はてなキーワード: 息抜きとは
※以下の文章の中には精神疾患を差別したように聞こえる発言があるが、精神疾患の人々を差別・揶揄する意図は一切ない。むしろ彼らの在り方に敬意を示したうえで書いていることをここに明記する。
※また、一部生理についての過激な描写がある。苦手な人は見ないことを推奨する。
2022年4月、大学生になった。あまり他の大学では見られない学部で、演劇系のサークルに入った。6月になればバイトも始めた。サークルの先輩に薦められたバイト先だ。
その学部に辿り着いた経緯は成り行きではあったものの四年間勉強を続けるとしたらここがいいと思って選んだし、演劇系のサークルは前々から挑戦してみたかったから丁度良く、バイトも勤務時間が固定ではあるものの客がいない時間はスマホを弄るとかでない限り色々なことをしてもいいという比較的懐が広いところであるし、未だ趣味で収まっているもののいずれそれで食べることが出来たらと思う小説も息抜き兼たまの小遣い稼ぎとしては十分。これまでの人間関係で厄介そうなものはあらかた取り除いていたけどチャットアプリの友達欄にはそこそこ名前が残っている。
背伸びをしすぎていない、でも自分の理想を少しずつ歩いている。最高の環境だ。
勉強は自分の好きなものが多いから単位は今のところ落としていないし、サークルでは脚本が採用されなかったけど学園祭ではその採用されなかった脚本が原作として拾われて最初のうちだからと裏方仕事を楽しんでいる。バイトは繁忙期を終えて一通りのことは慣れた。趣味も、継続できている。友達は、この前学園祭に呼んだ。元気そうだった。
2月になって生活の基盤が固まって、人間関係や誰が誰にどういう扱いをするかもなんとなくわかってきた今の頃合いで、自分が思っているよりも無能だと理解して、皆が私のことをそこそこ雑に扱いだして、途端に人間不信が襲い掛かった。
この人間不信の根本がどこかはわかっている。小学校5年生の時の学級崩壊だ。産休の代理の先生が皆と『そりが合わなかった』ことによって起きた、たった半年間の学級崩壊。教育委員会も動いて、頼みの綱の隣のクラスの担任は途中で元から抱えていた持病で倒れてしまった。親は、母親はともかく私がどんな漫画が好きなのかも知らないし服装の制限ばかりしてくる父親は元々あてにできなかった。蕁麻疹が出来た。大人が信じられなくなった。同級生が信じられなくなった。別の自分の声が聞こえるようになった。クラスで皆が先生を無視しておしゃべりしている声がやけに大きく聞こえた。宿泊行事でいじめっ子と同じ班にさせられて『どうしようもなくて』そのままいじめっ子たちと同室で夜を過ごした。先生が生徒を羽交い絞めにした。生徒を体育倉庫に閉じ込めたまま委員会の集まりに戻ろうとした。私が「かんきんじゃないんですか」と言ってやっと開けた。そのころは誰彼もが病気じみていて、例の先生がいなくなって皆が落ち着いても私の病気じみた臆病と自罰は治らなかった。何もかもが憎くなった気持ちを小説に換えた。なまじ同世代のなかで頭はよかったものだから、心理学の本を読んで『昇華』というものがあると知ってじゃあそうしようと思ったことだ。小説を、同級生に見せた。「よくわからないね」と言われて、私の気持ちは何も伝わっていなかったのだと知って、ネット以外で作品を乗せることをやめた。
狂うとは、私の中では「これまで起きたことをなかったことにする」ことだ。
だから私は適度に怠け者で適度に有能で人を信じることが出来て人に作品を見せることや自分の感情を小説じゃない方法でさらけ出すことを怖いと思わないようにした。
怠けることは怖くて無能で人は信じられなくて人に作品を見せることや自分の感情を小説じゃない方法でさらけ出すことは怖かったけど、なかったことにした。
なかったことにした感情たちが、今更ぷちぷちと熟したトマトみたいに裂けて落ちたのだと思った。
明確に思えたのに、もう一度狂おうと模索してしまっていて、いよいよ病気じみていると思った。
いつだって安定しない生理の剥がれ落ちた子宮内膜と一緒にこの気持ちが洗い流せたらと思って、ダメだった。
