はてなキーワード: コンドームとは
ニコニコ超会議のあとに開かれる飲み会では、上半身がはだけて下着が丸見えの、若いきれいめな女の子がフラフラ歩いてたり、堂々と胸を揉んだり抱きついたりチューしたり、パンツ丸見えでも気にせずにグーグー寝てる女の子がそこかしらに転がってて。
男はといえば、女の子の胸を揉んでいるか、奇声かと思われるくらい大声で爆笑してばっかりの男同士の場所があったり。トイレに2人で消えていく男女がいたと思ったら、誇らしげに精子入りのコンドームを持ってきて、それを見て一堂大爆笑。明らかに中学生くらいだろって子がビール瓶片手にスカートめくって見せてたりする。
会計は、なんか話によるとネットでアフィリエイトだかなんだかと株がどうたらこうたらって30代後半かな、それくらいの人が全部持ってくれるんだそうだ。年収1億って、本当かどうか疑わしいけど、1円も出さずに店を出て、誰にも何も言われなかったくらいなんだから…。
でも、前あった「スーパーフリー」みたいな集まりかと問われると、違って、秩序があるというか、よくわからないけど、説明しづらいんだけど、みんな大人という感じがした。明らかに年下の中学生っぽい人も、話をすれば「ああこのひと賢い」と感じさせた。
でもなんか、頭のオカシナ連中だった。なるほど、ああいう人たちばっかりで集まってるからそういう雰囲気になじめない人は足が遠のくし、心地いい人はあれがたまらないんだろう。
飲み会のあとは駅に向かって歩きつつ、自然とカップルが何組も出来上がって、集団からはぐれていった。僕はといえば、たまたま帰りの電車が同じ方向だった女の子とLINEを交換したぐらいだ。
「0.3mmのコンドーム」か。随分とぶ厚いな。
もちろん、貫通式オナホールを買うことにする。
2000円以上買わないとAmazonの送料は無料にならないらしい。
ダンボー君の暗黒微笑に負けた私は、ゆえにオナホールを3つ注文した。
注文確定ボタンを押したときは、不倫した男のような一抹の罪悪感を胸に抱いた。
童貞だけどさ。
「あたしは別に恋してないけど。あなたが勝手にフラれてイクのだわ」
以前増田でオナホのことを書いたら、トラバとブコメで「ゴムを使えよ」とアドバイスを頂いた。
だから私はこの日のために、0.3mmのコンドームを購入した。
これもAmazonで買えば良かったのだが、この手の医薬品?はネットでは買えないと思い込んでいた。
「コンドームはどこですか」と店員さんに聞いたときは、ほっぺたからリンゴが噴き出るほど恥ずかしかった。
なんにせよ、この歳になって生まれて初めてコンドームを手に入れた感慨は大きい。
自分にはできない、と思い込んでいては前に進めない。
現に私はいま、コンドームの箱を手にしている。あきらめてはイケない。
オナホールにローションを注ぎこむ。
けれど、それも「慣れ」なのだ。
何事も慣れないうちは、良さが分からない。
それは全長:14.5cmの貫通式オナホだったが、自分のものが貫通することはなかった。
悲しい。
オナホの先からポタポタと零れ落ちるローションが、涙となって床を濡らした。
「あらあら、小さいのね」
ストップウォッチを止めると、30秒だった。
たいして気持ちよくもないのに、イカされてしまうことが屈辱的だった。
それは男性が女性について誤解をしている「潮吹き」とて同じであるはずだが、童貞はこれ以上何も言うまい。
手だと30分くらいは運動をし続けることができるのに、オナホ相手だとどうしてか早漏になってしまう。
愛が足りないのかもしれない。
「コストパフォーマンス……」
私は一言つぶやいて、また虚しくなった。
オナホの秘口がぬるぬるとして、指先で撫でていると指が気持よかった。
この先、どうやって生き残れば良いのだろうか。
女は生き物として男に腕力じゃ負けるから、「初対面の男の人とセックス」ていう場面で一番安心できる形態を考えて風呂屋で働くことにした。いまのところそこそこ長続きしてる方だと思う。
どうしたってセックスは共同作業だから、明らかにこっちをモノ扱いしてるなっていうお客様よりは、こっちとコミュニケーションとりながら進めようとしてくれるお客様との方が大抵うまくいく。
慣れてないかもしれないけどコミュニケーションとろうとしてくれてる人と、最初っからコミュニケーションとる気がなさそうな人の違いって、接客してるとなんとなくわかる。
