はてなキーワード: ルフィとは
そんなのでは萎えないか?感情移入できないんじゃないか?」という問題指摘が
>http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1719416.html
>主人公が戦いの中で強くなる、強さを見せるというのはアニメや漫画における
>爽快なシーンですが、その強さの理由に「キャラクターの血統」といった背景が関係することも
>多いかと思います。中国オタクの中には「強い理由が血統」ということについてちょっと
>考えてしまうこともあるらしく、中国のネットで話題になっていました。
>考えてみると日本の作品の主人公の強さって、結局は血統で決まってない?
>強いキャラはみんな「良い血統」という背景がある。主流な少年漫画を見てみれば、
>ルフィもナルトもゴンも一護もリクオもハッキリと血統による強さとなっているし、
>コナンなんかでも同じ分野で優秀な親の才能を受け継いでいる。
>優秀なキャラには、優秀な血統が背景としてあることが多いね。ここまで多いと、
>この設定が日本人の感覚独自の強い説得力を持っているのではないかと考えてしまう。
>血統か……特に印象的なのは「NARUTO」かな。ロック・リーはどうすればいいんだ……
>ジャンプ系だと、「るろうに剣心」が血統による強いキャラってのが出てないね。
>ただ、あれは時代設定的に明治維新というそれまでの封建体制が崩壊した時代と関係するから
>血統重視のキャラが出ていないのかも。(続く)
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
>少年漫画の範疇ではないけど「ベルセルク」のガッツは血統とか全く無いキャラだね。
>言われてみればああいうのは珍しいかも。日本のアニメは昔からそうだぞ。
>お前ら「一休さん」が単なる片親しかいない子供だと思っているのか?
>一休は南朝系天皇の私生児で、出家しなければ大きな問題になっていた。
>それと単なる寡婦だと思われていることの多い母親も藤原氏の血統だから、
>全てが血統によるものではなくても、本人の努力や師匠的存在、育った環境、過去の
>経験と同じかそれ以上に重要なものだったりすることは多いかも。
>それから血統と背景があると話が作り易いのかもね。伏線にもできるし。
>正直、修行で強くなったりはするけど強くなれた理由が結局は血統による能力ってことだと、
>なんとなく冷める時がある。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
成る程、と思ってよくよく考えると、もっと根の深い話が日本の少年コミックには
あるような気がした。
「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミックが少ない」ということもあるのではないか?
30年以上前、自分が小学生の頃の「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」などは、
もうちょっと「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミック」が多かった気がする。
特に学園モノ・ギャグモノとかは、主人公の血統を問わない設定が大半だし
(有閑倶楽部あたりは違うな、少女漫画だが)、スポーツモノも、
なので、自分が小学生の頃は、それなりに少年マンガを読んでいたと思う。
しかしその後、少年マンガを暫く読まないまま大人になり、たまに散髪屋とかで
こういうマンガでは、そりゃ血統の設定が重要視、当然視される。
自分は元々が「オカルト・擬似科学嫌いな理系チック人間」なので、
「主人公が超能力で対決する」という設定のストーリー、と分かった時点で
「次の頁を一切見たくなくなる、興味が萎える」。
ジャンプ辺りで「安心して読める」のは、せいぜい「こち亀」くらいか?
(あれもハチャメチャなマンガではあるが、一応現代科学の法則を逸脱はしていない)
それ以外は全て超能力系だったりして、腰抜かした。
まあ自分が「今の小学生」だったら、これら3誌は絶対買わないなあ。
「ジャンプ・サンデー・マガジンでこんなに非科学的マンガが横行して、
日本の科学リテラシーは大丈夫か?オカルトに嵌る若者を産みだす下地を作ってないか?」と
心配になる反面、
「少年マンガの売れ行きが減少しているのは、オカルト流行りの連載ばかり
厚遇されている誌面作りに、小学生中学生が飽き飽きしているから、
彼等もバカじゃない」という側面もあるのでは?と思うので、少し安心する。
せめて成人コミック程度に、
今、「国民的人気」を誇るものって何だろう?そう考えた時にパッと思い浮かぶものはワンピースとAKB48だった。
この二つを大好きって言う人はすっごい多いと思う。22歳の自分もワンピースが大好きだし(特にナミ編。あのウソップの決意は本当に格好いい!!でもストーリーが進むにつれてあの決意が薄まっていっちゃうのが嫌だ。)、AKBも結構好きだ(特にヘビーローテーション。あとSKEだけど 1!2!3!4!ヨロシク!はイイ!)。
実際この二つは今一番売れているんだと思う。
だけどさぁ、タイトルにあるように「今一番売れているものは後世に語り継がれる」って考えると、この時代に生きている人として、ちょっと嫌だ。
もし、今「巨人・大鵬・玉子焼き」的なキャッチフレーズを作るとしたら、たぶん「ルフィ海賊団、AKB、ラーメン」みたいな感じになるんだと思う。
30年ぐらいたって、部下に「AKBとか好きだったんですか?」とか聞かれたくないなぁ、って思う。
何とかならないですか??
