はてなキーワード: コンスタンティノープルとは
ちょっと知ってる人にも「それ本当にコロンブス自身がやったことか?」と疑問に思うことまでコロンブスのせいにしている人も目立つ
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/f38d0dacb278645cdec06fd702e741790db2cbb0
このうち確かにコロンブスがやったことは一番上、原住民の奴隷化だが、
コンスタンティノープルを陥落させたマホメッド二世とかも敗者を奴隷にしてないか?やったろうけど今のコロンブスほど悪し様に言われてないだろ。
残りはコルテスやピサロなど、他のコンキスタドールがやったことだし
疫病の蔓延はコロンブス自身が意図してやったという記録は今のところ見えない。
北米制圧の時の入植者がわざと疫病がついている毛布を原住民にやったという記録はあるが、それはコロンブスではない
ちなみに当時、新大陸におけるスペインのコンキスタドール全体所業は確かに当時の水準においても悪行と呼べるものだったようで
ラス=カサスという神父が『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』という書面で告発し改善を訴えてる
http://www.stampmates.sakura.ne.jp/Gv-eLasCsas.htm
で。じゃあこのカサス神父がコロンブスのことをどう思っているのか?
そこは概ね好意的なもので、むしろ事あるごとに肩を持っているような面が氏の著書『インディアス史』に記載されているようだ
ここらあたりのポストが参考になるかも
というわけで、どうもコロンブスは後続のコンキスタドールの悪行やらその後の北南米原住民を襲った悲劇やらの
ワイのママも未だにイスタンブールのことコンスタンティノープルって呼んでるわ
あれがコンスタンティノープルだ
あと、コンスタンティノープルをコンスタンチノープルって発音するのも嫌い
前回のリストhttps://anond.hatelabo.jp/20210707223409が字数制限に達したようなので、書ききれなかった分はここに付け足します。前回はたくさんのブックマーク、コメントありがとうございました。https://anond.hatelabo.jp/20210715114737も参照ください
孫権は自ら軍を率いて曹操軍の籠城する合肥城を攻める。しかし、張陵の奮戦に苦しめられた挙げ句、疫病の発生により撤退を余儀なくされた。更に張陵に追討ちをかけられ、命からがら逃亡した。
・沙苑の戦い
西魏軍は葦原に身を隠し、東魏軍の列が乱れたところを一斉攻撃する戦法で勝利した。東魏軍は6000名が捕らえられ、7万人が捕虜となった。
・パリ包囲戦
885~886年 ★西フランク王国200vsヴァイキング3万~4万
西フランク王国の首都パリをヴァイキングの大軍が包囲。フランク人達は1年にもわたる激しい抵抗を繰り広げ、やがてカール3世率いる援軍が到着したため、ヴァイキングは撤退した
1336年 南北朝・建武の乱 ★足利軍1000vs菊池軍1万
博多へ侵攻する菊池軍と足利尊氏が遭遇。菊池軍に離反者が相次ぎ、敗北した。
・ベオグラード包囲戦
オスマン帝国はハンガリー王位を巡る内戦に乗じてセルビアへ侵攻、ベオグラードを包囲した。ハンガリー軍は5ヶ月に渡って抵抗し、これを退けた。
・クルヤ包囲戦
1450年 オスマン・アルバニア戦争 ★アルバニア軍8000vsオスマン軍10万
スカンデリベグ率いるアルバニア軍がオスマン帝国に包囲された。アルバニア軍は敵軍の補給を断ち、士気の低下と病気の流行に苦しめられたトルコ軍は撤退した。
・ベオグラード包囲戦
1456年 ★ハンガリー軍4000vsオスマン軍3万~40万
コンスタンティノープルを陥落させたトルコ軍は勢いに乗じて、ハンガリーへ侵攻するが、ベオグラードで英雄フニャディ・ヤノーシュの活躍の前に敗れ去る。
・ヘミングステットの戦い
1500年 ★ディットマルシェーン500~1000vsデンマーク軍1万2000
ディットマルシェーンの農民達がカルマル同盟に対して反乱を起こす。農民達はバリケードを築き、土地を氾濫させたため、デンマーク軍は数的優位を活かせなかった上、大勢が溺死したため、撤退した。
・ロドス包囲戦
1522年 聖ヨハネ騎士団6700vs★オスマン帝国8万~12万
ロドス島を支配する聖ヨハネ騎士団をオスマン帝国が包囲。半年にも及ぶ激戦の末に騎士団は降伏。シチリア島へ移った。トルコ軍にも2000~5万の死傷者が出た
・クーセグ包囲戦
1532年 ハンガリー軍700~800vsオスマン軍12万~20万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がハンガリーの小さな町クーセグを包囲。貧弱な装備ながらも守備隊は25日間抵抗し続け、ハプスブルクの援軍を恐れたスレイマン1世は撤退した。ハンガリー軍は最後まで降伏しなかったという説と降伏を受け入れたが少数のトルコ人しか砦に入れなかったという説がある。
現モンテネグロの町カステルヌーヴォをバルバロス率いるトルコ軍が完全包囲。スペイン軍は降伏勧告を無視し、1ヶ月にも及ぶ激戦の末に100名を除いて全滅したが、トルコ軍も8000人から2万人が戦死した。
・アンドリエンの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族2万人
マプーチェ族はスペイン軍に夜襲を仕掛けるが、スペイン軍は警戒を怠らなかったため、返り討ちにされ、3000人が戦死した。