病院に行こうと何度も進言された。学校を巻き込んだちょっとした騒動も起こして、診断書も貰った。
でも、行けなかった。
もしこれで『今までの感情に全部説明がついて片付けられて』『自分は悪くないと明言されて』『復讐なんて気持ちが芽生えないようになって』しまえば、その先に何があるのか全く想像できなかったからだ。
普通になってしまった自分が、狂ってしまった自分と同じことになったらと思うと怖かった。何より、復讐の消化兼昇華を趣味としてしまった私がどこにいってしまうのかわからなくなった。
後に残った小説みたいな言い回しのレポートも、小学校の頃の友達なんて誰もいない連絡先も、ただ『善人でいると騙される』と思って剝き続けていた牙も、全部意味がないものになってしまうことが怖くて、病院に行けない。
片耳が聞こえない母より先に五体満足の私が病名を持つことの気が引ける。
偏見のないフリをして古風な祖父とよく似た父はなんていうだろうか。
成人式で会うかもしれないかつての同級生に『あの頃がきっかけでこうなった』ことを知られることを考えて、怖くなる。
Wordファイルとふたりぼっちの戦いは、小学校5年生から今日までずっと続いている。
復讐は、終わっていない。
復讐のきっかけとなった思い出は、自己防衛がどんどん忘れさせてくる。
今度はもっとうまく狂わないといけない。
結婚生活は10年を超えた。家事を分担し配偶者との仲も良好、子供はそろそろ手を離れるし学校が嫌なそぶりもない、仕事も順調なほうだと思うし、他人から見ればきっと何不自由なく見えるだろう。
だが、ハマっていたジャンルのツイッターのアカウントを消してしまった。
きっかけは結構仲良くしていた相互フォロワーがその人のバズツイについたクソリプ野郎に粘着され、精神を壊してリアルが壊れてしまったこと等、色々重なった結果だった。
ツイッターは仕事とか、子供のこと、やらなきゃいけないことの合間の息抜きとして楽しかった。だけどそんなのでつい身近にいる人間が壊れてしまったりして、使い方が難しく、自分には誰かとの交流を続ける自信がないから辞めた。
そうなると、虚無になった。やることが社会的義務以外にない。新しくやりたいこともない。
母が自分ぐらいの歳に宗教にハマっていた理由がしみじみとよくわかってしまった。何かにハマってないと狂ってしまいそうだ。
だからこんなところにこんなの書いてるってわけだ。
今年仕事が忙しくて全然帰省できず、最近元気の無いという祖母に会えることを楽しみに年末の仕事もやりきったのに、仕事納めた日の夜に喉の違和感→翌日発熱→翌日陽性診断、となった。
実家は飛行機の距離なので長いまとまった休みが無いとなかなか帰れない。
仕事納めてからの陽性なのでただ年末年始の休みが丸々コロナで寝込んで消えるだけだ。
一人暮らし、パートナーはいない、心配した友人が食糧を調達して玄関に置いてくれたのが唯一の救いで涙が出そうだったが、新婚の友人にそんなことをさせてしまったというのも申し訳ない。
気分が落ち込んで死にたい。療養明けはまたすぐ激務が始まる。たった一つ楽しみにしていた息抜きすら奪われてなんで生きているんだろう。いっそこのまま菌に殺して欲しい。
すると突然、まばゆいばかりのスポットライトが飛び出したばあさんを映し出す
「JI-I-SA-Nは」「どこだ!」ステージにばあさんの声が響く
詰め掛けたオーディエンスはばあさんの久々のステージに期待で爆発しそうだ
今晩も伝説のリリックが聴ける。ストリート生まれヒップホップ育ち。本物のラップが聴けるのだ
キャップを斜めに被りオーバーサイズのTシャツをきたじいさんがターンテーブルをいじりながら目でばあさんに合図する
「 ここでTOUJO! わしがONRYO! 鬼のGYOUSO! ばあさんSANJYO!
違法なMAISO! じいさんTOUSO! 壁からわしが呼ぶGENCHO!
(ドゥ~ン ドゥンドゥンドゥ~ン キュワキャキャキャッキャキュワキャ!)
どこだJI-I-SA-N老人MONDAI! そんな毎日リアルなSONZAI!