「ワンピースはドラゴンボールを超えた」という人もいるけど、ちゃんちゃらおかしい。
★
もちろん今のところ、ワンピースの人気は高いけど、それはただ流行っているというだけ。
どうせ連載が終わったら、「ワンピース?ああ、そんな漫画もあったな」という感じになってしまうよ。
連載終了後も根強いファンがいて、ゲームやグッズが発売され続けるドラゴンボールにはぜったいなれないと思う。
★
★
★
ある漫画がロングセラーになれるかどうか、これを決めるのはみんながその漫画を何度も読み返すかどうかにかかってる。
もし読み返されなかったら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
★
アニメ「イカ娘」は2期が製作されたのに、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はされてない。
まあ、作ってもよかったんだろうけど、もし俺妹2期が放送されたとして、イカ娘2期の場合と同じ高さのテンションでそれを迎えられる人って多くないと思う。
「ああ、そういえば俺妹とか、あったなあ」という感じだろう。
★
俺妹の1期放送中は各話を何度も繰り返し観た人も、いざ最終回を迎えた後では、俺妹に対する興味が失せてしまった、という人は結構多いはず。
たまに観返しても、「あれ?こんなアニメだったっけ?もっと面白かった気がしたが・・・。」といった違和感を覚える。
★
この原因は、そもそも俺妹というアニメが「最終回が気になる」タイプのアニメだったからだ。
視聴者は、「主人公と妹が仲良くなれるか??」という緊張感を最終回までずーっと引きずってきた。
しかしいざ妹が素直になったのを観ると、その緊張感は消えてしまう。
★
むしろ近年まれに見る傑作だった。
ただこういう種類のアニメは、最終回後に観ると面白さが半減してしまう。
「ペリーヌ物語」なんてのも好い例だ。
★
逆にイカ娘は、緊張感がぜんぜんない。
しかも各話独立のため、1期全体を通した一貫性というのも無い。
だからみんな、純粋に1話1話が面白いという理由だけでイカ娘を観ていたはずだ。
こういうタイプのアニメというのは、放送が終わっても何度観ても面白さは変わらない。
★
★
基本的に、俺妹のような「最終回が気になる」タイプのアニメは、最終回が終わった後は忘れら去られることが多い。
ただし例外的に、最終回が視聴者に欲求不満を残すような終わり方をするアニメは、何度も観返される。
たとえば「あしたのジョー」。
あるいは「エヴァンゲリオン」。
こういうアニメは最終回を迎えた後も「いつも心のどこかに引っかかっている」ということになる。
だからみんなふたたび観る。
★
2つ目の例外として、「まだ続きがありそうな終わり方」をした漫画は、何度も読み返される。
たとえば「スラムダンク」。
もしこれが「桜木が全国優勝して終わり」とかだったら、読者はみんな心から満足して、その漫画のことをきれいさっぱり忘れたはずだ。
あるいは「ドラゴンボール」。
悟空より強い敵はまだまだたくさん出てくるんじゃないかと思わせる。
鳥山明さまの終わらせ方は本当に上手いと思う。
★
★
さて問題のワンピース。
読者は「いったいワンピースとは何だろう?」と気になりながら読んでいる。
そしてシャンクスとの再会も気になるところ。
★
こういうありったけの伏線を張っておいて、いざ最終回を迎えてすべての伏線が回収されるとき、その満足感は計り知れないが、逆にその分だけ、えらく気の抜けたことになってしまう。
だからふたたび読み返そうにも、「ああ、ひとつなぎの大秘宝ってのはつまり4つの〇のことなんだよね。」などとわかっていたら、面白さ半減もいいとこだ。
★
みんなの中にはこういう反論があるかもしれない。
「私はアラバスタ編は何度読んでも泣けるよ」という人が。
しかしそれはワンピースという漫画がまだ「終わっていない」からだ。
しかしいざ終わってしまえば、「過去の漫画」になってしまうだろう。
それがワンピース。
ネトウヨについて僕が考えていることを書こうと思う。
この文章は割と長い。これはネトウヨに読んでもらうためにはあきらかにマイナスだ。
(1)長い文章が読めない→(2)見出しだけで内容を判断する→(3)的外れなコメントをする
ネトウヨの大部分は長い文章を読めない。
いや、正確には、長い文章を読めない者がネトウヨになる割合が多いのだ。
その理由は、この文章を最後まで読んでもらえばわかると思いたい。
では、なぜ僕は読まれないのに長い文章を書くのか。
それも、最後まで読んでもらえればわかると思う。
とりあえず、文章が長いというクレームは受け付けない。
最初に、「ネトウヨ」という呼称を使う理由について説明したい。
ここでは主に、ネット上にて
・反韓デモを扇動したり在日差別を行うやたらと排他主義的な人物
・自分は国にろくな貢献もしていないくせにやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者
といった人物を指してネトウヨとしている。また、これらの人物の特徴としては
・自分の主張を正当化させたり他人の正論を貶めるためには平気でデマを流す
・無知ゆえに存在しない陰謀と戦っており、自分のみが真実を得ていると思い込んでいる
などがある。
こういった人々は基本的にネトウヨと呼ばれるのを嫌う。なぜ嫌うのかはよくわからない。
もしかしたらバカにされていることに薄々感づいているのかもしれない。
でも、この文章の中ではネトウヨと呼ばせてもらう。
決してネトウヨを怒らせたいからでなく、ただ他の呼称で適当なものがみつからないからだ。
では、まず説明したいのは、ネトウヨがいかに情報に踊らされているかということだ。
ネトウヨは言う。「メディアは韓国や電通や民主党にコントロールされている」と。
まあ、当然だが現実にそんなことはない。
そういうことを言うバカがいて、ネトウヨは簡単にそいつらに踊らされる。
メディアについて、専門家が正しく解説している文章はネット上にいくらでもあるが、ネトウヨはそういう自分たちに都合の悪いものはまず読まない。
そして、家から出たこともないような引きこもりが想像で書いた落書きや、自称事情通の友人が書いた落書きだけを「真実だ」と信じ込む。
でも、残念だけど、陰謀論というのは無知な人間の間からしか発生しない。無知な人間の浅い想像とルサンチマンが、くだらない陰謀論を生む。
例えば、だれか国際金融のマーケットに立つ一流のトレーダーで、ロスチャイルド家が世界経済をコントロールしているなんて陰謀論を信じている奴が一人でもいるだろうか。
一方で、「少年ジャンプの印刷部数は集英社がコントロールしている」という事実は、集英社の社長に聞いても、大日本印刷の社長に聞いても間違いないだろう。
ある事象が陰謀論か事実なのかは、十分な知識をもった専門家がどのように考えているかを調べれば簡単にわかる。
もちろん、大勢の言うことがいつも正しいというわけではない。しかし、大勢の専門家が言うことは大抵の場合正しい。
これまでの歴史を振り返ってみて決して例外がないわけではないが、やはり大抵の場合は専門家の意見が正しい。