・エゲル包囲戦
1552年 ★ハンガリー軍2000vsオスマン軍3万5000~4万
イシドヴァーン・ドヴォ率いるハンガリー軍がトルコ軍に包囲されるも、厚い防壁、イシドヴァーンのリーダーシップ、トルコ軍の内部対立に助けられ、防衛に成功した。
・マラッカ包囲戦
アチェ王国はポルトガルからマラッカを奪還しようと大軍を派遣し包囲するが、3000人以上の犠牲者を出して敗北した。
・ファマグスタの戦い
1570年~1571年 オスマン・ヴェネツィア戦争 ヴェネツィア8500vs★オスマン軍10万~12万
キプロスのクリスチャン最後の砦ファマグスタが1年近く激しい抵抗を繰り広げた後に降伏した。ヴェネツィア軍は7600人が戦死し、トルコ軍は1万~2万人が死傷した。当初トルコ軍は砦内のクリスチャンの安全を保証するもその約束を反故にし、ヴェネツィア人たちを虐殺し、指揮官のブラガディンは耳と鼻を削がれた上、皮剥の刑に処された。
・英賀合戦
1577年 戦国時代・中国攻め ★小寺軍500vs毛利軍5000
織田寄りの小寺氏を討伐するため、毛利は大軍を派遣する。しかし、小寺軍は敵が上陸した直後を奇襲した。更に農民達に旗を挙げさせ、それを敵の援軍と勘違いした毛利は兵を引いた。
・クヴォダンスコの戦い
1577年~1578年 クロアチア軍300vs★オスマン軍5000~1万
クロアチアの都市クヴォダンスコをトルコ軍が包囲した。防衛軍は3ヶ月に渡って籠城し、3度の大規模な攻撃を退けた。守備隊が全員餓死若しくは凍死した後にトルコ軍は砦を占拠し、敵兵の遺体を手厚く葬った
伊東軍が建設した石城を島津軍が包囲する。しかし、石城は三方を急流、背後を険しい崖に覆われた天然の要塞であったため、島津は一度撤退した。伊東軍の死者10人に対し、島津軍は500人が死亡し、大将の島津忠長も重傷を負った。2ヶ月後島津軍は1万人の大軍を派遣して城を堕とした。
・ナジカニジャ包囲戦
1601年 ★オスマン軍9000vsハプスブルク6万5000~10万
現ハンガリーの都市ナジカニジャをハプスブルクの大軍が包囲。オスマン軍は潤沢な物資があるように見せかけながら防衛戦を繰り広げ、73日目に奇襲攻撃を仕掛けた。これを敵の援軍と勘違いしたハプスブルクは軍を撤退させた。
マラータ王国の台頭を警戒したビジャープル王国は討伐のために軍を派遣する。マラター軍はビジャープル軍の追撃から国王シヴァージーを逃がすため、狭い砦で命がけの戦いに挑んだ。この戦いで両軍とも兵力の半分を失ったが、シヴァージーは逃亡に成功した。
・ハドウの戦い
1694年 ポーランド・オスマン戦争 ★ポーランド軍400vsクリミア・ハン軍4万
ポーランド領ポジーリャに侵入したタタール軍とポーランド軍が激突した。ポーランド軍は木製の柵で守りを固め、弾薬が尽きれば、モンゴル軍の矢を打ち返すなど奮戦し、撃退した。ポーランド軍の損害は100名足らずに対して、タタール軍は1万人以上であった。
・アナントプルの戦い
シク教の台頭を恐れたムガル帝国は討伐軍を派遣する。しかし、グル・ゴービンド率いるシク教徒たちに敗れる。
・ナフプリオ包囲戦
現ギリシアの町ナフプリオをヴェネツィアはトルコから奪還することに成功し、更にパラミディ要塞を建設し、防衛強化に努めた。しかし、トルコの大軍に包囲され、1週間ほどで陥落し、住民達は虐殺されるか囚人として連行された。しかし、この戦いでトルコ軍も8000人以上が戦死した。
・ガングワナの戦い
1741年 マールワール軍1000vs★アンベール・ムガル・バラトプールなど連合軍1万~4万
マルワール王国はアンベール王国の戦争に敗れ賠償金と土地を要求されるが、国民が怒ったため、報復戦争を開始する。マールワール軍の騎兵ははアンベール軍を強襲し、蹴散らすものの、ムガル軍の砲撃によって敗北した。マールワール軍は全員が戦死するか負傷したが、連合軍は12000人が負傷した。
・レイバー橋の戦い
1855年 第二次フランス・トラルザ戦争 ★フランス軍14vsトラルザ軍1000人
セネガルとセントルイスを繋ぐレイバー橋をトラルザ軍が襲撃するも、14名の守備隊に撃退された。フランス軍は3名が負傷しただけであったが、トラルザ軍は127名が死傷した。
江戸幕府は将軍徳川家茂自ら軍を率いて長州討伐に出征する。しかし、西洋化が進められた長州の装備に苦しめられた挙げ句、家茂が病死したため、撤退した。
1879年 第二次アフガン戦争 イギリス軍75vs★アフガン軍2000
カブールの英国居住地に居たピエール・カヴァナリ郷をアフガン人が襲撃した。護衛達は奮戦し、600人死傷させたが、2名を除いて戦死した。
・マイワンドの戦い
1880年 第二次アフガン戦争 イギリス軍2500vs★アフガン軍2万5000
アフガン人とイギリス軍が激突、数で勝るアフガン人が勝利を収めた。しかし、イギリス軍の死者1000人に対し、アフガン軍の死傷者は1万人以上と勝者の払った犠牲も大きかった。
・シャンガニ・パトロール
1893年 第一次マタベレ戦争 イギリス南アフリカ会社37vs★マタベレ軍3000
イギリス南アフリカ会社は現ジンバブエのマタベレ王ロベングラの逮捕のために軍を派遣するが、待ち伏せに遭い3名を除いて全滅した。しかし、マタベレも400~500名が戦死した。
1896年 フィリピン革命 ★スペイン軍100vsカティプナン800~1000
マニラの東サンフアンでフィリピン独立を求める秘密結社カティプナンが武装蜂起を起こすが、スペイン軍に敗れ撤退した。この戦いがフィリピン独立戦争の始まりとなった。
・カカロン・デ・シリの戦い
