はてなキーワード: 縁故とは
832 :ソーゾー君:2013/12/12(木) 23:51:52 ID:SLTKI.7A
これで終わりじゃねーんだ・・これで道半ば・・
もう一つ支えてるの・・これが大きすぎるの・・なんで崩壊した仕組みを維持しようとするのか解るよ・・
「年金機構の天下り幹部と縁故職員」←コイツ等も支えてるの・・
「コイツ等の給与、ボーナス、退職金、豪遊費は若者が支払う年金で賄われてるの・・」
仕組み理解した?成り立つ分けないよな?しかも不祥事が起きる度に人員増やして肥大化するんだぞ?
仕組みを理解すると「5000万件の記入漏れ=年金積立金7兆円消える」の謎が解けただろ?
未だに消えたままにして真相究明せずに放置してるけど「消える」わけ無いんだって・・
年金機構の天下り幹部と縁故職員の給与、ボーナス、退職金、豪遊費に使われただけなの・・
だから年金制度の抜本的改革なんか絶対にさせないよ・・厚生労働省が妨害するからな・・
「老後?その為の生活保障制度だろ?これも世代間の助け合いだろ?」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
784 :ソーゾー君:2013/12/09(月) 22:37:58 ID:VAuzMK52
プロ野球機構=糞役人の天下り機関が八百長してるのは過去に何度も話したよな?
最近も詳しく語ったよな?
八百長の仕方をもう一度詳しく語ろうか?
三割打つ実力が有る奴は支援されて三割五分になる。
二割五分は三割、二割は二割五分。
投手も同じ。
マー君は普通に審判が機械になって中立公正になったら15勝クラスの一流だ。
この縁故丸出しの糞ガキは10勝も出来ない鼻くそってこった・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
782 :ソーゾー君:2013/12/09(月) 22:09:44 ID:VAuzMK52
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo&k=2013120900774
今より上原のルーキーイヤーの時代の方が景気が良くて庶民給与水準が高かったのに
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
392 :ソーゾー君:2013/11/05(火) 21:03:58 ID:SD5x4nDo
ちょっと前にアベノミクスで年金を運用して11兆ほど儲けたとか言ってたが
「年金機構の天下り幹部と縁故職員の給料、ボーナス、退職金、交遊費(豪遊費)の総額は11兆ではたらねーよ?」
それにそれは天下り幹部様の交遊費(豪遊費)だけでしょ?全体を知ると脱糞するぞ?
年金機構は特別法人=要するに民間企業だろ?だから糞役人が天下りできるんだよ?
年金機構の天下り幹部と縁故職員の給料、ボーナス、退職金、交遊費は俺達が払ってる年金から年収されてるんだぞ?
直ぐ後に「横領元事務長は「社長」、高級スーツで銀座豪遊」と書いてあるだろ?不明じゃねーよ・・
「交遊費(豪遊費)だアホ・・必要経費らしいぞ?」
少し前に年金問題騒いでたよな?「消えた七兆円=5000万件の記入漏れ」と騒いでたよな?
「消えるわけねーだろ?不明じゃねーよ?年金機構の天下り幹部と縁故職員の
給料、ボーナス、退職金、交遊費(豪遊費)に使われただけだアホ・・」
この話を口頭でやるとみんなおどろく・・「お前等日頃何考えて生きてるんだ?」と俺が驚いてるんだよ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
それはわかるっての。坊主の元増田が保険の営業員だったら俺もぶん殴ってるわ。
でも、職業柄どこまで許されるかって別問題でしょ。
不特定多数の人と付き合いがある人、特定のお客さんと付き合いのある人、
ブルーカラー、ホワイトカラー、工場つとめ、フリーで縁故にしている旧友から仕事貰ってる芸術家、
働き方はいくらでもあるわけで、みんな髪型が七三分けにしなければならないっておかしいでしょ。
自分はシステムエンジニアだけど、元々は官公庁のシステムおさめていたら
やっぱりそういう付き合いでどんな所でもネクタイ締めなくてはいけない、みたいな社風だった。
(お客さんがみてる場所ならわかるが、誰もこない研究所の僻地にも強制するのはわけわからんってこと)
それが今でも同じことやっててアロハシャツ、サンダル、坊主なんだから所変われば風変わるってもんよ。
為末さんみたいなアスリートはじゃあどうなの?
そもそも、増田、働いてる?
ちょっと聞いてくれ。俺はもう何が何だかわからなくなってきたんだ。
でもなんか、こんなことは増田でしか言えなさそうなんで、書いてみた。
前提として、俺はもうすぐ40になる地方公務員だ。働き出して20年近くになる。
曰く、仕事を覚えろ。毎日の仕事をもしこれが完成しなければ辞めるつもりでやれとか。
そう説教した人間は、毎日サビ残をして、予算書にくびったけで電卓を叩きまくっていた。
何を悩んでいるのかさっぱりわからなかった。いつも顔色が悪かった。胃薬を飲んでいた。
俺は紙で何億もの予算を管理するのは、大変で非効率的だと感じていた。
効率化しないのかと聞いたことがある。この場合は、パソコンでも使えと言う意味だが。
誰でもができる方法でないといけないから、変えられないと言う返答だった。
つまり、異動して次の人間が来た時に、その人間がパソコン使えない人間だったらどうするのかと。
知ったことかと思った。世の中には既にExcelもWordもAccessも存在していたのだ。
百年前の人間が紙と鉛筆で仕事していたからって、今の俺らも紙と鉛筆しか使えないなんてことはないだろうに。
結局、仕事そのものが忙しいので、仕事の遣り方を見直す時間がないのだと考えるしかなかった。
とは言え、組織の硬直性と言うものに直面した俺は、それを学習し、今後は何も言わないことにした。
言うだけ無駄だ。言えば言った人間が阿呆扱いされるんだ。やってられるか。
正直に言うと、俺はその仕事を俺がするんでなくてよかったと思った。やっていたら発狂するかもとも。
台帳を開いて、対象者を選び出し、書き写してリスト化し、全員に葉書を送る。無論、全て手書きだ。
ゲロ吐きそうだった。
既にコンピュータで処理している部署もあったが、俺の部署は場末だったので、そんな予算はつかなかった。
調べる限り、昭和47年あたりからずっと同じ遣り方をやっていたようだ。
何のためのこだわりなのか、全くわからなかった。これで一体誰が得するんだ?
