・ソ連と北方領土返還交渉をしていたのはサンフランシスコ講和条約締結(1951)後の1955年から。
・連合国占領下でも「統治権」は日本政府にあったというのが一般的な認識。
・アメリカから「国後択捉を放棄するな」と強く言われた話は「ダレス恫喝」として今でこそ知られるようになったが、公式には明らかにされていない。
…まあ、自民党の古い方々にとっては当然の前提なのだろうけれども、たとえば内田樹とかが「日本はアメリカの植民地だ」と言うのと、元総理が「冷戦下の日本の統治権はアメリカにあったからね-」と言うのとでは、全然重みも意味合いも違うよね。
本日付産経新聞掲載記事。 田原総一朗と森善朗元総理との対談より (北方領土について) 森 日本は国が決めた4島一括返還の主張を変えないが、これを前提にしていると何も決...
記録の端々にその時代の共通認識がしっかりと書き記されるのは後の世における歴史検証に良い影響があるのではないでしょうか
・ソ連と北方領土返還交渉をしていたのはサンフランシスコ講和条約締結(1951)後の1955年から。 ・連合国占領下でも「統治権」は日本政府にあったというのが一般的な認識。 ・アメリ...