はてなキーワード: 潔癖症とは
泊まったんだけど、清掃きちんとされてなかった。
見える部分はそれでわかるからいい。
よくはないけど、少なくとも汚れていることがわかる。
でも、見えない部分に関してはわからないのが怖い。
たぶんリネン交換してゴミ捨てて、ざっと床掃除機してるくらいじゃないのかな。
外国人観光客の数もすごい。
街中、至る所にホテル。
京都のタクシーの運転手さんが行ってたけど、ホテルの数が多すぎて名前言われただけじゃわからないと。
客室でいえば京都市内全体でいったいどのくらいあるんだろう。
何千室? もっと? 万越え?
いずれにせよ、その膨大な数の客室を清掃すると考えると、そりゃもう絶対に人手が足りてない。
無理だ。
まわらないよね絶対。
今日もいつもの精神科に訪れたのだが、待合室に中年の女性と二十歳前後の女性が座っていた。どうやら親子らしい。
「じゃあこの用紙に必要事項をここまで書いてくださいね。ちなみに娘さんはどのような症状ですか?」
いやここで聞くの!?プライバシーの問題は?と思ったが、母親が
「いや…色々あるんですが、一番はよく手を洗うようになったこと。何度も手を洗うので周りから見てても辛くなってきて…」
と答えた。ああ、強迫神経症、潔癖症の類かな。大変だなぁと思ってチラッと母親の方を見た。
すると、母親の手に透明のビニール袋がはめられていてビックリした。
「(いや、お前が潔癖症やん!)」
と心の中でつっこんでしまった。いやぁこれ娘が悪いのではなく、母親から病気の症状が伝わってるだけでは?
娘さん、悪くないのでは…。母親も自分が病気なの分かってるならまだいいが、「娘が手を洗うのが気になる」って言ってたし自覚ないのかも。それならこりゃ娘さんは地獄だな…
そう思っていたら、突然母親が
「ここの先生、どんな方ですか?」
とこちらに尋ねてきた。えっこの流れで話しかける?受付の人は窓口に戻ったけど、聞こえる範囲にいる。変なことは言えない。
「え、いい先生ですよ。優しいし」
まあ嘘はついていない。すると母親が
娘を思っての話しかけなら、まあ理解できるか。でも普通は待合室で聞かないよな、と思ってると
「長いんですか、ここ通って」「治ってきましたか?」
と他にも質問をしてきた。うーん、やっぱりなんかこの方、距離感がおかしい気がする。
娘には「もう書けた?あっここまで書かなくていいのに!お前はもうなんで…」ともぼやいたりしてるし、母親にやはり問題があるのではと思わざるを得なかった。
でも病院に来ても、母親が病気だとは先生も言わないだろうし、娘は母親から逃げられないし、病気は治らないんだろうな…と思うとすごく悲しくなってしまった。
とここまでで話は終わり。あとは蛇足。
自分も前、妻に「あなたのお母さんってちょっと変わってる。なんか子供を愛してない感じがする」って言われたことがある。
「え、そんなことないと思うけど」と答えたが、「子供がこんなに困ってるのに放ってたりするし、うちのお母さんだったらもっと助けてくれる。なんか他人行儀だよ」と言われた。
そういう親子関係って、周りから見ないと分からないものなのかもしれない。
自分も病気になってしまっているが、もしかしたら親の影響もあるのかもな。もしそうなら、あまり自分のせいにし過ぎるのも良くないな。そう思った。
私の実家は、トイレのあと手を洗わない家だった。その割に、なぜか外出先のトイレでは手を洗う。
