はてなキーワード: スピリチュアルとは
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「スピリチュアル系毒親」に苦しんだ私が、「逃げる」以外の選択肢を知るまで
> https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84558
似てる。
でも細部が違ってて、別人? とも思う。
でも両方ともに虚言? と感じてしまうのだ。
じつはそれよりNHKがこういう中途半端でちょっとどうかなあという有名人を
「ねほりんぱほりん」に出演させてることに、
驚いているのである。
増田とは状況も違うけど友人と疎遠になった経験ある、もう完全ブロックして10年くらいになると思う
学生時代に仲良くしていたのに、生き方が違ってしまって話も合わなくなり縁遠くなるっての、よくある事だと思う
一生ものの友達みたいな言い方があり、交友関係を維持するのを美徳扱いする価値観はあるけど、普通はなかなかそうはならないし、人生の時期・環境ごとに付き合う相手が変わる、で良いと思う
結婚したら未婚の時のような友人付き合いは減るし、子供ができたら完全に分かれる
未婚・既婚・子なし・子持ち・勤め人・専業主婦、どの立場であっても付き合いやすいのは同属性だ、どっちが良いとか優れてるとかではなく、自分が付き合いやすい相手と付き合う、それでいいと思う
昔は仲良かったけど結婚してできた子供が難しい子で離婚してスピリチュアル系にハマってなんかやばくなっちゃった怖っもう付き合えない、それでいいと思う
向こうも向こうで増田とはもう付き合いづらいと感じてると思うし
昨日さ晩ご飯お腹が空いたので何か作って食べなくちゃと思って、
私は顆粒昆布だし派なのよね。
もちろん風味豊かな香り高く濃く深いネスカフェ級の美味しいフィジカルな昆布で出汁取った方がマジでいい香りがするからやりたいときはそれで出汁を取りたいんだけど、
張り切って残りの昆布も食べよう!ってなるけど、
上手く使い切れないこともあり、
でさー
そのお出汁で炊いただけなのに
要するに美味しそうな良い香りのする
まあ鍋とまではいかないけど、
そんなのをちゃちゃっと作ったの。
味付けも塩のみの潔さ感がまたよくない?
でさっしょく実直に実食したんだけど、
そりゃー顆粒昆布だし使ってたら
昆布だし味なんだし!って言われそうだけど、
実際そうなのよね。
シンプルな味付けに、
こういう時ちょっとパンチあるヘビーな食べ応えを求めてやまない食べ盛りな谷まりあちゃんを上回るような食欲が爆発する時ってあるじゃない!
それに十分応えてくれる、
鶏の味だダイレクトに舌に伝わってくる
ピュアオーディオ師匠の家の電気は直接電柱を自宅に引き込んでつ買う電気だといい音が出るような気がすると同じように、
ピュアガスコンロは都市ガスの大きな地下パイプから枝分かれして私の住む住居へダイレクトにつながれているから
ものすごく美味しい味が引き出せる火を出せるのよ。
ピュアガス界のスピリチュアルな話しってあんまり聞いたことないけど、
じゃプロパンの方がダイレクト感はもっとあるんじゃね?って言われるんだけど、
人は人として、
プロパンガスと都市ガスとで沸かしたお湯の味の差を判別できないように、
結局ピュアガスで沸かしたところとて
話し変わるけど、
よく銭湯とかで
薪で沸かしてます!って自慢のお湯自慢をしている銭湯があるけど
薪か灯油とかなんかの沸かしたお湯の違いが分かるのかしら?って思うのよ。
少なくとも私は分からないけど、
どちらにしても温まるのは間違いないところね。
って話戻すけど
薪で沸かしてるその薪感は私感じたこと無いのよね。
だから結局、
都市ガスかプロパンガスとで沸かしたお湯の味が違うって言ってるのは都市伝説なのよ。
都市ガスだけにって。
まあそんな美味しくできた、
私は満足感が限りなく満足度に達したのよね。
美味しかったわー。
我ながら本当に美味しかったので、
またこの奇跡のレシィピを再現しようと思ってもなかなか再現出来ないってのが
奇跡的に目分量で入れた適当な味付けが超絶美味しいときってあるじゃない。
それを自ら再現できないように、
そんな悲しい思いをしたくなかったので
私は最低限水の量だけはハッキリして見届けることが出来たの。
この水の量だけさえ間違いなければまた再現性の高いレシィピが出来ると思うんだ!
