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はてなキーワード: 集合的無意識とは

2019-08-17

Vtuberの魂はどこに宿るのか問題

個人的感想

「3Dモデルキャラデザに宿っていると思います

蛇足

Vtuberの魂がやどりうる場所リスト

・コンセプト

脚本

出資している企業

運営会社

・声の人

・声の人に演技指導する人

・外見のデザイン

・実際のモデル

ファンの心

集合的無意識

データベース

・個々の企画

インターネット

・個々の動画

アカウント

過去

未来

現在

・想起された思い出の中

受け手クオリア

・語り手の都合

・魂など存在しない

・魂など存在しないが「魂」は存在する

・魂など存在しないが「魂」は存在して欲しいという祈り

2019-04-08

独り言つぶやく癖がある

30代男性。妻子あり。

独り言つぶやく癖がある。

激昂した感情漏れ出るではなく、感情の流れをそのまま垂れ流すでもない。ある定型にそった言葉がほぼ無意識にこぼれる。幼少の頃からそうだったのではなく、20代半ばにそのような癖ができた。

定型文の内容は有り体にいって情愛に関するものである

何某カナ的に誰それに会いたいであったり、誰それが好きだであったり、最も直接的なものだとセックスしたい、である

対象となる人物実在するかは問わない。むしろ実在しない場合の方が多いように思う。

この独り言がどのような心理的作用によって発せられているのか寡聞にして知らないが、独り言でなにかしら情愛の対象となっている人物に対してのその感情に偽りはないのだと思う。

まり俺は、神戸から転校してきたクラス委員長結婚したいし、ボクっ娘な真とキャッキャウフフしたいし、みくにゃんとにゃんにゃんしたいにゃあ!


今朝のことである

昨晩意図せずに早寝したせいか、珍しく誰よりも早く目が覚めた。

先週は任せっきりにしていた朝の家事今日は妻のぶんまでこなそうと思い、すぐにキッチンに向かった。6時前だった。

シンク食洗機も片付いていた。

朝食の支度をするにはまだ少し早い。

ダイニングに目をやると、麦茶ピッチャーダイニングテーブルに取り残されたままになっていた。まずは麦茶を作ることにした。

T-falに半分ほど注水してスイッチを入れてからピッチャーの底に澱んでいた麦茶シンクに流す。

じじじじじ、と電熱器が加熱される音が次第に水が沸騰する音にかき消されていく。

熱湯消毒は洗剤で洗う前にした方がよかっただろうか。

そんなことを考えながらピッチャーを洗う後ろで、ぽこぽこぽこと沸騰音が徐々にキッチンを満たしていく。


独り言環境ノイズが大きくかつ多くなればなるなるほどその存在を主張するがごとく大音量で発せられる。

「●●ちゃんセックスしたいにゃあ」

その時俺は一字一句わずこう言った(伏字部(●●)除く)


その刹那

「●●ちゃんて誰?」

T-falから溢れる沸騰音とシンクの水音を遮る声があった。妻だった。

ゲームキャラ……だけど」

間髪入れずに、半ばオートで答える。そんな俺を俯瞰している俺がいて、いつの間に分かれたかは知らないが、多分そっちが本物の俺だった。

数秒の間をおいて俺が重なり、同時に焦燥に似た何かが沸き上がってきた。

やっちまった? とうとうやっちまったな。いや何を? やってないぞ俺。いやヤりたくはあるのか。

キッチン脇を抜けてリビングに向かう妻の後を追いながら「恥ずかしいから聞き流してくれよー」と照れ隠しに笑う。

「知らんがな」と顔をこちらに向けずに妻は言い放つ。これ以上的確な受け答えはない、と思った。


そもそもである

「●●」とは誰なのか。

とっさにでた回答には往々ににして真実が含まれる。

健康アイドル姫カット貧乏お嬢様? 第5世界のイアルの子? FARGO教信者ICPOヨーヨー使い?

