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はてなキーワード: ダルフールとは

2024-06-16

anond:20240613203515

追記)ユロックの母さんの記事面白かったので続きを書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240619014605

本文)

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないもの批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判内面化されていないわ。

そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。

rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。

Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments


もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。それでも村上春樹攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。

追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。

???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。 - tick2tack のブックマーク / はてなブックマーク

tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。

すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれ修正主義はその後、ソ連中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。

まり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態からな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。

(/追記2)

お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の正体って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは当時のバシール大統領断罪をはじめ、現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。





ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義ますます膨れ上がるだろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。

MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員不倫していたことをネタ糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

朝日新聞人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端ポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。

2024-06-11

世界から見捨てられたスーダン

いまスーダン内戦現在進行形大量虐殺が起こっているがマジで誰も気にしてないのでせめて増田に書き捨てておく

SAFとRSFというスーダン内の2大軍組織対立して今内戦起きてんだけど

それが激化して民間人が多にダルフール州で滅茶苦茶虐殺されているが少数のメディア以外は誰も気にしていない

なぜか?

この紛争が大きな注目を集めていないのは世界の主要国のいずれにとっても

歴史的文化的地政学的に重要ではないからだ

以上

これは世界ハイチ現在進行中のその他の人道的危機に介入しない理由とまったく同じなのである

重要な国々にとって重要場所で起きていたら私たちは別の話をしていただろうがそうではないので話さな

人道的危機道徳的残虐性はさておき、この紛争に介入し、秩序を回復し、何年にもわたる国家建設に取り組むために(数百億から数千億)を投じることで地政学的に利益を得る国は一つもないのである

※逆に言うとガザ紛争ウクライナ戦争、台湾有事懸念は3要素のどれかを満たしている

2021-06-07

胡温体制

これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う

そんな歴史を見ることができないのは残念である

しかしそれ(膨張・威圧非人主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う

理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う

胡錦濤中華人民共和国国務院総理指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差是正と安定成長に努めた。胡錦濤最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪上海万博代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有公有経済管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。

胡温体制中国GDP国内総生産)は世界2位となり、2008年世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動内需拡大十項措置英語版))を断行して世界最速のV字回復金融危機脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界GDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政箱物行政のような無駄公共投資地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍廃止地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部都市部統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。

就任当初多くのヨーロッパアメリカ為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道国内外わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。

しかし、胡はインターネット監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年チベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定インターネット遮断も起きた[77][78][79][80][81]。

なお、2010年2月21日には人民日報運営するミニブログ人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言メッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またことき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。

道徳規範

電光掲示板に掲げられた社会主義栄辱観

2006年3月中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉不名誉」として知られている代わりに、良き国民名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤イデオロギー解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準からマルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。

北京オリンピック上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。

外交軍事

2008年8月ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ中央)と

2009年バラク・オバマ(右)と

2007年ウラジーミル・プーチン(右)と

2008年BRICsの首脳4人。左からマンモハン・シンドミートリー・メドヴェージェフ胡錦濤ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ

胡は外交政策として、後述する日本台湾の例にある通り江の外交政策修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。

胡はアメリカ合衆国・中国朝鮮民主主義人民共和国三者協議さら近隣諸国韓国日本ロシアも加えた6カ国協議北京主催するなど北朝鮮問題積極的従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国仲介要請した米国に対して江は二国間問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日対話拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和解決基調としつつ北朝鮮への圧力必要性理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。

胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和安全寄与することを国際社会保証するとし、世界の様々な地域中国人民解放軍などから部隊派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国国連への影響力を利用して台湾中華民国)との国交断絶リベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア海賊対策では中国人民解放軍海軍艦隊派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国海洋進出推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京中国アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案アディスアベバアフリカ連合本部中国資金企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国米州ボリバル同盟南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスラテンアメリカカリブ諸国共同体設立会議議長ベネズエラウゴ・チャベス大統領米国批判して胡の祝電を読み上げている[101]。

また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高活用してアジアアフリカ中南米発展途上国G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ欧州日本などの先進国G7)にも対外投資を行う走出去推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。

2010-03-08

中国チワン族に強制不妊手術 ほかグローバルインテリジェンス

ttp://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-500.html

 中国広西チワン族自治区博白県で、”一人っ子政策”の徹底をはかるために当局に雇われた数百人規模の”取り締まりチーム”が、鉄パイプハンマーで武装して村々をあらしまわり、無理やり女性を連れ去って強制不妊手術を施していた、と香港マスコミが伝えている。

産経報道では、チワン自治区博白県の各地で、これに反発したチワン族による数千から一万人規模の暴動が発生、治安部隊との衝突で5人が死亡したという。

 これが本当なら驚愕の事実だ。

従来、中国の”一人っ子政策”は少数民族には厳格に適用されず、第二子・第三子を産んでも少数民族だけは特別待遇として許されているはずだった。

少なくともこれまでの中国政府の説明ではそうだった。

そうした少数民族への”特別待遇”こそ、漢族チベットウイグルモンゴルチワンなど各少数民族を支配する大義名分ともなってきたのである。

近年、支配民族である漢族は、特に急速な経済発展を続ける沿岸部を中心に非常に裕福となった。そのため、一人っ子政策違反してもさして痛くも無い罰金を払うだけで、第二子以降を出産してしまうケースが増えていると言われている。

