はてなキーワード: 河川敷とは
令和5年1月30日午後4時00分ころ、東淀川区大道南1丁目32番付近の淀川河川敷において、胸部や下半身を露出した状態で歩く女性が目撃されました。
女性は、年齢不詳、黒っぽいダウンコートのみを着用し、ボタン等は閉めておらず、20から30歳くらいの男(マスク無し、黒色短髪)と歩いていたとのことです。
不審者を見かけたら、すぐに110番してください。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1012330
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1012/1012330/1012330_avatar_detail_1675070200531.png
でもキモくて金のないオッサンが冬の河川敷でミイラ化してもなんとも思わないんですね
成人式の会場に到着するや否や DQN のような集団を見掛けたが、よく見ると出身中学の人々だった。
我々は足早に会場を去り、ドミノピザに向かった。ドミノピザは新成人にMサイズピザを無償で提供する太っ腹なキャンペーンを実施していたので、お昼代が浮いて大変助かった。雲ひとつない青空の下、多摩川の河川敷で食べたピザは格別の美味しさであった。
YouTube のアーカイブを見て後で知ったのだが、成人式ではねずっちが謎掛けを披露していたようだった。
謎に沖縄の基地問題を題材に謎掛けをしており、センシティブな問題を扱う姿勢に感銘を受けた。ネタは滑っていた。
その後、同窓会を欠席してぼざろ一気観試聴会をした。日を回る頃には散解したが、微妙にアルコールも回って気分が良かったので、そのまま天一に行った。更に気分が良くなったので、その後もう一本飲んだ。駅前の商店街は治安が終わっており、日常の再来を感じさせた。
河川敷を自転車で走っていると、少年野球の試合や練習をよく見かける。
みんなそれぞれユニフォーム着てやっているが、野球のユニフォームって独特だよなと思う。
上下きっちり揃った服で、特にパンツは野球以外にあまり見かけないデザインだ。
走塁や守備でのスライディングとかで必要なのかもしれないけど、
ここまでちゃんと皆が揃って着ないといけないもんなのだろうか。
子どもは成長する上に身体にピッタリしてるデザインだから、買い替えが頻繁に必要そうだし、
野球はサッカーやバスケなどと違って敵味方を瞬時に判別する必要もないし、
判別する必要があるとしてもビブスとかでいいはず(個人的にはヘルメットをかぶっているのはランナー含め攻撃側、という判別でいい気がする)。全員が揃いの服を着る必要性がわからない。
言いたいのは、
本当に野球人口を増やすために裾野を広げたいなら、なるべく(少なくとも初期的には)カネかからないでできたほうが良くないか?ってこと。
具体的にどう変わっていくかを書き連ねていく。
EV車の弱点である冬季・山間部を避けるようになるからだ。EV大国ノルウェーはスキーやスノボが盛んじゃね?と思われがちだが、ノルウェーで盛んなのは低地でもできるクロスカントリーだ。山間部に行く必要があるアルペン系は衰退してきている。
スキー場に充電ステーションいっぱい置けばいいじゃないかと思うだろうが、そのスキー場にたどり着くのがギャンブルだ。毎時数cmの雪で冷やされる中、山道をたどってスキー場にたどり着く前にバッテリーを使い果たすのがオチだ。
それなら山道に充電ステーションいっぱい置けば良いのでは?と思うだろうが、どうやって置くのか。充電待ちの渋滞が起きて、雪で冷やされ続けたEV車のバッテリーが切れるのがオチだ。スキー場に繋がる山道はほとんどが対面通行で、充電待ち渋滞を追い越して回避することもできない。
「そもそも現場にたどり着けるかどうかわからない」レジャーを楽しめる人はほとんど居ないだろう。
だから、EV車が普及したら、スキー場はガーラ湯沢とかの駅近物件や、岩原などの主要高速道から近い物件のみとなるだろう。苗場や安比とかの山間にあるところは潰れる。
これもEV車の弱点である山道を避けるようになるからだ。登り切れれば帰りはほぼ充電要らずになるが、登り切れるかどうかがギャンブルだ。