本来奉仕する対象である自治体住民にとって、それは何か意味を持つのか?
俺自身も、台帳をAccessに入れようとした。
ただ、当時の俺はやはり未熟で業務知識も充分ではなく、
必要な要件を十分に洗い出せず、テーブル構造のデザインの時点で何度も手戻りしたりして、うまく行かなかったのだ。
こういうのは今だから表現できることだが、当時はどうして失敗したのかもうまく言えなかった。
その挫折もまた、上司たちにとってはサボりに見えたようだ。上司たちはデータベースと言う言葉を知らなかった。
そんな状況だったので、飲み会で俺は散々に哀れまれた。怒られたのではない。哀れまれたのだ。
そいつはお説教と言う形で俺を指導しようとした。ついでに愚痴も盛大に吐いた。
「お前さあ、縁故で入ったとか、そういうことない?」
彼は本気で俺のことが心配だったようだ。情には厚かったのだ。徹底的にスタンスは違って、多分今でも相容れないだろうが。
当時、俺の一族に公務員はいた。確かにいた。だが、その影響力をどうやって調べればいいのかは、未だにわからない。
縁故採用、突き詰めれば汚職であり腐敗なのだが、「あんたは汚職したのか?」と聞いてはいと答える奴はいない。
「仕事、うまくできてないだろ?」
是。それでもやっている。
「そうじゃなくて、言われた通りにまずはやれよ、何も考えず」
考えないと動けない。考えて、何をやると決めて、だから動ける。考えるなとは、動くなと同じことだ。
「……いや、指示通りに動けば」
そうやってきた。あんたも見てきた通りに。
「そうじゃなくて」
埒があかない。仕事ができてないと評価するならそれでもいい。なら、仕事の遣り方を示すべきだ。今すぐ。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
しばらく黙った後、彼はこう言った。
「……お前は正しいよ」
だからなんだ、と俺は思った。俺が知りたいのは仕事の遣り方であって、俺の評価ではない。
評価は既に聞いた。同じことを何度も繰り返しても意味がないではないか。
結局、俺を仕事ができていないと評する割に、その基準が本人の中でも明確ではないのだ。
俺は彼を憎悪したと思う。どんだけ衷心から出た言葉や行為であろうとも、ただの老害の繰り言だ。そんなものを大人しく聞かされる身にもなってみろ。
その後も彼は何度か同じセリフを繰り返したが、俺は彼を無視した。
結局、仕事の遣り方は自分で体感するしかないのだ。試行錯誤して、実践の中でつかみとっていくしかない。
やっていく内に、いつかは開眼すると信じるしかない。つまり、今までと同じだ。
二つ目の職場を異動になった時は、俺だけが動いて他の人間は全く動かなかった。
期待されてない。そうか。なら好きにやるか。そう思った。異動自体はありがたかった。
頑張らなかった。最低限のことをやった。
仕事の効率化はした。自分の手の届く範囲で。それを周囲に提供したりはしなかった。求められなかったから。
言えばそれだけ煙たがられる。言わない方がマシだ。
人事からは何も聞かれなかった。上司からも何も聞かれなかった。異動し続けて今日にいたった。
「お前、すぐに異動するってことは、どういう評価を受けているかわかってるよな」
「わかってます。低いんでしょ」
「本来、新人が来るポストにお前が来た。お前の仕事は減らしてある。つまり、周囲に負担がかかっていると言うことだ。お前に大事な仕事は任せられん。だが、与えられた仕事はきっちりこなせ。その上で他人の仕事を奪っていけ」
40近い男が、ここまで言われたよ。これまでの20年は、全くの無駄だったってことだ。40のルーキー。すごいね。
「お前、惰性でここまできたんじゃないのか。仕事をする意味はわかってるのか」
「自治体住民のためでしょう」
「それがわかってるならなんで」
「自分のやってることが本当に自治体住民のためになっているのか、そういう実感を得たことは一度もないですよ。それぞれの職場で理屈はわかりますけどね」
「……」
「何をやったらそういう実感が得られるのか、俺には判らないです」
俺は散々におかしいとかずれてるとか言われた。だからなんなんだ。判らないものは判らないのだ。20年近く試してみたその結果だ。
そしてずれてるからなんなんだ。お前もやはり、評価するだけでこうすればいいとか言えない老害なのか。
肚が決まった。今度はうるさくしてやる。他人の仕事に首をツッコミ続けてやる。来年の異動の理由は「うるさいから」で決まりだ。覚悟しろよ糞野郎ども。
面接なんて1回で十分。
どうせ受かる受からないは偶然の産物だし学生にスペックを求めたらそういう人間しか来ないのが分からないのか。
だから、人物評価のち採用後、数年以内で辞める人が多いのは人物採用できてない訳だ。
プロの人材コンサルタントなら一回の面接、10分程度の会話からその為人が分かる。
言動、仕草でどんな人物か猫被ってないかすぐ分かるものだ。そういう人間を何百と見てるからだ。
三者面接では挙動不審でないか等を見てるけど面接なら誰だって緊張するしそんな物怖じしない完璧な人間が欲しいならそういう業界にいる人を採ればいいだけの話で、
人材採用には多くの予算が動くし、一人採用するのにも金が動く。
だから慎重になるのは分からんではないけど、人物採用と位置付けていて3回以上も費やしてその為人が分かるものかと思う。
