はてなキーワード: 賢者とは
ドラマのタイトルであるが、これは「誰もが声を大にして言いたいことだが反発も大きそうのでドラマのタイトルといういかにもフィクションというものに便乗して揺るぎない事実を世に向けて発信した」ものだと俺は理解している。
そう、誰がどう考えても世の中「人は見た目が100%」なのである。
「人は見た目じゃない、中身が大切だ」という反論があちこちから聞こえてくるようだ。
何もそれを否定したいわけじゃない。
しかし「中身は見た目に表れる」ものだし、「健全な肉体に健全な魂が宿る」だっけ?
肉体、箱、外見がよくなければよい魂、中身も入れられないのだよ。
「中身が~」と言う人たちは、本当に純粋に中身だけを見ているか?
中身を見る前に無意識のうちであっても見た目で一次選考・足切りをしていないか?
その一次選考・足切りを通過した相手のみ中身を見ている、なんていうことはないか?
よ~く思い返してみて、それでも「中身が~」と言える人だけ本当に中身を大切にしている人なのだろうが、あいにく俺程度の交友範囲ではそのような賢者のような人間は男女ともに見たことも聞いたことも会ったこともない。
もう一度言おう。
見た目に自信がない者は、見た目を磨け!
見た目が磨かれれば、おのずと自信が持て、おのずと中身にも自信が持てるようになる!
はてなの賢者達によれば現状でも社会的死にならないから、実際にやったかどうかわからないままだけどはてな民的には痴漢野郎共が勝手にトチ狂って死んだのはバカがする行為で笑ってやれってことじゃなかった?
http://anond.hatelabo.jp/20170528071247
鉄道おじのSNS活動初期はおもに娯楽色が払拭されていた社会ネタが投稿されていた。書き込みのほとんどが、ニュース情報や社会問題関連であった。
団塊ジュニア・ネトウヨ世代の賢者なイメージや社会ネタによる影響はあまりにも大きかった。だが、娯楽色が装飾し、「社会ありき」ではなくなったのが2014年の独身化以降だ。その時あったのが、アフィカス・出版ブームだった。リーマンショックや東日本大震災で職がなくなった人間が夢を求めて出版社に売り込みをかけるようになり、ライトノベルが往年の携帯小説のように金太郎飴化した。最終的にええじゃないか状態になってしまった。
原因は出版ブームに乗った人間の台頭である。政治に怒らずに人間性が没落した腹いせで、もっともサブカルの街である東京副都心や秋葉原で、成り上がり作家の広告があちこちに掲載された。中には億単位のロイヤルティを稼いだ人もいた。結果的に、今の鉄道おじはどうなったか?
社会ネタを取り上げることをやめ娯楽ネタだらけになった。露悪趣味を巡ってはあ度々炎上した。新聞で話題の記事にすら影響せず、観光列車だの宝くじだのギャンブルだの不良趣味のダシになるようなネタばかりになった。ネガティブな内容の記事はみな「自身の小中学生時代の不良経験」ばかりだ。
ところで最大の課題は、鉄道おじはこれまで娯楽論に対し偏った書き込みしかなかったことではないか。ずっとサブカルありきで、今は鉄道ありきだが、それだけが社会ではない。学問も、選挙も戦争も社会だが、それらの要素は、昔も今もほとんど皆無だ。
社会性は大人の象徴である。そのことは普通は「誰にでもあること」だ。しかし、鉄道おじだけ、社会の記事は1ミリもSNSにはみ出さず、外の当たり前を受け入れない。俺様仕様に変換したオートバイフェチや鉄道ネタが僅かにあるだけ。これは時代に合わない、負のモンロー主義である。
近いうち鉄道おじはサブカルマンセーや低質漫画・粗悪小説、迷惑競争のまとめ関連で炎上するだろう。
もしこれが炎上すれば、鉄道おじの趣味論SNSが壊滅するのではないかと思う。趣味ネタの投稿を辞めさせて子供から完全に身を引くには時間がかかるかもしれないが、炎上は迅速に可能だ。もし炎上しなくても彼が活動を休止すれば「社会が復活」することになる。
そして問題は、過去、鉄道やオートバイ以外の情報が全く鉄道おじに入ってきていないことではないか。社会復帰後のことを考えれば、鉄道おじから最も近い乗り物が自転車と自動車だった。鉄道とオートバイ、趣味や娯楽よりもはるかにずっと至近距離だ。なのに社会論が一発屋的に話題になったくらいしかなかった。
