はてなキーワード: クーデタとは
書き手としてより読み手として優れてるんじゃないかなー。確かに『マシアス・ギリの失脚』は本当に凄いと思うけれど、でもこれだって『クーデタ』(ジョン・アップダイク)からの影響がハンパないしな。
1.毛沢東
死者4000万人以上
中国共産党の指導者。無謀な大躍進政策により中国全土で3000万人以上が餓死した。その責任を取って辞任するも権力の座に返り咲くため文化大革命を引き起こす。中国全土を巻き込んだ暴力革命で1000万人が殺された。チベット侵略に伴う虐殺で100万人が死亡した。彼の犠牲者は天文学的数字であり、もはや正確に知ることは不可能である。また、貴重な文化遺産、歴史的資料、儒教道徳も文革で破壊されてしまった。
2.コロンブス
死者3000万人以上
イタリア出身の征服者。アメリカへの到達を果たし、そこで手厚く歓迎してくれたインディオを虐殺・奴隷化した。彼の征服を皮切りに白人によるインディオの大量虐殺が始まるのである。アメリカ征服の死者が余りに多すぎたため地球の気温が低下したという説すらある。アメリカではインディアンが現在もなお人権侵害に苦しめられている。
3.スターリン
死者2000万人以上
ソ連の独裁者。ソ連の支配を快く思わないウクライナ人を粛正するため、土地や家畜を奪い人工飢饉を引き起こし1000万人を餓死させた(ホロモドール)。極度の人間不信であった彼は常に暗殺やクーデタを恐れ、秘密警察を駆使して自国民1000万人以上を虐殺した。スターリンに虐殺された人数は天文学的であり、これも正確に知ることは不可能だ。
死者2000万人
ベルギー国王。コンゴに広大な私有地コンゴ自由国を所有した。貪欲な彼は現地民から莫大な税金を搾り取った。払えない者は手足を切断するなどの残忍な方法で殺された。余りの残虐さから国際非難を浴びたため、国王は保証金と引き換えに私有地を手放し、コンゴはベルギー直轄植民地となった。
5.コルテス
死者1000万人
スペインの征服者。アステカ王国を滅ぼした他、現在のメキシコで広大な土地を征服した。彼の残忍な虐殺や搾取で多くの尊い命が亡くなった。アステカ最期の国王クアウテモックも財宝の所在を吐かせるために足を焼く拷問にかけた後、絞殺された。
5.ピサロ
死者1000万人
スペインの征服者。アンデスの大国インカ帝国を征服した。皇帝アタワルパを誘拐、莫大な身代金を払わせた上で絞殺した。財宝目当てのための虐殺は多くの犠牲者を産んだ。皇帝の身代金を巡る争いで殺された彼も死の間際に自分の悪行を悔やみイエスに許しを乞うたと伝えられるがその真偽は不明である。
7.習近平
死者600万人 現在進行形で増加中
中国共産党の指導者。専門家の助言を無視して、武漢で両会を強行。いわずと知れたコロナパンデミックを引き起こし、世界中で600万人が亡くなった。この数値は現在も尚更新されている。
8.チャーチル
死者300万人
イギリス首相。イギリス植民地であったベンガルで飢饉が発生。適切に対処すれば大量餓死は防げたが、インド人に対して差別感情を抱いていたチャーチルはそれを放置したため、大量の犠牲者が出た。この飢饉は幼少期のアマルティア・セン博士に衝撃を与え、後に彼はノーベル経済学賞を受賞した。
死者200万人
カンボジア共産党の指導者。文明を否定した極端な農業中心政策を実施し、知識人を中心とした大量虐殺を行った。また、チャム人、華人、ベトナム系などの少数民族も虐殺された。彼の暴政は現在に至るまでカンボジアの発展を阻害している。
10.メンギスツ
死者100万人
エチオピア共産党の指導者。エチオピア革命で帝制を打倒し、皇帝ハイレ・セラシエ1世を殺害した。エチオピア人民共和国の大統領に就任した彼は反対派への粛正、飢饉などで100万人以上の犠牲者を出した。
