2020-12-31

髪の毛を抜くということ

年末大掃除をしていて落ちてる髪の毛少ないなとふと気がついて日記を書こうと思い至った。

【抜毛症】

抜き始めたのは厳しいクラス担任にあたった低学年の頃だった。正直あの一年間のことは真っ白であまり覚えていない。ただ、彼女の事はずっと鬼だと思っていた。自分の娘のランドセルを畑に捨ててやったと自慢げに笑っていたことだけは覚えている。

ある時クラス男子がにやにやしながらこちらを見ていた。ゴミ箱には私のリコーダーが埃にまみれて捨てられていて、机の上の物は先生が捨てていいと言ったと笑っていた。子供ながらストレスに感じていたのか、記憶はないが学校でも塾でも家でも抜いて抜いて抜きまくった。手が届く部分の地肌は焼け野原みたいに見えていた。家族にも美容室の人にも生えてこなくなると言われた。でもやめられなかった。兄弟友達から笑われているのを知っていた。運動場で兄弟クラスの授業があって、その近くを通るときは怖くて見られたくなくて人の陰に隠れた。

後に彼女が生徒へのパワハラまがいな事件を数件起こし左遷されたことを知った。中高の担任大学指導教官には恵まれて、先生にはこんな人種もいるのだとようやく思えた。ただ彼女教員でなければ、担任でなければと思ったことは数知れない。教員と聞くと身構える自分がいる。

中学でも高校でも大学でも就職してからも止められず、緩やかに続いている。高校の時に髪の毛を学校で捨てたら駄目だと思い、ノートに挟んで隠しておいたら、大量の髪の毛を友人に見つかったことは思い出したくない。友人との旅行先でお風呂に入った後、地肌が剥き出しになってより目立ってしまうので必死タオルで隠した。

親にまだ抜いているのと聞かれることがあるので抜いていないと言う。「今は」抜いていないから。ある時親に「テレビで言ってたけど毛を抜くのも病気なんだってね」とドラマを見ながら言われて、愕然とした。確かに昔は抜毛症の知識なんてなかっただろうけど、そのときに少しでも受診を考えていてくれたらこんなに長期間苦しむことはなかったんじゃないかって。親には学習面や生活面など自立するまでの様々なサポートについて本当に感謝している。けれども衝動的に思ってしまった。ハゲになるって家族だけじゃなくて昔からの行きつけの美容室の人に呪いのように言われて、美容室が嫌いになった。

とある機会に相談したカウンセラーの人に「ずっと一人で頑張ってきたんですね」と言われて、なぜか大の大人が涙を止められなかった。テープや紐で手を縛っても手袋をしても抜いてしま衝動で、抜毛の瞬間は痛くて自分の回りにどんどん髪の毛が増えていっても止められなくて。確かにこんな恥ずかしいこと、誰にも言えなかった。

就職して、自立してだんだんと緩やかになって色々な経験をして今やっと落ち着いて顧みることができる。抜毛の影響か頻度は減っても本数が増えないので人並みではないけど。同僚や友人の編み込みを見て羨ましいなあと思う。そんな目線を感じていたのか同期に「編み込みしてあげようか?」といわれて髪の毛少ないと言われるんじゃないかって死ぬほど緊張しながらやってもらった。本当の編み込みは無理っぽくて、でもそれに近いやつに変えて不自然に見えないようにやってくれてとても嬉しかった。下手したら小学生時代にみんな通る道を何年も遅れて今経験している。

自分自身医療に関わっていて抜毛症の患者さんに会うときは喉元まであがってきた「辛いよね、私もわかる」という言葉を飲み込み、何も無かったように対応する。(抜毛症状の治療目的で来ているわけではないので)最近はいウィッグもある。

緩やかになったとはいえまだ少し癖は残ってるけど、本当に気持ちの落ち込んでいるときに先回りして対応できるようになれた。他人がどんどん順調に人生を送っているように見えてしんどくなることもある。そういえば昔世界仰天ニュースで抜毛症を取り扱ってくれていた。

誰のせいでもなくて自分自身のせいだけどたまにふわっと思い出すこともある昔の話。

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