はてなキーワード: ぷにとは
量が多すぎて途中で切れてたみたいなので分割
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
井口裕香が声を担当する三宅日向がヒナタと呼びかけられる度にこの子がヒナタだっけ?と違和感を感じてしまう。
だいたいヤマノススメのせいだろうとは思うが、他にもあったような気がするのでリストアップした。
作品 | ヒナタキャラ | ヒナタ担当声優 | 井口裕香の担当 |
---|---|---|---|
僕は友達が少ない | 日高 日向 | 日笠陽子 | 高山 マリア |
まよチキ! | 日向 真宵 | 近衛 スバル/小鳥遊 ぷにゅる | |
ロウきゅーぶ! | 袴田 ひなた | 小倉唯 | 三沢 真帆 |
戦姫絶唱シンフォギア | 小日向 未来 | ||
ハヤテのごとく! | 愛沢 日向 | 児玉明日美 | ツグミ・ルリ |
ヤマノススメ | 倉上 ひなた | 阿澄佳奈 | 雪村 あおい |
宇宙よりも遠い場所 | 三宅 日向 |
混乱の原因はヤマノススメのせいが6割、ロウきゅーぶ!のせいが4割だな。
特にロウきゅーぶ!は宇宙よりも遠い場所と似たようなトーンで喋っていた気がする。
おっぱいを押されたら痛いという事を知らない男性が意外にもいるらしい。
人体なんだから痛覚あるに決まってるだろ!と怒る人も居るがその表現はややズレているように感じる。
なぜなら明らかに腕や背中を押された時よりおっぱいを押された方が痛いからだ。
痛覚がどうこうという話ではない。急所なのだ。急所だから強い刺激はやめてほしいのだ。
さて、急所である事を知らないのは仕方ないとして、何故男性の中にはおっぱいは無痛であると考えてしまう人がいるのだろうか。
人体なのだから、神経が通っているのだからある程度の衝撃を与える=痛いになるのは当然である。
しかし確かに思い返すと男性の描くおっぱい描写からは痛みを全く感じさせない描写もある。むしろ多少の衝撃も吸収してくれそうな気さえする。
もしかしてそれはケツのせいなのではないだろうか。
だがケツは他の場所に比べて痛覚が鈍い…。気がする。完全に個人の感想だが。
多少叩いても、ぷにぷに揉んでも、ツンツンしても痛くはない。ぷるんと軽やかに受け止めてくれる。それがケツだ。
自分に無い物を想像しようとする→似ている物で代用して考える→間違った理解をする。
こんな流れでおっぱいは誤解されているのではないだろうか。
気付いた頃にはショタコン、いやロリコンでもあるんだけど小学生中学生のアイドルを追っかけするようになってた。中学生がロリなのかショタなのか怪しいという意見はあるだろうけど高校生は個人的にはもうだめ。
ドルオタになったのは高校生くらいからでその前はアニオタだったんだけどアニオタの頃から好きになる系統はショタ系統のキャラばかりだったからそういう性癖なんだと思う。
リアルとアイドルは違うから普通に彼氏いるショタコンもいるだろうけど私はいたことない。そもそも成人済男性が本当に受け付けられない。だって推しが高校生になること受け入れられなくて推し変するようなやつだよ!?私はいわゆるぷにしょたが割と好きで、アゴがまだ発達前の顔が好みで大きくなってアゴが発達して変わってしまうと中学生のうちにさようなら、うまく発達が収まっても体毛が見えちゃうともう絶対無理。体毛はなかなか避けて通れない道だからね。そんなんだから成人済男性絶対無理だし近寄りたくないって思ってるから好きにもならないし相手だって近寄らないんだから私のことよく知れないし好きにだってならない。顔だけで惚れられるほどの顔ではないしな。経験値として彼氏は欲しいけどどうしてもその壁が越えられなくていまだにいない。友達のショタコンオタクもいたことあるらしいけどやっぱり無理ってなって別れてる人が多い。
まだ私は20代前半だけどいつまでこんなこと言ってるのかな、やってるのかな。ショタドル現場って本人が若いからオタクも若くなることが多い(ジャニは別)だから二十歳すぎてるだけでおばさんって周りのオタクから言われる。これが30とかになったらもうどうしよう。でもショタしか好きになれない。彼らがどんどん成長して体の様々なところが男性へとなっていくのが生きる楽しみでお金使う楽しみなんだよね。今日良かったよかっこよかった!って言って戸惑いながら真顔でありがとうございますしか言えなかった子が成長してありがとう、すごく嬉しい!ってアイドルになってくのを見るのが好きなんだよ。
メンヘラ気質なこの性格をどうにかしたいと思って早10年。どうにかしたいけど、どうにもならない。どうしたらいいんだろう。やっぱり医者にかかるしかないのかな。自覚している特徴はこんな感じ。
1.過剰なマメさ
マメといえば聞こえはいいけど、付き合っている相手から連絡が帰ってこないと本当に無理。彼氏しか趣味ないの?とか言われるけど、仕事もしているし趣味もしているしジムも行って自分も磨いている。人並みに忙しくしてて、その中で連絡取ってて返ってこないと辛い。束縛気質。出来れば毎日会いたいし、同棲していたい。
2.いい年なのに時たま異常に甘えん坊になる