余談だが、ロシア、ラオス、エチオピア共産党が政権を取った国では君主は殺害されている。君主が命拾いしたのは政権が長続きしなかったカンボジア、皇帝が身の危険を感じて事前に亡命したベトナム、国王が出国している内に王政が打倒され、その政権も共産党に打倒されたアフガニスタン、政治的な利用価値を認められた満州国皇帝溥儀だけである。
戦争の長期化を展望した、ということの意味は、要するに、支援する西側の国々が、
戦争に直接介入するのではなく、ベトナム戦争のときのようなゲリラ戦を見据えて、物資や輸送網の支援をするということになる。
そして、それはそのような覚悟をもって、ロシアと対峙するウクライナ国民が存在する、ということが前提となる。
ウクライナ問題全く初心者なんだけど、長期化を見据えたという話を聞いて、プーチンがウクライナ大統領をネオナチ呼ばわりしていることにちょっとピンときた。
要するに、ロシアは10数年かけて、内部に傀儡やスパイ、親ロシア派をじっくりと育ててきていて、他方、ウクライナ側はそうしたロシア側の動きに対して殺虫剤を巻くような塩対応をしてきた、ということなのかね?
そして、プーチンが侵攻した場合の西側からの反発、経済被害想定もしたうえで、そろそろウクライナ側の内部クーデタもいけるんじゃね?と踏んで、侵攻に踏み切ったと。
しかし、思った以上にウクライナ側の内部からの動きが鈍い。むしろ、長期戦への気運が高まってすらいる状況になってしまった。
最近、いつもは経済分析を冷静に行う日経新聞がいつになく、戦時報道さながらの口調でウクライナ側の士気の高さなどメンタリティの部分を報道しているのが印象的だ。
しかし、長期戦を覚悟できているのかどうか、その意味で、そのような戦時報道にも大きな意義があるように思えてきた。
そのときに、いろいろな村々を回って驚かされたのは、恐らく戦争で培われたのであろう彼らの強靭な組織力だった。
戦争が終わって30年にもなるのに、いまだに祖国解放戦線(Fatherland front)という名の組織がコミューンから村の末端まで行きわたって機能し続けていただけでなく、青年組合、女性組合等さまざなまな組織が地域レベルで横の連携をしつつ、国レベルから末端の村レベルに垂直の体系を強固に築いていた。特に災害など有事になると一致団結する彼らをみると、アメリカを敗北させたベトナム人民の総力戦がどのようなものであったかの名残を見る思いがした。
アメリカとの戦いは超大国の圧倒的な軍事力だけがベトナム人が立ち向かった壁ではなかっただろう。
祖国が分断するなかで、傀儡政権側の南、そして北にあちらこちらに潜むスパイとの戦いがあった。そして戦争終結後はそうした人たちと粘り強く統合的な社会を作る営みがあったはずだ。
かつての大学の同期でも、戦後ハノイで出世街道を突き抜けたひとと、ホーチミンでくすぶってしまった人と人生も別れた。
仕事のなかで、ハノイの要人へのコンタクトを求めて、南の人を頼ったことがあった。
紹介状を書いてもらう際に、そういった戦後の物語の一端に接すると、社会の統合への努力というのは
戊辰戦争以来、社会の分断を経験していない日本人には想像ができないものだということも感じた。彼らの社会のもつ、いわばソーシャルキャピタルの強さがなければ、あれほど長く超大国と戦うことはできなかっただろうし、戦後の和解のプロセスもなかっただろう。
ところでアメリカ側に加担し、ホーチミンルート攻略に動員されたモン族の、その後のスピンオフのストーリーとして、クリントイーストウッドの「グラントリノ」、これは名作だった。
そんなことを思い出しながら、ウクライナのニュースを見聞きしている。ウクライナが抱えている事情もそうそう単純なものではないだろうから。