回数が多くても見る側の判断で、例えば人事・役員・社長と大きい会社の各々の裁量で判断される人物採用だけど、その時の彼らのモチベーションで以って評価される。
モチベーションというより、顔判断、学歴コンプ、縁故(コネ)に加えてロボット並のマニュアルブックによって判断される。
それはモチベーションの有無で判断されるので人物を評価するとは必ずしも言えない。
また面接採用マニュアルがあって、志望動機or自己紹介をロボットのように声出しで復唱させてもその為人が分かるとは思えない。それどころかマニュアル通り過ぎる。
更に会社オリジナル基準の、各々にとって都合の良い採用マニュアルが存在する。
果たしてこんなものが人物評価に繋がるかというと、人材コンサルタント(コーディネーター)をしてプロでない会社員の素人判断の人物評価が必ずしも完全でないので
人物採用を謳って採用面接してる人がどういう人物評価をしてるか非常に疑問に感じる。
マニュアル通りの面接が優秀な人間、真面目な人間を採れないことは採用後即辞める人=第二新卒が増加してる事からも明らかだ。
プロのコンサルタントなら瞬時に人物評価が出来るため会社では人事部ではなく経営コンサルタントや人材コーディネーターを雇い、彼らに任せるべきだ。
尤も人物評価に関して客観的に総合的に判断できる人間であれば、会社の人間で問題ない。
素人面接官に分厚いマニュアルブックを読ませて嘘だらけの新卒面接会を開催した所で、自分を綺麗に飾り立てる学生の嘘の実態を図ることは出来ない。
これは普段本業のプロとして活躍してる人に全くはたけの違う話なのだから人物評価も素人目になるのは仕方ない。
だから学生におべっかを使われて嬉しくない人間なんかいないので、その為人を正確に判断できず上辺だけの評価に終わるのは結局人物評価が出来ていないからだ。
すなわち素人が何度面接をしたところで人物評価が出来ないし、それで採用してもその為人が嘘っぱちだからその人の判断で数年以内辞職、という事になる。
14 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/02/21(木) 22:16:15 ID:7w6L7hkY
医療業界に派閥も年功序列もない?寝言は寝て言えドチンカス・・
欧州の銀行家の独占業界で八百長、コネ、縁故、金が物言う詐欺業界じゃねーか・・
テメー等が発ガン性物質を作り安全性を推奨し政府に認可させてばら蒔いたんだろ?
人体や自然環境に悪影響があると言われている化学物質を開発し安全性を確認し政府に使用許可を認めさせたのは
↑本当に寄生虫だな・・
しかもテメーで官僚に頼んで蹴られて野田に頼んでもそりゃ無理だろ?
政治主導で行く為に制度改革を実施しようとしたが行政府=司法=自民党=マスコミ=要するにお前の仲間が邪魔して出来ねーんだよ?
「お願いしかできねーんだよ?」
今はそう言う構造なんだよ?知ってて民主党の邪魔しまくって何言ってんだコイツ?
原発も同じで谷間が有るんだよ?
↑こうなってんだよ?谷間が有るんだよ?邪魔ならどうしたら良いか言ってみろよ?
それらの予算は特別会計で決まるんだぞ?特別会計の仕組みを語ってみろよ?
そうなってから言えよ?
雑談 2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1360877904/l50
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
横からだが、推薦と自由でなんで、自由を優先したらいけないの?
推薦で企業側が蹴る権利がないならおっしゃるとおりだが、推薦といえども企業側は蹴る権利が存在しているのに、学生側に無いと思うのがなんでだかわからない。
昔から、内定を出すまでが企業優先、出したら学生有利 で 学生を引き止めるために旅行に連れてったりしたのがバブルだろ。
つか、逆推薦で教授も縁故の推薦先に内定してるのに、教授が別な企業推薦してきたぞ?(ようするに、推薦だって複数もらう奴はもらうんだよ。2社目の推薦先だって、人材を奪えるならラッキーだし1社目だって自由で逃げられるのと変わりない。引き止めなきゃいけないのは同じ)
ただ、推薦を蹴るときには断り方がある。あとを濁さないように断れというだけ。
とまれ、自分から推薦をねだったのなら・・・自由で受けるならなんで推薦されたの?とは言われるとは思うよ。
逆に、推薦するけどどうかね?と文字通り推薦されたのなら、とりあえず話し聞きにいてみて、内定は出ちゃうから断るというのは有りだろ。しかたあるまい。
http://anond.hatelabo.jp/20120118104228
「失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ」
「で、あんたはいつ辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。
「まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、一部上場企業の正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。」
気持ちはわかる。でもさ、そうやって若者、とくに非正規を扇動するのはどうかと思うんだ。
だってさ、じゃあ非正規がどうしろっていうんかな?
んなわけない。
失業率が上がろうと、正社員のポストは渡すような試みをすると思うか?