前者のパターンだと二回目、三回目って繰り返し入ってもらった時には前より打ち解けてくれてて、それなりに楽しい時間を過ごしてもらえてると思う。
高いお金を払ってもらってると思うから、プレイの間は楽しんでいってほしい。
一回目に入ってもらったとき、ぎこちない会話しかできなかったけど一生懸命にプレイしたお客様が、二回目三回目と指名で入ってくれて、だんだんスムーズに会話も弾むようになると嬉しい。「このお客様はこういうプレイが好き」ていうデータがこっちにもあるから、よりいっそう楽しんでもらえるように努力しやすい。本当にセックスは共同作業だなと思う。
納得ずくでお金と引き換えに身体を提供してるわけだけど、そういうプレイの最中にこっちの身体を気遣ってくれるお客様には「男の人も捨てたもんじゃない」「この人は良い人だ」て好感を持つ。お金払ったんだから、て感じで無言で好き勝手にプレイ進めてくひともけっこう多い中で、「○○していい?」て確認とってくれるお客様はそれだけでも良い印象が残る。
「男の人最悪」て思わされる時もやっぱりある。それがとにかく、コンドームを着ける着けないのやりとりをするとき。
私はゴム有で働いてる。店舗でもその案内はされてるから、私に入るお客様は初対面でもみんな私がゴム有プレイの嬢だって承知で入っている。
なのに、いざとなると「生でやらせろ」てせまってくる客が一定の割合でいる。ここは「お客様」と呼びたくない。とにかく最悪。
最初にその条件でOKして金を払ったのに、途中で条件変えようとしてくるってなんなんだ。おまえいつも仕事でもそんなことしてきたのか。て言いたくなる。
不思議と若い男の人はすんなりゴム有プレイを受け入れてくれることが多くて、50代~60代ぐらいの男の人がゴム有にぐちぐち言ってくることが多い。老害って言葉が頭に浮かぶレベル。
自分より腕力のある生き物を怒らせないために、残り数十分のプレイ時間を不機嫌に過ごされないために、生を押し切られたことが何回かある。
そんな客の中でも最悪オブ最悪だったのが、一回目無理矢理生でやっておいて、二回目に入った時に「おまえから病気をうつされたかもしれない!医者に行って薬を出された!」て怒ってきた客。50代後半の客だったけど、ここに書きたくない罵倒もされた。
こっちはきっちり検査もしててシロだったので、「私は病気は持っていませんが」と返したら、「そうか」と黙る。この時点でこっちとしては「ここで黙るってことは余所でも同じような生の遊び方してて、誰からうつされたかもわからないんだろうな」て判断する。
そんな相手がいざプレイを始めるとまた「生でやらせて」て言ってくる。さっき性病を疑って罵倒した相手に、十分後には性病に関して無防備なセックスを要求してよこすのって、頭が悪いとしか思えない。性病治療してきたばっかりの口が何を言うのか。
「そっちは病気治してきたばっかりだし、また私が疑われるのも嫌だから」てゴム有を押し通して、プレイ後お帰りいただいてから店にNG客のお願いをした。
なんであんなに男の人の一部が病的に「生」に固執するのかわからない。面白いくらいに思考停止して「生!」て主張してよこす。相対するこっちは面白いどころじゃなくて毎回神経を使うはめになるわけだけど。無防備にセックスして病気うつされるかも、とか一瞬でも考えないんだろうか。
風俗嬢やり始めたころは「男の人も捨てたもんじゃないな」て思えるときがあるとは思ってなかったから、意外だった。
そして「ゴム有」て明記して働き始めたにも関わらず、こんなにコンドームつけるつけないのやりとりに神経すり減らすはめになるとは思ってなかった。
仕事しててそれなりに楽しいことも「お客様かわいい、情が湧く」て思うときもあるし、せっかくお金払っていただいてるからにはできるだけプレイ楽しんでいってほしいとも思う。
風俗嬢やってると病むかな、と思っていたときもあるけど、最初に予想していたよりは全然病まずにすんでるし、もうしばらくこの仕事続けるんだと思う。納得ずくの範囲内でお客様に楽しんでいただけるように、て初心忘れないようにして、それなりに。
私もコンビニでバイトしてたけど、まさにそのとおり。生理用品とは半々くらいだったかな。
スーパーのレジで、前の主婦が生理用品をカゴに入れてるのは見るけど、
まあネットで買ってるということになるのかな。
消費量としては、妻が一月に使う生理ナプキンの枚数と、夫が一月に使うコンドームの数は、
同じくらいなんじゃないの?