そういう意味で、下記のツイッターの発言が目に留まったとき、何かとてもステレオタイプなものを見た思いがした。
実在しない何かを語っているような、そんな感じ。
https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1497776281412243459
真面目な話をしましょうか。いま、ウクライナが紙一重で持ちこたえているのは、反戦平和の祈りでもなければ、ジョン・レノンのインターナショナルの歌声でもなくて、ウクライナという祖国を守るために銃をとった男たちの愛国心ですよ。わが身可愛さではなく、祖国を守るために戦う人々の力ですよ。
そう。「有害な男らしさ」って攻撃してきたもの、男性を戦いや自己犠牲に駆り立て、「男らしく」あるよう動員してきた社会慣行。あるいは、ナショナリズム、愛国心といった共同体への忠誠。私たちが古臭いとみなして切り捨ててきた伝統的な精神性が、まさに人々を紙一重で支えている。
皮肉でも何でもなく、これってまさにフェミニストが批判してきた「有害な男らしさ」の心性ですよね。リベラルが批判してきた「ナショナリズム」ですよね。薄甘い戦後民主主義で不可視化されてきた、あるいは悪者にしてきた精神性が、まさに、ウクライナ人の最後の砦になっている。違いますか。
若くて溌剌としてイケメンだったり美少女だったりする軍の指揮官、いいよな。好きだ。
でもこの2つを両立させるのは難しい。王子として生まれれば自動的に総大将になれた前近代ならいざ知らず、近代軍では元増田でも書かれてるように現実には20代の軍人なんてかなり優秀なやつが大尉になるのがせいぜいで、軍勢を率いるなんて無理だ。
だがフィクションの作者は色んなやり方で「近代軍の」「若い指揮官」という2つの萌え要素を両立させようと試みてきた。以下、思いつく分だけ列挙する。
典型例はみんな大好き『銀河英雄伝説』のラインハルト・フォン・ローエングラム、あるいは『タイタニア』のタイタニア一族。『A君(17)の戦争』の小野寺剛士もここに入るだろうか(いや魔王軍は近代軍なのか……?)
星界シリーズの皇族もここに含まれるかなとちょっと思ったけど彼らに与えられている特権は少佐(十翔長)になるのがやたら早いというだけで佐官以上の昇進は完全実力主義なので含めなかった。
典型例は『双星記』の〈おそるべき子供たち〉や、『フルメタル・パニック!』のテレサ・テスタロッサ(軍というか傭兵部隊だから許されてる感もある。ただ〈ミスリル〉はその他のキャラの年齢と階級のバランスはやたらリアルなのでここに分類した。『踊るベリー・メリー・クリスマス』アニメ化してほしい……マデューカス中佐の勇姿を見たい……)
亜種として、「指揮官適合者を人工知能が勝手に選ぶので年齢とか関係ありません」型もある(『神無き世界の英雄伝』)
典型例は『銀河の荒鷲シーフォート』のシーフォート。アスターテ星域会戦時のヤン・ウェンリーもこのタイプかな。
典型例は星界シリーズのアーヴの皆様。嘘みたいだろ、50過ぎてるんだぜ、あれで……
典型例は『ストライクウィッチーズ』の隊長諸姉。ミーナさんじゅうはっさい。
典型例は『タイタニア』序盤で描かれたケルベロス星域会戦でのファン・ヒューリック、『双星記』のケイン・ラインバック。〈おそるべき子供たち〉はジェニファー・クローゼンヴァーグの肝煎りで出世してるからここに入るかも。
『双星記』に出てきた「戦時特例任命法」は良いソリューションだと思うのでみんなもっと参照するべき(貴族制時代に作られた「貴族様を指揮官にするための法律」が正式に廃止されていなかったことに気づいた奴がこれを利用して指揮官になった)
典型例は海原零『ブルー・ハイドレード』(ってこれわかる人いるのかな……?)