そんな家で育ったので、「トイレのあとで手を洗うのは外出先でやる特別な動作」だと思っていた。ちなみに、学校のトイレではちゃんと洗ってた。
少し成長してから、外出先か家かに関わらずトイレのあとは必ず手を洗うものだと知った。そこから、家族の中で私だけ手を洗うようになった。家族からは「潔癖症」「強迫性障害」と笑われた。潔癖症はともかく、手を洗う=強迫性障害 は色んな方面に失礼である(もちろん潔癖症も失礼だが)。
あるとき母に「なんでトイレのあと手を洗わないの?」と聞いてみた。「トイレ行っただけだから」と言われた。だけって何やねん。
未だに、家でトイレのあと手を洗うと実家のことを思い出す。こんな家は私の実家以外聞いたことがないが、もしかしてあったりするんだろうか。
ずいぶん前から、自分が逆潔癖症だということに気づいてしまった。
私が飲んだコップを「一口ちょうだい」と言って飲む人がいると、「私のこと汚いと思ってないの?」とびっくりする。
あと、私のスマホに耳をつけたくないだろうと思って、電話を替わる時にわざとスピーカーオンにした状態で渡すのに、耳につけて話す人がいる。それもびっくりする。
電車やバスで隣の座席に人が座ると安心する。私のことを汚いと思っていないから。
トイレを使用するときは、自分が使う前は綺麗にしないのに、使った後めっちゃ綺麗にする。
子供の頃、家族でご飯を食べていたら、母親が私の食べていたグチャグチャになった納豆ご飯を指さして、
「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」みたいな定義だっけ?
だとすると俺が読んだことがある純文学は「アルジャーノンに花束を」と「虎よ虎よ」だけかなあ。
え?じゃあ純文学ってなんだ?
恋愛ドラマや戦争映画でサブテーマに人種差別が入ってきてるような感じ?
純喫茶は「純」=「酒の力に頼らずソフドリと飯と雰囲気だけで勝負してますよ」って意味だっけ?
じゃあ純文学も「純」=「内容に頼らずに文学性だけで勝負してますよ」じゃないとアウトなんか?
チョット調べたら「こころ」や「よだかの星」も純文学らしいね。
でもどっちも「"潔癖症的な自己憐憫&自己否定"vs"自己満足的な懺悔&自己破壊"のタッグマッチ」がメインテーマであって、文学としての表現力はそれを盛り上げるための裏方業務って感じじゃね?
裏方凄いなーって所で盛り上がるときがあるのは分かるよ。
サマフェスのスピーカーの仕組みがバズるとか、競馬の名実況で思い出トークが始まるとか、でもそれってやっぱりサブジャンル的な楽しみ方だと思うんだよなあ。
それとも「SF」や「歴史小説」や「架空戦記」みたいに単なる舞台設定の一種なのか?
いやそもそもの考え方が違う気がしてきた。
小説って作品のジャンルを何によって定義するのかが他のコンテンツよりも自由すぎるんだな。
あとテレビゲームの「アクションアドベンチャー」とか「MMOFPSRPG」みたいな合体型のジャンル表現が発達してない。
分類する人間が漠然と一番濃度の高い要素で定義してるだけなんだな。
そうなると「純文学」って言われる作品の傾向がなんか見えてきたわ。
「他にメインジャンルになれるような要素が強いものがなく、かつ純文学のカラーが強い」って場合に「純文学」の棚に分類されていくってことなんじゃねえか?
