はてなキーワード: 佐野とは
1000人の完全なる素人に「”T”という文字からデザインを作ってみて!」ってお願いしたら、少なくとも10人くらいは「ベルギーの劇場ロゴ」みたいなデザインをすると思うんだよね。
だから、あのカタチに主張できるような創作性はないと思うのに、営利目的か知らんが訴訟までやる気のベルギー劇場は滑稽なクレーマーにしか見えない。
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単なるクレーマーであるベルギー劇場に躍らされて、正義を振りかざしたつもりになってる2ch民たちも滑稽
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エンブレムの選定に携わった偉い人たちも言い訳に追われてる感じが滑稽
仮にもベルギーが欧州の国だから無意識的に強く意識しちゃうんだろうなー。
ベルギーではなく「アジアの国の劇場ロゴと酷似してる」だったら、2ch民たちも動かないと思うと人種差別(今回は逆差別?)の根深さを感じる。
報道番組のキャスターなりコメンテーターなりが、「国民の理解が得られていない」ってほざいているの見る度にすごく腹が立つ。
お前ら一体何のためにそこにいるんだ。そんなこと言ってる暇があったら国民の理解とやらを助けるために少しは説明したらどうだ。
そもそもなんだけどさ。国民の理解って何をすれば得られたって言えるの?
私がうっかり会社の役員になって、うっかり不祥事で謝罪会見を開くことになったとしたら、何をするのが正解なんだろう。
凄いざっくりとした計算なんだけどさ。
私がすごくわかりやすい説明を考えることができたとしよう。あくまで仮定の話だ。この説明を原文のまま聞くと国民の8割が納得したとしよう。
その原文をマスコミが良い意味で要約したとする。要約された分多少わかりづらくなったと仮定して、さっきの人のうち8割が納得できたとする。
この時点で0.8の2乗で国民の64%が納得できるわけだ。国民の半分が納得しているわけだし、これだけできりゃ上出来のような気もする。
さて、ここでマスコミが要約した説明を国民の何割が見ているか?という問題がでてくる。さっきの問題はこの部分を一切考慮していない。
いまどきの人間がどれぐらい報道をみているのか?って統計データ探したかったんだけどどうも見つからなかった。
まぁ仮に8割ぐらいとしておこうか。そしたら0.8の3乗で0.512らしい。いまのところギリギリ半分超えている感じ。
でもこれって、少し考えただけでもだいぶありえない話だってわかるよね。
大体さ、見ている人の8割を納得させる説明なんて無謀じゃん。それができたとしても、マスコミが良い方向に要約なんてしてくれるわけ無いじゃん。
今回の佐野さんのトートバッグの案件とかさ、佐野の部下がやりましたって話、誰も言わなくなったよね。あくまで佐野さんがやった体になってるし。まぁ、そもそも部下がやったかどうか分からんけどね。
マスコミってフィルタを通した時点で国民の理解を得ようなんて、もう絶望しかないよね。不祥事起こしたらさっさと首切って遺書でも遺した方が周りのためにもなるし一番自分が救われるんじゃない?
インターネットのお陰でマスコミのフィルタ機能がどんどん薄くなっているとはいえ、結局ネット上のソースとしての役割はやっぱりマスコミに頼るしか無いわけで。
またエンブレム問題の話で申し訳無いんだけど、ベルギーのあれと佐野さんのあれが違うことだっていう理由に、「正方形を9分割したものを元に云々」ってのがあったんだけど、「これ我々には全然理解できませんよね」って言ったコメンテーターにブチ切れそうになっちゃったんだよね。
こいつら、そもそも理解する気さらさら無いんだな、って。問題の張本人と国民をつなぐパイプになるはずなのに、そのままの状態で通す気さらさら無いじゃん。
もうね、すげー不愉快なの。そもそも理解しようとしたの?通常のデザインの課程とか調べたの?