典型例は『魔法少女リリカルなのはStrikerS』とか『銀河英雄伝説』とか……
典型例は『銀河英雄伝説』のユリアン・ミンツ、『タイタニア』のファン・ヒューリック、『蒼き鋼のアルペジオ』の千早群像。共和政府を自称してるけどどう見てもただの軍閥だからね、仕方ないね。
https://anond.hatelabo.jp/20170724234904
さんざん田中芳樹作品をネタにしておきながら『七都市物語』を忘れていたとは不覚の極み……! あとカレル・シュタミッツは4だよね。
ごめんなさい(土下座)
Windfola スペオペ伝統の異星の小国の王女を助けて指揮官に…は近代軍じゃないか/未来人・天才科学者は3の亜種かな/クーデターや軍を興すタイプは11? 反乱軍のリーダーは熱血主人公か若きカリスマだよねやっぱり
クーデタや革命を起こす主体が正規軍だった場合は、新しく「クーデタや革命で若手が権力を握った」という類型を付け加えるべきだと思う。実際歴史を見てもクーデタ起こす主体として「青年将校」はよくあるので。カダフィ大佐もクーデタで政権を掌握したときは27歳の大尉だったらしいし(Wikipedia調べ)
nakex1 キャリア組の警察署長とかから連想すると,官僚的な仕組みが発達した国家なら若くして地方の指揮官になるのはありなのでは。
陸軍だと、だいたい大尉(できたてホヤホヤではないそれなりに歴史のある近代軍で20代のうちに到達できそうな一番上の階級)が中隊長になることが多いと思うんだけど、中隊って規模が百数十人なのね。普通はこの上に大隊、連隊、師団とあって、中隊が独自のユニットとして動くということはなかなかない。
ただ、『皇国の守護者』みたいに、ある地方に敵が攻め込んできた結果絶望的な防衛戦をすることになって、中隊長クラスが作戦の指揮を執る(あるいは押しつけられる)展開はアリかもしれない。実際新城直衛は中隊長ですらない中尉だったけど、中隊長の戦死で中隊を、大隊長の戦死で大隊を率いることになり、かつ野戦昇進で大尉になってるので類型4に当て嵌まるのかな。
あるいはものすごい小国で中隊長クラスでも数人しかいないとかになると類型2に当て嵌まるかしら。そういえば赤城毅『虹のつばさ』に出てくるメーアシャウム王国の陸軍は最高階級が少佐だったっけ。まあその作品では普通のおじさんだったけど。
戦争っぽいもので指揮を執る警察キャリアといえば、有川浩『海の底』に出てきた烏丸俊哉警視正がいたわ。年齢的に若いといえるかどうか疑問だけど(階級の割に若いけど、ラノベや漫画やアニメの主人公張れるほど若くはない、と思う)
1883年6月、金玉均は自身にとって3回目の日本訪問の途についた。前回の訪日で会見した日本政府の高官は、朝鮮国王の委任状があれば借款に応ずることを示唆しており、朝鮮からの留学生尹致昊の帰国に際しても大蔵大輔の吉田清成はかさねてそのことを金玉均に伝言していた[5][注釈 2]。
しかし、高宗からあたえられた300万円の国債借り入れの委任状を持参して来日した金玉均に対する日本政府の対応は冷たかった[5]。300万円は当時の朝鮮における国家財政1年分に相当しており、日本の予算約5,000万円からしても巨額なものであった[5][7]。メレンドルフの妨害工作もあったが、日本政府としても大蔵卿松方正義が緊縮財政を進めているなか、財政力に乏しく政情も不安定な朝鮮に対し、そのような巨額な投資をおこなうべき理由は乏しかった[5][10]。金玉均は、日本についで、フランスやアメリカ合衆国からの借款工作にも失敗した[5]。
1884年5月、金玉均は失意のうちに朝鮮に帰国した。朝鮮では、以前にもまして大国清の勢力が猛威をふるい、朝鮮国の重臣たちはそれに追随し、開化派の活動はいっそうせばめられていた[5]。清とフランスの緊張関係の高まりから、5月に遼東半島に移駐することとなった呉長慶にかわって野心家の袁世凱が実権を掌握し、朝鮮王宮は彼の挙動に左右された[5]。これに危機感を覚えた金玉均らは国王高宗を動かそうと計画した[7][10]。高宗もまた閔氏の専横に心を痛め、朝鮮の将来に不安をいだいていたのである[7]。