改善策としてはいろは坂など観光地に繋がる山道の途中にいくつも充電ステーションを作ることになるが、充電待ち渋滞があちこちで起きるのが目に見える。それらの山道もほとんど対面通行だからだ。
1番、2番と理屈は同じ。箱根峠に繋がる国道1号線に充電ステーションを置いたところで充電待ち渋滞が以下略。
そうなると必然的にレジャーは低地中心になる。スキースノボや山間部への観光、湯治が出来なくなる分、南関東エリアなら丹沢や山北などの山沿いクラスの地域のキャンプ場に行く人が増えるだろうし、大きな川の河川敷でバーベキューに勤しむ人も増えるようになる。その辺りに充電ステーションを置けば必然的に人はやってくる
低地レジャーの雄である海水浴が復活する。夏のレジャーとしては衰退一方と言われているが、EV車という黒船が救世主となる。人を集めたいエリアに充電ステーションを置けば効果的だろう。渋滞は凄いことになるだろうが、海沿いにたどり着くまでのバッテリー消費が少ないので温泉宿に行くよりははるかにギャンブル性も低い。
EV車は社会を良くも悪くも変える。一回の給油で700km走るハイブリッド車から、一晩の充電で200〜300kmしか走れないEVへのシフトは避けられないので、そのつもりでレジャー産業に関わる人は身の振り方を考えた方がいいだろう。
セイタカアワダチソウは河川敷でもなければ数年で衰退してススキにとって変わられるので、いまだけの貴重な風景ではある。
何故かDPZがオンライン調査不十分なんで調べた結果を公表するよ。
現場は第三京浜の玉川インターチェンジ近くの多摩川左岸(東京都側)だ。座標としては「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-lion
まず、Google Earthで過去イメージが見られるので見てみよう。
Google Earthを起動して検索窓に「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」を入力。拡大すると草原の中にオレンジの遊具が見える。拡大しすぎるとストビューに切り替わるのが大変にウザイ。
メニューバーの「表示」→「過去のイメージ」にチェックするとスライダーが現れる。
鮮明な画像が得られるのは余りない。1997/12、2004/12、2007/12、2010/5、それ以降くらいだ。
1997年12月:オレンジ、白、白の三つ巴になっている画像が見られる。2つの白いのは消失した遊具と考えられる。
影の長さから遊具の高さを推定する。ここは東京電力の送電線の真下なので注意看板がある。看板の高さは1.8m。ライオンの影はその1/4。オレンジのライオンは頭の部分だけが高く、影もその部分だけ長くなっている。看板の1/4なので50cm程度と推定される。後に人がしゃがむ画像が出てくるが、大人がしゃがむと約1mでその半分の高さなのでこの推定は合っている。
また、右に寝っ転がり後ろ足を左に投げ出したデザインという事も判る。(足の部分は現在埋まっているので見えない)
白い遊具の影の長さはライオンの頭部の1/3位だが、遊具中心からの距離を考えるとライオン頭部の1/2。つまり白遊具の高さは25cm程度と推定。
次にストビューの過去イメージを見てみよう。ストビューで過去を見る時は、車通りが多い道から見える箇所がないか探す事だ。徒歩道では全天球カメラを入手した物好きがスポットで撮影したものしかないが、大きな車道はストビューカーが何度も撮影している。
それで非常に重要なのがこれだ。
https://goo.gl/maps/XDnKwZfkz2V1YzRs5
ライオンが傾いてしまっているのだ。2014年3月の撮影だ。また、しゃがんだ大人と子供が近くにいる。
左上の日付箇所をクリックするとスライダーが現れる。2014年7月に移動して欲しい。
なんと戻っているのだ。更に高さも戻っている。
次に2020年2月にして欲しい。2019年の台風19号の翌冬だ。
高さが変わっている。地面より深い所に居て、しかも周りを掘ってあるのだ。
多摩川河原はこの25年で2つの大きな台風による洪水に見舞われている。2007年9月と1019年10月だ。
変化があったのは次の通り。
2007年~2010年:白遊具もう一個消える。ライオンだけになる。
2019年6月~2020年2月:大分埋まったライオンの周りが丸く掘られる。