新卒の内定率をちょっと上げるようにちょっとくらい対策をとるだろうけどさ。
世の中を多少でも変えた非正規なんて、加藤智大くらいのもんだ。
それだって、石を投げ込んだ程度だ。
あのね、非正規が正社員になりたかったら、正社員に、労働組合に媚びないとダメだろ?現実問題としてさ。
なにが正社員には言われたくないだ、マスコミには言われたくないだ。
小田嶋隆のツイートを読んで「そうだそうだ」と声に出しちゃうやつは、一生非正規、40になっても50になっても60になっても年収300万。
今年の誕生日で父が定年を迎えた。(ちなみに60歳定年制の会社)
定年後も再雇用でそのまま職場も変わらずだけど、慰労会を開いてもらったとかでお礼状を書くことになったり、
年金事務所に手続きに行ったり書類を書くことがあったりで家族が駆り出された。
父は世代にしても珍しい字の汚い人のためもあるけど、
子どもに甘えたいのか「お礼状のあて先を書いて欲しい(文面はPC作成で印刷のため)。数は130」と頼まれた。
自分はデジタルネイティブな世代でもなく、こつこつ文通したり、部活でOBOGに手紙を書く機会があったので
数はそれほど苦ではなかった。
年金関連の書類も本人がサインしなくてはいけない所は除いて、現住所とかちまちま書いた。
そうすると本人が今まで言わなかった仕事をする父が浮かび上がってきた。
箇条書きにすると、
いわゆる団塊の世代で学歴が重視された世代としては上手くいった方の経歴に入る。
しかし、実際には高卒であることから入社した大手石油メーカーでは夜勤のあるシフトで
朝起きて夜寝る(そして三食後毎に●する)リズムの体であった父には相当なストレスであり憂さ晴らしに賭けごとを覚えた。
そしてまだ縁故の力が強かった時代ゆえ、とある私鉄に親戚のつてで入社する。
駅員さんではなかったが駅ビルなど設備関連の仕事なので、夜勤がたまにあったが本当にたまにだった。
そしてこの頃、母とお見合いし結婚する。(当時母と共稼ぎであったが母が私を妊娠すると母は仕事を辞めざるを得なかった。時代の問題)
やはり「高卒」だと限界があり、どんなに仕事ができない人でも「大卒」というだけで昇進していく。
徐々に父は荒れることが多くなり、子どもにしつけだといいながら柔道の絞め技をかけて戻させたりしてきた。
そしてパチンコにはまり、周囲から借金をし結局総額1000万程になった。
母は家計を何とかやりくりし、借金を返済したが嘘をついてお金をパチンコに使う父に愛想を尽かし、
もし祖父(父の父)が認知症で徘徊したりしなければ実家に帰っていたと思う。
今も父と母はあまり直接話さない。
でも1時期は子どもを通信役にしてしか会話しないので本当に兄弟で迷惑した。
いまだに嘘ついてパチンコに行くし、家族が付き添わないと持病の糖尿病の治療にも行かないけど、
歳を考えればそれなりに元気だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20101005212233
すでに慣れてしまったので別に親元離れなくても我慢できるし、そもそも話さなければいいのでそのへんは大丈夫。
進路間違えたとかは最初は縁故で昔からよく行っていて高校はいってバイトしていたところだったんだけどそこの支配人と喧嘩になって(自分は社長命令で動いていたのに)いけれなくなって
学校ルートで就職探したらいいところなくて、うだうだしてたあっという間に今になってしまったって感じで。
こんなことになるなんて思ってもいなかったから、家金ないんで今更って感じなんですよね。だからどうしようかと
一年浪人して大学行くのに結構抵抗があったんだけどあなたの文章で吹っ切れました。頑張ってみます。
http://anond.hatelabo.jp/20101005212606
改善しようとしてもまずはグループの輪に入っていかないとだめなんですよ。入ろうとしても帰れって言われるときあるから。
まぁ頑張ってみます。まだそれなりに仲の良い人いるし
電磁的記録は公然陳列の対象になりえるか?
電磁記録を人間が鑑賞するには、それを人間の知覚できる形式に、人間が主体的に行動して変換しなければならない。電磁記録とは、電子的方式、磁気的方式その他、"人の知覚によっては認識することができない方式"で作られる記録だからである。
このようなデータに対して、公然陳列が成立するという主張が、今回、警視庁少年育成課と練馬署によって主張されている。
閲覧者が閲覧の意思を示し、機器を操作しなければ閲覧できないものは、公然と陳列しているとは言えないのではなかろうか。もし、閲覧者の意思表示や行動が無くても公然陳列が成立するとなれば、道を歩いている女性も男性も、股間に猥褻なモノを持っている以上、公然陳列を行っていると解釈されなければならなくなる。閲覧者の意思や行動は無関係で、そこにあることが公然陳列罪を構成するという主張は、こういうことである。
再頒布という行為においても、データにつけられたタイトルとデータの内容とが一致しているとは限らない事が多く、タイトルと内容の一致を証明する何らかの保証が、別の手法、たとえばウェブページにおいて、タイトルとその内容を示すサンプル写真やサンプル動画とファイルの取得方法が記述されていて、そのウェブページの作成者が、実際にデータの提供を行っていて、購入者や取得者が証人として存在しているといった状況が無ければ、単純所持でない事を証明する事はできない。そもそも、そのデータの製作者に比べればその罪は低く、また、ソフトウェアの仕組み上、所有者の意図していないデータがキャッシュされるのは、サーチエンジンやウェブブラウザのキャッシュと同様に避けられず、単純所持ではない事を証明するには、本人の自白のほかに、販売行為を証明する帳簿や購入者からの反証が無ければ、公判を維持することは難しい。
そして、何よりも恐ろしい事は、児童買春・児童ポルノ禁止法違反という罪状と住所・本名が、公然と報道されてしまう事である。最長3週間の拘留期間の間に、自白させてしまうという捜査の横暴に屈すると、一生、この烙印がついて回る事になる。この容疑者は、前科者として、生活保護を申請して暮らすしかなくなるであろう。