1897年 フィリピン革命 ★スペイン軍600vsフィリピン6000
ブラカンでフィリピン人がカカロン共和国の設立を宣言し、砦を築いた。スペイン軍は討伐軍を派遣し、砦を攻略した。反乱軍の残党達はスペインに対してゲリラで抵抗を続けることとなる。
・サラガリの戦い
1897年 ティラ作戦 イギリス領インド帝国軍21vs★パシトゥーン人1万人
ティラ地方のアフガン人がイギリスに対して反乱を起こし、サラガリに駐在していたイギリス軍を襲った。イギリス軍は全滅したものの、アフガン人も450名が死傷した。
・サンタ・クルス包囲戦
1898年 フィリピン革命 スペイン軍700vs★フィリピン軍1万
ラグナのスペイン軍最後の拠点サンタ・クルスをホセ・リサールの兄パシアノ・リサールが包囲した。スペイン軍は2ヶ月に及ぶ抵抗でフィリピン軍に大損害を与えたが、降伏した。
・ベーラー包囲戦
1898~1899年 フィリピン革命 スペイン軍50vs★フィリピン軍800
教会に立て籠もったスペイン軍をフィリピン人達が1年にわたって包囲する。スペイン軍はフィリピン軍が700名の兵力を失う程激しく抵抗し続けたが、スペイン本国が敗れたことを知り投降した
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍1200vs★ドイツ軍1万7000
ドイツ軍がポーランド軍の防衛するウェンギエルスカ・グルカ村を通過する際にポーランド軍と2日間交戦する。ドイツ軍は勝利したものの、多大な犠牲を強いられ、ポーランド軍の戦死者は7~20名、7名が処刑された。
・ヴェステルプラッッテの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍205vs★ドイツ軍2600
ドイツ軍が自由都市ダンツィヒのヴェステルプラッテ半島を攻撃。ポーランド軍は1週間に及ぶ激戦の末に降伏。ポーランド軍の死傷者67名に対し、ドイツ軍の死傷者は300~400名であった。
・ウィズナの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍350~700vs★ドイツ軍4万2000
ドイツ軍がウィズナ村を通過した際にポーランド軍の激しい抵抗に苦しめられた。3日間の死闘でポーランド軍は壊滅したが、ドイツ軍も1400名の死傷者を出した。
・ミルの戦い
1940年 第二次世界大戦 オランダ侵攻 オランダ軍2000vs★ドイツ軍3万
ドイツ軍がミル村を通過する際にオランダ軍の激しい抵抗に遭った。ドイツ軍は勝利したが、500人以上が死傷し、オランダ軍は80人が死傷した。
・ソーミュールの戦い
1940年 第二次世界大戦 フランス侵攻 フランス軍2500vs★ドイツ軍4万
フランス軍の訓練生達がドイツ軍の攻略に2日間抵抗した。フランス軍の死傷者250に対し、ドイツ軍の死傷者は400名で戦車も7両破壊された。訓練生達の勇気はドイツ軍指揮官クルト・フェルトですら賞賛した。この戦いはペタン元帥の停戦呼びかけの後に行われたため、最初のレジスタンスであるとされる。
・ニリムの戦い
1948年 パレスチナ戦争 ★イスラエル軍39~45(内12人女性)vsエジプト軍500~800
イスラエルのキブツ(共同体)ニリムをエジプト軍が包囲した。エジプト軍は装甲車、航空機などの支援を受けて攻撃したが、イスラエル軍の防御を突破できず撤退した。
・3234高地の戦い
1988年 ソ連のアフガン侵攻 ★ソ連軍39vsムジャヒディーン、パキスタン軍450~650
3234高地に配備されたソ連空挺隊がムジャヒディーンの襲撃を受けた。ソ連軍は34名の死傷者を出しながらも200名以上を殺害し、撃退した。
・ヴコヴァルの戦い
1991年 クロアチア紛争・ユーゴスラヴィア紛争 クロアチア軍1800vs★ユーゴスラヴィア・SAO36000
クロアチア東部の都市ヴコヴァルをユーゴスラヴィア軍が87日間にわたって包囲した。クロアチア軍は大半が死傷し、多くの民間人も虐殺・追放されたが、ユーゴスラヴィア軍も3600人が死傷し、戦車と武装車両1100両以上と航空機3機が破壊された。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 60 | 10705 | 178.4 | 57.5 |
01 | 29 | 3665 | 126.4 | 28 |
02 | 30 | 7412 | 247.1 | 120.5 |
03 | 36 | 6009 | 166.9 | 116.5 |
04 | 11 | 1588 | 144.4 | 110 |
05 | 13 | 2385 | 183.5 | 197 |
06 | 14 | 1728 | 123.4 | 89 |
07 | 27 | 4124 | 152.7 | 45 |
08 | 88 | 11428 | 129.9 | 48.5 |
09 | 118 | 7566 | 64.1 | 35.5 |
10 | 136 | 18754 | 137.9 | 65 |
11 | 120 | 19126 | 159.4 | 52 |
12 | 119 | 16916 | 142.2 | 42 |
13 | 95 | 11050 | 116.3 | 55 |
14 | 135 | 17277 | 128.0 | 64 |
15 | 196 | 19745 | 100.7 | 59 |
16 | 159 | 14296 | 89.9 | 36 |
17 | 111 | 10445 | 94.1 | 44 |
