はてなキーワード: ぷにとは
長年連れ添ってきたバイブが、溶けた。
独身OLの夜の慰めを、かれこれ6年近く支えてきてくれたバイブを、ジップロックから取り出したら溶けていた。
つるり、と優しく柔らかでしなやかなシリコンが。春の晴れた日の空のような、透き通った海のような、優しいブルーの色が。凹凸の少ない、だか狙うところはけっして外さない完璧な形とも言えるバイブが。まるで大火傷を追った、ケロイド傷のように、表面がどろりと溶けているのだ。
その姿を見たとき、もう泣きそうだった。ひとり暮らしの部屋に、可愛げもなにもない、ただ情けのない声が漏れ響いた。その感情を例えるならば、大好きな恋人が不慮の事故で、美しい顔を崩されてしまったかのような、その顔が戻ることのないと知った、そんな大きな衝動だった。ああ、どうしてこんなことに! 洗っても、磨いても、拭き取ることもできない、傷だらけのバイブ。あまりにもかわいそうな姿になってしまった。キッチンペーパーで優しく包み込み、枕元にそっと横たわらせて、撫でた。溶けて浮いてしまった表面を触るだけ。なにもしてあげることが出来ない自分が憎くてしかたなかった。いったいどうしてこんなことに……。
どうして……。
ふと、バイブを入れていた袋を覗き込む。はてどうして、その中にすっぽりと収まっている、先月買ったばかりの国産リアルディルドに、シリコンの青色がべっとりと溶け出しているのだろう。筋に沿った、まるで男性器をそれそのものを彷彿とさせる、薄い血管かのような青だった。なんだか頭が痛くて仕方がなかった。
バイブとディルドを、同じ袋に入れると、バイブは溶けてしまうのか?
いったい、なぜ、どうして。わかるわけがない原因を探して、思考が巡る。買ったばかりのシリコンは、なにか強い成分が不着しているのだろうか? 化学反応が起きた? いやまさか、シリコン同士でそんなことあるのだろうか。使用前はしっかり洗って、自然乾燥させて、さらにはアルコール消毒までしたはずなんら問題はなかったはず……。なんなら、自身の口に入れた日だってあるのに。まさかディルド、バイブに嫉妬した?
考えるだけで、胸が痛む。
なにが辛いかって、バイブが、溶けていることだった。静かにベットの上に寝そべったままのバイブは、なんだか酷く悲しい顔で笑っているようだった。こんなにも傷だらけなのに、だいじょうぶだから、平気だからと言っているような気がしてしまっていて。その姿を見ていると、自分を追い詰めてしまってどうにかなってしまいそうだった。もう、だめだ、今日は早く寝なくては。
わたしは布団に潜り込み、悲しい気持ちでめちゃくちゃになりそうな気持ちを押し殺して、溶けたバイブを使ってオナニーして寝た。
詳しい人がいたら是非教えていただきたいのですが、
PPP『ぷにっとりあるディルド』と、LCラブコスメ『マリンビーンズ』を隣り合わせて保存していたら、マリンビーンズが溶けました。いったいなにが、原因なのでしょうか。
「もし街中で突然性欲が溜まって変な気を起こしそうになったら、急いで家に帰ってクジラックス先生の本でオナニーしなさい」
彼の語る『二次元性欲発散法』によって今までに救われてきた患者は1人も居ない。
「三次元に性欲を向けるから、犯罪行為が選択肢に入る。二次元で抜けば犯罪者になるのは防げる」
彼がそう主張すると決まって
『知るかバカうどんのような作品を読むから変態性癖が蓄積して暴走する』
と反論される。
「こんな社会で論文を余に出せば、私の文化人類学者としての人生は終わってしまう」
そう語りながらスケベ・ニンゲン氏はぷにあなDX(オナホール)をろくろのようにグルグルと回していた。
「今はオナホールやラブドールのクオリティも上がっている。肉体的な欲求をぶつける手段として生身の人間を選ぶ必要も無くなってきている。二次元で抜くのにはとても都合が良い環境が整っている」
「わざわざ犯罪のリスクを犯し、刑務所で禁欲的な生活を送るよりも、自分の部屋で安心して二次元でオナニーするほうが幸せであるという事を多くの性犯罪者に理解して欲しい」
「性犯罪者の社会復帰において一番必要なのは、性犯罪をしないほうがメリットの大きい生活がこの社会に既に用意されている事に気づかせること」