他に誰かいただろうか。それらのキャラクターと俺はセックスしたがっているのだろうか。

自問の答えは出ず、妻にはバツの悪いまま、慌ただしい朝の日常に呑まれていった。


そのとき俺は失念していたが、いたのである

いたというか自分で作り出していた。自分でハニーをセレクトしたカスタムメイドキャラクターを。

なぜそのキャラクターにその名がついたのか理由はわからない。

集合的無意識によるものかもしれないし、チュパカブラ様のご神託だったかもしれないし、或いはそれが世界選択だったのかもしれない。

ともかく、●●という名を持ったセックスしたいキャラクターは存在していたのである

自身への疑問は解消した。しかしこれをどう妻に説明しようか。既存キャラクターでも大概だというのに、自分クリエイトしたキャラクターである

ただでさえ性的に拗らせた感バリバリなのに、(控えめに言って)もっと面倒なヤツ扱いされはしないだろうか。

いやそれ以前に説明する機会は訪れるのだろうか。

まずもって俺は今日どんな顔をして「ただいま」と言えばいいのだろうか。

2018-10-18

彼女ゾンビ化したので殺して別れる映画

「死んだ彼女ゾンビ化して戻ってくるんだけど

 段々異常行動起こしたり臭くなったりして

 別れようとすると怒るから別れられなくて

 そのうちに彼女が人を襲って犠牲者が出て

 最後彼女をぶっ殺して墓に送り返して

 新しい女と仲よくなる」



全く同じ筋書きの映画複数あるんだけどなんだこれ?

話の筋やたどるポイントがあまりにも同じ

また、ゾンビ彼女を始末することはしかたがないとしても

その過程で(別れる前に)新しい女と仲よくなってて

ゾンカノを始末したエピローグで新カノと楽しそうにいちゃついてハッピーエンドという

なんか引っ掛かる終わり方なのも全く一緒



これはミソジニーなの?

イザナミイザナギ集合的無意識なの?

ちなみに全部評価ボロクソのクソ映画

2018-09-13

anond:20180913100434

そこには同意可能だけどこのツリーに全く関係ない話を急に始めて一体どうした

おまえのおきもち集合的無意識にでも接続されてんのか

2018-03-23

歴史はなぜ繰り返すのか」疑問な君へ

俺も同じように疑問だったんだけど数年前やっと気づいたので、

もし君も同じ疑問を持ってたら助けようと思う。

 

結論から言うと、人間死ぬから

 

人間基本的性質、この場合脳の仕組みとか心の仕組みとかは変わらない。

人間には集合的無意識存在することを証明した有名な実験として、

ブーバ/キキ効果、Bouba/kiki実験というものがある。

これは色んな社会、年齢性別ときには他と交流のない未開の地域にて

丸い曲線とギザギザの直線とからなる2つの図形を見せた後に

「どちらがブーバで、どちらがキキか」と問うたところ、

98%で「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答えが返ってきた。

これはいかなる言語体系でもブーバが丸い曲線図形で、キキがギザギザ曲線をイメージした解答が得られた。

 

まり人間の持つ、ハードウェアとしての性能は人種文化わず、実は一様にして同じなのだ

この状態有史以来、いや有史以前からずっと続いている。

そうすると当たり前の話だが歴史の中で同じような状況に同じ性質を持つハードウェアが置かれた場合

本人が意図せずとも歴史において過去あったことと同じことをなぞろうとしてしまうのだ。

何故なら、それが人間にとって最も自然な反応だからだ。

 