そもそもこういう遊具は古い薬局の前のサトちゃん人形みたいに、FRP製で中に鉄のアングル材の骨組みが入っている。更にここは洪水で浸水する地域なのであらゆるものが水に浮かない、流されない重さで作られているはずだ。中にコンクリが充填されているかもしれない。台風で流されたりは考えにくいのだ。
そして傾いたライオンが起こされたり、周りが掘り返されたりというのは、保守されているという事だ。
更に洪水で泥が堆積する箇所というのは土壌が肥沃であり、草は伸び放題になる。つまり草が低いというのは毎年この個所を草刈りしてるという事だね。
とすると、白い遊具は「撤去された」というのが真相ではないのか?2004年以前に一個と2007年~2010年にもう一個撤去されたと。
理由は、壊れたとか、クソ重たいのに3つも掘り返すのめんどくせぇ、委託業者高齢者が多いのによぉ、とかそんなところかなと。
最初、Google Earthで見た時には白遊具はただ埋まってるだけかも、と思ってスコップ持って出かけようとしたが、ストビュー見たら2019年の台風19号以前にすでに消えてたのでこれはやはり撤去と結論した。
ただ、隣の砂場は土に埋まってるのは確実なので、掘り起こしたら砂場が復活…するけど土砂の堆積が50cm近いので、落ちたら出られないアリ地獄的な砂場になりそうだ。
それと、ここは送電線の真下なので管理は東京電力がしているという可能性もある。つまり公共地(河原の主有権は誰にもない)を使う(地上権設定)見返りに公園の一部として整備した、って感じかなと。
公園(多摩川遊園)全体は自治体管理なので遊具を置かなかい原っぱや避難場所とかの今風に変化させられているが、送電線下だけは東電と建設省(当時)の取決めがあって、設置物は東電のものなのでいじれないんだよねぇ…という、アキバヨドバシの角に小さいビル(Veloceが入る)があるみたいな事かなと想像する。
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最後のアキバヨドバシ角のビルの事が気になる人がいると思うので説明すると、あのビルは青果仲買人協会の土地。西口のダイビルとUDXは青果市場跡地で、東口のヨド、富士ソフトやロータリー、TX駅は高架式貨物駅だったので、仲買人は駅の中を通って市場に行っていた。秋葉原貨物駅では当然青果物も大量に扱うので仲買人は国鉄と下請けの日通にとってお得意さん。そこで貨物駅の一角を譲渡して仲買人事務所を建てた。あの一帯はJRと日通が所有する貨物駅跡地をそのまま再開発したもので新たな地上げは行っていない。故に、あの角ビルが地上げに抵抗した結果というネットでの風評は間違い。元々お得意さんとして市場の仲買人を国策誘致した土地。
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デービッド・アトキンソンがいうには、1990年から2021年までに生産性年齢人口(16−64歳)が1299万人も減っているらしい。高齢者は2141万人も増えている。人口動態によって、社会保険料、消費税も増えて、移転的政府支出が増えている。そんなツイートをみて僕は「どうすんだよこの社会・・・」とつぶやいた。
どうすんだよこの社会。
「おれはさ、どんなに社会がクソだったり、自分の身の置かれている環境がどうしようもなかったり、システムによってどんな不利益が被られようと、そういったことを理由に行動をせずに批判者側に回るっていうのが一番嫌いなんだ」
Kは黙って聞いている。きっとこのクソムカつくどうしようもない共感性皆無男をどうにかして言いくるめてやろうと思っているのだ。
「それでさ、どうするわけ?大事なのはその置かれた状況を出発点にどんな一歩目を進めるかじゃん」
「あなたって本当に、なんてことを言ってくるんだろうね。むかつく」
「おれがそれを言って嫌われるかもしれない可能性は、そいつにいったときにそいつの人生が好転するかもしれない可能性とは関係がないからな」
人はみんな弱い。日本人とかじゃなく、人類全体で弱いのだ。30年間も生きてきて、ようやっと肌で理解してきた。
おそらく自分が雇用者側に回ったからだろう。その人間の本性を前提にシステムは構築されなければならないのだ。