「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」であることは「純文学」の必要条件でしかなく、「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」だったら全部「純文学」になるわけじゃない。
逆に「純文学」と呼ばれている作品はすべて「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」であるってことか。
すげー地味なオチだな。
しかしアレだな、こうなると「純文学」ってジャンルに区分されるってのは「それ以外の要素が特定のジャンルに含まれるには弱いね」を意味しているってことだな。
「恋愛小説」や「ライトノベル」っていうジャンルに区分けされるのと「純文学」ジャンルに入れられるのどっちが作者的に満足が行くのだろうかってのは永遠の謎だなあ。
「アルジャーノンに花束を」にしたって文章によって主人公の知能状態を表現しているのは凄いんだが、それを通して描かれる差別問題、知性の絶対性に対する問題定義の方もちゃんと読み込んでやらんとアカンやろとは思うんよな。
絵画の世界だと手段そのものが目的になっていることは結構あると思うが、文学の世界でそうなってる作品ってあんま多くなさそうなんだよな。
結局求めているのは自分が切り取りたい世界観に合わせたより適切なレンズやフィルターであって、それが凄いねって褒められたとして作者的には「いやそれを通して見せたかったものの方の感想言えよ」なのかも知れねえなあ。
あそこは確かにやりすぎだからそりゃ責任を問われてしかるべきだけど、面白おかしく瑣末なことで必要以上に叩くな、延焼するから。
君の会社も君の旦那の会社も君の娘の会社も、どっかしらなんかしらちょっとまずいことやってんだよ。全員が潔癖症のべき論言い始めたらヤバいのよ。先行して叩かれたやつの負けで、あとになってどんどん出てきてもうそんなには叩けないやってなったらナアナアにして沈静化するから運良くダメージ通らないだけなんよ。
その運悪く次の次くらいに叩かれるのが君の関係者かもしれんのよ。だからもうやめろ、叩くな、騒ぐな。自分に回り回って返ってくるから。悪いこと言わないから司法に任せて終わりにしよう。
あそこは確かにやりすぎだからそりゃ責任を問われてしかるべきだけど、面白おかしく瑣末なことで必要以上に叩くな、延焼するから。
君の会社も君の旦那の会社も君の娘の会社も、どっかしらなんかしらちょっとまずいことやってんだよ。全員が潔癖症のべき論言い始めたらヤバいのよ。先行して叩かれたやつの負けで、あとになってどんどん出てきてもうそんなには叩けないやってなったらナアナアにして沈静化するから運良くダメージ通らないだけなんよ。
その運悪く次の次くらいに叩かれるのが君の関係者かもしれんのよ。だからもうやめろ、叩くな、騒ぐな。自分に回り回って返ってくるから。悪いこと言わないから司法に任せて終わりにしよう。
昨日深夜テンションで一気に書いて真夜中に公開して、朝おきたら1つしかブコメついてなくて失敗したなーと思ったけど、今みたらなんかホッテントリにあがっててびっくり。ありがとう。
追記ここまで
タイトルに【追記あり】っていれたら元タイトルが省略されちゃうので外して元にもどしました
LGBTQ+(これでいいかわからないけど…)の話題を、いつも少しの居心地悪さと共にみてきた。
身体女、性自認たぶん女、既婚者。これで異性愛者なら、ヘテロなんだと思う。
配偶者のことは嫌いではない、たぶん好きな部類。離婚したいとか、一切ない。大きな不満もない。
現状DINKsで、それを是とする人だから結婚した。子どもがほしいとは思ってなくて、50くらいでFIREしたいよね、というので一致している。
最近自分のセクシャリティ、アセクシャルあたりが近いんじゃないかなみたいな気持ちになる
性欲みたいなものがほぼない。性的な目で見られたら嫌悪感が先にくる。できないことはないが…くらい。女の性欲ってこんなもん?とか思ってたけど、基本下ネタも嫌いなので他の人がどうなのかよく知らない。
いっとき潔癖症なのか?と思ってたけど、性的なことのときだけなのでたぶん違う。