それを違うと思うなら、素人の想像のストーリーを鵜呑みにするのではなく、まずは自分の頭で考えることだ。
でも、大抵の人間はそれができない。ネトウヨになんてできるわけがない。
真実だと言い張る、嘘で耳になじみの良い、自分たちだけしか知らない(と思い込んだ)、バカみたいな情報に騙される。
だから、それなら専門家の言うことを信じていた方が無難だよとアドバイスしてやりたい。
専門家並みの知見を得られないのなら、専門家の言うことをだまって信じていればよいのだ。
では、話が戻ってメディアコントロールの話だが、これはありえないとメディア業界が長い僕が断言する。
そして、業界のまともな人間なら、みんながみんな、「特定の団体がメディアをコントロールするなんてありえない」と言うだろう。
でも、そんな現場ではだれもが知っていることが、噂話による想像でしか状況を思い描けないネトウヨには理解できないらしい。
仮の話だが、ここ5年、販売される同人誌をすべて分析してみた結果、登場するキャラクターの巨乳率が有意に大型化していることを発見したとしよう。
2006年は平均Cカップ弱程度だったのに、07年にはCカップ、09年にはDカップ、11年においては平均がなんとEカップものサイズになっていた。
この事実を、コミケのことを詳しく知らない人物が分析し、理由づけしたところ、
「婚期を逃した女性たちが結託して、ロリコンを撲滅し、豊満な肉体を持つ熟女の魅力を刷りこむために行っている、つまり犯人は2chの喪女だ(喪女犯人説)」
という結論に達したとする。
くだらないので例は書かないが、いくら反論されても論理的に説明できるだろう。
いざとなれば1番胸の大きい同人誌を書いている女性を連れて来たら、そんなものを書いている女性の多くは喪女だろうから、簡単に証明成功だ。
もちろん、その1番胸の大きい同人誌を書いているの女性が既婚なら、2番でも3番でもいい。
でも、そんな喪女犯人説がナンセンスなのはコミケに参加したことがある人ならだれでもわかるはずだ。
もしも同人誌の絵の胸が年々大きくなっているとすれば、それはそういう絵が流行りで、そういう絵が求められているからだ。
熟女の魅力を刷りこむなんて無駄な努力のために、全作家に巨乳を書くように頼んでまわるバカなんているわけがない。
仮に存在したとしても、作家がそんなことに協力するわけがない。この陰謀論はまったくもってバカらしい。
どうやって全メディアに偏った報道をするように頼んでまわれるというのだ。
もちろんネトウヨは可能だと言うだろう。だが、喪女犯人説だって同様に可能なのだ。
あらゆる可能性は存在するが、だからといってあらゆる真実が存在するわけではない。
喪女犯人説と同様に、現代日本でメディアコントロール説は明らかにナンセンスだと断言できる。
メディアが偏っていると憤慨しているやつは、コミケの話で言えば貧乳派だ。
だから文句を言いたいし、自分の周りはみんな貧乳派だから、巨乳派が多数だなんて認められない。
でも、コミケで年々胸が大きくなるのが流行りだったように、その報道の偏りも、いわばただの流行りなのだ。
「麻生が字を間違えたことばかりあんなに大きく報道したのに、民主党の○○はまったく報道されていない」
なんて言うやつがいるが、たんに麻生が字を間違えたことを多くの視聴者は見たがった。ただそれだけだ。
いや、見たくなかったなんて言うやつもいるかもしれないが、そういうやつこそ苦々しい顔をして繰り返し見ているものなのだ。
「私が見ていないから、みんなが見たくないはずだ」なんて思うのはばかげてる。
「私の周りはみんな見ていないから、ほとんどの人が見ていないはずだ」なんてのはナンセンスの極みだ。
ご存じのとおり、日本のメディアはそのほとんどが営利企業だ。最大多数の人が求めるものを最優先で提供するのだ。
日本のメディアがコントロールできるなら、確実に政府与党によってコントロールされているはずである。
可能ならば、以前なら自民党、今は民主党が自分たちの都合の良いようにコントロールしているはずである。
しかし現実では、今のテレビや新聞が民主党の悪口だらけなのは言うまでもない。
結局のところ、メディアが偏っていると騒ぐやつらは、自分たちの望むように偏らせたいと願うやつらなのだ。
自分たちが大切だと思うニュースを、大多数が見たいニュースより目立たせろと言うバカなのだ。
重要かどうかを決めるのはお前たちではないのだ。それぞれのメディアに専門家がいて、その責を持った者が決めるのだ。
「あのデモを取り上げなかった」「あの失言を取り上げなかった」
それを取り上げたとすれば、それこそが一般的には偏向報道なのだ。
それが、狭い世界にいて、自分だけがすべて、ネットにいる仲間たちだけがすべてだったら、理解することができないのだ。。
貧乳派が貧乳派だけで集まり、必然的に情報は偏り、制限される。
ネットの貧乳派のコミュニティを覗いて、貧乳派の声が圧倒的に大きいと感じる。
だから自分たちは正義だと思い、巨乳が増加するコミケを批判し、原因をねつ造する。
正確にはどっかのバカが想像で書いたフィクションを真実なのだと信じ込む。今やっているのはつまり、そういうことなのだ。
つまり、世の中の大多数にとって、そのデモはどうでもいいのだ。そのデモの記事なんて読みたくないのだ。
メディアの中の人間は、それがよくわかっているから、この結果になるのだ。
それが情報の制限されたネトウヨには理解できないからこそ、ネトウヨは真実にたどりつくことが決してないのだ。
と、ここまで勢いよく書いたが、上記に一点だけ付け加えたい。
メディアをコントロールできる唯一のものとして、そのメディア自身がある。つまり、「自社に直接関係する事件」はかなりの割合がなんらかの形でコントロールされる。
もちろん、自社に関係するといっても、報道媒体が「スポンサーが」なんて言うことは仕組み的にありえない。社員逮捕とか、自社の粉飾決算とか、そういう話だ。
しかし、それは民間企業として当たり前である。当事者性の観点からも、裁判が終わり事実が確定するまで自社では報道すべきではないともいえる。
そして、日本ではまったく別資本のメディアが無数にあるので、これを陰謀論の根拠とすることは不可能だ。
ちなみに、新聞社同士、テレビ局同士は仲間ではなくライバルだ。足を引っ張れるなら引っ張りたいとお互いに思いあっている関係だ。互いに擁護することなんてまずないだろう。
以上は蛇足だったとは思うが、僕は正直者なので念のため。
次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。
何かをなしとげたわけでもなく、だれかに認められた経験もない。
つまり、ネトウヨとは、自らのアイデンティティを確立することに失敗した人間たちではないかと僕は考えている。
そういった実績や経験は年を重ねて初めて身につけられることが多い。例えば、小学生で明らかな実績や経験を誇れる人間は一握りだろう。大多数の子どもは何ももっていない。
だからなのだ。
小学生から中学生の頃、親が社長だとか、親戚が芸能人だとか、自分が得たものではなく与えられたものについて、やたらと自慢する鼻つまみ者が存在したのは。