SAY HO!(HO!) SAY HO HO HO HO!」
じいさんのプレイも好調だ。オーディエンスの熱狂はこわいくらいだ。
まだ、俺らの時代は始まったばかりだ、そんなメッセージがばあさんの口から飛び出していく
本物のヒップホップが、ここにあるのだ。
長年連れ添った仲の良い老夫婦がいて
「片方が先に死んだら、さみしくないように壁に埋めよう」
と言い交わしていた。
しばらくして、婆さんが先に死んだ。
爺さんは悲しみ、約束通り婆さんの死骸を壁に埋めた。
すると、ことある事に壁の中から「じいさん、じいさん…」と婆さんの呼ぶ声がする
爺さんはその声に「はいはい、爺さんはここにいるよ」と答えていたが。
ある日、どうしても用事で出なくてはいけなくなったので村の若い男に、留守番を頼んだ。
「じいさん、じいさん…」
男は答えた。
最初のうちは答えていた。
けれどしかし、婆さんの声はなんどもなんども呼んでくる。
「じいさん、じいさん…」
やがて、男は耐えきれなくなって叫んだ。
「うっせえ! じいさんはいねーよ!」
すると、壁の中から鬼の形相をした老婆が現れ、「じいさんはどこだあ!」と叫んだ
すると突然、まばゆいばかりのスポットライトが飛び出したばあさんを映し出す
「JI-I-SA-Nは」「どこだ!」ステージにばあさんの声が響く
詰め掛けたオーディエンスはばあさんの久々のステージに期待で爆発しそうだ
今晩も伝説のリリックが聴ける。ストリート生まれヒップホップ育ち。本物のラップが聴けるのだ
キャップを斜めに被りオーバーサイズのTシャツをきたじいさんがターンテーブルをいじりながら目でばあさんに合図する
「 ここでTOUJO! わしがONRYO! 鬼のGYOUSO! ばあさんSANJYO!
違法なMAISO! じいさんTOUSO! 壁からわしが呼ぶGENCHO!
(ドゥ~ン ドゥンドゥンドゥ~ン キュワキャキャキャッキャキュワキャ!)
どこだJI-I-SA-N老人MONDAI! そんな毎日リアルなSONZAI!
SAY HO!(HO!) SAY HO HO HO HO!」
じいさんのプレイも好調だ。オーディエンスの熱狂はこわいくらいだ。
まだ、俺らの時代は始まったばかりだ、そんなメッセージがばあさんの口から飛び出していく
本物のヒップホップが、ここにあるのだ。
氏のSF小説は二作目かな。
超情報社会が実現した未来。身の回りの全てから大量なデータが取られる世界でその処理を補佐する装置をほぼ全員が装着し、いやおうなく収集されるプライベートや秘匿情報は多情報に加え他人を見れる・自分を見られない(隠せる)上位と情報が制限されさらに他人を見られない・自分を見られる(主語がないと日本語って難しい)下位という階級制度ができあがっていた。
そんな世界でおおむね一般人の最高階級であるクラス5(大臣級が最高位の6)の主人公はありえないような情報を扱う能力を持つ…いわば"クラス9"の少女と出会う。
知るknowと脳の同音異義語の単純なお遊びがタイトルっすね。
んー感想としては面白かった!でもあっさりだね!なんかちょっとはぐらかされた気もするぞ。
全知の果ての結末があれとリンクするってのはとても興奮した。
主人公は少女にわざと情報を渡さなかったものがあったからそれをもってして全知の欠けとして引き止めるのかと思ったらそれを渡して送り出すのはそっちかぁぁぁぁ!となりました。
中盤でクラス*というキャラがでてきて謎の概念バトルが始まってですね。なんだか描写がとある魔術の禁書目録みたいだなぁと笑った。気が抜けた…のがマイナスといっていいか。一回こっきりだったけど。オマージュだったのかな?息抜きにはなった。
他、好きなシーンは坊さんの知識をちゅうちゅう吸い尽くすシーン。問いに答えているテイがいつの間にか無理やり知識を吐き出されている関係に変わり本人はそれに気付かず疲弊していくっていうのが好き。吸智鬼って感じ。
全知の表現は他に、十分な情報とそれを処理する能力があれば未来を予測したり人格を再現できるってものもある。あと他者に何か決定的な予感を抱かせるなにかもありそう。
未来予知はどちらかと言えば決定論寄りな立場なんじゃないかなぁと思った。それでいて仏教の悟りとか聖書を比喩ったり日本の神話時代の古代史に触れたりちょいちょい宗教的な部分が入る。門を開くシーンはもう奇跡を起こす、啓示をもたらす聖人みたいな書き方じゃなかった?