ペキカン!よ
キッチンドリンカーと区別するためにあえてキッチン居酒屋って言葉を今開発したところよ。
私知らなかったんだけど、
次はどんなシンプルなそう言う鍋までには至らないけど、
食材もさ少なくて多くても3種類!
そのなんかベストな組み合わせを
私考えてみるわって
もう結構白菜鶏モモ肉シメジってところが3強ってところなんだけどね。
うふふ。
鮭おにぎりにしたわよ。
食べ損なったら食べ損なったで
昆布だし水も作っておくとこの時期、
お鍋とかにもすぐ使えて便利な
それをちょっと拝借して今朝は昆布だしウォーラーってところかしら、
案外イケるものよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
プリキュア映画の問題作「映画 スター トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」は、見に行きたくて、しかし幼女先輩や保護者の方々に迷惑をかけないよう、平日の午前中という、幼稚園でも休みじゃない時間に行った。てっきり貸し切りを期待していたのだが、おもったよりは親子連れがちらほら居て、同じ列にはいなかったものの、ポツポツと前後左右を取り囲まれてしまった。
まあ映画は応援ペンライトもちらほらで、みんな行儀がよく静かだった。
「映画 スター トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」は、なかなかの問題作で、お決まりの展開は冒頭10分で終わり、プリキュア5人のうち3人は用事で退場、あとはひかるとララの二人だけでほぼ進む「なるたる」とか「海獣の子供」を連想させる、やや難解なダウナースペーススピリチュアル映画である。
ハーブティーを好んで飲む人=自然派、スピリチュアルみたいなイメージを持つ人もいると思うけど俺はそうではないし周りの人もそこまでガチガチにオーガニックライフを送っているわけではない。
麦茶とか紅茶とかと同じ感覚で気軽に飲んで、ゆっくりお茶を飲むことによって体調を崩す前にちゃんと自分に向き合おう、という感じ。
ここ数年でセルフケアや自分を大事にすることはかっこいい、というイメージが徐々に広まってきて
そのブームに乗ってハーブティーも変に信頼されすぎることなく良い形で普及しはじめたと思う。
ハーブティーを飲む人=意識高い系(笑)自然派(笑)と言われることも少なくなり、おー!いいね!やっぱり体にいいの?みたいな反応も増えた。
そこに立ちはだかったのが日本のハーブ研究の第一人者であり日本メディカルハーブ協会の理事である。
そのボスがあのトンデモ反ワクチン医師の内海聡とむちゃくちゃ仲が良く、ボスもゴリゴリの反ワクチン派であり、自分のショップにハーブと一緒に内海聡のオカルトグッズを置くレベルにズブズブ。
最近では「眼を覚まそう」という直球タイトルのあかん記事まで書いている。
https://ameblo.jp/greenflask-yashiha/entry-12703985759.html
そんなハーブ界のボスが反ワクチンで過激な発言をしているとどうなるのかと言うと、ハーブを販売していたりハーブの先生をやったりしてる人が反ワクチンになってもおかしくはないよね。
で変に正義感強いから名前を隠さずにハーブについて発信してるアカウントでワクチンの危険性(デマ)を語り出すよね。
そして見てる人はオーガニックやらハーブティーやら言ってるやつはやっぱり頭おかしいってなるよね。
俺は世間には頑張りすぎの人が多いから、ハーブティー飲んでゆっくりしてたまには休もうぜーというノリで広めていきたいが
本の置き場所は変わり、机の上にはしまっておいたはずの空き箱があり、ちょうどよく乱れていた居心地の良い布団は、無機質なほど冷たく、丁寧に敷き直されていた。机のそばの床に丁寧に積み重ねられていた古紙は私の宝物で、これは日々の勉強で費やされた計算用紙なのだが、それは無残にも崩れ散らかっていた。