18 | 174 | 18315 | 105.3 | 47.5 |
19 | 114 | 11464 | 100.6 | 51 |
20 | 148 | 19549 | 132.1 | 51.5 |
21 | 104 | 10606 | 102.0 | 44.5 |
22 | 104 | 21632 | 208.0 | 60 |
23 | 114 | 14407 | 126.4 | 45.5 |
1日 | 2255 | 280192 | 124.3 | 50 |
EoE(11), 真希(10), 焼き土下座(4), 渚カヲル(4), 新劇(10), ケンスケ(6), モヨコ(8), 冬月(8), 安野モヨコ(8), エバ(7), 緒方恵美(4), エヴァ(141), ネタバレ(59), ウマ娘(25), 劇場版(18), エロ本(12), 宇崎(28), 監督(21), ポスター(28), 献血(10), 初見(7), ヒロイン(17), Q(19), 旧(14), 完結(14), 表紙(9), 感想(70), 声優(18), 生理(18), シーン(24), ストーリー(21), 物語(19), 滅(20), セリフ(12), 観(32), 映像(14)
■シン・エヴァで氷河期世代は救われない /20210309164507(19), ■宇崎ちゃんポスター問題の再整理 /20210308233730(15), ■ahamo記事のブコメに傲りと差別を感じる /20210308191423(12), ■コンスタンティノープルってかっこよすぎだろ /20210309003938(11), ■努力のできる人間が「人生は素晴らしい!」と語る /20210309002131(10), ■社会が怖いから専業主婦になりました /20210309071320(9), ■EU はまじで頭にくる /20210309025653(8), ■社内向けに開発されたのに覇権取ったツール /20210308203740(8), ■ウマ娘のやりすぎで女が馬に見えてきた /20210309075845(8), ■ガワが美少女で声が男性のキャラクター /20210309001009(7), ■今から少し取り乱すけど勘弁して欲しい /20210309104908(7), ■分かりやすい個性がある街 /20210309114516(6), ■ /20210309153458(6), ■旧世紀版と新劇場版で一貫していたもの /20210309031435(6), ■シンエヴァ面白くないって感想が読みたい /20210309125157(6), ■エバや鬼滅、呪術、進撃の完結が意味するのは「二次創作文化の終焉」 /20210309201505(5), ■手紙を書くのに没頭する5歳児 /20210309083810(5), ■anond:20210309092505 /20210309094328(5), ■はてなぁのみんなに言いたいんだけど /20210309143934(5), ■セックスしないでどうやって生きてるの? /20210309171120(5), ■シン・エヴァ否定派は庵野への逆恨みで嘘を付き始めている /20210309175404(5), ■家賃保証会社の問題と解決策の検討 〜 天涯孤独でも生きていける社会 /20210308035804(5)
さっき夜道を歩きながら思ったのですが、コンスタンティノープルって名前としてあまりにカッコ良すぎるだろ
俺が住んでる街なんて「池田」だぜ
池と田ってなんだよ ナメてんのか?
イケダって響きもダセー 終わっとる
コンスタンティノープルはすごいよ
これから調べて、どうせカッコいい意味で、さらにカッコよくなっちゃうんだよ
コンスタントに何々、っていうと大体'継続的に"って感じのニュアンスになるけど、それとは関係あんのかな
映画コンスタンティンとかも関係ありそう あれはキリスト教ベースの悪魔退治映画っぽいから、キリスト教用語だったりするんだろうか
調べてみると、コンスタンティヌス帝の名前+「都市」みたいな意味の「ノープル」部分らしい ノープルはポリスとほぼおんなじものだとか
あー、人名かあ!しかし、じゃあコンスタンティヌスはなんなんだろう?
この際、皇帝の名前を経由してたことは忘れて、「不変」にだけ注目したいね
「不変なる街、コンスタンティノープル!」
あまりにカッコ良すぎるだろ
永田町なんかと若干かぶるところはあるが、田が漂わせる生活感がなくて、響きもカッコいいのでやはり格が違うな
コンスタンティノープルに生まれたかった
でもコンスタンティノープルは戸締りさえしっかりしていれば不落ですよね?
嘘乙。コンスタンティノープルを陥落せしめたのは優れた指導者と優れた戦略とそれを実行した精鋭の兵による功績だぞ。決して臼砲のみがなしえたものではない。
前1285 | カデシュの戦い | エジプトの大ファラオ・ラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリが停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。 |
前479 | プラタイアの戦い | 古代ギリシアとペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い(映画『300』で有名)の雪辱を果たした。 |