そして観る人達に理解させる気あるの?専門家も呼ばずに何も知らない馬鹿そうなコメンテーターに中身すっからかんのコメントさせて何がしたいの?
正直トートバッグの件とか出てきたあたりから佐野さんのことは少しも擁護する気なかったんだけど、こんなのばっかり見ていたらちょっと可哀想に見えちゃったわ。
そういうわけで、やっぱりなにか不祥事を起こしたら、遺書書いて首切るか首吊るかなんかして死ぬのが最強なんだろうなって。
どんなに頑張ったって国民が理解するわけ無いんだから。責任逃れも何も、責任取ろうとすると更にひどい目に合うわけだし。
生きてればいいことあるとかほざく人いるけどさ、ネット上にさんざん書かれた内容が完全に消えるわけ無いじゃん。
自分の名前でググったら不祥事で叩かれた内容が死ぬまで出てくるんだよ。そんな目に合うならやっぱり死んだ方がマシだわ。
あー、怖い怖い。不祥事起こらないようなところで生きるようにしないと。
8月21日時点での日記ってことで以降出てきたあれこれを横に置くと、
「擁護」派の意見でなんとか佐野氏と社会の間を取り持ちたい、関係を修復したいという思いを
感じられたのは自分が見聞きした範囲ではこの増田だけだったような気がする
知り合いを称する同業者たちのご意見は攻撃者に対して攻撃をし返して佐野氏への嫌悪感を増幅させてしまって
いるアホな「擁護」ばかりで佐野氏が気の毒にさえ思えたくらいだもん
しかも「一般国民」と専門家の対立構造を自ら口に出して作り上げて業界全体のイメージの悪化にさえ繋げてたし。
そりゃ一般論でいいが、そのひとつ前のエントリ見れば分かるように、佐野の事例と同じ前提の上での一般論だろうが。
今回の佐野氏がカンニングしたかどうかは確定していない。そしてそれは十中八九シロであるが故に他の疑惑を騒ぎ立てることで追い詰めている。
お前が文盲なだけ。
そこは混同していいんだよ
の次のエントリで
と書いてあるものに対して、「AでもBでも結果としてダメだと判断されるもの」の前提が受け継がれてないわけがないと判断するのは
いくらなんでも偏差値が低すぎるだろう。
私はそもそも「佐野には倫理観がない」ということと「佐野は管理者として無能」みたいな、別個の事柄を峻別することもできない人間を「馬鹿」と言っていて、それ以上の主張など特にないの。「馬鹿」に向かって「馬鹿」と言っているだけ。「馬鹿だ」。これが結論。
叩いて全く埃の出ない人物なんていないと思う。次のエンブレムのデザイナーが選ばれた場合
・元電通博報堂の場合、利権ガーの大合唱、謎の仲良し互助会マップが作成される
・作品に埃が出なかった場合、SNSでの発言や中高卒業文集の洗い出しを開始
・親族の洗い出しを開始
・それでも埃が出ない場合は、埃の捏造を開始(昔からの友人だけどあいつは...的な)
といったことが確実に展開されるだろう。名誉ある人が憎いというゆがんだ暇人がネットには多いみたいだから。今回は佐野が折れて終わったけど、次同じことが繰り返されたら、それこそ自殺者が出かねないように思う。
そうならないためにも次のエンブレムのデザイナーは公表しない方がいい。公表しないならしないで「利権ガー」と言われるだろうが、これ以上ゴタゴタしないためにはしょうがないと思う。
そもそも北京もロンドンもアテネも、ロゴは個人デザイナーではなくデザイン事務所が手がけていた。ロンドンは激しい批判に晒されていたけど、対個人にならなければいくら炎上したって大した影響はないだろう。でも、日本にはそういう事務所がほとんどないんだよな。
このツリーを読んで、佐野と前提条件が違う話を唐突に始めることがおかしいと感じられないのなら
いいか、一般論で語るなと言ってるんじゃない。
「AとBを区別しろ」という意見に対し「A、Bのどちらもアウトならば、どちらかをはっきりさせる価値はない」という反論の流れに沿った一般論を語れ、ということだ。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。
元の記事
「五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言」
http://anond.hatelabo.jp/20150903062450
純丘氏の応答
http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6
もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、
議論がふたたび活発になるようなことは望まない。
筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので
パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。
なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……
ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらからの感想とちょっとした考えを述べておきたい。
加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、
次のエンブレムについての思いを記そうと思う。
「ニーチェの綴りが2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)
炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、
周辺に挙がっている言葉(火種)をそのまま拾って記事を作るということが、