自分はそれをものすごく憎んでいる。いや、憎んでいた。正確に言えば、昔はそういった理不尽な抑圧がものすごく窮屈で、どうにかなりそうだった。
なぜだか知らないけど、自分は昔からずっとそうだ。そういう人間として生まれ育った。
でも今は違う。それは社会として必然的に存在しているものだ。それを自分が体感してしまった。
「エリート女性がシステムに抑圧されるのは、女性全体の勤労意欲が低いからだ。きみがどんなに自分のことを才女だと思ったとしても、それを証明する方法が他になければ、面接の時に語り得るものなんて雇用者側は信用することなんかできやしない。どうせ好きな人ができて、その人と結婚したら、すぐに子供を作って辞めていくんだろうって。そう思われている。きみがどうかは重要じゃない。問題は、社会がずっとそのように回ってきたということなんだ」
「だけどそれは間違っている。社会は女性の機会均等を実現すべきだし、資本体力のある会社だったらそれを実現できるはずでしょう?」
「なんで?会社が何十年と高い法人税を払いながら貯めてきた内部留保を、なぜ利益がでるかどうかもわからないもののために使わないといけないの?そしてなんでそのような貯金が当然の権利として自分に提供されると思っていて、そうしない社会が間違っていると思っているの?」
「そんなの綺麗事だよ」
理想というのは脆いものだ。僕は理想論者だ。正真正銘の。正真正銘すぎて理想と同化しているかもしれない。
それほどの理想論者がいうことが極めて現実に即したものになるなんて、だいぶ皮肉の利いた人生だと思う。
「でもね、なんであなたがそれを言ってくるのかをよくよく考えてみると、あなたになにか得になることがないっていうのがわかってくるのよ。そういう意味で、稀有な存在よね
、あなたって。どうしてそんなことをしているの?」
Kは自分がLOVEの輪廻を回したいんだと言った。僕は「自分もそれをやっているつもりなんだ」と言った。
「誰かにもらった恩を、別の誰かに与えたい」 それ自体は物凄い誇大な理想論かもしれない。
正確にいうと、元彼氏だ。別れた後に、いろんなことが重なったのだという。
彼氏は理想論者だったそうだ。とてつもない理想論者だったのだろう。きっと、世の中に蔓延する悪意や、欲望を受け止めきれなかったんだと思う。
僕たちは北千住にいた。ずっと北千住にいた。Kと出会ったのも北千住だった。
ずっと仲が良かったわけではないが、期間だけで見ると長い付き合いとなる。僕がまだサラリーマンの時だった。
「それって、いい意味よね?」
「この広い空に包まれているせいで、きっと気が大きくなっちゃったのよ。こんなこと言うつもりなんてなかったのに」
Kはそう言って泣きながら笑っていた。
「今日は月がすごく明るいから、だいぶ遠くまで見通せたのかもしれないね」
僕は橙色のランプが等間隔で並ぶ夜の首都高が魅せるトラックの明かりをぼんやりと眺めているのが好きだった。
それは北千住に住む僕にとって、今日の星空と同じくらい、大切なものだった。
僕がKにプライベートのことを聞くと、Kは仕事に集中するんだって言った。
Kはなにか煮え切らぬ様子で僕に話を聞いて欲しそうだった。2件目に行けるような時間だったから、「もう少し話していく?」と聞いて、
前の彼氏の話を聞くと、Kは「うーんそれは言えない」と言った。
言えないんだったら話さなくていいし、きっといろんなことがあったんだと思う。
そうして1分くらいぼんやりしながら、Kは「まだ自分の中で整理がついていないのよ。この感じをどう処理したらいいのかわからなくて」と言った。
「なにやら元カレが死んじゃったような心残りだね」
「死んじゃったのよ」
Kは言った。
彼氏はとても誠実な人だった。不誠実なことは許せない。浮気や、不倫だとか、そういうものに自ら手を染めるようなことはしないんだって。
相手に対してそんなことがあるかもしれないだなんて想像もしないほど実直な人だったのだと言う。
一社目に入った会社を辞めて転職した会社がちょっとブラックみたいなところでね、自分と別れたタイミングっていうのもあったのか、いろんなことが重なって、それでかな。
実家のお母さんから電話がかかってきたとき、私は会社にいたんだけど、気が動転していてね、私の様子を見兼ねて先輩がタクシーをGOで呼んでくれて、それで帰ったの。
