はてなキーワード: ファストファッションとは
・30歳以上
・本は月10冊以上読み、映画は月5本以上見て、CDは月2枚は買う
・好きな作家・好きな映画監督・好きなバンドがそれぞれ10人(組)以上挙げられ、それらすべてがダサくない
・美術館・博物館・ライブ・クラブ・フェス・お笑いライブは頻繁に行く
・クリエイティブ系の仕事(デザイナー全般・放送作家などテレビ系・web系・広告系・アパレル系)をしている
・大卒
・ガリ〜中肉中背
・肌がきれいで不潔ではない程度にヒゲを伸ばしている
・黒髪で手入れされすぎてない
・シティボーイ系の小綺麗な格好(ファストファッションよりもハイブランド固めはもっとNG)(ファッションスナップを頻繁にされる)
まず価格の問題でセレオリ以上のブランドは選択肢にないとする。
そうするとファストファッションの類いになるわけだが、
H&MとかZARAとかは年齢考えるとないと思う。となるとユニクロ一択。あとは無印良品。
あんまり粗悪な生地は別だが、良質な生地ほど耐久性が高いというものでもない。
ユナイテッドアローズとかのセレオリレベルなら、ユニクロと使ってる生地自体に大差はない。
ユニクロは規模の効果であの値段では信じられないぐらい良質な生地を使ってるからな。
アローズとかが高いのはデザイン的に若者向け(マーケットが小さい)+スタイリング料+生産量が(ユニクロとかに比べて)少ない
つまり見込める顧客が少なく、どれ選んでも外さない程度にアイテムを絞っていて、コストを抑えられない
だけであって、品質は実は大差ない。
ついでに縫製もどうせどっちも中国だし、品質管理しっかりしてる分ユニクロの方が頑丈さでは上ではないかと思う。
というわけで、俺がお前ならユニクロ+無印+あとは古着で定番もの。を選ぶ。
で、雑誌だが、あえて言うならゲイナーだが、正直読む雑誌なんかない。
おっさん層向けになると、急に蘊蓄ばっかのオタッキーな世界になって、
そこまで服に拘りないけど、でもそれなりにオシャレには見られたい30代には意味がない。
というわけで、俺のオススメはさっき言った組み合わせ。
私は自分が手で作るものを世の中に販売して生計を立てているクリエイターである。
会社に属しているわけでもなく、クライアントから仕事をもらうわけでもないので、
作り出すものを売りださなければ一銭のお金も入らない仕事である。
約4年の妊活(不妊治療)を経て、4年前に第一子、2年前に第二子を高齢出産した。
初めての妊娠時、お腹の中でわりと順調に育ってくれたため、産む前日まで仕事をした。
活動場所を自宅にすることで、産後も働き続けることは可能だと思っていた。
もっと言えば、子供を見ながらでも仕事ができると思っていた。大馬鹿者であった。
「妊娠している間、歌詞がまったく書けなくなった」「作風が変化した」云々とママ雑誌で語るのを「花畑脳乙」と鼻でせせら笑っていたのだが、
花畑脳どころか、産後の私の脳味噌は一本のシワのなくなってツルツルの風船にでもなってしまったのではないかと思うほど、
赤ん坊以外のことは、まったく蓄積されない状態になってしまった。
心底驚いた。
そしてじりじりと焦った。
とても辛かった。
実は今もとても辛い。
なぜなら、脳味噌が風船の状態は、第二子が2歳になった今も続いているからである。
「全力で仕事がしたい!」と渇望しながらも、
「全力で作りたい!」と思うものが、まったく自分の中から湧き出てこないのである。
これはものを作ることを生業にしている者にとって、いわゆる「スランプ」と言われるものなのかもしれないが、
子育てをはじめてから今日に至るまで丸4年、私は心底作りたいと思えるものがまるで出てこない。
産前からのアイデアを元に、どうにかこうにか滲み出てくる…くらいのものをかき集めて、なんとかやっている。
でも産前の仕事量(売り上げ)から考えれば、10分の1ぐらいに激減した。
産前は当たり前に都心で過ごし、買い物をし、飲み食べして、好きなことばかりやって、
好きなことを仕事にして、好きなことで食べていけていることが本当に幸せだった。
なんのストレスもなかった。
不妊治療は確かにストレスではあったが、そこから逃げるというより、
それを上回るだけのやりがいが仕事自体にあったのは幸運だったと思う。
「もし子供ができなくても、この楽しい仕事さえあればいい」とどこかで思いながら不妊治療で削がれそうになる精神を保っていた。
(匿名ダイアリーだから書けることだが「仕事ができなくても、こどもさえいればいい」とは心の底からは思えないので、
逆説的にやはり、子供を諦めることはできなかっただろうと思う)