からこその「愚者経験から学び、賢者歴史から学ぶ」のだ。

歴史人間ハードウェアが引き起こす問題や失敗を既に体験している。

自分が歩いた道が誰のものでもないと思うのは幻想であり、実際は似たような、まるで同じ体験歴史は既に繰り返している。

からこそ多くの歴史を学ばない者たちは、過去歴史と同じ失敗を繰り返す。

心の未解明問題について脳という器官の特性についてのハードウェア問題物理現象確認できない意識についてのソフトウェア問題と分けられるが、

俺は人間寿命による経験という蓄積の消失人間ハードウェア問題と呼んでいる。

でも人間進歩してきてるのではないか、と君は反論したくなるだろう。

進歩しているのは人間ではない。

先ほど述べたように、人間ハードウェアとして経験性質を引き継ぐことができない。

いくらDNAに多くの情報記載することができたとしても経験を産まれ子ども転移させることはできない。

ところがソフトウェアである学問、つまりテクノロジー人間ハードウェア問題を超えて引き継ぐことができる。

そう。

人間文字発明したときから他の生物と全く別の道を歩み出す。

ソフトウェアとしてのテクノロジーは後世に伝え続けることができ、寿命がなく、永遠に進化し続けることができる。

文字として理論技術は残され、誰もがそれを参照・学習することができる。

誤りがあれば訂正され、さら合理的効率的革新的理論により進化を進める。

人間は既に生物的な進化を終えていて、進化テクノロジーに引き継がれた。

人間にとっての子孫とは、テクノロジー進化させるための、ただの薪に過ぎない。

 

からこそ、福沢諭吉勉強しろ、と言ったのだ。

人類の英知はまさに、テクノロジーのものを言う。

芸術もまた学問ではあるが人間集合的無意識において働きかけるものであるため、

時代を変えて同じような音楽絵画が溢れてしまうのは当然のことと言える。

コンテンツの発展は既に新しい感性の発達よりも

テクノロジーによる補助なしでは達成されないものとなってきた。

これも人間の心というハードウェア自体進化していない証左である

 

結論に戻るが、

人間は死を持ってして、経験という名のハードウェアとしての蓄積を終了させる。

歴史を学ばないもの人間集合的無意識に沿ったいつかの時代の誰かの失敗を繰り返す。

そのため歴史を学ばないものが大多数の社会は、また同じ過ちを繰り返す。

唯一、人間進化を代行してきたテクノロジーのみ、過ちを繰り返さず前に進むことが許された。

人間文字発明し、進化委託した瞬間から人間生物進化をしておらず、

故に歴史必然的に繰り返されるものとして記録され続けている。

 

しかし成長・進化しない人類という種によってテクノロジー自体妨害なしに進化し続けてきたとは言い難い。

またどれだけ優秀な頭脳を持つものが現れても死ねばそこでおしまいだ。

からこそ、AIシンギュラリティを引き起こすと信じられている。

人間ハードウェアとしての進化が終了し、テクノロジーは新しい依り代を求めている。

死なず、忘れず、疲れず、天才を超える頭脳を持つ。

テクノロジーは新たな考案者として、考えるAIを求めているのである

2017-05-02

戦争が無くならない理由

狭い日本の中でも色々な争いがあるんだもの

現実でもネットでも。

そりゃ無くならないよ。

ハーモニーみたいに人にデバイスぶち込んで

最終的に集合的無意識みたいな感じにしないと無理だわ。

それか都市と星みたいな。

2016-10-16

おっさんなのでペルソナ5ストーリーに乗り切れなかった

ペルソナ5ストーリー違和感の話。軽く重めのネタバレが入ります


ペルソナ5、終わった後「うーん」な感じが拭えなくてツイッターやらamazonレビューやらで感想探ってたら、なんとなく自分と近い世代のオッサンは割と同じような違和感を感じており、その一方で、ツイートの様子からたぶん学生くらい?と思われるユーザーに向かって徐々に絶賛度が高まっている傾向があるように感じた。


そこで何の感じ方が変わるかっていったら、やっぱり「社会悪正義の捉え方」が一つ鍵なのかなーと。


P5の主人公たちは、基本的には、アウトロー

学校を含めた大人社会への適合度が低く、何らかの形で暴力差別迫害を受けている。登場人物全員がそういうバックボーンを持ってるって時点で、3や4とは一線を画してるなーと思う。そういう設定事態はすごく好みだった。

そして、最も身近な学校の不当(と当人たちは感じている)支配構造に反発し、ゲリラ的な手段でそれをはねのける手段を得る。それが怪盗団。

怪盗団は、抑圧に対抗する手段であると同時に、彼等の居場所にもなった。彼等は、自分たちが手にした力の使い道を探す過程で、また別の被害者を探し、弾圧側を排除して仲間を増やしてゆく。


ここまではいいなって思うんです。

「闇に隠れて悪を切る」の義賊的な怪盗感が有効に働いてる。

特に祐介のエピソードコミュが好きで、彼はゲーム終盤まで割り切れない思いと向き合わされる事になり、結果、そういう人間の複雑さを受け入れる。立派な奴だなあーって素直に感心した。


でも、物語全体で見ると、徐々に違和感は拡大してて、

私たち、これでいいのかな。正しい事をしているのかな」

「悪いヤツを改心させる事が間違ってるわけがない」

的な会話が言葉を変えて何度も繰り返される。

まり、彼等はまだまだ精神的に未成熟さが残る学生なので、自分たち行為が「原則として誰にも咎めようがないものである事に、自分で耐えきれてない。

そこにどう落とし前をつけるのかなーってずっと思ってたんですが、つかなかったんですよ。

途中からターゲット自分たちと直接関わりのない著名な組織及び個人に変わり、そこから物語の掛け違いが発生してるように感じる。


そもそも、P5の主人公たちが持っている力って

個人精神世界に入り込んで人格を直接攻撃し、歪んだ欲望消滅させ、改心させる」って、率直に言って「社会的リスクを伴わない洗脳」ですよ。

暴力of暴力です。

自分たち被害者である間は正当防衛になるけど、直接関係のない相手だと話が違ってくるように思うんだよね。


劇中における「善悪」の基準もゆるい。

P5は、人の良き悪しきをテーマの中心に添えながら、その結論を完全に持て余してると思う。

最初は「自分たち被害を覆すために」やっていた行為が、最後の方では「悪人だと思うからこらしめてやりたい。」が先に来てて、そのためにパレスを探す…みたいに、完全に手段目的が逆転してる。

『怪盗をしたいか悪人を探す』って、ノルマ目的犯人でっち上げ警察みたいなもんじゃいか。見ようによっては、劇中の誰よりも怪盗団が一番の『悪意なき悪人』ですよ。

そしてp5の主人公たちには、その客観性に耐えうる精神的強度がない。

それを物語的にうまく隠そうとした結果、終盤に行くにしたがって、ターゲットたちをどんどん単純なテンプレ悪人化させるしかなかったんじゃないかって思う。

鴨志田とか斑目って大人としてのずるさ、邪悪さの深みみたいなのがあった悪役だと思うんだけど、なんかシドウってそのへん随分単純だったよね。演説直後のシーンで、衆人の前で普通に「クソガキ」とか言い放っちゃうし。


シドウをカモシダやマダラメと同じくらい人間味があるキャラにしちゃうと、主人公たちの正当性を立てるのが難しくなるから」っていう逃げにも見えちゃう

正義」「世直し」ってワードが後半に行くに従って増えてるように感じるのも、シナリオの都合で主人公たちを正当化するために無理やり連呼してるのかな、とか勘ぐったりして。


主人公たちが迷わなかったとは思わないけど、終盤やっぱり、どこか「悪いやつは倒していいんだ」っていう単純化にぐっと話が移動してた感は拭えない。

それをペルソナ世界正当化ちゃうのか、っていう。

善悪あくま相対的もの」という、女神転生シリーズが元々持っていたセオリーを真っ向から否定してないかなと。


シドウを倒した後の展開がまたキツイ

シドウが真なる悪人であったのか、彼を改心させる事が本当に正しい事だったのか。

それを判断するのは「主人公たち以外のみんな」であるべきなんだけど、p5はそれすら放棄したんですね。

聖杯という「集合的無意識」に人格を持たせ、それを全ての元凶とした。

これ、逃げだと思いますよ…


シドウを倒した、でもシドウの支持率が下がらない。

なぜならそれは『事なかれ主義が具現化した悪神のたくらみだから』」

って…


そんなん「衆愚は正しい判断を下せない」っていうのを、遠回しにdisってるだけやん!

怪盗団支持率100%とかも、まあコミュレベルの高いゲストキャラが心から怪盗団支持を主張するのは分かるんだけど、それ以外の大多数からしたら「噂程度に存在していた怪盗団がなんかこのピンチ解決させてくれるらしい」ってだけだし、勝ち馬に乗る勢いだけの演出で、あれを「怪盗団が支持されている」ことの演出としてはとても受け取れない。


いや~ちゃんとシドウを改心させた事実としっかり向き合うべきでしょ?

悪人内面がどうあれ、結果として行われているのが「強い国を作るための改革」なんだったら、その手立てを失った事のフォローをちゃんとシナリオでして欲しいわけよ。

それとも「心が汚い人間がする事は絶対に間違ってる」みたいな話なの?

「心が清い人間がやったことな洗脳は正しい」って話なの?

それこそ暴力的差別でしょうよ!!!!!

(一応、主人公シドウは因縁があるんだけど、でも物語的には明らかにまず『シドウ倒す』が先にあって、『ついでに主人公の仇だった』って流れになってると感じる。完全に主人公私怨として戦って、結果それが世直しになる、って方がまだ納得できたかな…)


自分はp3やp4やったときもそこそこオッサンだったのが、3と4は5に感じた違和感ほとんどなかった。3と4の主人公たちははっきりと自分または親しい仲間のために戦ってたから。

それが「社会」「正義」が絡んできた時、そこまでの強度をペルソナ世界観は持ってなかったんじゃないのかなと、そういう事を思ったわけです。


とかなんとか書いたんだけど

ゲームとしてはしっかり面白くて、最後まで楽しんだし、80時間かけてゲーム部分は楽しませてもらったなーって思ってる。

ペルソナって開発者側も「ジュブナイル」って言ってるように、10代または20代に響けばそれで成功してる世界観なんだと思うし、ターゲット層がなんかしら考えさせられたり、勇気をもらったりしたらそれで充分成功なんだと思うし。

おっさんなりに、3と4やって感動した感じを5にもうっすら求めてたら、5はそういう作品ではなかった、自分が筋近いの期待してた、と、そういう話です。

2015-04-06

集合的無意識の代弁

東京都内エイズウイルス感染者が20代で過去最多になったというニュースが出回った(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150406/k10010039611000.html)。

発症した患者を合わせると前の年より43人増えて512人となり、過去3番目に多かったということです。このうち、96%に当たる496人が男性で、推定される感染経路では性的な接触が大半を占めているということです。

ニュースでは触れていなかったが、ソースと思われる東京都の発表(http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2015/03/60p3v100.htm)でも指摘されているとおり、「同性間性的接触が72.9%を占め」る。

男性間の性的接触がHIVの最大の感染源であるという結果は、厚生労働省が行っている全国規模の統計でも出ている(http://api-net.jfap.or.jp/status/2013/13nenpo/hyo_02.pdf)。


昨今では、同性婚やLGTBの市民権を認める動きが世界中で広まり日本でも急速に法制化が進みつつある。

相手が異性であれ同性であれ、愛する人と共に過ごすことはすばらしいことだろう。

しかし上記の統計は、同性間の性交渉を行う人々があきらかにHIVウイルスの標的となっていることを示している。

HIVウイルス自然からまれものだとすると、これは同性間の性交渉を不自然ものとして淘汰しようとしている。

人類が「文化的」に「成熟」し、同性間の恋愛性交渉を「自然」なものとみなす社会的運動をどれほど強めても、HIVウイルス代表される「自然」はこれを厳然と「不自然」なものあるいは自然エラーとみなし、淘汰しようとしている。

同性愛社会的認知肯定する動きがどれほど世界中で高まっても、悠久の自然はこれを一時の熱病とみなして、沈静化にかかろうとしているのである

エイズ根本的な治療法が確立されたとき人間自己自然すらも改変し、「不自然」を「自然」としてゆくのだろう。



といったようなことを、今日ニュースを見た人のどれだけがぼんやりと考えたが、はっきりとは口にしなかったことだろうか。

2015-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20150127223714

もちろん「市民」を管理するのは国家機関ではない。日本国民集合的無意識が具現化した何かになるだろう。ニッポニア・ニッポンとでも呼ぶべき存在

2014-11-30

集合的無意識インターネットを使って俺を殺そうとしている

いま何か努力してモノにしないとこの先生き残れないことがわかっている。しかも今の自由な期間に期限があるということもわかっている。

それにも関わらず、俺が部屋から出ずに何もしないのは、自分の部屋に閉じこもる居心地が良すぎるからで、さらに言えば俺に何かをしたいという動機がかけているからなんだけど、それにつけても俺は何かをしなければならない。

しかし何もしない。いや、正確には好奇心に基づいた何かをしようとする。とりあえず目の前のテキストを読もうとする。タスクを消化しようとする。

しかスマートフォンが普及した現在、頭を使わなくていいコンテンツが止めどなく更新され続けるようになった現在においては、我々クソワナビ集中力の持続は困難を極めた。

一頁読みすすめるうちにスタミナが回復し、アプリを起動し、30分溶かしたのちに忘れてしまった一頁をもう一度読む。これを何度か繰り返せば図書館が閉館する。さらにこれを数百回繰り返せば一年は消滅する。

ところで、俺が思うに、ヒューマニズムにもとづいた自由社会に向かう現代においては、自律した生産能力のない人間・与えられた課題を50点でこなすことしかできない人間生き方は虚しい、という価値観が広く共有されつつあるように思う。

虚しいのはよくない。そしてできればそういうものは無くなって欲しい。

そういう集合的無意識産物こそが、インターネット上に無数に存在する、永遠に時間を潰すことが出来るコンテンツであるのではないだろうか。

Makerブームの本とか読むと、インターネットやいろんな機器発明によって誰もが好きなものを手軽に作れるようになった現代は最高みたいなことがかいてあると思うんだけど、それは現代の一側面でしかない。誰もが手軽に好きなものを作れる一方で、誰もが手軽に人生を棒にふることができるようになったというのが正しい。

自分意志自分人生を決めることが出来る人間けが高度な技術でそれを実現し、そうでない人間は高度な技術によって時間を潰し酔生夢死に陥る。そうすることによって無生産人間社会的に低い地位へ流れていき、粗末な人生を送る。とうぜん子孫は残せない。

こうすることによって21世紀も後半に差し掛かる頃には、生産能力のない人間は淘汰されきるだろう。

そういうことを考えて、人生が粗末なのは嫌だな、と思ったので、俺はもがくことにした。

しかしそれはいまのところ失敗し続けている。なぜか、それは俺が生産活動を行うためのツール、つまりパソコンなんだけど、これが時間を潰すためのツールでもあるからだ。

たとえばブラウザ上で動くものをつくりたいと思ったときweb上の気になるサイトの要素を右クリックすればインスペクタでそれがどのように記述されて実現されているのかがしれたり、Ctrl-kを押した後に作りたいもの入力すれば過去の事例や体験談ソースコードがすぐに見つけられたりするんだけど、それとほぼ同じ動作でTwitterを開いたりdアニメストアを開いたりxvideosを開いたりすることが出来る。そしてほとんどの場合、1時間後にはソースコードを読む気力を全て失った人間デスクの前に座っている。

ブラウザで何を入力するのかということに俺の人生がかかっていて、今のところそれに失敗し続けているということがわかる。

そもそも俺は何かをしたいのか、何もしたくないのか、ということを考える。

当然俺は何かをしたい。できるだけ面白いことをしたい。そしてそれを実現するための方法は広い意味での創作活動しかないように思えて、そのための一番身近なツールPCであることもわかっている。しかし俺はそれを活かすことが出来ない。何も出来ない自分に苛立つ、しかし結局何も出来ない。

こうして踏まえてみると、俺が何かをしたいとか創作活動をしたいと思っているという最初の欲求自体が間違っていたのではないかと思えてくる。そうなのかもしれない。

俺はできるだけ何も考えたくなくて、インターネットエロコンテンツを眺めて過ごしたいだけなのかもしれない。しかしこのように明文化してみると、さすがにそれはないだろと思う気持ちもある。

堂々巡りするばかりで、何も決まらない。助けてください。

2013-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20130501002244

思うに、ちょうど自分しか理解できない、こんなヘンテコリン物語自分しか受け入れることができないんじゃないかな?と思わせるようなバランス絶妙なのだろうと思う。

ゲームの謎解きで、この宝箱は俺にしか見つけられないのでは?と思っていても、8割くらいのひとは同じように思いながら見つけているというあのバランス

同意

ハルキストに怒られそうですが、自分村上春樹大衆的だと感じてました。

もちろん娯楽作品という意味ではなくて、誰もが自分のことのように語りだすのは、集合的無意識コミットする作品なんだと。

世の中でヒットしているもの全てに同じ事が言えますが…。

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