はてなキーワード: 京アニとは
ネット上では、と言う前置きだけど商業的に成功とは言い難い日常とおなじベクトルでの制作は、十分挑戦と言えるだろうて。
あと大変申し訳ないが、10年代に量産されていた京アニ文庫の由来のオリジナルで00年代の原作有り作品群に勝っている作品なんてないのよね、一つたりとも
え!なんで!?京アニでCITY HUNTERアニメ化ってすごいじゃん!!
京都アニメーションの新作が発表された。
落胆した、そして悲しくなった。
一方は既存のシリーズの劇場版、もう一方は新規とは言えかつて京アニで制作した同作者の「日常」の流れを汲んでるので、似たようなテイストになるのは明白だ。
京アニは完全新規の企画を立ち上げる体力はまだ戻ってきていないことをまざまざと証明させられた。
あの放火殺人事件によって、京アニの精神的支柱・大黒柱とも言える木上益治氏を失い、武本康弘、西屋太志、池田晶子も居なくなった。
実は事件後、犠牲を免れた人達の中からも大勢が京都アニメーションを去っている、監督・キャラデザ・作画監督クラスの人間がごっそり京アニを辞めたのだ。
きみの色公開中の山田尚子はもとより、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのキャラデザの高瀬亜貴子ももう京都アニメーションには在籍していない。堀口悠紀子は事件の数年前にはすでに辞めている。
その他の作画監督級のアニメーターも退職して上京したり、廃業したりしている。
2010年代の京アニは特に自社原作オリジナル作品に力を入れていた。
会社として多数のオリジナルIPを生み出せる強みを存分に活かしていたが、それを担える才能はあの事件でほとんど失われてしまった。
今度の「新作」も、既存もしくは既存に近い性質の作品ばかりだ。
傍目には復活できたかのような京都アニメーションだが、今回の新作発表会で事件から5年以上経ってもかつての力を取り戻せてはないという現実を無惨にも突きつけられた気がした。
京都アニメーションの強みというのは、商業主義と表現主義のバランスだ。商売として売れなければどうしようもないが、だからといって表現も捨ててはならないという強固な意思の強さだ。それは犠牲になった木上益治氏の影響力も強かったからだ。華々しいテレビや劇場の裏で作っていた短編作品などは極めて表現主義的なものだった。
その木上氏を失い、多数の才能も失った京都アニメーションは今後、商業主義的な作品ばかりになっていくのだろう。
それがとてつもなく悲しい。
・後半になればなるほど漫画としての実験的表現が多いので、それをどうアニメに落とし込むか楽しみ
・日常のアニメはアニメ本編95点、マーケティング20点みたいな作品だったので反省を生かせるのか
・どんなに頑張っても人を選ぶ作品だよなあとは思う、日常以上に
・とはいえ13年前よりかはあらゐけいいちの作風に理解のある人も増えたとも思う
・日常と同じ30分2クールは流石に無理か?既に完結している全13巻のどこまでやるのか
・OP,EDはヒャダインか、大穴で星野源、一番アレなのはYOASOBIあたりが来て80点の曲をお出しされること(YOASOBI別に嫌いじゃないんだけど、ここじゃないだろ感がある)
・個人的にヒャダインのカカカタ☆カタオモイ-Cは世界最高のアニソンだと思ってるのですが、超えてきても良いんですよ?
・グッズとかイベントとか増えるんだろうな、楽しみ
・加速度的に面白くなってくる作品なので1話のつかみ頑張ってくれ!感
・日常のハンガリーで録ったとかいうサントラ、なんだよその金の使い方はって思うけど確かに無駄に質感が良いのが分かって悔しい
・次回予告にベテラン声優持ってくるのもなんだよって思うけど面白いから悔しい
・でも別にそういうことはやらなくていいです
・オープニングでまたグイイイイイイインって迫ってくるやつやるのかな
・これはやってほしいです
・まあ多分実際に放送されたらしかのこみたいな雰囲気になるんじゃないかなって思います、おもろい!って人と1話でやめました、って人に分かれるのかなと
・とりあえず自分は動く南雲とかにーくらとかマカベエとか本官とかタナベさんとか鬼カマ先生とかサッカー部とか光岳とか見れるだけで嬉しい
ドラマ視聴者層に向けてアニメの絵柄でつくったみたいなものは見る気がしないんだよね
ドラマみたいな恋愛絡めたドロドロ愛憎ものや職業ものは別にアニメにしなくていいんだよ
まあPSYCHO-PASSくらいガチで作り込んでるSF職業ものとかは別だけどね
特に少女漫画や少年漫画みたいな女性狙ってるやつは舞台化すらする
マンガってのはパイが小さい、アニメで広げてIPでかくしてやったみたいなのが嫌なんだよね
テレビマンならぬアニメマンが「ワシが育てた」って威張るための装置っていうか
オリジナル作るのは気骨があるけど難しいし売れないんだろうね
バンナムみたいにオリジナルで長く続けていく強いIP作るくらいの意気込みないとオリジナルアニメは割に合わないんだろう
クリエーターにやりたいことやらせるためのガス抜き枠という感じすらしてくる