その一方で、鉄パイプハンマーを振りまわすチンピラを当局が雇い、被支配民族チワン族の女性を連れ去って強制不妊手術を施していたというのである。

まるでナチスによるユダヤ・ロマ人に対する断種政策の亡霊が現代によみがえったかのようである。

 日・米・欧の先進民主国家をはじめとする世界は、こうした事態を「ビジネスが大事」といったような理由で見逃しても良いのだろうか?

中国で、平和の祭典であるはずのオリンピックが開催されるのは、とても適当とは言えないし、もし北京オリンピックがこのまま開かれれば、中国オリンピックスポーツ政治利用を許してしまう結果となってしまう。

ダルフール問題も含め、国際社会中国に対し、こうした凄まじい人権侵害をやめるよう非難・制裁などで圧力を強めるべきだ。

2010-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20100123003102

死にさえしなければどんな扱いされてもいいってのなら、な。

最低でも、生存権の保障があることとは、既にいってある。

で、「“最終的に”命運を」と言ってる奴って誰?

誰かがそう言ってるから「俺は従わないぜ!」と言ってるわけだろ?

大元増田のとこにある。

謗られたら正当性は確実に薄まるのか?

謗られたらじゃなくて、統治者としての責任を放棄したら。

つか、誰が謗るんだ?

良識を有する人なら誰でもいいよ。後世の歴史家とかでも。

たとえば前述のダルフール問題で誰かスーダン政府を謗ったか?

謗ってスーダン政府の「正当性」はどれくらい薄まった?

民族浄化が完全に止まるまであとどれくらい薄める必要がある?

前提が誤り。とりあえず一般論でしか答えようがない。

国民生存権も保障できないような国家は、国家として正当性があるのか?

「正当性」の厚薄はある状態に対する評価であって、それ自体は事象を作り出すものではない。

正当性が薄まるのは統治者にとって確実にペナルティたり得るのか?

後世の歴史によって裁かれることにはなる。

話にならん。

そりゃ、価値観が違ってるんだから、程々のところで折り合いをつけないことには、まともな話になるわけがない。

http://anond.hatelabo.jp/20100122234312

それと、「“最終的に”命運を」ということは、個人にとっての最終は死ななんだから、同類の発言だろ。

死にさえしなければどんな扱いされてもいいってのなら、な。

で、「“最終的に”命運を」と言ってる奴って誰?

誰かがそう言ってるから「俺は従わないぜ!」と言ってるわけだろ?

統治者としての責任放棄という謗りは免れないし、正当性も薄れる。

  • 謗られたら正当性は確実に薄まるのか?
  • つか、誰が謗るんだ?
    たとえば前述のダルフール問題で誰かスーダン政府を謗ったか?
    謗ってスーダン政府の「正当性」はどれくらい薄まった?
    民族浄化が完全に止まるまであとどれくらい薄める必要がある?
  • 正当性が薄まるのは統治者にとって確実にペナルティたり得るのか?

話にならん。

2010-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20100122173811

つか、「国民に死を共にせよ」なんて奇特な事言ってる人を俺は見た事ないんだが。誰かいるの?その人それなりに支持されてるの?

それはキレイに言い換えているだけということ。

これと同類なのが、「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」だろ。

「国と命運を共にせよ」というのは「もし国が滅びたら、大人しく滅ぼした側に支配されろ。滅ぼした側に生殺与奪を握られて、そいつらの都合第一で殺されたり生かされたりしろ。」って事だよ。ある意味死ね」とほぼ同義だけど、いきなり自殺しろと言ってる奴なんて見た事ない。

命あっての物種だから、「死ね」というのとはまったく違う。

それまでに何人殺されればいいんだっつー話だよ。ダルフールだけでも既に200万人死んでいて60万人が難民化してるんだけど。仮にめでたく統合されたらどこかの国が責任もって救済するとか約束してるの?

国民に対して責任を負うのが国の最低限の役割だろ。

統合して樹立された国なり共同体が、責任を負うべきことになる。

http://anond.hatelabo.jp/20100122160800

「命運を共にする」というのは、「共に死する」「殉じる」という意味だ。

国が滅びるからといって、国民に死を共にせよってのは、到底受け入れることはできない。

つか、「国民に死を共にせよ」なんて奇特な事言ってる人を俺は見た事ないんだが。誰かいるの?その人それなりに支持されてるの?