世間の女とはこういうものですよ、というのには全然馴染めない人生だった。未だに女がわからん。男もわからんが。でもなんかズレてる不思議チャンで許されて何となく生きてた。
これで、子ども産まないとだめみたいな話だったら、いろいろ困ったかもしれないけど、今の相手と出会ったのは僥倖だと思う。とても感謝してる。
人生の道行き一人は寂しいな、と思うくらいには、誰かといたいと思うけど、そこに性的な関係は求めてない、みたいな。相手がどう思ってるかはわからんが、DINKsでいたい。
なんかよくわからない話になってしまった。自分をこれと、決めたいわけじゃないけど、なんか色々考えてしまったので書いてみたかった
私は今、母と一切連絡をとっていない。
私の母は母になれない人だった。
父の出張不在時は不倫旅行、4歳の私は家にほか弁を置かれて数日1人っきり。
寂しくてお腹が空いて泣いて、耳の奥が痛くなってどうしようもなく、記憶を振り絞って祖母宅に電話したら、祖母と叔父が迎えに来てくれた。
酒癖も悪く、部屋のその辺に嘔吐、放尿、包丁振り回して全裸で暴れる。
それを片付けろと命令される。
幼稚園は無断欠席。
気に入らないことがあると殴られ、蹴飛ばされ、発狂する母に"あの女"と呼ばれるようになった5歳の頃、初めて自殺を試みた。
母がいつも振り回していた包丁で、私に向けていた包丁で自分の手を切ってみた。
母のお望み通り死のうと思った。
手を切ったくらいじゃ死ねず、誤って切ったことになって案の定母からボコボコにされた。
その後両親は離婚し、残念なことに私は母に引き取られた。
小学生の頃、相変わらず母は酒癖悪くその辺に嘔吐と放尿、朝まで全裸錯乱、そして私にだけその片付けを命じ、暴力を振るった。
生活保護費は大体母の飲み代に消えた。
私の養育費を父に何度もせびり、私のお年玉もお小遣いも全部母のゲロと小便に変わっていった。
片付けで一睡もできず、朝までボコボコにされた上にお弁当はないし、誰も見にこないからなるべく隠れて過ごしてた。
弟の世話を丸投げ、成績は100点以外は許されない、友達と遊んではいけない、という条件も追加され、さらに窮屈な生活だった。
何度も交番に駆け込んだけど助けてくれなかったし、後日ボコボコにされるから行くのをやめた。
なんだかんだで私はまだ母を愛していて、答え続ければ愛してくれると思っていた。
そんなある日、痴情の縺れから母は灯油をかぶり焼身自殺を図った。
弟に見えないように毛布を掛けた。
完全に私のことはどうでもいいんだと思い知った。
一命を取り留めた母は最初は殊勝な態度だったが、元気になるにつれてまた酒癖が悪く暴れるようになった。
中学生になった私は非行に走らなかったものの、もう歪んでしまっていて、成績だけが私の存在価値だった。
ちなみに母は身体が弱くて優しい母を演じていて、先生や警察、友人は助けてはくれなかった。
(近所の人にはバレてると思うけど)
でも家に帰れば、母と母の彼氏との絶え間無い喧嘩、酒癖悪く暴れる母、1点でも落とせば殴られる環境、愛されている弟(愛されていてもこの環境はよくないよね)、この環境を誰も信じてくれないつらさから私は2度目の自殺を図った。
家中の錠剤を一気に飲んだ。
数百錠はあったと思う。
部屋を汚したくない気持ちが強かったのか、無意識に移動してた。
一晩中嘔吐し続けて明け方赤黒いものを吐く頃に少しおさまってきた。
弟は寝ていて、母達は飲みに出ていて帰ってこなかったのが不幸中の幸いか。
私はまた死に損なってしまった。
(今ではこのくらいじゃ死なないだろうと分かるけど)
この頃の記憶がずっと私を苦しめる。
私は親ガチャ失敗かな、って思ってる。
もっと大変な人もいるのは分かってる。
今は母と連絡を断ちほぼ絶縁状態で暮らしをしているのに、少しでもつらいことがあると一気に沈んでしまう。
私はもう大人だし大丈夫、なんだかんだで立派に生きていけてるし!と言い聞かせても、あの頃の気持ちが蘇ってしまう。
最近私に娘が生まれて、(本当に可愛くて仕方がない)こんなに愛しい子どもにあんなことができるなんて、と私は母に愛されてなかったことを改めて自覚して、
ここに書き捨てて供養していきたい。
とりあえずここまで。