前371 | レウクトラの戦い | 古代ギリシアの都市国家テーバイとスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力を左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタのファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア諸都市はその戦術によって敗れ去ることになる。 |
前331 | ガウガメラの戦い | 「大王」アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵がペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵がペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニアが勝利し、大国ペルシアは滅びた。 |
前260 | 長平の戦い | 中国の戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜が虐殺されたという。秦の中華統一の過程において最も大きな勝利の一つである。 |
前216 | カンネーの戦い | アルプスを越えてイタリア半島に侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央の歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅」戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海の覇権はローマのものとなっていく。 |
前202 | 垓下の戦い | 秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。 |
前48 | ファルサルスの戦い | 古代ローマを代表する二人の軍事的天才、カエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルはローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。 |
前31 | アクティウムの海戦 | カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場を離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスとクレオパトラは自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。 |
23年 | 昆陽の戦い | 漢から帝位を簒奪した王莽に反発して「赤眉の乱」が起こる。昆陽に篭もる赤眉軍は、実数でも40万と言われる王莽軍に包囲されたが、リーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡。劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。 |
208 | 赤壁の戦い | 三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州の南部を占拠し、後の飛躍へと繋げた。 |
383 | 淝水の戦い | 五胡十六国時代、前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋の将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退と勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。 |
451 | カタラウヌムの戦い | フン族の王アッティラの侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。 |
506 | 鍾離の戦い | 数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。 |
530 | ダラの戦い | サーサーン朝ペルシアの大軍を東ローマ帝国のベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手の中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。 |
627 | ハンダクの戦い | 初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕を突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。 |
636 | ヤルムークの戦い | 「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠の戦闘に慣れたイスラム騎兵が東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国が興隆することとなった。 |
732 | トゥール・ポワティエ間の戦い | イベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下に土地を与えて「騎士」制度を創設し、これが欧州の封建制へと繋がっていった。 |