■色の件
一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。
残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。
この項を借りて…
氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな
■純丘氏の社会的影響力
非常にあったと考えている。
それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。
識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、
そんなノリでコメントを拾っている。
8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。
「このデザイナーがpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから
巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」
Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような
証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、
結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。
しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。
純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身の希望を
初見でロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。
が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。
その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。
CM でスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックとパラリンピックのエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。
黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である。
もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。
桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。
オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、
選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。
選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。
何か思い当たるふしなどなくてもだ。
コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。
新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。
「芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、
どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」
界隈がゴミすぎて見たくないからテキトーにしか観測してないけど、「あのデザインを評価したデザイナー」だけの名簿を作って流布して「コイツらにはデザインのセンスないです、日本にとって害悪でしまむら以下の連中です」って周知すべき。
連中は美大行ってないし行っててもデザインの基本の授業はサボって受けてないし、受けてても審美眼が絶望的に無い、客観的に美しいデザインというのが見てもわからない連中なんだと思う。うんことカレーの区別つかないんだろうな。
こいつらは、自分の作品見てここをこうすると黄金比から外れるけど安定するし見目が美しいなーとか感じないんだろうな。
そういうの抜きで、シンプルで単純に手抜きして作ったから思い込みでキレイ!とか言うんだろうなって思う。
「作業が複雑で煩雑ですごく大変で結果がシンプル」なのがプロのデザイナーの仕事。
佐野、佐藤可士和、及び擁護クソデザイナーは「作業をシンプル」にしてうんこ出して満足???してるうんこ集団なんだろうなってあいつらの出したウンコ見ると常に感じる。
群衆の「個人叩き」が怖いってだけなのかなと思う。
佐野は個人として叩かれた結果耐えられず、
組織委はなにもできずに使用中止を決めただけ。
だれもなにもコントロールできないまま使用中止になった。
今回の炎上って、佐野個人ではなく大会組織委員会に批判が集中していればそこまで怖がる人はいないと思うんだよ。
そして大会組織委員会批判でもロゴの使用中止という結果は変わらなかったと思う。
競技場の件、見てみろよ。
あっちはザハ叩きはそこまでひどくなかっただろ?(不正があったわけではないからあたりまえだけどさ)
でも競技場も白紙になっただろ?
そして怖い怖いと言う人あまりいなかっただろ?