今現在、巷の雑誌を見ても「いまってこんな感じなんだ…」と思うだけで、
小説などは文字が脳から滑り落ちていくがごとく、まったく内容が頭に入ってこない。
いつ保育園から呼び出しがあるかと思うと、携帯の電源を切ることもできないので映画を2時間集中して観ることもできず、
常に何者か(まぁ、それはこどもたち)の目の届く場所手の届く場所すぐに駆けつけられる距離に居なければならないという感覚が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしても薄くなってくれない。
美容室へ行く頻度も激減して、自由に使えるお金も少なくなってきて、着る服もファストファッションがほとんどになってきた。
なんだか自分がどんどんみすぼらしくなっているように感じる。
こんな私がものづくりをして人様にお金をもらえるようなものを作り出せるのだろうか、という不安が頭から離れない。
私の中の「ものづくりをする人」はどこへ行ってしまったのだろうか。
クリエイターやデザイナー、アーティストと呼ばれる類の職業をしている者は、
時代の空気やその感覚をつかまねばより良いものは作れないと思う。
インプットはネットや本だけではなく、目で見て、耳で聞いて、香りを嗅いで、手で触り、肌で感じることを続けるうちに
ひらめきやアイデアや素晴らしいデザインが「降りて」きていた。
自分が心底作りたいと思える良いものがアウトプットできていたのは、
間違いなくあの無意識にインプットし放題な時間があったからなのだと今ならわかる。
今、私は子供の健康を維持するための情報や、子供に対するより良い情報以外のことをまったくインプットできないまま、
仕事ではカラカラの体からさらに何かを絞り出しているだけの状態だ。
針でさせば弾け飛ぶくらい、あらゆる情報と感覚を体内と脳内に満ち満ちさせたい。
出産後、私からあのデザインが降りてくる『ギフト感』が、失われた、と感じている。
そして「それ」が戻ってくることを心底望んでいる。
しかしそれは望んだからやってくるものではないことも、わかっている。
「仕事人」としての自分が死んでしまうような気がして、諦められない。
ああ、なんだこれは。
赤ちゃんを望んでいた時と同じじゃないか。
私は赤ちゃんを手に抱けたじゃないか。
それでいいじゃないか。
なにが不満なものか。
不満?ええ不満だらけですよ!自分に!!
もっと、きちんと「ギフト」に頼らなくてもいい方法で、お金になるような仕事の仕方を構築しなさいよ!!
私は母親になった。もうなっちゃった。戻れないし、子供達のいない生活に戻りたいとは思わない。
もう好き放題やってていい人間じゃなくなったのは確かなんだから、
働き方を変えて、効率の良いインプットの仕方に変えるしかないじゃないの。
やろう。
やるしかないんだわ。
クリエイターは、自分の仕事を自分で作り出せる職業なんだから。
愚痴るつもりで初めて匿名ダイアリーを書いてみたら、なんか元気が出てきた。
:::追記:::1月16日
こんな私の自分勝手な独り言に、たくさんのヒントやアドバイスや応援、共感いただいたことに驚き、
そうすると「ネット上でたくさんの目に触れたいだけの虚構の話」と思われるのだと知り、
匿名の良いところは、名もなき自分が自由に思いを吐き出せるところでしたが、
匿名が故にどこにも信憑性はないのですから、仕方のないことですね。
それでもやはりこれを書いた時の私の気持ちは
間違いなく本当に思っていたことで、本当にこういう状態で。
短い間に私は十分、いろんな言葉もらえました
もしも今後どこかで誰かがここを見て、自分も頑張ろうと思うことがあるかもしれない
私もまたここを見て自分の糧にしたい
なので、このまま残します
逆でしょ。
元来オシャレなんて興味ない人の方が多くて、限られた服オタではない人に高い服を買わせるにはそれしかないってだけ。
そしてオシャレに興味ある層の中でも、ファストファッションの流行により「高い服を買うのがオシャレ」と言う価値観が薄れている。
http://tabi-labo.com/8905/garmentsmatter/
ネタ元:
http://www.dhakahouse.org/13-サバール工場崩壊事故/
「需要が減らない限りはこんなことが続くよね」
というミスリーディング(?)がこの手の記事にはある気がするんだけど、そう考えるべきなのかな。
批判されるべきなのは、劣悪な労働環境を強いている工場や企業、
あるいはそれを容認している行政であって、
生産の需要が増加していること自体はむしろその国の経済的には良いことなんじゃないの?