「国と命運を共にせよ」というのは「もし国が滅びたら、大人しく滅ぼした側に支配されろ。滅ぼした側に生殺与奪を握られて、そいつらの都合第一で殺されたり生かされたりしろ。」って事だよ。ある意味死ね」とほぼ同義だけど、いきなり自殺しろと言ってる奴なんて見た事ない。

民族浄化は「特定地域から特定の民族をほぼ丸ごと排除して、その地域の住民の民族構成を『純粋化』すること」なんだから、国民国家の形成過程くらいでしか生じないんじゃないの。

今はむしろ、EUをはじめとして、AUなど統合の方へ漸進している。

それまでに何人殺されればいいんだっつー話だよ。ダルフールだけでも既に200万人死んでいて60万人が難民化してるんだけど。仮にめでたく統合されたらどこかの国が責任もって救済するとか約束してるの?

2010-01-15

中国けしからん!!

中国反日暴動でけしからんサッカー反日ブーイングでけしからん!海底油田泥棒でけしからん

日本常任理事国入りに反対してけしからんダルフールスーダン支援してけしからん

ギョウザけしからんメラミン入り牛乳けしからん!毒ペットフードけしからん

チベット聖火リレーけしからんウイグル暴動でけしからん

COP15を無視してけしからんGoogle中国撤退でけしからん

この何年か、みんなネットでわーわー言うけど、何事もなかったかのように

日に日に存在感を増してゆく中国・・・

1つの国が上昇してゆく圧倒的なパワーの前には些事なり。。

2009-09-21

はてサメソッド

ある話題Aに、はてさや同類がいきなり 歴史修正主義 B を結びつける。

いやそれはないだろう、と突込みが入る。

何故か、お前はBを否定するのか、と逆上する。

このとき、文脈読めない、が逆に武器になる。

例:

自称映画評論家町山智浩ホテルルワンダの紹介で、

ダルフール問題を関東大震災朝鮮人虐殺にすりかえ、 現在日本朝鮮系住民が日本人に虐殺されかねない人道の危機にあると世界にアピールした。

finalvent爺が、それはないだろう、と突っ込み

お猿さんたちは、爺が虐殺を否定したことにして

未だに 七兵メソッド、とか言って粘着

震災時のトリアージを取り上げた福耳ホロコーストry)

2009-09-12

事実か独断か~今日セーブダルフール

6年ほどつづいたダルフール内戦状態は終わったー

2年前にUNAMID平和維持活動の立ち上げを一任されたマーチンルーサーアグウェイ司令官の言葉だ。司令官を退任することになっているAgwai氏は、ダルフール紛争は激烈な戦闘のフェーズとは違ったものになっていると、BBCインタビューに答えている。

「もちろん盗賊行為、土地や水をめぐる地方住民の争いなどはなお解決されなければならないだろうが、いわゆる内戦と我々が理解している戦争は、もはやみられない」

過去2,3年の間にダルフールへ行ったことがある人は誰でも同じ結論を抱いているのではないだろうか。ところが、セーブダルフールロビイストたちは知ってか知らずか、Agwai司令官の発言を曲解した。まぁ予想通りだったが。

たとえばEnoughプロジェクトのNorris氏は、この点を意図的にスルーしている。

彼は自分と異なる意見の持ち主は誰でも、スーダン政府に肩を持つ工作員と非難する傾向があるのだ。

Agwai氏らは都合の悪いことをいわなかった。例えば、治安上の問題から帰郷できない300万人の国内避難民の存在。それから、アルバシール大統領ジャンジャウィードの一味にとっては、300万人を追っ払ったので、十分目的は達成しており、毎日武力行使するまでもないのだ。

Agwai氏はこんなことはいっていない。過去2年間、盗賊に襲われないように避難キャンプを防衛してきたAgwai氏がいっているのは、ダルフールは依然として人道的には危機的な状況を脱していないが、それはNorris氏が想像するようなジェノサイドや武力衝突によるものではない、ということだ。

Promise of Engagement」のBec.Hamilton氏もまた、うかつなことにこの点を見過ごしている。

彼は現在ダルフールにいない。

「まず、’戦争が終わった’ということと戦争が雨季や武装勢力の分裂あるいは選挙などの影響で小康状態にあるということは別のことだ。それに、この変化が確定的なものであるとしても、国内避難民の状況に無関係である。本当の問題はいかに戦争の結果として生じた不安定な状況が人道的な空間が圧迫しているかということである。」

この点、いいことをいっていると思うが、しかしベックはそれを台無しにするようなこともいう。

「結論として、Agwai司令官のコメントは間違っているわけではないが、かなり的外れだ」

このブログの読者であれば改めていうまでもないことだが、とりあえず進めよう。ダルフール救済のための国際的な取り組みで問題となっているのは、この種の見当違いの分析だ。ダルフール紛争をいかに理解するかは解決の重要な鍵である。この紛争をジェノサイドあるいは戦争と考え続けることは、飛行禁止区域とか平和維持軍、またバシール大統領逮捕に関心を持つということだ。去年の大統領選において、クリントンオバマがこれらの事柄に言及していたように、活動家の主流派の基調をなすこととなる。