自分自身が何者でもないなら、自分自身以外から自分のアイデンティティを証明するものを持ってくるしかない。
もちろん、他所から持ってきた「自分が特別(他の人とは違う)だという証明」は、自分自身で積み重ねたものに劣る。
だから、ほとんどの人は年を重ねるにつれ、自分自身のアイデンティティを、自ら積み重ねたもので証明するようになる。
それは学校名だったり、職場名だったり、能力だったり、経験だったりするわけだ。
しかし、ネトウヨは何も持たない。正確には、何も持たないと自分で思っている者がネトウヨになりやすい。
ネトウヨは自分自身を卑下している。彼らにとって胸を張って他人に対して誇れる自分の「証明」が存在しないのだ。
そんなどうしようもない人物が、唯一手にすることができるのが「日本人」だということなのだ。
彼らはおそらくこう思っている。日本人は西洋人には劣るが、他のアジア人よりは優秀だと。西洋人には劣ると考えているため、西洋人に認められることをすごく喜ぶ。
親日的な西洋人のネタは2chのまとめブログでも人気の記事だ。一方で、アジア人(特に中国・韓国人)のことを見下しているため、アジア人に対してはまずバカにしてかかる。
しかし、残念ながら本来人種に優劣などないので、人口と土地の広い中国には必然的に抜かれそうになる。
その他新興国だって、遅れながらも成長をはじめ、先行した日本の地位を脅かし始める。
まあ社会が成長する過程において当然のことだし、まっとうな日本人なら、今の日本の発展を維持するか、今以上に成長させる方法を考える。
しかしネトウヨはそんなことは考えられない。そもそもそんなことを考える立場にもいない。それなのに、今のアジア人を見下す立場だけは死守したい。
それだけが自分の存在価値であり、人生において人を見下せる唯一の武器だからだ。
そうなると必然的にネトウヨはアジア人を叩く。とくに国際的な立場が日本に迫りつつある中国人と韓国人を叩く。自分たち自身を伸ばせないなら叩くしかない。
もちろんネトウヨがいくらわめいたところで現実は何も変わらない。でも、ネトウヨはそれしかできないからそうするしかない。
ネトウヨはアジア各国は劣っていると思いたい。日本はすばらしい優秀な国だと思いたい。
しかし、本当の愛国者は、自分の国が優秀だから愛するのではない。自分の生まれ育った国だから愛するのだ。
自分の国が優秀だから愛するのが愛国者なら、失敗国家に愛国者などいるはずがない。
愛国とは、親を愛する、子を愛するのと同じなのだ。ダメな親でも、ダメな子でも愛するように、愛国者は自分の国を愛するものなのだ。
親の悪口を言うことも、子の愚痴を言うことがあっても親子は愛し合うように、自分の国に対し批判的な意見を言っても愛国者だということは十分にありうるのだ。
ネトウヨはなぜ違うか。なぜ自分の国が優秀だと言い張り、日本の行動や歴史を批判する日本人がいれば必要以上に叩くのか。
それはネトウヨが日本を愛しているからではなく、ネトウヨにとって日本は自分のアイデンティティを証明するための道具にすぎないからだ。
道具の価値を下げられそうになれば抵抗する。それはネトウヨの気持ちになれば確かに理解できる行動だ。ただし、それが健全な行動だとは言い難い。そんなものが新の愛国者なはずがない。
どんな漫画でも映画でも小説でもなんでもよいのだが、今最も売れている漫画として、とりあえずワンピースを例にあげる。
ワンピースでは、主人公ルフィの血のつながらない兄として「エース」がいる。エースは大犯罪者の息子だ。そのために物心ついたころから差別されて育ってきた。生まれて来なければよかったと言われ、多くの人に憎まれた。
物語が進み、エースは白ひげという海賊に出会う。エースを憎むスクアードという海賊に白ひげは言う。
「親の罪を子に晴らすなんて滑稽だ。エースがお前に何をした?仲良くやんな、みんなおれの家族だぜ」
で、ここで多くの人が感動したと思う。
ワンピースは差別問題を積極的に扱っている。その差別問題のエピソードで打ち出されるメッセージはいつも「差別はよくない」だ。
よく思い出してほしい。差別されていじめられる子が登場する物語を。いつもその物語から打ち出されるメッセージは「差別はよくない」だったはずだ。
まあ、「差別しようぜ」というメッセージはかなりとがった媒体でもないと表現できないという理由もある。
しかし、それ以上に「差別はよくない」というのが僕らのモラル、そして常識と合致するからだ。だから多くの人が感動するのだ。
差別された悲劇に涙し、差別に打ち勝った勇気に打ち震えるのだ。それなのにネトウヨはアジア人を差別する。
では、彼らはワンピースに感動しないのだろうか。
いや、そんなことはない。もちろんネトウヨも人の子だ。ワンピースはともかく、なんらかの差別問題を扱ったストーリーに感銘を覚えた経験はあるはずだ。
少なくとも、ネトウヨに差別を肯定的にとらえているほど積極的に思考している人間は少ないだろう。
差別はいけないことであり、差別を克服する物語に感動するのに、なぜ彼らはアジア人を差別するのかということだ。
まず、単純だが愚かな反論として、「差別ではなく劣っているから指摘しているだけだ」というのがある。
まあ、「それが差別だ」との一言でおわる反論だが、あえて詳しく説明しよう。
・エースは大犯罪者の血をひいているだけあり、かなりの暴れ者だった。
それでも親の罪を子に晴らすなんて滑稽だし、黒人を犯罪者予備軍扱いしてはならないし、女性が学びの道に進むことを阻害してはならないのだ。
なぜなら、人には人権があり、差別されず正当に生きる権利があるからだ。一部のアジア人が不正をおかしたからといって、「あんな国は亡びればいい」だとか「あいつらは劣等民族だ」なんて言うことは明らかに誤りである。
2chのネトウヨが跋扈しているスレッドでは、目を覆うような罵詈雑言が「すべての」中国人や韓国人に投げつけられている。
彼らはワンピースに感動し、差別はよくないとうなずきながら、その手は差別用語を打ち続けるのだ。どうしてそのようなことがおこるのか。
続く→
第1章 並行プログラミングとGHC (上田和紀) 1.1 はじめに 1.2 ターゲットを明確にしよう 1.3 はじめが大切 1.4 GHCが与える並行計算の枠組み 1.4.1 GHCにおける計算とは,外界との情報のやりとり(通信)である 1.4.2 計算を行う主体は,互いに,および外界と通信し合うプロセスの集まりである 1.4.3 プロセスは,停止するとは限らない 1.4.4 プロセスは,開いた系(open system)をモデル化する 1.4.5 情報とは変数と値との結付き(結合)のことである 1.4.6 プロセスは,結合の観測と生成を行う 1.4.7 プロセスは,書換え規則を用いて定義する 1.4.8 通信は,プロセス間の共有変数を用いて行う 1.4.9 外貨も,プロセスとしてモデル化される 1.4.10 通信は,非同期的である 1.4.11 プロセスのふるまいは,非決定的でありうる 1.5 もう少し具体的なパラダイム 1.5.1 ストリームと双方向通信 1.5.2 履歴のあるオブジェクトの表現 1.5.3 データ駆動計算と要求駆動計算 1.5.4 モジュラリティと差分プログラミング 1.5.5 プロセスによるデータ表現 