祖母に確認してみたら、悪びれもなく「うん、はいったよう」と答えた。今まで何回も何回も何回も、自分の部屋に入るな、物をいじるなと訴えてきたのに、この期に及んで悪びれもしない様子には腹も立たなかった。
祖母の言い分によると、私の部屋が余りにも汚いために、ホコリなどがふすまの隙間を通じて祖母が暮らすエリアに流出しているらしい。だから、我慢ならずに私の部屋に無断で立ち入り、部屋を掃除してしまったのだという。ちなみに、私の部屋から汚れが流出する様子を観測できる人間は、我が家では祖母しかいない。
それについ先週、祖母の訴えにより粘着ローラーで私の「汚い」部屋を掃除した際、あまり粘着ローラーに汚れが付かなかったことを祖母と共に確認したばかりである。祖母の言う「汚れ」とは、物理的なものではなく、精神的な、スピリチュアルなものである可能性はさらに強くなった。
祖母(以下、「甲」という。)は、私(以下、「乙」という。)の部屋を掃除する前に、必ず乙にこの事を相談しなくてはならない。
という内容の口約束を結んでいたはずである。だが今回の事に関して、私は一切の説明を祖母から受けていない。今回の事件の経緯と祖母からの事情聴取から察するに、齢80の祖母が私との約束をすっかり忘れてしまっていることは、想像に難くないだろう。
もうこれ以上対話を試みても努力の無駄だとしか思えないので、ドアノブを鍵付きのものに交換することになった。両親は一連の問題について前々から把握してくれていたため、ドライバー一本で行う素人工事の許可は簡単に出た。しかし、交換するドアノブの代金は、なぜか私が持つことになってしまった。
4000円弱の大枚をはたいて生産性のない仕事に取り組むことは、ひどく理不尽で虚しいものだったが、部屋のドアにうまく合うドアノブが簡単に手に入ったことは、まさに不幸中の幸いだった。作業も素人としては上出来の出来栄えで終わり、誇らしげに設けられたシリンダー錠もきちんと機能している。ふすまは、養生テープで隙間を塞いだ後、木材で簡単なつっかえ棒を作り封鎖した。
平穏な生活の訪れを祝うために、かねてから欲しかった好きなバンドのアルバムを2つダウンロードした。ドアノブ代4000円は、本来このアルバムに使われるはずだったのだ。
アルバムの感想は2つとも素晴らしいとしか言いようが無く、2つ合わせて4000円くらいだったが実質10000円くらいの値打ちはあったので、ドアノブ代を含めても2000円分の得となり、私は精神的大勝利を収めることができたのだった。
/高校2年生
/一人称は「自分」、伊丹と話す時だけは「あたし」、「僕」。意図的に変えているわけではなく、染み付いたクセ。
/絵が人並みに描ける
/子供の頃の記憶はあるが、中学2年までははっきりと思い出せない
・偽名として、「彼」。別人格(?)。
/一人称は一貫して「俺」
/歌を歌う。シャウトと巻き舌が異常に上手い
厨二病全開のスペックだが、本当にこれがあるんだから恐ろしい。ちなみに彼とは11年の付き合いだ。
もう1人いるはずだが、最近は目撃情報がないので多分死んだか寝てる。
そもそも解離性同一性障害は「解離性障害」のひとつに分類されており、
・解離性健忘、遁走
・離人症
と分類されるらしい。wikiそのままだ。診断書が書かれた訳ではないので、詳しい話は知らない。
この中で、自分は「健忘」「離人症」「同一性」に当てはまっている。役満だ。嬉しくない。
詳しい話は省く。今回は解離性同一性障害についてだけ話す。
解離性同一性障害は、ゲームや漫画で書かれるようなものとはまず違う。そんな美談で終わらせられるほど簡単なものではない。
「何かしらのトリガーで引き起こされる」。これは、人による。彼もロックを聴いていたら稀に現れるが、ほとんどは静かだ。自分は好きな絵を見ると帰ってくる習性がある。
だが、確定ではない。あとパッキリ切り替わる事もない。「いつの間に変わってた」と言う方が正しい。