751 | タラス河畔の戦い | 西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国が中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟者ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり、中央アジアはイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。 |
1098 | アンティオキア攻囲戦 | 第一回十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見で士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍は成功に終わった。 |
1141 | カトワーンの戦い | イスラム・セルジューク朝を復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。 |
1187 | ヒッティーンの戦い | 暑さと渇きに苦しむエルサレム王国軍に対し、イスラム・アイユーブ朝のサラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。 |
1212 | ナバス・デ・トロサの戦い | イベリア半島で争っていたキリスト教諸勢力が、教皇インノケンティウス3世の要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラム・ムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。 |
1214 | ブーヴィーヌの戦い | フランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国・イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。 |
1241 | モヒの戦い | バトゥ率いるモンゴル帝国の遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国の火薬兵器で攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。 |
1260 | アイン・ジャールートの戦い | モンゴル帝国の西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝の実質的な建国者となった。 |
1267 | 襄陽・樊城の戦い | モンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴルの水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。 |
1346 | クレシーの戦い | イングランドとフランスの百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央に下馬騎士を置いた。フランス軍のクロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術で勝利を収めていった。 |
1363 | 鄱陽湖の戦い | 中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋が特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦いの描写はこの戦いがモデルだという。 |
1402 | アンカラの戦い | ニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラム・オスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマンは一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。 |
1410 | グルンヴァルトの戦い | ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦。リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれたドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランド・リトアニアは欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。 |
1420 | ヴィトコフの戦い | ヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的な戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍は撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。 |
1450 | フォルミニーの戦い | 他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲を活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランスの勝利と、そして以降のフランスの軍事的優位を決定付けた。 |
1453 | コンスタンティノープルの陥落 | 東ローマ帝国の首都にして史上最強の城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊の山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国は中世と共に終わりを迎えた。 |
