はてなキーワード: フィルターとは
取引相手に関する「利益を出す能力」と新卒人材に関する「仕事をする能力」の違いについて質問です。
新卒を採用するときには学歴をふるいとして用いることがありますが、取引相手を決めるときはその相手の学歴をふるいとして用いるということはしませんよね。これがどうしても不思議なんです。
たとえば新卒採用にしても、100人から1人を選ぶより優秀な人がいる可能性が高い10人から探す方が効率がいいというだけで、学歴だけで決めているわけではないでしょう。ひととなりや学歴以外の活動の経歴いろいろ見るわけですよね。
一方取引相手は「利益が出るかどうか」を業績や事業内容から見ます。でも学歴は見ません。
ここで思うのが、業績や事業内容が、採用時に見る人となりに対応するなら、学歴に対応する、ふるいに相当するものが、取引相手の判断時には存在していないということです。
なぜなのでしょうか?「100人から1人を選ぶより優秀な人がいる可能性が高い10人から探す方が効率がいい」という論理は、取引相手の選定時にも当然有効に存在しているように思えます。つまり「優秀な人/優秀さ」というものが、たとえば採用時に仕事ができる能力に結びつくなら、取引相手を選ぶときにも「利益を出す能力」に結びついているはずで、両者は「学歴」という共通の尺度と相関していると推測されるわけです。
それなら、新卒採用時に学歴で絞った方が効率がいいというスタンスをとるなら、取引相手選定時にも、同様のスタンスをとるのが一見論理的に整合しているのではないか、と思うのです。
論理的には、2番や3番のパターンを選ぶためには「利益を出す能力」と「仕事をする能力」それなりの違いがあるからということになるはずですが、両者のどこに、学歴フィルターを用いるか用いないかの違いが出るほどの差があるのかわかりません。
私には違いがわかりませんから、企業が2番のパターンを用いていることに対しては、冒頭言ったように不思議だと感じるわけです。
その差がなんなのか、どうしてそれがフィルターを用いるかどうかの判断を左右するほどの差だと考えられているのかを具体的に教えてください。
「もしかしたら受かったかも知れない」と思いながらその後の人生を生きることになるぞ。
どうせ受からないし、そもそも学歴フィルターですっ飛ばされるだろうけど、受けるだけ受けてこい。
しどろもどろになりながら「ティアキンがマジで面白くて~~~俺も世の中に感動を与えたくて~~~」とかほざいてこい。
つうかな、やるだけやる癖をつけろ。
やるだけやったわけでもないのにとりあえずで諦めるな。
今の2年生、1年生は覚えといてくれ。
ガクチカとかやるにしても、どっか一社狙いで考えるんじゃなくて、業界関係なく使えそうな感じでやったほうが結局上手くいくから。
今目の前にある第一優先課題をひとまずちゃんと終わらせられるかって所でコケるとそっから逆転するの辛いからよ。
任天堂に入れる可能性を0.01%から1%に上げるために頑張ってみいや。
「俺だけが気づいた隠れホワイト企業に楽チンに入ってウハウハやぜ~~~」みたいなこと考えてると苦労するよ。
だからって失敗しないために頑張ろうとかやってられんだろ?
ならさ、ガチの第一志望に入るために頑張って、その過程でそこそこの所には入れるような感じにしようや。
ぶっちゃけ、こういう考えで生きるのは早い内の方がええけどな。
小学生の頃から任天堂入りたくて頑張って勉強して、そんでいい大学出て、就活で落ちて一通りやけ酒飲んだら割り切った奴がなんだかんだ人生いい感じになるねんな。
少し前に車椅子女性の話題で盛り上がっていたときに思い出した。
小学生時代、ある同級生の母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。
その同級生は子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。
Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事にはいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。
母親の病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。
ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。
例のごとく車椅子でグラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃんと入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。
小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。
ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい。
練習が終わって、わたしたちは麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。
ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。
「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。
でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」
わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。
おかしかった。いつも白い顔をして、旦那に車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールでナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。
おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。
広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしいことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないから咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。
曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。
家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないから車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。
数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。
陸上練習のときのメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通のかわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子が結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。
Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。
校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。
その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき、他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。
何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。
キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。
理由は私の母親がとある宗教を信仰していることを告白したから!!!