1.6 歴史的背景と文献案内 1.7 並行プログラミングと効率 1.8 まとめ 第2章 様相論理とテンポラル・プログラミング (桜川貴司) 2.1 はじめに 2.2 様相論理 2.3 時制論理 2.4 多世界モデル 2.5 到達可能性と局所性 2.6 純論理プログラミングへ向けて 2.7 Temporal Prolog 2.8 RACCO 2.9 実現 2.10 まとめと参考文献案内 第3章 レコード・プログラミング (横田一正) 3.1 はじめに 3.2 レコードと述語の表現 3.3 レコード構造とφ-項 3.3.1 φ-項の定義 3.3.2 型の半順序と束 3.3.3 KBLとLOGIN 3.4 応用――データベースの視点から 3.4.1 演繹データベース 3.4.2 レコード・プログラミングとデータベース 3.4.3 いくつかの例 3.5 まとめ 3.6 文献案内 第4章 抽象データ型とOBJ2 (二木厚吉・中川 中) 4.1 はじめに 4.2 抽象データ型と代数型言語 4.2.1 抽象データ型 4.2.2 代数型言語 4.2.3 始代数 4.2.4 項代数 4.2.5 項書換えシステム 4.3 OBJ2 4.3.1 OBJ2の基本構造 4.3.2 モジュールの参照方法 4.3.3 混置関数記号 4.3.4 モジュールのパラメータ化 4.3.5 パラメータ化機構による高階関数の記述 4.3.6 順序ソート 4.3.7 属性つきパターンマッチング 4.3.8 評価戦略の指定 4.3.9 モジュール表現 4.4 おわりに 第5章 プログラム代数とFP (富樫 敦) 5.1 はじめに 5.2 プログラミング・システム FP 5.2.1 オブジェクト 5.2.2 基本関数 5.2.3 プログラム構成子 5.2.4 関数定義 5.2.5 FPのプログラミング・スタイル 5.3 プログラム代数 5.3.1 プログラム代数則 5.3.2 代数則の証明 5.3.3 代数則とプログラム 5.4 ラムダ計算の拡張 5.4.1 ラムダ式の拡張 5.4.2 拡張されたラムダ計算の簡約規則 5.4.3 そのほかのリスト操作用演算子 5.4.4 相互再帰的定義式 5.4.5 ストリーム(無限リスト)処理 5.5 FPプログラムの翻訳 5.5.1 オブジェクトの翻訳 5.5.2 基本関数の翻訳 5.5.3 プログラム構成子の翻訳 5.5.4 簡約規則を用いた代数則の検証 5.6 おわりに 第6章 カテゴリカル・プログラミング (横内寛文) 6.1 はじめに 6.2 値からモルフィズムへ 6.3 カテゴリカル・コンビネータ 6.3.1 ラムダ計算の意味論 6.3.2 モルフィズムによる意味論 6.3.3 カテゴリカル・コンビネータ理論CCL 6.4 関数型プログラミングへの応用 6.4.1 関数型プログラミング言語ML/O 6.4.2 CCLの拡張 6.4.3 CCLに基づいた処理系 6.4.4 公理系に基づいた最適化 6.5 まとめ 第7章 最大公約数――普遍代数,多項式イデアル,自動証明におけるユークリッドの互除法 (外山芳人) 7.1 はじめに 7.2 完備化アルゴリズム 7.2.1 グラス置換えパズル 7.2.2 リダクションシステム 7.2.3 完備なシステム 7.2.4 完備化 7.2.5 パズルの答 7.3 普遍代数における完備化アルゴリズム 7.3.1 群論の語の問題 7.3.2 群の公理の完備化 7.3.3 Knuth-Bendix完備化アルゴリズム 7.4 多項式イデアル理論における完備化アルゴリズム 7.4.1 ユークリッドの互除法 7.4.2 多項式イデアル 7.4.3 Buchbergerアルゴリズム 7.5 一階述語論理における完備化アルゴリズム 7.5.1 レゾリューション法 7.5.2 Hsiangのアイデア 7.6 おわりに 第8章 構成的プログラミング (林 晋) 8.1 構成的プログラミング? 8.2 型付きラムダ計算 8.3 論理としての型付きラムダ計算 8.4 構成的プログラミングとは 8.5 構成的プログラミングにおける再帰呼び出し 8.6 おわりに:構成的プログラミングに未来はあるか? 第9章 メタプログラミングとリフレクション (田中二郎) 9.1 はじめに 9.2 計算システム 9.2.1 因果結合システム 9.2.2 メタシステム 9.2.3 リフレクティブシステム 9.3 3-Lisp 9.4 リフレクティブタワー 9.5 GHCにおけるリフレクション 9.5.1 並列論理型言語GHC 9.5.2 GHCの言語仕様 9.5.3 GHCのメタインタプリタ 9.5.4 リフレクティブ述語のインプリメント 9.6 まとめ
ネトウヨについて僕が考えていることを書こうと思う。
この文章は割と長い。これはネトウヨに読んでもらうためにはあきらかにマイナスだ。
(1)長い文章が読めない→(2)見出しだけで内容を判断する→(3)的外れなコメントをする
ネトウヨの大部分は長い文章を読めない。
いや、正確には、長い文章を読めない者がネトウヨになる割合が多いのだ。
その理由は、この文章を最後まで読んでもらえばわかると思いたい。
では、なぜ僕は読まれないのに長い文章を書くのか。
それも、最後まで読んでもらえればわかると思う。
とりあえず、文章が長いというクレームは受け付けない。
最初に、「ネトウヨ」という呼称を使う理由について説明したい。
ここでは主に、ネット上にて
・反韓デモを扇動したり在日差別を行うやたらと排他主義的な人物
・自分は国にろくな貢献もしていないくせにやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者
といった人物を指してネトウヨとしている。また、これらの人物の特徴としては
・自分の主張を正当化させたり他人の正論を貶めるためには平気でデマを流す
・無知ゆえに存在しない陰謀と戦っており、自分のみが真実を得ていると思い込んでいる
などがある。
こういった人々は基本的にネトウヨと呼ばれるのを嫌う。なぜ嫌うのかはよくわからない。
もしかしたらバカにされていることに薄々感づいているのかもしれない。
でも、この文章の中ではネトウヨと呼ばせてもらう。
決してネトウヨを怒らせたいからでなく、ただ他の呼称で適当なものがみつからないからだ。
では、まず説明したいのは、ネトウヨがいかに情報に踊らされているかということだ。
ネトウヨは言う。「メディアは韓国や電通や民主党にコントロールされている」と。
まあ、当然だが現実にそんなことはない。
そういうことを言うバカがいて、ネトウヨは簡単にそいつらに踊らされる。
メディアについて、専門家が正しく解説している文章はネット上にいくらでもあるが、ネトウヨはそういう自分たちに都合の悪いものはまず読まない。
そして、家から出たこともないような引きこもりが想像で書いた落書きや、自称事情通の友人が書いた落書きだけを「真実だ」と信じ込む。
でも、残念だけど、陰謀論というのは無知な人間の間からしか発生しない。無知な人間の浅い想像とルサンチマンが、くだらない陰謀論を生む。