「二次元でオナニーをさせてみて、それで満足できるという事を教えて上げる必要がある。性欲は三次元で発散するものだという思い込みが人を性犯罪に走らせる」
彼の語る理想が実現する日は、彼の理論の正しさが証明される日は来るのだろうか。
「エロ漫画の社会的立ち位置はとても弱い。緋鍵龍彦の代表作が断裁分離のクライムエッジ だと言われているのが何よりの証拠だ」
全てのロリコンと子供が安心して幸せに生きられる時代を目指し、今日も彼は誰にも発表することが出来ない理論について研究を進めている
地下鉄にて
(お、角の席が空いてる、座っとこ)
数分後、次の駅
(若い女の二人組が来た、あ、二人並んで俺の隣に座った。おい二人組の右側の方、こんなキモいおっさんの隣でいいのか? ま、スマホの画面と女同士でおしゃべりに夢中で俺のこと一切気にしてねえみたいだな……)
(おい女、お前のひじと上腕が俺のひじと上腕に当たってるよ! こんなキモいおっさんと腕の生肌同士が接触していいのかよ? お、俺は何も自分から隣の女に触れてないぞ! 俺の両手はさっきからずっと講談社現代新書を開いてて、自分のひじは自分の脇腹に密着させててこれ以上引っ込められないぞ!)
(うへぇ、俺の上腕に当たってる若い女の上腕の生肌すべすべのぷにぷにだぁ……そうそう、上腕の生肌っておっぱいと同じ感触って言われるんだよなあ……じゃなくて、おい女、腕引っ込めないのかよ? あ、相変わらずスマホの画面と女同士でおしゃべりに夢中で、隣のおっさんがこんなにキモいとか一切気づこうともしてねえな)
(ああ、すべすべのぷにぷにの上腕マジ気持ちいい、お、俺は一切自分から手を触れてねえぞ! 俺の両手はずっと講談社現代新書を持ってるからな! 俺の上腕が偶然、若い女の上腕に当たってるだけだからな!)
「次は~、大手町駅~♪」
(おっと、降りねばならんか、にしても隣の女、最後まで腕も引っ込めず俺のことを一切気にしなかった。うむ、今日はラッキーだったなあ)
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もし心の声が隣に座った女に聞こえてたら、周囲の乗客全員からタコ殴りにされても文句言えんわ
どう考えても痴漢だろ俺?
※注意※
【未来のミライ】を見てきました。
賛否両論ありますが、個人的には細田守監督作品のなかでは一番好きです。鑑賞後勢いでパンフレットも買いました。
見終わった日の夜は「いい作品を見た!」と最高の気分で眠りについたのですが、朝起きてツイッターのレビューを確認して唖然。
とんでもない酷評を見て、映画にいちいちエンタテインメント性を求めすぎではないか?監督が作りたいもの作ってなにが悪いのか?と面倒くさいオタクが花ひらいてしまいました。
まず、この作品を一言で表すのならば、「現代オタク向けおもひでぽろぽろ」。残念ながら時間軸を通したアドベンチャー・ファンタジーではありません。
ただし、主人公としての焦点は、未来ちゃんの兄であるくんちゃんに当てられていますし、当の未来の未来ちゃんのいる時間軸の未来のくんちゃんもそれほど出てきません。なんなら未来の未来ちゃんもそれほど出番はありません。
この話は、くんちゃんが未来ちゃんをきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく「くんちゃんの成長日記」なのです。
タイトル詐欺かと思われますが、未来ちゃんがいなければくんちゃんはお兄ちゃんとして成長できなかった。そして、未来ちゃんの未来を形作っていくのは、くんちゃんをはじめとした家族や周りの人々・環境ということになります。だから、【未来のミライ】なのではないかと私は思います。しかしながら、家族のルーツを辿って家族賛美をしているわけじゃありません。パンフレットのなかにも「愛をめぐる話」とあります。今まで当然のように受けていた愛が急に別の人に注がれるのは子どもだって、大人だっていやだと思うのは同じです。繰り返しになりますが、この映画は「くんちゃんが未来ちゃんをきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく」のが本筋なのです。