なのになんで、コンドームはこんなに日が当たらないというか、
宣伝もないし、製品が話題にならないし、そのせいで、店頭でじっくり箱を読むなんてこともしない、
この季節、よし、とりあえずコンドームだ!。。。はて。
と買い方に戸惑ってる若い人が多いのではないかと思う。
あらすじ
私が腐女子になってからというものの、何千ものBLセックスを読み、そして書いてきた。
また、男性向けエロも好きだったので、2chのエロパロスレに入り浸っている時期もあった。
しかし私の書くエロ小説もBLエロ小説も、何かが足りなかった。そう、エロパートのリアルさである。
なにしろ私は性経験のないクソ処女であったのだ。自慰はできてもセックスは知らなかった。
かくして私とRくんの利害は一致し(?)、私のゴリ押しによって「エロ同人っぽいことをしまくってみる」という事が決まった。
これから書くのは、私とRくんのおよそ二年半に及ぶクソみたいな性体験を箇条書きにしたものである。
全国の腐女子の皆さん、そしてエロ絵師の皆さん、ぜひご参考にしてください。
尚、これは参考資料として私がまとめたものであるので、エロを求めてはいけない。正確さも求めてはいけない。ここに書いてあることに責任は持たない。
目次
・アナル編
・オトナのおもちゃ編
☆アナル
用意した物
Rくんの性的嗜好により腸内洗浄は省略。(しかしなぜか指にはめたコンドームにも、ちんこにはめたコンドームにもなんの汚れもついていなかったし、終わったあとで尻の穴を拭いても、透明のローションしかついていなかった。)ちなみに私は元々切れ痔である。
体育座りのまま仰向けに寝そべり、そのまま足を伸ばすという体勢を取らされ開始。
ケツになんかつめたい感触がした直後、コンドームをはめた指を尻の穴の入り口を広げつつ塗られる。
この時点では指先が数ミリしか腸内に入ってこないので、「あれ?いけんじゃね?」という気持ちになる。気持ち悪い感じもせず、ただ尻の穴の入り口を触られている感覚しかない。
その後指にさらにローションを足し、指を突っ込まれそのまま出し入れされる。この時点でも何もない。本当になんの感覚もなかった。
しかしRくんが指を腹の方に折り曲げ、ゆっくりと上下すると性的快感を得られる部分があった。
原因はおそらく、というか間違いなく子宮口だと思う。ただ、私は元々ある程度のボルチオ開発をされていたので「oh…」となったけれど、中イキが出来ない娘だったら絶対気持ちよくないと思う。逆に言えば中イキできればアナルも気持ちいいんじゃないかな。
しかし問題はちんこの挿入にあった。これが驚くほどに気持ち悪い。
考えてみてほしい。大腸を大便ぐらいのものがすごい勢いで出たり入ったりするのだ。後ろから挿入すると若干の快感は得られるものの気持ち悪さが圧倒的に勝ってしまう。
そこでこれでもかというほどローションを入れてみたら、確かに出入りはスムーズになったが気持ち悪さはむしろ悪化するという結果になった。
あの気持ち悪さを一言で表すならそう、下痢の時のあの気持ちそのものである。しかもこいつは出ていくだけでなく逆流もしてくる。3分くらい粘ったが無理だった。
挿れた側のR君いわく「ローション使わなかったらすげえ痛かったと思うけど、すごくしまってて気持ちよかった」だった。
ちなみに次の日はマジで腰痛でろくに動けなくなる。皆は腰の下に布団を丸めて入れてからアナルセックスをしような。
それと切れ痔でも傷にしみさえしなければアナルセックスはできた。念入りに広げる必要はあったが。
Rくんを四つん這いにして、同じくコンドームをはめた指にぺぺローションを大量に載せ、Rくんの尻の穴の周りに塗り込んだ。その後これまた同じく指をゆっくり沈めていく。
こう、「みちっ」としてる。ビニール袋を手にはめて指先からお風呂に手を突っ込んだ感じに近いかもしれないが、あれよりもっとキツイ。
出し入れはせずにゆっくりと指を曲げながら前立腺を探した。するとRくんが唐突に「ォア!?」と嬌声を上げたので恐る恐る押す。
困惑しつもしっかり感じている声を上げていたが、ちんこが萎えまくっていたので「気持ちよくないのか」と問いかけると、彼から「正直かなり気持ちいいけど射精の気持ちよさとは全然別だし、射精しそうにない」らしい。メスイキ適性があるのかもしれない。結局中断して普通にフィニッシュして頂いた。
それと、彼の尻穴の狭さと私の尻穴の狭さは何故か知らないが明らかに違う。私のは初回でちんこを入れられるほどガバガバだったが、ためしに彼にバイブを入れようとしたらものすごく拒否された。男女の差か、はたまた個人の違いか。
また、ちんこの下の睾丸のそのさらに下に、ちんこの根本らしきものがあるのだけれど、たまたまそこを左右にコリコリしたとき「あっ……なんかそこ、前にお前に尻ほじくられた時みたいな感覚ある」という報告を受けた。
腹 ┃ ⌒←鬼頭
┃ //
┃//
\二二/
↑○←睾丸
ココ
前立腺開発に使えるかもしれない。よかったらご参考までに。
☆オトナのおもちゃ
一番の感想は「これ別にちんこでよくね?」だった。エロ同人では「おっきいほうがしゅきぃ♡」みたいなセリフがあるのでやっぱりちんこはデカイほうが気持ちいいのだろうと思っていたけど、正直膣でブツの大きさなんか分からない。そもそも膣自体に感覚はない。ましてや膣の中でバイブ機能をオンにされた時なんかまさに「?」って感じだった。
しかしこいつの真骨頂はやっぱり子宮口にあった。先端を子宮口までつっこまれてバイブ機能をオンにされた時「オ゛エ゛アアアア!!!!!」と叫んでしまった。マジで。
でもやっぱりこれ、ボルチオ開発されてなきゃ痛いだけじゃないかな。男性でも鬼頭攻めが気持ちいい人と痛い人といるし。
・ローター
安物のローター買ったのがいけなかったのかもしれないが正直本当に気持ちよさがわからなかった。震えるのには電マでいいし。
膣に入れたりもしたけれど、「えっなんかめっちゃ震えてる変な感じ……」と思っただけで終わってしまった。ここでいう変な感じとはエロ同人の女の子が言う「変な感じすりゅう…」とは別物だ。ただの異物感。少なくとも私には合わなかった。
・電マ
ローターを最も私に合わなかったおもちゃと言うならば、電マは逆に私に最もあったおもちゃであった。
パンツをぬいだ状態で当てられた時はローターと同じ感想しか抱かなかったが、パンツを履いたあとパンツ越しにあててみた所、死にそうになった。
足の指先にキーンとした感じが集まってきて大混乱の渦に叩き落とされる感じ。気がついたら絶叫しながら漏らしていた。
