はてなキーワード: 質問とは
サイコーと答えることにしたが、それがベストな回答というかしっくりくる回答だと未だに思えずにいる。
私は周りよりも比較的早く結婚したお陰で、そんな質問を話のとっかかりとしてされる。
オープン過ぎる質問は罪だなと思いつつ、これに対して、ほぇーと思われるような回答をしらっとしたいがために、一旦ここに自分の考えとか思いとかを書き殴って整理させていただきたい。
この質問する相手は、もちろん未婚の方々である。結婚をすでにしてる人は自分が経験しているわけだから、結婚ってどいうものなのかは、わかっているので質問はしないわけである。
そしてこれは結構自信があるが、結婚した人間はかなりの高確率で拍子抜けすると思う。なぜなら、婚約の紙をだして、氏名が変わる場合は各所のカード手続きを行い、ありとあらゆるところで新しい性を名乗る。言ってしまえば、ただそれだけのことだからだ。
何か新しい能力が備わり、社会から圧倒的に優遇されるわけでもなければ、パートナーと一緒にあるとき時のみ幸福度が20%アップ!とかがあるわけでもない。
そして当たり前のことではあるが、結婚なんて、その人その人によって変わってくるわけで、結婚してみたら相手がものすごく家庭的で、毎日が色鮮やかになることもあるだろうし、高圧的な態度で日々の生活に鬱憤が溜まることもあるだろう。ただ、どうなるかはしてみないとわからない。
質問者も結婚しようかなということを一度でも考えたことがあったから、結婚について質問をしてきているわけで。
とどのつまり、結婚なんてその時点で見えている情報で、相手と一緒にいたいかどうかにかかってくるわけで。やってみて見えてくるものがたくさんあるだろうにと思う。
そんなこと言ってしまったら、相手はほぇ~ともならんだろうし、一番の特効薬は、相手がどう思ってるか、を聞くことなのであるのは重々承知の上で話を進めて行きたい。
その次の段階として、一緒にいたいだけならば、別に結婚しなくても一緒に居れますよね理論への対策が必要になってくる。
そらそうだと返してしまえば、もうそこで試験終了QEDになってしまうので、ここでも会話を楽しむためにも他の言葉を紡ぐ可能性を探っていきたい。
そんな小生意気なことを言っちゃうやつらには、ずっと一緒に居たいと思っているのに、結婚しないのはなぜですかと問いたい。
うまいもんもまずいもんも、怖いことも楽しいことも、悲しいことも嬉しいことも、一緒に体験してやるよって赤の他人が誓いを立ててやるよって言ってるのを、嬉しいと思わない人間がどこにいますかってはなし。
漫画でいう、僕だけはあなたの味方だからを書面で実現しちゃおうぜ、が結婚なわけよ。
結婚を相手と想像した時に心のそこから力が湧き出てくるような、感覚が生まれないのであれば、そら結婚じゃないかもねと思うわけ。
つまり、結婚ってどうなんですかの回答は、人生の主人公は自分だよって思わせてくれて、生きているということが、いかに感情の揺れ動くものであるかをより色鮮やかにさせてくれるものだよねってことだ。
ああ、じゃあ、端的に言ってサイコーで合ってるのかもしれないな。
エコーニュースは、東大卒イケメン既婚者の音無ほむらが運営するニュースサイト
ほむらは暇空茜が有名になる以前から女性支援団体の会計が怪しいという疑惑を提示しており、いわば暇空のcolabo追求はほむらのパクリである
お株を奪われたわけだが思想的には非常に近いため、ほむらと暇空はブロックしあったり解除したりを繰り返しながら絡み合っている
ほむらは仁藤が高校生の頃のフランクフルトを食べている写真を「フェラ顔」と称したり、高校時代の水着姿の写真を特に好んで繰り返し貼るなどしていた
関係ないが、暇空茜の弁護士の垣鍔晶も仁藤の高校時代の水着写真をよく貼っていた
エコーニュースは大した儲けにはなっておらず妻が大黒柱だったが、ある日突然妻は子供を連れて家を出てしまい、ほむらはますます女性への憎しみを深めている
ほむらが「colabo大量脱税」などの動画を出したことについてcolaboはほむらを訴え、本日結審
双方に30分の質問時間が与えられたが、ほむら側弁護士は15分で終わる
「colaboは保護した少女を住まわせるためのアパートを所持しているが、自分の所持するアパートに保護した少女を住まわせるのはいかがなものか」と主張
神田も優秀な弁護士だが、淡々としてるので、タンゴ系弁護士の神原とは相性が悪い
40分ずっと、仁藤弁護士の神原が「これはどういうことですか?」と聞き、ほむらが「わかりません」と言ってばかり
ほむらは「colabo大量脱税」と動画サムネイルにつけていたが、業者が勝手につけただけで僕はわかりません
発注したのは僕だけど動画もサムネイルも業者がつくったから僕はわかりません
裁判官3人でヒソ( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
神原「大量というのは額が多いんですか?数が多いんですか?」
ほむ「わからないです」
神原「端的に答えてください」
ほむ「額が多いということです」
神原「調査したと書かれていますが、仁藤さんから直接話を聞いたんですか?」