1503 | チェリニョーラの戦い | 第二次イタリア戦争におけるスペインとフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦の経験豊富だったスペイン軍の指揮官ゴンサロは、野戦に攻城戦の技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州に野戦築城の有効性を知らしめた。 |
1514 | チャルディラーンの戦い | イスラム・サファヴィー朝の建国者イスマーイール1世は神がかり的な戦争の天才だったが、対するオスマン帝国のセリム1世は鉄砲と大砲を大量に運用して、不敗の騎兵「クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世は無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。 |
1588 | アルマダの海戦 | 黄金時代のスペインをイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃を企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイの砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。 |
1619 | サルフの戦い | 女真族を統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。 |
1631 | ブライテンフェルトの戦い | 三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフは歩兵・騎兵・砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術が近代的な軍制の基礎となる。 |
1683 | 第二次ウィーン包囲 | オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリアの首都ウィーンを包囲したが、要塞化された都市は容易に陥落しなかった。キリスト教諸勢力は連合して救援に向かい、特にポーランドが誇る有翼重騎兵「フサリア」3000騎の中央突破によって、オスマン軍は大敗した。オスマン帝国の衰退を決定付ける戦いとなった。 |
1704 | ブレンハイムの戦い | スペイン継承戦争において、イングランドのマールバラ公とオーストリアのプリンツ・オイゲンの名コンビが、フランス軍を打ち破った戦い。開戦後、しばらくは一進一退が続いたが、マールバラ公はオイゲンと連携して粘り強く戦い、フランス軍の両翼を釘付けにした上で手薄になった敵中央を突破して撃破した。 |
1709 | ポルタヴァの戦い | 北欧の覇権を握ったスウェーデンをめぐる大北方戦争最大の決戦。スウェーデンの若き天才カール12世は、並み居る敵国を瞬く間に撃破し、残るロシアに攻め込んだが、寒さと焦土作戦により疲弊、ポルタヴァで大敗を喫した。カール12世はオスマン帝国に亡命し、スウェーデンの「大国時代」は終わりを迎えた。 |
1757 | ロイテンの戦い | 七年戦争、プロイセンの「大王」フリードリヒ2世とオーストリア軍の戦い。斜めに行軍して敵の側面に回りこみ火力を集中させる「斜行戦術」により、プロイセンは倍する敵に勝利した。その後も、イギリス以外のすべての国を敵に回した状況で、フリードリヒ大王は粘り強く戦い抜き、七年戦争はプロイセン優位に終わった。 |
1781 | ヨークタウンの戦い | アメリカ独立戦争。チェサピーク湾の海戦でフランス海軍に敗れたことにより、ヨークタウンに篭もるイギリス軍に支援は届かず、彼らはアメリカ軍に包囲された。イギリス軍は幾度かの抵抗の後に降伏し、この戦いが事実上の終戦となった。勝利の立役者となった総司令官のワシントンは、のちに初代大統領に選ばれた。 |
1805 | トラファルガーの海戦 | 欧州を支配し、イギリス本土へ侵攻せんとするナポレオンと、名提督ネルソン率いるイギリス海軍の戦い。敵列の側面に縦列で突入する「ネルソン・タッチ」によりイギリスが勝利、ナポレオンの計画は頓挫した。勝利したネルソンは、しかし狙撃により重傷を負い、「私は義務を果たした」と言い残して亡くなった。 |
1805 | アウステルリッツの戦い | フランス皇帝ナポレオンと、オーストリア皇帝・ロシア皇帝が戦ったために、「三帝会戦」の異名がある。ナポレオンの正確な洞察と完璧な機動により、数で劣るフランス軍が大勝利を収めた。あえて要地を明け渡し、機を見て奪回することで敵を分断する、その華麗な用兵は「戦争芸術」と讃えられた。 |
1819 | ボヤカの戦い | 南米を植民地とするスペイン軍と、それからの独立を目指すシモン・ボリバル率いる革命軍との戦い。わずか三時間で革命軍の勝利に終わったが、南アメリカ諸国の独立を決定づける重要な戦いとなった。敗れたスペインは彼らの独立を承認し、ボリバルを大統領とした大コロンビアが誕生することになる。 |
1863 | ゲティスバーグの戦い | 「鉄道と電信の戦い」となったアメリカ南北戦争、最大の決戦。鉄道と街道が集まる要衝ゲティスバーグを巡り、偵察部隊の小競り合いが発生。増援を送りあって戦闘はみるみる拡大、両軍に多大な損害を出して終わった。国力に劣る南軍にとっては、より大きなダメージとなり、名将リーが計画した北部侵攻も頓挫した。 |