こればかりは娯楽論ではない。韓国や北朝鮮とか、経済と物質の富裕に対する精神の貧困とかも含めてのことだ。ありのままの社会が彼にあれば、一時的なネタとして以外に異なる社会が日常化する。しかしこの感覚が、鉄道おじの脳内に反映されないのである。
いまこそ、鉄道おじの「炎上」が必要ではないかと思う。鉄道おじとシンパとネットヤンキーとサブカルオタクの慣れ合い問題や、自公政権や迷惑施設を無視した鉄道ageとか、そういうみっともないことが続くたびに、いっそ「炎上して機能を停止されて」ほしいと強く願うものである。
閉ざされた露悪消費や娯楽ネタ中心の慣れ合いのムラをを壊せば、過剰に外の影響を受けた別の社会(娯楽色が払拭されたいまどきのテレビドラマやアニメや漫画やゲームや急進思想などなど)も一気に流入することができる。
それは、痛々しくて息苦しい密閉されたようなムラからネットユーザーが解放される幸せにもつながるし、もし鉄道おじと関係が悪化しても趣味レベルとは異なる社会のパイプを維持し続けることができるわけで、子供臭さや人間性の低さのもとの好奇心による露悪感情を抑制できるのだ。
鉄道マンセーやネトウヨヘイト、そして宝くじの当選金の食いつぶしで貧乏人ごっこする余裕があったら、次の選挙で民進党だの公明党だの自民党でも安倍アンチに投票すればいいんだよ。本当に鉄道おじは、速やかに人格性を隅から隅まで非難されるべきだと私は強く願う。露悪や鉄道趣味や右派冷笑、ノンポリマンセーなんていらない。
ネット上だと特にだけど、どうでもいいツッコミばかりが次々に入って議論が一向に進まない、最初の主張に補足していくだけで話が終わってしまう、そんな経験あるよな。
逆にスルスルこっちの事情を飲み込んでくれる人は快感で愛おしいばかり。
あれって何に起因する違いだと思う? 思うに、賢い人は相手の言っていることを初めから筋が通るように解釈しようとしてくれてる。つまり基本的には正しいことを言っているという前提で聞いてくれるわけよ。だから言葉の定義が曖昧だったり、感情が乗って言葉が不正確になったりしても勝手に微修正して補完してくれる。だってそうする方が建設的だから。そもそも完璧に精確に主張を言語化しようと思ったらとんでもない手間だしな。
そういう意味では相手の正しさを受け入れる準備の乏しい悪意に満ちた環境が一番駄目ってこと。リアルの知人との議論はネットよりは発展するよな、そりゃ敵意むき出しにしたりしないもの。
つまり本質的に大事なのは愚者か賢者かじゃなく、善人か悪人かなんだ。初めから好意的に解釈していれば議論は進む。悪意があれば進まない。
みんな! もっと人に優しくな!
第二、第三の犠牲者を出さないため、そして自戒の意味を込めて書く。
サクラや業者を最大限警戒し、エロ全開のプロフィール、やたらと人と繋がりの多いアカウントは回避した。
プロフィールを見定め、慎重にメッセージを書き、サイト外での連絡先の交換までこぎつけた。
メッセージが返ってくるまでに適度な時間があったこと、相手の利用端末がPCではなくスマホだったことも安心の材料だった。
会うことが決まった。出かけるための準備も整えた。
待ち合わせの場所と時間を決めようとしたその時、彼女から金額についてのお決まりの文句が飛び出した。
食事を取ることも考えて多めにお金を下ろしており、内心期待していたため、断る選択肢は残されていなかった。
もはや言葉も感情も失い、そのままホテルへ直行し行為に至った。
機械的ではなく、時間を気にする素振りもなかった。ただ気遣いが全く感じられなかった。
元カノにでもヤらせてもらえば良かった。いないけど。
お気に入りの薄い本を読んでいたら、突如として賢者が僕に語り掛けてきた気がした。
その賢者の問いは極めて深かった。
男性諸君ならお分かりかもしれないが、男のイメージは下記のような感じだと思う。
しかし、薄い本や企画物アニマルビデオを見返せば確かに「ちょっと逝く」という表現がある。
つまりは女の子には「逝く」にはフェーズがあるということなの?!