そういえば「(雛人形を気にするなんて、)未来ちゃんが女子高生らしくない」というレビューも見かけましたが、未来の未来ちゃんは中学生です……。
次に、「子どもを知らない人」にはこの映画、あまりおすすめができません。この作品には子どもの「よくする行動」が多くでてきます。
片付けしなさいと言われたときについつい物を広げて遊んでしまったり、黄色いパンツのくだりみたく自分の思い通りにいかないときは駄々をこねてみたり、自分が未来ちゃんにかまってもらえないときは理不尽に「好きくない!」と言ってみたり……。とにかく子どもはそういう行動はよくするんです。くんちゃんが夏の日に置いて行かれた時の反応や、誰もいなくなった静けさなんかは特に子どもの感覚に寄せて作られた作品であるともいえます。
くんちゃんは4歳です。ということは、学校にもまだ通っていない未就学児です。学校で叱られることもなく、くんちゃんにとって集団社会は家・家族という限られた空間の中にしかありません。その中で一番若くてかわいがられていれば、大抵の場合暴君になるでしょう。そんな暴君が、若干スレた姿を未来の未来ちゃんの時間軸で見せます。学校に通って家族や家だけでなく、外の世界の空気に触れて、やっと大人に近づくのです。スレることが大人への一歩というには些か問題ありますが、成長過程においてはそういう道もあるのかな、と思います。
さまざまレビューで、くんちゃんがクソガキすぎてみていられないと書かれているのを見かけました。実際クソガキはあんなもんじゃないです。これは一般的な例ではありませんが、家族以外の人には「嫌い」と言いながら唾を吐きかけてくることだってあります。そういった体験もあって、雛人形のくだりを見ていると、お父さんの目をゆっこと未来の未来ちゃんから自然に逸らそうとするくんちゃんは聞き分けがいいというか、とても頭がいい。すごい(小並感)
ストーリーに関しては、「ジャンル:創作」の超大作同人誌のように思えました。
スコンスコン!というハッキリしたストーリーの筋があるわけでなく、くんちゃんがお兄ちゃんとして、人として成長するためのステップが淡々と現れます。家族全員のルーツや思い出をたどるには壮大すぎて描き切れなかった部分が多い気もしますが……。それは抜きにしても、1ステップずつのこだわりが強い。ゆっこが擬人化したり、くんちゃんが赤ちゃん返りのはずみでゆっこになって走り回ったり、未来の未来ちゃんがかわいく恋してたり、お母さんもお片付けできないくんちゃんに似てたり、ひいじいじがかっこよかったり、ひいじいじがかっこよすぎたり、未来のくんちゃんが軽くスレてたり、くんちゃんが未来の東京駅に迷い込んだり。あ~、監督こういうの描きたかったんだな~というのがそれぞれの描写で伝わってきました。そういった節々のフェチ感が私は好きでした。こじらせたオタクも、たぶん好きです、ああいうの。
家族の描写は、「恵まれた家族」というよりは「安心できる家族」のほうが印象が近いかと思いました。くんちゃんが何かしでかしても、なんだかんだどうにかなってしまうので、見ていてとても安心するのです。家族のバランサーであるお父さんも、奥さんに怒られ子育てにハラハラしながらも、地道に努力していくんですね。影の主人公は実はお父さんなのではないでしょうか。過去にこんなことがあって、こんな成長があった、と見ている私たちも人生を振り返ることのできる良い映画だと思います。
キャラクターに関しては、じいじとばあばを除けば強烈なキャラクター付けをされていました。
私はゆっこが一番好きです。犬が好きだというのもありますが、いいおじさんのくせに自分のことを王子だと言ったり、敬語でしゃべったり。最初は「なんでこんな人間みたいな顔した犬なんだ」と思っていましたが、最初にくんちゃんと人間の姿で出会うシーンを経ることで、ゆっこという「犬(家族)」の人間くささをより思い知ることになりました。彼が初めに登場することで、この物語はただ子どものリアルに寄せた話ではなく、異質を伴った子どもの妄想、つまりはファンタジーなんだぞ、というのが伝わるので、かなり重要な立ち位置だと思います。