婚活パーティで出会って1月に付き合い始めた!お付き合いする時に結婚を前提として…と話しており、いつかは伝えるべきと思っていたけれど、未だに手を繋いだりキスやスキンシップもしていなかった間柄。距離があるので一ヶ月に一度か二度会っていた。
今までどれだけ親しい関係でも親の信仰について語ったことはなく、歴代恋人にも一切喋っていなかった。もっと関係が深まってから、とか、せめて親に挨拶する前後に話せばいいと、考えていたけれど、話の流れでお互いの両親(家族構成や親族へのスタンスなどは話したことあった)の話になった。相手は「正直褒められた親じゃないので、よほどのことじゃないと紹介したくない」私は「(結婚を前提としているのに両親に紹介したくないって?!)それを言ったら私の親だって…」という流れ。
私自身は宗教3世という扱いになる。オタク趣味なので押しが心の支えになるという信仰を理解はするけれど私は関わる気はない、というスタンス。母親としては好きなので、幼いころは関連するイベントに連れて行かれたり、今も予定が合えば集会所へ母親を送迎するが、きっぱりと私は継がない。と宣言しているし、母親も勧誘は一切してこなかった。
父親、兄弟も母親の唯一の趣味、と捉えているので基本的に好きにさせている。本人が稼いたお金で本人の余暇を使っているので。
話は戻って、恋人は告白されたあと「正直、今の話を聞いて、受け入れることはできない。自分の度量が小さくてごめん。」「今は結婚について考えることができない」「考えれたとしても時間がかかりそうなので、あなたの貴重な時間を俟たせるために使いそう」と言ってくれた。本音を限りなく薄いオブラートに包んでくれたことが嬉しかった。こればかりは育ってきた環境と本人の経験則が物を言う価値観なので、べつに構わない。言いながら涙が止まらなかったけれど。
ただ、未知のことに対して警戒心を抱くのはしかたがないけれど、何も知らないまま突き放すのは腑に落ちないので、不安点があれば知っている限り話すつもりではいた。私の理解するために親と会ってよ!というのは別の話だから別として。
ただ、その後の言葉が引っかかった。
「言ってくれる、ということは将来を見据えててくれくことだからありがとう」と言われたことは鼻についてんな〜〜。でも私に負担をかけまいとしているんだろうなと思ったけれど「二世(正確には三世)で苦しかっただろう」と言われて、は???????全然苦しくないが?!?!と心のなかで逆ギレしそうにった。その後冷静になって、苦しいってことは、親の信仰を理由に交際を断られる辛さを憐れんでいるのか?と考えて、自分があからさまに不憫に扱われていることに憤慨しそうになった。表面上は恋人に決死の告白をして情緒不安定になっている人。を演出していたけれど、内心は勝手に私の心情を汲むんじゃねえ!!!
こっちの都合も知りもしないで勝手に二世の苦しみを当てはめるなよ?!と反抗心が芽生えたけれど、それは恋人が今まで培ってきた経験と価値観による恋人なりの優しさだよなあ。と思った。私が恋人の価値観や事情を知らないのと同様、恋人もこちらの価値観や事情を知らないのであって。
そう考えると、時期尚早〜〜〜〜〜〜!!!と言わざるを得ないけれど、いつかは知るべきことだから今言って良かった!と思う反面、でもタイミングもあったよな…。せっかくこっちに宿を取ってくれたので(遠距離かつ私は実家暮らし)二軒目に行く???とか話していたのが嘘のようなお通夜っぷりだぜ……!!!!あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!まさかここまで拒絶反応示されるとは思わなかった!!!!!なんで私は一切関係ない事柄で幻滅されないといけないんだよ!!!!!!
・腐女子構文なのは察して。ネットではこの口調が喋りやすいの。
・いくらここで弁明しても意味がないけれど、そんなつもりはなかった。ただ、自分の立場になって考えたときに可哀そうフィルターはかけてしまうと思う。
・本人の勝手なので、今回の話がきっかけの一つに過ぎない…と自分を慰めている。さすがに自分が直せない部分で分かれる理由になるのは悲しい
そこで↓のようなことを主張したくなってくる増田がでてくるわけと…Fランまでも大卒とひとくくりにする弊害を持つ学歴フィルターやめたら?ってノリでな
https://anond.hatelabo.jp/20240321152908
学歴フィルターがあるところは学校歴は一切考慮しないのでしょうか?
たとえば採用時、教育困難校の高卒が灘中卒の中卒よりも採用されやすさや、採用時の初任給の額に対して有利なのでしょう?
あるいは灘高卒の高卒よりもFラン大卒の方が有利なのでしょうか?
学歴をみるのは、社会人として最低限の知識や常識があるかを推定するためだと思います。
ぶっちゃけ教育困難校卒よりは中卒でも灘中卒ならそっちのほうが常識も頭の回転の速さや柔軟さも上だと思います。
1249832814さん
2024/3/21 15:16
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