しかし、現実はかなり異なる。スーダン西部における危機とは人道的な種類のものであり、軍事的な解決を要するものではない。Agwai司令官の分析で明らかなように、ダルフールの治安にとって重要なのは、盗賊行為や水問題、そして地元同士の争いの問題なのだ。Agwai司令官の分析は的を射ている。

こうした正反対の事実があるのにジェノサイド戦争にこだわりつづける論者は、ますますピントはずれの呆れた論客と成り果てている。証拠に基づいて解決を探るという態度ではなく、解決へと導くような策略によって行動しているのだ。彼らは現場で何が起こっているのかについては関心がないのだ。Agwai司令官のコメントをろくに考えもせずに却下したことが何よりの証拠だ。

Norrisのようなタイプの人々は、ダルフール地方の治安状況がどうであれ、スーダン政府を崩壊させればそれでよいと考えているのだ。

平和というのは、ロビイストドグマを捨てたときに初めて実現できるものだ。しかし活動家のなかには、平和よりも反ムスリム感情に突き動かされているタイプがいる。だからこそいまだに我々はダルフール救済をうまく実現できないのだろう。

2009-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20090809135749

あ、論点ずれてましたね、ごめんなさい。

自分が手に入れたものが何もないところを問題に感じているのだと解釈してました。


与えられるものに差があることについての不条理を解決しようとするのならば、それはとても難しいな話です。

あなたと兄にどの程度差があるかわからないので、その点については答えようがありませんが。

極端な話、ダルフールに生まれて10才になる前にライフルぶら下げて戦争したりレイプされたりする少女と、あなたの差を埋めるのは数十年かかります。


なので、その最初の差、もしくは幸運による差を個人の努力次第で、ある程度埋めることができることを知った方がいいと思います。

兄が自分でも不幸だと感じているのならば、あなたが協力して後天的になんとでもなる部分を一歩ずつよくしていけばいいのではないでしょうか。

あなたが尊敬する人は、自分より先天的に恵まれている人たちばかりですか?


というか、そんなにその兄はだめ/不幸なのですか?

2009-06-27

ダルフールジェノサイドはいわれているようなものではない

セーブダルフールは近年のアメリカでもっとも大規模な運動のひとつだ。

ダルフール紛争一年経過したころにこの運動ははじまった。平均的なアメリカ人にとっては何の縁もない地方の紛争である。レイプ殺人ジェノサイドといった物語新聞をにぎわし、それがダルフール物語言葉となっていった。この暴力を阻止するという動機にもとづいて、何百万人という市民が動員され、運動が盛り上がっていった。

しかし、その後5年たってみて、ダルフール紛争は近年でもっとも誤解された紛争のひとつとなってしまった。

というのもダルフール問題の活動家運動を盛り上げるために、ダルフール紛争本質を捻じ曲げたキャンペーンを行い、実態よりもセンセーショナルに扱ったからだ。

第一に、活動家ダルフールでの被害者の数を水増ししていた。

「何十万のダルフールの人々が”殺された”」というのだ。

活動家たちが認めたがらなかったのは、被害者の大多数が本当は紛争に起因する病気栄養失調によって死んだのだという事実であった。

確かに、ダルフールで発生した圧倒的な戦争犯罪行為の事実を前にしては、病死と殺害とを識別することには、さして重要意味はないのかもしれない。しかし、こうした分類の仕方に無頓着になった多くの活動家は、アメリカ政府に対して人道的な救援や平和構築よりもむしろ、暴力抑止や国際PKO部隊の派遣のための予算を要求するようになっていた。

セーブダルフール連合は、政治家に圧力をかける多くの支持者を動員してきた。さらに、彼らは政府暴力の抑止と国連部隊の派遣を働きかけるべくロビイストを雇っていた。

ロビイストが活動する以前のアメリカ政府は、ダルフール問題に対して10.1億ドルを投じていた。このうち、8.39億ドルが避難民キャンプや人道的支援のために使われ、平和維持活動のために直接割り当てられたのは1.75億ドルであった。このことは、当初、アメリカ政府平和維持活動よりも人道支援に重点を置いていたことを意味する。

ところが、2006年から2008年にかけて、セーブダルフール連合および他のグループは、政府人道支援から平和維持活動に資金の使途をシフトさせようと働きかけた。恐らく、ロビイスト市民運動の盛り上がりによるものだろう。

これにより、現在までに支出された20.1億ドルのうち、51.3%にあたる10.3億ドル人道支援目的で使用され、9.8億ドル(48.7%)が平和維持活動にあてがわれることとなった。この比率の変化は人道支援から平和維持活動への重心移動を物語るものだ。

結局のところ、政府がこの比率を変えたことには大きな問題があるといわざるをえない。というのも、被害者調査によれば、ダルフール紛争の影響下で病死したり栄養失調で死亡した被害者の数が高止まりしているなかで、「殺害された」被害者数は2004年4月8日停戦以降は著しく減少しているからだ。