ほむ「聞いてません」
ほむ「聞いてません」
シーライオニング(英: Sealioning)とは、荒らしや嫌がらせの一類型であり、礼儀正しく誠実なふりを続けながら、相手に証拠をしつこく要求したり質問を繰り返したりすることを指す。
逆にメールだと、無視したり二つの質問の片方にしか答えないとか主語や目的語を曖昧にし続けてて延々とはぐらかすみたいなやり方に出たり返事めっちゃ遅かったりする奴につけいられるんだよな
25%でなんで与党でいられるんだよ、と思ったんだけど、同時に「25%だったらそりゃ与党になれるか」とも思った。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/
この辺に投票率の推移があるんだが、昭和の頃は70%台で推移していたのが、平成で60%台になり、令和では50%台にまで下がったようだ。
正直、そんなに高かったのかと驚きもした。なんとなく45%くらいじゃなかったっけとか思っていたんだけど裏付ける資料があるわけでもないのでどうしようもない。
仮に投票率が55%だとすると、45%は委任ということになる。買った政党の総取りと行ってもいいだろう。ということは、投票している中での勝負ということになる。
55%の半分は27.5%なので、こんだけの支持を集めりゃそれでいいということになる。
てことは25%の支持率は底まで慌てるほどじゃないということだろう。
この辺の支持率調査についても一体どういう調査をしているかはわからない。質問の内容とか、回答に対する反応とかそういうのもわからない中での25%なので、信用に足る数字かすらわからなかったりする。
かなり前に保守系の人が「テレビの支持率調査はかなり恣意的に行われている、例えば与党の支持率を下げたいという思惑があるときの世論調査では与党を支持する人についてはなぜそうなのかと質問攻めにするが、支持しないというとすっと終わってくれる」なんて行っていたことがある。
単なるデマゴーグじゃないなら、だけどね。
中国外務省の3日の記者会見では、靖国神社の石柱への落書きや尿をかけるような行為をめぐり、
記者から「中国人は海外でどう振る舞うべきか」と質問が出ました。
これに対し、毛寧報道官は靖国神社について「日本軍国主義が発動した対外侵略戦争の精神的道具とシンボルだ」と非難する一方、
「外国にいる中国国民が現地の法律や法規を遵守し、理性的に要求を表現するよう改めて注意する」と述べ、不適切な行動を控えるよう呼びかけました。
3月29日時点で条件が示されていればドラマ化はなかった――これは日テレの調査によって明らかになったドラマ制作サイドの考えだ。ドラマ制作した日テレは3月29日のウェブ会議において原作利用許諾を得られ制作がスタートしたと考えている。原作サイドの小学館は6月10日のメールで初めて契約が締結したと認識している。すれ違いだ。
すれ違いが多数重なったことで悲惨な結果になった本件だが、6月10日までに実際に何があったかに焦点を当てて考察する。どちらの調査報告書でも解釈の都合に合わせて省略が施されていて、突き合わせてみないと実態がわかりにくい。原作の先生がブログで示した「何度も確認した条件」は、果たしてどのようなものだったのか。どう確認されたのか。日テレは何を約束し、あるいは約束したと思い込んだのか。
なおこの考察では、日テレの調査報告書も小学館の調査報告書にもウソは書かれてないと仮定する。この後に及んですぐバレるウソをつくのはリスクでしかないし、外部の弁護士が実名で名を連ねているからだ。
引用元を(日p12)(小p34)のようにページ数を付記して示す。
(日) https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf
(小) https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf
なお文脈を補うために適宜カッコ書きで(このように)追記する。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ(小学館側は)芦原氏が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家」であるから、原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。(小p13)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他社に当面ドラマ化の意向がないことを確認し、会議で報告した。(小p13)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他局からのドラマ化の話を断ったことが説明され(日p10)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ(日テレからの原作者とどういう形で進めていくのがよいか、の質問に対して)「できあがったプロット・脚本を見ながら進めていきましょう」