また、調書に対して一切署名をせず、公判で争うとなった時に、おそらく、この状況では公判を維持できないから、起訴猶予処分になるであろうが、容疑と住所・氏名が公開されたことについては、一切、更正の手続きが取られない。嫌疑無し不起訴の処分がでないかぎり、無罪認定はされない。さらに、無罪認定された場合、警察のメンツを潰したとして、執拗に狙われる事になる。警視庁・練馬署の管轄では生きてはいけない。何の縁故も無い地方に都落ちするしかなく、その先で就職など、余計に難しいとなる。この場合でも、やはり、生活保護で暮らすしかなくなるのである。
取り締まるべきは、子供に売春させて金を取っている母親であり、児童ポルノを撮影した買春者である。ネット上に放流されたデータの所有者を取りしまる前に、やるべき事がある筈なのに、貴重な税金を使って、何をやっているのであろうか。やるべき事をやらず、仕事をしている振りに汲々とするのは、政治家だけで十分である。
それにしても、最近の警察は、法の解釈・適用能力においても、民主党並にまで劣化してきているのではなかろうか。インターネット関係についての調査能力が無い事はわかっていたが、その能力以前に、法を司る者としての能力まで劣化してきているのは、どういうことであろうか。無駄飯食いに高給を出す余裕は、日本の財政状況には無い。能力に見合ったレベルにまで、権限と給与待遇を落とすべきであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20100709161932
http://anond.hatelabo.jp/20100709161115
情報ありがとう。
私の意見は変わらないかなー。
横増田の基準だと、
「情報を網羅する」か「空気読んだタイミングで話題に加わる」のが「頭いい」んだね。そうか、なんかすみません。これ書いたらツリー全部読んできます。
海外の大学にいたので、学歴はあってないようなもの。秋に卒業して帰ってきて、就職までのつなぎで大手の学習塾でバイトしたりもしたけど、社員さんとの縁故でお願いして雇ってもらってた(だから、「やる気」はすげーあったけどねw社員さんの顔に泥塗れないじゃんwww)ので、元の増田とは状況が違うだろうが、教えられる側の年代と教える側の学歴・知識の関係はこんな感じだった。
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高校生:高卒程度の知識があればOK。国数英理社いずれかに得意科目があればよい。
ただし、知識について理解を深めていることが必要。
中学生:高卒程度の知識があればOK。マニュアル化されていれば、理解が多少足りなくても大丈夫。
小学生高学年:中卒程度の知識があればOK。基本、マニュアル化されていなくても、大丈夫。
小学生低学年以下:カオス。子育て経験っていうか保育士っていうか、なんかそういう知識あった方が業務遂行上いいかも。
言葉がなかなか通じないので、ある意味一番専門知識が必要そう。(児童心理学とか)
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接客というか、ニンゲンカンケイな仕事だから、対人スキルは必要だし、重要。もちろん、塾っていう集団で働くのだから、社会性も必要。「もともとの能力≒学歴」なワケがない。
しかも、子供は成長段階によって対応を変えないといけないから、並より上の対人スキルが必要かも知んないw彼らは「客」じゃない。「教える」だけだと、も、全然だめ。まったくわかってくれないんだよ。
ま、どこまで元増田の塾と被るかはわかんない。
ただ、「学習塾における業務遂行能力」の話題だったらなおさら、「高卒」<<<「院卒」みたいな話が出るのはおかしい、と改めて思った次第です。
そりゃあ、中卒の人が高校生を教えるのは無理だし、東大に●●人入れました!みたいな進学塾とかお受験の予備校とかで、大学出てない人間が講師にいたら生徒のモチベーションが下がるってんなら話は別だけど、そもそもそういうとこだと高卒かつ社会経験ない人は採用しないと思うんだよね。履歴書出してテスト受けて採用された時点で、「学歴・学力という能力」の最低条件はクリアしていて、あとは、+対人ほかの能力が「もともとの能力」なんじゃないのーって思った。
院卒さんが精神疾患なのか発達障害なのかは、会ったことないし生育歴も知らないからわかんないな。
バイトとはいえ、教育関係の末席にいた人間としては、そういうこと軽はずみで口に出しちゃいけないって思っている。
そして、元増田が学習塾勤務なのだったら、是非はともかく学歴コンシャスなのは、とてもよくわかる。仕方ないとも思う。
遅いかもしれないけど、頑張ってください。
でも、あまり子供を不幸にしないでね。
前職の会社がいろいろあって辞めることもままならなかった。
最終的に辞めたいなら子会社をつくればいいと会社の経営陣に説得されて、その会社の役員として入ることになったんだ。
もっとも成功しやすいのは前職を引き継いで仕事を回すのだと思ったしね。
出資もしてその子会社の立ちあげの経営陣に入ったのだけど、資本金は集めておいたのねん!的に、気が付いたらあちこちから資本を集めてきて、意味のわからない資本体制に。
出資者はメーカーのお偉い陣だったりしたして、逃げ場もないような状態。
子会社社長には親会社のいいなりになるようなイエスマンが据えられてあれよあれよというまに法人に。
役員なら自分の考えた事業ぐらいはできるんだと思ってたんだ。
子会社の社長も、落ち着いたらそういうのもできるよと言っていたしね。
だけど、会社として周りだすにつれ聞いてもない話しが増えてきた。
親会社が雇えないような縁故の社員が子会社の社員になっていたりしてね。
知らされてもいないってどういうことなの。
事業の方針もないままに資本金だけはどんどん減っていく。
責任は自分にもあるのにお金の使い方みちとか人の採用とか知らないところで決まっていく恐怖感。
そもそも元居た会社は方向性がまるで違うから独立したかったのに、さらに輪をかけて意味のわからない事態に。