気持ちいいことする → 逝きのファーストフェーズ → 逝きのセカンドフェーズ → 逝きのサードフェーズ → フィーバー → 賢者にはなれない??
こういうことなの??
「満足できなかった」というのは「フィーバー」まで達しなかったが、セカンドフェーズくらいまでは逝った可能性もあるということ?
だれか教えて!!
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/DA3S12838785.html
どれだけ攻め立てたところで無意味。
究極的には(安倍んごにつながる)確定的な物理的証拠が出てこないと意味がない。
でもネットメディアも体力がない。
文春だけがギリギリだけど1社で追うには限界があるし時間がかかる。
なので森友問題はこれでおわり。
新聞側はまるで愚痴を吐くように1年、2年と延々社説や思い出したように記事を出すだろうけど。
あとはのらりくらり回避するだけでいい。
とか言って確定的な証拠が見つかって吹っ飛んだりして。
しかしまぁ、支持率の低下の緩さを見ても経済問題とか労働問題とか色々そっちの方が重要だとなんとなく皆思ってる。
色々やってる今の進行を邪魔したくないんだろう。
(はてな左翼の人はそもそもあべのみくすは無意味どころかマイナスだと思ってるから、容赦なく叩けるけど)
ロッキードと違って、国際的な問題でもないから外圧も期待できないしな。
わすれがちだけど、森友は単なる国内問題に過ぎない。
田中角栄今でも人気あること考えりゃわかるよな。
※皮肉ではない
今回は少年ジャンプ+
使い勝手は……私はUIとかあんまり意識しないで順応させるタイプなので正直よく分からない。
変化の良し悪しを客観的に区別できないんだよね。悪い変化だと思っても、以前のに慣れていたせいで実感しにくいだけって可能性もあって。
まあ、こういうリニューアルの意義そのものにケチをつける気はないし、個人的には細かい所での手間が軽減されてて悪くないと感じている。
まあ、本作はあくまでミステリーとかサスペンスが本筋ってことなんだろうね。
個人的には他人の力を借りることで、その本来の使い手もちゃんとすごいってことを間接的に伝える演出は嫌いじゃないので、今後このパターンは期待したいところ。
“魔王”事件は、作中の言葉を借りるなら確かに拍子抜けではある。
まあ、プロットだけで漫画が面白くなるわけではないように、それによって紡がれるドラマが重要なので、このあたりは後々語られることを期待したい。
それにしても、メインキャラだと思われていた登場人物があっさり死んだり、一行ではないキャラに今回スポットが当たったり。
登場人物たちの設定や立ち位置から展開を考察させないって意味では成功しているんだけれども、予想と共に期待を裏切られている感じもして、ヤキモキしてしまうのが難儀だ。
導入部のギャグを色々と工夫してくるのは本当に感心する。
ただ、前回の話といい、今回の話もストーリー構成上の観点では全くの無意味なんだよね。
作者も何も考えていないのではとアオリ文句が書かれているが、次回は読み切りを載せるという告知もあって、マジでその線がありえそうと思わせる可笑しさがあるね。
先週発表された動画で解った事と思った事、まとめ。
https://www.youtube.com/watch?v=1yIHLQJNvDw
https://www.youtube.com/watch?v=zw47_q9wbBE
■2分11秒のところ
日本語版「だのに、主の方は、やはり覚えておらぬようじゃな。今こそ話そう100年前何が有ったのか。」
英語版「That look on your face tells me that you have no recollection of me however I think you are now ready...ready to hear what happened 100 years ago」
話し手はデクの木。
時の神殿ではなくデクの木の前にマスターソードが安置されている。
「however I think you are now ready...」と言っているので、
この話を聞く時点(orここに辿り着いた時点orデクの木と話せる様になった時点)でリンクは何かしらの成長を遂げており100年前の歴史を聞くに値する人になっている。
また、「you have no recollection of me」と言っているので、
「"本来なら私(デクの木)の事を覚えているはず"だが、その顔を見るにやはり覚えておらぬようじゃな。」
というニュアンスになる。
この事から、今回のリンクは「本当はデクの木と面識があるはずだが、記憶を失ってしまっているリンク」という事になる。
以前に行われたツリーハウスで青沼さんは、今作リンクが青い服を着ている事には相応の意味がある旨を匂わせていたので、
今作=風のタクトと繋がる何かが有るということは既に分かっている。
・今作=風のタクトと繋がる何かが有る
ということなら、
今作は25周年の際に発表された年表で言う所の
「ガノンドロフ復活が復活しハイラルが封印、水没する前」の話なのでは?と思った。
■その他分かったこと
1.マスターソードを持っている/持っていないカットが混在している。
2.ゼルダと一緒に映っているカットでは全てマスターソードを持っている。
3.ゼルダは青服着てるカットと白服着てるカットの2種類がある。
4.ゼルダがガーディアンの前で何かしらの魔法を使いながらダメー!と言ってるカットでは、ガーディアンのレーザーサイトがリンクの頭に当っている。
また、その時リンクはマスターソードを引き抜こうとしている(or疲弊していて杖代わりにしている?)