1870 | セダンの戦い | 国民皆兵制と鉄道による大規模かつ迅速な動員、参謀幕僚制と電信による戦略レベルでの分進合撃戦術により、参謀総長モルトケの指揮するプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン3世と十万のフランス兵を捕虜とした戦い。これにより邪魔者を排除したプロイセンは、「鉄血宰相」ビスマルクのもとでドイツ統一を成し遂げる。 |
昨日8万点とれた。いきなり目指すは10万点。
思い切ったね思い切った。失敗するだけさワンダフル。
今日は時速8.1kmでウォーキングにしよう。コンスタンティノープルな平均速度を彷彿とさせる。
そうさワンダ、人生はいつも微糖で微動。ほろにがいのさワンダフル。
いきなりバリスティックそしてドメスティックに変えても、なんだかんだうまくいかないのさワンダフル。
日々少しずつ成長してるのが実感できた時にそれはヨロコビになるから。
ヨロコビは繰り返されやがて広がる。やってみなくちゃワンダフル。
これをアンバランスな差別主義と呼ばずして何という。もうこりごりだ。
箱の中身はなんだろな。ひねって答えてさあ大変。
ウメハラだってウメハラだから。バリスティックに変わりたい。チョコバリスペシャルはまた別腹。
どうにもならない今日だけど明日は明日の風が吹く。はい。
( ・∀・):カトリック教会
(`・ω・´)「俺らマジ最強じゃね?」(`・ω・´)「今こいつが良いこと言ったよ!」(`・ω・´)「マジ最強だよ!」
( ・∀・)「それならイスラム教徒をやっつけてくださいよ。」
(`・ω・´)「それマジ名案だよ。」
(`・ω・´)「イスラム教徒とかボッコボッコにしてやんよ。」
↓
(´・ω・`)「十字軍の参加予定者多すぎだお。どうやって移動するよ。」
( ・∀・)「これだけになるとヴェネチアに船を頼むしかないですね。」
(`・ω・´)「ヴェネチアに頼んでみるよ!」
↓
(`・ω・´)「俺らを全員エジプトまで乗せてって欲しいよ!」
( ´∀`)「良いけど、金払ってね。」
(`・ω・´)「分割で、ちゃんと払うよ。」
↓
( ´∀`)「全員輸送できる分の船が完成したよ。」
(´・ω・`)「しょぼーん……。」
( ´∀`)「……どうした?」
(´・ω・`)「集合日になっても三分の一しかあつまらなかったよ……。」
( ´∀`)「契約だから金は全部払ってね。」
(´・ω・`)「しょぼーん。お金たんないよ。」
( ´∀`)「払わないと船動かさないからね。」
(´・ω・`)「このままじゃ、目的地にも行けない上に、借金苦だよ。」
( ´∀`)「しかたないね。ザーラを攻め落とすの手伝ってくれたら、返済をまってやるよ。」
(´・ω・`)「そこキリスト教徒の街だよ。キリスト教徒を倒す十字軍とかマジないし。」
( ´∀`)「別に嫌ならいいよ。」
(´・ω・`)「どうするよ。」(´・ω・`)「キリスト教徒攻めるとかなくね。」(´・ω・`)「でも。どうしようもないよ。」(´・ω・`)「しかたないね。」
(´・ω・`)「ザーラ攻めるよ。」
↓
ザーラにて。
(`・ω・´)「十字軍だぜ!ヒャッハー!!」
ザーラ陥落。
↓
(`・ω・´)「勢い乗ってきたし、このままエジプトまで行くよ!!」
( ´∀`)「もう冬になるから無理。」
(´・ω・`)「しょぼーん。しかも借金の返済がまた迫ってきたよ。」
(,,゚Д゚)「十字軍はいるか?」
(´・ω・`)「誰?」
(´・ω・`)「何の用?」
(,,゚Д゚)「オヤジが帝位を奪われて逃げてきたんだよ。奪い返してくれ。」
(´・ω・`)「えー。ビザンチン帝国ってキリスト教徒の国だよ。俺ら十字軍だよ。」
(,,゚Д゚)「ただとは言わん。成功したら二十万マルクやるし、十字軍に兵も貸すし。教会もカトリックに統一する。」
(`・ω・´)「マジかお!?」
※当時からキリスト教は西はカトリック、東は正教会に別れていた。
↓
(`・ω・´)「と言うことなんだけど、ヴェネチアは協力してくれる?」
( ´∀`)「おーいいよいいよ。」
(`・ω・´)「決まったよ!!」
↓
コンスタンティノープルにて。
(`・ω・´)「十字軍だぜ!ヒャッハー!!」
コンスタンティノープル陥落。
↓
(`・ω・´)「こっちの約束は果たしたよ!そっちの約束を守る番だよ!」
(,,゚Д゚)「あー無理無理。二十万マルクとか宗派を変えるとかどうかんがえても無理っしょ。」
(`・ω・´)「………。」
(,,゚Д゚)「………。」
(`・ω・´)「十字軍だぜ!ヒャッハー!!」
コンスタンティノープル再度陥落。
世紀末状態。
↓
(`・ω・´)「ここは俺らの帝国とするよ!」
( ´∀`)「借金返せよ。あと協力したから、領地くれ。」
(`・ω・´)「略奪してウハウハだからおやすいご用だよ!」
(#・∀・)「イスラム教徒はどうしたんですか?」
(´・ω・`)「あれー……?」
聖母マリア・十二使徒・パリサイ派・イスカリオテのユダ・十字架刑・キリストの復活・マグダラのマリア・タルソのパウロ・新約聖書・ローマ教会・コンスタンティノープル教会・アレクサンドリア教会・ローマ教皇・カノッサの屈辱・十字軍・ラテン帝国・ヴァチカン市国・カトリック・プロテスタント・免罪符・マルチンルター・カルヴァン・イエズス会・フランシスコザビエル・コンキスタドール・ピサロ・正教会・東ローマ帝国・ロシア帝国・イコン・英国国教会・コプト教・異端・魔女裁判・ジャンヌダルク・グノーシス主義・ ナグ・ハマディ文書・トマスの福音書・マニ教・ネストリウス派・景教・カタリ派・モルモン教・エホバの証人