例えば、だれか国際金融のマーケットに立つ一流のトレーダーで、ロスチャイルド家が世界経済をコントロールしているなんて陰謀論を信じている奴が一人でもいるだろうか。
一方で、「少年ジャンプの印刷部数は集英社がコントロールしている」という事実は、集英社の社長に聞いても、大日本印刷の社長に聞いても間違いないだろう。
ある事象が陰謀論か事実なのかは、十分な知識をもった専門家がどのように考えているかを調べれば簡単にわかる。
もちろん、大勢の言うことがいつも正しいというわけではない。しかし、大勢の専門家が言うことは大抵の場合正しい。
これまでの歴史を振り返ってみて決して例外がないわけではないが、やはり大抵の場合は専門家の意見が正しい。
それを違うと思うなら、素人の想像のストーリーを鵜呑みにするのではなく、まずは自分の頭で考えることだ。
でも、大抵の人間はそれができない。ネトウヨになんてできるわけがない。
真実だと言い張る、嘘で耳になじみの良い、自分たちだけしか知らない(と思い込んだ)、バカみたいな情報に騙される。
だから、それなら専門家の言うことを信じていた方が無難だよとアドバイスしてやりたい。
専門家並みの知見を得られないのなら、専門家の言うことをだまって信じていればよいのだ。
では、話が戻ってメディアコントロールの話だが、これはありえないとメディア業界が長い僕が断言する。
そして、業界のまともな人間なら、みんながみんな、「特定の団体がメディアをコントロールするなんてありえない」と言うだろう。
でも、そんな現場ではだれもが知っていることが、噂話による想像でしか状況を思い描けないネトウヨには理解できないらしい。
仮の話だが、ここ5年、販売される同人誌をすべて分析してみた結果、登場するキャラクターの巨乳率が有意に大型化していることを発見したとしよう。
2006年は平均Cカップ弱程度だったのに、07年にはCカップ、09年にはDカップ、11年においては平均がなんとEカップものサイズになっていた。
この事実を、コミケのことを詳しく知らない人物が分析し、理由づけしたところ、
「婚期を逃した女性たちが結託して、ロリコンを撲滅し、豊満な肉体を持つ熟女の魅力を刷りこむために行っている、つまり犯人は2chの喪女だ(喪女犯人説)」
という結論に達したとする。
くだらないので例は書かないが、いくら反論されても論理的に説明できるだろう。
いざとなれば1番胸の大きい同人誌を書いている女性を連れて来たら、そんなものを書いている女性の多くは喪女だろうから、簡単に証明成功だ。
もちろん、その1番胸の大きい同人誌を書いているの女性が既婚なら、2番でも3番でもいい。
でも、そんな喪女犯人説がナンセンスなのはコミケに参加したことがある人ならだれでもわかるはずだ。
もしも同人誌の絵の胸が年々大きくなっているとすれば、それはそういう絵が流行りで、そういう絵が求められているからだ。
熟女の魅力を刷りこむなんて無駄な努力のために、全作家に巨乳を書くように頼んでまわるバカなんているわけがない。
仮に存在したとしても、作家がそんなことに協力するわけがない。この陰謀論はまったくもってバカらしい。
どうやって全メディアに偏った報道をするように頼んでまわれるというのだ。
もちろんネトウヨは可能だと言うだろう。だが、喪女犯人説だって同様に可能なのだ。
あらゆる可能性は存在するが、だからといってあらゆる真実が存在するわけではない。
喪女犯人説と同様に、現代日本でメディアコントロール説は明らかにナンセンスだと断言できる。
メディアが偏っていると憤慨しているやつは、コミケの話で言えば貧乳派だ。
だから文句を言いたいし、自分の周りはみんな貧乳派だから、巨乳派が多数だなんて認められない。
でも、コミケで年々胸が大きくなるのが流行りだったように、その報道の偏りも、いわばただの流行りなのだ。
「麻生が字を間違えたことばかりあんなに大きく報道したのに、民主党の○○はまったく報道されていない」
なんて言うやつがいるが、たんに麻生が字を間違えたことを多くの視聴者は見たがった。ただそれだけだ。
いや、見たくなかったなんて言うやつもいるかもしれないが、そういうやつこそ苦々しい顔をして繰り返し見ているものなのだ。
「私が見ていないから、みんなが見たくないはずだ」なんて思うのはばかげてる。
「私の周りはみんな見ていないから、ほとんどの人が見ていないはずだ」なんてのはナンセンスの極みだ。
ご存じのとおり、日本のメディアはそのほとんどが営利企業だ。最大多数の人が求めるものを最優先で提供するのだ。
日本のメディアがコントロールできるなら、確実に政府与党によってコントロールされているはずである。
可能ならば、以前なら自民党、今は民主党が自分たちの都合の良いようにコントロールしているはずである。
しかし現実では、今のテレビや新聞が民主党の悪口だらけなのは言うまでもない。
結局のところ、メディアが偏っていると騒ぐやつらは、自分たちの望むように偏らせたいと願うやつらなのだ。
自分たちが大切だと思うニュースを、大多数が見たいニュースより目立たせろと言うバカなのだ。
重要かどうかを決めるのはお前たちではないのだ。それぞれのメディアに専門家がいて、その責を持った者が決めるのだ。
「あのデモを取り上げなかった」「あの失言を取り上げなかった」
それを取り上げたとすれば、それこそが一般的には偏向報道なのだ。
それが、狭い世界にいて、自分だけがすべて、ネットにいる仲間たちだけがすべてだったら、理解することができないのだ。。
貧乳派が貧乳派だけで集まり、必然的に情報は偏り、制限される。
ネットの貧乳派のコミュニティを覗いて、貧乳派の声が圧倒的に大きいと感じる。
だから自分たちは正義だと思い、巨乳が増加するコミケを批判し、原因をねつ造する。
正確にはどっかのバカが想像で書いたフィクションを真実なのだと信じ込む。今やっているのはつまり、そういうことなのだ。
つまり、世の中の大多数にとって、そのデモはどうでもいいのだ。そのデモの記事なんて読みたくないのだ。
メディアの中の人間は、それがよくわかっているから、この結果になるのだ。
それが情報の制限されたネトウヨには理解できないからこそ、ネトウヨは真実にたどりつくことが決してないのだ。
と、ここまで勢いよく書いたが、上記に一点だけ付け加えたい。
メディアをコントロールできる唯一のものとして、そのメディア自身がある。つまり、「自社に直接関係する事件」はかなりの割合がなんらかの形でコントロールされる。
もちろん、自社に関係するといっても、報道媒体が「スポンサーが」なんて言うことは仕組み的にありえない。社員逮捕とか、自社の粉飾決算とか、そういう話だ。
しかし、それは民間企業として当たり前である。当事者性の観点からも、裁判が終わり事実が確定するまで自社では報道すべきではないともいえる。
そして、日本ではまったく別資本のメディアが無数にあるので、これを陰謀論の根拠とすることは不可能だ。
ちなみに、新聞社同士、テレビ局同士は仲間ではなくライバルだ。足を引っ張れるなら引っ張りたいとお互いに思いあっている関係だ。互いに擁護することなんてまずないだろう。
以上は蛇足だったとは思うが、僕は正直者なので念のため。
次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。