逆に言えば主流のアニメ群というのはやりたいことやってない感を勝手に感じ取っちゃうんだよな
テレビマンが目をつけるのが昭和の昼ドラ主婦から平成アニメに親しんだ主婦の嗜好に変わった感じ
そうやってビジネスでアニメ化してるからドラマ畑と同じように原作リスペクトのない独自改変で荒れたりするようなことが多発する
だいたい作品数が増えすぎなんだよな
テレビマンの嗜好とアニメオタクの嗜好はまったく違うはずだけど
今アニメを見てるメイン層がもうアニメ愛好家じゃなくてアニメに親近感を持つカジュアル一般人になったせいだろう
アニメだからこそ嘘くさくならずに嘘をリアルにババンと描ける、それがアニメのケレン味ってやつだろう
アニメの文化観に浸ってきた人間が創ってない、漫画畑から「現実の人間」をガン見していかに描くかで選抜されたものをアニメにしたってなあ
そういうのを元にしたって、例えばTRIGGERみたいなアニメは作れんだろ
まあ京アニやP.A.WORKSみたいなアニメは作れるかもしれんけど
んで現実離れしたアニメ的フィクションのネタ元ってなると、今度はラノベ的なテンプレ中世ファンタジー世界観の原作ばっかりになってるのもしんどすぎる
コンテンツ創造力は高まってるけど想像力は平準化されてるような感じ
アニメ見てたオタクが今何やってるかって言ったら、スマホとか運営型の2次元系ゲームなわけよ
そらそうなるわな
二次創作も一番多いのはその手のゲームキャラ、アニメキャラは息抜きで描かれる、なんでかっていうとアニメキャラは旬が短すぎるから
いわゆる「ソシャゲ」的な量産型のチープなキャラゲーが跋扈してた時代と打って変わって反転してるような状況
今はむしろアニメ業界のほうが人に愛され続けるコンテンツを生み出せない多産多死病に陥ってると思う
だから必死にテレビ局を操ってさかんに「社会現象アニメ」を吹聴してブームを作る
でもそれって本当に中身が伴ってるのか?
SNSとかでオタクが何に熱中してるかを見ればそれらが誇大広告にすぎんのではと感じざるを得ない
・警備の人やカギがない状態でひとが入ってこられる
・このような自分で火を使わない場所から火災が起こることを想定していなかったのではないか
・設備は十分だったのか(法的には問題なかったといわれていますが、それはこの会社や構造的に考えて問題ないかをちゃんと建築時に考慮したか?ということです)
といった疑問があります。
とおもって検索すると、そのような疑問に答えてくれているサイトがありました。アゴラに牧功三氏というかたが書かれています。
小生はまったく同意で、今の日本でも街中で警備員やカギなしで入ってこられるような環境はちょっと危険すぎだし、この方が書かれている、ガソリンといっても、
燃えたのはガソリン以外の家具などででは?という指摘は当たっていると思います。
裁判での京都消防署のお話はなぜか検察がきちんと自分で調べたものではなく、消防署員の証言という形でこれは刑事事件なのになぜだろう?となぞなところです。
もちろん会社の方々も悼む気持ちは強いことは理解しますが、だからといって、こういった労働環境の課題が見過ごされることは、新たな事件を引き起こすことになり、亡くなられた方々への真の意味での追悼にもならないのではないでしょうか?
どっちにしろ、法的には十分であっても、火災被害というリスクに対応する策として必要な条件は満たしていなかった、ということなのでしょう。
ちょっと牧氏に対しては失礼かもしれませんが、米国流も、規制という色合いはあると思います。しかし、防ぐべきものについての理解を、コンサルタントなどが十分に説明して、法や制度はそれを後押しするようになっているように見えるのは、日本とは逆だなあと。書かれているように特に消防関係の利権はひどいと思われます。
火が付けられて火事になった時、急いで窓を開けようとしたが何故かどうしても開かず
殴っても割ることが出来ずかなり足止めを食って
その後窓枠が熱くなったかで偶然割れてなんとか脱出出来たらしいが
あと屋上へ逃げろと言われたけど
https://toyokeizai.net/articles/-/774575
1回性の事象に分析なんてしてもしょうがないけど 適宜WIKIPEDIA参照しながら
1.知名度
a.少年ジャンプ効果 2012年2月20日 - 2020年7月20日 全45巻 全402話
b.テレビアニメ効果 第1期: 2014年4月6日 - 9月21日
85話くらい地上波で放送された模様。 放送時刻に関してはよくわからなかったが深夜アニメだったようだ。
コナンが勝ったのは当然として、SPYFAMILYが勝てなかったのは仕方がない(かもしれない)。
2.特典商法
2024年2月16日公開より前に、すでに3カ月先の5月までの、週替わり(2週替わり?)の種々の特典を配布することが公知されていた(内容は順次公表)。
製作委員会のロングランへの自信がうかがえる。7月現在も上映している映画館があるが、特典がどうなっているかは不明。
最初週の特典はコレクターズアイテム感の高い、ジャンプコミックスの判型の情報誌。描きおろし番外編含む。
