はてなキーワード: ポリティカルとは
全てはココに収束する。
同じ場所をグルグル回っているだけなのを螺旋階段を登っていると言い張りたがるのだ。
その円環を進む日本人の群れにとっては嫌韓は2,30年も前のブームであり、もはや嘲笑されるべき過去の遺物だ。
今どきのディスコでジュリセンをヒラヒラさせる人間がいたら「昔の人のコスプレ」にしかならないがそれを本気でナウいと思えば「痛い」のである。
ダサい。
今のナウは人種差別をしないことだ。
門地による差別をしないことが憲法に刻まれた真面目くんルールから一周回ってイケてる今どきボーイが守るべきルールになっている。
黒人やフィリピン人とも友達のA君は格好良く、たとえ友達が100人いても日本人率100%のB君はダサいレイシストなのだ。
そういう時代だ。
これは逆に日本が「戦後の朝鮮戦争バブルで得たリードを失って本来の島国レベルになってきたから」というだけなのだが。
チンパンジーの群れとしてコケにしようものなら日本も巻き添えを食ってチンパンジーであることを認める羽目になるがそんな現実は誰も見たくない。
資源の無駄とか持続可能性がないとかいくらでもいちゃもんはつけられるけど
じゃあそれがアートなんですとか伝統工芸なんですとかいっても同じ調子で圧殺されちゃうのかなって思うわけ
うちの国、SDGs進めてるんでアーティストの染料とかもう作らないし売りません、みたいなね
あと、持続可能性って聞くと標準規格化みたいな話を連想しちゃってさ、凡人が天才を殺す文化の醸成に繋がりそうだよね
そんな飛躍してないと思うけどな、だってSDGsってポリティカルなコレクトネスで踏み絵を迫られちゃ、大抵はムリでしょ
まあうわべだけ取り繕って、いえいえSDGsを頑張りつつ新たな表現の模索を云々かんぬんって言えなくもないだろうけどさ
お前が直ちにこの世を去った方が環境にやさしいよねって違和感を胸に抱えながら、表向きは立派なことをしている風でずっとやっていかなきゃいけない
呪いですよこれは
なんかもう、最強のポリコレこん棒ができちゃったよね
どうすんのこれ
不要不急でなく、人類のためになることでないと存在を許されないよ
こわいねえ
政治家の皆さんは「差別をなくします」なんて簡単におっしゃいますけど、
この場所でも偉大なる先達の増田氏らが何度も述べておられたように、
完全になくすことなんてできないわけです。全人類を脳から改造したりしない限りは。
そもそも差別のもとになる偏見というものは、使いようによっては判断を非常に効率化できる機能でもあり、
偏見を失った人類はその時点でAIに圧倒的に劣る存在になったりするのではないでしょうか、知らんけど。
まぁそれはいいとして、
あるいは、そんなことできないと自覚しながら有権者を耳ざわりの良い言葉で騙そうとする言動、
いずれも政治家としては最低です。
差別をなくすことはできないが、顕在化しにくくすることはできる。
衣食足りて礼節を知る、というやつです。
結局、不満があるから他者へ攻撃性を向ける者が現れ、差別が顕在化するのです。
もっと具体的で身体に刻み込まれるような個人的体験のことです。
『銀と金』をお読みください。
“差別されたんだ……”
はじめに言っておくが、増田は「ポリコレが短歌を殺した」というつもりはない。
https://twitter.com/aymusk/status/1382910231223562244
若手歌人の上坂氏による短歌で、そのキャッチーさ・ショッキングさからSNSでも何度かバズっている作品である。ここで「有名」というのは歌壇での話ではなく、一般ウケの話で恐縮なのだが、見たことある人も多かろうということで「有名」と評した。
今回、その「父」が死去したことにより上坂氏が再度ツイートしたところ、以前は見かけなかった「差別的だ」との引用RT・リプライが寄せられているようで、上坂氏は謝罪に至っている。
増田は短歌の評価を書くような場所じゃないと思うのでその辺は省くが、ちょっとした短歌ファンとして今回の件はショッキングだった。