そしてひいては労働環境によい影響を与えるきっかけにはならないだろうか。
需要が弱まったほうが、むしろさらに労働単価を下げることになるんではないか。
「劣悪な労働環境で製造されている服は買わないようにしましょう」といいたいのだけど、
では、ファストファッションでの服は買わない方がいいのだろうか?
ファストファッションを買わないことで、こういう環境は改善されるんだろうか?
ということが気になってしまう。
経済に詳しいひと、実際はどうなのか、おしえてもらえませんか
超わかる、ほんと嫌ですよね。私も大胸です。
肩こりもひどいし、好きなデザインの下着はないし(それに布代なのか高い)、大きいブラそのものって思いのほか圧がすごくてまったくかわいいと思えない…
私の場合「まあ下着取れば垂れるからさ」とか「形はいまいちだよ~」とか卑下すると大体貧乳の人は満足そうにいじりをやめるからオススメ。
でも私が思うに、身体的特徴は生かしたほうがいいと思う。せっかく持って生まれた特徴なんだし。すっごい美人なのに「わたし自分の顔嫌いだから…」って言ってお化粧も何もしてない人を、もったいないなあと思うのと同じで。変に隠してるみたいに思えて、純粋に周りの友達も悪気なく、もどかしい思いからつい意地悪なことを言ってるかもしれないよ。
好き嫌いはあると思うけど、隠すような大きいTシャツや、スレンダーの人向けのものを無理して着る(だいたいの日本の女性アパレルはそう)より、海外ブランド物は胸元がきれいに出るものが多いよ。私も昔はスレンダーの人が似合うようなモードっぽい服を無理してきていたけど、今はインポートものや高くて買えないときはファストファッションで代用してきてるよ。やっぱり体形的にそのほうが似合うし、似合うとそういう恰好もいいかなと思うようになるよ。
お互い頑張りましょう。
あのな、イケメンであってもコミュ障だと、イケメンのメリットを全く生かせないんだよ。
そして成長過程におけるコミュ力醸成の個人差は社会性を獲得するスピードの差であり、容姿とは無関係。
ブサメン・ブスであっても幼少時からコミュ力に長けることで上手く行っている人はいっぱいいる。
元増田がそういう事実を知らないというだけで、話にならない議論。
結論から言えば、身だしなみ×コミュ力=モテであり社会性なんだよ。
正直容姿なんて普通レベルで全然問題ないし、そんなの身だしなみにコスト掛けまくれば誰でも達成できる。
だから雰囲気イケメンか、フツメンレベルになるよう身だしなみを整えて、コミュ力を上げれば、優れた社会性の獲得が達成され、モテるようになる。
そんだけ。
言い方を変えれば、イケメンというのはそれだけ取り出してもメリットは殆ど無い。
むしろちょっと顔の造作が良い程度じゃ、身だしなみがダメだとイケメンに見えない。
あ、ここでいう「身だしなみがダメ」というのは全身ファストファッションという意味じゃないからな。
しかしまあ、どうしてイケメン美人はモテて得という言説がこうもはびこるんだか。
少なくとも、男は顔じゃねーよ。
オールスターも買えないじゃん。
今時は外見にあまりコストを掛けなくても、服ならユニクロとかのファストファッションをうまく組み合わせてまとめられないことはない。
でも髪と靴だけはそう簡単にコストダウンできないっての。
いわゆる安靴って、白基調のやたらボリュームのあるハイテクシューズか、黒とか焦げ茶でいかにも合皮って感じの「スニーカーみたいなの」ばっか。
あんなダサい靴をどうして履きたがるのか。あんなの間違っても質実剛健などではない。
たとえばスニーカーならオールスターやジャックパーセル、スタンスミスやカントリーやスーパースター、576や996や1400、エアフォースワン、プーマスエードとか、そういう靴が世の中では「手堅い」「無難」という。
ちなみにスニーカーは靴の中ではまだ安い方。ドレスシューズやブーツ系でまともの物はもっともっと高い。
それに男の場合、女よりもTPO的にスニーカーで許される場面は遙かに多いので、カネはかかりにくいし。
もし足幅や甲の高さが合わないならサイズアップすればいい。
とにかく、せっかく服がそこそこでも、靴がダメだと全てパーになるというか、ガッカリ感が半端ない。
たとえるなら、清楚なワンピの女の子の足下が絵に描いたような便所サンダルだったみたいなチグハグ感と言えば分かるだろうか。
とにかく悪目立ちするので、さっさと何とかして欲しいです。