清仏戦争の直接原因となった1884年6月23日のバクレ伏兵事件(英語版)
1884年6月、ベトナム領有を意図するフランスとベトナムでの宗主権を護持しようとする清国との間で清仏戦争が勃発した[10]。清越国境付近のバクレでの両軍衝突が引き金となったが、この戦いで劣勢に立った清国は朝鮮駐留軍の半数に相当する約1,500名を内地に移駐させた[5]。独立党は、これを好機ととらえた[10]。日本もまた、壬午軍乱以降、無為にすごした失地回復の好機とみて清国勢力の後退を歓迎した[5]。井上馨外務卿は帰国中の弁理公使竹添進一郎に訓令し、10月に漢城に帰任させた。竹添は軍乱賠償金残金の寄付を国王に持ち掛ける一方、金玉均ら独立党に近づいた[5][11]。
竹添進一郎
金玉均らは11月4日、朴泳孝邸宅に日本公使館の島村久書記官を招いて密談をおこなった。集まったのは、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、島村の5名であった[12]。そこで金玉均は島村にクーデタ計画を打ち明けているが、島村はそれに驚きもせず、むしろ速やかな決行を勧めるほどであったという[12]。かれら独立党は3つのクーデタ計画案を検討し、同年12月に開催が予定されていた「郵征局」の開庁祝賀パーティーに乗じて実行にうつす案が採用された[12][注釈 3]。金玉均は11月7日に日本公使館をおとずれ、竹添公使にクーデタ計画を打ち明け、そのとき竹添から支援の約束を得ている[12]。
金玉均は漢城駐在のイギリスとアメリカ合衆国の外交官にもクーデタ計画を相談した[12]。かれらは、金玉均のえがく理想に共感し、清国よりも日本を頼るべきことについても理解を示したが、しかし、決行については清国の軍事的優位を認めて、これに反対した[12]。金玉均はさらに、それとなく高宗にも計画の内容を伝えて伺いを立てた[12]。高宗もまた、清の軍事力を考えると不成功に終わるのではないかとの懸念を伝えたが、金玉均はこれに食い下がり、フランスと連動して動けば充分に勝機はあると訴えた[12]。高宗は、これを諒とした[12]。
しかし、クーデタに動員できる軍事力といえば、日本公使館警備の日本陸軍仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊第1中隊の150名と、陸軍戸山学校に留学して帰国した10数名の朝鮮人士官学生および新式軍隊の一部にすぎなかった[5]。この人数では、半減したとはいえ、なお1,500名を有する清国兵および袁世凱指揮下の朝鮮政府軍に対抗するのは無謀といってよかった[5]。
大規模にアフリカの農地を借り上げ、植民地として食糧増産計画を実現する野心。
マダガスカル政府は130万ヘクタールの農地を無償で99年間、韓国の大宇財閥に貸し付け、そこを農場に転用させて大増産を行えば外貨が入り込み、現地の雇用も増え、農業技術も進展し、食糧が豊富になるという夢のプロジェクトに乗った。これを持ちかけたのは韓国だった。
「それは新植民地ではないか」とマダガスカル政府への反対運動が拡がり、クーデタが発生して政権が転覆、韓国の野望は潰えた。
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/spot_top5.asp?id=119&num=3
英誌『エコノミスト』(09年5月23日号)に拠れば、狙われた農地で失敗した例は他にも中国が狙ったフィリピンとモザンビークの例がある。
フィリピンで借り受ける予定だった農地は180万ヘクタールの土地だった。