何かをなしとげたわけでもなく、だれかに認められた経験もない。
つまり、ネトウヨとは、自らのアイデンティティを確立することに失敗した人間たちではないかと僕は考えている。
そういった実績や経験は年を重ねて初めて身につけられることが多い。例えば、小学生で明らかな実績や経験を誇れる人間は一握りだろう。大多数の子どもは何ももっていない。
だからなのだ。
小学生から中学生の頃、親が社長だとか、親戚が芸能人だとか、自分が得たものではなく与えられたものについて、やたらと自慢する鼻つまみ者が存在したのは。
自分自身が何者でもないなら、自分自身以外から自分のアイデンティティを証明するものを持ってくるしかない。
もちろん、他所から持ってきた「自分が特別(他の人とは違う)だという証明」は、自分自身で積み重ねたものに劣る。
だから、ほとんどの人は年を重ねるにつれ、自分自身のアイデンティティを、自ら積み重ねたもので証明するようになる。
それは学校名だったり、職場名だったり、能力だったり、経験だったりするわけだ。
しかし、ネトウヨは何も持たない。正確には、何も持たないと自分で思っている者がネトウヨになりやすい。
ネトウヨは自分自身を卑下している。彼らにとって胸を張って他人に対して誇れる自分の「証明」が存在しないのだ。
そんなどうしようもない人物が、唯一手にすることができるのが「日本人」だということなのだ。
彼らはおそらくこう思っている。日本人は西洋人には劣るが、他のアジア人よりは優秀だと。西洋人には劣ると考えているため、西洋人に認められることをすごく喜ぶ。
親日的な西洋人のネタは2chのまとめブログでも人気の記事だ。一方で、アジア人(特に中国・韓国人)のことを見下しているため、アジア人に対してはまずバカにしてかかる。
しかし、残念ながら本来人種に優劣などないので、人口と土地の広い中国には必然的に抜かれそうになる。
その他新興国だって、遅れながらも成長をはじめ、先行した日本の地位を脅かし始める。
まあ社会が成長する過程において当然のことだし、まっとうな日本人なら、今の日本の発展を維持するか、今以上に成長させる方法を考える。
しかしネトウヨはそんなことは考えられない。そもそもそんなことを考える立場にもいない。それなのに、今のアジア人を見下す立場だけは死守したい。
それだけが自分の存在価値であり、人生において人を見下せる唯一の武器だからだ。
そうなると必然的にネトウヨはアジア人を叩く。とくに国際的な立場が日本に迫りつつある中国人と韓国人を叩く。自分たち自身を伸ばせないなら叩くしかない。
もちろんネトウヨがいくらわめいたところで現実は何も変わらない。でも、ネトウヨはそれしかできないからそうするしかない。
ネトウヨはアジア各国は劣っていると思いたい。日本はすばらしい優秀な国だと思いたい。
しかし、本当の愛国者は、自分の国が優秀だから愛するのではない。自分の生まれ育った国だから愛するのだ。
自分の国が優秀だから愛するのが愛国者なら、失敗国家に愛国者などいるはずがない。
愛国とは、親を愛する、子を愛するのと同じなのだ。ダメな親でも、ダメな子でも愛するように、愛国者は自分の国を愛するものなのだ。
親の悪口を言うことも、子の愚痴を言うことがあっても親子は愛し合うように、自分の国に対し批判的な意見を言っても愛国者だということは十分にありうるのだ。
ネトウヨはなぜ違うか。なぜ自分の国が優秀だと言い張り、日本の行動や歴史を批判する日本人がいれば必要以上に叩くのか。
それはネトウヨが日本を愛しているからではなく、ネトウヨにとって日本は自分のアイデンティティを証明するための道具にすぎないからだ。
道具の価値を下げられそうになれば抵抗する。それはネトウヨの気持ちになれば確かに理解できる行動だ。ただし、それが健全な行動だとは言い難い。そんなものが新の愛国者なはずがない。
どんな漫画でも映画でも小説でもなんでもよいのだが、今最も売れている漫画として、とりあえずワンピースを例にあげる。
ワンピースでは、主人公ルフィの血のつながらない兄として「エース」がいる。エースは大犯罪者の息子だ。そのために物心ついたころから差別されて育ってきた。生まれて来なければよかったと言われ、多くの人に憎まれた。
物語が進み、エースは白ひげという海賊に出会う。エースを憎むスクアードという海賊に白ひげは言う。
「親の罪を子に晴らすなんて滑稽だ。エースがお前に何をした?仲良くやんな、みんなおれの家族だぜ」
で、ここで多くの人が感動したと思う。
ワンピースは差別問題を積極的に扱っている。その差別問題のエピソードで打ち出されるメッセージはいつも「差別はよくない」だ。
よく思い出してほしい。差別されていじめられる子が登場する物語を。いつもその物語から打ち出されるメッセージは「差別はよくない」だったはずだ。
まあ、「差別しようぜ」というメッセージはかなりとがった媒体でもないと表現できないという理由もある。
しかし、それ以上に「差別はよくない」というのが僕らのモラル、そして常識と合致するからだ。だから多くの人が感動するのだ。
差別された悲劇に涙し、差別に打ち勝った勇気に打ち震えるのだ。それなのにネトウヨはアジア人を差別する。
では、彼らはワンピースに感動しないのだろうか。
いや、そんなことはない。もちろんネトウヨも人の子だ。ワンピースはともかく、なんらかの差別問題を扱ったストーリーに感銘を覚えた経験はあるはずだ。
少なくとも、ネトウヨに差別を肯定的にとらえているほど積極的に思考している人間は少ないだろう。
差別はいけないことであり、差別を克服する物語に感動するのに、なぜ彼らはアジア人を差別するのかということだ。
まず、単純だが愚かな反論として、「差別ではなく劣っているから指摘しているだけだ」というのがある。
まあ、「それが差別だ」との一言でおわる反論だが、あえて詳しく説明しよう。
・エースは大犯罪者の血をひいているだけあり、かなりの暴れ者だった。
それでも親の罪を子に晴らすなんて滑稽だし、黒人を犯罪者予備軍扱いしてはならないし、女性が学びの道に進むことを阻害してはならないのだ。
なぜなら、人には人権があり、差別されず正当に生きる権利があるからだ。一部のアジア人が不正をおかしたからといって、「あんな国は亡びればいい」だとか「あいつらは劣等民族だ」なんて言うことは明らかに誤りである。
2chのネトウヨが跋扈しているスレッドでは、目を覆うような罵詈雑言が「すべての」中国人や韓国人に投げつけられている。
彼らはワンピースに感動し、差別はよくないとうなずきながら、その手は差別用語を打ち続けるのだ。どうしてそのようなことがおこるのか。
続く→
自分が偶然に待受見てしまったことを兄は気づいてないようだけど、
一見それっぽくない風貌だし数年前に結婚もしたしで非ヲタだと思ってたのに、
いきなり色々な段階すっ飛ばして腐男子っておいなんだよそれなんだよそれーーーーっ!!!!!(声にならない叫び)
しかも兄の奥さん(義姉)もそのこと知ってるっぽくて、コミケのニュース流れた時に、
義姉「○○(兄)も似たようなもんだしね」って、なんかわかんないけどいいのかそれーーーーっ!!!!!!!
