はてなキーワード: ごはんとは
体調がすぐれなくて何を食べても具合を悪くする。
お腹に食べたいものを聞く増田のことを思い出したので俺も聞いてみた。
ごはん、納豆、肉、草、唐揚げ、シチュー、ハム、こういうのは嫌なんだって。
あとナスの事がめっちゃいやなんだって。なんで。ナス、おいしいが。
そんなお腹が食べたいのは生の食パン。まじか~俺はエビマヨおにぎりが食べたいんだが。
そういうわけで生の食パンを無心で食べている。困ったな。おいしい。
ごはんを食べたいんだけど
スイッチも押せる
米もみつけた。
それなりに大学の近くに住むと家賃が高い。築30年くらいの木造アパートに住んでいた。
1mm〜3cmくらいと、飛ばない茶色っぽいGだったが、夏は毎日のようにGの赤ちゃんを見つけては殺していた。
巣があるんだろうけど、バルサンしても死骸が出てくるわけでもなく、ブラックキャップやホウ酸の餌も効いているのかわからなかった。
隣の住人が不衛生な生活をしていることが伺えるため、怯えながらも仕方ないのかなと思っていた。
そんな中、友人からルームシェアしようという話が持ち上がった。
Gにも困っていたしルームシェアに憧れていたし家賃も安くなるので快くOKした。
ようやく引越しを終えて、友達と夕食を作って食べようと茶碗にごはんをよそっていたら、炊いたご飯の中に4mmくらいの茶色いGが死んでいた。
まだ暑い日が続きそうだ。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
5年前好きな人ができた。
最初は業務上話す必要がある人だったから、その関係の話しかしていなかったんだけど、ちょっとした雑談のときに話してくれた趣味の音楽の話とか、友達の話とか、すごくすごく大切に、楽しそうに、話してくれて、そんなときにふと見える笑顔とか、自分の仕事をとても評価してくれるとことか、そういうのがぜんぶぜんぶ綺麗に見えてしまって、だめだなーと思いながら気がついたらその人のことずっと考えていて。
仕事のこともあるから、食事とかも誘いづらくて、でも自分のほうが立場が下だから、誘うとしたら自分なんだけど、やっぱりやめたほうがいいなってなって誘わなかった。
少し時間がたって、いっしょに取り組んでたプロジェクトにキリがついて、当初からは考えられないくらいの成果を出すことができて、誘うなら今だろうって思ったし、むこうもいつかお酒飲んでみたいねとか話したし、ここおいしいよー今度行こうねなんて言う話もしてくれてたし。でも、ふたりきりは誘えなかった。別に飲まなくてもランチくらい誘えば、行けば、よかったとは思う。
プロジェクトの成功もあって、転職することになって、東京に来た。離れる前にむこうから連絡先を交換しない?って言われて、ようやく好きな人と個人的な連絡先を交換して、ときどき仕事の話とか音楽の話とか続けていたんだけど、やっぱり好きな気持ちが抑えきれなくて、帰省するときに勇気を出してごはんに誘ってみた。忙しいみたいで、断られてしまった。今度は向こうからライブに誘われたけど、話をすすめようと思ったら、向こうからは具体的な話とかなんにも出なくてまとまらなくて、社交辞令だったんだなってようやく気がつけてかなしかった。また帰る機会が会ったから、もう一度だけと思って、ランチに誘ってみた。やっぱり断られてしまった。今回は特に理由は言われなくて、そのあと結構落ち込んだ。
これだけ断られるとさすがにあーそういうのじゃないんだってやっと気がついて、なんかこの頃は過剰で気持ち悪い距離の詰め方をしてしまって、3回で諦められてよかったけど、迷惑だしダサくて最悪な気持ちになった。
それだけ断られて、連絡取ってるのも気を遣われてたんだって思って、今までは好きだったから、向こうの話には返していたんだけど、返さなくていいタイプの返信が来て、自然な流れで連絡をやめた。やめることができた。もっと話したかったけれど。ちゃんと連絡やめることができた。
それなのに、3ヶ月とか半年とか連絡していなくてもむこうから連絡が届いて、うれしいのか悲しいのかよくわかんないグチャグチャの感情になって、あんまりすぐには返信できなかったりした。それなのに、近況を話すとすごい褒めてくれて、がんばったねって言ってくれて、それを励みに仕事をがんばれた。そうかと思えば、急に3か月返信されなかったりして、めちゃくちゃ感情をかき乱された。
そうやって連絡を続けるうちになんとなくいい感じの距離感が掴めてきて、たまーに連絡取り合う友達くらいにはなれて、もう4年も連絡取り合ってるねなんて話して、携帯を機種変するときにも新しい連絡先くれてうれしかったな。