もしダルフール活動家が資金の使途について軍事介入を重視するよう迫っていなければ、もっと多くの命が救済されたのではないのか。

また、多くの活動家ダルフール紛争本質を見誤っていることも問題だ。彼らはスーダン政府および野蛮なアラブ部族が関与した虐殺については責められるべきだとしており、「セーブダルフール」は、多くの宣伝ニュースレターあるいはウェブサイト上で「進行中のジェノサイド」という言い方で紛争を表現している。

ジェノサイドという用語は、もともと事の重大さを国際社会に喚起するために使われた言葉だ。この言葉に触発されて、各国政府国際機関が迅速に紛争に立ち向かうわけだ。

活動家善意だったかもしれない。しかし、「ジェノサイド」という言葉大衆の間で広まると、有責な事柄と無罪の事柄のバランスが失われ、予想もしなかったような事態になった。

ジェノサイド」という言葉は、単一の志向をもった犯罪示唆する。しかしながら、犯罪に関与した者たちが、実際、定義されたとおりの犯罪者であるかは定かではない。

もちろんスーダン政府ダルフールにおいて多くの人々を殺害しており、この点の戦争責任は免れえない。しかし、反政府勢力もまた、いくらかの責任を免れないだろう。国連ダルフール調査団を派遣した際、多くの反政府グループが深刻な人権侵害や人道法上の違反を犯していたことが明らかになったからだ。

つまり「ジェノサイド」という言葉は、紛争のある一面を浮かび上がらせるのは確かだが、それによって他の一面が逆に隠されてしまうことがあるのだ。

ダルフールについていえば、「ジェノサイド」という言葉が膾炙することによって、反政府勢力が国際社会レーダーの捕捉網から感づかれずに済む効果を生み出してしまった。また国際社会の関心をもたれないまま、人道法違反を野放図にすることを許すことになったのだ。「ジェノサイド」という言葉にこれほど注目しなければ、恐らく活動家反政府勢力の犯罪を見逃さなかっただろう。

例えば、ダルフール反政府勢力の有力なスポンサーエリトリアチャド、SPLM(スーダン人民開放軍)だが、彼らは、昔からアメリカ政府の支援を受けてきている。つまり、反政府勢力のライフラインを支えているのはこれらの国や組織だ。

今日ダルフールの状況は歪んだ見方がなされている。進行中の紛争や暴力行為の多くは盗賊や無法者そして部族間紛争に起因するものとみされている。UNAMID(国連アフリカ連合AU)の合同PKO部隊=国連アフリカ連合ダルフール合同活動)によれば、09年6月における死者数は16名であり、いずれもスーダン政府軍と武装勢力との衝突によるものではなかった。

昨年一年間におけるダルフールでの被害者数は、政治学者が内戦定義する一年当たり1千人の死者数を下回っていた。

このように状況が変化しているにもかかわらず、多くの活動家スーダン政府が大規模な攻撃をダルフールに仕掛けていると論じ続けている。「進行中のジェノサイド」「ダルフール戦争」という言葉が、いまだに活動家の資料や宣伝に頻繁に使われているため、多くの人がダルフールはそんなに変わっていないのではないかと思い込んでしまっているのだ。

ただ最近オバマ大統領は現状を指して「ジェノサイド」という言葉を使っており、国務省アメリカ大使も、ダルフールジェノサイドは終わったと主張しているスコット・グレイション(スーダン特使)と距離を置いているようだ。

しかし、そろそろアメリカ政府ダルフール活動家は性質においても規模においてもダルフールの状況は一変したという認識をもつべきだろう。

軍事介入や紛争の一方当事者スーダン政府)の断罪のかわりに、平和構築と2百万人を超える国内避難民の救援に力を入れるべきときだ。

作者:マーク・グスタフソン

オックスフォード大学大学院

スーダン政治状況について博士論文執筆

2009-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20090417011508

台湾を攻めたら勝てるだろうけど、国際社会からはボコボコにされるだろう。

ダルフールに断固とした介入をしない国際社会が、台湾だと急に介入するっつーのがいまいち信じられんのだよねー

しかも相手はスーダンなんかよりはるかに大国の中国でしょう…?

