錦戸くんが松田龍平くんのことを、自分を脅かさない存在だと信じているからで、木村文乃ちゃんに怯えられた直後の松田龍平くんからしたらそれは本当に友達ができたと実感できる瞬間だったのではないかなあと。
そんなこんなでのろろ審判に錦戸くんを誘う松田龍平くんなんだけども、沈むのはどっちだと思ってたんだろう?
沈むのは自分だと思ってたのかな。それとも自分が浮かぶと思ってたのかな。。
のろろの裁きで浮かんだなら自分は救われるだろうし、友達の錦戸くんが浮かんだならそれはそれでいいし、のろろ裁きなど迷信で2人とも沈んだのならまたそれもいい、みたいな感じだったのかな。
そもそも「自首して!俺待ってるから!」なんていじらしい事言う錦戸くんに対し「死刑になるだけだから」って返してたから、生き残っても生きる道がないことは分かってたみたいだし、木村文乃ちゃんに「月末くんは俺の隣で寝てるよ」って言ったりもしてたから(言ってない)、俺月末くんと死にます!って言外に宣言してたのかなとか、そう思うと一緒に死のうとしたのかなあと思った。じゃなきゃあのまま首絞めて終わるよね。
そして最後のアレね・・・。
最後に突飛過ぎてびっくりしてそれしか覚えてない映画不動の第一位は模倣犯なんだけども、あれに通じるラストで、アレなかったらな~って思ったけどなかったらなかったで松田龍平くんが捕まって寂しい事になりそうだったのでまあいいのか・・・。いいのか?
(どうでもいい事だけどキングスマンの首飛ぶのとこでわ~模倣犯だ~って思ったんだけど同じように思った人他にもいるよね?)
そういえばのろろ審判の話を錦戸くんから聞いた時一緒に落ちてみない?って腕を取ったら錦戸くん冗談やめて~みたいにキャッキャしてたけど、あれにも救われたのかなあって今これ書きながら思い出した。尊い。
エンドロール、海面からの視点ぽかったけど、あれ誰の視点なんだろうって思うと、それだけちょっと怖かったかな。
予告のせいで途中まで別方向に期待してあれ?あれ?となってたので、もう一度ヒューマンドラマ、そして古き良きJUNE作品として観たいと思う。
あ、あと感想書くために思い出してると「もしかして錦戸くんが一番のサイコなんじゃ・・・」と思えてきたのでそれを確かめるためにも観たい。
これ読んで観に行こう!ってなった腐女子は、私ほとんどネタバレしちゃっているので錦戸くんと松田龍平くんの交流を事細かに見るために行って下さい。多分そうじゃないとネタバレのせいで何の新鮮味もないと思うので・・・。
逆に萌えるシーンについてはネタバレせずに置いているところもあるよ!気遣い!
http://www.club-typhoon.com/archives/21955747.html
なるほどな!って思った。
いや日本映画つまらんよ。だって見なくてもオチわかるし。ハートフルでハートウォーミングなのがいいんでしょ?みんな頑張ってるのが見たいんでしょ?もたいまさこがいいんでしょ?
たぶん例に挙がった監督って、だいたい現状を肯定する話だったり、ゆるかったり、なんか切ないねみたいな日本人特有のワビサビを感じさせるのばっかでしょ。役者とか舞台は違うけど結局同じテーマしか扱ってない。まあ安心して観れるんだろうけど、完全マンネリで、テレビの2時間ドラマででもやってたらいい。
あくまで俺目線の意見だけど、もっと意外性があっていいと思う。日本にどれだけの脚本家がそれだけ練った話を作れるだろうか。あと社会風刺とか絶対しないよね。何かを訴えかけるようなことは苦手な民族性からなんだろうけど。警察は正義。だから、ジョークもさぶい。ブラックジョークって最高に面白いと思うんだけど、そういうのない。テレビと違う映画の魅力って、公共の場では自重すべききわどい表現を前面に押し出せることだと常々考えているんだが、女子供年寄り向けの映画ってほんとくそつまらんと思う。
日本映画全部嫌いなわけじゃなくて、過去作だけど好きな監督・作品は、
・大森立嗣「ゲルマニウムの夜」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」
・吉田大八「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「桐島、部活辞めるってよ」
いわゆる日本のサブカルを支える"俺ら"視点の作風がいいと思う。
なんか突っ込みどころ満載な、独特の空気があっていろいろ面白い。
俺が観た園子温は「紀子の食卓」「冷たい熱帯魚」とかだいぶ変態に傾倒していて、観客置いてけぼりでただぶっとんでりゃいいの?ってのがいまいちな印象。
塚本晋也の「鉄男 The Bullet Man」はようわからんかったが、「野火」がすごいらしいので見てみたい。