失敗例はほかにもサウジアラビアがインドネシアと交渉し、50万ヘクタールの土地を借りうけ農地にする予定だった。
しかし当該国家では、「新植民地主義」などという批判はすくなく、地主らが積極的に外国企業に農地を貸している国が多い。
筆頭はロシア、ウクライナ。とくにウクライナは40万ヘクタールの農地使用権をモルガン・スタンレイに売った。
「キング・アブドラ・イニシャティブ」という農業プロジェクトはマレーシアに米農家をつくり、すでに国王は「マレーシア産、サウジ胴元の米」を食した。
食糧不足により世界的に農地借り受けプロジェクトは拡大しているが、ダントツなのが中国である。すでに米国に広大な養豚場を立ち上げ、この用地はゴールドマンサックスを通じて、中国はなんと5億ドルを投下している。
全世界で中国が獲得した農地は明らかになっているだけでも数百万ヘクタールにおよぶ。これを追っているのが韓国、UAE、サウジ、カタールなど。
▲基本的な食糧には目もくれず、バイオ燃料を狙うヘッジ・ファンドが露骨に介入
とくに中国が投資したなかでコンゴの280万ヘクタールが飛び抜けて目立つ。史上空前の規模である。ここではヤシ油が生産される。
アフリカが如何に貧困と雖も、ひとつの国が外国にこれほど大規模な土地を提供するのは中国向けが最大である。
ザンビアでも200万ヘクタールの農地使用が交渉中、すでに現地の養鶏の四分の一は中国資本と言われる。
しかしながらザンビアでは中国の遣り方に不満をもつ民衆が立ち上がり反中国暴動が発生している。あまりに露骨な農業の搾取であり、政権への賄賂は腐敗の象徴ではないか、という批判が巻き起こっている。
このような新植民地主義的な海外農地への進出は、表面的に見れば「食糧不足の解消」である。
だが、ベンチャー・キャピタルや新興ヘッジ・ファンドが混在し、面妖な農業ビジネスがまかり通っている。
旧来の小麦、芋、バナナなどに目もくれず、かれらはトウモロコシなどエタノール燃料(とうもろこし)の増産を狙う気配が濃厚であり、なにしろ値上がりの見込める品種しか興味がない。
過去一年、大豆は78%値上がりした。米は130%。一方で世界各地では食糧のストックがそこを尽きつつある。
タイミング良く格好の解説書がでた。
国際情報通の浜田和幸氏が書いた『食糧争奪戦争』(学研新書)である。浜田氏は、この本のなかで、異様な食糧ブームの背景を次のように描く。
「今世界はかつてない食糧生産における危機に直面している」が、「食糧生産国の間では農作物の輸出制限が強まってきた。食糧の値段は高騰を続け、貧しい途上国に於いては食糧を確保することが日々困難となりつつある。100万人単位で餓死者がでるという悪夢のような状況が現実のものとなり始めている」
と警告する。
国連FAOも「十億人を超える人々が満足な食事をとれていない事態が続けば、途上国を中心に政治的に不安定な状況が生まれ、治安の悪化やテロの引き金になる可能性が大いに懸念される」
と事務総長が警告を発した。
第一は食糧不足で、むしろ太っているアメリカのアグリ・ビジネス。とくにカーギルやモンサント、これに乗じて食種の種子の特許を独占しようとするビル・ゲーツやらヘッジ・ファンドの魑魅魍魎的な動き、他方で家庭菜園をつくって防御に走るアメリカ国民だが、その家庭菜園の率先役がオバマ夫人だという矛盾。
第二に「自然災害を装ったテロの可能性が否定できない」という指摘である。
つまり「ヨーロッパや地中海地方を襲う異常な熱波や寒波、またアフリカを襲う大規模な干魃、そしてスカンジナビア半島を飲み込む氷河期の到来」が危険視されるものの、じつは「人工的に(干魃が)生み出されているという説」が流れており、「背後には一部の政府機関や民間企業がかかわっている」という空恐ろしい現実が指摘されている。
いったい、そうなると先進国で最悪の食糧自給率を誇る日本はどうするのか?