ようやく、4年もかかって、仕事の話と音楽の話を楽しそうに話しくれるのをたまに聞くっていうそれくらいの、出会ったときの、ささやかな喜びを共有する距離感に、やっと戻ることができた。これでよかったんだってちゃんと思えるまで、こんな時間がかかるなんて思いもしなかったけれども。
最近は何かを言った次の瞬間に何を言ったのか忘れている。
フィクションなんかでよくある「ご飯はまだ?」「ばあちゃんさっき一緒に食べたでしょ」なんてやりとりももちろんする。
両親の仕事は深夜に終わることが多かったので仕事帰りの祖父母が交代で保育園へ迎えに来てくれたのを覚えている。
平日の晩ごはんを作るのはばあちゃんの担当で、道すがらにあるスーパーに寄ってから家に帰ることもあった。
暑い日なんかはファミリーパックのアイスを買って、ばあちゃんに急げ急げと急かされながらスーパーの駐車場を2人で走ったりもした。
畳の匂いのする居間でテレビを見ていると台所からトントンと包丁で何かを切る音が聞こえてきて
揚げ上がった唐揚げの匂いにつられて近づくと内緒だよと、ひとかけらだけつまようじにさして食べさせてくれたっけ。
小学生くらいになると料理を手伝いたいとタダをこねたこともあった。
ばあちゃんはやいやい言いながらも色々教えてくれて、初めてひとりで卵焼きが作れるようになった日はそりゃもう嬉しくて何日か連続で卵焼きを作るくらいはしゃいだ。
実家に帰ることも少なかったので、ばあちゃんの認知症の症状がいつ頃出始めたのかは分からない。
事情を知らされたときにはだいぶ物忘れが進行していて認知症の診断を受けさせたい家族と嫌がるばあちゃんで一悶着あって大変だったのを覚えている。
そんな状態になってもばあちゃんはばあちゃんで、たまに実家に帰ると何か足りないものはないか?これを持って行きなさいと食べ物がたくさん入った袋や箱を持たせてくれた。
どうしてこんなに長い文を書いてあるのかというと今日部屋を掃除していたらどこからともなく封筒が出てきたからだ。
「〇〇へ」と自分の名前が大きく書いてあり筆跡からばあちゃんが書いたものだとすぐ分かった。
中を確認すると新聞の切り抜きがたくさん入っていて、よく見るとどれも料理のレシピが書いてある記事だった。
たぶん憶測になるがばあちゃんの症状がまだ軽かった頃に、たまに帰ってくる孫に渡すために新聞のレシピ記事を切り抜いて食べ物と一緒に持たせてくれていたのだと思う。
ばあちゃんが認知症と診断されてから何年か経ったが症状はゆるやかに進行していて、最初に書いたように最近はご飯を食べたことも忘れてしまうようになった。
ばあちゃんは自他共に認めるしっかりした人だったけど今のばあちゃんを見ているとその面影はない。
寂しくて涙が止まらなくなったとき泣き止むまで抱きしめてくれた優しいばあちゃんも、悪いことをしたら裸足のまま冬の玄関に締め出すような恐ろしいばあちゃんも、もうどこにもいなくて小さくてシワだらけの老人がただそこにいる。
それだけの話。
「ごはん、味噌汁お代わり無料」って結構ランチメニューとかに書いてあるじゃん。
味噌汁頼んだことってある? 俺はある。あるというかよくやる。
ごはんは食べようと思えば食べられるけれど、太るからあんまりお代わりしないようにしている。
味噌汁は単純に好きだし、知るものってお腹に溜まる感じで満足感あるからついつい頼んじゃう。
あんまりほかで味噌汁のお代わりを頼んでる人は見ないし、「ご飯味噌汁お代わり無料」って大抵ごはんって書くならついでに味噌汁も書いとくか、って感じじゃない? 店的に。
たまに明らかにインスタント味噌汁の店でも味噌汁お代わり無料って書いてあったりするしね。
味噌汁積極的にお代わりするわって人あんまり知らないわ、自分以外。
豚汁とかの具沢山な奴で味噌汁お代わりし放題なのはすごい嬉しいね。
食べ応えあるし。お得な感じするし。美味しいし。
個人的にはしじみの身まで食べるタイプなので、うっかり味噌汁の蓋とかにカラを置いておくと、
その量で何回味噌汁お代わりしたかバレバレだったりね。まあいいんだけど。
たぶんそもそも食事時に一緒に水分が欲しいタイプなんだと思う。食べながらお茶とか挟む人と、食中は全く挟まない人とかいるけれど、完全に前者。
その要領でご飯(白米)の時は、汁物として味噌汁についつい手が出るわけ。味があるしごはんと合うから余計に手が伸びる回数が増えたりね。その塩気でご飯が食べれたりするわけだし。
だから味噌汁も無料って書いてあると2,3回くらいお代わりしちゃうんだよな。
あでも、明らかにインスタントそのまま出してる感じのところだとさすがにやらないかな。
店からしたらどうなんだろう。味噌汁のお代わりってなんとなく用意面倒くさそうな感じもするけれど、ご飯お代わりと比べてどんなもんなの?