結局、全知な人間なんて書けないわけですよ。だから全知な人間の思考・言葉は全知でない一般人には理解できないってことにして最後の対談はまあ置いてけぼりにされてちょっとスカされた気分になったよね。それで行き着く先が聖書のアレ。日常的な情報を全て知れる全知の人間が求めるのが宗教的未到達点や古代の秘匿情報というのはわかるんだけども。誰もわかってないから描写も誤魔化せるし。だけどもね。
うーん…そっち行っちゃったかぁ。という残念な気持ちがある。結果的に古代の聖書のアレが比喩として使えそうなことに偶然なった。と言い訳はできるけどこれはフィクションだから作者が聖書のアレを使かおうとして逆算でこうなったわけで現代人よりはるかに情報が少なかった古代の聖書が情報の、人の到達点で起きることを予期されていたってのはSF的にNG感はあったかなぁ。
人の脳が「量子コンピューターの性能10倍以上の差」を覆すのもね。量子コンピューターって…!もっとこう…!すごいものだろ……!!!みたいなイメージがある。あった。
それを人類の秘めたる力で覆されちゃうと科学の信奉者(でもないけど)としてはがっくりくるものが多少はあるよねー。
展開的には燃える、熱い、そうくるのかぁー!となるんだけどね。納得できない自分が10%ほど含有されています。
これガンダムでニュータイプの覚醒が最後に全部かっさらっちゃう感じに似てる。ってZとユニコーンぐらい?Z見てないや。適当書いたかも。
(全知すら知らない人類の未知の分野を書かないで済ますというのもしかたないけどずるいぞ兄ちゃん!ってなるよねー。結局、全知の彼女から読者の自分が受け取った全知者特有の何かってないのかもしれない。だって作者は全知じゃないから…。でもなんかこんなんだったよー!っていうフィクションが見たかった!)
それはそれとしてライトなノベルで重要なのは少女のヒロイン度だよね。
もちろんクラス9である彼女は大人である主人公より圧倒的に情報を持ちまた扱えるわけで。そこで重要なのが少女の少女性だよね!
すごい人間だけどいかにただの少女の部分があるかってのを魅せるのが大事大事!
その点はまあ成功してたんじゃないかな。極端な幼さは見せなかったと記憶しているけれど節々の立ち居振る舞いは可愛かったよね。ドレスを選ぶシーンとか好き。
それとサブヒロイン?出番は極小で居なくても問題ないキャラなんだけど、上司の主人公が嫌いででも能力は認めてて多分身近で一番の主人公の理解者で嫌いだけど好き、固執してるってポジションの女性。ツボです。一言で言える言葉ができてジャンル化しねーかなー!!!!!!
ナウシカのクロトワ、ブリーチの七緒?古典部の伊原?左門くんとてっしー?