新規事業が軌道にのるようだったらMBOすればいいと気軽に思ってたんだよね。
だけど、人のふんどしで独立したつもりが、会社の連帯保証人、注意義務を法的に負う立場になっていた。
現状に気がついたときは、悔しくて泣いたですよ。
相手の方が2枚も3枚も上手だった。
恫喝とかそういうのも含めて交渉は相手の方が上手だったし、ネットワークも広い。
自分の人生を考えたときにこれは失敗と認めざるを得ない状況であったので、法的な準備をして離脱をしました。
辞める直前は弁護士や中小企業診断士などに相談してどうしたらいいかというような話しばかりをしてました。
教訓、虎穴に入って虎が出てきたら全力で逃げろ。
失敗は若い時のほうがいいよ。
失敗は20代の時の話しだったから20代の時にリスタートできた。
他の会社の経営陣とか喋るけど、潰したことがあるなんて話しはよく聞くよ。
確率的に考えれば失敗しないわけが無いんだ。
2年前、弟が自分のマンションの風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。
先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。
父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。
アル中気味の父親は家庭では尊敬されていなかった。妹や弟から馬鹿にされても父親は特にプライドがないのかいつも笑ってごまかしていた。
弟は難産だった。母親は医者に出産するとあなたは死ぬから子供は堕ろすようにといわれたそうだ。母親は子供を産んで死ぬのは親の本望だといって無理矢理に弟を産んだ。帝王切開だった。
どちらかは死ぬはずだった母と弟はともに生き残った。
母親が占い師にいわれたそうだが、弟の運命は僕を助けることだそうだ。
なので、ぼくはいつか弟は僕を助けてくれるんだろうとなんとなく昔から信じていた。
人付き合いが苦手な僕と違って、弟は社交的だった。中学時代から彼女はいたし、友達も多かった。
そんなにレベルの高い大学にはいけなかったが、楽しそうに生きていた。
僕は社会人になって27歳のときに勤めていた会社が倒産してヘッドハントとかされなかったのでやむなく仲間を集めて会社をつくった。
何年かして会社もなんとか軌道にのったあたりで弟が相談をしてきた。弟は大学を卒業した後、デジタルハリウッドにいってCGを勉強したらしい。友達と一緒に大阪の大手ゲーム会社の下請けの仕事をしたいんだという。ただ、仕事を貰えると決まった訳じゃなくて、まず、タダで仕事をして、能力を認められたら、きちんと発注してくれるらしいので、そしたら、弟の友達は会社をつくるという。で、弟はそこで働きたいそうだ。すごいチャンスだと思うと弟は熱心に説明した。
ちょうど、その数ヶ月前のことだが、ある別の大手ゲーム会社の重役に挨拶にいったことがある。そのときにこれからなにをしたいんだと尋ねられた。僕はネットゲームのシステム開発会社として日本一の会社になりたいと答えた。それってようするに下請けだろ、と目の前の重役にいわれた。下請けというと、つまりゴミだ、おまえはゴミになりたいのか、と重ねて尋ねられた。もっと目標を高くもて、コンテンツの世界は自分でコンテンツをつくらないと一人前じゃないと説教された。
そのことがすごく頭に残っていたので、僕も弟に同じことをいった。お前が掴もうとしているのはゴミになる大チャンスだ、と責めた。しかもゴミの一番下っ端になりたいのかと問い詰めた。
結局、弟は夢をあきらめて上京した。
何年かして僕の会社の取引先のひとつに弟は就職した。僕は縁故とかはあまり弟のためによくないと思っていたので、1年間勉強して、他の会社に移れといった。
しかし、2年たっても3年たっても弟は同じ会社にいた。
すくなくとも僕の前では、弟は仕事についてはあんまり自信がなさそうに見えた。でもプライベートでは友達も多く面倒見もよかったらしい。
ある日、弟に相談をされた。鬱病の友達がいて、頼られていて、ずっと相談にのっていた。1週間以上も家に泊まったこともあったらしい。ずっと話をきいていてあげたら、元気になったといって自宅にかえっていったんだが、すぐにその夜に、また、相談にのってほしいと電話があったので、いいかげんにしてくれと思って断ったそうだ。そうしたら、結局、友達じゃなかったんだね。これまでありがとう、恨んでないから、といわれて電話を切られたそうだ。その友達はその晩に自殺した。弟は自分のせいで友達は死んだと責任を感じているようだった。
僕はこれは笑い飛ばしたほうがいいと思って、たいしたことじゃないじゃん、しょうがないといって、あまりとりあわないことにした。
弟は不満げだったが、僕はこういうのは思い詰めるのはよくない、と思った。
そんな相談されたことも忘れたある日、僕は弟が勤めている会社の取締役と話をしていた。弟は結構会社では戦力として活躍しているそうだった。ただ、勘違いをする癖があって、ある時、社内で弟が、僕は一番重要な取引先の代表取締役の弟なんだから、それを生かして自分にしかできない調整をやるのが自分の使命だ、とか言い出したことがあるらしい。そのときは勘違いするな、生意気なことをいうな、と散々説教したそうだ。しばらくそんなことはいわなかったらしいが、おととい、また、飲み会のときに、ぼくがいなくなったら、みんな困りますよね、とか言い出したらしい。最近、仕事ができるようになったからといって、また、生意気なことをいいはじめたと、みんなでよってたかって虐めたそうだ。一人前になったのなら、最初の予定どおりに独立するなり、別の会社に転職すればいい。
おとといは遅くまでのみすぎたせいか、昨日から、弟は連絡もなしに会社を休んでいた。今日もきていないらしい。
弟は父親は嫌いだったが、母親は大好きでしょっちゅう母親とは会っていたし、頻繁に連絡をとっていた。
その夜、母親が弟といっこうに連絡がつかないことを怪しんで騒ぎはじめた。弟のマンションは僕のマンションのすぐ近くだったが、いったことがなかった。夜中だったので、どのマンションかどうしてもわからず管理人のひともいなかったので、その夜は諦めた。