ロシアグルジアを攻めたときだって、国際社会ロシアを「ボコボコに」なんかしてないわけで…

どうなんでしょう。

そもそも利害の違いがありすぎて、国際社会の足並みが揃わない気もするし。

やったら結構やれちゃうんじゃねぇの、って気が俺はしてる。(そうなれと思ってるわけではないよ)


まぁどっちかっつーと、俺的には「中国軍政府の統制がちゃんと効いてんのか」の方が心配だけど。

2009-04-06

テロの温床=スーダンにある「もうひとつの闇」

中国武器のほかにイランが提供したロケット砲の工場が稼働

アフガニスタン軍事基地や施設が米軍によって空爆され、タリバン政権が崩壊、アルカィーダはイェーメンからスーダンへ逃げた。2001年暮れのことである。

どうやらテロリストらは陸路、イランへ潜入し、イランイスラムコネクションを経由して次の拠点に向かったらしい。

それはスーダンだった。

昨年来、イスラエルガザから打ち込まれるロケットの襲撃に悩まされた。

4月5日、北朝鮮が発射したミサイル日本の上空を通過した。あれが日本ばんばん打ち込まれたらどうするか。実際にイスラエルは、毎日のようにガザからミサイルを撃ち込まれた。

報復にでたイスラエル戦車を投入したのも主権行為として当然だろう。

ハマスが撃ち込んだミサイルは、エジプトから秘密トンネルを通じて大量の武器ガザに持ちこまれていたものである。

イランからイェーメンを経由してスーダンの沿岸部ポート・オブ・スーダンに集荷され、そこからエジプト密輸されていた事実イスラエル情報機関「モサッド」が把握した(英誌『エコノミスト』、09年4月4日号)。

一月下旬、ポート・オブ・スーダンを出航した23隻の小型船が、おそらくイスラエル空軍機によって爆撃され、沈没した。

これらの船舶にはイラン武器が大量に積まれていた。

イスラエル空軍機の練度の良さは世界がしっているように、81年にはイラクオシラ原子炉を襲い破壊した。2007年にはシリア建設途中だった原子炉北朝鮮技術)を破壊した。

この武器密輸船舶の沈没事件以後、ハマスロケット砲攻撃は数週間、なりを潜めた。

イラン製ラジャ・ロケットは射程距離40キロ。

スーダンイスラム革命政権の後ろ盾はテヘランだった

ここで歴史を振り返る。

スーダンのバシル独裁政権は、背後にイランの策動があった。1989年、スーダンは、イラン革命防衛隊にクーデタの方法を学んだハッサン・アル・ツラビ師によって策定され、バシルは軍事権力を、ツラビ師はアヤトラ・ホメイニ師スーダン版になる予定だった。

スーダン革命成功後、当時のラフサンジャニ(イラン大統領は157名の大型使節団を率いてハルツームを訪問した。1991年だった。

「テヘラン―ハルツーム枢軸」が形成された。

レバノンヒズボラに軍事訓練を施してきたハッサン・アズダが、以後、ハルツームに送り込まれた。ハルツームの北側にはイランの肝いりで武器工場がつくられ、いまやスーダンアフリカ第三位の武器大国ともなっている。

08年にはイラン国防相がハルツームを四日間にわたって訪問し軍事技術協力、軍事訓練などの協定に署名した。国連イラン制裁に断固反対する側にスーダンがおり、スーダンのバシル大統領国際法廷喚問にはイランが断固、反対票を投じるという両国の蜜月関係は密接に続いている。

ダルフールの虐殺に武器供与して間接的に手を貸したのは北京だけではなかった。

中国イラン存在は、スーダン独裁政権の背後に拡がる闇に透けて見える。

2009-01-23

ガザからの手紙戦争は本当に終わったの?

 彼らはガザ戦争は終わったと言います。その被災者の魂と心に、戦争がのこすであろう痛み、悲しみ、恐れ、不安をすべて無視して、戦争がひとつの会議で始まり、また別の会議で終わることができるとは、驚くばかりです。

 ガザパレスチナ人は、彼らに対するイスラエル戦争をたくさん目にしてきました。そこにあるのは、最初の抵抗運動と二度目のそれ、お決まりの侵攻、私たちにおしつけられた封鎖、日々を生きるパレスチナ人におしつけられた、いっさいの憐れみのない封鎖、ひとかけらの後悔も、わずかばかりの配慮も、なにもない封鎖でした。最後に、無実の人びと、子ども年寄り、家庭と祖国パレスチナ人すべてに対する、この巨大な戦争がありました。

 私たちが目のあたりにしたどの戦争についても、語られるべき数々の話があります。征服者の蛮行と憎悪についての話です。そしてどの戦争についても、それらの話を伝えるための、生きる、生きのこるための意志があります。私は難民の第三世代になります。私は両親と祖父母の話に耳を傾けてきました。彼らが故郷を追われた事情子どもを失った人びとの事情、世話することができずに、子どもを道端においてきた人びとの事情についてです。それらの話はあなたの心を芯から揺さぶるものでしょう。それでも、それらの話の語り手は、生きる意志を、新しい生活をはじめる意志を、彼らの子どもを育てる意志を持っているのです。

 今回の戦争について私たちが伝える話は、どんな人間想像力も超えたものとなるでしょう。どこへ避難すべきかもわからず逃げたこと、子ども年寄りに対する慈悲もなしに一家みなごろしにされたこと。私たちに向けて放たれた武器は、私たちの記憶永遠に鮮やかにのこるでしょう。