最近はファストファッションでも外人体型的なトールサイズがあるじゃん、と思ったけど挙げられてるニッセンのサイトでトールサイズのシャツ探したら袖丈以上に着丈ばかりが伸びててワラタw
http://www.nissen.co.jp/sho_item/regular/8520/8520_45403.asp
ユニクロで売られているシャツ、なぜか着丈がベローンとやたら長いくせに袖丈が異常に短い。
サイズがS→M→L→LLと大きくなっていっても着丈はやたら伸びるのに袖丈はほとんど伸びない。
生地の無駄使いだ。ユニクロはコスト削減の鬼なのだから着丈をもっと短くするべきだ。
ゾゾタウンで売られている服とくらべてみなさい。
似たようなカジュアルシャツが、ゾゾでは着丈70cm袖丈63cmなのに対して、ユニクロでは着丈75cm袖丈60cmだ。
タックインするにしても長すぎるだろう。
似たようなシャツで腕が長い人がゾゾのMサイズ相当する袖丈63cmの服を選ぼうとすると着丈が76cmのものしかない。
服の説明で「インにもさっとはおってアウターにもOK」ってあるけどアウターに羽織ったら裾がベローンとして尻をまるまる隠すようになってしまい非常にみっともない。
着丈が長すぎて商品説明写真のモデルのように着こなすのは無理だ。
http://www.nissen.co.jp/sho_item/regular/8520/8520_45402.asp
日本人の服装が外国と比べてださく感じられるのはファストファッションがジャストサイズを提供できていないからではないだろうか。
市場の内外と、組織の大小で4分割するフレームワークは概ねあってると思う。
ヒト・モノ・カネの3大リソースはIT化のおかげでますます国をまたがった移動が低コストになっていて、
そうすると大きな資本で集中投資できる大きな組織が、大きな市場で勝負するのが最も効率的で合理的ということになる。
アップル、アマゾン、グーグルのIT御三家は言うに及ばず、ウォルマート、コストコ、日本ならイオンなどの流通業、GAP、ZARA、日本ならユニクロなどのファストファッション、マクドナルド、スタバなどのファストフード、話題の外食チェーン、グローバル展開したりしなかったりしている銀行、保険、証券の金融サービスなど、多くの業種で「大きな組織、大きな市場」モデルによる市場の寡占化が進んでる。
もともと、エネルギー(石油メジャー)、自動車(日米独仏の各国数社)、原発(東芝、日立、三菱)をはじめとする重電分野(米GEが代表例)など参入障壁が高い業種では、「大きな組織、大きな市場」モデルによる寡占的な市場が形成されやすかったが、近年のIT化によって、消費財や消費者向けサービスを提供する上に挙げたような業種でも「大きな組織、大きな市場」モデルが適用できるようになったと見ることもできる。
このように考えると、ひとりの個人として身を立てる、あるいは中小企業やベンチャーが生き残るには夢も希望もない社会のようにも感じられるけれども、俺は必ずしも捨てたもんじゃないとも思ってる。
どういうことかというと、大手資本が「大きな組織、大きな市場」で効率的な市場環境を整えてくれたおかげで、逆説的ではあるが「小さな組織、小さな市場」モデルの個人やスタートアップが活躍できる余地が広がってるんじゃないかということだ。
効率的な市場環境ってなにかというと、例えば決済。国際間の決済が個人レベルでも簡単にできるようになった。
流通もしかり。これは物理的に大きく重いものはまだ敷居が高いけどね。
広告。Googleなどのおかげで世界中に安価かつ瞬時に広告を出せる。
販売。猪木じゃないが「ネットがあればなんでもできる」。そして英語ができれば(かつ物理的に大きく重いものでなければ)世界市場を相手に販売できる。
製造。これはさすがに工芸品のようなものでなければ個人でどうこうするのは難しい。ただしはてな民に馴染みのあるところで言うとenchantMOONが可能性を示したように一介のベンチャーが工業製品を作るのは、規格の標準化や安価な海外リソースの存在もあり、やはり敷居は下がっている。3Dプリンタもここの部分の効率化に大きく寄与しそうだよね。
資金調達:これも可能性は広がっている。上述したようにスタートアップの敷居が思いっきり下がっている現状では競争倍率がハンパないが、ダメなビジネスは資金調達できないという意味ではここも効率化されていると考えることもできる。あとWebサービス系のスタートアップならばプロトタイプ作るところまでは必要なのは人件費だけだから、そういう意味でも個人やスタートアップには恵まれた環境と言える。