第一は「耕地面積の減少」であり、工業化による減反、中国の農業地帯では農地をごっそりと工業団地にしたが、「乱立してきた工業開発区の規制に」、中国政府は重い腰をあげて、ようやく「04年末には5000ヶ所あまりの開発区が撤廃された」ものの減反に劇的な歯止めがかからず、そこで中国は「海外に農場を確保する動きを加速させる」。
都市に就労する農民の群れに関しては説明が不要だろう。
アフガニスタンの軍事基地や施設が米軍によって空爆され、タリバン政権が崩壊、アルカィーダはイェーメンからスーダンへ逃げた。2001年暮れのことである。
どうやらテロリストらは陸路、イランへ潜入し、イランのイスラム・コネクションを経由して次の拠点に向かったらしい。
それはスーダンだった。
昨年来、イスラエルはガザから打ち込まれるロケットの襲撃に悩まされた。
4月5日、北朝鮮が発射したミサイルは日本の上空を通過した。あれが日本にばんばん打ち込まれたらどうするか。実際にイスラエルは、毎日のようにガザからミサイルを撃ち込まれた。
報復にでたイスラエルが戦車を投入したのも主権行為として当然だろう。
ハマスが撃ち込んだミサイルは、エジプトから秘密のトンネルを通じて大量の武器はガザに持ちこまれていたものである。
イランからイェーメンを経由してスーダンの沿岸部ポート・オブ・スーダンに集荷され、そこからエジプトへ密輸されていた事実をイスラエル情報機関「モサッド」が把握した(英誌『エコノミスト』、09年4月4日号)。
一月下旬、ポート・オブ・スーダンを出航した23隻の小型船が、おそらくイスラエル空軍機によって爆撃され、沈没した。
イスラエル空軍機の練度の良さは世界がしっているように、81年にはイラクのオシラク原子炉を襲い破壊した。2007年にはシリアで建設途中だった原子炉(北朝鮮の技術)を破壊した。
この武器密輸船舶の沈没事件以後、ハマスのロケット砲攻撃は数週間、なりを潜めた。
ここで歴史を振り返る。
スーダンのバシル独裁政権は、背後にイランの策動があった。1989年、スーダンは、イランの革命防衛隊にクーデタの方法を学んだハッサン・アル・ツラビ師によって策定され、バシルは軍事権力を、ツラビ師はアヤトラ・ホメイニ師のスーダン版になる予定だった。
スーダンの革命成功後、当時のラフサンジャニ(イラン)大統領は157名の大型使節団を率いてハルツームを訪問した。1991年だった。
「テヘラン―ハルツーム枢軸」が形成された。
レバノンでヒズボラに軍事訓練を施してきたハッサン・アズダが、以後、ハルツームに送り込まれた。ハルツームの北側にはイランの肝いりで武器工場がつくられ、いまやスーダンはアフリカ第三位の武器大国ともなっている。
08年にはイランの国防相がハルツームを四日間にわたって訪問し軍事技術協力、軍事訓練などの協定に署名した。国連でイラン制裁に断固反対する側にスーダンがおり、スーダンのバシル大統領の国際法廷喚問にはイランが断固、反対票を投じるという両国の蜜月関係は密接に続いている。
よろしくおねがいします。
私は58歳で30年ほど前に今の主人(党主席)と結婚して10年ほど前から党中央を手伝っています。
主人の国は建国1949年で人民は約1000000000名でした。(1973年現在)
結党時からいる国家主席(劉さん)はとても優秀でその方から基本的に仕事を教わっていました。
主人も劉さんはとても大事なパートナーだったようでいつも劉さんを頼りにしていました。
あまりにも頼りにするのが面白くなくて劉さんに嫌がらせをしていたりしていました。
ある日私が思想的に重大なミスをしてしまい、主人に怒られそうになったので思わず
「劉さんは主席の事が嫌いなの。だからいつも間違えた事を教えられて困ってる」と言ってしまいました
その2ヵ月後劉さんは失脚・獄死しました。失脚理由は「主席の指示を常に曲げられるのでは対処できない」だそうです
その後党の雰囲気が明らかにおかしくなり、2年前副主席がクーデタ未遂を起こしました。
今月除名するようです。
主人は今居なくなった幹部の隙間を埋めるため失脚させた者を再登用しています。
国力も激減してしまい今後の地位も期待しないでほしいといわれました。
さて私は誰でしょうか?
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