それはある程度コントロールされた決定に見えたからだと思うんだよね。
エンブレム最終版自体には特に問題はないわけで、あるとすれば、作者が五輪のエンブレム作者としてふさわしくない、ということだろう。
確かに、パクリ疑惑が多数ある。ほとんどは言いがかりと言って良いが、少なからぬ数、言い訳できないものがある。
それをもって、ふさわしくない「人物」と判断するのであれば、仕方ない、とは言える。
個人的には、一連のパクリがそこまで悪質なものなのかを判断できるほど業界のことがわからないので、判断は保留している。
・エンブレムが嫌い
・佐野氏が嫌い
が区別されず混ざっているように思われる。
そのうち、「嫌い」というのは中止の根拠としては不十分すぎるので上の3つは考えなくて良い。
陰謀論も状況証拠だけでまったく根拠がないので、中止の理由にはならない。どうしても許せないというなら証拠を出すべき。
エンブレム最終版も似ているだけでパクリとまでは断言できない。法的には係争中ではあるが…まあ。
となると、他の作品がパクリ、ということだけが中止の理由たり得る。
はたして、それが中止の理由として十分か、ということが残された検討事項。
で、上記につながる。
個人的、心情的にはパクリ自体には寛容でありたい。言ってたらキリがない。同じ部分より新規性に着目したい。
ただ、ルールは守るべき。法的に。
正直、このすったもんだは騒ぎすぎだとは思う。
しかし、過渡期としては仕方がないのかもしれない。
インターネットによる社会の変化でメリットもあればデメリットもある。今回は悪いところが出た気がしてしまう。
こんなことを続けていたら何も決まらなくなるので、みんなそのうち落ち着くのだろう。
それまでに払わざるをえない代償と考えよう。
きっとそのあとには、集合知がうまく上昇スパイラルを描く素晴らしい社会が待っている気がしてならない。
Everything's gonna be alright.
ネットの私刑問題について、スマイリーキクチ事件を例に挙げて、「何も学んでいない」といったコメントを見かける。しかし性質が多少異なるため点があるため、そのまま言及するには疑問点が残る。
大きく分けて2点。
・ネットの中でも特に正確性を欠いた情報を元に、個人が中傷されたこと。
・自分が正義の行動をしていると思い込むが、責任は取らない書き込み者の態度。
2点目は「ネットイナゴ」とも呼ばれ、以前から様々な場所で議論されているし、実際にそれぞれ似たような性質を持つことが多い。集団の自覚なき悪意として注意すべき点だと思う。
注目したいのは1点目。キクチ事件では本人は全くの事実無根で、スマイリーキクチ氏本人には一切の落ち度がないことである。
エンブレムの盗用については違法性は現在認められていないし、恐らくデザイン会社のPCなどから明確な証拠などでも出ない限り、今後も認められないと思われる。つまり現時点では「エンブレムの盗用」に関しては「正確性を欠いた情報」である。しかしこれを盗用と断定しているネット発言も少なくない。これは大いに問題だろう。
だがエンブレム展示例やトートバッグ柄などの無断使用の件どうだろうか。これらは出典元がネットということもあり、自分自身でソース元を辿ることができる。ある程度は信頼性の高い情報として見られる。
佐野氏の問題も含めて、ネット私刑の類似例は多い。例えば理研問題や、音楽家ゴーストライター問題、県議会議員の政務活動費問題、なんJのコテハン特定問題などがある。これらがキクチ事件が大きく異なるのは、彼らに一切落ち度がない、というわけではないということだ。
もちろん彼らに落ち度がないと言っても、ネット私刑が許されるものではないし、プロによるマスコミの報道ですら、思い込みによる無意識な結論ありきの態度が見え隠れする面もある。
しかしこれらをキクチ事件と同じ性質のものと見てしまうと、大なり小なり事実さえあれば叩いていいことになってしまわないだろうか。そこに他のネット私刑と、キクチ事件とを同一視することの危機感を感じる。
“法治国家ならシステム外のプロセスも経ていない圧力でひっくり返るのはマズイと思うよ。”
裁判だったらそうだろう
しかし今回は誰かの美的センスによって選ばれたロゴが、誰かの美的センスによって批判がおき、その過程でロゴの製作者が盗用の常習者だったことがばれただけだ(トートバック、展開例で佐野は盗用を認めてる)
この一連の出来事を“居酒屋談義の無責任さ”とくくるのはどういう了見なのか?
