はてなキーワード: 本城直季とは
フォトグラファーだけど、この考えには反対。
反対というよりは、理想論だけどもうそんなことを守ることが不可能な時代になってきていると思うということ。
デザインと同じく、相手に対して理解や勉強を求めるのは、それはお門違いな問題だと思うんだ。
広告全てが常にオープンに展開されていくわけではなく、実にクローズドな世界で実に即日的に消費されていくことのほうが多いわけだから、コスト激化の時代において利害関係が希薄なインターネットの向こう側の写真を使うことに躊躇しないデザイナーは多いと思う。
毎日のように投函される地元店舗のチラシを見てみればそれが日常だということがすぐに分かるはずだ。
それら全てをチェックして、それら全てに対してロイヤリティを請求するなんてできるわけがない。
例えば、一点もので展示会を開けるような写真芸術家であればその作品一つ一つに対してのコピーライトを守ることがイコール写真家の価値を守ることになるとは思う。
でも、自分レベルのフォトグラファーであれば、それよりも一つでも多くの作品が消費されて、より世の中に出て行くことのほうが重要だと思っている。
以前、本城直季の真似をしたミニチュア写真が世の中に溢れかえった時がある。
あのブームは、彼の写真をいいと賛同したからこそ、皆が模倣して色々な作品がさらに生み出された好例だと思うんだ。
模倣と盗作は当然異なるものではあるけど、それならあの時に全員が全員彼に対する敬意を持っていたかというとそれは別だ。
それによって彼が自分の作品が次々に蹂躙されている!と思ったかというと、それも別なはずだ。
おそらく彼はすでに次の作品を見据えていただろうし、ある意味ではブームの火付け役としての余裕もあったのかもしれない。
まだまだ一点ものの作品だけが評価されるようなレベルではな自分にとってみれば、生み出した作品の価値を頑なに守っていくことに縛られるくらいなら、さっさと価値を捨てて次の作品作りに突き進んでいくことのほうが重要だと思うんだ。
むしろお金を払ってでも、一人でも多くの人間の目に触れさせたいって思ってるくらいだ。
それでいつか技術も評価も実績も伴った時、その時代にあった考え方で自分のコピーライトを守ればいいんじゃないかな。
あなたがどれほどのフォトグラファーかもわからないし、あなたの考えを否定したいというわけではなくて、これからの時代の版権は自分くらいでは守られないことを前提に考えていかなくてはやっていけないということを言いたかっただけ。
佐野氏を擁護するわけではないけど、彼の審美眼とそれまでの作品を認めてきた世の中が確かなら、彼に選ばれた、彼の生み出したものと同等のコンセプトと完成度があったってことは自分の評価に置き換えていいと思うのだけどね。