こんな感じでビジネスの上流から下流まであまねく効率化、標準化、オープン化されつつあるのが今の世界で、そういうわけで、個人やスタートアップが活躍できる余地が広がっているというのが俺の考えだ。
立ち上げたビジネスは大手に売るか、大手が触手を伸ばさない程度にニッチな市場を狙うか、最高なのはTwitterやDropboxなどのように買収提案を蹴って独立の道を歩めるだけのブランド力あるいは特許をとって身を守りつつ自らが新たな「大手」プレーヤーになるか。
個人にいたっては別にビジネスを立ちあげなくたって能力と英語力さえあれば、国際間での雇用の流動化とクラウドソーシングの普及で、収入を得る方法は格段に広がっている。
逆に今後厳しい立場になると思われるのは、とくにこれと言って強みのない個人や、接待や御用聞きなどの人間関係だけで仕事をとっていた企業。
これまでならそういった企業でも「呼べばすぐ来てくれるから」とか「他に手頃な業者がいないから」ということで仕事にありつけていたのが、コミュニケーションコスト・移動コスト・情報コストの低下で、探せば他に同じ(あるいはもっと高い)バリューを安価にを提供してくれる業者にコンタクトしやすくなると、仕事を失う。
これは日本の製造業や小売業が過去20年でイヤというほど経験してきたことだからここであらためて書くまでもないけどね。
そんなわけで俺は今後数十年の競争社会というのは、増田が言うように大資本が中心にはなると思うけど、大資本以外にも十分にチャンスがある世界だと思ってる。
かくいう俺はフリーランスでやっててこの手の話っていうのはガチで人ごとじゃないので、意見にそういうバイアスがかかっているかもしれないことは断っておく。まあ正直なところ、ここに書いたようなことを自分に言い聞かせてないとやってられんという気持ちはあるな。
ただ同時に、こういうボーダレスな世界だからこそ、俺みたいな組織で生きられない社会不適合人間でも、独立という選択肢を持てて、それなりに家族を養うことができてることも事実なんだよ。まあ俺個人の話は余談でした。
わたくし、30歳になっても女性とお付き合いしたことのない男です。
ただの一度も、お付き合いしたことがありません。
女性はいろいろな意味で好きですが、積極的になる自信なんて持ち合わせておりません。
いわゆる非モテ、というと古い表現になってしまいますが。
このことからご想像できる通り、モテないさえない惨憺たる人生を歩んできたわけですが、
なぜか最近「イケメンだよね」「モテるでしょ」などと言われることが多くなってきました。
もちろん、お世辞や茶化しであるということは承知しています。
それでも、以前の「アキバ系ダサ男」「ネクラ眼鏡」「雪国もやし」といった言われようから
するとだいぶかけ離れているので、なぜそう言われるようになったのか考えてみました。
結論をひとことで言うと、イケメンと呼ばれるのは「顔」だけが原因ではないということ。
かくして、自分は分不相応にもごくたまにイケメンと呼ばれるようになったわけです。
肝心カナメの顔はまったく変わっていません。多少老いはじめたくらいです。
顔が原因ではなく、それ以外の振る舞いや印象、場合によっては相対的な社会的地位から、
イケメンという言葉が選択されているということだと思います。
いやはや、イケメンも地に落ちたものです。
今、イケメンと呼ばれずに困っている若い人も、その評価はこんな簡単にくつがえる
可能性があるということを覚えておいたらいいかもしれません。
「自分は顔が悪いからモテないんだ」という逃げ道が無くなってからはや数ヶ月。
これだけ事態が好転しているように見えるにもかかわらず、最初に述べた通り自分には彼女ができません。
できるような気配もありません。
やはり、年齢に応じた経験値に裏打ちされた積極性がないとダメなんだと思います。
これまた、顔の造作には直接的な関係は無いスキル。
顔だけに責任をおしつけることができなくなっても、人生は続いていってしまうらしいのです。
数年後にはあっさりとキモいオッサンキャラを確立しているような気がしてます。
ハレとかレイジブルーとかWEGOとかファストファッション系とか、
ここ5年ぐらいはむしろ「そこそこオシャレで安いメンズ服」が氾濫してる時代だと思うぞ