言うまでもなく、そして穂村弘による評価でも言われている通り、この作品は父に対する強い負のイメージから詠まれた短歌である。
これはフィリピンに対するネガティブイメージではなく、「あのクソ親父は女がいたからフィリピンに駆け落ちしたんだろう」というのが詠まれた状況であろう。なお、駆け落ちという言葉でわかると思うが、ここでいう「女がいたから」というのは「フィリピンに行けば女がいくらでもいる」といったものではなく、「特定のフィリピン出身の女が居て、そいつのために行ったのだろう」という意である。
上坂氏は後日談のように当時の心境を書いており( https://twitter.com/aymusk/status/1382914438290804739 )、それなりに上記の解釈が合っているとは思っている。もし上坂氏が「そうじゃない」といえばそれまでだが。
仮に上坂氏の父親が大阪に逃げたならば「大阪の女」、フランスに逃げたならば「フランスの女」、で短歌を構成することは不可能ではなかろう。
さて、今回見受けられる批判は主に人種差別、例えば「フィリピンといえば女だと決めつけているのだろう」といったものが多い。
短歌とは極限まで言葉の数を削ぎ落とし、鑑賞者に想像の余地を持たせるものであろう。たとえば「歌人はフィリピン女性に悪意を抱いていたのではないか?」という解釈を試みる事自体を間違っている行為だと断言できる気はしない(もちろん歌人の意図とは異なるのであろうが)。
昨今のTwitterにおけるポリコレにまつわる炎上は、文脈がどうであったかが論争になるケースが多いように思う。要は「これは差別的な発言・表現・コンテンツだ」という批判に対し、「切り抜きだ」「このコンテンツにはこういう意図があったのに、そこを無視して炎上させるなんておかしい」といった流れがよくある。
そういう点では短歌は炎上の題材として「最適」である。文脈が削ぎ落とされており、批判も擁護もしやすい。更に元々表現が抽象的であるため、曲解するほうが悪いと断言するのも難しかろう。
そもそも炎上する短歌なんてあるのかよと思うかもしれないが、家庭や人間関係のことを詠んだ歌は多い。
今回の「フィリピンの女の乳首」は極端な例だが、例えば家庭の光景を詠んだものに「この表現はジェンダーロールの固定を想起させる」といった批判が寄せられることは今後ありうるだろう。
歌人がこの状況に対峙するには、「この短歌はこういう意図です」と声明を発表することしかないように思われる。しかし、作者によって説明が付けられた短歌は短歌といっていいのか?それエッセイじゃない?
それとも、釈明・説明を付与することを避けるため、誤解を招くかもしれないという理由で表現の選択肢が狭まっていくのだろうか。もちろん差別的な表現なら論外としても、誤解を招くかもといった理由で表現が狭まっていくことは果たして「コレクト」なのだろうか。
省かれた文脈に対して説明が求められ、作品や表現がポリティカルにコレクトであることを示さなければならないこの時代、短歌の命は短いのかもしれないと感じてしまった。
本件を歌人の方々はどのように捉えているのだろうか。
「作りたい女と食べたい女」なる漫画があり、女性同士の関係性をフラットに描いとるってことで人気らしい
いわゆる「百合」みてえな装飾過剰な感じがなく、自然体で、社会問題なんかにも触れつつ、説教くさくもないくらいのライン
ええんちゃいまっか、と思う(何様?)
「食べたい女」にあたる人がけっこうデカいというか、ゴツいのもいい
それでべつに豪放磊落・食うことしか頭にない!みたいなキャラ付けでもなく、わりと普通の人なのもいい
で、そんなポリティカルにコレクトな作品なわけですが、ある方向性からは攻撃可能みたいなんですね
否定してないというか、バリバリ肉とか魚とか卵なんかを食いまくっている
そこにケチがつくわけだあ!
女性に対する抑圧を描いていますが、動物に対する抑圧についてはどうお考えですか?
男性中心の社会によって女性は搾取されていますが、それはそれとして、人間中心の社会によって畜産動物が搾取されているのも事実ですよね?