 今日停戦の一日目です。ほかの人びとと同じように、私がいつもの生活に戻れる最初の日です。私たちは地下室から出て海岸を臨む客間に座ります。私の子どもたちは、彼らの部屋やベッドで眠ろうとしません。彼らはこう尋ねるのです。

「もう撃ってこないと保証してくれるの」

彼らの過ごした恐怖の時間を忘れるのには、とても長い時間がかかることを私は知っています。彼らが耳にした大きな爆発音を忘れるには時間が必要です。私たちが慌てて部屋を飛びだし、より安全な場所を求めて避難したことを忘れるには時間が必要です。(この状況で、)どうして戦争は終わったと言えるでしょう。

 (娘の)サルマは、F-16戦闘機の音を聞くと、とても怖がります。もちろん、それは今なお、横柄にも空に爆音をとどろかせています。それが私たちの心と財産に撒きちらし破壊を、誇らしげに見下ろしているのです。(この状況で、)どうしてサルマに戦争は終わったと言えるでしょう。

 幸運なことに、私の子どもたちは、その愛する者たち、友達や隣人が殺されたり死んだりすることを見ずにすみました。それでもなお、彼らは、その心と魂に、この戦争が残した悪質な影に苦しんでいます。

 魂にこの戦争の報いを受けた私たち(パレスチナ人)の子どもは、彼らが目のあたりにした映像を決して忘れることはないでしょう。彼らの親が、姉妹が、家族皆が殺されたことを決して忘れないでしょう。その心と魂に、その生涯にわたって、平安を見いだすことは難しいかもしれません。なぜなら、彼らが見たものは忘れることができないものだからです。彼らの頭上で家が崩れ落ちるのを見た子、家族とともに瓦礫の下に取りのこされ、弱っていった子、誰か生きのこるかは神だけが知っています。愛する者たちの、命の火の消えた体を見わたす子、この子は、その姿を心と魂に焼きつけるでしょう。この子は永遠に苛まれるでしょう。この子たちは、どのように停戦後の暮らしを楽しむことができるでしょう。

 その暮らしと親族を失った子たち、その目を、手足を、家を失った子たち、征服者の貪欲さを目撃した子たち、彼らはその痛みを決して忘れないでしょう。イスラエルによるガザに対する戦争、22日間を通して、彼らが過ごした恐怖の時を、決して忘れないでしょう。彼らの受けた傷と喪失が、常に記憶を新たにさせるでしょう。彼らの心には、一つの質問があります。

「わたしたちは何もしていないよ。なのに、なぜあなたたちは、こんなにひどいやり方で、わたしたちを殺すの。わたしたち、こどもに、なんの思いやりもみせないで」

http://www.un.org/unrwa/refugees/stories/lfg/LFG_19.html

国連パレスチナ難民救済事業機関のウェブサイトに掲載された、ある母親からの手紙です。

nofrillsさんのところ(下記URL勝手に紹介してすみません)ほかで伝えられる惨状を目にして、私は何度も泣きました。

http://nofrills.seesaa.net/article/112997883.html

すでにあちらこちらで言われていますが、「停戦」したからといって、問題は山積みのままです。経済大国国民として、安保理理事国の国民として、「対テロ戦争」に「参戦」中の国民として、中東で公正な政策が行われるよう注目していくことは大切だ、というのが私の意見です。簡単に解決できる問題ではないことは承知の上ですが、まずできる一歩を踏み出すことが大事だと考えました。あまり時間をとることができなくて、ほんのわずかで質もよくない翻訳ですが、ガザ事情を知る一助になったらうれしいです(また、不公正はガザだけでなく、チベットでも、チェチェンでも、ダルフールでも、そのほかの各地でも、もちろん大殺戮とはいかなくても日本のなかでもみられます。はじめは、それぞれが情報を得られる範囲で、手近なところから、読んだり、聞いたり、考えたり、話しあったり、広めたりしていくことが、第一歩として大切だと思っています)。

ひとときも早くガザの封鎖が解かれますように、パレスチナイスラエル平和が訪れますように。

P.S.:読み直して違和感を感じた文体を整理して、二三の訳語を変更しました。あと、はてなの方、上のAdsはかえられないのでしょうか。

 追記したらかわりましたね。よかったです。

2008-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20080325012547

喩えりゃいいじゃない。

民族の問題を家族に喩えるとか、意地悪たぬきうさぎに喩えるとか。

チベット問題に思うこと。

ダルフールの問題のほうがはるかに深刻なのに俄かに日本人が騒ぎ出しているのは同じアジアでの出来事だからだろうか?

ミャンマー暴動で日本人ジャーナリストが殺害されたのはなんかもう忘却の彼方だよね……。

結局どこの国も困窮した状態から抜け出したいがために多くの人が苦しんでいるわけだが、その何倍も豊かな生活をしているはずの日本人はいったい誰のためを思っていったい誰を非難しているのだろうか?

チベットの人?

暴動に参加して鎮圧された人?

チベットの中に住んでいて暴徒により襲われ家やお店を壊された人?