(日テレ側は)本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした(日p10)
日テレはこのときにドラマ企画についての許諾がなされたと認識したらしい。
日テレの報告書には、この時点までの二度の打ち合わせではブログにあったような条件は文書でも口頭でも提示されてなかったと注記している。小学館担当者は「漫画を原作としてドラマ化する以上、『原作漫画とドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください』旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識である」と回答した。
4月には日テレから脚本家候補者の提案があり、その中に揉めた脚本家も含まれていた。
脚本家が書いてきたプロットに原作の先生が修正を加えたりした。4月中に日テレから脚本家が決定したと通知された。
4月24日
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「マストではないので、ご提案があれば随時お聞きしたい」(と添えて原作者の意見を伝えた)(小p16)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ未完部分はドラマオリジナルのエンドでよい(日p9)
日テレの調査によると、この発言は「未完部分は原作に影響を与えないよう、原作者が提案するものをベースにしたドラマオリジナルエンドで良いという趣旨で言った」とのこと。
5月19日
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ原作者としてエピソードの順番の入れ替えをしないよう脚本家に求めた。...送信メールに「 『セクシー田中さん』はキャラクター漫画だと思っています。それ故キャラクターを好きになってもらうために、各エピソードが綿密に構成されているので、やむを得ない場合以外はできるだけ、原作の流れを崩さないで頂けたら…と思っています」と記載し、編集者の立場からの希望を述べた。(小p17)
電話でドラマ化にあたってはやむを得ない部分はあるということを説明し了承を得た。(日p16)
6月6日
日本テレビ社内で 10 月期クールの日曜ドラマ化で決定になりそうだとして契約締結の段取りについて相談したいとの連絡(小p19)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ日本テレビ社内で正式決定されたら...連絡するように求めた(小p19)
6月8日
「日テレ内で『10 月ドラマ枠』で正式決定いたしました。」とメール(日p17)
(小学館社員に対し)契約の話を進めるように要請した。(小p19)
日テレの調査報告書によると、事前にドラマ化自体と放送枠は決まっていたが、初回放送日がこのタイミングで決まった、としている。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ電話で改めて、ドラマのオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合は脚本を自ら書く方法を提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。(小p21)
芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した(小p21)
「ドラマオリジナル部分は原作にない部分を描くため、本件原作者にとって非常にセンシティヴであること、本件原作者の過去のドラマ化の経験から本件原作者から提案したほうが良いであろうこと、提案の形態は、プロット若しくはロングプロット(なるべくセリフを多めに書く)とし、本件原作者が作成して本件脚本家が読み込んだ上で、本件原作者の意図を最大限汲んだ形で巧妙に脚本化できればベストであること、ただし、脚本化の過程で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本を執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことを述べ」日テレ社員の了承を得た、とのこと(日p18)、しかし日テレ社員は、
「もし脚本が芦原先生の意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生に脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定しているが、詳細プロットを書く話を聞き、感謝したことは認めている。(小p21)
原作者自ら脚本を執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことは、この時点では言われた記憶はない(日p18)