もし面倒だったらごめん。そしたら2杯までにするから。
その際、「育児の何にそんなに疲れるの」と言われてしまい、数日たった今もその発言が私の中で消化できないでいる
ごはんをちゃんと食べてくれないのも、奇声を上げられるのも、ついて回られるのも、動けなくなって泣きだすのも、眠いくせに泣いてばかりで寝てくれないのも、夜中に何度も泣いて起こされるのも、私にはストレスだ
夫は、こどもが泣いていても叫んでいてもストレスには感じないらしい
事実、泣いていても基本的にはまともに取り合わず、スマホばかり眺めている
きちんとあやしてやれば泣き止むのも分かっているので、泣いている子がかわいそうで結局私がこどもをなだめる
それが余計ストレスになる
でも、機嫌よく振舞える余裕はもうない
ネット上の動画で「この曲きいたことあるけど、なんだっけ?」となるともどかしい。
アニメのタイトルあたりは固有名詞があれば一発だし、それを思い出せなくても関係しそうなワードを入れればでてくる。
「女子高生 バンド ごはん アニメ」でけいおん!はでてくるし「ロボット アニメ ギャグ シリアス展開 奏」で奏光のストレインもでてきたりするので、本当、曲が思い出せないのはもどかしい
インターネットで表舞台に立たなくなってから、もうずいぶんと長い年月が経つんですけど、別にインターネットと縁が切れるわけでもなく、今日も俺は教え子に脅迫されるやつの最新巻を電子書籍で購入してその場で読み、サブスクでアルカテイル聞きながらはてなのトップページ見てるわけなんですけど、俺は冬燕ちゃん派です。おっさんになってくると「家でごはんつくって待っててくれる」みたいな部分に脆弱性が発生して絶望する。
いまやもう大文字の「インターネット」なんてものもどこにあるんだかわからんですが、てゆうかそんなものはもうなくて、世間様だけがあるんですけども、そういう意味で、あれまなめさんだったかな「ツイッターはインフラ」って言ってたの、あれめっちゃ本質だったなあという気がします。
めっきり個人ブログの入らなくなったホッテントリ見てて、俺あんまり感傷ってものと縁のない体質なんですけど、俺かつてここにいたんだよなあ、などと思ったら、なんか遠い気分になってしまった。
それで、俺かつてあの場所でなにやってたんだろうな、なんて考えたんですけど、たとえばブログからは絶対に収入を得ない、だから好き勝手に書く、でも好き勝手に書いてるんだから、せめて読んでる人の暇つぶしくらいにはなりますように、くらいのことは当時でも考えてたんですけど、このあいだPhaさんのインタビューだったかな、あれ見てるときに、不意に思ったことがありまして。
俺ひょっとして「親戚に一人はいる妙な大人」をやりたかったんじゃないかな、と。
というのは、俺にはロールモデルってのがいなかったんですよね。自分が将来どうなっていくのかとか、あるいは将来こうなれって言われるとか。ただ「ああいうふうにだけはなりたくない」というのだけが強烈にあった。その「ああいう」ってのは、つまり俺が子供時代を過ごした1980年当時の「大人」というものだったと思います。
現状の俺がどういう物体であるかはさておき、いま、変な大人、けっこうネット上で見かけるんですよね。それは単純に「俺がイメージする大人」とは違うという意味で。
俺はそういうのすごくいいなあと思うんです。
たとえば30とか40越えてなお「変」でありつづけるっていうのは、これはかなりの難事業だと思うんですよ。なぜ変なのかといえば、自分の内部にどうしようもなく世間と折り合いがつかない部分があるからで、その折り合いをつけないまま生きていくためには「どうしようもない部分」以外の折り合いはつけなきゃいけない。それってかなりの知性が必要な作業で、俺が「いいなあ」と思う変な大人は、みなそれを持っているように見える。変と見られることを恐れていないように見える。
それがね、いいなあと思うんですよね。そういう人が呼吸できる場があるということが。文章なりなんなりを発表できる場所があって、それに共感する人たちがいるということが。ひょっとしたら、変な人が変な大人でありつづけていることで、救われているだれかがいるかもしれない。かつて救われたかった子供だった俺は、そういう人たちを見て「いいなあ」と思うのです。