あと、忘れてちゃいけないのはひいじいじ。まごうことなきイケメン。あからさまに「こういうお兄さん好きだろ」と言われているのが見え見えなのですが、まんまとはまったのが悔しいです。あれをカッコいいと言わずしてどうする。また犬に続いて馬もすき、続いて私の父もバイク乗り。思うところありありで呟かれる「下は見ねえで、遠くだけを見ろ」のセリフ。成長せずにはいられない。戦争で生き残って、なおも前向きに生きようとした人生の縮図のような言葉。罪深い福山雅治。
最後に未来の未来ちゃん。未来の未来ちゃんについてはストーリー上ではふんわりさわったかな?くらいの描写だったのですが、あの気の強さはお母さん譲りなんですよね。それから手のアザ、あれは未来ちゃんが未来ちゃんであることの証明になっていました。髪の流れや面影はあっても、あの手のアザがなければくんちゃんが未来の未来ちゃんであることを瞬時には認識できなかったでしょう。
子ども独特の危うさを感じる重心運動がこれでもかというほど詳しく描かれています。生まれて間もない赤ちゃんの柔らかさ、ふんわりぷにぷに。長年アニメを見てきたオタクとしても「すげ~!」と声を漏らしそうになるもたもた感の描写、ただ動いている様子を見ているだけでも楽しかったです。家に入ってくる光の表現もまたまた綺麗。ジブリ映画などとはまた違った、ギラつきのない自然光の美しさが映画にはあふれていました。また、家という閉鎖空間からでは感じ取れない四季を表していたのがあの樫の木ですね。たまに入るCGもくどいと言ってしまえばそれまでですが、細田作品の醍醐味でもあると思います。それがファンタジーであることの証明にもなりますから。
未だ全身そのものまでは含まれておらず、しかし我々が求めるのはおそらくその方面であることは想像に難くない。
今のバージョンでは腰もしくは胸部しかハンドリングするする部分が無く、愛ある行為のそれであればそこそこリアリティはあるものの「やや乱暴に」の文脈で行為に及んでいる感はそこそこ薄いからである。
特に覆いかぶさるような種付けプレスをしようとする場合に、上手くジョニーが刺さらないという問題がある。
これを太腿部付にしたらば、くぱあと開きつつも行為に及んでる感が出せるであろう。
ともあれ、およそ3年スパンで大型モデルの新作を出しているエグゼ社のことである。
次は2021年にはなるのだろうが、期待をして待つ。頼んだぞ!
おおー面白い。
そこで罪悪感というか申し訳ないなーみたいな気持ちが挟まるというのは興味深いですね。女性でもそこで罪悪感にならない人はそれなりにいそう。自信あるタイプとか。
普段見られない反応が見られるのが嬉しいというのはありますね。おっぱいの場合でもそっちがメインかも。いや、ぷにぽよーんはそれはそれでとても幸せな感覚なんだけど、思いがけず当たってしまって照れるとか、気づいてるけど知らないふりするとか。あとは、それくらい気を許して接近してくれているという内心の部分にもグッときます。
ちなみに、私の知り合いでよく当たる方はわざと当ててるのではないかと思ってるのですが、当ててくるときにやたら口数が増えて、ぜんぜん別の世間話で盛り上がってる風になります。なんとなく誤魔化してるとか、私に「当たってるよ」と指摘されるのを回避しようとしているように感じます。
元彼と付き合っていた時、なんとなくDVとかそんな兆候があった。
本人は軽く小突いてるつもりだろうがあざができてたり、デートドタキャンしたりこっちの予定に合わせないくせに元彼の予定に合わせないと不機嫌になったり…
ある時の喧嘩で頬を殴られたときに普通なら茫然としたりすると思うんだが、私はというと反射的に正拳突きを右肩に食らわせた後腕ひしぎ逆十字をかました。
上が男二人の3兄弟の末っ子で、母親に「一番男らしい」とまで言われた私。
殴られた程度でやられるほど弱くもなく、やられたらやり返す。
元彼が謝るまで技はかけてた。
技をかけるまでは偉そうだったのにケンカ終わった後はやけに大人しくビクビクおどおど。
こちらの機嫌をうかがうようになった。
別れるときに「自分より弱い奴にしか強く出れない奴は本当の弱者だ」と言って別れた。
「関節技こそ王者の技よ」と言っていたぷにえ様の言葉は本当だったわ。
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