甘えん坊といっても、赤ちゃんプレイ的な話じゃなくて依存みたいな感じ。普段は人並みな人間に擬態して出来る大人なフリをしているけど、何かの拍子にうわあああってなって相手にべったりになる。物理的にも精神的にも重いって言われる。
3.嘘がやめられない
ヤキモチを妬かせるための小さい嘘から、そこそこ大きい嘘まである。大きな嘘だと自分という人まで変えてプロフィールや住んでいる場所、趣味嗜好なんかも嘘ついている。嘘で嘘を固めていて自分ですらその嘘を信じているレベルまで来ている。当然相手にはバレてないはず(あくまではず)。
基本コンプレックスの塊だし、それを見せないように擬態しているんだけど自分の中で全く消化できていない。だから、さりげない一言でコンプレックスを刺激されると自分を守ろうとして他人を攻撃してしまう。特に上司や先輩のような年上の人に。普段の俺の擬態が上手いのか、それとも周囲の哀れみなのか他者を攻撃しても許されてしまう。因みに年下は基本守るべき物だと思っているから、どんな奴でも攻撃しない。
数年前に本当に好きだった人に振られて以来、恋人が出来てもワンナイトしても寝ながら泣いていることが多々あるらしくて心配される。俺が悪くて相手に一方的に振られたんだけど、忘れられなくて無理。なんなら渡せなかった誕生日プレゼントもまだ家の何処かに捨てずに眠っている。相手の職場も自宅も実家も全部知っているから、なんならストーキングしたいけどそれは社会的にダメなことなので必死に抑えている。
良く言えば最悪な事態を想定して動いていて、悪く言えば深く考えすぎな人。例を上げると地震があったりして閉じ込められても良いように自宅のトイレの中に窓から逃げられるようにハンマーが置いてあったり、財布の中にブレードレスな五徳(LEDライト付き)を付けて普段生活していたりしている。不安症ってイメージ。
察してほしい。
承認されたい、理解されたい、慰められたい、1人じゃないと思いたい、誰かに優しい言葉をかけてほしい、酒に頼らないでも寝れるようになりたい、飼い猫のお腹をぷにぷにして時間が経過するような休日の過ごし方以外をしたい、誰かに愛されたい、誰かの温もりが欲しい。金は普通に稼いでいる、見た目もまぁ平均かそれ以上、性格が地雷過ぎて長続きしない。この世から消えられるなら消えたいけど、せめて飼い猫が生きているうちは共に生きようと思っている。
どうにかしたい。
いまのところ、コロプラから出ている情報はこんな感じ。
http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=15435231
任天堂広報は、特許侵害は5件あり、そのうちの1つは「タッチパネル上でジョイスティック操作をする際に使用される特許技術」であるとしているらしい。
https://twitter.com/mochi_wsj/status/950980444152999936
その該当する特許とみられているのは、任天堂が持つこの特許。
http://pat.reserge.net/PatentDocument.php?an=2004257372&dbid=JPP
読んでみると確かに白猫プロジェクトのぷにコンの操作と同じに見える。一方で、このような単純な操作が特許として認められていることに驚かされる。この内容とぷにコンを照らし合わせると一見コロプラの分が悪いように見えるが、このような操作が出願前に公知であったことを証明できれば、特許無効審判によって、その特許を初めからなかったものとすることができる。
気になったので、2004年8月以前の事例にしぼって1時間ちょっとGoogleで検索してみたところ、同じような操作方法のものが見つかった。
PowerSketch/Viewer
https://magic-hour.co.jp/support/viewer/guide/dl_cursol.html
このツールは、家の内覧のプレビューなどに使う3Dモデルのビューアのようだ。該当するのナビゲーションの「ドラッグ操作による移動」のところ。このツールはフリーでダウンロードできるので、実際に動かしてみたところマウスでのジョイスティック操作を使うことができた。
問題はこの操作方法が任天堂の出願以前に公開されていたかだが、web.archive.orgで調べてみたところ、このページの最古の2003年8月のアーカイブですでにこの操作方法についての記載がある。
このPowerSketch/Viewerの操作方法からの特許の相違点でいうと、マウス操作ではなくタッチ操作であることと、ゲームに限定しているところが挙げられるが、そのどちらもに意味があるとは思えない。マウスではなくペンタブレットをつかっている人にとってはビューアの操作はそのままタッチパネル上でジョイスティック操作だし、他のツールで使われていた操作方法をゲームに限定したところでそれは発明とは言えないだろう。
CADツールではこういった操作は前世紀からあったと指摘している人もいた。コロプラがこういった操作方法があったことの証拠をそろえられば特許無効審判は十分に通りそうだ。
他に特許侵害が4件あるとのことでその内容がわからないので現時点ではなんとも言い難いが、44億円の損害賠償の根拠がこの「タッチパネル上でジョイスティック操作」の特許ならば、この金額をそのままコロプラが支払うことにはならなそうに見える。