動画内全体で火の粉が舞っている。
5.タイトルロゴが表示される直前、リンクが立ち上がるカットでも、4.と同様に火の粉が舞っていてる&リンク&ゼルダ共に出てくる。
ここでリンクの服や肌は焼け焦げたようなテクスチャが利用されている。
リンクは右目をつむりながら力強くマスターソードを引き抜こうとしていて、ゼルダがそれを後ろから止めようとしている図に見える。
6.ゼルダが泣きながらリンクにしなだれかかるカットでも、リンクの服&肌は焼け焦げたようなテクスチャ。ゼルダの肌も汚れ。服は白。
7.雨の中リンクが画面奥へダッシュ、からの振り返り、というカットでもリンク服焦げテクスチャ。
8.雨の中ダッシュしてる間にゼルダの手が離れてしまう、というカットでもゼルダの肌汚れ。
9.雨の中、リンクは棒立ち、ゼルダは木陰で座り込んでいるカットでは、ゼルダは青服を着ている。
10.白服を着て水浴び(みそぎ的な事?)をしているゼルダの後ろ姿は良い
11.タイトルロゴが表示された直後、ゼルダが祈っているような所ではカメラが回った先に巨木があり、
見えている範囲が少ないのでわかりづらいがデクの木に見える=マスターソードの前で祈っている?
■その他想像
・1~2.より中盤でマスターソードを入手した後(or入手と同時に)ゼルダと出会う(orゼルダと深く関わるイベントが増える)
・4~5.は同一のシーンと思われる。
・6~9は時系列は不明だが雨の中2人が何か大きな出来事に関わっているということで同一のシーンと思われる。
7にゼルダは登場しないが、多分リンクが振り返った先にゼルダが居るのでは。
ただ、ゼルダの服が6,8では白、9では青になっている矛盾。途中で着替える?
・序盤は色々と意味不明なままに世界を探索していき、そのうちマスターソードにたどり着く。
そこで、デクの木に100年前の話を聞かされたりゼルダが出てきたりして、「ゼルダの伝説」としての物語が一気に本格化する。
■妄想
今作のリンクは時のオカリナで戦った大人リンクorその子孫であり、勿論デクの木(orデクの木の子供^n)とも面識がある。
今作の時代の100年前に、時オカで倒したガノンの封印が弱まるような何かしらの事件が起きった(or経年劣化で封印が弱まった)
で、その事件の時に今作のリンクとゼルダは勇者&賢者として戦うも、力及ばずに敗れる。
それで魔法かなにかの力でリンクとゼルダ共にコールドスリープ。
(ゼルダ=眠りにつく事でガノンを封印出来る/リンク=未来の世界への希望)みたいな。
ゼルダが白い服を着ているのは最初や回想シーンだけで、リンクと同じように途中で青服に着替える。
荒廃したハイラルや朽ちたマスターソードを見て想定と違った世界にゼルダ絶望。
真実知ったリンクは真の勇者として再び戦う、ラストバトルの末ガノンを倒し、
そんな感じで風タクへ繋がる話。