それとも暴動がおきたために平穏な日常をこわされた人?

人ではなく民族歴史を哀れんでいるの?

それとも独立国家になれていない”チベット”という記号的象徴を哀れんでいるの?

主導者ダライラマを哀れんでいるの?

暴徒鎮圧命令を下されて凶刃を振った末端兵隊の罪を哀れんでいるの?

鎮圧の命の決断をした指導部の判断を責めているの?

問題の根幹は貧困に根ざした民族問題だ。

国内の苛め問題も解決できないように、この問題の根本的な解決は無理だ。

理想的な解決に向けたシナリオはある。

弱いほうをかばいだてしパワーバランスを整えることだ。

根本的な問題があれば諌めればいい。

まずは喧嘩をやめさせる。非難や肩入れはそのあとだ。

同じ地球に住む人間として諍いごとは円満にすませてもらいたい。

だが、本当の願いはどこの国でも暴動がおきないぐらいお腹いっぱいにうまいもの食えて、

不安も不満も抱えずにのほほんとみんなが生活できることを望む。

だが我々の豊かな生活はどこかの途上国で年端もいかない子供が水汲みのような労働しているのを集めた結果だ。

石は高く積めば崩れる。

だが積まずにはいられないのが人間の業。

ひとつつんでは・・・

2008-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20080322112307

馬鹿! それだけでも有り難いと思え!

今、秋葉原では飢えた童貞が、

ダルフールでも飢えた子供たちがたくさんいるのに、おまえは何だ!

2008-03-20

チベットとかダルフールとか

ダルフールは盛り上がったのに、チベットいまいちだね。

どうしてチベットブロガーの心を鷲掴みにしないんだ?

やっぱり野球がはじまったからだろうな。

そうだ。

2008-03-17

コピペ保存

1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中

1950年 大躍進文化大革命3000万人大虐殺開始

1950年 朝鮮戦争参戦

1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中

1959年 インド侵略(中印戦争アクサチン地方を占領

1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突

1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射

1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領

1976年 カンボジアクメール・ルージュによる大虐殺を強力支援

1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明

1988年 スプラトリー諸島南沙諸島)を軍事侵略、占領

1989年 天安門事件

1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言

1995年 フィリピンミスチーフ環礁を軍事侵略、占領

1996年 台湾総統選挙恫喝台湾沖にミサイル攻撃

1997年 フィリピンスカーボロ環礁の領有を宣言

1997年 日本尖閣諸島の領有を宣言

2003年 スーダンダルフール大虐殺を強力支援

2005年 日本EEZ内のガス資源を盗掘

2008-03-04

■「最終弁当氏のブログに思う 」にちょっと一言

http://anond.hatelabo.jp/20080304045514

少し共感する。通奏低音は、人生の敗残者、人はみなそうなる、もう人生は終わった、とかってしょっちゅう言っててさ、一般に好まれる明るい希望、みたいなのからは、かけ離れてる。読んで爽快、なんてことは絶対ない。こんなの若いもんが好きとか言ってたら、そっちの方がおかしい。なんでそこでネガティブ入るかな、みたいなことを感じることは僕はよくある。

でもね、このブログですごいな、と思うのは、ダルフールの悲劇について、ずっと前からattention pleaseし続けていること。これは、偉いよ。

日本報道がとても薄いダルフールのことを啓蒙していたのは、ブロガーでは彼だけでしょ。今でこそ、北京オリンピックが近づいてて、徐々に日本語の記事も多くなっているのかもしれんけど、英語圏新聞雑誌では、かなり前から記事になってたし、国際社会アジェンダの中で、突き刺さった棘のように、それなりの存在感があった(と記憶している)。

この時代に生きるものとしての、人類としての責任というか、humanityというか、世界平和を若干なりとも真剣に願う者のみが持ちうるであろう態度を、僕は少し感じる。dankogai池田信夫氏からは、そーゆーのは感じられない。こういうのを「熱い」とは言わないのかな?

あと、この人はたぶん子供が好きだと思う。過去はどうだったか知らんけど、少なくとも今は。

「世の中を皮肉的に捉えるという。そういうとこあると思うんだよね。」ってのも、ちょっと理解が違う気がする。僕は、皮肉も冷笑も、このブログからは感じない。そんなの価値低い、つまらない、ってよくわかってるよ、この人。もっと謙虚だよ。

執筆子??をよく知らない様子。まだ若いのだろうか」みたいなのが結構あるけど、別にその執筆者を攻撃したいわけでも、批判したいわけでもないよ。自分の知識をひけらかしたいわけでもない。そういう自己満足の仕方はしてない。ただ理解を正してるだけでしょ。

「叩かれないようにしながら一定の位置を確保するという目的」というのも持ってないと思う。だって、彼は基本的に、自己主張しないし、記事の取り上げ方の戦略性みたいなのは、あんまりないよ。fareast blogはちょっと別かもだけど。

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