もう兄夫婦は帰っていったけど、
「それだけに、なぜ『ワンピース』が突出した人気を獲得しているのか。理由がよくわからないんですよ」
そう語るのは、『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(築地書館)などの著書を持つ紙屋高雪氏だ。紙屋氏は10年6月、自身のブログに「なぜ『ワンピース』はつまらないのか?」というエントリを投稿。『ワンピース』は、続々と登場する強大な敵やライバルに打ち勝つスポーツマンガのように物語が進む作品と見受けられるものの、その割にルフィには敵を倒すための努力や勝つための戦略があるようには見えない。しかし、強い信念や決意を表明するための"名言"をことあるごとに絶叫してみせる。そのロジカルではない精神論は苦手だ、としたところ、はてなブックマークに400ものブックマークが寄せられた。
悪「愚か者め!殺し合いの相手が情けをかけるとでも思ってるのか?」
悟空「ドラゴンボールがあるから大丈夫だ。カーメーハーメ波ーーー!」
悪「バカが!!殺し合いの相手がてめぇの味方のなんかに情けをかけるとでも思ってるのか?シャバババ」
ルフィ「うるせぇ!俺は仲間を守りてぇんだ!ドン!! ゴムゴムのーーーーーーージェットガトリング!」
王「足りない頭で考えてみろ。余が貴様らの言葉に耳を貸すと思うか?」
ピューっと吹くジャガー
悪「おまえバカだろ?ケンカ売った相手が外道じゃない保証なんてどこにあるんだ?」
ピヨ彦「捕まってるのに笑っちゃったよ!?この人・・・ガビーン!」
銀魂風
新八「銀さん、噛みましたね。あの人。」
神楽「確実に噛んだアル。一番大事な台詞で噛んだアル。誰がなんと言おうと噛んだアル。」
お妙「きっと慣れてないのよ。それか中の人が未熟だったのかも。」
新八「いや、中の人ってなんですか?姉上。」
銀時「おまえらなーこういう時は気づかないフリしてやるのが大人の対応ってもんだよ。悪党だって噛むことくらいあるさ。だって人間だもの。」
ジャンプ掲載時にチラチラ読んでいたんだけど、ちゃんと読んではいなかった。
今回、古本で一気に全巻買って読んでみた。
で、思うことをつらつら書いてみる。
たいして沢山漫画読んでないから、素人さんの意見でしかありません。
気に入ったところ
明らかに途中からバトル漫画になっちゃった、ドラゴンボールとか幽遊白書とかに比べると無理がなく続けられてるような気がする。
気に入らないところ
掲載時に読まなかったのもこれが原因だった。
ハンタなんかが理詰めで勝のに比べると、なんか物足りない。
ナミとウソップが覇気つかってもゲンナリするけど、使えなくちゃ戦闘中はやることなくなっちゃいそうだ。
こいつ何時の間に移動したの?って感じになる。
たとえば17巻で城のの海賊旗が折れたあと、地面にいるルフィが次に出てきたコマではもう塔のてっぺんにいて、海賊旗持ってる。とか。
ルフィがジャンプする小さなカットでもあれば飛んだんだなってわかるとおもうんだけど、それがないから「あれ、いつからここにいるの?」って感じになる。
ところどころそういうシーンがあって、度になんか物語かな意識が切れる。
スラムダンクとか、ドラゴンボールではそういう違和感て感じた記憶がない。
その他気になったところ(作品外)
電子書籍で探したんだけど、でてないんだよね?これ。
今、大量の単行本をどこに置くんだよコレって悩んでる。
正直言っちゃうと、全巻もってても、違法サイトに全巻分の画像が上がってたら欲しくなる。
さらに50巻以上続くとなると今後は新刊を必ず買うから、違法サイトで画像落とす権利をくださいって思う。
できれば単行本すでに持ってる巻の電子データ版をタダでくれ、と言いたい。
場所を取るの確実の長期連載漫画を一から揃えるのは本の形式をとってる限り敷居が高い。
だって置く場所ないもん。
そしたら中古で買うよりもちょっと高かろうが僕は電子書籍版を買うと思う。
ワンピースにはたくさん可愛い女の子が出てきます。でもワンピースを読んでいる男の子はみんな女の子が好きなわけではありません。それで私はいつも「この人の中ではノーマルな恋愛観しか存在しないんだ。」と思い込んでいました。それがどうでしょう。この本の中ではニューカマーと呼ばれる性的なマイノリティの人たちがすごい活躍をしていました。ボンちゃんとルフィの間に友情が成立するように、同性愛者と異性愛者だって偏見なしに友達になれます。私たちが、偏見という監獄の中に彼等を閉じ込め、日の当たらない処に追いやっていた。そんな作者の叫びが聞こえてきます。彼等がルフィと脱獄しているということはそういうことです。今やっと、声なき者の声に耳を傾ける漫画家が現れました。 - http://okena0.blog45.fc2.com/