だから私のお母さんも私がぐちゃぐちゃになっていたことを知ってるし、私その時子供のときのように泣きじゃくってた。葬式はもう済ましているって向こうのお母さんは言ってた。カレが亡くなってから3日後くらいに連絡がきたから。それで、東京にいるカレの友達に連絡をして欲しいって。ひどくない?それを私に頼むのよ。
でもね、私よくわからないの。何だろう、栃木の実家に行くなんて、いまだにできてない。だって、なんかそれをしちゃったら、もう二度と戻ってこないような気がするでしょう?もし、私が会いに行かなかったら、まだカレは生きているのかもしれないって。確かに私は人の死に携わることが多かったけど、葬式が残された人たちのためにあるんだってこと、いまだったらすごくわかる。
僕は煌々と輝く月を見上げてから、その隣にある星に向かって念じるように言った。
「行こう。絶対行こう」
だよね。いかないとだよね。
「絶対に行きなよ」
「あとね、一つ、言えることがあるとしたら。俺の姉も、当時付き合っていた彼氏を亡くしたことがあるんだ。
俺からKに言えることは」
僕は「絶対に生きなよ」と言った。生きるしかないんだよ。どんなに絶望の淵に立たされたって、残された側は後を追うことができないんだ。
だって、それは、負けたことになるじゃん。相手に。ずるいよね。ムカつくよね。自分勝手だよね。
「私もね、最初に聞かされた時、なにかずるいってきもちが片隅にずっとあった。何だろうね、ずるいよね。卑怯よね。ムカつくよね」
「わかんないけどさ、Kちゃん。応援してるから、どうにかしなよ」
「なにそれ笑雇ってくれるってこと?笑」
「それもありなのかな笑」
「800万円で、秘書!とかどう?」
「たかいなあ笑」
僕たちが今経験していることは、必ず乗り越えられるものなんだと思う。
認識できるものにしか経験できるものはない。僕は、Kにとって4人目の人間だった。
幸か不幸か、僕はKの背負っているものを一緒に背負うことになった。
「こんな話を聞かせてもらえるなんて、俺の人生って素晴らしいなぁ」と僕は言った。
商店街を抜けて駅に向かう前に僕はKの腕を引っ張って、力一杯抱きしめた。
そこに純粋な気持ちしか込められていないことを理解したKがいることがわかった。
「悪い方がほとんどでしょうね」
理想と現実があることを理解している。理想と現実は明確に区別されるものでなく、現実の一部として理想が存在していることを理解している。
僕は極めて現実的な立場から、理想のためにできる一歩目を進めている。その区別ができなくなってしまった先に死が存在していることを理解している。
僕は生きるために、現実と理想を分けて考えるようになった人間だった。この社会の答えを生み出すために。
改札に上がる東口のエスカレーターの前でKはじゃあねと言った。
僕は言った「頑張ってね」
「あのさ、きょーこちゃん。とにかく、頑張ってね」
僕は静かに笑った。
Kはエスカレーターを登っていった。
僕はそっと歩き出した。
時期:ツール・ド・フランスごっこが大流行してた頃。
その入口にたどり着くための道路は車の交通量が多いところで、対向車線側からその入口に入るために道路上でUターンをしたり、入り口の対抗車線側から横断をするのが難しい場所だった。
しかし、その場所から50メートルほど行くと信号があるので、その信号を使ってグルっと回ってくれば逆走することなく、その入口に行けるというシチュエーションだった。
一様に彼らが訴えるのが、法律を守っているのは自分たちの方だ。
ということだった。
なるほど、それほどに遵法精神が高い集団ならば逆走するものなどいないか、いても限られているだろうと思い観察を始めた。
結果は上記の通り。
短い距離ではあるがロードバイカーたちのすべてが逆走を行っていた。
以上。
補足:尚、信号はどれだけ車が少なくても確かに守るな。田舎なので観光目的の車で激混みになる道路とガラ空きの地域とで極端な差が出るのだが、もうどうやっても車なんて来ないのがわかりきってるところでも信号は律儀に守っていた。一方で地元民にとっては自分の家の前で完全な生活道路であるところをツール・ド・フランスごっこに夢中のいい大人達がタイムなんたらの名所になってるとかでその生活道路で頭を伏せて前をしっかりと見ずに走り抜ける様には感動すら覚えた。