これはONEPIECE、呪術廻戦などでも行われていた。集英社IPの強み。
豪華めの特典と言えば新海誠だが、予算で負ける映画の特典はフィルムやミニ色紙など、低予算なもの(もらっても大してうれしくない)が多い。
描きおろし番外編特典は京アニ作品でもヴァイオレット・エヴァーガーデンやユーフォニアムでおこなわれていたが、短編小説。
アニメ見に来る層のうち、エヴァーやユーフォの原作小説を嗜んでいる人の割合が、ハイキューの原作まんがのそれと比べて小さいことは想像に難くない。
3.アニメの出来と題材
・先行するアニメ、Production I.G.でデキがよかった。男性キャラクターが多いジャンプまんが、男性声優の多いジャンプアニメであり、所謂ジャンプは男子の漫画雑誌なのか女子が支えているのか問題に抵触するわけだが、SLAM DUNKなどと同様、男子にも比較的抵抗なく受け入れられた模様。上澄みというか沈殿というか、7月になってまで見ている層は女性が多そうではある。
原作で言うと33 - 37巻の1試合まるごと再現で、全45巻中のクライマックスと言っても過言ではない。THE FIRST SLAMDUNKの山王戦みたいなものだ。それ以前の32巻分をテレビ1~4期でやったのは、尺の調節の意味があるのではとさえ思える。(42-45巻はガラっと登場キャラクターや話が変わる)。
相手キャラクターも初登場4巻からの因縁の決着編であり、文字通り満を持してこの題材を劇場版にぶつけたということになる。
(この長い射程の伏線は、連載当初ヤンキー漫画になっていった可能性を秘めていたSLAM DUNKとの大きな違いだろう。余談)
その点未完なのでアニオリエピソードを作らなくてはいけなかった(いけない) SPY FAMILYや ヒロアカとは土俵が違ったことになる。
前提、原作未読 改変内容それ自体を良い悪い評価判断することはできない。
けどそれにしたって13話中の12話にあの展開を持ってきておいて大団円!!よかった!!!と言えるかは…微妙じゃない?
少なくとも自分は主人公の久美子を通して、久美子の3年間の奮闘や成長を見ていたので、他でよく見る真由の救済のために主人公を放り出しているような構成と終わり方であまり納得できなかった。
再オデで負けた事それ自体は、その後の展開どちらでも組める要素だと思うからいい。
でも負けたなら負けたことを下敷きにして久美子の次への展開なり納得なり、決意なりや、奏者として勝つこと以外の部長としての報われなどをしっかり描いて、今まで久美子を見て応援してきた視聴者を十分に「よくやったな」と納得させて終わらせてほしかったよ。
それが入る後尺がなく、13話はシリーズ思い出ダイジェスト気味に終わってしまい、それが原作的には掴むはずだった勝利を改変した上でとなると…まあ~~~微妙な構成だったなと思う。
全国金は部の悲願であって、久美子のそれと完全にイコールではないはずだし、まして作中で久美子の思想が音楽から別の将来へ移っていったのならますます久美子の3年分の報われはどこへ…?と感じた。
(他所で原作だと全国金が久美子のイコールとなった描写があると見たが、アニメシリーズだけ見ているとそうでもない)
衝撃的な改変展開をもっと早く前に持ってきてフォロー尺や久美子の次への思いや展開を入れたり、シリーズ尺を24話にしたりと上記の急展開オチを回避する方法は他にあるだろうし、比較的取れる制作・会社のはずなのに上記を選択したのは、衝撃度なりバズり度など物語の本筋とは無関係な要素故に選択したと思えて、そこでも微妙だったなと思う。
微妙というか露悪的(?)にさえ見えた。
原作勢が「原作の最後の勝利がご都合気味だった」というのも見たが、それなら突然3年で転校してきて同じ楽器で超絶技巧で今まで合わせたことのないメンバーとも早々に合わせられる真由の超存在自体もご都合と言えてしまうのでは?(原作展開自体に切り込めるならという意味で)
要はご都合要素はその後の辻褄なり展開で納得できたかで希釈されるんだろうけど、アニメ最終話には原作を改変してまで納得できる、活きるものはなかった。
仮説としては原作を通っていると、その後の後日談含めて読み込んでいるからか、ちょっとご都合主義だったなという原作読後感を下敷きにしているから反転展開が響き納得や良かったになっているだけでは?
アニメの道中で久美子が負ける兆しは散りばめられていたともみたが、それなら1期から重ねて来た演出を回想や反芻するように擦ってきてた部分の先には、困難があったけど久美子が報われる事への期待と受け取れる部分なので、最後に梯子を外すも外さないもどちらも揺さぶり要素の1つでしかないと思う。
(単に制作の手抜きだったってならそれはもう何も言えないが…w)
続報で全国大会以降、卒業までの部長としての久美子報われ話をやるってならまた話は変わるが…(それにしてもシリーズとしてちゃんと〆てよとは思うけど)
京アニ事件が絡んでの思想が影響したのか、構成脚本の暴走か知らないけど追ってきた年月の割になんだかなーーーーーーというオチだった。薄味?