人間への搾取はダメだが、動物はいくら苦しめてもオーケー、ということですか?それは種差別ではないですか?
すげーよいまの世の中
本当にすごい
トランスジェンダーの話になってくると、中間層みたいなのが出てくる
TERFのみなさんは被害者的な側面ももってるので、一概にカスとは切り捨てづらい
リベラルのみなさんの中でもバトルが生じたりする
ポリティカル-コレクトネス-リベラリズムの運動家にも、本音ではトランスジェンダー問題に言及したくない人は多い。
弱者男性とかならそんなの弱者じゃねーと一蹴できるけど、本当の弱者が関わってくる問題でも運動家が苦手な分野がある。
確かに大きな被害を受けている弱者だが、その人達の被害を強調すればするほど、従来の運動で絶対的犠牲者として定義してきた別の弱者に飛び火する危険が出てくる。
そのような複雑すぎる問題に深入りしてパンドラの箱を開けたくない・・・。
絶対的犠牲者が実は常に犠牲者となるばかりではありませんでした。加害者になることもありました。それを公認してしまえばいろいろな前提が崩れ、つけ入られる。
アジア系アメリカ人のことをどうすればよいかも本当に苦慮してる。
従来は黒人を白人至上主義に攻撃される絶対的犠牲者として定義してきたのに、アジア系に注目したら黒人が加害者側になる暴行事件まで扱わなきゃいけなくなる。
白人から差別されているのに白人よりも地位が高い有色人種というのも意味が分からない。
パレスチナ人についても苦慮してる。
EUはユダヤ人を絶対的な犠牲者と扱ってきたし、反ユダヤ主義者を絶対悪として排除したい。
だのにユダヤ人が建国したイスラエルがパレスチナを空爆するせいで、パレスチナ人やそれに共感するイスラム系の人が反ユダヤ運動に加わってしまうことがある。
確かに空爆の被害者ではあるけど反ユダヤは止めさせなきゃいけない。
板挟みだよ。
長く続く家族介護でヤングケアラーの子供時代や進路が犠牲になることはあるけど、あまりにもその介護を苦痛の根源として強調しすぎると、要介護者の介護が悪いもののように認識されてしまう。
優生思想を否定しなければならないのに、ヤングケアラーに肩入れするあまり要介護者のことを厄介者のように扱って、逆に優生思想が助長されたら困る。
気持ちはスゲーわかるよ
元記事みたいな言説って俺やお前みたいな「存在自体がセクハラおじさん」をまったく救わないよな
俺は、そして多分お前も
平気で「最近胸大きくなった?」とか言う容姿が良かったり話が上手かったりする人間が、女性陣からも人気な一方
公の場での性に関する話題は全て避け、ポリティカルにコレクトネスであることを心がけている自分が(特に女性陣から)蛇蝎の如く嫌われる状況ってのを、もう、今まで、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっと経験してきたわけ
まあそれはしょうがねえよ
何故ならセクハラ(等のハラスメント)って明確にこうしたらアウトって基準があるわけじゃなくて
だから
容姿やコミュニケーション能力が優れた人間のセクハラ発言より
キモくてコミュ力の低い俺の「昨日期限の書類の提出お願いしてもいいですか」って発言の方が100倍不快だし100倍セクハラ罪として重いわけ
だって俺たちは存在自体が人を不快にさせるハラスメント人間なんだから
■追記
ほらな?
お前に原因がある
とか
とか
とか
存在ハラスメント人間の苦しみ全スルーしてセクハラ被害者全スルーすんなとかイチャモンつけてくる奴とか
これがセクハラ被害を受けてる女性や学校でのイジメの話だったら絶対言われない、あるいは言ったらボコボコに叩かれるようなコメント平気でつくだろ?
でもこれ当然なんだよ
何故なら俺は何もしなくても、あるいは何をしても周囲を不快にさせるハラスメント加害者だからな
上記のコメントしてる人はハラスメント加害者を成敗する正義の味方なんだもんな
あと「胸大きくなった?」は例えだから
しっくりこない人は似たような別の発言に置き換えてね