本の置き場所は変わり、机の上にはしまっておいたはずの空き箱があり、ちょうどよく乱れていた居心地の良い布団は、無機質なほど冷たく、丁寧に敷き直されていた。机のそばの床に丁寧に積み重ねられていた古紙は私の宝物で、これは日々の勉強で費やされた計算用紙なのだが、それは無残にも崩れ散らかっていた。
祖母に確認してみたら、悪びれもなく「うん、はいったよう」と答えた。今まで何回も何回も何回も、自分の部屋に入るな、物をいじるなと訴えてきたのに、この期に及んで悪びれもしない様子には腹も立たなかった。
祖母の言い分によると、私の部屋が余りにも汚いために、ホコリなどがふすまの隙間を通じて祖母が暮らすエリアに流出しているらしい。だから、我慢ならずに私の部屋に無断で立ち入り、部屋を掃除してしまったのだという。ちなみに、私の部屋から汚れが流出する様子を観測できる人間は、我が家では祖母しかいない。
それについ先週、祖母の訴えにより粘着ローラーで私の「汚い」部屋を掃除した際、あまり粘着ローラーに汚れが付かなかったことを祖母と共に確認したばかりである。祖母の言う「汚れ」とは、物理的なものではなく、精神的な、スピリチュアルなものである可能性はさらに強くなった。
祖母(以下、「甲」という。)は、私(以下、「乙」という。)の部屋を掃除する前に、必ず乙にこの事を相談しなくてはならない。
という内容の口約束を結んでいたはずである。だが今回の事に関して、私は一切の説明を祖母から受けていない。今回の事件の経緯と祖母からの事情聴取から察するに、齢80の祖母が私との約束をすっかり忘れてしまっていることは、想像に難くないだろう。
もうこれ以上対話を試みても努力の無駄だとしか思えないので、ドアノブを鍵付きのものに交換することになった。両親は一連の問題について前々から把握してくれていたため、ドライバー一本で行う素人工事の許可は簡単に出た。しかし、交換するドアノブの代金は、なぜか私が持つことになってしまった。
4000円弱の大枚をはたいて生産性のない仕事に取り組むことは、ひどく理不尽で虚しいものだったが、部屋のドアにうまく合うドアノブが簡単に手に入ったことは、まさに不幸中の幸いだった。作業も素人としては上出来の出来栄えで終わり、誇らしげに設けられたシリンダー錠もきちんと機能している。ふすまは、養生テープで隙間を塞いだ後、木材で簡単なつっかえ棒を作り封鎖した。
平穏な生活の訪れを祝うために、かねてから欲しかった好きなバンドのアルバムを2つダウンロードした。ドアノブ代4000円は、本来このアルバムに使われるはずだったのだ。
アルバムの感想は2つとも素晴らしいとしか言いようが無く、2つ合わせて4000円くらいだったが実質10000円くらいの値打ちはあったので、ドアノブ代を含めても2000円分の得となり、私は精神的大勝利を収めることができたのだった。
お婆さんを拒絶する道具の代金という禊は増田が祓ったのだ
高校生かな? ご愁傷さま
出費は痛いけど両親が協力的でよかったね あんたの気にしすぎなのよ~などと増田の意見を封殺するような毒親じゃなくてほんとうに良かった