ふてくされて部屋にひきこもっているんだったら、明日でも一緒だし、そうじゃなかったら、たぶん、もう…、おそい、となんとなく予感した。
翌日、会社の会議にでていたら、弟の自宅にいった母親から携帯に電話があった。会議中だったが、電話にでた。携帯電話からは、僕の名前を絶叫する母親の声がきこえた。
弟のマンションの部屋には鍵がかかっていなかった。見つけて欲しかったのだろう。弟の死体は母親が浴室で発見した。
弟の死因は死亡診断書によると心筋梗塞だ。もともと心臓が弱かったから寿命だったに違いない。
弟とはほとんど話をしたことがなかった。僕は弟のプライベートはまったくしらない。部屋には僕の知らない弟の趣味のものがあふれていた。母親はいろいろ知っているようだった。
母親も弟から友達の自殺の話を何度も相談されていたらしい。不幸にはなりたくない、でも幸せになるのもいやだ。弟はそういっていたそうだ。
台所に楽天の箱があり、中身を見ると練炭だった。期日指定配達で、ちょうど弟が死んだ3日前に届けられていた。
調べてはいないが、一年前に死んだ友達の命日なんだろうと思う。
弟が死んだ夜は東京に台風がきていて記録的な暴風雨がふきあれていた。その日の昼間には、権利者団体との和解後、暴騰をつづけていた僕の会社の株価が、その月に三度目となるストップ高を記録していた。
弟は服を着たままiPodだけもって浴室にはいった。窓とドアに目張りして明かりを消した浴室の中で、弟はなにを考えながら死を待っていたのか。コブクロからはじまっていた最後のプレイリストは、いったいどの曲まで聴いたところで、弟は息絶えたのか。
葬式は身内だけでやるつもりで、まわりに連絡はしなかったが、弟の勤務先にはそうもいかず、ぼくの素性をしった葬儀屋の薦める最低限の告別式は、ずいぶんと派手になった。弟は来週から出向する予定だった会社の副社長が通夜にも告別式にもきてくれた。嬉しかった。
弟の死で僕の家族の生活は一変した。結束は強くなったと思う。父親ははじめて酒をやめた。そのつぎの正月とゴールデンウィークにもひさびさに家族が集まって海外旅行にいった。
父親と母親は弟の死を弔うために四国八十八寺のお遍路参りをはじめた。乗り物は使わずに歩いてまわった。さすがに一度にまわるのは老人の足には無理で、2泊3日の旅をなんども繰り返した。徳島県からはじめて高知県の最後の難所の足摺岬をまわったところで、父親は何をおもったのか、帰りに高野山によった。
あとでわかったが、お遍路を全部まわったら、高野山に報告にいくものらしい。徳島、高知を終わったわけだから、ちょうど半分のところで最後のゴールにいってしまったことになる。母親はせっかちな父親らしいと笑っていた。
足に疲労がたまったのだろう、東京にもどってきた母親が駅で転倒して、足首を骨折した。
母親が入院したので、父親は僕が両親用に買った高層マンションの最上階の部屋でひとりで生活することになった。父親は入院している母親にぐちをこぼしていたらしい。早く退院してほしい、あの家はひとりだと広すぎるんや、弟の幽霊が現れて、こわいんや。
父親はやめていた酒をまた飲み始めていた。
ある日、母親から携帯に電話があって、父親が連絡つかないから家を見にいってほしいといわれた。またかと思った。
家の扉に鍵はかかっておらず、家中を探すと、父親は浴室で溺れていた。鼻まで水に浸かっていたので生きていないことはすぐにわかった。
父親は酔っぱらって溺れたのだろう。ちょっとだけ苦しそうな表情をしていたが、幸せそうな顔だ、と母親に告げたが、けっして遺体をみようとはしなかった。
きっと弟の死を発見したときの光景が目に焼き付いていて、そんな思い出を増やしたくないのだろう。僕も父親の死体を見つけたときの記憶はあまりにも強烈で、きっと死ぬまで忘れることはできないと思う。
父親が死んだのを発見した翌日には、JCBホールで会社の大きな発表会があった。父親の葬儀はその翌日になったので、やることもそんなにはなかったから発表会の現場には行った。葬儀屋も一年前と同じで、僕も葬儀屋も慣れていた。
葬儀が終わってから、僕はいつものさぼり癖が出てきて、会社へはほとんどいかなくなり、ずっと母親と一緒に暮らした。
なんのために会社をつくってがんばってきたんだろうと僕は思う。
会社をつくるときの資本金は親が出した。僕は貯金は1円もなかったからだ。後で聴くと、それは妹の結婚資金だった。米国の親会社が倒産したときには、倒産した親会社の持ち分を減らして独立した日本の会社にするために増資をした。僕が買い増した株の代金は、父親の退職金だった。父親は某大手スーパーの子会社で経理をやっていて、定年まであと2年あったが、父親の退職金が必要だったので辞めてもらった。僕の会社には経理の経験者もいなかったので経理もやってほしかったというのもある。
父親が30年以上勤務して、最後に得た退職金は、僕の会社の3ヶ月分の運転資金となって消えた。
僕の人生の中で後悔している最悪の決断は会社をつくったことだ。僕は人生最大のギャンブルを家族と両親の人生そのものに等しいお金を賭けて勝負した。本当は賭けていいようなお金ではなかった。本当はやっていけないギャンブルだった。
結局のところ、僕の会社は数年後に上場を果たしたから、賭けには勝ったことになるのだろう。だからといって卑怯なギャンブルの罪が消えるわけではない。起業した時に、結果的に成功するまでの道筋は、僕にはまったく読めていなかった。
会社をつくってまもなく僕は自分の判断の間違いに気づいた。生まれてこのかた好きなことしかやらず、努力なんてしなかった僕は、なにかを成し遂げるためではなく、会社をつぶさないためだけに睡眠時間も削って働いた。
自分ひとりのことだったら、どこかで投げ出して逃げていたと思う。でも、僕が失敗したあとの両親の悲惨な老後を考えるとできなかった。会社をつくったときに万が一失敗したときにだれにも迷惑がかからないように相棒と一緒に生命保険を掛けた。最初、1億円で翌年は2億円に増やした。日本では会社が大きくなればなるほど、借金やリスクも増えていく仕組みになっている。勝負に勝っても、そのままダブルアップで賭けつづけることを強制されているギャンブルのようなものだ。2億円あっても全然、会社を整理するには全然足らない規模に成長したため、上場できるか、できなければ、いずれ一家で破滅するか、そういうゲームになった。