かつてブログやってたころ、よく「自分もたいがいひどいが、あの人にくらべればまだまし」という扱いを受けることがあって、それって俺にとってはたぶんモチベーションのひとつだったんですよね。どうだ、ひどいだろう。しかし安心していい。それでも死なない。なんとかなる。
ほら、書く人ってよく「十代の自分」を相手に書いてるっていうじゃないですか。当時はそんなこと思ってなかったんですけど、あれはやっぱりそういうことだったのかなあ、なんてもうじき50歳の俺は思います。
増田が人間はほかの生物とは異なる特別な存在と分類するのは自由やで。なぜなら趣味だからだ
前半の略した部分も貼っておくね
単なる趣味だから自由でいいんですけど、“人間は動物である” という当たり前の視点があってもいいのではと思いました
増田が行いたいことが「マーケティング」や「自身の印象管理」であるなら、“人間は動物である” という視点は不要で、
人間の文化・社会を眺め、ある程度 確立されている手法に従えば、プロでなくとも限定的な効果は得られるとは思います
パソコンの仕組みを理解していなくてもパソコンを使えるのといっしょですね
増田やネットで自己肯定感がーとか承認欲求がーとか言うのをやたらめったら見るので
それをきっかけに “自己について” “生物について“ テキトーに雑に考えてみたんだけど面白くはあると思う
ごはん食ってうんちして寝て起きてをしている中で、それらを考えようなんてきっかけは発生し得ないからね
さっきはてな登録したばかりで、初投稿です。なんでもいいから書いてみたかった。よろしくお願いします。
そういえば夜ごはん、皆は何食べたんだろう。自分はさっぱりしたものが食べたくて、オクラと大根おろしのそばを作って食べた。おいしかった。おすすめ。
うーん、まとまりない文章で申し訳ないです。最近こういうの書く機会もなかったから、リハビリ的にやっていきたい。
これ読んでくれた人、もしいたら、夜も暑くなってきたけど、熱中症に気をつけて過ごしてね。
ベースとトッピングを選ぶんじゃなかったっけ、と思いながら、並んだセットメニューからトッピングとして選択可能なものを抽出する。久し振りだからカツにソーセージとかそういうあたまわるい最高に楽しいやつにしよう。
注文して、えーっと普通? と答えてメニューを閉じようとしたら、見返し部分にトッピング一覧と辛さやごはんの量が書いてあった。重要な情報はそこに全部あった。
ごはん多かった。成人が食べていい量では無い。若者の店だからかと思ったが、年齢も体型も曲がり角を曲がりきった人が多かった。
でも楽しかった。増田でカレーのじゃがいもの話をしていたから、やさいも入れた。日本カレーにはやっぱじゃがいも必須だろ。
そして牛乳だろ。とアイスミルクも頼んだら、スジャータのコーヒーフレッシュがついてきた。一番むずかしかった。どうすればよかったんだろう。
ステーキ大好き人間からしたら、安くて美味しいステーキが食べられるっていうのは、それは嬉しいだろ。
期待したよ「いきなりステーキ」。いきなり、か~~~~!!
立ち食いにして家賃を下げて、セルフにして人件費も抑えてるから実現できるのか!すごいね!
ところが、しばらくすると、それほど安くはいんじゃないか?と思い始めた。
通ってしばらくすると、店舗によってかもしれないが、立ち食い用の高いテーブルにイスで座る仕様になってるし、入店してテーブルに向かうと止められて「しばらくおまちください」って店員がうようよしてるし、食べ始めるまで妙に時間がかかるし、ぜんぜん「いきなり」じゃないしと思っていたら、経営不振のニュース。
そりゃそうだよ。ぜんぜんコストが下がってないじゃん。素人目にもわかる無駄無駄無駄のオンパレード。
そこに登場したのが「焼き肉ライク」だ。
徹底した効率化とコスト削減。客一人あたりの滞在時間まで計算し尽くした経営努力。無駄のない店内の設備。
行きましたよ! 感動したよ! なかなかそこそこの肉だけど、安かったし、ボリュームも俺にはちょうどよかった。
しかもこのコロナ禍でも通用する「お一人様」系だし、ほんと期待の新人だよね。
いきなりステーキが放った「もやもや感」を吹き飛ばしてくれたのが、「焼き肉ライク」だ。これからもうよろしくね。
今日も、いきなりステーキの前を通り過ぎて、焼き肉ライクで晩ごはん食べるのさ。