泣きながらRくんにコンビニまでパンツを買いに行ってもらえないかお願いし、白いシーツを洗おうとした時、漏らした液体が透明であることに気づいた。もしかして潮か?潮なのか?
以上。
一部のラディカルフェミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害な行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。
一方、リプロダクティブ・ヘルス・ライツの整備に反対する保守層は、女性が人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児・出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツ・ライツの話題そのものを忌避する社会が完成する。
リプロダクティブ・ヘルツ・ライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実の証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニーをルーツとする保守主義者は、女性の社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭的自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。
日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力と構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会に帰属し、「世間」の強制力は空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチ・フェミニズム」の趨勢は象徴しているように思う。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖、もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋な利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働の社会的価値を損なうことはない。出産・育児と労働を天秤に掛けるとき、労働を選択する女性ばかりではないからだ。
一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在の日本社会においては、生殖そのもののコストが女性側に一任され、経済的負担は男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。
単独で家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分の社会的な立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手を見出し、交渉する主体性と行動力が必要となる。しかし、アンチフェミニズムを標榜する視点において弱者男性の問題が論じられるとき、男女関係における責任問題の現実的側面に目が向けられることはほとんどない。
彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢は存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的な男性の世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代、トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識を放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。
セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題」であるとき、生殖に関与する両者は、二人の協力者である。
男性側のアクションとしての、コンドームに代表される避妊手段、女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用、リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在、性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的な生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスはレイプである」という命題は否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。
しかし、この「現実的側面に対して、現実的に議論する」こと、そのものが、世間の一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリーに支配された「女たち」と、家社会、部族社会の論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所と財産と名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心や想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会の構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖の主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶を強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的な搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である。
リプロダクティブ・ヘルス・ライツを巡る議論は忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニスト」からも「保守主義者」からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズム・リベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである。