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「痛い思いさせればいなくなると思った」路上生活女性殺害事件 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724471000.html
これで何度目だ?
いい加減に気づいてくれ!産まれてくる男性が減ればこういった悲劇が減るということに。
そして、産まれてくる男性を減らすのは簡単で、産み分けを導入して各家庭に委ねればいいだけってことに。
単純なことなんだ。
「痛い思いさせればいなくなると思った」路上生活女性殺害事件 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724471000.html
ていうかはてブってこういう卑劣な犯罪のブコメ欄こそが見ものよね。
うっかり差別心むき出しのコメントする人とそういうのに☆つける人が沢山出てくるから。
人間は自分が正義の味方になった気持ちの時ほど差別心を剥き出しにしちゃうってのがよくわかる。
(卑劣な46歳の男がホームレス女殴る時の気持ちよくわかるんじゃない?このブクマカたちは。)
tobalno1 こないだ話題になってたマジモンの人生無理な人そのものって感じだ。周辺住人には大人しく接する一方、自分より弱くて抵抗しなそうな人には平気で暴力を振るう…こういうタイプは本当に扱いが難しい。
2020/11/21
これさあ
こないだの「限界発達障害オス」みたいな話のnoteや増田の記事のこと言ってるんだよね。
うーん、いや本当にそうなの?
この46歳が発達障害なのかとかまだ何もわかってないよね?
それで厄介な発達障碍者がみんなこういうことするわけでもないよね?
私はこれもう完全に剛速球ストレートの差別だと思うけど違うのかな。
「ああーはいはい、こいつチョ〇でしょ」「こいつ部落だぜ」って前提で話を進めるのと全く変わらないよね?
そして仮に犯人がその属性であっても、その犯行内容と在日や部落のような属性を安易に結び付ける言説は完全にアウトだよね?
このあいだのnoteや増田での一連の「限界発達障害オス」の話は確かに迫真のリアリティがあったよ。
でもその行動や特徴本当に発達障碍者の特有のものなの?ってツッコミはブコメにもあったよね。無視されがちだったけど。
増田なんてもっと酷くて、書いてる人の身元すら証明されてない与太話で、
仮に自称通りの経歴の人であっても彼の体験談や心証は、科学的医学的に証明された何かでは全くないわけじゃん。
個人的にはあのレベルの「証言」はヨットスクールの校長が得々と自分の業績や教育論ぶってるのと何も変わらない怪文書だと思うんだけど
あれを与太話より意味のあるのものとして受け取ってる人達本気でヤバくない?
普段のネットリテラシーとかニセ科学的言説へのリテラシーどこ行っちゃったの?
「なんとなく目にしてきて不快感を持ってきた不快な男性がやはりそういう有害な障碍持ちの診断書付き劣等であった」
というストーリーが気持ちいいからあんまり正確性疑わずに信じ込んじゃったとこあるよね?
卑劣な犯行の報道を見たらもう「ああ、アレね。あの種類の奴等ね。」
これもう完全に勢いがついてるよね。
HIMOTE_no_MATSURO 46歳にもなってママに連れられて出頭、というあたりにはてなで時々噴き上がる「非モテ男性様にも“平等に”女をあてがえ!」の背景が推察されてしまうのが哀しい。受刑施設での更生がよい公助になるといいのだが… 男性
2020/11/21
これももう滅茶苦茶だよね。
まず、マザコンでも何の犯罪もやらずにまっとうに生きてるマザコンはごまんといるよね。
そこからのはてなで噴き上がる非モテ~というのは更に繋がりが意味不明で
これはもうよくある差別主義者の頭の中だけで繋がりがある事柄がパズルのピースのようにはまっちゃうって言うアレだよね。
☆付けてる人達も、単に普段から自分が憎んでるもの見下してるものの全部盛りセットだから気持ちいい!っていう快感だけで☆付けてるでしょ。
「ホームレス殴る卑劣な犯人」と「マザコン」と「はてなで噴きあがる非モテ」の論理的なつながりが全く分からないもん。
いや私の中では自明なこととして繋がってるんだ!っていうかもしれないけどそれは単なる差別感情のセットです。
あとちょっと話それるんだけど、一緒に暮らしてる家族の付き添いで出頭なんてざらにあるのよね。
家族に相談して「出頭して!」ってなったら一人で行かせないから付いていくよねそりゃ。逃げたり自殺したりする心配あるから。
奥さんが付いていったり夫が付いていったり交際相手が付き添っていったりってよくある。
父親が死んでるから残る身内の母親が付き添ったら「○○歳にもなってママに~」っていうのどうなんだろうね?
親と同居してるとかマザコン(というのも決め付けだけど仮にマザコン)とかには
こうやって「○○歳にもなってママに~」という侮蔑のコメントに☆つけちゃうんだから、
あなたたちの言うサベツハンタイ多様性ソンチョウってなんなのよ。
特にこのhttps://b.hatena.ne.jp/HIMOTE_no_MATSURO/っていうブクマカはアイコンやidでもわかるように
強烈なミサンドリーの為に作られたアカウントで「差別されるべき劣等生物中年童貞」を侮蔑するコメントしかしていないという強烈なヘイト垢で
卑劣な殺人事件を好機として這い出してきたこれにまんまと☆付けちゃう人達は本当に、どうなんだろうね?
今回この発達障害差別・中年童貞差別・マザコン差別に与したこの人達はもう
差別とかヘイトとかについて批判的な声を上げる資格はないよね。
あれっ
2020/11/22
上のちんちん丸出しの差別野郎全員足しても足下にも及ばないまともな知性の持ち主です。
正義のイキドオリで差別心丸出しにする何の役にも立たない憎悪駆動のバカの人達とこの落ち着いたコメントの人
知性や人格で言ってノミVSダイダラボッチぐらいのスケール差があるわけです。
Q_saku 嬉々として女差別してる人々が自分に向けられた差別にだけ「(俺たちだけへの)差別はいけないだろうが!」とヒステリックに文句言ったところで「で?」としか。自分の身振りを変えないなら死ぬまで堂々巡りですね。 鏡見てろ
えっ
「嬉々として女差別してる人」って誰のこと?
1.これを書いてる私?
2.発達障害の人?
4.マザコン?
5.親と同居してる人?
まず1の、増田である私はここで女性差別的なことを書いたつもりは1ミリもないんですけど、
もしも「ここが女性差別だ!」っていうのがあるなら具体的に抜き書きで提示してね。
誤字脱字以外書き換えたりしませんので(ていうか誤字脱字すらめんどいのであんま直さない)。待ってます。
もしもさあ、
ここに書いてあることどうこうじゃなく「私の楽しいクソオス差別を注意してくるなんてミソジニー人間に違いない!」とかいう話なのであれば、
もう即刻はてなやtwitterのアカウント消して病院かお寺行く方がいいと思うよ。
してる人もいるししてない人もいるよね。
もしもあなたが女性で発達障害の人から直接女性差別的な扱いを受けたことがあったとしても
(これはかなり疑うけど。ネトウヨの「在日から被害を受けた」エピソードぐらいには証言者の動機や認知が信用できない。)
あなたが復讐していいのはあなたに嫌なことした当該発達障碍者のみ。
それ以前にさあ、だっせえ八つ当たりはやめよう?
ネトウヨ「俺は在日から危害加えられたことある(うそくさ―)から在日は全部認めてないしあいつらゴミ。在日差別されたくなかったら在日が改めろ。」
Q_sakuさんが言ってるのは↑これとどう違うの?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724471000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201121/k10012724471000.html
男性は「ニュースで事件のことを知り、被害者の女性の冥福を祈りたいという気持ちで訪れました。路上生活をしていたと聞いたので、飲食に困っていたのではないかと思い、きょうはパンと温かいお茶も持ってきました。悪いことは何もしていないはずなのに、このような被害に遭ってしまいとてもかわいそうです。容疑者が逮捕されたということなので、しっかり罪を償ってほしいし、女性のように路上で生活している人たちにも寄り添える社会であってほしいと願っています」と話していました。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であることをうっすらと理解した。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(おじさん達の家の棚の写真)
(おじさん達の竈の写真)
(おじさん達の物干し台の写真)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
夫婦でホームレスの取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為は奇行と捉える人がいても不思議ではない。
現在は夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトのきっかけは妻である私の原体験が基となっている。
20年以上前、新宿駅の地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。
今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌を安値で売る者すらいた。
その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボールの小屋だった。秘密基地の様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。
そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである。
これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。
興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネットの検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。
検索結果は田舎のホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。
2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事を支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である。
初めて会う相手に自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去の情報を他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情を配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。
これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦の第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。
A氏はホームレス支援の活動として、インスタント食品や保存が可能な食材、周辺のパン屋、農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動は不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。
我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒、作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。
食材と日用品を仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。
A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。
A氏からのアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。
失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。
(家の写真3枚)
おじさん達は森や河川敷に個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。
ダンボールや古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。
突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。
一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。
それはそれまでの日常では出会ったことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。
自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。
2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。
おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。
このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。
「家がない」ところから「生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。
興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎の河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、
それまでの偏見と先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。
車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。
おじさん達の暮らしは時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。
勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。
家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的な安心があることは否めない。
我々夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。
我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれた生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。
出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ。
ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。
その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活と普遍的で同じであるかという事を探していきたい。
取材を始める前に我々が抱いていたような偏見や先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。
今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心の生活からは程遠い。
不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。
暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。
取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレス」から「不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は
彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間で生活する力を持つ、普通の人々である。
いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。
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こちらの投稿のベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります。
筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。
これを描かれた筆者は更に若い中学生や高校生が、社会の偏見でホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。
華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図を勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/656595/
「食べ物ください」コロナで解雇、路上生活の末…恐喝未遂の女に刑猶予 (2ページ目)
「食べ物ください」コロナで解雇、路上生活の末…恐喝未遂の女に刑猶予(西日本新聞)https://www.nishinippon.co.jp/item/n/656595/
「食べ物ください」コロナで解雇、路上生活の末…恐喝未遂の女に刑猶予|【西日本新聞ニュース】
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/656595/
この記事についたブコメに「相談や生活保護は恥なのに物乞いは恥じゃないのか?」という疑問の声が複数みられるので解説する。自分にはこの被告の気持ちがよくわかるから。
物乞いは助けを求めた相手から『許可をもらって、正当に』金や食物を得ることだから恥ずかしくない。
しかし社会保障に頼る事は『税金を納めている国民から許可を得ていないのに、働ける体があるのに働かず、金を不正に搾取している』という感情が湧くから恥ずかしいのだ。
長い不況を底辺の負け組として這いずって生き、上級国民と社畜のあいだで飛び交う自己責任論を内面化した人間には珍しくもない思考回路だ。
もちろん道義的に見てそれは誤りであるが、世間の目や空気というのはそういうものだ。
働ける体があるのに働かないで金を得るのは恥である。「不正受給」だから受け取る資格はない。
そういう人間がそれでも自殺をせずに生きていきたいならどうするか。衣食住をただで受け取る資格を得るにはどうするか。
犯罪者になって刑務所へ行けばいいのである。「罪人を更生させるという名目で、犯罪をした国民ならば誰でも平等に養ってくれる施設」で。
自分は件の記事の1ページ目で、この被告が執行猶予になったと読んで「かわいそうに」と思った。実刑にしてもらえれば生きられたのにと。
しかしどうやら現在は「一時的に宿泊場所や食事が提供される法務省の『更生緊急保護』制度」というものがあり、そこで被告が支援を受けられていると知ってほっとした。
(まあでもこれ、軽くググってみたら困窮した被告や受刑者が対象みたいで「結局救いは犯罪かよ!」と肩を落とすしかなかったのだが……)
とりあえず、低級国民とはいえこの被告と比べたら天国のような暮らしをしているクソザコ底辺労働者の自分としては祈るしかない。
命を守ってくれ、新型コロナにかかって死ぬ人間だけじゃなく、新型コロナのせいで職や金を失って詰みつつある人の命も守ってくれと。