上場の準備を進める中で、父親は仕事を外された。創業者の近親者が経理をやっているのはまずいと証券会社に指摘されたからだ。定年間際まで勤めた会社を辞めて息子の会社を手伝い資金まで提供した父親は息子の会社で居場所を失った。父親が勤めていた某大手スーパーは、いくつかの同族企業が合併してできた企業で派閥争いが絶えなかった。どこの派閥にも属さない父親はずいぶんと嫌な思いをたくさんしてきたようだ。ずっと傍流で冷や飯ぐらいだったサラリーマン人生の最後で、父親はやっと息子の会社で念願だったろう主流派の一員に加わることができた。それも長くはつづかなかったわけだ。
後ろ盾のいないサラリーマン人生で父親はきっと言い訳ばっかりさせられていたのだと思う。父親の話には論理的に一貫しておらず何を説明しているのか要領を得ないところがあった。能力的にもいまの会社にはふさわしくないと僕は判断し、父親を切ることに同意した。
父親はよっぽど仕事をしたかったのだと思う。やるべき仕事がなくなっても、一所懸命、自分でデータを集めてつくった会社の資金繰り表や損益計算書を僕のところにもってきては、会社の問題点を指摘しようとした。
僕は、もうそんなことはしなくていいと、父親がつくった資料もろくろく見ないで突き返した。
1年、2年たつと諦めて、会社にもあまりこなくなった。暇をつくるのが怖いのかのように隙間無くカレンダーを母親との旅行の予定で埋めた。
会社にあまりこなくなってからも母親には仕事への未練を話していたらしい。息子のために自分は会社に必要だから、また仕事をしようと思うと定期的に言い出す父親を、そのたびに母親は、もうやめなさい、と諫めていたそうだ。
お金の心配はせんでようなったけど、あんまり幸せにはなれんなあと、ことあるごとに父親は愚痴をこぼしていたらしい。
弟と父が死んで、母親と暮らすようになって、そういう話を何度も僕はきいた。
僕は両親の人生を担保にしてゲームをして、そして勝った。勝利の証しとして得た報酬はそういう現実だったらしい。
何のために生きているのか、何のために頑張って仕事をしているのか、自分自身のことだけでいえば、死ぬまでのたんなる暇つぶしだ。別になにか世の中を変えようとか、大きなことをしたいという使命感なんてない。ただ、僕のまわりにいる好きなひとたちが、僕を必要としてくれているから、自分ができる芸を精一杯見せているにすぎない。
僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。
でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった。
僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。僕もだらしない父親が嫌いだったが、同じ部分は僕にもあり、父親と同じ人生を生きていたらやはり同じようになっただろう。弟も同じで頭の回転も似たようなもんだった。弟も「自分と兄は得意なものが違う。勉強は兄よりもできないがプライベートでは自分のほうが上だ」と高校の時ぐらいからいっていた。僕もそのとおりだと思う。そもそも人間なんて環境がつくるものだ。本来の素質に意味ある優劣なんてさほどない。
でも、現実の世界では、僕は弟の相談は上から目線で笑い飛ばし、父親の仕事は奪った。
弟のことはあまりにも知らなすぎた。何を考えて、何が好きだったのか、何をしたかったのか。
本当に死ぬしかなかったのか。たとえ時計の針をもどせても、なにをすればよかったのかまったく想像はつかない。
人付き合いは弟のほうがよっぽどうまかった。死を選んだ人間が最後の相談相手として選んだほど弟は信頼されていた。過去にもどれたとしても僕が弟に与えてやれるとしたら、仕事のアドバイスとお金だけだ。弟はブランド品が好きだったし、きっと僕なんかよりも贅沢なお金の使い方はしっていただろう。人間がダメになると母親は僕が弟や妹にお金を渡すことは許さなかったが、金まみれにしてダメ人間になっても生きていてくれるのならそのほうがよかった。そんな貧しい後悔しか僕には思いつかない。
母親は命をかけて弟を産んだ。占い師は、将来、兄を助けるのが弟の運命だと予言した。弟の存在は僕にとってなんだったのか。補佐してくれるんじゃなかったのか。
弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。
父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。
弟が死んだとき、親戚は、このことはあまり話さない方がいいと助言してくれた。話すべきことじゃないといわれた。
でも、たんなる感傷にすぎないのかもしれないが、僕のことをしっていてくれたり、僕の仕事を評価してくれているひとには父と弟のことを話したいと思った。そうして、このエントリをいま書いている。
死なんてものは世の中にありふれている。僕にとって特別なふたつの死も他人には関係のないはなしだ。
父と弟の話を書いても、ネットの中に埋もれて、僕のまわりのひとすら見つけられないのはさみしい。そう思って2ヶ月ほど前にブログをはじめた。僕に少しでも関心をもってもらえそうな話なんて、あたりまえだが仕事しかない。そもそも仕事の話以外に自分にはとりえもなければ、価値もない。弟のいうとうりだ。父親の納骨で区切りをつけてこのエントリをあげるつもりだったが、ブログに予定外の反響があったことや、僕自身のためらいもあって、それから1ヶ月以上たってしまった。
結局、いろいろ手垢のついてしまったブログに書くのも違うと思って増田にしました。
僕の仕事に興味があってブログを見に来ていたみなさん、最後にこんな文章を読ませてしまってすみません。でも、これが僕が聞いてもらいたかった話です。
最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。