「自分の意思で変えられない」。これは自分の中ではノーだ。目を閉じて30秒〜2、3分経つと、身体から血の気が引いてくるような感覚を覚える。それにに合わせて、頭が飛んでいくような感覚になる。スッと意識が遠くなったら、もう変わっている。
「記憶がまるきりない」。これはイエス。だが、自分達の場合はそれほど空っぽという訳でもない。目に焼き付いた景色は残っている。ただ、何をしたのかは朧げだし、思い出したとしても自分の経験として至らない。勝手に誰かが作った記憶のようだ。
「顔つきや目つきが変わる」。イエスだ。家族からは目でわかると言われる。彼はいつ変わったかわかるよと言われたらしい。
声の出し方も変わる。彼は男性ででいたいので低い声を出したがる。声帯の使い方が違うのかも知れない。よくわからない。
多重人格のキャラは見ていられないので特徴がよくわからないが、とりあえずはこんな感じだ。
少なくとも「バイクに乗ったら気性が変わる」と言ったような単純な変化はない。それは多重人格でもないと思う。
なぜこんな話をするのかというと、多重人格のキャラはあまりにも綺麗事ばかり書かれているからだ。
最近、SNSで「バニシングツイン」について書かれた漫画の広告を見た。片割れの双子が死んだ場合、もう一人に憑依する事がある、という話だ。
実質多重人格はバニシングツインと同義としてもいいだろう。意識が同じ身体の中にあるんだから、ほぼ一緒だ。
というより、彼も自分の生まれる7年前に流産した男の子説がある。どうせ偶然だろうが。とりあえず多重人格も憑依型のバニシングツインも変わらないものは変わらない。
「母親が死んだ方の双子の意見ばかり聞き、自身の意見は蔑ろにされてとても悲しい。自分が乗っ取られているようだ」
と話している。
この時点で気持ち悪い。
少なくとも、自分の身体を持たず、自分のやりたかった事もできず、ただ空虚な人生を送っている彼と主人公を比べれば明らかにどちらが素晴らしい人生かわかるだろう。
人格は悪じゃない。誰も悪くないのだ。
なんだそれ。
除霊?
人格を殺すって言うのか?
せっかく、身体なしでも生きながらえているのに?
作者は、何も知らないのだと思った。
バニシングツインについてもそうだが、それ以上に「人格」を軽く見過ぎなのだと。
当事者からすれば、人格というものは四六時中離れられない関係にある。情が湧かない、という方が無理がある。
それを、損得だけで、切り捨てようとしている。
レビューでは「親が理解できない」という声が多いが、自分はそれ以上に子供が理解できない。
どうして、同じ時を過ごした人間を殺そうとできるのか?
今、自分が「彼を消せる」と言われたら、泣き叫んで相手を殺してしまうだろう。
レビューを今読んでいるが、頭の中で声が聞こえる事が「ホラー」と称されてる事にも少し腹が立った。
レビュー作者も漫画作者も、それを「エンターテイメント」として見ているからその様に話せるのかもしれないが、当事者からすればこの上ない侮辱である。
自分が抱えているものはホラーでもエンターテイメントでもない、
それを、ただの自己満足で消費される程気持ち悪い事はない。不思議でもない、スピリチュアルでもない。そいつらの目の前に立って「私が多重人格てす」と話してみようか。
厨二病だと投げ捨てるのだろうか。
気持ち悪いと目を背けるのだろうか。
やってみたい気持ちと、自分もリアルを見たくないという矛盾で吐きそうだ。
幸せでもない。不幸でもない。それは彼らにとっての「普通」なのだ。健常者の物差しで測る方が間違っていると思わないか。
それと、人格の年齢や性別が身体と違っても、受け入れてあげてほしい。そういうものだ。そうとしか言いようがないのだ。
気にしない人格もいるのかもしれないが、彼の様にスカートを履こうとするだけで泣きそうになる、それくらい性別にこだわりがある人格もいるだろう。
そういうものだ。それさえも知らないで多重人格の話を書くのはやめてほしい。SNSに蔓延る三流作家達のことだ。