小学館のレポートでは日テレ社員は「明確な条件としてはお伝えいただいておりません」とも回答し、話があったことを否定してはいない、と強調している。
「契約書の件承知しました。(日テレ社員)より(小学館社員)から契約にあたっての 9、10 話のロングプロットの話など聞きまして、こちらとしては合意で契約すすめたいというのは(日テレ社員)に戻させていただきました」(小p22)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「脚本家の方との向き合いもあると思いますので、なかなか心苦しいのですが」との懸念を示しつつ「その先のドラマオリジナル展開に関しては、芦原先生の方から、脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案させて頂けませんでしょうか」と、提案(小p22)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「許諾の条件という程ではありませんが、はっきりとした要望としてご検討頂けますと幸いです」(日p19)
小学館のレポートは「交渉への配慮として許諾条件という程ではないとしながらも」と注記している。
「結果進めさせて頂くとのことで承知しました。9話あたりからのドラマオリジナル展開に関して芦原先生の方から脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました。芦原先生の原作の世界観もあると思いますので具体的に頂けるほうが良いと思います。(小p22)
こちらからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思いますが、その方向で進めさせてください。」(日p19)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ具体的な進め方は...(別の社員)と相談するように求め、原作利用契約は小学館から連絡するとのメールを送った(小p22)
進め方の相談の電話を...(その小学館社員)にするとメールした。
日テレ側の聞き取りによると、日テレ社員は「脚本は本件脚本家が書くものだと思っていたため、…メールにある『脚本』という点が引っ掛かった。そこで、」
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ9、10 話に関しては、原作者にプロットを書いて頂く方向で進められたらと思う旨メールにて回答した。(日p19)
小学館の調査報告書によると小学館担当者は「この提案は、プロットを忠実に脚本に起こしてもらえるならば、という前提での提案であり、この時点で芦原氏の脚本執筆を条件から外した事実はない。」とのこと(小p22)。日テレの調査にも同様の回答をしている。
「テレビドラマとして本件原作者のプロットが通用するかどうかは実際にみてからでないとわからない」旨回答し、本件脚本家の執筆したものでラリーをさせてほしいという旨伝えた(日p18)
さらに、「この時点で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本を執筆する可能性があることについて本件脚本家に了承を取っておいてほしいことは言われたことはない」(日p18)としている。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟドラマオリジナル部分については本件原作者からロングプロットの提案をしたい旨連絡があった(日p18)
それで良い旨... 回答し、...(小学館担当者に)伝えた(日p18)
高々数MBをケチってログの残らない媒体でコミュニケーションを取るのはリスクでしかない。6月9日に何が起こったかについて双方の意見は真っ向から食い違ってる。お互いがああも自分の意見を主張できるのは、相手方に記録が残ってないという確信があるからだと思う。彼らの読みは正しくて、だから結局どちらが正しいのかはわからない。真実は闇の中。ログの残らない電話だから。
・ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原作変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある。
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
...「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。
(原作者のブログ記事より。アドレスはここだった http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244 )