今回の騒動の一番の肝は、佐野エンブレムで突っ走って、裁判に負けたらその損害賠償は莫大だろwっていう危機管理の部分じゃないか
つーかさ、ロゴなんて要らねーじゃん。
佐野源次郎は世の中が大嫌いだった。
この世の中のありとあらゆるものを憎んでいた。
それは小学校の頃に図工で描いたオリジナルの絵を、クラスのみんなに「パクリや!」と言われ、
将来大きな事を成し遂げて、復讐しようと思っていた。
しかし佐野は小柄な体格で成績も並程度で、これといって特別な才能が無かった。
高校になってお笑いを目指してみた時期もあったが、その才能がないことに気付いた。
そんなある日の美術の授業中、ふとデザイン雑誌のロゴを真似して描き、提出してみた。
「佐野、このデザインいいよ。お前はデザインの才能があるんじゃないか!」
そのひとことが、彼の人生を決定づけた。
佐野は大学受験もほったらかして、来る日も来る日もデザイン雑誌に載っているデザインの切り貼りを繰り返した。
当時はパソコンを持っていなかった為、雑誌のバックナンバーも大量に取り寄せ、切り貼りをした。
「これだ、俺はこれを究めて日本一になって、馬鹿どもを見返してやる!」
「俺にはゼロから作る才能はない。だが切り貼りをする能力だけは世界一を目指す!」
大学時代も決してゼロからものづくりをすることをせず、常にパクリ続けた。
PCもいち早く導入し、インターネットから効率よく画像を取ってくる術を磨いた。
佐野はデザインをゼロから作ることをハナから放棄していた為、一般的なデザイナーらしからぬ性格になっていた。
つまり、深く物事を突き詰める職人的性格ではなく、あっけらかんとして、自分のデザインの変更も厭わないし、こだわりがなかった。
それが功を奏したのか、はたまた兄のコネなのか、佐野は大手広告代理店にあっさりと就職が決まることとなる。
「俺はゼロから作らない。考えない! そのぶん、営業とパクリを究めるんだ」
佐野の快進撃はすごかった。何せデザインを考える時間はほぼゼロなので、ライバルよりも圧倒的に社内政治に力を注げるのだ。
佐野は先輩に気に入られ、業界内であっという間に有名になっていった。
あたかも順風満帆に見える佐野の人生だったが、佐野は過去の復讐を忘れていなかった。
「世の中の全てに復讐してやる」
その気持ちは忘れていなかった。
数年後、ついにそのチャンスが来た。
東京オリンピックのロゴの選考委員長に、自分とコネのある人物が選ばれたのだ。
佐野はその選考委員長にお願いし、自分の知り合い複数人を選考委員メンバーに入れて貰った。
もちろん、多額の報酬と引き換えに。
選考は建前上製作者の名前が伏せられるため、予め佐野は「俺の作品は棒と▲ふたつのTだから!」と伝えておいた。
自分で作る能力がないため、今回もパクリで提出をせざるを得なかった。
ついに東京オリンピックが開幕間近となった。東京はお祭りムードである。
「ロゴの展開例も、パクリです。僕が作った昔の作品も、全て、すーべてパクリです!」
男はインターネットにすべてのパクリ元を載せ、自らの罪を告白した。
パクられた海外のアーティストたちは激怒し、すぐに訴訟を起こした。
エンブレムを使用していた企業・団体は大混乱に陥り、とんでもない事態となった。
国立競技場も何故か無理矢理エンブレムの形で作っており、もはやすべてが手遅れだった。
日本はものすごい損害賠償を支払うことになり、世界中の信頼を失い、五輪は歴史的に類を見ないお葬式ムードとなった。
罪を告白した男は、すでに海外にとんでおり、そのまま行方がわからなくなった・・・
後日談。
ヨーロッパの山奥に、あるアジア系の世捨て人が住んでいるという。
仙人のようなその男はたまに市場に姿を現し、フランスパンだけを買って行くらしい。
「あの、日本人ですよね?」
「・・・」
「ずっとこの辺に住んでいるんですか?」
「・・・」
「誰かに似てますよね? 言われません? ・・・誰に似てるんだろう」
男は少し考え、ひとことポツリと言った。
「・・・まったく似てないよ」
それから男は山奥に戻っていったという。
終