…だけどマジで本筋に一切絡まないとはね。ラストの展開は大好き。
結ぶと、この物語は終始、彼女の情報収集能力と処理能力でもって最初から導き出された未来へひたすら突き進むものだった。最後の未知の領域でさえ彼女、彼のそうあってほしい、できるはずだという希望的観測、予測を見事に引き寄せた。ただただ予定調和の物語だったわけである。
それを退屈だと論じる自分もいるけれど、大部分の自分はこれは面白かったと言っている。
未来の世界、謎、ヒロイン性。どれもが十分であった。ならば面白くなかったといえば断じて嘘であろう。
しかし、しかし。それは作者の筆力で飲み込まされたものではなかろうか。「もしこの作品を野崎まど以外が書いていたら」初めて読む作者だったらつまらなかったと言っていた可能性がないわけでもない。が、どうあがいても野崎まどが出した作品であるし、私は野崎まどのファンなのでknowは面白いという結論に変わりはなかったのだ。
あ、最後に。主人公はそんなに好きじゃないかなぁ。童心は好きなんだけれど、適当な女性と一夜限りのメイクラブを楽しんで雲隠れするって属性がなぁ。またそれが14歳の少女に手を出せる理由付けって感じのお話の都合上の属性っぽくて作り物クサい。
目指せと言われてクラス5になったんだから彼も何がしかなしえてたら良かったのにね。彼自体は空っぽで好きになれなかったです。ある意味彼がかわいそう。
スタバはどちらかというと子供ウェルカムの喫茶店だ。キッズメニューもある。
私もスタバはくつろぐ場所というよりファストフード店だと思っている。
だが、個人経営などの入り口の狭い純喫茶にも無理やりベビーカーを押し込んで入ってくる子連れには正直辟易する。
もちろん子連れでも静かにしている親子はいる。大人より静かに座っている子供もいる。だが、それと同じぐらい騒ぐ子供を連れた親もいるのだ。
騒いでも外であやしてくれるならいいが、そういう親は頑として外に出ない。子供は泣き叫ぶ。
他の客はじっとそれに耐える。心地よい空間が一気に我慢大会の様相を呈してくる。
「親だって息抜きをしたいのだ」という気持ちはわかる。泣き叫ぶ子供を四六時中あやすのもストレスがたまる。それはそうだ。
だがそれは他の客もそうなのだ。みんな息抜きをしたいと思って来ている。
家で飲めば安いはずのコーヒーにわざわざ高い値段を払っているのは、この居心地の良い空間にいるためだ。
私もできるだけ住み分けをしようと、価格の高めの喫茶店やファミリー向きでなさそうな喫茶店に行ったりしてみたがやはり来るときはどうしても来る。
それと、飲食店子連れ入店拒否などの問題を見るといつも「あなただって昔は子供だったのに」とか「子供は騒ぐもの」という反論があるが、実際私の幼い頃はそもそも喫茶店に連れて行ってもらえなかった。理由はもちろん、騒ぐからだ。親が禁止していた。だから喫茶店に行き始めたのは高校生のころからだ。
子供が騒ぐのが悪いのではない。騒げば迷惑になる場所に子供を連れてくる親が悪いのだ。
子供を産み育てるというのは人生にかなりの制約を課すということだ。ライフスタイルだって大きく変わる。
当然行けなくなる場所も増える。単純な話だ。それまでのように喫茶店や、映画館や、居酒屋に自由に行きたいなら、厳しくなるが子供を迎えるべきではないと思う。
ペットを飼う時は「ペットが入れない店もある」ということに納得するのに、「なぜ子供が入れない店もある」ということには納得できないのか。
「今の社会は子供が育てづらい」というのは確かにそうだろうが、「子供はみんなで育てるものだ」とどこにでも子供を連れていくこともまた、子育て世代の首を絞めることになるということも考えてほしい。
だが、ゆっくり一人で落ち着きたいときに子供が騒いでおもちゃをこちらに投げてくるのは本当につらいものがある。
数年間誰にも言わないで溜め込んでいたことなのでここに吐き出させてほしい。
高2で不登校→ちょくちょく登校した人です。※以下n=1
親にどうして欲しかった?→漠然と助けてほしいと思う、けど関わって欲しくないという感じ。
イヤだったこと→登校催促
ありがたかったこと→過度な登校催促が無かった。ほぼ日常のように接してくれたこと。普段行かない場所に連れてってくれた(モスバーガーを食べさせてくれた)
そのときはイヤだったけどあとになってみたら受け入れられたこと→露骨な気にかけるアピール。うざかったけど、親を心配させるのが嫌という気持ちになった
あと不登校だったけど後に学校行くようになった場合のきっかけとかあったら知りたい。
→同じクラスの仲のいい人数人による自宅訪問(今思えば強引)、次の日が遠足的なイベントで登校ハードルが低かったのもある。それプラス関わってくれる友達
p.s.これは余計かもですが、親が悩みすぎると良くないので、適度に息抜きして健康に暮らしてください。私の母が自分自身のことで苦しんでいる姿を見た時、とても悲しかった記憶があります。
また、もうご存知かもしれませんが行政相談を利用するのも手です(スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーへの相談)
「時間あったらなにがしたいですか?」
何かアイデアくれ。
子供いるので泊りがけの一人旅とかは無理。仕事はIT系、仕事は嫌いだが何か作るのは好き。読書は嫌い。多少金がかかってもいい。
今考えてるのは