わたしの社会経験は豊富とは言えないけれど、小学館お墨付きのブログの「本当にこの条件で良いかと何度も確認させた」というのは誇張した表現としか思えない。少なくとも6月10日まで、原作者サイドはいろんな状況で何度も原作に従うように打診してきた。だけど「改めて」原作が脚本を書く了承を求めた6月8日以前にそれを求めた証拠を、わたしは小学館のレポートからさえも読み取ることはできなかった。そして「許諾の条件というほどではありませんが」… これが交渉の配慮から出てきた言い方なのは分かるが、「許諾の条件ではない」とワザワザ明記した要望が「許諾の条件だ」なんて認められない。これこれが条件だ、さもなければドラマ化は無しで、と言葉は強いかもしれないがビジネスの場では明確に迫るべきだと思う。
日テレ社員は6月10日のメールで「脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました」と一旦は納得してる。これは双方のレポートで食い違いがない。だけどその後に、「待てよ」と思い直して「(脚本ではなく)プロットで」と確認して小学館社員も方針に納得したらしい。しかし小学館社員は方向転換しない等とは言ってない。前提が覆れば現在の方針を改めるつもりでいた。このような『現在の方針の確認』は『契約の条件』というには曖昧に過ぎると思う。日テレ視点では脚本の話はそのメールでイキナリ飛び出てきた文言だったのかもしれない。だけど誤って受け入れた原作脚本の可能性を否定したいなら、「原作者が脚本を書く可能性は無しでお願いします」とハッキリ言わなければならなかったと思う。
小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
暇なわけないじゃん
あなたのくだらない質問答える暇があったら自分の仕事終えて早く帰りたいわ
ただでさえ忙しいのに、他人の仕事増やしといて謝罪すらないどころか仕事倍増するとか
もう一生近づかないでほしい
(でも無理すぎてつらい)
俺自身の経験からすると、「人として接していない」状態というのは相手をパラメータや概念で認識している状態のことだな。
例えば相手を「20代の若い女」クラスのインスタンスだと思っていて、だから "好きな食べ物()" 関数を適用したら "オシャレなパスタ" が返ってくると思っているような捉え方だ。
現実はそうではない。
「20代の若い女」というのは単なる類型についたラベルであって、目の前の相手が(たとえ20代の若い女だったとしても)その類型に当てはまっているとは限らない。
そして相手を一方的に「類型」に当てはめて解釈しようとすることは失礼にあたる。
相手の属性を一つ一つ聞き出して理解し(かといってもちろん初対面で不躾に質問リストを浴びせるようなことは失礼に当たる)、何かのクラスのインスタンスとしてではなく属性の総体として相手を理解することが求められる。
男女逆の場合でも、合コンの相手を「商社くん」とか「コンサルくん」とかほざいてる女もいるだろ。あれも相手を人間扱いしてないわけだ。
子どもが欲しいかもしれない状況なんだけど、自分の中でほんとに子どもを生んでも良いものか、みたいな整合性?が取れなくて、
実際に産んだ人はどのように考えて子どもを産もう!育てよう!となったのかが知りたいです。
私は記憶を遡れば保育園の頃すでに見た目のことでからかわれ、学生時代は常に容姿をきっかけにいじりやいじめを受けてきました。たしかに客観的に見てブスと言われるポジションです。
自分の容姿に自信がなく、自分の容姿によって辛い思いばかりしてきたので、この容姿を引き継がせてしまう可能性が高いことが申し訳なさすぎて子どもを産むという選択を取れずにいます。
もちろん絶対に私に似るとは限らないですし、自分の容姿を受け入れて楽しく過ごしてくれるかもしれません。でもそれは「かもしれない」の話です。
そういう微々たる可能性に賭けて私の「子どもが欲しい」欲を満たすのはあまりにも子どもに申し訳がないです。
結婚の次のステップとか、私が充実した人生を歩むために子供の命や人生を利用しているのでは?と思ってしまいます。
夫はどうしても子ども欲しいわけでもないし、何より私の健康やキャリアにも影響することなので私が納得するならどちらでも良いと言ってくれています。
自分が納得していないもの(私の場合は容姿や容姿を嘲笑する社会のあり様)を、自分にとって大切な存在となる子どもに押し付けてしまう、ということが自分の中でどうしても許せず、この気持ちを抱えたまま子どもを産むのは絶対に良くない、仮に産むのであれば客観的に見て整合性のとれる理由が必要だと感じています。
子どもを生んだ人の中にはさすがに私までと言わなくても見た目に自信のない方や、生活する上で苦労する身体的特徴や体質を持っている方もいると思いますが、そうしたものを子どもに受け継がせてしまうかもしれないことをどう自分の中で整理して出産に至ったのかが知りたいです。
ちなみにブスなのになんで結婚できてるんだ?と聞かれるかもしれないので話しておきますと、夫とは趣味を通じて知り合い、趣味を通じて仲良くなり、友人関係が5年以上続いた後、付き合い始め結婚となりました。
夫と仲良くなれたことも付き合えたことも本当に奇跡だと思っています。
分かりやすく私のブス度合いを言うと、振り返って二度見される、通りすがりの人と偶然目が合ったときにギョッとした顔をされる、は日常茶飯事です。